厳溶山の巴戦
昭和50年 千王戦

 この年の駝文樹千王リーグ戦は、立花九段と吉永七段が九勝一敗で並び、十年ぶりの巴戦となった。当時の千王は「昭和の虚言王」と呼ばれた北山陽刃。挑戦者は「賢人」立花六蔵と、「神戸の弘法」吉永吹鳴。決戦の場所は厳溶山鋳徳寺の草庵で行われることになった。5月12日の当日、立会人である鋳徳寺住職と記録係をおいて、草庵には誰一人として近づくことさえ許されず、草庵の北側にある流業の滝の音が鳴り響く中、歴史に残る巴戦が始まった。

 駝文樹の巴戦は同時に三人で対戦するため、盤面を三組用意して、同時に三つの対戦を行うこととなる。つまり三者とも、二人を相手にして、同時に二つの対戦を行わなくてはならないのである。これは並大抵の精神力では務まるものではなく、現在巴戦が行われる場合には、必ず医師立ち会いのもとでしか行われないようになっているほどである。しかし当時は医師が立ち会うなど勝負ではない、という勝負師の意地というものがあった時代であり、この対戦も医師の立ち会いは無く、まさに命がけの勝負となっていた。

 巴戦ということで決着までに相当な時間がかかるものと予想されていたが、開始から三時間後にあっけなく勝負は決した。先手となった吉永七段の三時間弱の長考後の一手に北山千王、立花九段共に投了。吉永吹鳴の千王位獲得となった。しかし三者共に一手目の内容を非公開にすることを強く希望、勝負を決した二枚の札は、百年後の公開を約束に鋳徳寺に納められている。なぜ三者が公開を拒否したのかは未だ謎だが、その後五年間に渡る北山、立花、吉永の三強時代の訪れを予期する重要な対戦であったことは確かである。 

戻る