牧ノ原重工杯 明治36年(1903)
当時はすでに電信による対戦が主流だったが、牧ノ原重工社長、牧ノ原為蔵が伝書鳩を用いた対局を呼びかけ実現したタイトル戦。しかし、日露戦争勃発により翌年の対戦は行われず、以後伝書鳩を用いたタイトル戦は一度も行われていないため、非常に珍しい対戦として有名。
牧ノ原重工は大型紡績機械により大企業に成長。その社長である牧ノ原為蔵はアマチュアながら相当な腕の持ち主で、いくつものタイトル戦を主催している。好事家としても有名で、伝書鳩以外にも、犬も用いた対戦を企画したが実現はしなかったようである。
この対戦の参加者数は26名。伝書鳩による伝達のため、手数はそれほど多くなかったものの、決着までに丸2年かかる大一番となった。以下は決着時の陣図と、決着にいたるまでの10手である。