battle31(6月第週)
 
 
[取り上げた本]  
   
1「血食 系図屋奔走セリ」 物集高音                    講談社 
2「放浪探偵と七つの殺人」 歌野晶午                    講談社 
3「柔らかな頬」      桐野夏生                    講談社 
4「月夜の晩に火事がいて」 芦原すなお               マガジンハウス 
5「推定相続人」      ヘンリー・ウェイド             国書刊行会 
6「編集室の床に落ちた顔」 キャメロン・マケイブ            国書刊行会 
 
 
Goo=BLACK Boo=RED 
  
●作家が覆面をかぶるわけ……「血食」 
「というわけで、まずは先月の講談社ノベルスの落ち穂拾いというか。「血食」は物集高音さんという新人さんの長編。大正が終わり昭和が始まる頃の日本を舞台にした「探偵小説」ですね」 
「この人は既成作家の覆面だってウワサもあるけどね。著者紹介の文章もなんか嘘臭いし。既成作家だとしたら、覆面なのも当然って感じ。だってヘタクソなんだもんなあ」 
「んー、でも蘊蓄はすっごいじゃないですか、紋章学、系図学、そして当時の世相もかなり詳しく書き込まれている感じがします」 
「文章がね、一生懸命当時の雰囲気を出そうとしているんだけど、所詮は付け焼き刃というか。……ま、とりあえず内容を」 
「え〜、大正の大震災の悪夢もさめやらぬ帝都・東京に、系図探偵の看板をあげた洋行帰り俊才・忌部。とある青年医師の依頼により、彼のルーツ探索に乗りだします。手がかりは既に故人である父親が残した、紀伊・大島が故郷だ、という言葉のみ」 
「系図探偵というのは、要するにその人の先祖を調べ系図を作ってあげるという仕事なわけ。で、忌部探偵の武器は歴史を中心とした該博な知識なんだな。特にその人の家の家門を見れば、そのルーツが掌を指すが如くわかってしまうという……」 
「というわけで、忌部探偵は友人の物集(この人が語り手でもあります)と共に大島にわたりますが、そこで奇怪な一家惨殺事件に遭遇! さらに調べを進めるうち、青年の父親の過去には、明治の昔日本を揺るがした一大事件と関る恐るべき秘密が隠されていたことを突き止めます」 
「そのあたりの展開は、なんちゅうか伝奇小説風よね。ホームズの長編とかルパンものとか、あのあたりの感触に近い。ま、おっそろしく陳腐で古くさいんだけどさ。基本的にはおそろしく出来の悪い京極エピゴーネンの一変種というところね」 
「まあ、たしかに奇譚っていうか、レトロな伝奇小説、探偵冒険小説風で、ミステリ味は薄いのですが、それなりにテンポよく読ませてくれますよね。ラストではどんでん返しもあるし」 
「レトロというより、これははっきり古くさい。文体や物語の器は意図的にレトロを装っているんだけど、そこに盛り込まれたアイディアまで古色蒼然としてたんじゃどうしようもないじゃん。あまりにも工夫なさすぎ、っていうか「古い革袋の古い酒」を入れてどうすんのよ!」 
「エンタテイメントとしてはバランスがとれてる方なんじゃないですか? 少なくとも読んでる間は楽しめましたもん」 
「キミって、つくづくシアワセなヤツよねー。羨ましくなっちゃうわよ」 
「……ともかく、家紋、系図という素材を持ってきたのは面白い工夫だと思いますが」 
「問題はその家紋というネタを活かした、それに「相応しい」謎の構築とその解明に失敗してる点ね。結局、家紋から導かれる推理っていっても、ホームズにおける「パイプのキズ」程度のものでしかなかったように思えちゃう。物足りないわね、まあーったく」 
「そうかなあ、家紋を見ただけでその人の家の故事来歴がわかっちゃう、ってのはすごく面白かったけどなあ」 
「それはさ、知識であり蘊蓄であるにすぎないのよね。私が読みたいのはそっから先。ミステリの謎解きって、そういうもんでしょ?」 
「まあ、そういう意味では次作が勝負ということになりますか」 
「ま、ね」 
  
●パズルスタイルは正解だったか?……「放浪探偵と七つの殺人」 
「んじゃ今度は歌野さんの新作です。信濃譲二が探偵役を務めるシリーズであり、謎解きメインのパズラー集ですね。しかも謎解きが行われる結末部分がすべて袋とじになっているという、凝った体裁も話題を呼んでいます」 
「収録された7編は「メフィスト」掲載のものが6つ、残り一つがアンソロジーの「奇想の復活」に載ったもので、残念ながら私はすべて既読だったんだよね〜。謎解きという趣向がメインだけに、これはちょっとツラかった。結末未公開のままだった「有罪としての不在」は別として、読んでるうちに全部思い出しちゃったからなあ」 
「ぼくは逆に驚くほど忘れてましたね。さすがに「ドアフドア」は覚えてましたけど、他はほとんどきれいさっぱり」 
「こういう時はアルツ君な方がおトクだわね〜。それにしても……「有罪としての不在」のあの解決! なによアレ!」  
「まあまあまあまあ。ともかく一つずついきましょうよ。まずは「ドアフドア」は倒叙スタイルというか、ホンの弾みで同じ下宿に住む男を殺してしまった男が主人公で。周到に犯行の隠蔽工作をするんですが、要するに「彼」は何をミスったか、を推理する問題です」 
「これは簡単だったなー。問題のポイントがわりと明確だったし」  
「ぼくはけっこう悩んだんですけど……」 
「ばっかじゃないの〜?」  
「なんとでもいってください。次は「幽霊病棟」。廃墟となった病院の建物に死体を隠した犯人。現場に落とした財布を取りに戻ったら、隠したはずの死体がない。しかもその建物に出るという幽霊の正体を調べに来ていた信濃たち一行と鉢合わせしてしまう。なぜ死体は移動したのか? というのがお題です」 
「このネタはず何回か見た気がするぞ。使い回すのは構わないけど、それならもすこし工夫がほしいわね。「死体が動いた」という時点でわかっちゃったもん」 
「ぼくも、これはわかりました……誉めてはもらえないようですね……えー次は「烏勧請」。町内中のごみを集めて家の庭に積み上げるという奇行を繰り返す女の家で、無惨な死体が発見された。犯人はその家の主人の愛人か、と思われたが、名探偵は彼女の潔白を主張します。なぜ?」 
「これは、問題そのものに少々無理があるでしょ。信濃の推理も「可能性の高い」憶測でしかないし、細部の整合性もいまいちよね」  
「可能性の高い憶測、というのは、まあこういうミステリの通弊ですが、穴が多くて説得力がちょっと。この少々バカッぽい大胆さは好きなんですが」 
「大胆だからこそ、細部のツメは細心でないとねー」  
「えっと、次が問題の「有罪としての不在」。ある種の密室状態にあった学生下宿で起こった殺人……つまり「嵐の山荘もの」ですね。一見、純粋なフーダニットなんですが、仕掛けは集中随一ともいうべき複雑巧緻さ。今回初めて結末が明かされたわけですが……これを解けたヒトっていらっしゃるんでしょうか?」 
「私もはずしたわ、これは。でも、素直に脱帽する気には、残念ながらなれないのよね。解けなかったからいうわけじゃないけど、これは、この手の「問題」としてはいささか無理があるように思えるんだな。作者はあらゆるテクニックを使って、読者に無数の罠を仕掛けているんだけど、肝心のフーダニットのための手がかりーロジックの道筋があまりにもきわどすぎる。まさに綱渡りとしかいいようのない危ういロジックで……一言でいってスマートでないのよね。だからあれだけ大胆な「解決」であるのに爽快感が残らない」  
「そうですねえ。ホント大胆かつ巧妙なんですけどね。二段落ちの解決といい、無理に「問題」に仕立てる必要はなかったかも知れませんね。普通の謎解きミステリとして書いた方が座りが良かったかも」 
「でしょ。仕掛けの凝りようなんて贅沢といえば贅沢なんだけど、「問題」であるが故に不満ばかりが残ってしまうのよ。いっそ次の「水難の夜」くらいの方が「問題」としてはいい感じ。易しいんだけどね」  
「ピザの出前に来た青年が、女社長の惨死体を発見するというお話ですが、手がかりの出し方や謎のポイントが明確なので考えやすかったですね。まあ、これが「課題作」だった正解者続出だったでしょうけど」 
「まとまってるわよね。どんでん返しもきれいに決まってるし」  
「一方「W=mgh」は、墓地で発見された女性の死体が、死亡推定時刻前に道を歩いているのを目撃されたという謎がメイン。これは……バカ本格というべきなんでしょうか……奇妙奇天烈な謎を、天馬空を行く奇想天外な推理で解き明かすという。御手洗さんばりの謎解きですね」 
「まさにそういうネタだわね〜。キミ、こういうの大好きでしょ」  
「だ〜い好き! ですよ。「問題」としてはともかく、謎解き短編としては、これくらいブッ飛んでる方が断然面白いと思います」 
「いっそのこと、御手洗ものばりに派手な演出をしちゃってもよかったような気もするんだけど……それは最後の「阿闍梨天空死譚」にもいえるわね」  
「これは人里離れた山奥に立つ奇妙な塔に、宙づり状態で磔死していた死体の謎。「問題」としての難度は、これも低めでしょうか」 
「そうね。この場合もポイントが凄く明確……手がかり・足がかりのない塔にいかにして登ったか……だからね。やはりこれも御手洗さん風に盛り上げてほしかったわあ」  
「全体に見るとけっこうクォリティの高い作品集でしたよね」 
「ただ、謎解きパズルというスタイルにしたのが正解だったかというと、ちょっと疑問。試みそのものは面白いんだけど、あきらかに「問題」にしない方が面白い作品が散見してる」  
「でも、歌野さんがこういう試みに興味を持ってらっしゃるというのは、なんかこうすごく心強い感じがします」 
「この成果を長編に……てな具合にいくかどうかは、わからないけどね。ま、ちょっとだけ期待しましょ」  
  
●純文学へ移された軸足……「柔らかな頬」 
「次はどちらかというと、ハードボイルドか新手の警察小説って感じの小説を書いてらっしゃる方ですが、今回はちょいと問題作っぽいので取り上げてみました。桐野夏生さんの「柔らかな頬」です」 
「えー? なにもGooBooで取り上げるこたないんじゃないの? 力作だ、とは思うけど、これはもうミステリですらないじゃん。たしかに冒頭にミステリ的な謎があり、その謎解きを巡って物語は展開されて行くわけだけれども、ミステリ的な意味ではこれは解かれないわけだし」  
「ayaさんがおっしゃる「ミステリ的な謎」というのは、「人間消失」ですよね。山奥の別荘地で、父親がほんの数分間目を離した間に散歩に出た5歳の幼女が姿を消してしまう。山奥の別荘地とはいえ人目もあるのに目撃者はなく、一本しかない道に入ってきたクルマもない。単純だけどきわめて魅力的な謎なんですが、たしかにミステリ的な意味では解かれませんね」 
「作者の狙いはそこにはないんだもん」  
「ですね。物語は、この事件によって運命を狂わされた3人の男女……失踪した少女の母親とその不倫相手の男、そして少女探しに協力する末期ガンの元刑事……の彷徨を描いて行くわけです」 
「つまりこの3人の男女の「自分探し」がこの「謎」に重ねあわされている、わけよね。いわば1つの象徴というか。これはほとんど純文学の世界でしょ。面白くないとは言わないけど、やっぱ苦手」  
「ともあれ、めっこり書き込まれた、おっそろしくリアルなこの3人の内面描写が読みどころですね。母親はもともと両親と故郷を捨ててきたという過去があって、それと自分の娘の失踪を重ね合わせて苦悩しながら自分を取り戻そうと彷徨い、不倫相手の男は事件をきっかけに不倫がばれて離婚し、仕事も失う。また末期ガンの刑事は残されたわずかな時間を少女探しにあてることで、警察官でない「自分」を見いだそうとする。たしかに三者三様の自分探しの旅を描いている。手応えは重く、深い」 
「どことなく、トマス・H・クックの作品を連想する書きぶりなんだけどさ」  
「ああ、そういえばそうですね」 
「だけど、クック作品が、ミステリ的な謎と文学的な主題が見事にシンクロして1つのテーマに昇華されているに比べると、こちらはどうも収まりが悪い。きれいに腑に落ちてくれない、というか」 
「きれいに割り切れないところがリアルであり、この人らしさ、なんではないですか。きっちり結末が付いてしまうより、「あのエンディング」の方が、深い余韻が残ったような気もしますが」 
「まあ、それは読み手次第でしょうね。クックはね、ぎりぎりの所でミステリに軸足を残している。人間存在そのものの謎解き、という主題を成立させているわけだけど、桐野さんの場合は最終的には読者を突き放している。突き放すことで純文学側に軸足を移した」 
「う〜ん。「あの謎」を解くかどうかってことが、そんなに大きな問題なんでしょうか。作者にとって結局、それはどうでもよかったんではないかという気がします」 
「そりゃそうよ。だけど、それって純文学の結末の付け方でしょ? いい悪いでなしに、これは全然別物だと思うな。どうでもいいけど、ミステリリーグの女性作家の純文学方面へのアプローチって、なんかこのごろ多いような気がする」 
「ふうむ。そういわれてみれば、そんな気もします」 
  
●余計だったミステリ的道具立て……「月夜の晩に火事がいて」 
「芦原さんという人は、ノンミステリのエンタテイメントの作家さんですよね。といっても、SFではないし、時代小説でもない。青春小説メインっていうか。直木賞受賞作の「青春デンデケデケデケ」は素敵に面白い青春小説でしたよね。ユーモアにあふれ、胸がきゅんとなるような切なさと向日的な明るさがあって、ぼくは大好きです。で、この「月夜の晩に火事がいて」は、そんな芦原さんにとって、たぶん初のステリ仕立ての作品」 
「田舎町の旧家、わらべうたの歌詞を記した予告状、そしてその歌詞の通りにで起こる放火と二重殺人。顔のない死体。古典的な、それも日本の古典的な本格ミステリのコードを多用してはいるけど、やはりこれはまぎれもなく芦原さんの作品よね。なんせ予告状のわらべうたからして思わず笑っちゃうようなしろもので」 
「ふふ。「月夜の晩に火事がいて 水もってこーい 木兵衛さん 金玉おとして どろもぶれ ひろいにいくのは 日曜日」ですもんねえ。登場人物も「因習的な村人」というより、みんな呑気でどこか剽げた、思わず笑っちゃうような人ばっかしで。方言ばりばりのやりとりなんかめちゃくちゃ笑えますよね」 
「そうそう、これは芦原さんの十八番つうか、いつ読んでもホントに巧いし笑える。ユーモアのセンスは抜群よね」 
「なんとなく、天藤真さんの初期作品に通じるユーモアがあるような」 
「ユーモアだけ取り出せば、芦原さんの方が上かもしれないわね。まあ、問題はミステリとしてどうか? ってことなんだけど……これは、う〜む、よねえ」 
「さっきもいったとおり、「いかにも」すぎるくらい「いかにも」な本格ミステリ的道具立ては揃ってるんですけどね」 
「たしかにね。名探偵もいるし「謎解きの時間」もめっこりある。そこで明かされる真相も、どんでん返しといえばいえるでしょう。けど、これはやはり根本的にミステリを知らない人が書いた小説だと思うわね。まあ、名探偵の推理ってぇのが、直感と想像力をめぐらしてつじつまを合わせただけのシロモノで……これは謎解きというより「説明」ね」 
「まあ、たしかにそこに意外性というようなものはありませんけどね」 
「困ったことにさあ、全体に素敵に愉しく面白い本なのに、この謎解き部分がいちばんつまらなくて退屈なのよね〜。このことは、ミステリ的部分全体にいえることだわね。そこが全部浮いてる。いっそミステリじゃなかった方がよかったわね、明らかに」 
「なまじ、ばりばりのミステリ仕立てにしたのが徒になったって感じでしょうかねえ。でも、そういた部分を除いても、これが素敵に面白い読み物であることは間違いないと思います」 
「そうね、それはその通りだと思う。ミステリとしてではなく、田舎を舞台にした登場人物がユニークな小説としてなら、私も推薦するのにやぶさかでないわ」 
  
●訳出する順番が間違っている……「推定相続人」 
「世界探偵小説全集の新刊から、まずは「推定相続人」、いきましょう」 
「ウェイドかあ、懐かしいよね。この人も古典本格黄金時代の、幻の作家の一人ということになるんでしょうね」 
「既訳されてたのは2冊でしたか。両方読んだ記憶はあるんですが、内容は覚えてないなあ。たしか、警察小説って印象じゃなかったかなあ」 
「それは「リトモア誘拐事件」ね。たしかに警察小説といえばその通りね。当時としては新しかったのかもしれないけど、いま読むとどうということはないかも。ちなみにもう一つの「死への落下」もミステリ的な面白さはごく薄味だったわね」 
「ですね。だから、本格派という印象はあまりなかったんですが、解説を読むとそれは誤解だったみたいですね」 
「みたいよね。解説氏によると、この人も初期作品にバリバリの本格……それもかなり技巧的なやつ……があるそうじゃない。だったらそっちを訳せよ! と私はいいたい。今回の「推定相続人」も含めて、なあんでこんなものを訳すかなあって感じ」 
「ということは、気にいらなかったんですか? 「推定相続人」は」 
「どっちかっていうとね。だって、変哲もない倒叙もんじゃん」 
「そりゃまあそうですけど、ぼくはかなり満足しましたよ。さらに、書かれた時代ということを考えに入れれば、かなり点数高くしてもいいんじゃないかと」 
「マニアなら読んで損はないかも知れないけど、ごくフツーのミステリファンにとってはどうかな? 倒叙なら他にもいいもんがいくらでもあるし。何も高価な国書の本を買うこたぁないような気が……」 
「まあ、ともかく内容ですが。え〜、主人公の青年・ユースタスは、ポーカーで生計を立てる遊び人。自堕落な生活が過ぎて破産も目前ですが、相変わらず真面目に働こうという気はありません。が、そんな彼に千載一遇のチャンスが巡ってきます。彼の遠い親戚にあたる大金持ちの当主と跡継ぎが揃って溺死してしまったのです。複雑な家系図を辿ってみれば、あと二人の人物が死ねば、一族の財産は彼に転がり込むのです」 
「この主人公の、くそ甘ったれた、とてつもない身勝手ぶりが読みどころの一つよね。なんでもかんでも自分の都合の良い方へ考えて悦に入る。ずるくて小心でわがままなキャラクターはなかなかリアル」 
「運の良いことに、そんな彼のもとにその「障害物」である相続人から鹿狩りへのお誘いが届きます。意を決した彼は彼を亡き者にすべく殺人計画を立てるのですが……というわけで、物語はこの後二転三転しながら、文字通り天国と地獄を行き来する主人公のどたばたぶりを描いていきます」 
「視点を悪人である主人公に固定して描いた倒叙スタイル、しかも終盤ではどんでんあり、ということで、当時は新しかったのかも知れないけれど、いま読むと非常にオーソドックスな倒叙ミステリという感じよね」 
「終盤の法廷シーン(っていうか検死審問ですけど)はすっごくサスペンスフルだし、ラストもどんでんに次ぐどんでんだし。あのあたりの仕掛けは、本格として読んでもけっこう鮮やかに決まってたと思うんですけど」 
「だからぁ、そのあたりも含めて「まあまあ」というのが私の評価なのッ! たしかに伏線なんかもそれなりに張ってはあるけどさ、「本格として読む」のは無理があると思う。だいたい作品全体を支えるネタが、あの複雑な英国の相続法知識に基づいているんだもん。日本の読者には「作者のタクラミ」を見抜くなんて、ほとんど不可能よ。ま、それでも見当はつくかもしれないけどね。底、浅いから」 
「う〜ん。まあ、きっちり謎解きするのは難しいかな」 
「無理にそれをする必要もないでしょ」 
「まあ、よく練られた倒叙サスペンスとして、素直に愉しめばいいんでしょうね」 
「それよりさ、ともかく傑作と名高い初期の本格ものを早いとこ訳出してほしいわあ」 
「ま、その点はぼくも同感ですね」 
  
●廃墟か、それとも挑発か……「編集室の床に落ちた顔」 
「さて、世界探偵小説全集からもう一冊。「編集室の床に落ちた顔」は今月最大の問題作でしょうね。なんせその惹句からしてモノすごい。曰く「探偵小説への墓碑銘」(国書刊行会)、曰く「探偵小説に終焉をもたらす探偵小説」(ジュリアン・シモンズ/著名なミステリ評論家)、「二度と繰り返すことのできないトリックの宝庫」(これもシモンズ)……ここまでいわれては、読まずにおれませんよね〜」 
「その惹句についていえば、前の2つはともかく「トリックの宝庫」云々というシモンズの評は鵜呑みにしない方がいいわね。解説者も書いてるけど、シモンズは私たちが使うミステリ的なトリックという意味で使っているわけじゃないみたいだからね。ま、問題作であることは間違いないんだけどさ」 
「やはりアラスジを書いておくべきでしょうか」 
「あまり意味ないのかも知れないけど、とりあえずとっかかりとしてやっとけば?」 
「難しいなあ。えっと、ロンドンの映画会社の編集主任マケイブ(作者名と同じ、すなわち語り手です)は、上司から編集中の新作映画のフィルムからある女優のシーンをすべてカットするよう命じられます。翌朝、くだんの女優の死体がマケイブの助手の技術者の部屋で発見されます」 
「この、カットされ廃棄された俳優のフィルムのことを、映画界では「編集室の床に落ちた顔」と呼ぶそうで、つまりタイトルはこれと女優の死体のWミーニングなのよね」 
「さて、そういうわけで警察の捜査が始まりますが、死体からは自殺とも他殺ともわからない。女優の背後関係を調べると、語り手であるマケイブも含めて複雑に絡み合った男女関係が浮かんできます。しかし、やがて「ある所」から主人公が入手した証拠により「犯人」が判明しますが、そのとたん今度はその「犯人」が殺されてしまいます。事件はいよいよ錯綜! 語り手も含めて誰もが矛盾する証言を行い、事件はさながら八幡の藪知らず状態に。やがて、警察は状況証拠を集めて強引に一人の人物を起訴するのですが……とまあ、このあたりでやめておきましょうか」 
「そうだねえ。事件そのものは単純なんだけど、ともかくややこしい、というかいくら読んでも足下が定まらないのよね。なんせ、この作品では誰も彼もが平気で矛盾した証言をする、嘘を付く。語り手である主人公でさえ当てにならないのだから、読者は何を信じ何を疑えばいいのかさえ分からないわけ。事件の流れは語り手やその他の登場人物によって何度となく検証されるんだけど、その度に新たな事実が明らかにされ、新しい推理が示され、しかも必ずといっていいほど否定される」 
「いちおう、主人公の手記のラストでは「意外な犯人」が指摘されるますよね。まあ、話はそれでも終わらない。なんと、ある人物によって主人公のその手記が「本になって出版された後に、その本に寄せられた書評」までが付記され、それを踏み台に再び新たな推理-解決が提示されるのですが……」 
「まあ、ともかくこの、本格ミステリのルール/タブーをとことん破壊しながら重層的に積み上げられていくこの物語は、そのまま本格ミステリに対する批評という意味合いを持っているわけよ。で、その作者の主張を代弁する「ある登場人物」の言葉を借りると、「いかなる探偵小説においても、ありうべき結末の可能性は無限にある」という」 
「たしかにラストではついにあらゆる登場人物が真犯人に擬せられ、「毒入りチョコレート事件」や「三人の名探偵のための事件」みたいな多重解決が提示されますが、だからといって最後の最後まで読んでもすっきり割り切れるわけではないんです。ここでも作者はおそるべき「ルール違反」を犯しながら、しかも破綻した真相をしか見せてくれない。というより、作品の構造そのものが決定的に破綻している。……これは解説者氏も指摘してますね。つまり、読者はいかようにも推理を展開することができるけれども、それは既にあらかじめ作者によってとことん否定し尽くされているということになる」 
「解説者までが「もう一つの推理」を提示する始末だもんねー。これぞまさしく謎解きの迷宮、というかカフカ的ミステリというか。しかし、だからといって、たとえば「脳髄を引きずり回されるような複雑怪奇なロジックの面白さ」というようなものは、はっきいってまったくない」 
「本格ミステリ的なロジックというのはたしかにありませんね。なにしろ確たる証拠・証言・手がかりというものが全く与えられないのだから、推理のしようがない。読者は自分の信じたいものを信じ、推理したい通りに推理するしかない」 
「しかも、それは必ず否定されるんだから恐ろしい。作者は、ありとあらゆる手がかりと推理のタネをばらまいておいて、しかもそこから発展しうるロジックをすべて摘み取ってしまうわけで。マニアにとってある種、刺激的な試みではあるけれど、エンタテイメントとしては完全に破綻している。ありていにいえば普通の意味での面白さ、というのは一切ないのよ。ミステリ、本格ミステリとして読むことはよしたほうがいいわね〜」 
「マジメに推理してやろうと、あるいは作者のどんでんに驚かせてもらおうなんて思って読み始めても、狐につままれたような顔で読了することになりそうですよね。……でも、これは本格ミステリ史上、ある意味とても重要な作品だといえるんじゃないでしょうか。少なくともぼくは、これだけ徹底したアンチ本格ミステリというのは他に類例がないと思います。ここにはまさに、本格ミステリの限界ともいうべき「地点」が示されている」 
「私はそうは思わない。これは散漫な知性が生んだ、知的に破綻した「ロジックの墓場」だと思う。不条理なまでのロジックの迷宮といえば聞こえはいいけど、ここにあるのはロジックなんかじゃない。いや、ロジックの形骸でさえないのよ。葬り去るべきロジックさえ存在しないのに「探偵小説の墓場」もないもんだと、私は思う。おバカな評論家が、「混乱」と「錯綜」を、「貧困」を「省略」と、「破綻」を「実験」と間違えて評価してるだけ。いうなればこれは「ミステリ編集室の床に落ちたクズ」を拾い集めて脈絡もなくつなぎ合わせた「夢の島」よ」 
「少なくとも「散漫な」というのは違うんじゃないですか? 重層的な構造も多重解決も、そして、破綻した構造-全体の設計も、作者は充分計算した上で行っているものであるように、ぼくには思えます。すなわちこれは「ありうべき解決の可能性は無限にある」という、本格ミステリに突きつけられた挑戦状であり、挑発である、と」 
「う〜ん。平行線みたいね。ま、ともかくよ。私は好事家および研究者以外には、容易にこの本を勧める気にはなれないな」 
「まあ、それはぼくもそう思いますが……本格ミステリとは何か、という問題について考える気がある人なら、読む価値はあると思います。それと……」 
「なあによ〜、まだなんかあるの〜?」 
「この人って、ちょっと森博嗣さんを連想させませんか?」 
「ヒロシ〜?」 
「って、ダメですよ、呼びつけにしたら。……なんかこう、登場人物の距離感とか、作者のスタンスとか、どうも森さんの作品を連想するんですよ」 
「森作品の方が(まだしも)おもしろい」 
「う〜ん。アンチ本格とか本格への批評性というところも、なんとなく……だいたいこの作者も精神分析医であり性科学者であるという「理系のヒト」だし」 
「ふ〜ん」 
  
  
 
 
#99年6月某日/某マクドにて 
  
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