「アイヌは滅びず」
シムシャックカムエ
(生没年不詳)

 戦争の気運が高まる昭和七年十一月七日、当時混沌之庭協会が入っていた武藤会館の二十周年記念のイベントとしてプロ・アマ問わずの天牢のトーナメント戦が開催された。参加者は全国から集まり、当時のトッププロや、名の知れた賭け勝負師達なども参加するなど、事実上の天牢日本一決定戦となった。会場の美濃部記念公園には対戦用のやぐらが建てられ、二千人分の観客席は立ち見が出るほど。日頃軍部のクーデター未遂や暗殺など、きな臭い記事しか載らない新聞も、この日ばかりはと各社大人数の記者をつぎ込み、優勝者は翌日には全国に知れ渡る予定となっていた。

 実力日本一を決定する大会となれば、優勝者としては西の北沢九段、東の西村天公のどちらかの優勝が期待され、賭け勝負師のカミソリ吉田がどう食らいつくか、という予想が大半をしめたが、始まってみると意外な展開になっていく。大会の序盤は大方の予想通り北沢、西村らのトッププロが勝ち上がり、三回戦ではアマはカミソリ吉田と北海道出身の山下芳夫という男の二人のみとなってしまう。準々決勝で吉田が北沢に敗退すると、北沢、西村の東西対決必至かと思われたが、準決勝で北海道の山下に西村が敗退。そして決勝でも全くの無名だった山下が、荒々しい掌刃で北沢を攻め続け、五間の大差で勝利。遂に優勝を果たしてしまった。騒然とする会場の中表彰式が行われようとしたが、山下は進行のマイクを奪うと会場に向かって「我が名はシムシャックカムエ。アイヌの戦士。日本は単一民族国家にあらず。アイヌは滅びず。アイヌは未だ日本に在り。」と叫ぶと賞金も受け取らずに姿を消してしまったという。

 この事件のせいで大会の記事はどの新聞にも載ることはなかったが、決勝で対戦した北沢を中心に彼を評価する者が続出、他の大会への参加も期待されたが、二度と表舞台へは現れなかった。当時の日本はファシズムに傾倒しており、日本が単一民族国家であるという認識を否定する事は、政治犯として逮捕される恐れがあったのだが、彼が逮捕されたという記録は無い。大会後、大っぴらでは無いにしてもシムシャックへの賛美が業界内に高まったのを考えると、恐らく当時の混沌之庭協会の後ろ盾であった天秦組が裏で動いたのではないかと思われている。

戻る