日輪名人
埜上 竹夫
(1925〜1989)

 昭和を代表する勝負師中の勝負師。昭和50年に四回目の名人位に就いてから亡くなるまでの14年間、負けどころか引き分けもなく、154戦全てに勝ちを収めた。体重は100キロを超える巨漢で、常に笑顔で対戦していたため「布袋」とあだ名されるなど、多くの人に慕われた人だった。

 しかしながら、対戦した勝負師達は埜上名人を畏怖して止まない。それは彼との対戦風景を見るとよくわかる。対戦中の埜上名人は常に笑顔、一切悩む様子も見せずに淡々と勝負を進める。方や対戦相手は額に汗を流し、顔面は蒼白、駒を持つ手も震え、蛇に睨まれた蛙のような有様になってしまう。埜上名人に三度挑戦した神宮司八段は、その対戦を「地獄のような苦しみだった。あの笑顔の前から早く逃げたくなってしまう。名人位への挑戦権を得る度に死ぬ覚悟だった。」と語っている。

 対戦相手の研究は徹底的に行っていたらしく、死後公開された研究帳には対戦相手となるであろう高段者から、低段者、更には特別企画でもなければ対戦しないであろうアマ強豪まで多岐に渡り、その内容も勝負とは無関係ではないかと思われる趣味嗜好や家族構成、果てはどうやって調べたのか勝負前日の夕食の内容まで書き込まれていた。そのため研究帳は四千冊にも及んだ。

 昭和が終わろうとする64年の1月、13回目の防衛戦で圧倒的勝利を納めた後、家族との食事中に倒れ、名人位を抱いたまま息を引き取った。生涯勝率は実に九割を超えていたという。

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