三尺高ェ板の上
ここには過去3日ぶんのトップページの文章が置かれます。基本的には毎日、前日分のそれを収納することにより、古いものはトコロテン式に削除していきますが、異議・異論・反論・質問など議論の芽が発生した場合は、それが終熄するまで残すものとします。なお、ここに収録したもの以前の文章については、リクエストいただければメールにてご送付、もしくはここに再掲載いたします。遠慮なくどうぞ。
 
●10月7日/ラストゲーム-2(1回表:ファイターズの攻撃)
とにかく、ミステリーのみがいたずらに、内部のどのジャンルが高級だの低級だのと言って愚劣な内紛をしていて良いはずがない。それよりは、お互いの長所を認め合い、切磋琢磨していく方がより建設的である。ジャンルごとの差別的な発言など、読者にとって何一つ有益でなく、無意味だ。小説というのは人生の娯楽の享受の一端であり、突き詰めていくと、面白くて感動を与えてくれさえすればどうでもいいわけだ。
(『二十一世紀のミステリーに向けて』より 二階堂黎人)
 
「本格ミステリ話って、もしかして昨今話題の“X問題”のことですか? ……でも、あれはもう終わった話でしょう」
「そうね。たしかに『容疑者Xの献身』の“本格ー非本格論議”に関しては、疾うに決着がついて終息した感じだね。でも、そこに端を発する“本格ミステリ論議”は、まだまだ現在進行形だろう?“本格評論終焉宣言”とか“第三の波終息宣言”とかさ、めっぽう美味しそうな話題もざくざく出てきてるじゃん」
「んー、まあそれはそうなんですが……もうこの話題に関しては読者さんも食傷気味なのでは? 特に現在進行形の議論なんて、ミステリWeb界ではごく一部でしか表立って取り上げられてないじゃないですか」
「なぁーに言ってんだか。そもそも昨今のミステリWeb界じゃ、なにか“表立って”大きな話題が生まれることなんて無くなっちまっただろーが。いずれにせよ、そんなことはどうでもいいのよ。私はねー、今回の件に関しては、あっちにもこっちにもそっちにも、言いたいことがそりゃもうたああああっくさんあるのッ」
「ええええ!? あっち方面のみならずこっち方面やそっち方面にもですかあ。ーーそんな、そこらじゅうに喧嘩売ってまわるような議論は、自他共に許す日和見主義者のぼくには、ちと荷が重すぎます」
「何を今さら! こと本格ミステリに関しては、あたしらとっくの昔に周りじゅう敵だらけでしょーにッ。それに気付いてないとは、言わせないわよ」
「……でもなぁ」
「えーい、でももヘチマもあるかってーのッ!こぉの煮え切らねェはんぺん野郎が、胸のマリーンズマークが泣くぞッ!」
「うッ、ううッ! こ、ここでそいつを持ち出しますか……。そこまでいわれたら仕方がありません。分かりました、やりましょう」
「よっしゃ、そーこなくっちゃね。しかしおぬし、わっかりやすい男やのう」
「放っといてください。ともかく、やるならとっととやっつけちゃいましょう。となると……やっぱそもそもの発端からこれまでの議論の流れを、ひと通り整理しておいた方がよさそうですね」
「そうだねー。この問題に関しては議論の場もあっちゃこっちゃ動き回ったし、飛び火しまくったし。なかなかその全容を把握するのは難しいだろうからなあ」
「まぁ、ぼくも全てを捕捉しているとはいえませんけどね。ともあれ、まず……あッ!とかなんとかいってるうちに、試合が始まりますよ!」
「えーい、間の悪い!」
「なに言ってんです、雑談は、あ・く・ま・で・観戦の合い間ですから!」
「わかったわかった。わかったから、そやって奇声を発しながらタオルをぶんぶん回すのはやめてくれんか」
「ナッオユキッ!ナッオユキッ!ナッオユキッ!っと。邪魔せんでください。これはうちのエース(清水直)が登場時の応援スタイルなんです」
「ったくいい歳こいてうっとーしいやっちゃなあ。しかしーーそうか、ロッテは今日はエースが先発なんだな?」
「なに言ってんです! うちも日ハムもエースの先発ですよッ。POへ向け首位通過を狙う日ハムが必勝体制なのは当然ですが、ロッテだって満員のホーム最終戦を、しかもモロさんの引退試合を落とすわけにはいきませんからね。文字通り両軍エースの激突ですよ。うー、わくわくする!」
「ほほう、日ハムのエースといえば金村投手だわね。つーことは“この試合の直後”ヒルマン監督に暴言を吐いて、出場停止を喰らったやんちゃなエース君だな?」
「……あのですねー。ぼくらの“この会話”は、あくまで9月24日当日の試合経過と共に、ライヴ感覚でお贈りしちゃう本格論議! っつーコンセプトなんですからね。前後関係を無視したメタレベルな発言はご遠慮くださいッ!」
「はッはッは、まーそのへんは愛嬌愛嬌。ほれほれ、トップバッターをファーストフライに打ち取ったぞ」
「うおおっしゃー、ざまみれひちょり〜。このナメック星人が〜」
「なんかただのタチの悪い酔っぱらいみたいだな。いるんだよなー、球場に行くと人格変わるやつ。スタジアムをストレス解消の場にしてるんだな。ったくもっとジェントルに観戦できんもんかね」
「す、すいませんすいません。失礼しました。おっと2番打者の田中は空振り三振!ですよ。うっほほーい。うちのエース、調子がいいですね。ここんとこ立ち上がりが不安定だったんですが、今日は行けるかも」
「おおっ3番小笠原選手もライトフライで三者凡退じゃん。なんだいなんだい、いつもとひと味違うねー」
「なに言ってんです、これがうちの本来の姿ですよッ。さーて、チェンジチェンジっと。つまみは足りてますか? 枝豆はまだありますね? あ、おねーさんおねーさん、生くださいな! ayaさんは?」
「そんなことよりさっきの続き! “X問題”の振り返りと総括を始めるぞ!」
「あー、そうかそうか。 いやー黒ラベルのビール売りさんは少ないもんで、見かけると速効注文しちゃうくせがありまして、はは」
「いいから始めろっつの!」
「はいはい。えー、昨年暮れ以来、本邦本格ミステリ界を揺るがしまくっております“『容疑者Xの献身』本格/非本格問題”(長いので以下“X問題”としますね)ですが。そもそもの発端は2005年11月28日。新本格系ミステリ作家である二階堂黎人さんが、東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』を読み、自サイト『二階堂黎人の黒犬黒猫館』の日記『恒星日誌』にお書きになった“感想”でした」
「二階堂さんのこの“感想”の要旨は、『X』のミステリーとしての成果は評価しつつも、“読者が推理し、真相を見抜くに足る、決定的な手がかりを(作者が)恣意的に伏せてある(書いてない)”から、“(本格として)フェアとは言えず、したがって、本格推理小説としての完全な条件を満たしていない”と言うもの。いわば『X』に非本格判定を下したものだったわけだ」
「そうですね、ちなみにこの記述をぼくはリアルタイムで読みましたが、それまでの二階堂さんのご発言からすれば、まぁ“想定範囲内”。ぼく自身の『X』に対する評価とも相まって、この時点では特に問題発言とも感じなかった、というのが正直なところです」
「まあ、われわれの意見、感想は後でまとめて議論していくとして、とりあえずは議論の流れを追っていこうよ」
「そうですね。ちなみに二階堂さんこの28日にもう一度日記を書き、“『容疑者Xの献身』の真相”と題する文章をアップしておられます。これはタイトル通り『X』の隠された真相を暴くといった内容で、“X=非本格”を主張する“二階堂説”の補強材料として提示されたもの。いかんせん奇を衒ったトンデモ推理としては面白いものの、解釈としての説得力があるとは言えず、むしろ二階堂さんの論者としての信頼性を損なう方向に働いた気がしないではありません」
「次に動きがあったのは2005年12月2日だ。同じく『恒星日誌』に、垢抜けないたとえ話を使いながら“『容疑者Xの献身』は限りなく本格(推理小説)に近い非・本格(広義のミステリー)である”という主張を繰り返しておられる。このタイミングでのご発言はいま見るとやや唐突感があるけど、たぶん(閉鎖中で確認できないのだが)掲示板で議論が炎上していたせいだと思う。あるいは翌日のベスト10発表の情報をつかんでいたのか」
「ええ、翌12月3日『2006このミステリーがすごい!』(宝島社)の国内ミステリランキングで『容疑者Xの献身』が1位。さらに12月4日には『本格ミステリ・ベスト10』(探偵小説研究会編/原書房)でも同じく『X』が1位を獲得。二階堂さんは前者については『これはぜんぜん構わないというか、むしろ当然の結果なんでしょうけどね。』と静観の構えでしたが、後者に関しては『ますます戦いがいがある。闘志が湧いてきた(笑)』と一気にバトルモード。返す刀で“批評眼ランキング”と称して、探偵小説研究会の佳多山大地氏と円堂都司昭さん、そしてミステリ作家の黒田研二さんを“降格”してらっしゃいます」
「たぶんここが“X問題”第1部のターニングポイントだったんじゃないかな。広義のミステリを対象とする『このミス』での1位はともかく、『本格ミステリ・ベスト10』での『X』の1位は、二階堂さんにとってショックだったんだろう。あるいは予想はしていたけど、あらためて腹に据えかねるものと感じたのか。以降はっきりと、探偵小説研究会を中心とする“本格系評論家”にターゲットを絞り込んでいったようだ。それにしても、二階堂さんと共作までしているのにさ、黒田さんはなんだか気の毒な感じだったなー。二階堂さんからすれば“身内に裏切られた”気分だったのかしらん」
「どうなんでしょうね。そのあたりになると想像するしかないですが……ともあれ、この頃すでに『黒犬黒猫館』の掲示板は激しく炎上しており、その状況を受けて、12月5日には『恒星日誌』に『掲示板の書き込みに関するお願い』が書かれています。ここでご自身の“本格ミステリ定義”についても再度論じておられますね。一方、はじめて作家さんがこの議論に参入してらっしゃったのもこのタイミングでした。登場の場はやっぱり『黒犬黒猫館』の掲示板で、新本格系のミステリ作家の中でも屈指の論客、我孫子武丸さんが登場されたのです」
「前述の通り、くだんの掲示板が閉鎖されているので記憶に頼った記述になるがーー我孫子さんは『容疑者Xの献身』の本格ミステリとしての弱さを認めつつも、自著の『弥勒の掌』(文芸春秋)を例に引きながら本格ミステリの多様化、拡散状況を示唆。本格に関わる二階堂定義に理解を示しながらも、一方で二階堂さんの主張の仕方の拙さ、危なっかしさに注意を喚起しておられた」
「つまり、大ざっぱにまとめてしまえば“言いたいことは分かるけど、もう少し言い方に気をつけようよ”って感じでしょうか。これを受けて、翌6日には早くも『恒星日誌』に二階堂さんのレスポンスが書かれたましたが、内容はやはり激しくすれ違っていましたね」
「というかさ。この段階になると、二階堂さんの議論は“相手の主張から自説に都合の良いところだけをピックアップ、もしくは都合の良いところがなければ意識的に曲解してそのように加工”し、自説の主張に利用するという“議論にならない状態”に突入してしまったからねー。たとえば、我孫子さんご自身が“厳密な意味では本格ではない”と評した『弥勒の掌』を、二階堂さんは逆に本格の代表作みたいに扱って、“二階堂説”の補強に使う、とかしている。残念ながら、そうした我田引水牽強付会を絵に描いたような“議論にならない議論”のやりようが、私ら本格原理主義者を含め、ギャラリーを呆れさせ、失望させたのは否定できないね。結果として二階堂さんは孤立を深め、同時に本格系評論家/探偵小説研究会に対する糾弾を一段とヒートアップさせつつ年を越す。まー、第2次大戦直前の日本みたいなもんだな」
「そ、そのたとえは、いくらなんでもいかがなものかと思いますが……あ、マリーンズの1回裏の攻撃が始まりますよッ!」
「にゃあにぃー! いくらなんでも間が悪い! 悪すぎるッ!」
「なに言ってんですか、トップバッターはモロさん(諸積選手)ですよッ! それ、モッロズミっ、モッロズミっと!」
(1回裏へつづく)
 
●9月30日/ラストゲーム-1(プレイボール前)
 
ある晴れた日曜の午後。注ぎたてのビールと熱々のホットドッグを手に座る、ボールパークの外野席。そこはたぶん、この地上でもっとも幸福な場所のひとつだ。
(『リロイ・ハブスの生涯』より)
 
「あ、こっちですよー、ayaさん。遠路はるばるようこそ、おまちしていました〜。ぴっぴー」
「んもーほんっとに遠路はるばるだわよ〜、ぷっぷー。ご招待はありがたいけどさー、何よ何よ何よこの海浜幕張駅の人の多さは? 朝の都心駅のラッシュ並みじゃないの!」
「はは、今日はマリスタのお隣の幕張メッセでゲームショーをやってますからね。そちらのお客さんもごっつ多いんです。でかい紙袋を持っている人、あるいはコスプレな方は、たいていゲームショーのお客さんですよ」
「ふーん。で、マリスタの観客はきみみたくロッテのユニフォーム着て、野球帽かぶってるわけだな!……しかし、どーでもいいけど、きみくらいどえらく野球帽が似合わないオトコも珍しいなー」
「似合うとかに合わないとか、そんなことは瑣末な問題です。これはぼくらの正装ですから、センスじゃなくてハートで着るんです」
「フーン。悪いけど、ちょっと離れてくれる? そういうポリシーの人とは並んで歩かないことにしてるのよね」
「いいからさっさと出発しますよ! ほら、さっさとシャトルバスに乗る!」
「ほいほい。満員だねどうも。はは、当然だけど全員マリサポだわ。……どうでもいいが、この車内放送のナレーション、あまりにも下手すぎない?棒読みもここまで行くと芸術だね」
「悪かったですねー、車内放送のナレーションもロッテの選手がやってるんですよー。俊介とか今江とかサトとか……英語はもちろんボビーです」
「ふーむ、しかし、ゴリに“携帯電話の電源はお切りくださいとか言われてもなあ」
「とかなんとかいってるうちに、もう着きましたよ! 運賃は100円ぽっきりです!」
「分かった分かった、おー大きいねえ。人が多いのはもちろんだけど出店もいっぱいだ。まるで縁日だなあ、なんかお腹が空いてきたわ〜」
「出店も珍しいものがいろいろあって愉しいですけどね、スタジアムの中に入れば、なか卯や小次郎だってありますよ。あと、マリスタはね煮込みが名物なんです!」
「煮込みときたかー。ううむ、さすがマリスタというべきか、実に野球場らしくない名物だなー」
「でも、美味しいんですよ、ビールにも合うし。あと個人的には焼きそばが好きだなー。なんてことないフツーの夜店の焼きそばなんですけどね、ちょっと濃い口で、これもビールに合いまくりなんですよぉ。これと枝豆があればぼく的にはもう全面的にOKです」
「……キミの場合、基本的にビールに合うかどうかで全てが決まるみたいだなー。まあいい、私はホットドッグにしよう。やっぱ野球場はこれでしょ」
「洒落臭いこと云ってますねー。じゃ、ともかく入場しましょう」
「お、もぎりのねーちゃんがなんかくれたぞ? ふーん。カードだね」
「ええ、今日が引退試合のモロさん(諸積兼司選手)のベースボールカード(写真2)ですよ。今日は特別に来場者全員プレゼントなんです。あ、もしお要りようでないのでしたら、ぼくが……」
「いやいやいやいや、まあ記念にもらっとくよ。さあ、階段を上ってと……うん、これこれ。あー(深呼吸)。オープンエアの球場はさ、通路を抜けてずどどどーんと一気に視界が広がる、この瞬間がいいのよねぇ(写真3)」
「ですね。なんだかいつもよりとくべつ広い感じがする青空、目に沁みる緑の芝(人工芝ですけどね)に真っ白なライン。やっぱしなんかこう“特別な場所”って感じがしますよね……って、ポエムなこと言ってる場合じゃありません。早いとこ席を見つけないと」
「そうだな、たしかにすごいね。立錐の余地も無いというか。消化試合だってのに……とっくに満席じゃないの?」
「消化試合なのはたしかですが、何度も言うように今日はホームの最終戦、しかもモロさんの引退試合。おっしゃる通り満員御礼ですからね、余裕こいてる場合じゃありませんよ。あ、おねーさんおねーさん、席無い?うん、2人なんだけど。よろしくね!」
「ふーん、スタッフが席を探してくれるんだ?」
「ええ、そうですよ。まあ、ここまで混むことはめったにありませんけどね。基本、立ち見はあり得ないんで、席は必ず見つけてくれますよ。あ、ほら、あったみたいですよ、席。あっちです」
「おーおー、ずいぶん登らせるねえ。角度はホームベースのほぼ真後ろでいいね。けどずいぶん高い(写真3)」
「今日はホーム最終戦だからサインボール投げがあるだろうし、ぼくも低い位置の席が良かったですけどね。たとえば以前一度だけ行ったことのあるフィールドウィングシートの場合は、こんな感じになります(写真4)」
「おー、やっぱ近いねー!」
「視線の高さが選手とまったく同じなんですよね。ファウルボールもライナーでバリバリ飛んでくるし、あのとんでもねーライブ感覚は、もうぜんっぜん別世ですね。とはいえ、まぁこんなに混んでいては仕方がありません。なに、半端に低い位置より高い方が試合は見やすいんですよ。……あとはビールを買って、と。あ、おねーさんおねーさん、2つね!」
「紙コップのビールも久しぶりだなー」
「ふふ。じゃまあ、試合はまだ始まってませんけど、ビールも来たことですし、先に始めましょうか」
「だな。じゃまぁ、今日はご招待ありがとー。お疲れさん!っと」
「どういたしまして、はい乾杯。マリーンズ劇場をたっぷり愉しんでってくださいね」
「はは、そうさせてもらうよ。しかし、今年もマリスタにはずいぶん通ったみたいだけど、結局何回来たんだい?」
「えっとぉ、今年は今日をいれて11回です。これでも去年よりだいぶ少ないんですよ」
「いい歳こいた勤め人としては、じゅうぶん多いと思うが。まあ、いい。で、あれか、球場にはいつも一人でくるのかい?」
「急に思いついて来る場合は一人の時もありますが、ふつうは複数ですね。家人とかマリサポの友達とかといっしょにビール飲んでわいわい観戦してます。たぶんぼくにとって野球場のスタンドってのは、居酒屋か茶の間みたいなものなんですよね」
「ほう、どういうことだい?」
「思うのですが、野球観戦って緊張と弛緩、集中と息抜きがいい具合にブレンドされてるお楽しみなんですよ。びっちり集中して見つめ、応援しなきゃいけない瞬間ってそう年がら年中あるわけではないし、しかもそういう時間帯ってのはわりとはっきりしているんですね。ですから、それ以外の時間帯は、試合を横目で見ながら、友だちと飲んだり話したりしながら英気を養っていればよろしい(笑)。チェンジやピッチャー交代というトイレタイムもちゃんとあるわけですし」
「たばこが喫いたきゃ、敵方の攻撃の時いけばいいしね」
「ですね。喫煙所にだってちゃんとモニタが用意されてます。ぼくも外野応援席で跳ねてた頃は、プレイボールからゲームセットまでびっちり試合に集中してましたけど、この歳になるとそれはちょっときついですから。もちろん二死満塁ツースリーのぴりぴりする緊張感はたまりませんし、応援が盛り上がればマリスタならではの一体感もむちゃくちゃ熱い。でも、その一方でビール飲みながら、まったりぬくぬく馬鹿話するのもそりゃあ愉しい。マリスタの内野自由席って、この双方がじつにいい具合に入り交じって両方楽しめちゃう場所なんですよ」
「なるほどねェ。じゃ、今日は野球観戦だけでなく、久しぶりにじっくり馬鹿話もできるわけだ」。
「そういうことです、はは。何の話をしましょうか。よろしければマリーンズの来期構想について、じっくりとご紹介申し上げるというのはいかがでしょう」
「まあ、そいつは遠慮しとこうよ。それよりさ」
「はい? なんでしょう」
「久しぶりに、昔みたいにじっくり話そうじゃないか。本格ミステリ話ってやつをさ(ニヤリ)」
 
●9月23日/諸國ふるほん漫遊記拾遺:クイーンドラマを書いた愛書家-3
タイプライターの前を離れずに、あなたのところからよごれていない美しい本が買えるというのに、はるばる十七丁目まで走っていって、製本の悪い、きたならしい本を買う必要なんてどこにあるでしょうか。私がすわっているここからは、十七丁目よりロンドンのほうがずっと近いのです。
(1950年9月25日)
 
『チャリング・クロス街84番地』の記述を見る限り、エラリー・クイーンのテレビドラマ脚本を書いていた当時のヘレーン・ハンフは、とくだん人気作家でも人気脚本家でもなかったようです。作中の書簡でも自分を「貧乏作家」と呼んでいますし、そのつましい生活ぶりは記述の端々から伺うことができます。もっともニューヨークっ子の彼女が、近所で入手できないからといって海の向こうのロンドンにたびたび古書を注文するのは、ずいぶん贅沢であるようにも思えます。しかし、こんなことができたのは実は当時の為替レートのおかげ。同じ戦勝国でも、疲弊しきった英国に比べてアメリカは元気いっぱいで、米ドルも非常に強かったわけ。だからヘレーンはポケットマネーの米ドルで、古書とはいえなかなか立派な美装本やら革装の初版本やらをばりばり買うことができたのだそうです。となると円高ドル安時代の日本なら、ぼくらもアメリカから美しい横文字の古本を安く買うことができたのでしょうか。まぁ、たとえ取り寄せた所で、当方には読めませんが。
いずれにせよ、こうして往復書簡が本になってしまうくらい、ヘレーンと古書店マークス社のやりとりは頻繁でした。つまり、彼女はそれくらい始終イギリスから古本を取り寄せていたわけですが、では、いったいどのような本を読んでいたのでしょうか。それこそクイーンのテレビドラマ脚本を書いていたのですから、本場英国の本格ミステリあたりを期待したいところですが、そうは問屋が卸しません。実は彼女、若い(当時33歳)に似合わず英国古典文学(小説を除く!)大好きの古典愛好家。エンタテイメントや実用書の類いには鼻も引っかけず、新刊本やベストセラーなど十把一絡げで馬鹿にという高雅な趣味の持ち主です。登場する書名といえば、ニューマンの『大学論』、クイラー・クーチの『オクスフォード名詩選』、ウォルトンの『伝記集』『釣魚大全』、『ピープスの日記』……まぁ『ピープス』あたりは通俗読み物とも言えますが(これは17世紀の英国紳士が当時の英国上流社会の裏側を赤裸々に描いた愉快な日記文学。国文社から大部な本が出ていますが、たしか岩波新書でも読めますよ)、名だたる古典がずらりと並び、小説といってもせいぜいジェーン・オースティン。『エマ』や『自負と偏見』を通俗の極みみたいに言うのですから大したものです(まぁ通俗といれば通俗ですけどね)。エラリー・クイーンのドラマ脚本を書くのも、嫌々だったのかもしれません。
さあらばあれともあれ。このように高雅な愛書家だったヘレーンですが、作家としては、それこそこの『チャリング・クロス街84番地』以外知られた作品はなさそうで、。検索してみると、邦訳された本は以下の五冊であるようです。すなわち『レタ−・フロム・ニュ−ヨ−ク』(中央公論新社)、 『ニュ−ヨ−ク、ニュ−ヨ−ク ニュ−ヨ−クっ子のN.Y.案内』(サンリオ文庫) ニュ−ヨ−クっ子のN.Y.案内、そしてもちろん『チャリング・クロス街84番地』(中公文庫) 、そして『ホテル<赤い十月>の殺人』(勁文社 1985)……って、ななななんだあ! 『ホテル<赤い十月>の殺人』ってどーみてもミステリのタイトルに見えるのですが。しかもあんまし売れそうもない感じのミステリに。ということは、もしかしてヘレーンはミステリを書いていたと? そんな話は聞いてません。リストの出典は「Kinokuniya BookWeb」ですから、こんなやくざなミスしないと思うのですが、どうも腑に落ちないのです。実際、この書名(『ホテル<赤い十月>の殺人』)の方で検索をかけてみると、別人の名前(アンソニー・オルコット)がずらずら並ぶし、「Kinokuniya BookWeb」の誤記だと思えるのですが、本自体は疾うに絶版、というかご承知の通り版元(勁文社)実体とっくに倒産しちゃって書影も見つからず、確認できないのです。どうでもいいっちゃどうでもいいことなんですが……当方、こういうことが気になり出すと我慢ならないタチ。とうとう先ほど、くだんの一冊を某ネット古書店の棚に見つけ、注文を出してしまいました。これがヘレーン・ハンフの知られざるミステリ作品ーーなんてことは、まぁまずありえないと思いますが、本が到着しましたらまたご紹介しますね。
 
●9月9日/諸國ふるほん漫遊記拾遺:クイーンドラマを書いた愛書家-2
太平洋戦争の終戦から四年後の1949年。戦火の爪痕も生々しいロンドン、チャリング・クロス街の古書専門店マークス社に、一通の手紙が届きます。それはNYに暮らす独身女性が書き送った、本の探索と送付を依頼する注文状でした。早速マークス社の書店員は依頼された本を探しだし、海の向こうの顧客へと発送します。……こうして始まった愛書家ヘレーン・ハンフと古書店員フランク・ドエルの太平洋を挟んだ交流は、少しずつ親しさを増していきながら、一度も顔を合わせぬまま20年も続きました。『チャリング・クロス街84番地』(“84,CHARING CROSS ROAD” by Herene Hanff 1970)という本は、この二人のやり取りをまとめたいわゆる往復書簡集。当時、世界中でベストセラーとなり、日本でもヒットしたそうです。現在でも中公文庫で読むことができるようですが、当方が某古本屋さんの百均棚で見つけたのは1972年4月第一刷のリーダーズダイジェスト社版。たぶん日本で最初に出た時のバージョンです。ベストセラーになった本ですし、当方も書名は知っていましたが、実際に読んだことはなく。とくに読みたいと思ったこともなかったはずです。では、なぜこの本を選んだのか。
実はたいした理由ではなくて、このヘレーン・ハンフという著者名につい最近出会った記憶があったからなのです。いや、「出会った」というほどはっきりした記憶ではなくて、印象というか、感触というか。しかも『チャリング・クロス街84番地』の著者としてでなくて、なにかこうミステリに関係した文脈のなかで遭遇したような“感じ”が残っていたのです。ところが百均棚の前でいくら首をひねってみてもそれが何だったか、どういうシチュエーションで出会ったのか思い出せません。あまり時間もなかったので、見切り発車的に購入してしまったのですが、帰り道の新幹線の中でこれを三分の一まで読んだところで、意外な記述に遭遇しました。それは、マークス社の店を訪れたことを自慢する友人(マークス社の書店員氏とは別人)の手紙に対するヘレーンの返書の一節です。
 
神様って、不公平だわ。わたしのほうときたら、九五丁目に足止めを食ったまま、『エラリー・クイーンの冒険』なんていうテレビ・ドラマの脚本を書かされているんですものね。
(1951年9月)
 
なんとまぁ、愛書家ヘレーン・ハンフは、かのエラリー・クイーンのテレビドラマ脚本を書いてらっしゃった作家さんなんですね。早速、帰宅してから調べますと、すぐに確認できました。ネヴィンズJr.の『エラリー・クイーンの世界』では、1950年代初頭に生放送ドラマ化がクイーンのテレビドラマの嚆矢という記述がある程度で脚本家には触れていませんでしたが、一昨年刊行されたガイドブック『エラリー・クイーン Perfect Guide』(飯城勇三編著 ぶんか社04年12月刊)でヘレーンの名前を発見しました。この本、久しぶりに見てもやっぱり許しがたく見苦しい表紙ですが、内容はひじょうに充実しており、もちろん映像作品もきちんと紹介されています。ヘレーン・ハンフの名前は、やはり1951年に始まった初のクイーンドラマの脚本家として、『チャリング・クロス街84番地』と共に掲載されていました。
おそらくこの件はクイーンマニアには周知の事実なのでしょうが、それほど濃くない当方の場合、前述のとおり『エラリー・クイーン Perfect Guide』の記事も忘れていましたから、上記の記述に出会った時はそりゃもう完全に不意打ちをくらい、まるで一人旅の見知らぬ町角で突然旧友に出会ったような驚きと嬉しさを一時に味わったのでした。なお『チャリング・クロス街84番地』における、ヘレーンのクイーン・ドラマへの言及は、その後も数回ありきます。例えば52年2月には「エラリー・クイーンのテレビの脚本代だけど、一本につき二五〇ドルに値上げしてくれました」とあり、ドラマが続けば英国にわたってマークスの店を訪ねる旅費が貯められると喜んでいます。30分ドラマの脚本が250ドルというのは高いのか、安いのか。当時は1ドル=360円の時代ですから、一本およそ九万円ということになりましょうか。物価を勘案すると、たしかになかなか美味しいギャラであるような気もします。実際、その翌月の52年3月の手紙には「もし、エラリー・クイーンの連続テレビ・ドラマの脚本書きのお仕事が再契約されたら、来年にはそちらに伺いますからね」と書店員氏に書き送っています。しかし、残念ながらこの最初のクイーンドラマは1952年に終了。当然、ヘレーンも再契約は叶わず「エラリー・クイーンの放映が終わり、わたし、相変わらずあちこち動き回っています」(53年5月)と記し、また元の貧乏ライター生活に戻った様子です。その後、1955年から再び新しいクイーンのドラマが始まっていますが、どうやらヘレーンには声がかからなかったようで、この新シリーズに関する記述はありません。
 
●9月5日/諸國ふるほん漫遊記拾遺:クイーンドラマを書いた愛書家-1
私は“古書”というとすぐ高いものと考えてしまうものですから、「古書専門店」という名前に少々おじけづいております。
(『チャリング・クロス街84番地』ヘレーン・ハンフ 日本リーダーズダイジェスト社 1972年 “84,CHARING CROSS ROAD” by Herene Hanff 1970)
偶然の出会いだけを期待して古本屋さんを訪ね歩くのは、愉しいお遊びですが、探書の方法としておよそ効率的とは言えません。探索対象にもよりますが、さほど難度の高い本でなくとも、初見の古本屋さんで遭遇する確率は“ひじょうに低い”のが実感です。当方が「クロフツワーク」で探しているクロフツの本も、さほど探索難度が高いとは言えませんが、それでも出会いの確率はけっして高くない。そもそも地方に出張して都合よく探書時間が取れる幸運はせいぜい5回に1回というところでしょうし、その街を歩きまわって、首尾よく“開いている”古本屋さんを発見できるのはせいぜい2店に1店(古本屋さんの開店日、営業時間というのは、どういうわけか実に気まぐれです。最近は廃業してしまいお店自体が存在しない、というケースもひじょうに多いですし……)。さらにそのお店で探索中のクロフツ本に会えるのは、10店訪ねて1回あるかないかというところでしょう。繰り返しますが、効率とか合理性とはおよそ対極的な探書法なのです。もちろん、だからこそ運よくクロフツ本に出逢えたときの喜びときたら、その場で両膝ついてヤオヨロズの神々に感謝を捧げたくなるほど。そもそも古本屋さんを訪ねて見知らぬ街を歩くことそのものが好きなので、効率の悪さ、確率の低さは気にならないのでした。とは、いえ。これだけ「空振り」が多いと、それなりの弊害も出てくるわけで。たとえば「名刺」の問題です。
名刺といってもネームカードのことではありません。ほら、古本者と呼ばれるマニアな方々がよくおっしゃってるじゃありませんか。空振りだった古本屋さんを撤収するとき、「名刺代わりに」なんつって、特にほしいわけでもない本を購入される、あの習慣です。もちろん古本者ならざる当方には、そのような粋な習慣は持ち合わせません。初見の古本屋さんをお訪ねしても、棚を一覧して欲しい本が無ければごく即物的にお暇するだけでした。出張先ですから荷物はできるだけ増やしたくありませんしね。そもそもなんであれ、欲しくも無い本を買う行為自体、性に合いません。三代続いた由緒正しい貧乏人だもんで根っからしみったれなのです。しかし、近年「諸国ふるほん漫遊」を始め、「クロフツワーク」に勤しむようになると、さすがに斯様に無粋な人間も古本屋さんの棚を見る楽しみなんてものがちょっとは分かるようになってきます。そうなると今度は“さんざんっぱら楽しんでおいてびた一文払わない”というオノレの遣りように、少々疚しさを感じるようになってきます。これだけ楽しませてもらったのだから、せめて百均棚の1冊くらいは買うべきなのか。特に欲しくなくても、そう、“名刺代わり”に。
もちろん、百均棚の文庫本1冊買ったところで、古本屋さんにとってたいした儲けにはならないでしょう。ですが、そこはまぁ気は心。不案内な土地でお店屋さんに道を尋ねるとき、まず何がしかの買い物をしてから聞くのといっしょです。以来、初めてお邪魔した古本屋さんで釣果がない場合、百均棚を漁り1冊2冊の安売り本を購う、ということを行っています。しかし、これが難しい。実に難しい。……このあたりのお話しは前回の「クロフツワーク高崎篇」のそれと一部重複していますが……いくら挨拶代わりとはいえ、当方としてはやはりまったく無意味な買い物をするのは抵抗があるわけで。時間を気にしながら、百均棚に収められた百冊だか二百冊だかの本の中から、それでもせめて少しは読みたいと思える本を探すのですが、無いときはこれがまったく無い。自分では比較的守備範囲が広いつもりなのですが、それでもとことん興味を持てない、金輪際読みそうもない本ばかりズラリ並んだ絶望的百均棚に直面することもしばしば。棚の前で立ち往生したあげく涙目になりつつ追われるようにその場を去るか、あああああもうこれでいいですううう、とほとんど一人パニック状態で突撃購入ということが、それはもう頻繁に発生します。結果、ワガコトながらなぜこの本を選んだのか理解に苦しむ“名刺本”が急増。おおいに不本意だったりするのですが、それはそれとして。一方で、時にはこうした想定外の購書から思わぬ出会いが生まれることもある。例えば『チャリング・クロス街84番地』も、そんなふうに悩みに悩んで半ば脳死状態になりながら購入した一冊でした。 (つづく)
  
INDEX
●10月7日/ラストゲーム-2(1回表:ファイターズの攻撃) ●9月30日/ラストゲーム-1(プレイボール前) ●9月23日/諸國ふるほん漫遊記拾遺:クイーンドラマを書いた愛書家-3 ●9月9日/諸國ふるほん漫遊記拾遺:クイーンドラマを書いた愛書家-2 ●9月5日/諸國ふるほん漫遊記拾遺:クイーンドラマを書いた愛書家-1 ●8月26日/諸國ふるほん漫遊記拾遺-3 ●8月24日/諸國ふるほん漫遊記・拾遺-2 ●8月19日/諸國ふるほん漫遊記拾遺-1 ●8月15日/諸国ふるほん漫遊記・番外編:クロフツワークact3 in 高崎〈彷徨篇-下〉 ●8月14日/諸国ふるほん漫遊記・番外編/クロフツワークact3 in 高崎〈彷徨篇-上〉 ●7月4日〜8月11日/シュレディンガーの猫-1〜16 ●6月29日/子供が祈るやり方で ●6月24日/輝く世界 ●6月21日/禁じられた遊び ●6月17日/牡蠣ロッテiMac ●5月22日/shortcuts ●4月8日/shortcuts ●3月27日/ときめく乙女視点 ●3月13日/クロフツワークact2 in 新宿【覚醒篇】 ●3月11日/妖精さん、ありがとう ●3月9日/容疑者Xの献体 ●3月4日/まだまだレビュでいっぱい(いっぱい) ●2月24日/レビュでいっぱい(いっぱい) ●2月18日/GooBoo in クロフツワーク act1 ●2月17日/shortcuts ●2月11日/クロフツワーク act1 in 米子:始動篇 ●2月4日/模造記憶 ●2月2日/青春を浪費しすぎた男 ●1月28日/クロフツワーク02 ●1月25日/クロフツワーク01 ●1月24日/Autobahn ●1月13日/満員電車でGO ●1月11日/黒い仏 ●1月9日/王道で行こう ●1月7日/抱負は豊富 ●1月7日/【諸國ふるほん漫遊記(その4)新宿篇】 
 
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