世界の裏返し
浜中健司
(1955〜1996)

 浜中は「沼防」を得意とした勝負師で、相手の得意の形を壊させたら右に出る者のない戦術を持っていた。その戦術のために後手を好み、例え先手であっても一手目を虚手にしてまで後手にまわったほどである。後手にまわった浜中は、相手の攻撃の芽を逐一摘み取り、最終的には相手の全てを吸い込んだかのような盤面で終局する。それゆえ非常に高い勝率を誇った勝負師だったが、タイトルに挑戦できる段になると必ず対戦を欠席し、一度もタイトルを所有することはなかった。

 1974年に総流鷹木刀仙に入門し、1977年にプロ入り。性格は陰鬱で、人付き合いを嫌い、総流門下からも浮いた存在だった。前述した通り、常に高い勝率を誇り、混沌界の中心となるべき存在だったのだが、1996年の8月、自宅の庭で首を吊っているのが発見された。41歳の若さだった。浜中の告別式では、唯一の友人と言える同門の勝負師、代々木淳司が弔辞を読んだのだが、浜中を語る上でこれ以上の言葉は無いと判断し、一部抜粋して掲載した。

 「浜中は世界を裏返したような男です。人が幸せと思う事を忌み嫌い、不幸であることを好むような変人です。家族や恋愛、友情などは口に出すことも嫌がり、あらゆるものに呪詛の言葉を吐きかけることで生きながらえてきました。私はそんな浜中とは、入門以来ですから大体20年の付き合いです。浜中の一番の友人であり、それ故浜中に一番嫌われた人間であることを自負しています。その浜中唯一の親友である私から皆さんにお尋ねしたい。浜中が首吊り自殺したと聞いたときどう思いましたか。やっぱり、と思ったのではないでしょうか。先ほども言ったように浜中は世界が裏返ったような人間ですから、自ら死を選ぶ事も予想できたのかもしれません。しかし浜中は決して自ら死を望むような事はしないと断言できます。これは首吊り自殺は偽装だとか、そういった推理小説のような意味ではありません。浜中自身が庭の樫の木にひもを掛け、輪の中に自分の首を入れたのは疑いようのない事です。しかし浜中は自ら死を選びません。なぜなら浜中ほど「死」が裏返っても「生」にはならず、「生」が裏返っても「死」にはならない事を知っていた人間はいないからです。反対語辞典を作るような恥知らずな国語学者のような者は、浜中が最も嫌った人間です。浜中は自ら望んで死を選んだのではなく、自殺という事故で死にました。これは間違いない事です。彼の名誉のために断言します。しかしこの弔辞を浜中が聞いたら、きっと本当に嫌そうな顔をすると思います。」

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