餓鬼皇帝
材木屋久衛門
(生没年不詳 江戸時代後期)

 時代小説の文豪、蓑坂文明の代表作『父子十手』シリーズに登場した「餓鬼皇帝九衛門」のモデル。小説では、ぼろを着た不気味な気を放つ男として描かれており、金持ちの腕自慢の屋敷に忍び込んでは持参した名器「軽陽茶碗」と相手の高価な美術品を賭けて勝負を挑み、次々と勝利を収めては名品を奪っていく。最後には時の老中松島兼矩と勝負して勝利し、溶春の掛け軸を持ち帰ろうとしたときに兼矩に手打ちにあって死んでしまうのだが、小説の出典となる『紙地雑記』を読むといささか事情が違っている。

 九衛門のモデル、久衛門は材木問屋の次男で、五岳興の名人として知識人達の間で知られた存在だった。あくまで知的な趣味として行われていた江戸時代の五岳興では、物品が賭けられた記録は残っていない。小説で手打ちにあったくだりも、老中松島兼矩の混沌指南役となった久衛門が、材木問屋を開くため上方へ旅立つ際に、兼矩から餞として軽陽茶碗を授かったというのが実際の所である。ではなぜ小説ではこのような姿に描かれたのかというと、久衛門に付けられた「餓鬼皇帝」という異名からであろう。この名は対戦中の病的なまでにねばり強い漢張りを得意とする久衛門を、対戦相手が揶揄して「久衛門の漢張りには餓鬼どもも恐れをなす」と言った事からその名になった伝えられている。現在あまり知られてはいないが、漢張りを何度も繰り返す事を「餓鬼張り」と呼ぶのは、久衛門が由来である。

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