夢破れた予言学派
初島研究会
(1975〜1979)

 自称社会学者、初島三造を代表とする団体。最大時は研究生として、約20名のメンバーがいた。当初は企業の依頼で市場調査を行う研究機関であり、混沌之庭とは全く無関係であったが、初島が「予言学」を提唱してからは混沌之庭と関わることになる。

 昭和50年、初島研究会は、世界各国に残る予言の書を研究した末、予言の数式化に成功したと主張。そしてその数式を利用した短期的な予言方法を提唱した。しかし学会からは当然全く相手にされず、集団生活を行う彼らに対しては奇異の目のみ注がれるのみであった。ところが超能力や超常現象がブームとなると、にわかに初島研究会は注目されることになり、マスコミによって多くの人に知られるようになる。テレビの企画で怪しい超能力者や霊能者とともに出演した初島は、その数式によっていくつかの予言を成功させる。そして最後に「たとえば混沌之庭であったら、初めの一手さえ見れば、決まり手は予言できる」と発言したことにより、プロ勝負師との対戦を望む声が大きくなった。これによって予言対勝負師の構図がマスコミによって作られてしまったのである。

 初めての対戦は昭和54年、テレビ番組の企画として行われたが、プロ勝負師が軒並み出演を断ったため、当時のアマ名人田浦が相手として対戦が行われた。田浦の一手目を見るや、初島の後ろに控えていた研究員が一斉に計算を開始。終局までの全打ち手を記入し、初島はその通りに対戦を行っていく。しかし素人が見ても初島の打ち手は的はずれで、僅か30手で初島の負けが決定してしまった。その後数回再戦の企画として対戦が行われたが結局一勝もできず、初めてプロとの対戦が叶った五戦目では、吉浦四段の一手目に対して「24手でプロの勝利」と予言。呆れた主催者が対戦を中止し、以後二度と表舞台には現れることがなかった。


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