あらゆる混沌之庭の起源
玄争

 中国西周時代に著されたとされる『黄前史』は、歴史書と言われているが、殷王朝以前の神話といわれる歴史を扱っている書物で、『史書』などの正史とは区別されている。その記述の中にあらゆる混沌之庭の起源とされている「玄争」がある。

「長江の南方に国を持つ界源王(頭が角のない龍とされる)が、腑山の谷底に「玄」というものを建て、四海のあらゆる分野の猛者を集めて競わせた。百日間に渡って続いた争いは決着がつかなかったが、あらゆるものを競わせようという行為が天を狂わせ、腑山もろとも空から降ってきた大岩に下敷きになってしまった。その大岩は天岩と言う。」(『黄前史』南記)

「玄争」の記述はこれのみで、「玄」とは一体どんなものであるのかは不明だが、『黄前史 官蓮伝』には「玄は五つの門」とあり、『黄前史 料宣注』には「城壁に囲われた場所」とあるように闘技場のようなものであったのではないかと考えられる。それと思われる遺跡は発見されていないが、古代中国の南部地域では混沌之庭の起源として、大がかりな建造物を用いた競技が行われていた可能性が高い。

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