駒込先生
三田吾朗
(1933〜1990)

 80年代、現在はパチンコ屋になっているが、駒込駅ほど近くに「ごろう」という居酒屋があり、連日若手勝負師達のたまり場になっていた。その店内で、客である若手勝負師に料理や給仕をさせて、自分は飲んだくれていたこの店の主人が、通称「駒込先生」、勝負師三田吾朗だった。

 三田は17歳で桐生派持田芳信に弟子入りするも、なかなか芽が出ず、29歳でようやくプロ入り。ただでさえ特出した技量の無い三田であったが、異常なまでの本番の弱さは昇段する機会を尽く潰し、亡くなるまでの28年間、Cクラスの中段と下段を行ったり来たりの混沌人生だった。それほどまでに気の弱い三田であったが、普段の振る舞いは名人級の大物で、その大きな態度と口振りに、対局前の休憩室では何も知らぬ新人は真っ先に挨拶に行く事が多かった。

 そんなこともあってか、いつも低段にいる三田は若手から慕われる存在になり、37歳で始めた居酒屋には多くの若手勝負師が集まった。脳溢血であっさりと57歳の生涯を終えたが、師匠のいない勝負師の中には三田を師匠と呼ぶ者も多く、95年に魏皇位に付いた際の高島庸平は「混沌については何も教わっていませんが、駒込先生のおかげだと思います。」と笑って語っていた。

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