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第三段階


 前項までで単なる演技の共同作業から、相手に勝とうとする勝負感というものを感じることができたら、あとは自然と演技からゲームへと心持ちを移行することができるでしょう。こうなったらもう手遅れです。第三段階が待ち受けています。

 この段階に入ったら、今度は人前で対戦してみましょう。と言っても舞台の上でやれとか、出し物としてやれ、と言っているわけではありません。何らかの形で人目に触れる場所で対戦するということです。たとえば学生さんであれば、休み時間の教室であるとか、部室であるとか、とにかく事情を知らない人の目に触れるような環境が必要です。そのような環境で、専用シートをひいて、トランプを配り始めれば、中には興味を持つ人がいるものです。そしてつい「何のゲームしてるの?」とうっかり聞いてしまうかわいそうな人も出てくるでしょう。こうなってしまっては仕方がありません。その人には協力してもらうことにしましょう。まず「何のゲームしてるの?」と聞かれたら、「マイスナー将軍だよ」と事も無げに答えましょう。さらに「ルールは?」と聞かれたら迷わず「見てれば分かるよ」と返しましょう。これで舞台は整いました。

 さて、事情を知らない観客は、ルールの存在しない「マイスナー将軍」というトランプゲームを、自分は知らないけれど、実在するゲームなのだと勘違いしてくれているはずです。そして、無秩序なトランプのやりとりの中から、ルールとおぼしきものを探し出そうとしてくれています。つまり「マイスナー将軍」の世界の大きさを測ろうとしているのです。そこで対戦者が、安易なルールを提示してしまっては、マイスナー将軍の物語はそこでお終いです。例えば、相手が2のカードを出して、こちらが4のカードを出して「やった」と喜んでいれば、そこで「大きい数字の方が優位」というどこにでも転がっている秩序に行き着いてしまいます。せっかく対戦者のトランプのやりとりから世界を見いだそうとしている人に対して、そんなちっぽけな秩序を提示してしまっては期待はずれも甚だしいです。ここは第二段階でやったように、予想を遙かに裏切るゲーム運びを行って、観客に世界の大きさを測らせないようにしなければなりません。観客が「一体どんなゲームなんだ」と頭を悩ますとき、彼の予想可能な範疇から大きくはみ出した「マイスナー将軍」という得体の知れない巨大なゲームが、彼の頭の中に出来上がっているのです。

 この観客が感じた感覚を、今度は自分たちも意図的に感じてみましょう。つまり、自分たちも「マイスナー将軍」というゲームが実在するんだと勘違いしてみるのです。今までは相手を驚かそう、笑わせよう、としていたものを、相手に勝つための意外な一手なのだと思いこみ、相手のふざけたように見える行動も自分を追いつめる鋭い一手だと考えれば、もはや笑いを我慢しようとか、どうやって笑わせようとかいった意図的な世界からは完全に脱却できます。こうなれば完全に「ゲームのふり」ではなく「ゲーム」です。周りの観客がルールの無いことに気づき始め、笑い声が聞こえてきたとしても、もはや気になることは無いでしょう。

 この状態になって初めて本当の勝敗をつけることができます。ではどうやって勝敗をつけるのか。それはどうやっても説明することはできません。なぜなら私たちも本当の勝敗をつけた事は1、2度あるかないかなのです。本当の勝敗がつくときは、自然とつきます。片方が不利になって、追いつめられて、逆転の望みを繋ぐ一手も空振りに終わり、やがて投了するのです。どうしてだと言われても、そのときは「ルール通り」なのですからあくまで必然の勝敗なのです。本当の勝敗を知るのはなかなか難しいことで、一度できたからといって、再びできるとは限りません。しかし本当の勝敗があってこそ「ルールの無いゲーム」はゲームとして、そして勝負として成立するのだと思います。


 以上が私にできる「ルールの無いゲーム」の遊び方解説の限界です。感覚的な説明ばかりで、大変読みづらいものになってしまい申し訳ありません。そもそもルールが無い以上、遊び方も何もありゃしないので、文章で解説すること自体が間違いなのかもしれません。ですからこれまでも文章は一切忘れて傍若無人に遊んで頂くのが最も正しい「ルールの無いゲーム」の遊び方だと思います。そして大いなる物語を無尽蔵に作りだしていって下さい。


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