敵役一代
黒崎 唐州斎
(1875〜1943)

 ご存じの通り大正から昭和初期にかけて、混沌之庭の対戦は見せ物としても人気を誇っていた。興行主は新聞紙上で活躍する有名勝負師達をこぞって招聘し、かませ犬相手にわざとらしいほどの勝利を与え、それを観客達は喜んで観戦する。観客達は勝負の行方より、いかに有名勝負師達が勝つかということに期待していたのだ。負けるために雇われていたかませ犬の勝負師達は、いかに観客に嫌われ、相手を侮辱し、対戦では追いつめ、そして無様に負けるか、ということを期待されていた。その中で悪役として最も人気のあった勝負師が黒崎唐州斎である。

 幼少の頃から混沌之庭では盤を選ばす対戦し、富山から勝負師になるため上京したものの壁は厚く挫折。当時混沌之庭の対戦で好評を博していた「天涯座」に雑用として雇われた。しかし混沌之庭の勝負師を目指した経験があり、顔が強面であったのを買われ、かませ犬勝負師として有名勝負師相手に対戦をするようになったのである。元々芝居が好きだったせいもあり、自ら敵役を徹底的に研究し、天涯座を連日客で満杯にした。まず本名の「白川保」を敵役らしく改名、体を鍛えて日焼けをし、背中に入れ墨を入れた。さらに対戦相手ごとに罵倒する言葉を研究し、仕込みの客相手に取っ組み合いの喧嘩の真似をするなどして、徹底的に客から嫌われる方法を確立したのである。あまりに徹底して行ったため、私生活というものは無くなり、生涯結婚することはなかったが、上位クラスの勝負師が招聘されれば必ずといっていいほど黒崎が相手として選ばれ、黒崎で無ければどんな有名勝負師が相手であっても客が集まらなかった。大正時代で最も庶民の目に触れた勝負師といえよう。

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