battle51(8月第2週)
 


[取り上げた本]
 
1 「依存」          西澤保彦                    幻冬舎
2 「奇術探偵 曾我佳城全集」 泡坂妻夫                    講談社
3 「帰ってこない女」     メアリ・ロバーツ・ラインハート         小学館
4 「凶笑面 蓮丈那智フィールドファイルI」 北森 鴻               新潮社
5 「底無沼」         角田喜久雄                 出版芸術社
6 「烈風」          ディック・フランシス             早川書房
7 「前夜祭」         新世紀「謎」倶楽部              角川書店
 
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●“書ける”ミステリ作家特有の病気……「依存」
 
G「今回の一発目は、西澤さんの新作長編から行きましょうか。えっと『依存』は、ごぞんじタック・シリーズの最新作ですね。前作がタカチの故郷を舞台にした、彼女の過去にまつわる“葛藤と決着”の物語だったとすれば、今回はその時タカチを助けたタックの、同じく過去にまつわる“葛藤と決着”の物語ということになりましょうか」
B「まあ、その“タックの物語”が縦糸になってはいるんだけど、その“物語”にせよ虚実取り混ぜた過去の回想とその分析がメインなんだよね。……で、そこにいつものメンバーたちが語る、奇妙な事件の謎解きがちりばめられるという構造で。つまり、物語としての“動き”はほとんど無い、いわば“議論小説”みたいな感じ」
G「ですねー。皆が語る奇妙な事件の“謎ー謎解き”というのは、まあ、いわゆる“日常の謎”っぽいやつなんですが、物語/ストーリィというものを半ば排除して語られる“謎ー謎解き”の連続って感じで。なんちゅうかその意味では、非常にピュアな本格ミステリ連作を読んでいるような気分になります。まあ、作者は語り手をウサコに一任し、各エピソードのテーマを相互に呼応しあうようなもの……というのはタイトルにある“依存”という心理なんだけど……で統一することによって、見事に長編小説として統一感のある物語に仕上げていますね」
B「しかしさあ、ここで展開される謎解きってぇのは、まあほとんど全てが酒席で酒の肴がわりに持ちだされる話題なんだけど、そのせいか推理自体が仮説の上に仮説を重ねていくような感じで、ほとんど妄想。時には形而上学的、抽象的な議論の域に達しているのよね……。“三段跳び”論法の面白さ、空理空論の楽しさというのはたしかにあると思うけれど、この場合はそちらの楽しさよりも、結論として導きだされる“答え”の重さ・息苦しさの方がクローズアップされているわけで。結果、これだけ徹底して本格ミテリの体裁を守ろうとしているにもかかわらず、仕上がったものはじつは全然別のモノという印象なんだなー」
G「それはやはり全体の縦糸になっている“タック自身の物語”の重さ、というのがありますからね。実際、このシリーズは、4人の若者たちのビルドゥングス・ロマンという色彩をどんどん強めつつあるわけで。今回は、後書きで作者自身がはっきりと、シリーズとしての構想をかなり具体的に語っている。ayaさん的には本格ミステリからの逸脱とお感じになってるかもしれませんが、作者自身は、大河小説としての全体の構想の中でその時々の物語にあった語り口/構造を選んでいるだけで、本格ミステリからの発想、という基本は変わらないと思いますよ」
B「むろん作者自身の“つもり”としてはそうなんだろうけど、ずっとシリーズを通読してきた感想を率直に言わせてもらえば、やはり結果的に(作者が意識しているかどうかは別として)このシリーズは、本格ミステリ的体裁を取ること自体がどんどん辛くなっている気はするわね。“謎解き”が、驚きや楽しさ、美しさよりも、“辛さ”や“重さ”を感じさせるというのは、それは作者が本格ミステリの楽しさとは別のモノを語りたがっているという気がしてならないんだな」
G「ふむ。んじゃ、その“別のもの”ってなんなんですか?」
B「う〜ん」
G「う〜ん、じゃわかりません」
B「ひっじょーに陳腐な、紋切り型の言い方になるんだけどさ、それは“いちばんの謎は人間のココロ”ってヤツなんじゃないか、と思うんだな。つまり、西澤さんもまた、ある程度キャリアを積んだ、しかも“書ける”ミステリ作家が罹患しやすい病……“人間を書きたい病”にかかっているんじゃないか、という気がしちゃうわけ」
G「まあた、そんな大袈裟な。この作品だってそうですが、西澤さんはやはり相変らず本格というものに、もっともこだわりをもって書いている作家の1人だと思いますよ」
B「だと、いいんだけどねえ。あのスチャラカな『チョーモンインシリーズ』でさえ、じょじょに大河小説めいた方向にシフトしようとしているじゃない。そういうのを見ているとさ、なんとなくねえ」
G「いやあ、あれは単純にキャラクタ小説的方向が究まっていきつつあるだけでしょ。基本はやっぱり堂々たる本格ですもん」
B「だと、いいんだけどねえ」
 
●パズラーが行き着いた枯淡の境地……「奇術探偵 曾我佳城全集」
 
G「『曾我佳城』シリーズといえば、『亜愛一郎』シリーズと並んで名作の呼び声も高い、泡坂さんの本格ミステリ短編シリーズですが、先般『メフィスト』の増刊号で約7年ぶりに3篇の新作が発表されシリーズとして完結したのを期に、シリーズ全短編を集めた単行本が刊行されました。それがこの本」
B「たしか『天井のトランプ』『花火と銃声』の2冊にまとめられていた作品はもちろん、それ以外の単行本未収録作品も漏れなく収めたシリーズ全22作のパーフェクトコレクションだからね。ファンには嬉しいプレゼントになったろう」
G「全くもってその通りですね! この『曾我佳城』シリーズというのは、美貌の元奇術師である名探偵・曾我佳城が、奇術がらみの奇妙な事件の謎を解くというたいへんピュアなパズラー短編のシリーズ。『亜』ものほどには有名ではないかもしれませんが、たいへんクオリティの高い“謎-謎解きロジック”の骨格に加え、玄人はだしと言われる作者の奇術趣味が全編に横溢したたいへん楽しいシリーズです。未読の方には、これを機会にぜひご一読をお進めしたいですね。ぼくも今回、久しぶりに全編を通して再読しましたが、以前よりむしろ楽しく読めましたね」
B「ほう? んじゃ以前はそうでもなかったのかい?」
G「んー、やっぱどうしてもあの歴史的名作『亜愛一郎』シリーズと比べちゃうじゃないですか。そうすると、どうしても『佳城もの』ってどことなく薄口というか、あっさりしてるというか。食い足りない気がしてたんですよね。でも、今回読み返してみると、『亜』シリーズに比べてロジックやトリックに派手なけれんやサプライズはないのですが、じつはパズラーとしてじっつに無駄がない。といって計算し尽くされているというのとも違うのですが、まるで本格ミステリのエッセンスだけを抽出したような、純度の高さを感じたんです。これは、やはり傑作と呼ぶべきシリーズですね」
B「ふむ。たしかにそうなんだけど、『亜もの』と比較したときの物足りなさというのは、ある意味正解だと思うよ。基本的にこのシリーズというのは、謎にせよトリックにせよ、ロジックにせよ、可能なかぎりシンプルなものを、しかも可能なかぎり余計なものを削ぎ落とす形で提供していく。そういう作りなんだね。しかも、その傾向は……むろんシリーズの幕を引く役割を担ったラスト3作は別として……後の作品になるほど強まっていく。しまいには“パズラーの抽象画”というか、ほとんど枯淡の境地を感じさせるほど。謎解きにせよ、事件の解決の仕方にせよ、小説としての落とし方にせよ、どんどん小細工を減らして、しまいには素っ気無いと感じてしまうほどの作りになっている。それでもピュアなだけになかなか文句は付けにくいんだけど、『亜もの』に比べるとパズラーとしてミステリとしては面白みがない、というのは確かだと思うよ」
G「う〜ん、枯淡の境地ねえ。たしかに『佳城もの』が書き継がれていった時期というのは、作者がどんどん本格ミステリの本流から遠ざかっていった時期と一致していますからね。『亜もの』で顕著だった、一作ごとに工夫を凝らして読者を驚かそうという情熱はあまり感じられない。作者が大好きな奇術を前面にフィーチャーしているわりには、遊び心というのも希薄だし。そういう意味での食べ応えは、たしかに薄口ですし……パズラーの抽象化というのは言いえて妙かもしれません」
B「だからといって作者の本格ミステリへの情熱がうすれた、というわけではないと思うんだよ。これは作者が作者なりに、パズラー短編つうもの進化・深化させていったっつうことなんだろうね。その意味でもシリーズを通読してみるのは、なかなかに興味深い経験になるんではないかな」
G「まあ、“枯淡の境地”なんていうと、シリーズを知らない読者さんは味も素っ気もない世界を想像しちゃうかもしれませんが、パズラーとして非常にクオリティが高い、謎とロジックの魅力に富んだ作品集であることは保証します。機会があったらぜひ1度お読みになってみてくださいね!」
 
●ミステリ味「も」あるハーレクィン・ロマンス……「帰ってこない女」
 
G「古典ミステリ復活ムーブメント……というようなものがあるのかどうか知りませんが、忘れられた作家・幻の作品を次々紹介し、いまや『文庫界の国書刊行会』と化しつつある小学館文庫から、今度はラインハートの新訳です」
B「しっかし妙なものを引っ張り出してきたもんだよねえ。この作家さんはアメリカ作家なんだけど、活躍した時期はクイーンやヴァン・ダインよりさらに古い。ドイルあたりと同時代ということになるのかな。当時はたいへんなベストセラー作家だったらしいけど、今では『螺旋階段』という作品がミステリ年表に載っているくらいで(少なくとも日本では)ほとんど忘れられた作家だよね」
G「『解説』によれば欧米では今も読み継がれているそうですが」
B「うーん、悪いけど信じられないんだよなあ。まあ、私自身読んだのは前記の『螺旋階段』と今回の『帰ってこない女』だけなんだけどさ。ことさらあえて今、この人の作品を読む意義って正直あまりないんじゃないかなあ。強いて言えば骨董品的価値ってトコ? 有り体に言って何から何まで古びている上にかなりの通俗スリラー。いうなれば『ミステリ味もあるハーレクィン・ロマンス』ってところかな」
G「まあ、そういわずに。謎解き要素については言わぬが花ではありますが、読者の鼻面をつかんで引きずる回すようなサスペンス造りはさすがに堂に入ったもので。歴史的価値は別としても、とりあえずページをめくらせる消暇用スリラーとしては、まぁそれなりなんじゃないですかね。……ともあれ、ざっくりアラスジを」
B「金持ちたちの別荘地が立ち並ぶその島で、ひときわ広壮な別荘『夕陽館』。その家の娘であるヒロイン(語り手でもある)は、夏を過ごすべく夕陽館に帰ってくる。ところが、ヒロインの兄の元妻が手切れ金を要求して別荘に押しかけ、そのまま居座ってしまったため。ヒロインの優雅な夏は台無しに」
G「この元妻は『どこの馬の骨ともしれない』タチの悪い女で、これまでも高額な養育費を搾り取られて一家の内実は火の車。手切れ金など払える由もなく、ことに新しい妻を迎え子もなした兄の、元妻への憎しみはただ事ではありません。しかし、図々しく居座った元妻の様子は何者かに怯えているかのようで、どこかおかしい。かてて加えて不審な人影が跳梁したり無人の部屋のベルが鳴ったり、おかしな出来事が連続し不吉な緊張が高まるなか、元妻が不審な失踪を遂げます」
B「いわゆるゴシックロマン的な雰囲気に、ロマンチック・サスペンス風味の事件が配置されている。事件の構造はあきれるくらい単純なんだけど、非常に不自然な/作為的な/人工的なテクニックでもって、プロットは複雑怪奇なシロモノとなっているんだね」
G「ご存知の通り、この作家はいわゆる『あの時もし……していれば』派(Had I But Known/と)の代表格でありまして、そのテクニックが語り手のヒロイン視点で全開バリバリに使われているため、プロットが錯綜したものになっているわけですね。まあ、この『HIBK派』つうのはもっぱら蔑称という感じで……実際、これを多用すると『ご都合主義天国状態』になってしまうので、あまり望ましくないのは確かなんですが……」
B「まーったくねぇ。この作品でもウンザリするくらい使われてるわよ! ヒロインが怪しげな証拠品をめっける……気分が優れないのでそれきり忘れてしまう……『あの時もしちゃんと警察に渡していれば』。あるいは気になる話を聞き込む……何の気なしに聞き流す……『あの時その意味をちゃんと考えていれば』。バ・カ・か・オマエ・は! つまりだねー、これはとことんバカオロカで、状況に流されることしかしないというおよそ物語の推進役に相応しくないキャラクタによって、物語がとめどなく混乱しい破壊されていくというハナシなのよ。この手のとめどなく受動的なヒロインというのは、おそらくは当時の上流階級における『典型的な女性像』なんだろうけど、それがよりによって女性作家の手で書かれたという点に、当時の女性に対する抑圧の激しさちゅうもんがうかがわれて、まことに興味深いね」
G「うーん、まあ確かにこのヒロインの言動にはイラつかされることも多いんですけど、これは単純に当時のエンタテイメント造りにおける流行りのテクニックだったんじゃないでしょうかねえ。まあ、ちょいとサスペンスフルなメロドラマと思って読めば、それなりなのでは」
B「否否否否、断固否! 特に腹が立つのはラストよねー。無秩序におっぴろげた揚げ句、まったく回収されない伏線は数知れずって感じで。それなりに意外な真犯人・意外な真相が用意されているものの、そこまでさんざんその場限りのスリル演出が繰り返されて腹が立つやら呆れるやらでもはやヘトヘト。ありていにいってラストなんざどーでもいいって感じになっちゃう」
G「んー、だけどそれは、たぶん『本当にどうでもいい』んじゃないかな。この作品つうのは、ともかく前半〜中盤の『果てしなく翻弄される感じ』が全てで、そこを楽しむべきものって気がするんです」
B「ふむ?」
G「結末は、それこそハーレクィンと同じく予定調和のエンディングなんですから、まあ、これは付け足しというか。ついてさえいればいい、という程度のものなんじゃないかな。いわば昔の新聞小説や連続活劇のノリですね」
 
●過剰なダイエットは健康を損なう……「凶笑面」
 
G「紹介の順番が前後してしまいましたか、前回『パンドラS  BOX』をご紹介しました北森さんの、これも短編集の新刊。美貌&冷徹の民俗学者・蓮丈那智を主人公とする新シリーズの第一作です」
B「学会では異端と呼ばれる孤高の民俗学者である名探偵が、民俗学的・歴史的な謎を解くために訪れた旅先で、その民俗学的な謎とシンクロしたような事件に巻き込まれ、モロトモに謎を解く、という。まあ、歴史推理ものの変形なんだけど、民俗学ってのは柳田国男の昔からミステリ的な謎と謎解きの題材には事欠かない世界だからね。ものすごく肌が合う、というか、民俗学者探偵がいままでなかったのが不思議なくらいだ」
G「まさしくドンズバな設定であり、書き手は短編の名手・北森さんときては、これはもう期待せずにはいられません。実際、第1集からいきなり素晴らしく魅力的かつ高品質の仕上がりですよね」
B「さてね。そういいきるにはいささかの躊躇があるわけだけど……とりあえず内容に行こうよ」
G「なんなんですか〜、いきなりケチつけちゃってぇ。ま、いいですよ、内容ですね。えっと、収められているのは5篇。いずれも基本的には先ほどayaさんがおっしゃられたパターンで展開されていく物語で。『鬼封会』は、『鬼の首を獲る』という類例のない奇妙な祭から旧家の秘められた過去を探り、その家の娘が引き起こしたストーカー殺人の真相を探るお話。ちょっと視点を変えるだけでくるりと世界が反転させてしまう、名探偵の推理の鮮やかなどんでん返しが素晴らしいです。おぞましい笑みを刻んだ古い面に秘められた歴史の暗部を抉りだし、そこにその歴史的遺物を巡って起きた殺人事件の謎解きがシンクロする表題作の『凶笑面』。奇妙な構造を持つ古い家屋で起こった密室殺人の謎解きが、その家屋の意味を明らかにする『不帰家』……」
B「ちょっとした『懐かしいゲスト』が登場する『双死神』は、新発見の遺跡で発見された死体から『だいだらぼっち』の正体を巡る壮大な仮説とそれにまつわる陰謀を描いて、どうやら今後のこのシリーズの方向性を示している感じだね。で、ラストの『邪宗仏』は、両腕のない奇妙な古仏像の正体から、同じく両腕を切り取られた死体の謎解きが展開される……いずれもオーソドックスだが非常にツボを突いた、ひらたくいえばむっちゃ魅力的な素材ではあるんだがいずれもこなれてない。素材の旨味を生かしきれてないんだよ」
G「いや、そんなことはないでしょう。民俗学的な謎解き、現実の事件の謎解き、いずれも一切手抜きはないし、2つの謎解きが遊離しちゃっているということもない。ネタ的にはいささか贅沢すぎるくらいで。民俗学的な謎解きは『トンデモ』寸前の大胆さだけど、十分説得力有るし、ミステリ部分の仕掛けやトリックも悪くない。『不帰家』の密室トリックなんて、すごく感心しましたね」
B「だから問題はそこなんだって。つまり……ネタに比して各篇のボリュームが少なすぎるんだよ。2つの謎解きはいずれも手暇かけたネタだし、トリックや仕掛けもきっちり考えられている。いかんせんボリュームが足りないから、いずれも舌足らずになっちゃって。未整理な、雑駁な印象を与えてしまうのは、作者にとっては計算違いだったろう。ともかくこれだけオイシイネタや仕掛けが十分活かしきれてないって感じなんだね。もったいないわよねえ。それぞれこの1.5倍から2倍のページ数があって然るべき内容だ」
G「うーん、たしかにそういうキライはありますけど……短編パズラーとして必要な、あるいは求められるものが完璧に用意された、理想的な作品群であることは間違いないと思いますよ。それに「1」というからには、続いて書かれていくんでしょうし、じょじょにそういう弱点は解消されていくのではないでしょうか?」
B「まあそうなんだろうけどさ。もったいない、という気持に変わりはないわよ」
 
●特異な悪女像がユニークな非本格派としての側面……「底無沼」
 
G「これは『ふしぎ文学館』という叢書の一冊ですね。角田さんといえば主に戦後直後の、いわば国産本格ミステリの勃興期に活躍した作家さんで、『高木家の惨劇』『奇蹟のボレロ』といった長篇や探偵作家クラブ賞受賞作の『笛吹けば人が死ぬ』(本書に収録) あたりが知られていますね。この本にはデビュー直後の作から戦後の作品まで、執筆時期的にも内容的にもかなりバラエティに富んだ短編作品が選ばれているって感じ」
B「この人はミステリ史的には本格派とされることが多いようだけど、本署の巻末に付せられたエッセイなんか読むと、自分ではあまりそういう意識はなかったみたいだね。実際、この短編集でもガチガチの本格という作品はほとんどない。初期のものはホラー仕立てのサスペンスストーリィ、特異な女性心理を扱った異色の悪女ものが中心で、本格味が出てくるのは戦後の作品が中心だよね。まあ、本格とはいってもパズラーというより、トリックが大きく扱われるようになっている、という程度なんだけど」
G「うーん、まあそういうことになりますかね。いわれる前にいっちゃいますけど、初期の作品はちょっと拙い。大仰で装飾過多の文章もツラいし、構成も破綻しているケースが多い。ま、珍品というか好事家向きなんですが、それだけに中期から後期にかけてどんどん巧くなるのが如実にわかる。まことに興味深いですね」
B「まあ、角田さんのミステリ作家としての歩みを手っ取り早く俯瞰するにはいいかもしれない。本格ミステリと呼べるのはたぶん『下水道』一編だろう。ま、これもむちゃくちゃというかほとんど『トンデモ』なトリックでありどんでんなんだけど、作者がそれを大まじめに語ってるところが妙に可笑しい」
G「いや、あれはぶっ飛んでてぼくは好きですよ。破綻しまくりなんですが、果てしなく底が抜けていくような感じで愉快でした。あとぼくが面白かったのは、繰り返し登場する非常に特異な悪女テーマの作品ですね。『恐ろしき貞女』とか『沼垂の女』『悪魔のような女』あたり、計算高い悪女とも無垢な悪女とも違う非常に屈折した、変態的な、理解不能の悪女が登場する。ちょっと乱歩入ってる感じもするんですが、ともかくユニークな悪女像で……なんちゅうか、このヒトは女性に相当根深い恨みというか不信感を持ってるんじゃないか、って思っちゃうほど」
B「たしかにね。それらの作品では繰り返し『プロバビリティの犯罪』が扱われるんだけど、面白いのはそのミステリ的仕掛よりも、変態的な女性心理だし。或る意味サイコ・サスペンスのユニークな一変形といえるかも。たぶん、『この方向』が短編における作者のメインネタだったんだろう。探偵作家クラブ賞受賞作で、短編の代表作にあげられることが多い『笛吹けば人が死ぬ』もこの路線の延長上にある作品だ」
G「ですね。ただ、『笛吹けば人が死ぬ』はそれまでの作品と比べると悪女ものとしては洗練されているんですが、前述の得意な変態心理はざっくり削られている」
B「だね。ミステリとしては完成度が高いんだけど、悪女ものとしてはむしろ平凡で。いま読むと特異なサイコ像を描いた前述の『女』シリーズ(?)の方が面白いし、刺激的だね」
G「そういう意味で『高木家の惨劇』や『奇跡のボレロ』といった長編とは全く違う側面が見られるわけで、ファンならずとも一読の価値はあると思いますよ」
B「いや、まあ、そこまで持上げるのはどうかな。やっぱ基本的には好事家向き・マニア向きだと思うよ。むろんけっして退屈な本ではないんだけどさ」
 
●さよなら競馬シリーズ……「烈風」
 
G「さて、今年はずいぶん早く登場しちゃいましたね。年に一度のお楽しみ。『烈風』はフランシスの新作長篇です」
B「もちろん『この人はそれっきゃ書かないでしょ!』の競馬シリーズなんだけど、今回の主人公は気象学者にしてTVの天気予報官。皆無ってわけじゃないけど、競馬との関連はシリーズ中もっとも薄いお話ね」
G「そうですね。ほんっとにお話の中の彩り程度の扱いです。主人公だって競馬や馬にはほとんど興味が無いみたいだし……これはフランシスとしては異色作の部類でしょう」
B「以前、フランシス作品は競馬ドップリ度が強いほど面白く、薄いほどつまらない、という説を聞いたことがあったけど、この新作を読むかぎり当たってるってことになるかもしれないね。残念ながらさすがのフランシスもここへきてガックリ衰えたなーって感じがアリアリと窺われる出来だよねぇ」
G「うーん、現役最長老の1人という感じのフランシスですが、今回の作品はたしかに辛いですね。いや、半端なサスペンスよかよっぽど読めるんですが、競馬シリーズという傑作群のなかに置くと、さすがに……。ま、とりあえず内容行きましょう。えっと、ayaさんがおっしゃったように、主人公は売れっ子の予報官。バカンス代わりに友人の予報官と共に軽飛行機を駆って、ハリケーンの『眼』の中を飛ぼうという冒険に挑戦します。ところが想像を絶した暴風のなか、2人の飛行機は遭難し、主人公は1人嵐の海に放りだされてしまいます」
B「さては大自然との闘いを描く正当派冒険小説に挑戦したのか、と思いきや、冒険のシークエンスはここまでなんだなー。ともかく! 命からがら主人公は奇妙な孤島に流れつく。ひと気はないのに牛がいる。妙に厳重な金庫がある。そこで不審な書類を発見する。どうもこの島はおかしい……てな事を考えつつ、野生の牛の乳を食料代わりに生き延びてたんだけど、ようやく救援の飛行機が孤島を訪れるといきなりホールドアップされて拉致されてしまう。はからずも『知りすぎた男』となってしまった主人公の運命やいかに、と」
G「まあ、サスペンスを削ぐから書けるのはそれくらいでしょうか。前述の通り、競馬色は薄いですが、気象観測、タイフーン、嵐の海といった冒険小説ライクな前半部と、謎の文書にまつわる軽いエスピオナージュ風味の後半と。けっこうもりだくさんなプロットなんですが……」
B「その盛りだくさんさを貫く『幹』がない。この作家の場合、たいていそれは主人公のキャラクタと、彼の誇りもしくは勇気に関する自己回復の物語として展開するわけだけど、この新作にはそれがほとんどない。主人公が……フランシスの作品としては驚くべきことだが……まーったく『立ってない』。感情移入がまったくできないから、事件は多々起こってもてんで散漫な印象しか残らないんだね。まあ、プロットそのものもけっこうやっつけで破綻してる感じだけど、なによりこの主人公の印象の薄さが『フランシス老いたり!』っちゅう気にさせられる」
G「ですか、ねえ。やっぱり。まあ、つねに高値安定のフランシスにも、これまでだって多少の当たり外れの波はありましたから、今回のそれもそうした波の1つと思いたいところですが」
B「なんたって歳が歳だから、ねえ。名を惜しむなら、そろそろ筆を折ってもいいのじゃないか……といったら残酷すぎるかな。しかし、それくらい今回の衰えぶりはひどいと思うよ。哀しいことだけど、私は『さらば競馬シリーズ』だな」
G「まあ、もう1作様子を見ようじゃないですか。あれだけ長いこと楽しませてもらったんだもの。も少しだけつきあったってバチは当たりませんよう」
 
●完成度の高さが弱点……「前夜祭」
 
G「あー、『前夜祭』は昨年話題を呼んだリレーミステリ『堕天使殺人事件』に続き、再び『新世紀「謎」倶楽部』の面々が挑んだリレーミステリ。もともとは雑誌の『KADOKAWAミステリ』に連載されたものですが、なんでも同時期にネット上のウェブページに掲示板が設けられたりして、ウェブと連動してたそうですね。そっちは見ましたか?」
B「うんにゃ、まったく見てない。雑誌掲載時にも読まなかったし。今回、単行本で読んだのが初めてだよ」
G「ぼくもそうですけど、この本の方も巻末を見ると、『お話の続編』を募集してたりなんかして……まあ、いろいろ考えるもんですよね。さて、で『前夜祭』ですが、今回は『堕天使』とは執筆者が微妙に違うし参加している作家の数も少なめ。ついでにいえば事前の打合せも行われてたみたいで……いささか八方破れの感があった前回に比べ、ぐっとまとまった印象ではありますね」
B「リレーミステリという多分二実験的かつお遊び的な試みにおいては、“まとまってる”ってぇのは讃め言葉とはいえないかもしれないよ」
G「まあ、“まとまっている”というのも、何から何まで八方破れで破天荒だった『堕天使』に比べれば、の話ですから。というわけで、さて内容ですが、前述の通り今回は一定のコンセプト/設定に沿って各作家が持ち味を出していくという狙いだったようで。じゃあ、そのコンセプトはというと、要するに『ハリーの災難』。ヒチコックのブラックコメディチックなサスペンス映画ですね」
B「はた迷惑な『死体』を見つけてしまった人間達が、あっちに押し付けこっちに隠し、右往左往する様を皮肉たっぷりに描いた作品ね。でもってこの『前夜祭』は、同じシチュエーションを高校の学園祭を舞台にやろうという狙い。全校の憎まれ者の女教師が死体となって発見される。そんな憎まれ者の死体で、必死に準備してきた学園祭をお流れにされたくないし、まして“発見者”の自分が疑われるのもイヤ、と考えた生徒たちが知恵を絞って死体を隠す。が、また別のグループがそれを見つけて大慌て……という連鎖の繰り返しだな」
G「まあ、そうやって次々死体が動かされて行く中で手がかりが示され、推理が展開され、意外な犯人像が明らかになると。簡単にまとめるとそういう構図ですね」
B「せっかくだから個別に行こうか。まず冒頭を担当したのは芦辺さん。舞台作りにキャラクタ設定は手堅くまとめて、死体消失のサプライズまでサービス。こうしたイロモノのサービスぶりはもうお手の物だね。ちゃっかり自分の新作への伏線まで張るあたり、大した余裕って感じ」
G「その伏線をきっちりフォローしたのが西澤さん。すかさずコメディリリーフっぽいキャラクタを出して読者の笑い取ろうという戦術です」
B「いささか悪乗りしすぎの感もあるけど、まあ、さすがに読ませてくれるわよね。3番手の伊井さんはしかし、ちょっとばかし荷が重かったか。手練の作家連が顔を揃えているだけに、この項だけいささか素人臭く浮きまくり」
G「でも、個人的には、学園祭の出し物として登場する“箱迷路”というのは、なかなか面白そうだなあと思いましたよ。アレって実際にあるんですかね。ああいう出し物というかゲームというか」
B「んなこと知らないわよー。だけど、実際にやるにはちょっと無理があるゲームじゃないの? だいたい、それをメインストーリィの死体隠しに応用するのはチト無理無理ね。不自然だし必然性に欠けるという印象がどうしても残っちゃう。こうして並ぶとキャリアの差があからさまに出ちゃうわ」
G「続く柴田よしきさんはさすがに巧いし読ませますよね。それまでの男性作家とはまた違った切り口で、テーマに巧みにアプローチしてサクサク読ませます」
B「うーん、読ませるのは読ませるんだけど、このあたりから構成的にちょっと矛盾つうか破綻つうか……が出始めちゃった感じね。打合せOKだったはずなのに、なんだかひじょうに単純なケアレスミスをやらかしてるのはどういうこと?」
G「まあ、ミスはミスですが、致命的というほどではないでしょ。続く愛川さんがラス前というのにあっと驚く“真犯人”を指摘して、この人らしい飛び道具めいたサプライズを演出してくれたのは嬉しかったな」
B「まあ、愛川さんと、つづくラスト担当の北森さんは企画担当だそうだから、これは狙い通りの確信犯でしょ。いうまでもなくこのリレーミステリでいっちばん大変なのはラストを担当する作家なのだけど、北森さんのまとめ方は……ちょっとセコくない? この手」
G「いや、これをセコイといっちゃあ気の毒ですよ。ともかくアンフェアスレスレのところで大どんでん返しあ〜んど着地を決めていますし。伏線の回収の仕方としてはとりあえず満足できるレベルでしょ」
B「あれを大どんでん返しとはいえないと思うけど、まあ『堕天使』みたいなトンデモな手は使わずに済んだようね。でも、逆にそのことが物足りなかったりして、いささか予定調和の解決、計画通りの犯人って感じも少々。すっきりまとまっちゃあいるんだけどね」
G「まあ、回収されてない伏線などもあるわけですが、そのあたりは“読者による”続編募集企画にリンクしているというところでしょう。リレー長篇としてはクオリティは高いと思いますよ」
B「まあ、リレー長篇なんつうイロモノに緻密さを求める方が間違ってるのかもしれないけどね。企画に参加させる顔触れはくれぐれも慎重に選ぶべきよね。ま、選ばれた方もオノレの実力を鑑みて参加の諾否を決めるべきなのはゆーまでもないことだけどさ!」
#2000年8月某日/某スタバにて
 
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