battle32(6月第4週)
 
 
[取り上げた本]  
   
1「叫びの序曲」       ジム・ニズビット                角川書店 
2「名探偵の肖像」      二階堂黎人                   講談社 
3「血ダルマ熱」       響堂 新                    新潮社 
4「クリムゾンの迷宮」    貴志祐介                    角川書店 
5「グラン・ギニョール」   ジョン・ディクスン・カー            翔泳社 
6「闇の貴族」        新堂冬樹                    講談社 
7「マザーグースは殺人鵞鳥」 山口雅也                    原書房 
 
 
Goo=BLACK Boo=RED 
  
●究極のアンチヒーローが遭遇した究極の悪夢 
「この作家さんは……読むの初めてですね。ジム・ニズビットってヒトなんですが。すごい話ですね」 
「私は今月のワーストに上げたい一冊だわね、下品! 下劣! 低劣きわまりない煽情的猟奇的読み物って感じ」 
「まあまあ。えっと、主人公はうらぶれた中年男。偶然酒場でしりあった美女と意気投合し、一緒に酒を飲んでいるうちに意識をなくしてしまいます。で、ふと気付くと体には見たこともない大きな手術痕が! なんと彼は、意識をなくしているうちに腎臓を奪われてしまったのです!」 
「てなわけで、奪われた腎臓を追って、主人公の執拗な追跡が始まるわけだけど、こいつがまあアンチヒーローっていうか。いや、アンチヒーローって言葉さえ似合わわぬ最低なヤツ!」 
「そうですね。要するに腎臓を取り戻すためなら平気で他人を犠牲にしてしまうということなんですが、だからといって「悪の美学」風のカッコ良さがあるわけではなくて。ただひたすら身勝手なだけというこまったおヒトで。……「そういう意味」で読者の予想をひたすら裏切りながら、物語はごんごん進み、主人公はとてつもない悪夢に遭遇するはめになる、という」 
「まあ、その「悪夢」に遭遇して主人公があげる「絶叫」がタイトルにもなっているわけで、いうなればこの恐怖のラストに向かって作品全体が収束するような構造になっているんだけど……このラスト、見え見えでしょ」 
「いや、伏線らしきモノはあまりなかったし、ぼくはちょっと意表をつかれました」 
「そーかなあ。だいたい、そこに至る部分のアクの強さからしたら、あの程度の「オチ」じゃあ驚けないなあ。メインになってる「臓器売買」というアイディアも、いまとなっては珍しくもないし、ストーリィの展開も……アクこそ強いけど平板だし、無意味な部分がやたら冗長だし……いいとこなし。いうなればZ級のスプラッタムービーを見ちゃったような感じ」 
「まあ、そういう気配はありますけどね。このとことん「救いようのない」主人公つうのは、けっこう新しくありませんか。てんから読者の感情移入を拒否してるっていうか……エンタテイメントの主人公としては、普通じゃありえない方向性ですよね」 
「そりゃそうなんだけどさ」 
「こういう主人公の設定というのは、なにも作者が奇を衒ったわけではないと思うんです。この「ラスト」にもってくるには、こういうキャラクターである必要があったと」 
「たしかにそうだけど……あのラストってそれほどのもんかね? あたしゃ、ただただ後味の悪さばかり残った感じでてんでいただけないって気分だけどな」 
「まあねえ、後味はたしかによくないですね。どういう意味でも、まったくといっていいほど救いがないし……リーダビリティはけっこうあると思うんですが」 
「あれは徹底して扇情的な意味でのリーダビリティだわね。次はもう読まないわよ!」 
  
●技巧を欠いたパスティーシュの凡作 
「はいはい。では次。この頃新本格作家の短編集が多いですね。二階堂さんのこれも短編集。といっても小説は5編で、他に対談とカーの全作品解説エッセイ(?)が載ってます」 
「無理矢理一冊にしたって感じね。タイトルやカバーのキャッチコピーを読むと、過去の名作ミステリの名探偵を主人公にしたパスティーシュ集みたいに思えるけど、そういう作品は3編だけしかないんだもんなあ。看板に偽りあり! だわね」 
「名探偵モノのパスティーシュは、ルパンものの「ルパンの慈善」に鬼貫ものの「風邪の証言」。そしてH・M(ヘンリー・メルヴィル卿)ものの「赤死荘の殺人」ですね。これらはそれなりの出来じゃないですか? 特に「赤死荘の殺人」は、いかにもカー風の人間消失トリックが鮮やかに決まり、楽しい作品だと思います」 
「まあ、あれはパスティーシュとしては水準作ね。ただ、作者がいうほど巧いとは思わない。他の作品にも言えることだけど、この作家は自分で思っているほど器用ではないし、巧くもないのよ。蘭子もののようなオリジナルならともかく、パスティーシュのような「技巧を要求される」作品では、彼の不器用さが思いきり前面に出てきちゃうのよね」 
「一方、「ネクロポリスの男」はSFミステリですが、このヒトのこういうものを初めて読みました。SFなんて書くんですねえ」 
「同じく、SFとしては陳腐なアイディアで、それがまたてんで活かされていない。巧くもない。作者はシリーズの予定で書き始めたのに、編集から「次は普通のものを」といわれてSFの人気のなさを実感した、みたいなことを書いてるけど、なにいってんだか! 編集者は「ヘタすぎてつまらないから、もうこれはやめてくれ」っていってんのよ!」 
「ま、本人は楽しそうに書いてるんですが、出来上がったものはSFはいかにも肌が合わないって感じでしたからねえ。次は「素人カースケの世紀の対決」。これはコメディでしょうかね」 
「ようするにワインの代わりに「ミステリ本」を客に饗するお店があったら、という設定で、ワインの蘊蓄に古典ミステリの蘊蓄をだぶらせ、さらに「評論家」のバカぶりを嘲笑うという……マンガの「美味しんぼ」とか「ソムリエ」をミステリの世界に置き換えてみましたという作品。くっだらねー!」 
「ぼくはけっこう面白かったな。ま、他愛ないと言えば他愛ないんですが」 
「っていうかさあ、「美味しんぼ」のパロディというアイディア以外に、まったくといっていいほど工夫がないのよね。センスもなければ洒落っ気もない。こういうタイプの作品こそ技巧を凝らさないと、してまた作者が巧くないと読めたもんじゃない、という見本みたいな作品ね」 
「そこまでひどくはないと思いますが……そうすると、芦辺さんとの対談「地上最大のカー問答」と巻末の「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」がいちばんの読みどころということになりますか」 
「悲しいかなそういうことね。実際、この2つはカー信者の二階堂さんの面目躍如というか。たぶんこれを読めばみんなカーが読みたくなるんじゃないかな」 
「ですね。対談の方は本格ミステリ論としても、なかなか新鮮な指摘が多いですよね。都筑さんの「パズラー待望論」に対する反論とか、なかなか勉強になりました」 
「カーの全作品解説も、いい仕事よ。これからカーを読もうというヒトにとってはすごく便利な資料だと思う。私もけっこう読み落してるのがあるんで、参考にさせてもらうつもりよ」 
「そういう意味では、評論やエッセイだけで1冊作ってくれたほうがありがたかったかもしれませんね」 
「いえてる〜」 
  
●あまりにも生硬な情報てんこ盛り型サスペンス 
「さて。次は「紫の悪魔」で新潮ミステリー倶楽部の島田荘司特別賞を受賞してデビューした響堂さんの第2長編、「血ダルマ熱」です。これは……前作以上にストレートなメディカルサスペンスでしたね」 
「伝染病もの、というジャンルがあるのかどうか知らないけど、ストーリィはまさにその典型的なパターン通りに進むのよねー」 
「ちなみにぼくはメディカルサスペンスって、けっこう好きなんですよ。だからパターン通りってのはあまり気にならなかったな。ともかくこの「血ダルマ熱」という「病気」の症状が凄いじゃないですか! 皮膚と骨以外の全ての細胞組織が崩壊・壊死してドロドロの液体と化してしまうという……。あげく皮膚が裂けて全身から血を吹き出しながら数時間で死に至るという恐ろしい症状を示す患者が発生します。アメリカ帰りの敏腕研究者にして、国内唯一のP4研究施設の職員であるヒロイン・高部涼子は、その「血ダルマ熱」の分析を必至で追いますが、ウィルスは杳としてその正体を現しません」 
「一方で彼女は、上司に当たる人物にまつわるガン治療の新薬の人体実験疑惑なんて問題にも巻き込まれて、どんどん追いつめられていくわけよ」 
「やがて、同僚の協力により明らかになった「血ダルマ熱」の正体は、驚くべきスピードで進化し続ける凶悪な熱病だったのです……が、と。まあ、こっから物語は予想も付かないどんでん返しのラストに向かって驀進していくわけです」 
「驀進かどうかはわからないけどさあ、とりあえずさっきいった人体実験の件なんかも絡みながら、きちんとラストに収束していくわけで。まあ、メディカルサスペンスとしては典型的っていうか、といってその範囲を一歩もでていないって感じよね」 
「しかし、このドンデン返しのアイディアはけっこう新鮮だったけどなあ」 
「たしかに工夫はしてるけどね。で、その工夫がある意味直線的になりがちなこの手のストーリィに起伏を与えてはいるんだけどね。どうもねー、演出ががヘタなんだよね。結局のところ平板な印象が残ってしまう」 
「うーん。「血ダルマ熱」の正体に関するアイディアは、意外性もなかなかだったし、伏線も怠りなく張ってあると思うんですけどね」 
「裏返せばそのワンアイディアのどんでんよね。おまけに伏線の張り方もいかにも不器用で……どーも邪魔くさいお説教が多いなーと思ってたらそれも伏線! ようするにメインストーリィから、伏線部分がことごとく浮き上がっちゃってるのよね。んもーあからさまなくらい」 
「まあ、たしかに不器用なんですが、それは技術的な問題ですから、いずれ腕を磨けば解消されるんじゃないですか?」 
「そう願いたいものよね。しかしねえ。この人の場合、作品の全てにその不器用さが発揮されちゃってるのが困るのよね。科学者の倫理に関するあまりにもナマなメッセージといい、類型的なキャラクター造形といい、生硬な会話といい」 
「そういうゴチゴチした部分も含めて、ガシガシ書き進む筆力のスゴさみたいなもんがあるように思えるんですけどね。けっこうなボリュームなのにクイクイ読まされちゃったし」 
「そう? ま、「血ダルマ熱」の正体に関するアイディアは悪くないわね。それほど良くもないけど。ただし、その謎一本で引っ張るにはいささかシンドい。特に前半部のサブストーリィがメインストーリィと美味く噛み合ってないのがあツライわねえ。この部分でもう一つ二つ、謎がほしかった感じだわ」 
「それをやったら却って焦点がぼけちゃうんじゃないかなー」 
「まあ、典型的な「情報てんこもり型」サスペンスの失敗作。っていうのが結論ね」 
「そうやって切り捨てちゃうにはもったいない才能だと思いますよ。特にこの分野でこういう大胆な発想ができる作家は、日本にはあまりいないし」 
「まあねえ。でも、科学でも医学でもそうなんだけどさ、要は専門知識そのものよりも、それをどう小説化するかという部分が大事なんだと思う。結局は「書ける人」でないと、どんなに優れたアイディアを持っててもタカラのモチグサレってことね」 
  
●リーダビリティをとことん極めたサバイバルサスペンス 
「というわけで「クリムゾンの迷宮」は貴志さんの新作。この人は、いまいちばん脂ののってる書き手の一人でしょうね。ホラー寄りではありますが」 
「面白いわよね。読ませるし。でも、すでにもう「流してる」って感じがするのは、気のせいかしら?」 
「え〜? 面白かったけどなあ。ぼくなんか一気読みしちゃいましたよお」 
「この人は生まれながらのストーリィテラーなんじゃないの? テクニックだけでごんごん読ませることができる、という」 
「そっかなー? ま、いいや。えっと、主人公は職も家族も失って浮浪者さながらの暮らしを送る中年男。奇妙なアルバイト募集の公告に応募し、それをきっかけに奇妙な「ゲーム」に巻き込まれます。ふと気づくと見たこともない荒れ地の真ん中に放り出され、与えられたのはゲームの指示を表示するたまごっちみたいなゲームマシンとわずかな水と食料のみ。彼は否応なくこの何者かがしくんだ「ゲーム」の駒として、動かざるを得なくなってしまいます」 
「この冒頭、なんかに似てるなー」 
「あれでしょ。永井豪の短編マンガでそういうのあったじゃないですか。目覚めるとそこは戦場で、手の中には「戦え!」という文字が書かれたメッセージだけがある、という」 
「あー、そうだそうだ。あったよねー。なんてタイトルだったかなあ」 
「タイトルはぼくも覚えてません。えーともかく、主人公は同じ境遇の人間たちと協力し、あるいは敵対しながら、指示に従ってチェックポイントをクリアしていきます。要するに企業が研修なんかで社員にやらせるウォーキングなんですよね。で、チェックポイントをクリアするとなんらかのアイテム……食料だったり、武器だったり、情報だったり……が与えられるという。まあ、これだけだとなんだか面白そうなんですが、なんせ廻りは過酷な大自然。チェックポイントをめざすだけでも、主人公たちにとっては過酷なサバイバルとなるわけで。やがて、ゲーム主催者たちの悪意に満ちた罠が牙をむき、ゲームは命を懸けたゼロサムゲームとなっていきます」 
「アイディアはまあ、陳腐よね。ありがちつうか。カフカめいた不条理なゲームに秘められた、主催者側の意図つうのも、ま、わりと簡単に想像が付いてしまう。っていうか、そんな安直な「手」じゃあるまいなーとか思ってたんだけど、残念ながらその通りだったという」 
「でも、読んでる間はそうしたことをまったく感じさせる余裕を与えてくれませんよね。ともかくものすごいリーダビリティで。読者が考えたり疑ったりするヒマをまったく与えてくれない、というか」 
「ま、それは認めようじゃないの。それだけじゃなく、サバイバルの描写もリアルだし、見事なもんよ。だけどさ、これは……この「真相」はあんまりじゃない。今どきマンガだってよう使わんよ、こんな陳腐な手!」 
「んー、とりあえず読んでる間こんだけ無我夢中にさせてくれたんだから、ぼくは文句なしですけどねえ」 
「だかこそもったいないとは思わない? ゲームマシンの扱いとか主催者側の背景とか……もっときっちり考えてアイディア出して書き込めば、ブロックバスター級の作品にだってなり得たんじゃないかしらね。ともかくあれだけ面白いのに、あとに残るものがきれいさっぱりなあんにも無い、というのは、いくらなんでも寂しすぎやしないか?」 
「エンタテイメントとしては、ある意味じゃ潔い姿勢って気もするんですけどね。そう、誰も彼もが超大作な傑作を書く必要はないのでは?」 
「私はこの傑出した才能を惜しむわけよ。ただそれだけ。早い話、これはこの人じゃなくても、じゅうぶん巧い人なら書ける話だと思うのよ。だからさ、別にこの人が書く必要もないわけ。この人でなければ書けない作品をこそ、私は期待したい」 
「なるほどねえ。お気持ちは分かりますが、書いてくれるはずですよ。いずれ、そういう作品も。だって才能があるのは間違いないんだから」 
  
●カーマニアへ贈られたささやかな奇蹟 
「では、次はおまちかね。ディクスン・カーの「グラン・ギニョール」! まさかコレが読める日がくるなんて夢にも思わなかった〜。解説の北村薫さんもおっしゃっている通り「長生きはするものだなあ」というのが実感です」 
「だよねぇ、ホントに。まあ、最近カーの未訳長編が次々出版されたりしてるけど、珍品という点ではたぶんこれ以上の本はないわね。なんせ、表題作の中編「グラン・ギニョール」はごぞんじ彼の処女長編「夜歩く」の原型となった作品。それに純粋ホラー短編の「悪魔の銃」歴史ロマンスものちゅうあ剣戟ものの「薄闇の女神」。そして唯一のショートショート「ハーレム・スカーレム」に、ご存じ名高い本格ミステリエッセイ「地上最高のゲーム」だもんね! ことに「グラン」「悪魔」「「ハーレム」の3篇は初出以来、ただの一度も単行本化されていないという珍品中の珍品。マニア心をくすぐりまくるニクイやつ」 
「初出が掲載されたのも学生雑誌や新聞だそうですから、欧米の人も含めて一般人にはまず入手不可能でしょうし、おそらくこの3篇を読むことができるのは、世界中でこの本だけでしょうね。日本人は我が身の幸せさをかみしめなければなりませんよねえ」 
「まあ、これだけの珍品になると、内容をどうこういうのはいっそ野暮という気もするんだけども、まあとりあえず」 
「ですね。まず「グラン」は前述の通り、「夜歩く」の原型となった中編。しかし、まあそのことを意識しないでも、カーらしさが非常によく出た作品だと思います。2人の警官に見張られた密室で発生した首切り殺人事件に、ごぞんじ名探偵バンコランが挑みます。姿無きサイコキラー、生首、密室、深夜の空き家を徘徊する影と、カー好みの極彩色の道具立てがもたっぷりですし、当然ながら「夜歩く」より短い分、事件の構図がその背景まで含めて非常にすっきりした形で描かれています。作者が手がかりや伏線をいかに配置し、謎解きに収束させていったかが分かりやすいんですね。カーの鮮やかな手際-テクニシャンぶりがよくわかる」 
「まあ、「夜歩く」を読んでから読むべきであるのは当然だけどね。オドロオドロした演出はもちろんなんだけど、それ以上にこの作品でのカーは、あくまでフェアプレイにこだわったパズラーを書こうとしているわね」 
「次の「悪魔の銃」というのは純粋な怪奇小説ですね。理に落ちないこういう作品というのはカーのものとしてはあまり読んだことがありません。ストレートなぶん驚きというのは今ひとつなんですが、作者が「その気」になって楽しんで書いていますね」 
「道具立てといい、カーならばこれに「合理的な解決」を付けることもたやすかったと思うんだけどね。まあ、それだけ「怪奇小説」が書きたかったんだろうけど、やはり物足りない気がしてしまう。ホラーとしては相当古めかしくなっちゃってるだけにねえ」 
「剣戟ものの「薄闇の女神」も、そういう意味ではカーの好みが発揮された作品ですね。秘伝の「必殺剣」もあっと驚くどんでん返しも用意され、盛りだくさん。これは面白かったです!」 
「こういう作品を読むと、カーのストーリィテリングの巧みさというのは、ミステリというより歴史冒険小説の文脈から捉えるべきなのかな、と思うわね」 
「唯一無二のショートショート「ハーレム・スカーレム」はどうです?」 
「これはまあ、珍品という以上のものではないわね。資質的にやはり向いてない、という感じ。やはり、この作品集は「グラン」と「地上最大のゲーム」(完全版)が読みどころでしょうね」 
「まあ、資料的価値という点を除けばそういうことになっちゃいますかね。ところで、この「グラン」ですが、冒頭とラスト前のこの口上、明らかに「読者への挑戦」ですよね」 
「ふむ、そうね」 
「これって……ひょっとしたら、ミステリ史上最初の明文化された「読者への挑戦」なんではないかなーって」 
「解説で森さんが書いてたわよね。しかし、カーの「グラン」が掲載された雑誌が出たのは、たしかクイーンの「ローマ帽の秘密」が出たのと同じ年の夏でしょ。「ローマ帽」は春先だからクイーンの方が早い」 
「いや、執筆時期からいうと、カーの方が早いのでは?」 
「ふむ。でも、たしか「ローマ帽」は何かのコンテストの応募作品として書かれ、落選した上一年くらいお蔵入りしてたんじゃなかったっけ? だとしたら、クイーンの方が早いわね」 
「ああ、そうでしたね。とするとクイーンか……しかし、するとカー作品の「挑戦状」は「ローマ帽」のそれの影響があったんでしょうかね」 
「うーん。微妙だけど、執筆時期を考えるとこれはただの偶然じゃないかしら? 期せずして2人の本格ミステリのグランド・マスターが、「挑戦状」というスタイルを考えついた、という」 
「時代と才能の出会いが生み出したものだったのかも知れませんね……」 
「思えば、なんとまあ刺激的な時代だったんだろうねえ」 
  
●「疾走しつづけるため」に切り捨てられたもの 
「えー次は新堂冬樹さんの第二作、「闇の貴族」です。はいはい、もちろん本格ではありませんね」  
「ったくもー、わかってて取り上げるんじゃないわよ〜。これは、まあピカレスクロマンってとこかしらね。なんせ主人公以下、登場人物は1人残らず悪党! なんだもんなー」 
「でも、おっもしろかった〜。本当に一気読みでしたね、これは」  
「いーから内容を説明しなさい」 
「はいはい。えっと、主人公はある広域指定暴力団に属する一家の幹部、なんですが、普段はその正体を隠していわゆる「整理屋」の会社をやっているんですね」 
「整理屋というのは、ようするに借金で倒産しかけた企業に甘い言葉で近づき、その資産をとことんしゃぶりつくして放り出すという商売。ま、ようは経済ヤクザなのよね」 
「主人公はだから腕っぷしよりも頭脳で勝負するタイプのヤクザなんですね。で、彼は幼いころの悲惨な経験がトラウマになっていて、金と権力以外なにも信用しない。部下も同僚も親分も恋人も、金と権力を手に入れるための手段としてしかみないわけ。まあ、ありがちなキャラクターではあるのですが、その徹底した冷血漢ぶりはなかなかの「悪の魅力」です。物語の前半は、そんな主人公があらゆる悪辣な手を使って金を儲け成り上がっていく、「悪のサクセスストーリィ」。整理屋の非常な手口が実にリアルに描かれて、この前半はかなりの読みごたえですね」 
「そうね、ま、特別新鮮という感じはないのだけれど、ともかくテンポがいい。文章は荒っぽいしストーリィも破綻ぎみなんだけど、ともかくそのスピード感で強引に引っ張られてしまうって感じ」 
「後半は、ついに闇のフィクサーとなった主人公が、逆に「ある人物」から追われることになるんですね。こちらはまた雰囲気ががらりと変わって、アクション小説風の派手な展開になるんですが、闇の暗殺者教育機関や世界経済を影から支配する組織なんてもんまで出てきて、ともかく盛りだくさん。最後まで飽きさせずに読ませてくれます」  
「たしかにネタはてんこ盛りよね。ただ、当然のことだけど、その一つ一つは所詮彩りでしかない。本来、各キャラクターの個性なり背景なりを際立たせるためにそういった細部があるはずなのに、どれも突っ込みが浅いもんだから、主人公をはじめアクが強いはずのキャラクターたちまでが、妙に薄っぺらに見えてしまうのよね」 
「ステレオタイプではあるけど、けっこう強烈な印象を残すキャラだったと思いますが」  
「あれはただどぎついだけで、奥行きも深みもない。物語が加速していくほど個性が希薄になっていくという困った現象が起こるのよね。まあ、読み飛ばす分にはそれでもいいんだろうけど、ちょっともったいない気もしないではないわね」 
「うーん。こういうのもアリだとは思うんですけど」  
「こういうピカレスク・ロマンちゅうのは、やはりその主人公たる「悪」そのものに、善悪を超越した魅力……キャラとしての深みがないと、単に読み捨てられるだけの活劇小説になってしまうのよね」 
「主人公の背景、というか過去の悲惨なトラウマは繰り返し語られてるじゃないですか」  
「あれだけじゃねえ。あそこから先、が問題なのよ。ストーリィにスピード感があるのはいいけれど、だからって何もかも足早に表面をなでるだけで済まされたんでは困るのよ。アクセル踏むばっかじゃなくて、緩急をつけるとか、時には立ち止まってじっくり語るとか、そういうテクニックを身に付けて欲しいわね」 
  
●京極デザインは本当にカッコイイのか?  
「ラストは「マザーグースは殺人鵞鳥」。山口雅也さんの、これはミステリエッセイ集ですね。山口さんのお好きな「マザーグース・ミステリ」の話がメイン」  
「山口さんとマザーグースという組み合わせは、非常に魅力的に思えたんだけどねえ……これは、残念ながら期待はずれといわざるを得ないな」 
「うーん。マザーグースの歌詞を原詩と共に掲載し、それにまつわるミステリ作品を紹介するというスタイルはとても分かりやすいし、マザーグース・ミステリに初めて触れる人にとっては、丁度いい本なんじゃないでしょうか?」 
「まあねえ。まさに入門書という感じだわね。少なくともマザーグースミステリとはなんなのか、を知っている読み手にとっては、いささか以上に物足りない。あくまで初心者向けの入門書レベルよね」 
「別にそれでもいいじゃないですか。マザーグース・ミステリの入門書なんてあまり記憶にないし、こういう本はあってもいいのでは?」  
「そりゃそうだけどさ、山口さんのやるべき仕事ではないような気がしないでもない」 
「原書房という出版社であるのも、マニア感をそそってますよね」 
「まあ、あれ読んで思ったんだけど、マザーグースものって逆に意外と少ないんだねえ。それがけっこう印象的だった。紹介されているのも読んだ本ばかりだったし」 
「ですね。古典読んでいればおのずと遭遇する本ばかりですからねえ。あと、後半のミステリエッセイはどうでしたか? 名探偵の住まいを紹介したり、名作の殺人現場を紹介したり、平面図とかも入ってて愉しかったですね。クイーン父子の家とか本陣の殺人現場とか、あれはいい企画ですよね」  
「そうね。たしかにあっちの方が面白かった。こちらももう少し突っ込んでほしかったしボリュームがほしかった気がする。まあ、あれね。これは山口さんが仕事のないころに書いていたものの「落ち穂拾い」でしょう。だからもう続きが書かれることはないんじゃないの?」 
「平面図を作るのって大変でしょうからね。でも、じゃあどなたかやってくれないかな。こう、大きな版の豪華本で。もしできたら、ぼくはきっと買っちゃうと思いますね」  
「それはしかし、ペイするほど売れるかなあ。むしろ、WebのマニアさんのHPの方が「アリ」なんじゃないの? 建築の心得のある人がそういうコーナーを作ったら、きっといろいろ発見があって面白いものになりそうよね」 
「いえてますねー」  
「ま、それはともかく。本の方に戻ってあと一つだけ。あのさ、京極さんの装丁、どう思う?」 
「え、ああ……最近、新本格関連の作家の作品でぽつぽつ見かけますよね。京極さんがブックデザインした本。ま、京極さんは本業はグラフィックデザイナーだそうですから」  
「だーかーらぁ、その評価よ。デザインとしての」 
「う。まぁねぇ、なんつうかねえ」 
「えーい、煮え切らんやつ! ンじゃ、私がはっきりいってあげるわよ。京極さんのブックデザインはおしなべて最低! チョーカッチョ悪いとしかいいようがないわねッ!」 
「あーあ。まぁねえ。それはウチのデザイナーもね、前々から行ってましたけど。ま、いんじゃないですか。友情は美しき哉、ってことで」 
「わたしゃいやだね。自分が書いた本がダサダサの装丁されるなんてのはね。作家さんたちは、マジでカッコイイと思ってんのかしらねぇ。どうも信じられないなー。センス、ないんじゃないの?」 
「あーもー、そういう危ないコト言っちゃダメですよ〜」  
 
 
#99年6月某日/某ロイホにて 
  
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