歌舞伎町名人
ジャンボリー大堀
(1957〜)

 本名は大堀克浩。千葉県出身。15才でプロになり、若手有望株として注目されていたが、プロ三年目から二年間対戦を休止した後に引退。翌年には、お色気手品師「アミーゴ田端」率いる太鼓持ち集団「泥酔友の会」に参加して芸人として再スタートする。彼らは歌舞伎町を中心にキャバレーなどをまわり、酔っぱらい相手にそれぞれの芸を見せるのだが、その中でもジャンボリー大堀は特に人気があった。大堀の得意は政治家や有名知識人の物まねなのだが、一人二役で対戦する「一人黥布」は秀逸で、客のリクエストした人物なら混沌勝負師に限らず黥布之夢で対戦させ、社会風刺を織り交ぜながら客を楽しませる。プロ時代は対戦相手の研究には定評のあった大堀なだけに、物まねする人物の性格などから、きっとそうするであろう一手を打って見せ、混沌好きをも唸らせる対戦を見せた。

 しかし当然大堀の存在は混沌業界には全く届かず、届いたとしても「過去の成長株が若い時の気まぐれのせいで落ちぶれてしまった悪い例」としてしか受け止められなかったであろう。しかし偶然、五木旭八段(当時)が彼の芸を見、プロへの復帰を強く押し始めてからは、再び大堀の名が混沌界に知れ渡った。

 五木八段が大堀の芸を初めて見たのは、混沌好きの客がリクエストした「明治の大名人佐久間五六八と現在注目株の新人吉岡保の対戦」を行っている時だった。佐久間らしい居眠りしながらの六段挙げや、吉岡の特長をつかんだ神経質な押し込みは、店中のお客を爆笑させていたが、芸でありながらあまりに高度な指し口を見た五木八段は、店内で一人真っ青になってしまったという。

 大堀の人物研究と高い技術は未だ最高レベルにあると判断した五木八段は、前述の通り大堀のプロ復帰を押し進めようとしたが、本人が一向に首を縦に振らず、結局実現はしなかった。それほどの技術を持っている大堀がなぜ引退してまで芸人としての道を歩もうとしたのか、そしてなぜプロ復帰の勧めをかたくなに断ったのかは、現在も本人が語ろうとしないため想像もつかないが、歌舞伎町に生きる芸人達に言わせれば当然の事なのかもしれない。

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