駝文樹

 短冊状の紙に言葉を書き込み、その優劣を競い合う遊技。

発祥:
 駝文樹の原型はインド仏教に見られるが、このときはまだ小乗仏教における祭器であり、遊技として行われ始めたのは中国六朝時代からである。中国で仏教が普及しはじめた西晋時代から六朝時代にかけて、詭弁論者達が戦国時代に隆盛した名家の再考察と「白馬非馬論」を発展させた「非馬白馬論」を提唱し、論客達との議論を盛んに行っていた。詭弁論者達の中心人物の一人であった周双は、単なる議論では飽きたらず、仏教の僧侶が説法のとして行っていた駝文樹を弁舌の優劣を競う方法として取り入れ、論客達の間で盛んに行われたのが始めである。その後、文人達の間では好んで行われたが、清代以後は急速に廃れ、現在の中国ではほとんど行われなくなってしまった。日本への伝来は遅く明治に入ってからだが、多くの文学者らが愛好家としてその名を連ねるほどである。

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