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ルールの無いゲームとは?


 「ルールの無いゲーム」とは、文字通りルールの存在しないゲームの事です。はたしてルールの無いゲームなど成立するのか、という疑問が当然出てくるでしょう。そもそもゲームとはルールの事ではないか、という意見も当然です。しかしルールは無くともゲームはできます。敢えてそう言い切りましょう。

 そもそも私たちがルールの無いゲームで遊び始めたのは高校生の頃(8〜9年前)です。とある部活に所属していた私たちは、暇つぶしもやりつくし、「何かしよう」という総意のみに支配されていました。いつもならば最終的にトランプで大富豪やらババぬきやらで落ち着くのですが、ある者がトランプをきり、無言で各人5枚ずつ配り始めたのです。恐らくポーカーでもやろうとしていたのでしょうか。しかし故意か偶然か、無言で配ったためにトランプを配られた者達は、私を含めて「何かゲームをするのだろうが、一体何をするのだろうか」と誰一人理解していませんでした。普通であるならここで「で、何するの?」と誰かが聞くべきだったのかもしれません。しかしなぜか誰一人として聞きません。「トランプゲーム」という漠然とした空気のみが漂うなか、トランプが配り終わってしまいました。こうなれば仕方ありません。じゃんけんをします。誰かが二番目に勝った者を指し「じゃあ、君からだね」と言います。もうだめです。ゲームの開始です。この名も知らぬゲームをするしか無いのです。おそるおそるトランプを手前に出してみます。誰もその手を訂正しません。きっとルール通りなのです。誰かが山からトランプを引きます。その手がルール通りなのか分かりません。そのまま次の者へ順番がまわります。恐らくさっきの手もルール通りなのです。ゲームは進んでいき、ルールはどこまでも広がり続けます。やがて勝負がつきました。どうやって?分かりません。あえて言うなら誰かが喜び、他の者は悔しがったからです。これは何というゲームなのだろうか。とりあえず「カオス」と呼ぶことになりました。なぜなら本当の名前を知らなかったからです。

 というように私たちは「カオス」と名付けたルールの無いゲームを偶発的にやり始めました。一切の打ち合わせなどありません。ですから相手の行動も予想するのは難しいですし、あまりに予想外の行動されれば、次にするべき自分の行動に悩むことになります。それはゲームをしている時の感覚に等しいものです。相手の打つ手に悩み、自分の手を悔やみ、勝利を喜び、敗北に泣く。ルールが無くてもゲームが成立した瞬間でした。

 と、いくら私の駄文を重ねても、分からない人には全く分からないでしょう。そのような方は、次の項目である「ルールが無いゲームの遊び方」をお読みになって、徐々にご理解して頂きたいと思います。


 今までの説明で「ああ、あれか。」と思われた方もいるでしょう。そう、私たちがルールの無いゲームをやり始める以前に、「ルールの無いゲーム」は、ゲームとしてではなく「芸」として存在していました。恐らく最も有名なのはTV番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のあるコント(勉強不足のため、コント名は分かりません。どなたか教えていただければ幸いです。)でしょう。そのコントでは、ルールの分からないスポーツが、視聴者に笑いを与えるために演じられていました。私が確認した限りでは、その後、ダウンタウンは坂本龍一プロデュースによるCD『GEISHA GIRLS SHOW 炎のおっさんアワー』に、ルールの分からない格闘技の練習コント「ステップナー」が納められていますし、ダウンタウンを継承する形で極楽とんぼが深夜番組『跳び蹴りゴッテス』においてルールの分からない新体操を演じていました。ダウンタウン以前では初期タモリの密室芸である「四カ国語麻雀」は麻雀というルールのあるゲームであるにも関わらず、状況のみを描写し、麻雀のルールは不要のものとして表現されていません。また、日本のお笑いだけではなく、香港映画『大福星』(1985年 監督サモハンキンポー 出演ジャッキーチェン他)では、一見ポーカーでありながら、蝿がルールの中枢となっている謎のゲームが登場します。と、例を挙げればきりがありません。恐らくこれらの例はほんの一握りにすぎないでしょう。つまりそれが芸であろうとゲームであろうと「ルールが無いゲーム」というものは命名されることなく既に存在していて、私たちが創作したものでも、誰かが起源となった、と特定できるものでもないのです。


 以上が、私という個人からみたルールの無いゲームの一側面です。これ以上この場で説明することは困難ですので、次項目「ルールの無いゲームの遊び方」で、具体的に解説していきます。


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