[其ノ四]日本海沿岸地方掃討作戦('95.4/29〜5/1)

 日本周回MINIの旅とブチあげてはいるが、意識的に全国を回ろうと考えたのは実はここらあたりからである。1994年までのMINIの強行軍で関東一円と北海道、東北の太平洋側を回ったが、そういえば北陸遠征に失敗している。当時福井県関係の仕事をしていたので、そこらへんは新幹線−米原経由−北陸線でうろうろしていたことはあるので、土地勘はないわけではない。北陸はさっさと行っておいた方がいいだろう。しかし'92年のMINIの旅東北旅情編で東北の岩手・宮城といった太平洋側に沿って帰ってきたので、秋田は隅っこをかすめただけ、山形には足も踏み入れてないというのも事実である。と、なると次の旅は決まった。東北自動車道を一気に北上し、秋田から日本海側に沿って山形県→新潟県を抜けて北陸3県を制覇するのだ!

 てわけで決まった日本周回MINIの旅・日本海沿岸地方掃討作戦ではあるが、'94年には旅に出ていない。もう記憶はおぼろだが、確かこの時期けちょんけちょんに忙しかったような気がする。違かったかもしれん。

 ま、ともかく薄れゆく記憶をたぐると、この時にも旅のお供の『ベストドライブ』北陸編を買って、いろいろコースを検討していたようである。見所も少し押さえたような気がするが、どこにも立ち寄った記憶がない。結局ただ走り回るだけの強行ドライブだったようだ。

 と、書いていることで分かる通り、この旅も記録はまったくない。したがって断片的な記憶を元に書くことにする。

 出発したのは'95年の4/29。ゴールデンウィークのまっただ中であるが、よくもまあ、こんな日に出発しているものである。おそらく年休を使うヒマがなかったのであろう。いつものように千葉県は柏市から出発して柏インターから常磐自動車道に乗る。実は流山インターの方が近いのだが、ここらに住んで3年にもなろうというのに、未だに道を覚えられないのである。と、ゆーか、基本的に首都高には乗らないので、そっち方面に用はないのだ。999ccのMINIじゃ加速力がなくて、昼間の首都高はツラすぎる
 この時にはもう外郭環状道路が開通していたはずで、流山インターから三郷を経由して東北自動車に乗ったはずである。東北自動車道も'92年に終点青森まで乗っているし、スキーなんかで走ったこともある。ゴールデンウィークとはいえ、帰省客も分散型で、渋滞するほど混んでいない東北道をちんたら進む。

 うちのMINIもたいしてスピードは出ないが、確かシトロエン2CVが走っていたのもこの時である。「どうせ80km/hくらいしか出ないんだからやめときなさい。」とか思った記憶がある。
 東北自動車道を北上まで北上し、北上ジャンクションから秋田自動車道へ乗り換え。
 この道は高速道路というより有料道路で、片道1車線、中央分離帯のかわりにポールが並んでいる。スキーブームの頃はこの道も遅々として進めなかったが、この日はなんということもなく進む。岩手県から一気に西へ日本列島を横断し、秋田県に入る。

 今回のMINIの旅はここからが本番。とりあえずの目標は男鹿半島である。どこからどう走ったか覚えていないが、まずは男鹿半島を通り越した先のインターを降りて、北側から半島に入ったはずである。あまり海沿いの道じゃなかったような気がする。狭い山道をてこてこ走ってエイヤっとカーブを曲がると、いきなり大きな駐車場が。ここが男鹿半島の突端、入道崎であった。広い駐車場にはまばらな車。風が強く、あまり観光客もいなかった。日本全国どこでも観光地は似たような店が並んでいるが、ここもご多聞に漏れず、観光客相手にイカ焼きやらジュースやらを売っている店がある。トイレに行ってから岬の方へ歩いてみる。

 たいていの日本の岬はごつごつした岩だらけ、というイメージがあるが、ここ入道崎はなだらかな芝生地帯が広がり、そのそこかしこに岩が転がっている。芝生は海まで続き、そこからすとんと断崖が落ちている。という感じ。あまり見かけない地形で、行ったことも見たこともないくせに「イギリスみたいだ〜」とか思う。どこがイギリスなのか今考えてもよく分からないが、ワタシの頭の中のイギリスの自然は、あのストーンヘンジとドーバーのホワイトクリフが混然としたものだったらしい。
 ま、しかしなかなかよそではみれない景色ではある。実は下に降りる道があったらしいが、それには気づかず、すぐに出発!

 おそらく国道7号線に乗って戻ったのだと思うが、看板に出る文字は「八郎潟」。小学生の教科書に載っていた八郎潟である。八郎の足跡が八郎潟だったんだっけ?それはダイダラボッチか。てことは、えーと、埋め立てがどうのこうのという話は社会の方の話だっけ・・・?

 とか言いつつ国道7号線を南下する。ここから新潟へ抜けるのであるが、当時も今もここに高速道路は走っていない。国道7号線で新潟まで行けば、そこから北陸自動車道が始まるのである。
ここを日本海沿いに国道7号線を延々と南下するわけであるが、あまり海を見た記憶がない。というのも早々に日が落ちてしかも雨まで降ってきたからである。いつもそうだが、半分くらいは夜中の道を走ってて、景色もなんにも見えないんだよな〜。
 ま、それもまたよし。雨の国道7号線。街灯もあまりない真っ暗な道を、一緒に走る車もほとんど無くひとりひた走る。ラジオでは聞いたこともないパーソナリティが延々とつまらない話を続けている。んで、どっかの公園の近くで寝たと思う。
 本日の走行距離は約910kmくらい?

'95.4/30
 早朝に起きて走り出す。そのうちに夜も明けてきて、朝焼けの空の下に新潟の町並みが見えてくる。が、なんか工場の煙突みたいなヤツだった。
 新潟から一般道で北陸まで向かう手はあり、いくつか観光スポットもチェックしたハズであるが、それはパスして新潟市の手前で北陸自動車道に乗る(新潟空港?)。
 この日も天気はピーカンのいい天気。車は少なく快適なドライブである。右手には日本海がうねっており、糸魚川のあたりでは海水浴客までいたぞ。ほんとか?
 富山県に入って新湊あたりで高速を降りる。ここから能登半島へ向かうのだ。

 能登半島に入ってからは、ひたすら海沿いの道を北上する。ネライは能登半島に捕まれているかのような島、能登島なのである。能登島へはフェリーかなーとか思っていたら、しっかりかなり立派な橋が架かっていた。これはまた・・・税金の無駄遣いとは言わないけど・・・橋の名前は能登島大橋。有料であった(現在は無料らしい)ためかどうか知らないが、見かけた車は対向車が1台だけ。いいのかそれで?

 しかしなんとなく来てみた能登島であるが、なかなかいい感じ。小さな土地に民家と畑と山がひしめいている。その間の狭い道をてこてこ走る。島の裏側へ向かうと道がどんどん狭くなり、山裾に小さなトンネルが。MINIでも通り抜けるのに躊躇するような小さなトンネルを抜けると、そこは山に囲まれた隠し田のような農地が広がっており、ぽかぽか陽気にススキが揺れているのであった。というか、ゴールデンウィークなのでさすがにススキはなかったと思うが、ワタシの頭の中で美化された光景ではそういうことになっているのである。
 1時間くらいで1周終わり。小さな島であった。気になったのはお墓が家の敷地内にあること。今ではあちこちで見かけるのでそんなに驚かないが、当時は少なからずびっくりした。自分の家の庭にお墓があるというのは始めて見た。しかしこれは後にあちこち行った時に、特に島なんかでよく見かける。スペースの少ない土地ならではの風習なんだろうか。てか、都市部が墓地を一箇所にまとめた方が歴史が浅いのかもしれない。こういうちょっとした風習の違いは見ていて楽しいのである。

 現在では能登島大橋ともう1本、中能登農道橋のいうのがかかっているそうだが、当時はそんなものはなかった。あれば乗っていただろうが。しかし今は知らないが、2本も橋が必要なんでしょーかねえ。と、書いて思い出した。このニュースを聞いた時だか、道路公団がらみの話の時か、その時にもそう思った記憶がフラッシュバックしたぞ。なんだかカラクリがあったはずである。能登島大橋は生活道路で中能登農道橋は農道だ、つーやつだ。まあ、オレは地元民じゃないからあんまり言えないけどね。元道産子だけど、高速道路は車より熊の方が多いかも(笑)

 ま、ともかくふたたび能登島大橋を渡って能登半島に戻り、ここからは能登道路という有料道路に乗る。料金所がねーなーと思っていたら、入口と出口にあるタイプでなくて、道の途中に1箇所あるタイプだった。この道も片側1車線道路で、遅い車がいると、すぐに縦列が出来る。とはいえこの場合はオレのMINIが渋滞の原因なのである。早々に抜かせて先に行かせる。能登道路を終点で降りて、加賀百万石の都、金沢へ。

 金沢といえば兼六園。逆に言うと兼六園くらいしか知らない。あとは越前・若狭見廻り奉行くらいだ。金沢の道は古い都らしくこちゃこちゃしていて、どこがどこやらさっぱり分からない。しかしさすがに兼六園となると案内がしっかりしていて、看板についていけばなんとなく近づくことができる。んで、こんもりした木々が見えてきたら、そこが兼六園であった。どこから入るんだろう、とぐるぐる走っていたがよく分からない。
 まあ、いっか。ということで兼六園はパスして先へ進む。何しに来たんだかよく分からない。

 どーもこのあたりでめんどくさくなってきたらしく。反応が雑である。本当はこのあと若狭湾・東尋坊と抜けて、舞鶴→若狭自動車道から中国自動車道に入り、名阪→東名と帰る予定であったが、かったるくなってきたので、そのまま北陸自動車道に乗って、敦賀から米原へ抜けて、小牧JCT→中央自動車道で帰ってきてしまったのあった。甲府・諏訪あたりではもう真っ暗で、談合坂サービスエリアで仮眠。次の日5/1に帰宅したのであった。

 まあ、前回に引き続きぱっとしない北陸行であったが、秋田・山形・新潟・富山・石川・福井と日本海岸を制覇、帰るついでに滋賀・岐阜・愛知・長野・山梨・東京・千葉を通過した、2泊3日1都12県の強行ドライブは、こうして幕を閉じたのである。

おしまい。


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