鼓煙陣図名対戦

今回は、明治36年に行われた牧ノ原重工杯を紹介します。


牧ノ原重工杯 明治36年(1903)

 当時はすでに電信による対戦が主流だったが、牧ノ原重工社長、牧ノ原為蔵が伝書鳩を用いた対局を呼びかけ実現したタイトル戦。しかし、日露戦争勃発により翌年の対戦は行われず、以後伝書鳩を用いたタイトル戦は一度も行われていないため、非常に珍しい対戦として有名。

 牧ノ原重工は大型紡績機械により大企業に成長。その社長である牧ノ原為蔵はアマチュアながら相当な腕の持ち主で、いくつものタイトル戦を主催している。好事家としても有名で、伝書鳩以外にも、犬も用いた対戦を企画したが実現はしなかったようである。

 この対戦の参加者数は26名。伝書鳩による伝達のため、手数はそれほど多くなかったものの、決着までに丸2年かかる大一番となった。以下は決着時の陣図と、決着にいたるまでの10手である。



第187手 吉原源助

右四つ 左三つ さかしま



第188手 神崎流峰

寒い、寒い、寒い。冬。



 52半 寒い 良し



第189手 神崎流峰

善光寺へ向かふ、牛、馬。



第190手 原郡雑

おぺぺぺぺ おぺ。。。。



第200手 吉原源助

過 化 家 化 可 化 課 化 科 化 下 化



 下 おぺ 同格 遊軍一退却



第201手 原郡雑

ぴりり、ぴぴりりり。。



第202手 原郡雑

ぷぷう。ぷぷう。



第203手 原郡雑

きかかきかききききき。



第204手 神崎流峰

己が生涯を顧みるに、汚泥の如きもの也。金銭も無く、家族も無し。楽しみも無し。何を以て、吾生を永らへるか。否。自ら永らへるにあらず。天に反するが罰なり。ぴりり。



第205手 原郡雑

天は知る、数刻の内


 手前 14 14 89 後数里



第206手 吉原源助

彼方の彼方に彼方在り。


 決 吉原源助 209里勝ち


 序盤は田中と権藤が中心となり、隈から球へと進んでいく展開だったが、中盤第98手目で原が登場すると、盤面は混迷を極める。その間に打手は絞られ、原、吉原、神崎の三巴戦となった。混舌で攻め続ける原に対し、神崎は大蛇、吉原は普通で対抗する。しかし決め手となったのは201手目からの原の三連区。いささか強引すぎた三連区を見事に茶菓した吉原の無気による逆転勝ちとなった。


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