[取り上げた本]
1「海の仮面」 愛川 晶 光文社 2「パンプルムース氏の秘密任務」 マイケル・ボンド 東京創元社 3「イベリアの雷鳴」 逢坂 剛 講談社 4「伯爵夫人の宝石」 ヘンリー・スレッサー 光文社 5「マッターホルンの殺人」 グリン・カー 新樹社 6「死の影」 倉坂鬼一郎 廣済堂出版 7「イツロベ」 藤木 稟 講談社 8「そして二人だけになった」 森博嗣 新潮社 |
Goo=BLACK Boo=RED
●上出来&ゴージャスな「火曜サスペンス劇場」 「えっと、「海の仮面」は愛川晶さんの新作長編。「黄昏の獲物」「光る地獄蝶」に続く栗村夏樹シリーズ三部の完結篇です。この栗村夏樹というヒロインは、殉職した警察官の娘で剣道の達人の女子大生という「名探偵」。シリーズ第三部の今作で、ヒロインは新興宗教の教祖が行った予告・遠隔殺人の事件に巻き込まれ、これを追ううちこれまで謎に包まれていた父親の死の謎に行き当たり、みずからも危険な目に合いながら犯人を追いつめていきます」 「愛川さんという人は、まあ、新本格畑の人なんだろうけど、他の人たちとは少々雰囲気というか方向性が違う独特の作風よね。謎解きのロジックよりも、大胆などんでん返しや濃密な心理サスペンスといった要素が強いし。個性的で分類しにくい……強いていえばフランスのミステリを思わせる雰囲気がある気がするわ。でも、今回のこれはそういう意味ではかなりこれまでとは子となる雰囲気ね。というか普通っぽくなったっっていうか、カッパっぽいというか」 「作者みずから不可能犯罪への挑戦を標榜し、かなり大胆なトリックを使ってらっしゃいますよね。ボリューム的にもかなりの大作なのに、ストーリィも変化に富んでいてクイクイ読ませるし……意欲作であり力作だと思います」 「たしかに盛りだくさんの意欲作ではあるわ。新興宗教の教祖による予告・遠隔殺人。ビデオに録画された海上の「密室殺人」。……ま、この2つが作者のいう「不可能犯罪」なんだけど……それ以外にも、ムー大陸伝説にまつわる「トンデモ歴史推理」やヒロインの父親の死にまつわる謎解き等々。とーっても賑やかなんだけど、どれも総じて小ぶりで陳腐なネタばかり。特に作者ご自慢の不可能犯罪のトリックは、はっきりいって「脱力」もんのチープさ」 「んー、そうですか? けっこう新味があったと思うんですけどね。……具体的に説明しましょうか。えっと、一つは何もない海上に浮かんだ小舟にいた被害者が、突然爆殺されるという「透明な密室」。船には何も仕掛けられておらず、被害者も爆発物は持っていなかった、にも関わらず爆殺されてしまう、というもの。で、もう一つは、深夜の港の突堤から時速90Kmのスピードで海へダイブしたクルマから、水死体が発見されるというもの。クルマにはなんの工作のあともなく、被害者は自殺する理由もない。事故だとしたら、なぜ90Kmもの猛スピードで走っていたのか? しかも、その「死」を数百キロ離れた場所にいた「教祖」が予言していた……なるほど不可能犯罪ですね!」 「うーん、まあねえ。ただ……まあ、これは好みの問題かもしれないけど……謎としてもさほど魅力的、という感じはしないわね。しかもその「真相」に至っては強引というか、不器用というか、そのくせ陳腐というか。短編ネタじゃないの〜? でもってその使い方も、なんちゅうか、何から何まで火曜サスペンス劇場っぽいのよねー」 「ま、たしかに映像にした方が生きるトリックではあるかもしれませんが、いうほど悪くないと思いますよ。なんたってリーダビリティの高さはかなりのもんでしょう」 「この場合、リーダビリティの高さも含めて「火曜サスペンス」だっていうの。通俗なのよね、何から何まで。あたら窮地に飛び込んでいくアタマの悪いヒロインといい、父親の警官の死に隠されたあまりにも類型的な「秘密」といい、その父親が残したナニワブシな「遺書」といい、んもー通俗の極み!」 「通俗だっていいじゃないですか。俗だろうがなんだろうが、質が高ければ、読む価値はあると思います」 「そうはいっても、本格ミステリとして読んだ場合、これじゃあまりにも程度が低すぎる。謎が解かれても、どんでん返しがあっても、まあったく驚きがない。爽快感がない。まーせいぜいがよくできたゴージャスな火曜サスペンスってとこ」 「それはそれで楽しめる、と思いますが。火曜サスペンスだって悪くないんじゃないですか……観たことないけど」 「あたしゃ、そんなもんまで観たり読んだりしてるヒマはないのッ!」 ●大人のおとぎ話はディティールを楽しめ 「お次はマイケル・ボンドのパンプルムース氏シリーズの第2作、「パンプルムース氏の秘密任務」です。元パリ警察刑事にして現在はフランス最大のレストランガイドの覆面調査員であるパンプルムース氏の活躍を描いた軽ミステリというか美食小説というか。……ストレートなミステリでないせいかあまり話題にもならないのですが、ぼくはコレが大好きで」 「本格味が薄いどころか、ミステリ味も薄口だからねえ。まー、007好きのキミがこれを好むのは分かる気がするわ。なんちゅうか、いろんな意味でオトナのエンタテイメントって感じよね。私自身はこぉんなヌルいお話、あんまし興味ないんだけども」 「このヌルさがいいんじゃないですかー! ま、ともかく。今回、パンプルムース氏は上司である編集長から「秘密任務」をいいわたされます。その任務とは、彼の縁者が経営する倒産寸前のレストラン・ホテルを立て直す……そのレストランの不味すぎる料理を、パンプルムース氏の料理知識でどうにかしてほしいというのです。給与査定を前に点数を稼いでおくべく、勇躍パンプルムース氏は愛犬ポムフリットと共にホテルを目指します。しかし、そのホテルに宿泊した晩、ある異変が愛犬ポムフリットの身を襲います」 「この「異変」ってぇのがケッ作! いつも物静かなポムフリットが突如異常な情熱に燃え、一晩のうちに村中のレディ/雌犬を誘惑し、コトに及んでしまうという異常事態。キャッ」 「ぬぁにがキャですか、キモチ悪い。ともかく、そこに陰謀の匂いを嗅ぎつけた主人公は、様々な美食に舌鼓を打ちながらひそかな調査を始めます」 「ま、例によってちょっとばかしお下劣なドタバタをふんだんに盛り込みながら展開される美食&艶笑譚。そこにちょっとばかしミステリのスパイスをパラパラ。そんなとこね」 「今回は、でも前回以上にミステリっ気は強かったような気がしますけどね。その「異変」の犯人探しもあるし、動機の秘密もちゃんと伏線が張ってある。……ま、もちろんそれだけを目的に読むほどのもんじゃないですけど」 「肩から力を抜いてのんびり楽しむ分には問題ないけどさ。あえてミステリとして突っ込めば、その仕掛けはあまり巧く機能しているとはいえないわよねー。どうも過剰な美食趣味やエロティックな要素が邪魔をして、ミステリとしてのストーリィの輪郭をあやふやなものにしてしまっている」 「だーかーらー、そういう野暮なことをいっちゃいけないんですってば。そういう小説じゃないんですから!」 「ま、ね。わかってるけどね。でも、もう少しどうにかならなかったかなぁって気がすんのよ。よおく読めばミステリ的な仕掛けもいろいろしようとした「形跡がある」のに……結局、全てが中途半端っていうかさ」 「いいんじゃないですか? このシリーズに関しては、そーゆーうるさいことはいいっこなしで。ヨダレの垂れそうな美食の描写を味わい、お下劣なドタバタをニヤニヤしながら楽しめばそれでいい。結局のところ、これは全編がお遊びでありお伽噺であると思うんです。もちろん、あくまで大人のソレですけどね。そう、007シリーズがそうであるように」 「あれも結局、大人の童話だしね」 「そうそう。だから、これを楽しむには大人の余裕と子供の遊び心と合わせ持っていなければならないのかも」 「なぁにを大袈裟な……それじゃなにかね、わたしにはソレがない、と」 「あ……いえ、そういうわけでは……」 「そう聞こえたけどね〜。ま、いいや。ポムフリットが可愛かったから許す!」 「……そればっかし……」 ●焦点のぼやけた本格エスピオナージュ 「次は逢坂さんの新作長編「イベリアの雷鳴」です。お得意のスペインものなんですが、今回は第二次大戦というか、ナチスドイツが欧州に侵攻を開始し風雲急を告げるヨーロッパ全域を舞台に描いた、ストレートなエスピオナージュですね」 「ま、やっぱり主要な舞台はスペインなんだし、スペインものといっていいんじゃない? 電撃戦で瞬く間にヨーロッパを席巻したナチスドイツが、英国攻略のカギと睨むのが、地中海への入り口であるスペインのジブラルタル海峡。もちろん当時のスペインは独裁者フランコの支配下で枢軸側に属していたわけだけど、フランコはしかしそう簡単にはヒトラーのいうことを聞かないのよね」 「内戦で疲弊しきった国力を立て直すためにも、なんとかドイツから「いい条件」を引き出して自分は傷つかずに戦争の美味しいところだけをかすめ取りたいと狙っているわけですね。むろん、英国もそのスペインの動きが戦争の帰趨を決めるとわかっているから、様々な工作を巡らすわけで。かくて、スペイン国内では各国のスパイが入り乱れて、壮絶な情報戦を展開するという。で、もちろん開戦を間近に控えた日本もスパイを送り込む。それが一方の主人公」 「その日本人スパイは日系ペルー人の宝石商に身をやつして潜入するわけだけど、彼が下宿する家の娘がヒロインということになるかしらね」 「ですね、彼女は彼女で最初はまあ純朴なスペイン娘であり、当然のように主人公に恋をするんですが、ひょんなことからフランコ打倒をめざす反政府組織の一員として活動することになる。まあ、物語はですからこの2人の悲恋を軸に、ドイツ側のスパイや英国のスパイが入り乱れた壮絶な情報戦を展開しながら、ヒトラー・フランコの会談とフランコへの暗殺計画というクライマックスになだれ込んでいきます。陰謀あり、裏切りあり、因縁、そしてどんでん返し。盛りだくさんの逢坂ワールドって感じの力作ですね」 「うーん、今回のこれは少し盛りだくさんすぎない? ともかくヒトラーは出てくるわフランコは出てくるわウィンザー公は出てくるわ、でたいへんな賑やかさだし、大戦秘話的な面白話もたっぷりなんだけど、裏返せばその盛りだくさんさ故にいささか物語の焦点がぼやけてしまった嫌いがある」 「そういう傾向があるのは否定できませんが、ともかく一気読みできちゃう面白さであるのも、また事実でしょう。ラストには例によってお得意のドンデン返しも用意されてますし、逢坂ファンのみならずエスピオナージュ好きの方なら文句なく楽しめるんじゃないですかね?」 「そうかなあ、今回のドンデンはちと弱い、というかミエミエだったでしょう。いつものサプライズ・エンディングほどの衝撃はない気がするわ」 「ややもすれば、そのサプライズ・エンディングが作品のリアリティを損なっていたフシがあったじゃないですか。その意味ではかっちりまとめた、スキのない作りじゃないですか」 「いや、むしろ散漫という感じね。日本びいきのドイツ情報部門の提督と主人公たちの因縁とか、前半に張ってあった伏線があまり活かされてないのも、逢坂さんらしからぬやっつけ仕事って気がする。これは雑誌連載のせいかもしれないけどね」 「これは手厳しいですね。でも、今どきこうしたストレートなエスピオナージュをきっちり書けるのは、それこそこの人くらいしかいないし……多少、点が甘くなっても評価しておきたい気がするんです。それにね、第二次大戦のヨーロッパにおけるスペインの役割なんてのも、この本を読んで初めて知ったし。ぼくにとってはけっこう勉強にもなる一冊でしたよ」 「それは、単にキミが勉強不足なだけでしょうがー」 ●非ミステリマニアに勧めたい短編ミステリの粋 「こりゃまた懐かしいですよねー。次はなんとヘンリー・スレッサーの短編集「伯爵夫人の宝石」です」 「スレッサーかぁ、何年ぶりだろうね。こうして一冊にまとまったものを読むのは! 「うまい犯罪・しゃれた殺人」、「ママに捧げる犯罪」、「夫と妻に捧げる犯罪」……長編も書いているけど、やはりこの人の本領は短編ね」 「ともかく、まさにこれぞミステリ短編! ですよね。サスペンスとユーモアとシニカルが巧みにブレンドされ、ラストのドンデンの切れ味も抜群で」 「本格ミステリではないけど、ま、ミステリ短編の見本みたいな作品集ではあるわね」 「この作品集は、どうやら日本独自の編纂のものらしくて、1篇の中編と、1979年以降に「EQMM」に発表された短編16篇が集められてますね。作者のものとしては比較的近年の作品が中心と言うことになりますか」 「こういう洒落た短編というのは、どうも日本人作家は苦手みたいね。もちろん短編の名手は日本にもいくらもいるけど……こういう洒落っけと残酷さが同居した短編というのはなかなかお目にかかれないわ」 「なんというか、豪勢な高級雑誌に掲載されているのがよく似合う短編なんですよね。今回、あらためて読んでみて、作品のどれもが少しも古びてないのには本当にビックリしました。実際、どれもトリックを使っているわけじゃなし、枚数もそれほどないのに、いくら警戒していてもやはり結末では鮮やかに背負い投げを食らってしまう。ああ、これが職人芸というものだなあ、と痛感してしまいます」 「まあ、キミのダマされっぷりはいつも見事の一言だから、多少割り引いて聞かなきゃいけないんだけどね……たとえば、どの短編?」 「そりゃもう、どれでもいいんですが……じゃ表題作の「伯爵夫人の宝石」を取り上げましょうか。語り手はある宝石販売業の会社に勤める中年男。彼は真面目に努めてそれなりの地位にいるわけですが、ある日突然、社長がどこの馬の骨とも知れぬ若い男を彼の上司に据えてしまう」 「しかもこの若者ってのがイヤミなヤツで、主人公は彼のやり方がことごとくカンにさわるんだな……ま、現実もよくあることだわな」 「ところが、そんな主人公の元に警察官が訪ねてきます。そして、その若者が実は常習の詐欺師なのだといい、主人公に協力を求めるんですね。大喜びで勇んで協力を誓った主人公でしたが……というところで。このあとラストでは、目の覚めるようなどんでん返しが2回も用意されています。特に後の方のどんでんにはホント、参りました」 「そうよねー。読了後、もう一度冒頭を読み返すと、作者の巧緻を極めた伏線に、読者は膝を叩くこと請け合いね。どんでん返しってぇのはこういうものよ」 「まさしくおっしゃるとおりだと思います。気楽に読めてこれだけ楽しめる短編集というのも、そうはないでしょうね。これならミステリ読みでない方にも、安心してお勧めできちゃいます」 「うーん、実はあまりミステリとか読まない人の方が好むかもよ? マニアックに肩に力を入れて読むタイプの作品ではないだけに……」 ●もう一人のカーが描いたトリック一発勝負のビンテージ本格 「これまた珍しい古典本格ですよね。グリン・カーの「マッターホルンの殺人」は、ぼくも噂だけ聞いたことはありますが、例によって日本語で読める日が来るとは思っても見ませんでしたねー」 「この人もアレね。古典本格黄金時代と現代をつなぐ「邦訳空白の時代」に活躍した本格派。まあ、本格に限らずいろんなジャンルの作品を手がけていて、しかも現役で活躍中らしいけどね」 「えっと、この作品はシェイクスピア俳優にして登山家である素人探偵を主人公にしたシリーズの、たしか二作目ですね。えー、久しぶりの休暇で登山を楽しもうと準備をしていた主人公のもとに、その休暇先であるスイス・マッターホルンで、ある人物と接触してほしいという依頼があります。その「ある人物」とは、大戦中、ナチスドイツ支配下のフランスでレジスタンスのリーダーだった政治家で、主人公の旧友にあたる人物でした。実はその男は新たに政治結社を起こそうとしているのですが、その政党がどういう性格のものでどういう政見なのかを探り出してほしいというのです」 「ま、ようするに右なのか、左なのか。占領下フランスの英雄だっただけに非常に影響力の強いため、英国政府も憂慮している、というわけなのよね」 「使命を受けた主人公は早速マッターホルンに飛び、偶然を装ってその男に再会を果たします。が、親交を深める間もなく、男はマッターホルンへ無謀な単独行を行ったあげく無惨な死体となって発見されます。男の死は当初、事故と思われたのですが、主人公の進言により詳しい検死が行われた結果、実は首を絞められて殺されたことが判明します。折しも被害者の元には不審な脅迫状が舞い込み、政治的な殺人かとも思われましたが、主人公が警察と共に捜査を進めるに連れ、彼の廻りにいた人々の誰もが殺人の動機を持っていたことがわかります」 「ま、そんなところでしょう。本格で山登りを絡めるというのはちょっと珍しい気もするけど、これはこのシリーズの「名物」なんだったね? 作者自身、登山家でもあるみたいだし。だけど……登山ものの小説というのは、国産にも素晴らしいものがあるしねえ。この小説のそれがさほど素晴らしいとも思えなかったな」 「まあ、その部分だけ取り出せばそういうことになるかも知れませんが、作中で使われているトリックはやはりこの舞台抜きには語れないものでしょう。実際、このトリックには完全にだまされたし……よく考え抜かれていると思いましたね」 「登山中の事故に見せかけることは簡単なのに、なぜ犯人はなぜあえて絞殺したのか。なぜ被害者は周囲の人間が止めるのも聞かず、食料も持たずに危険な単独行に行ったのか。……そうね、たしかにパズラーとしてもよくできていると思う。ただ、関係者の尋問とアリバイ調査が延々と続く中盤はおっそろしく退屈ね。殺人は一件きりだし、このトリックだったら、短編か中編くらいの方がきれいにまとまったんじゃないの?」 「発生する殺人は一件だけだし、地味といえばとても地味ですけど、ともかくトリックと謎解きの切れ味が抜群にいいじゃないですか。マッターホルンという事件現場の特殊性も見事に活かされているし。これは本格ミステリとして、読む価値のある佳作だと思いますよ」 「尋問の繰り返しという描写が退屈になりがちなのは、これはまあクイーンの国名シリーズとかでもありがちなんだけどさ、どうもこの作家は輪をかけて不器用なのよね。ストーリィテラーとしての才能がてんでないというか。要するにそのメイントリックと手がかりの廻りに、「怪しげな人物」をしこたま配することしか能がない。それもただ単にごちゃごちゃ放り込んでるだけだから、きちんとしたミスリードにすらなってないのね。結果としてひっくり返したおもちゃ箱みたいな雑然とした印象ばかりが残って、本来とても切れ味のいいトリックや謎解きがかすんで見えちゃうのよ」 「もっとスマートに処理していれば、傑作と呼べる作品になったかも知れないとは、ぼくも思います。人物の書き分けもあまりできているとはいえませんしね。ただ、ぼくは好きです。トリック一発で長編をこさえてしまうこの心意気が嬉しいっていうか」 「まあ、そういう「けれん味」の強い作品ではないけどね」 「この「名探偵」はどうですか? やたらとシェイクスピアを引用する名優にして登山家という設定ですが」 「シェイクスピア俳優の名探偵といえばドルリィ・レーンだけど、レーンに比べるとだいぶ落ちる。重みもないし頭も良さそうに見えない。だいたい、何かといえば顔を出すシェイクスピア劇の引用癖も、なんだか嫌みな感じよね」 「そうですねえ、なんだか前半ではけっこう滑稽な人物風に描かれてるんですよね。それがラストではいきなり非常に鮮やかな推理を披瀝する。この落差が、ぼくはなかなか面白かったです」 「キャラクターとしてはやはり二番煎じでしょ。ま、山登りという要素で新味を出したつもりなんでしょうけど、あまり活かされているとも思えないし」 「ぼくは、だけどこのシリーズはもっと邦訳されていいと思いますね。純粋な本格ミステリとして、十分鑑賞に値すると思いますもん」 「まあね。過剰な期待を抱かなければ楽しめるでしょ。この作家に限らず、黄金期と現代をつなぐ「邦訳空白の時代」に活躍した米英作家には、本格派もたくさんいるわけだし、この人に限らずどんどん紹介してほしいわね」 「まったくおっしゃるとおりだと思います」 ●「通俗ホラー図鑑」の愉しみかた 「例のホラー・ミステリ「赤い額縁」で注目されている倉阪鬼一郎の新作長編は、文庫書き下ろし。「死の影」は、作者のあとがきによれば「マニアネタとメタは封印し」たので「いままでで最も読みやすく」しかも「怖いホラー」をめざしたもの、だそうです」 「ふーん。って、ホラー界では有名な人よね。それが、「赤い額縁」でミステリ・リーグでも注目を集めるようになったという。しかし、これはねー、ホラーは守備範囲外だからあましいいたくないんだけどさ。ぜんっぜん怖くなかったのは事実ね。悪いけど、どうやったらコレが恐がれるのか、教えてほしい」 「まあまあ。内容、いきますね。ベストセラー小説「ブラッド」の作者(実は彼の亡くなった婚約者が書いたものを剽窃したのだが)・唐崎が越してきた「フェノワール東都」な不気味なマンションだった。建物の各所に奇妙なレリーフや紋章が彫り込まれ、封印された4階フロアからは奇怪な声が聞こえてくる。やがて怪現象が続発し、殺人鬼が徘徊し、マンションに隣接する幼稚園の園児が行方不明になり、マンションの怪異は急速に拡大し、邪悪な姿を現していく……」 「読者の予想を決して裏切らない使い古し、かつつぎはぎだらけのストーリィ……これは視点の移動の頻繁さだけをいってるのではないよ……やたらと多用される陳腐としかいいようのないホラーアイテム、平板で奥行きのない文体。これは、出来の悪いホラーマンガとおっつかっつのシロモノだわね。あまりにも陳腐で、そのくせその陳腐さがあまりにも膨大なので、思わず笑ってしまうほどだわ」 「……まあ、笑いと恐怖は隣り合わせの感情ですからね。ぼくもこの作家については余りよい読者とは言えないのですが。この作品についてはこれまでになくのびのび書いてらっしゃるような印象を受けました。ありがちなネタ、ありがちな展開といえば、その通りなんでしょうが、それは作者の狙いでしょう。怖がるというより楽しむべきホラーなんじゃないですか?」 「だあって、作者は「怖いホラー長編」を狙って書いたんでしょ?」 「うーん。ま、そうなんですが、その意識の過剰さが結果として楽しいものを生んだ、というか」 「なんにせよ、作家としては未熟としかいいようがない、と思う。「読者を怖がらせる」ということをもっときちんと計算して作品を構築してほしいのよね。これじゃ「怖い」といわれている「アイテム」を無秩序に放り込んだ「通俗ホラー図鑑」でしかない。読者は楽しむことはできても怖がれはしない。まー結局、この人の本領は短編作家ということなのかも知れないけどね」 「というと? まあたしかにそんな気がしないでもないけど、これはこれで面白かったけどな」 「要は、長編小説を構築する方法論が見えてない、という気がするわけ。だとしたら「図鑑」化しちゃうのも当然って感じだけどね。ともかく、そういう意味では作家として、ここが勝負のしどころかも知れないわね」 「……なんかえらそーだなー」 ●濃密な悪夢の連打が導く酩酊と眩暈 「さてホラーをもう一発。藤木稟さんの新作です。毀誉褒貶相半ばする作家さんなんですが、この新作「イツロベ」は徳間新書のシリーズとは関係のない独立した長編」 「たぶん、これがここまでのこの人のベストだと思う。新本格という似合いもしない衣裳を脱ぎ捨てて、ようやく本領発揮って感じがしたわね。少なくとも倉坂さんに比べれば遙かにいい。「長編」を書く骨法もちゃぁんと会得してると思う」 「同じホラーといっても向かうベクトルが全然違うと思うんですけどね。ともあれ内容です……えっと、主人公は医師。ボランティア医としてアフリカ奥地の小国に派遣された彼は、現地民たちから精霊として畏れられる幻の森の民に導かれ、聖地のジャングルで奇怪な一夜を体験します。その体験……幻の民が伝える創世神話-全ての人類の母たる始源の母と、骨のない子のイメージは、彼が帰国してからも続きます。妄想か、現実か。白昼夢にも似た幻想がじょじょに主人公の現実を浸食し、奇妙なコンピュータゲームを通じてデジタル空間をも侵し、やがて「世界」は異様な変貌を遂げていきます」 「まあ、例によってメインストーリィつうかテーマがはっきりされないまま、異様なヴィジョンの積み重ねられていくという手法はこれまで通りなんだけどね」 「その手法自体が、じつはホラーという枠組みのなかでこそ有効なものだったということがはっきりしましたね。これまでの「新本格ミステリ」のように、ラストで謎解きをしなければならない、あるいはとにもかくにも説明を付けなければならないという縛りが、作者にとってはとてつもなく不自由だったんだな、と」 「まあ、私的にはたとえホラーであっても、なんらかの「理屈」つうか、「説明」がほしい気がするんだけど……そーゆーのはもはや古臭いんでしょ? ホラー的には」 「ぼくもよくわかりませんが、ことこの作品については無理に「説明」をつけようとしてないところが功を奏してると思います。もともと悪夢的なヴィジョンを描くのに長けた人だし、その濃密なイメージのつるべ打ちでもって読者の「認識」そのものを揺るがしていく……ある意味非常に力業のホラーとして成功しているように思えます」 「たしかに、ある種船酔いでもしたような感覚が残るわね。後を引く……っていうか」 「ミステリとは正反対のベクトルですが、こういうのも好きですね。ともかく主人公が体験する悪夢のイメージが強烈です」 「わかるけど、私は苦手。いらいらする。結局、だからなんなんだよ、と」 「モダンホラーに「なぜ」は無しですよ」 「だーかーらー、いややっちゅうねん!」 |
●本格コード盛りだくさんで演じられるとびきりの「はなれわざ」
「さて、森博嗣さんの新作は「そして二人だけになった」。ノン・シリーズの長編です」 「森作品としてはもっともストレートな本格ミステリね。いわゆる本格コードを思いきり多用して、トリックもド派手なやつを盛り込んで……ま、すーぐ見破れちゃうんだけどね……それでもやっぱし、アンチ本格ミステリの香りがうっすら漂ってるあたりが、森博嗣ってぇことかな」 「アンチですかぁ? 今回のはむしろ、驚くくらいストレートに本格してるって気がしましたけど」 「ま、いいから内容を」 「へいへい。えー、巨大な吊り橋のワイヤーを固定するために作られた巨大なコンクリート製構造物、そしてその中に秘密裏に作られたシェルター空間・バルブが物語の舞台です。核戦争時を想定した国家的プロジェクトとして作られたこの空間で、設計者である盲目の天才科学者をはじめとする6名の男女が、実験のために半年間を過ごすことになった。しかし扉が閉ざされた直後から、恐るべき連続殺人が始まる」 「今回は話の展開が早いわよね。犀川・萌絵コンビのぐだぐだもないし(出てこないんだから当然だけど)。ま、語り手の「ぽえむ」はあるけど、ともかく外界と切り離された文字通りの密閉空間でざくざく人が殺され、とうとう生き残りは二人になってしまう……」 「さっきayaさんもおっしゃってましたが、ホント、本格コードが盛りだくさんですよね。「嵐の山荘」テーマであり、完璧な「密室殺人」であり、「マザーグース」ものであり、「XXXXXX」ものである、という。それも単に盛りだくさんというだけでなく、それぞれの趣向なりトリックなりが有機的に結合して、豪快きわまりない「不可能犯罪」を構成している。なんせ、生き残りは2人だけになってしまい、論理的にその2人以外犯人はあり得ない……にも関わらず、読者にはそのどちらも犯人ではないことがわかっているんですからね。これは究極の不可能犯罪でしょう。森作品としてはぼくは、これは「F」以来もっとも好きですね」 「今回のものはたぶん意図的に「フツーの本格」として書かれたものなんだと思う。本格として余計と思われそうな要素は極力排除しているっつーか。しかし、逆にそのことによって「問題」としては非常に易しいものになってしまった気がするわね。去年話題になったアノ作品を読んでる人なら、メインネタにはすぐに想像が付くと思う。まあもちろん扱い方はまったく違っているし、森氏はそこにもう一つ大胆なトリックを使って巧みに……っていうか強引に処理しているからね。けど、「問題」として考えた場合、謎の焦点が明確なだけに迷う余地がない。ミスリードがほとんどないのも原因の一つだと思うけど。ホント、これしかないんだもん。解答は」 「だけど、べつにそれはキズにはならないでしょう。それにこの設定ではミスリードとかは仕掛けにくいんじゃないかなあ。……ぼくも「真相」には想像は付きましたけど、ラストではやはり驚かされましたよ。森さんらしからぬ強引さというか豪快さというか。そんなもんが感じられてとても楽しかったです」 「だけどさ、私はやっぱラストは蛇足だと思うなー。もちろんあのラストは、この事件のある種異様な「犯行動機」故の演出だと思うけどさ。なんかねー。あの動機、どう思う?」 「ははあ、それが「アンチ」の理由ですね?」 「ま、ね。大した問題じゃないのかも知れないけど、あの「動機」を聞かされた瞬間にがっくりきちまったわけよ。結局、森さんのテーマってぇのは、そうゆうことなのね、と」 「うーん、それは違うと思うけど。多分この作品の場合は、トリックが先行して生まれたんだと思うんです。まずともかくあのトリックがあって、それに必要な舞台が生まれ、語り手が生まれ、事件が生まれた。動機はだから最後の最後に考えられたんじゃないですか?」 「制作過程はそうであっても、やはり作者のなかには、無意識のうちにこの「永遠のテーマ」というもんが顔をのぞかせていたんではないかなあ。別にいいんだけどさ。ともかくこの人の書く「超絶的な天才」ってやつにはいささか食傷気味だわね」 「別に動機なんてどーでもいいと思うけどなあ。その点を割り引き、「問題」としての易しさを割り引いても、ぼくはこの作品、今年の収穫の一つといいたいですね」 「むう」 |
#99年8月某日/某ロイホにて
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