battle56(12月第2週)
 


[取り上げた本]
 
1 「ラグナロク洞 あかずの扉研究会 影郎沼へ」 霧舎巧           講談社
2 「冷えきった週末」       ヒラリー・ウォー           東京創元社
3 「麦の海に沈む果実」      恩田 陸                 講談社
4 「コフィン・ダンサー」     ジェフリー・ディーヴァー        文芸春秋
5 「動機」            横山秀夫                文芸春秋
6 「箱ちがい」          スティーヴンスン&オズボーン     国書刊行会
7 「大聖堂の悪霊」        チャールズ・パリサー          早川書房
8 「ベウラの頂」         レジナルド・ヒル            早川書房
9 「マスグレイヴ館の島」     柄刀 一                 原書房
10 「猫の手」           ロジャー・スカーレット          新樹社
 
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●上出来の“ミステリマンガのシナリオ”……「ラグナロク洞」
 
G「今回の1発目は霧舎さんの“あかずの扉研究会シリーズ”の新作。これで3作目ですか」
B「1作目が“館”、2作目が“孤島”、そしてこの3作目が山奥の閉鎖的な村。“外界から閉ざされた空間”という設定の必要というよりも、古典的本格の王道を確信犯的にトレースしている感じね。今回は舞台設定からすると“横溝正史ノリ”なんだけど、例によって余りにも薄っぺらな描写力(というよりその無さ)のために、“あの雰囲気”はまったく伝わってこない。記号としての舞台、記号としてのキャラクタ、記号としての謎……何から何までまーったく、思い入れというものを感じさせてくれないんだよな。この作家は本当に本格の世界が好きなんだろうか、と疑問に思っちゃうぞ」
G「まあ、ともかく内容に行きましょう。閉鎖的な山村・影郎村を訪れた“あかずの扉研究会”のメンバーは、落盤事故により、数人の村人その他と共に奇怪な本尊が奉られる洞窟に閉じこめられてしまいます。やがて二重に閉ざされた洞窟の中で、勃発する連続殺人! 被害者はいずれもダイイングメッセージを残しているにも関わらず、解読不能で犯人の正体は不明のまま。そして被害者をつなぐ糸もわかりません。謎めいたダイイングメッセージが意味するものは? そしてミッシングリングをつなぐ糸とは?」
B「というわけで、ミッシングリンクにダイイングメッセージが今回のネタ。そこへ宗教ネタのどんでんを絡めて、まずはミステリ的な仕掛けは十分なはず、なんだが」
G「マンガチックな外面とはウラハラに、パズラーとしてはけっこう考え抜かれた精緻な謎解きなんですよね。伏線の張り方も丁寧だし、犯人を絞り込んで行くロジックもきれいです」
B「なのにどうしてこうも、つまらないのか! というと、これはもう例によって小説づくりが最悪にヘタクソなんだよな。ともかくソコがドコで、ダレがナニをいってるのかさえよーわからん! ってことが実にしばしばある。こらもう信じられないくらいの独りよがりで、ことこの点に関していえばアマチュアレベルといっていい。おかげで、本格としての核はさほど悪くもないのに、せっかくのそれをことごとく殺しちゃってるわけ」
G「まあ、そこまで酷くはないと思いますが、きっちり描写されないまま舞台やキャラクタがぽんと投げ出すように配置されているので、せっかくの趣向にあまり奥行きが感じられ無い。というか、味わいに欠けるのは否定できませんね」
B「結果、サスペンスも恐怖もサプライズもまったくない。普通さあ、ああいう舞台であれほどの事件が起これば、黙ってたってサスペンスが盛り上がるはずなのに、読者にも作中人物にも、最後の最後までとんとキンパクカンつうものが生まれないんだよな」
G「まあ、この作家さんの場合、様々な意匠を凝らしたモロモロも、ある種、記号としての舞台であり記号としてのキャラクタであるわけで。本格ミステリの人工性を極限まで追求したような世界観なんですね。本格としてのその善し悪しは別として、こういう行き方って、清涼院師などの若い書き手を中心にじょじょに増えてる気がします。オールドマニアには少々辛いのは仕方がないのかも」
B「っていうか、そこは小説としての基本だろう。最低限のリアリティ……作品世界を支えるものとしてのそれがなくて、どうやって楽しめというんだよ」
G「だからこのシリーズは、“そういうもの”として楽しむしかないのでは? 少なくともネタは悪くないのだから、多少の節は曲げてもその価値はあると思いますが」
B「なあにをいってるんだか! そりゃもちろん“ミステリである前に小説である”なあんてヤボはいうつもりはないが、これらはどうしたってミステリとして必要な技巧であり、お約束ってもんだろうに。このままじゃ、どこまでいったって上出来なミステリマンガのシナリオでしかない。いや、むしろこの際このままコミックにすべきだね! その方が100倍面白くなったに違いないんだから」
G「う〜ん。本格としての骨格は、本気でいいと思えるんだけどなあ」
 
●あまりにも典型的な“名探偵のための事件”……「冷えきった週末」
 
G「警察小説の巨匠とされるヒラリー・ウォーが残した“本格ミステリ”だそうで。帯には“105項目のデータが指し示す犯人は? ウォー会心の本格ミステリ”てな惹句が踊り、否応なく本格魂を刺激されちゃいますねー」
B「ウォーというと昔の作家という印象だけど、これは1965年の作品だからそれほど大昔の作品というわけじゃない。しかし、けっこういろんな傾向のものを書いていたんだねえ。まあ、そうはいっても警察捜査をきめ細かに描いていくという手法は、この作品でも同じなんだけどね」
G「古典的な本格ミステリの“次”をめざしてリアルな警察小説を書いていたウォーが、スタイルはそのままに、なぜか本格ミステリとしての謎解きテイストを強く意識して書いたのが、この作品ですね。ある種の原点回帰というか……まあ、内容の紹介をしておきましょう。舞台はコネティカットの田舎町。ある雪の夜、町一番の金満家の邸宅で開かれた名士ばかりを集めたパーティの席上から、1人の夫人が姿を消します。夫人は翌朝、町外れの寂しい雪道で、無残な死体となって発見されます。夫人はなぜパーティから1人で引上げたのか。そして、誰が、なぜ殺したのか。調べが進むにつれ、謎は縺れに縺れていきます」
B「一見単純そうな事件が、調べるほどに縺れまくり、町の住人たちの(隠されていた)醜悪な姿があらわになっていくというモチーフは、『この町の誰かが』を連想させるな。まあ、そのあたりは今回は脇筋で、メインはやはり地道な捜査から集められる膨大な証拠の数々から導き出される、これまた膨大な仮説ー検証の繰り返しが、読みどころということになるだろう」
G「前述の通り帯の惹句にもある“105項目のデータ”に基づく推理&検証のくだりですね。まあ、この部分に限らず名探偵役のフェローズ署長が展開する仮説に次ぐ仮説の嵐は、ちょっとモース警部を思わせるほどで。縺れた謎解きの醍醐味は存分に味わえるといっていいでしょう。ただし、本格テイストの復活を目指したとはいえ、作品における力点の置き所はやはりパズラーとは少々ズレがあるような気はします」
B「たしかにね。モースものに比べたら気の毒になる。提出される仮説はいずれも、本格ミステリのロジックとしてはいささか以上に物足りないものばかりだし、最終的な謎解きにもとんと切れ味がない。いかにも“名探偵不在の警察官の捜査”という感じそのものだ。読み終えてみるとやはり警察小説だなあ、と思っちゃうんだよねえ、やっぱり。……そのくせラストのツイストなんてのは、典型的な“名探偵のための事件”になってしまっているあたりが、どーにも笑っちゃうけどね。至極丁寧に書かれてはいるんだが、どうしようもなく不器用というか」
G「ですね。本格ミステリをやろうとしたとたん、いきなり本格ミステリの典型的弱点をきれいにトレースしちゃってるんですよねえ。このラストのどんでんはちょっと脱力ですが……でも、本格としてどうだ、という意識を外して読めば、まあそれなりに面白いし。あのウォーが試みた本格ということで、やっぱりマニア的には読んでおきたい1作でしょう」
B「まあ、ね」
 
●ミステリ風味のギムナジウム・ファンタジィ……「麦の海に沈む果実」
 
G「続きましては恩田さんの新作長篇。一部では2000年は“恩田陸の年”だったという声さえ上がっているそうで……実際大した活躍ぶりでしたよね。この長篇は雑誌『メフィスト』に連載されていたもので、かの話題作『三月は深き紅の色』の続編(?)とかいう問題作です」
B「続編というのはちょっと違うだろう。実際、ストーリィ上の関連はほとんどないし、それぞれの書名をキーワードにしたパラレルな別世界譚というところだな」
G「で、『麦の海』ですが、ミステリ、SF、ファンタジィとエンタテイメントの領域で横断的な活躍をしてらっしゃる恩田さんの作品群の中では、もっともミステリ色の強い方かな。『メフィスト』連載作品だからというわけではないでしょうけど」
B「まあ、雰囲気的にはそうかもしれないが、ミステリ的・本格ミステリ的な要素はあくまで意匠もしくは小道具としてのタームに過ぎなくて、基本的にはゴシックロマンネタの少女マンガを、お得意のタッチで描いた“ギムナジウム・ファンタジィ”だと思うね」
G「なんすか、その“ギムナジウム・ファンタジィ”つうのは?」
B「仔細後述! とりあえずアラスジをやっつけちゃってちょーだい」
G「ふーん。ま、いいか。えっと……舞台は、北海道の人里離れた地に佇む、城塞めいた全寮制の学園。独自の教育方針と充実した設備を持つその学園で学んでいるのは、それぞれ不幸な、あるいは事情があって預けられた良家の子弟ばかりです。存在そのものが謎めいていて、大きな秘密を感じさせるその学園に、季節外れの2月の転校生としてヒロインがやってきます。なぜかその時から学院生の間に奇妙な動揺が生まれ、奇怪な状況のもとで生徒たちの“自殺”が相次ぎます。やがて、主人公と仲間たちの活躍でいくつかの謎は解かれますが、同時にさらに大きな謎が次々出現。やがて、それらは学園の秘密の中枢とヒロイン自身の封印された記憶に結びついて、驚くべき奇怪な真相となって姿をあらわします……」
B「全編がひどく謎めいていて幻想的な雰囲気の演出も抜群だし、サスペンスたっぷり。まさに上出来の“ゴシックロマン”を読むような心地だな」
G「ん〜、ゴシックロマンといったらいささか焦点がズレるでしょう。といって本格ミステリというのも躊躇しちゃうんですが。まあ、その両者の美味しいところを総取りした、恩田さんらしいジャンルミクスな作品というところかな。本格ミステリ的な仕掛けも、コアにあるどんでんはいささか使い古された手だし、技術的にもアラが見えるんですが、これを衛星のように寄り囲む小謎とその謎解きの数々が加わることで、とーってもゴージャスな印象に仕上がっている。特に後者は、ちょっとチェスタトンを思わせる幻想的な“謎ー謎解きの構図”で魅力たっぷり。1つ1つは小ネタなのですが、総体としてみると実に魅力的な味わいがあります」
B「だからさー、例によってそれは全て“雰囲気として”の謎であり謎解きでしかないのよね。どーこがチェスタトンよ! ベッタベタな少女マンガノリをはぎ取ってご覧よ。残るのは貧相で安直な謎ー謎解きばっかし! あんなの雰囲気の演出小道具として以上の意味はないでしょ?  こうしてみるとやっぱ作者が書きたかったのは、ゴシックロマンな骨格でこさえたギムナジウムモノの少女マンガ……『トーマの心臓』や『風と木の歌』に代表されるアレね……だったというしかないわよね。まあ、ホモネタを抜いて、ミステリガジェットを加えたのは、行き届いたマーケットリサーチのタマモノってところじゃないの?」
G「いやあ、いささか丸見え感のあるメインネタにせよ、サプライズの演出の仕方も含め本格ミステリ的な趣向は十二分に意識してらっしゃると思いますし、小ネタの謎解きの数々にせよ、“あの雰囲気・あのノリ”のなかでは十二分にアリでしょう。つまり、ネタの弱さを演出とストーリィテリングでカバーしているわけで。この場合、正解だったように思うのですが」
B「はん! どっちが主でどっちが従かといえば、やっぱ逆。あくまで雰囲気メインの作品だと思うね。ともかく謎も謎解きも雰囲気に流されまくりで、ミステリとして読むとあまりにも中途半端な印象。ともかく“ミステリの読み方”では、到底読めたもんじゃないだろう」
G「“本格として”はそうですけど、恩田流のジャンルミクスなエンタテイメントとして楽しむぶんには、なんの問題もないんじゃないですか? まあ、これはこれでいいんじゃないかな、と」
B「そりゃまあそうかもしれないけどさ、本格ミステリのフリをするのは、んもーいい加減やめにしてもらいたいッて感じよねえ」
G「それは……勝手に期待して勝手に裏切られてるだけの、“自爆”ってやつだと思うけどなあ」
B「キミにいわれたくないな、キミに!」
 
●強力なリーダビリティが最大のミスリード……「コフィン・ダンサー」
 
G「ウチあたりで今さら取り上げるまでもない傑作なんですが、一応これにも触れておきますか。いまいちばん“旬”の作家・ディーヴァーの『コフィン・ダンサー』は、ごぞんじ『ボーン・コレクター』に続くライムシリーズの第2作です」
B「まあ、同じベストセラーでも、『ハンニバル』なんかに比べるとこのシリーズは本格味が強いし(むろんバリバリの本格とはいえないんだけど)、私的にはこっちのが百倍面白かったからねー。取り上げることに不満はないよ」
G「つーわけで『コフィン・ダンサー』ですが。今回の主題は四肢が麻痺した障害者でありながら世界最高の犯罪学者であるリンカーン・ライムと、神出鬼没で誰もその正体を知らない史上最強の殺し屋コフィン・ダンサーの一騎打ち。大物武器密売人の有罪を証明する目撃証人を抹殺するため、凄腕の殺し屋コフィン・ダンサーが雇われた! 変幻自在に姿を変え“人を欺く”達人であるかれに狙われて、生き永らえた者はかつてない……。厳重な警護をものともせず証人に肉薄するコフィン・ダンサーに恐怖した警察は、再びライムの協力を仰ぎます。微かな痕跡から殺し屋の正体を分析し、その“次の一手”を探り出し罠を張ろうとするライム。そしてそのまた裏をかこうとする変幻自在なコフィン・ダンサー。両者の知力の限りを尽くした闘いが始まります!」
B「大陪審が始まるまでの45時間の対決を描いた、高密度タイムリミット・サスペンスであり、最新の科学捜査をディティール豊かに描き出した迫真の警察小説であり、プロ同士の壮絶な“読み合い”と騙しあいを描く……これはなんだろうね、謎解き小説か? ……であり、という感じで、自分でいっててやんなるくらい盛りだくさん」
G「しかもそのいずれにおいても、読みどころ満載なんですよね。実際、冒頭からクライマックスに次ぐクライマックスで、ほんっとに息つく暇がない。簡潔だが奥行きのある人物造形で立ちまくりのキャラクタ群も見事だし、ディーヴァー作品のお約束というか、ラストのとんでもないどんでん返しのサプライズもこれまた強烈で。本格味たっぷりの謎解き&サプライズも満点ときては……なんちゅうか、現代エンタテイメントが求められる要素を全て、それもたーっぷり備えたゴージャスきわまりない極上品といっていいんじゃないでしょうか」
B「まあ、それはその通りなんだけどね。ただ当然のことながら、謎解きに関しては作者はじっくり推理を巡らせて楽しむような余裕は与えてくれないから、そこんとこ誤解しないように。こっちはもうライムの繰りだす明哲神の如き推理を、呆気にとられて拝聴するしかない、つうのが基本パターン。実はじっくり考えれば、本格読みなら気づくであろうあるパターンを使っているんだけどね」
G「でもまあ、実際には“当てる”のは無理でしょう。ページをめくるのに忙しくて推理する余裕がない。強力無比なリーダビリティが、最大のミスリードになっているんです」
B「しかし、話は違うがラストのサプライズ、考えようによっちゃおっそろしくアザトい印象がないではないよね。もともとこの作家さんにはドンデン返し至上主義みたいなトコがあってさ。特に『静寂の叫び』以降はほとんどそれが執念になってるみたいで、ラストでは何が何でもトビキリのサプライズをこさえずにはおれないんだな」
G「いいじゃないですかぁ! 今回のは特にドンデンに次ぐドンデンで、ことにラストのそれはさらに強烈無比。ほとんど開いた口がふさがらないって感じでしたが」
B「だけどね、そのドンデンがやりたいばっかりに、今回は肝心のコフィンダンサーのキャラクタが少々薄っぺらというか……史上最強の殺し屋らしからぬお粗末なキャラに見えないでもない。印象、薄い。というか弱いんだよね」
G「それは作品の構造上、つうか都合上つうか……仕方がないんじゃないですか? ああいうキャラクタなんだし。むしろ明確な印象が残らないところが、彼の凄さだというわけで」
B「……巧いこというよねぇ。いよッ、この詭弁大将!」
G「人を詐欺師みたいに言わんでくださいッ!」
 
●“組織と人間”への徹底したこだわり……「動機」
 
G「今どき珍しい警察小説の短編集『陰の季節』でデビューした横山さんの第2作品集は、こちらも粒よりのミステリ短編4編を収めた短編集。なんと表題作が第53回日本推理作家協会賞を受賞しました!」
B「驚いたっちゃあ驚いたが、内容のクオリティからいえば全然不思議はない。というか当たり前だよね。昨今のミステリ界には珍しい、大人の短編小説集だもんな。こういうじっつにまっとうに小説している作品を読むと、新本格なんぞ、なんちゅう幼稚な小説じゃろかいな〜と哀しい気分になってくるね」
G「う〜む。そうきましたか。……ま、いいんですけど。えっと、今回は表題作こそ警察が舞台なんですが、他はみんな非警官ものっていうのが特長でしょうか。まあ、舞台は違えど、どれも間然するところのない“見事な小説”であることに変わりはないんですが」
B「とりあえず推理作家協会賞受賞の表題作のストーリィだけど、相変わらず着眼のいいプロットだな。主人公は警察の警務課という、普通の会社でいう総務みたいな仕事を担当している警官なんだけど、彼が推進した“警察手帳の一括管理”システムが裏目に出て、所轄緒から三十冊もの警察手帳が盗まれるという事件が起きる」
G「責任を問われた主人公は勝手に捜査を始めるわけですが、調べれば調べるほど内部犯行としか思えない状況……しかももっともありえない人物が犯人としか思えない、という状況になってくるんですね。いったい何故? という、いわばホワイダニットがメインの謎になっていくわけです。警察官という特殊な職業の人間心理を深く掘り下げ、それをじっつに巧みな手つきで事件の謎解きにシンクロさせていく。作者お得意の手法なんですが、これを抑制の利いたリアルな警察内部の描写と組み合せることで、短編ながらまことに奥深い、どっしりとした読みごたえのある作品に仕上げている。巧いですよねぇ、ほんとに呆れるくらい巧い」
B「作者はたしか元新聞記者で、それも特ダネを抜くのが大得意な敏腕だったそうだけど、さもありなん。非常に人間観察に長けた書き手、っていう印象があるんだよね。いうなれば警察という組織とそこで生きる人間を、冷徹に、しかしどこまでも真摯に見つめる視線ちゅうもんがここにはある。むろん、その揺るぎない視線は警察以外の組織に向かった時も同様で、地方新聞が舞台の『ネタ元』も裁判所が舞台の『密室の人』も。その意味では、服役を追えて出所した元殺人犯が巻き込まれた事件を描く『逆転の夏』はちょっと異色か」
G「そうですね。よんどころのない理由からじわじわ奇怪な犯罪計画に巻き込まれていく元殺人犯の苦悩を描いたこの作品は、ミステリ的といえばいちばんミステリ的な仕掛けが施されていますよね。しかし、その場合も作者の視線はあくまで、他の作品同様“ある極限状況”に追い込まれた人間を描くことに向けられている。陳腐ないい方ですが、人間を描くことがそのままミステリになっているという感じです。ともあれいずれもヘンに捻ったり、小細工を弄したりは全くしてないんですが、それでいてそこにはやっぱりミステリとしてのサプライズも短編小説としての切れ味もきっちりある」
B「新しさなんてのは、多分ほとんど無いんだけどね。また、ミステリ的な趣向だけを取りだせば、いずれもなんてこたぁない作品なんだ。だけど……近来これだけ正しいエンタテイメント小説というのはめったにお目にかかれない。本格とはいえないけどね」
G「小説好きはすべからく読んでおくべき一冊、と取りあえずいいきっておきましょう」
 
●大英帝国のスラップスティックコメディ……「箱ちがい」
 
G「これはまた珍品中の珍品の登場ですね。スティーヴンスンというのはあの『宝島』の作者。で、オズボーンとは彼の息子というか継子だそうで。つまり親子の共作なんですが」
B「スティーヴンスンという作家は、日本ではたぶんそれこそ『宝島』くらいしか知られていないけど、アチラではいわゆる一つの文豪ってやつ。海洋小説から怪奇小説、冒険小説等々様々なエンタテイメントを量産していたらしい。んで、継子のオズボーンという人は作家専業ではなかったらしいけど。解説によれば、彼が戯れに書いたそれを一読したところ、これがえらく面白い。ってぇんで、文豪であるスティーヴンスンがさっくり手を入れて、出版の運びとなったという」
G「内容はヒチコックの『ハリーの災難』によく似た、死体ネタのブラックコメディという感じ。ミステリ味はさほどないんですけどね」
B「ミステリといやあ、この本自体の出版にまつわる経緯の方がよっぽどミステリーかもしれないね。そのあたりは解説に詳しいんだが、要するに編集者のミスと作者の横着(?)で、不完全な原稿がそのまま本になっちまい、その後幾度も改訂の機会はあったのに、結局直されないまま版を重ねてきたということらしい」
G「さて、肝心のお話の方はこんな感じです。舞台は大英帝国華やかなりし頃の英国。トンチン年金という、奇妙な年金制度に加入した37組の家族がありました。トンチン年金、説明しておきましょうかね。これは加入者の家族がその子供に一定の金額を掛けるんですね。で、後はひたすら待つ。何十年も待つ。すると加入対象の子供はやがて大人になり、事故や病気やその他様々な原因で死んでいく。結果、数十年が過ぎて最後に残った1人が、利子で膨れ上がった掛金を総取りする、と。いわば長生き比べのサバイバルゲームなんです。……このトンチン年金については、別のミステリ作品で言及されているのを読んだ記憶があるんで、たぶん実際に存在した年金商品なんでしょう。まさか今はあるはずないですけど」
B「まーったく、事件を起こしてくれといわんばかりのシステムよねー。当然のようにこの作品でも“生き残り”が最後の2人になった時、事件つうか、ドタバタが起こるわけ」
G「まあ、加入者本人はもういいかげん爺様ですからお金にはあまり興味が無いのですが、その子供たちが“ここまできたら、保険金ゲットだぜ!”と考えちゃうのは無理からぬ話で。食い詰めた不肖の息子が悪巧みを巡らすうちに、当の自分の爺様が頓死(したと思い込み)、バレたら終わりと爺様の死体(と思い込んだ)を隠して、あの手この手で爺様健在! というアピール工作をします。ところが隠したはずの死体が、偶然の連続であっちへふらふらこっちへふらふら。そこかしこで騒動を巻き起こす一方、隠蔽工作したのがアダになって息子の方はどんどんフトコロが寂しくなっていく。……大昔の作品とは思えぬくらいスピード感のある物語には、ブラック&スラップスティックなギャグも満載。そのあたりのキッチュでモダンな感覚はかなり新鮮でしたね。ちょっとチェスタトンの『木曜の男』を思わせるファンタスティックなドタバタ劇って感じで、ぼくは多いに楽しみました」
B「『木曜の男』というのはちょいと違うんじゃない? やっぱ雰囲気的には、ごっつ俗っぽくスピード感のあるディケンズかなあ。まあ、文豪が手遊びで書いた妙な珍品というのが妥当だろう。ミステリ的にどうこういうほどの仕掛けがあるわけじゃないし、好事家向けちゅうトコロだな」
G「好事家向けってのはちと惜しいなあ。まあ、新刊で買うほどでもないんでしょうが、だからといって文庫化されるかどうかは微妙なところ。興味のある向きは、図書館で借りて読まれてみてはいかがでしょう」
 
●騙りの迷宮・語りの悦楽……「大聖堂の悪霊」
 
G「パリサーといえばやはり『五輪の薔薇』。この処女作にして空前の超大作あ〜んどベストセラーの作者による、これは長篇第4作ですね」
B「実はその処女作と第4作の間に発表された2冊(現代ものらしいが未訳につき未読)は、とんと評判にならなかった。というか有り体にいえば不評で。原点に返って再び19世紀の英国を舞台に取ったこの第4作で、人気回復を果たしたということらしいね」
G「『五輪の薔薇』は、ごっつ面白いけどミステリとはいい難かったんでGooBooでは取り上げなかったんですが、こちらは思いきりミステリしてるのでピックアップしてみました。解説氏も新本格愛読者が読むといいんじゃないか、てなことを書いてらっしゃいます」
B「うーん、それはどうかなあ。たしかにミステリしてはいるんだけど、“本格読み”がこいつを気に入るとは思えないんだよねぇ。たしか物語の構成力は舌を巻くほどなんだけど、これはやっぱり小説作りの才能だろう」
G「……というようなご意見は取りあえず放っぽっといて、内容に行きます。主人公は歴史学の大学教師。遠い昔に仲たがいした旧友に招かれ、数十年ぶりに大聖堂のある町・サーチェスターを訪れた彼には、1つの目的がありました。それは自分の歴史研究に関わる貴重な史料を見つけること。もし発見できれば斯界の話題となり、大学での地位も安泰。主人公は大聖堂の附属図書館に狙いを付けます」
B「ところがその大聖堂には奇怪な伝説があったんだな。250年前、聖堂の修復工事に絡んで起こった殺人事件に未解決の謎が残っており、その時の被害者の亡霊が大聖堂をさまよっているというんだな。史料探しと並行して、旧友や知りあったばかりの学者たちと謎解き論議を交わす主人公。やがて知りあったばかりの人物が殺され、遠い過去のできごとだったはずの事件が奇妙な形で主人公を脅かし始める、と」
G「過去と現在の事件が複雑怪奇に交錯する二重三重の迷宮構造は、どこか『薔薇の名前』を思わせます。1つの事象がページをめくるごとに別の貌を見せるというか。ぱたりぱたりと音を立てて全ての意味が裏返って行くというか。このあたりの技巧の冴えは、ちょっとそんじょそこらのミステリでは味わえません」
B「うーん、しかしね、そのあたりの技巧というのは前述の通り徹底して小説技巧としてのそれであってさ。いわゆミステリ、本格ミステリのどんでん返しの快感とはずいぶん違うものなんじゃないかな。たしかに謎解きは二転三転するんだけども、本格ミステリ的な謎解きロジックのどんでん返しとはかなり手触りが違うしね。一見、ミステリそのものに見えて、その面白さの大半は全然別物なんだ。ミステリを楽しむつもりで手に取ると、たぶんかなりツライことになると思うよ」
G「それはちょっといい過ぎじゃないかなあ。たしかに本格ミステリのそれとして見ると物足りない部分は多々ありますけど、小説としての豊饒さと相まって、これはなかなかどうして読みごたえのある作品といえるのでは」
B「こういうのを小説としての豊饒さというのかねえ。ちょっと違うんじゃないの? たしかに構成力は確かなものだし、様々な文体を描き分け、読み進むに連れて手記を書いている主人公のキャラクタが自然と浮かび上がってくる文章力は凄いと思う。例によって19世紀の英国社会を活写したディティールの見事さも相変わらずだしね。しかし、そうした技巧の方が目に付いて、逆に物語への没入感というのは、あまり味わえなかったな」
G「まあ、クイクイ読ませるエンタテイメント、というのとは違いますからね。実際、じっくり時間をかけて読まないと楽しめないタイプの本ではあるし。でも、たまにはこういうのも読んでおきたいな、とぼくなんぞは思ってしまうな」
 
●“小説”がミステリを飲み込む時……「ベウラの頂」
 
G「ヒルの『ベウラの頂』、行きましょう。現代英国本格派の雄・ダルジール警視シリーズの新作です」
B「厚い本よね〜。なんでもポケミス史上最厚? らしいわね〜。おまけに定価1800円! ハードカバーと変わらんがね〜。とことん厚くなった揚げ句、本格ミステリから逸脱していったP・D・ジェイムズを連想して不安ぶりぶりだっけどね〜。まあ、たしかに“文学”方面に片足突っ込んでる気配がアリアリなんだけど、読み心地はさほど晦渋ではなかったわ」
G「ですね。むしろ、ダルジールものとしては読みやすい方って気がしちゃいましたよ。まあ、もともと小説作りの巧い作家さんですからね。悠揚迫らぬストーリィは、のんびりしているようで変幻自在。まさにこいつも小説の巧さで読まされてしまう感じです。といってミステリ部分の手を抜いているわけでは全然なくて。これほどの大作にも関わらず、縦横に張り巡らされた伏線が実に見事で……その複雑精妙な伏線は事件の謎解きだけでなく、そのまま“1つの村を見舞った壮大な悲劇”を描き出すキーワードになっているんです。なんちゅうか、謎解きと小説としてのテーマが鮮やかにシンクロしているんです」
B「だからってわけじゃあないけど、まあ本格ミステリとしての趣向だけ取り上げても、てんで意味のない作品であるわよね」
G「うーん。とりあえず内容に行きましょうか。……舞台はベウラと呼ばれる美しい山の麓にあるのどかな山里。実はこの村、間近に迫ったダム工事のため、湖の底に沈められることが決まり、住民たちは移転の準備を進めているんですね。そんな村で相次いで3人の少女たちが失踪します。警察の必死の捜索にも関わらず少女らの行方は杳として知れず、唯一の容疑者としてあげられた“村の変人”も姿を消し……やがて、ついに事件は解決されぬまま、村はダムの底に沈んでしまいます」
B「で、15年の月日が流れる、と。村人たちは元の村からもほど近い町に移り住んでいるんだけど、平和な暮らしを送っていてもどこか15年前の謎めいた“悲劇”の記憶をぬぐい去れない」
G「そんなある日、ふたたび新たな少女失踪事件が発生します。しかも町のあちこちには、かつて容疑者に擬せられた青年の“帰還”を告げる落書きが……15年前の屈辱を晴らすべく、ダルジール警部率いる捜査陣は、執念の捜査を開始します」
B「名探偵があらゆる方向から捜査を進め、推理を巡らすわけだけど、ダルジールが頑張れば頑張るほど謎が謎を呼んで、まさに悪夢のような様相を呈してくるんだな」
G「そのあたりの謎また謎の迷宮めいたイメージや、ラストの悲劇的イメージの鮮烈さもあって、ぼくはどこかあの『ツイン・ピークス』(TVドラマ/デビッド・リンチ作品)を連想しちゃいました」
B「まあ、スーパーナチュラルな要素なんぞないし、アレとは違って謎も最終的には奇麗に解かれるわけだけど。雰囲気は……そうね、どこか似ているかもしれない。全編に漂う“失われた子供”という痛切な喪失感……悲劇的なイメージが、なんとなく共通するのかな」
G「さらにいえば、この作品にあっては“失われた子供”というイメージがそのまま“失われた故郷”というイメージと重なり合い、響きあって、美しくまた哀切な悲劇を歌い上げていくわけですよ」
B「これでもう少し謎解きなりに切れ味があったら、言うことないんだけどねー」
G「んー、たしかにそうなんですが、小説としてこれだけ高い完成度を見せつけられちゃうと、本格ミステリ的なギミックは不要かなあという気もしてきちゃいます。前述した通り、このブ厚い本の全編に張り巡らされた伏線を、しかも一部の乱れもなくコントロールして、ミステリ的な真相と物語としての真相を呼応させる作者の手際には、ホント驚きました」
B「それだけに本格ミステリとして見た場合、謎ー謎解きの構図がいささか安直で食い足りないのは如何ともしがたい気がするね。なんちゅうか、本格ミステリとしての骨格が小説としてのテーマ性に従属し、結果、矮小化しちゃってる気がするわけ。ラストのサプライズも、だからどこかミステリのそれとは違う。小説として読む分には問題ないんだろうけど、うーん。私の求めてるものとは違うんだよなあ」
G「さきほどもいった通り、本格ミステリの部分だけ取りだせば、おっしゃる通りだと思います。でも、こうした方向性が現代本格の流れの1つであることは否定できませんよね。ちょっと違いますけど、島田さんの『涙、流れるままに』が本格である程度には、これも本格であるといえるんじゃないでしょうか。むろん“本流”でないことは認めつつも、そう思います。英国現代本格派という肩書きに加えてあのブ厚さですから、手に取るまでもなく敬遠してしまう方が多いかも知れませんが……読み落としてしまうのは、ちょっともったいないですよ!」
 
●奇形の中の奇形……「マスグレイヴ館の島」
 
G「続きましては『マスグレイヴ館の島』。2000年度、本格ミステリ界MVPの柄刀さんによる、本年の掉尾を飾る新作長篇ですが……これまでのノリとはちょいと違いますね」
B「んー、作者的にはおそらく少々“踊ってみせた”というところだと思うんだけど……島田さんばりの奇想に満ちた大仕掛けのトリック、という大ネタに惑わされて見過ごされていた柄刀さんの弱点が、今回ばかりはあからさまに露呈してしまったという感じよねえ。……ところで“本格ミステリ界MVP”ちゅうのはナニ? ダレが決めたのよ、そんなもん」
G「えーっと、ぼくですけど」
B「あほらし」
G「ほっといて下さい、好きでやってんですから。……というわけで内容に行きますね。えー、今回の新作では、語り手及び名探偵役にちょっと面白い設定がなされていまして。というのはこの両者が“英国・シャーロック・ホームズ・ソサエティ”という組織に属しているんですね。この組織はまあシャーロキアンの集まりなんですが、実際にベーカー街221番地Bに事務所がありまして(この番地に実在する保険会社の一室を借りているという設定)。そこに全世界から寄せられるファンレターや、時にはホームズを実在の探偵と勘違いして届く捜査依頼の手紙に対応している。まあ、基本的には返信を書いているわけですが、なかには特殊な事情で実際に名探偵として捜査にあたらなければならないケースもあり、そのための“名探偵要員”に相当する人物もいたりするわけです」
B「ぐちゃぐちゃいってないで、さっさとストーリィを紹介しなさいよ」
G「はいはい。んで、そのメンバーの3人が”マスグレイヴ館の島”と呼ばれる孤島で開かれる、シャーロッキアン向けイベントに招待されたことから、物語は始まります。ご存知の通り『マスグレイヴ家の儀式』といえば、暗号&宝探しもののホームズ譚。つまり、手作りの暗号を解いて島のどこかに隠された宝物を探そうというゲームなんですね。しかし、ゲームの準備が進むなか、突如次々と死体が出現しはじめます。しかも”独房で墜落死した男”やら”食べ物を前に餓死した男”やら、どれもが不可解きわまりない現象を示しているんですね」
B「例によって、お得意の奇想あふれる謎のつるべ打ちに、バカトリック寸前の大仕掛けなトリックを配して、絢爛たる柄刀ワールドを作り上げているわけだけど、柄にもなくキャラクタメイキングにまで力を入れたもんだから、見せなくてもいい弱点があからさまに見えてしまったという印象。有り体にいって文章力・キャラメイク・ドラマ作り、ぜーんぶ下手。んもー哀しくなるほどに下手なんだよ」
G「それはねえ……まあ否定はしません。しませんが、作品そのものはぼくは支持しますよ。各方面、異論は多いにありましょうが、ぼくは許しちゃいますね。あれだけ魅力的な謎をつぎつぎブチかまして、ラストでは確実に驚天動地なトリックで宇宙の彼方までぶっ飛ばしてくれる。そんな本格ミステリ作家が、柄刀さん以外どこにいます? むろんそれが全てだ、とはいいませんが、本格にとっていちばん大切なもんは紛れもなくそれであり、それが充分破壊力のあるものであるならば、小説としての不味さはとりあえず忘れられる。少なくともぼくにとっては、ですが」
B「キミのその特殊な嗜好を押し付けられても、フツーの読者は困るでしょうが。それにさあ、本格部分を抜きだしてみても、やはり謎解きパズルとしては不親切すぎるわよね。手がかりの配置、伏線の張り方がおざなりというか、いたずらに分かりにくくするような書き方ばっかしてるから、ラストでタネあかしされても呆気にとられるばっかりで。納得感ちゅうのがないんだな。まあ、メインの“カリオストロ風味”のネタは、伏線をきちんと張るまでもなくバレバレだけどね」
G「ん〜それはですね、むろんとんでもなく不器用というのもあるのですが、それ以上に作者自身に読者と謎解きを競うという意識が希薄なんじゃないかな……って気がするんです」
B「なんじゃそれ?」
G「謎解きを競うよりも何よりも、まず読者を驚かせたい。サプライズ命! みたいな。そんなある種の妄念じみた気持が強烈にあるんじゃないかな。と」
B「その気持はわからないではないけど、やはり小説としてはとんでもなく奇形よね。それに謎解きに対するフェアプレイ意識が希薄というのは、やはり本格ミステリ書きとしてはマズいだろう。つまりこのままでは本格ミステリとしても著しくバランスを欠いた、これまた奇形の作品、ということになる」
G「それもありだと、ぼくは思います。もともと本格ミステリなんてものは、文学としてはおそろしく歪んだしろものなんです。その意味で柄刀さんの作品は奇形の中の奇形。もっとも本格らしい、その極北を行く作品なんだといえるのではないでしょうか」
B「う〜ん。しかし、その論法からいうと、今回のこの新作は“余計なモノ”に色気を出した失敗作ということになるだろう?」
G「そうなりますね。でも、それでもなお支持したくなるトンデモな発想が、ここにはしこたまあるわけで。ともかく、ぼくは“今”は、柄刀さんにはとりあえず奇想あふれる謎とトリックの創出に励んでいただきたい。小説技巧を磨くことが後回しになっても……もって瞑すべしって感じです。作者にしてみれば、迷惑な応援の仕方かもしれませんが、それが正直な気持です」
 
●これがミスディレクションだ!……「猫の手」
 
G「そんな柄刀作品のすぐ後に、この作品を持ってくるというのも、意地の悪い話ではありますが……古典復刻ブームの一端を担う新樹社さんから、ロジャー・スカーレットの未訳長篇が登場です。森英俊さんの監修になる“エラリー・クイーンのライヴァルたち”という叢書の、これは第4巻になりますか。帯の惹句がすごいですねえ。“江戸川乱歩も愛した作家”ですって」
B「まあ、乱歩のスカーレット作品への偏愛ぶりは有名よね。なんたってスカーレットの代表作『エンゼル家の殺人』に惚れ込んだあげく、自分の手で『三角館の恐怖』という翻案まで書いたほどなんだからねぇ。しかし、この本の解説氏によると、これには後日譚があって、翻案のために原文を読んだ乱歩は一気に熱が冷めて、その後はあまり持ち上げないようになったそうだね」
G「文章がよろしくない、と思ったらしいですね。でも、だとしたらこの『猫の手』の邦訳については、よほど訳者さん(村上和久さん)がしっかりした方だったのでしょう。とても読みやすかったな」
B「それはいえる。登場人物のキャラクタ描写や微妙なニュアンスの違いによるミスディレクションなど、小技が多用された作品だからね。訳がヘボだったらぶちこわしだ」
G「その点、柄刀さんのような行き方なら、多少文章がヘマでもドカンと一発花火を上げて勝負できちゃうわけですけどね」
B「だからー、もう柄刀作品のことはえーちゅーてんねん!」
G「んじゃまあ、内容に行きましょうか。えっと、舞台は、大富豪の老人グリーノウがボストン郊外に構える大邸宅。その広壮な屋敷に、未だに独身の富豪は1人の愛人と2人、多くの使用人たちに傅かれて暮らしています。さて、そこへ。老人の75歳の誕生日を祝い、富豪の甥たちが集まってきます。しかし……心から富豪の誕生日を祝おうという者は、実は1人もいません。他に親戚のいない富豪にとって、彼らは数少ない血縁者でしたが、皮肉屋で冷酷な暴君である富豪は、その甥たちに酷い仕打ちをし続けていたのです」
B「まあ、残酷な話よね。要するに大邸宅に同居して贅沢三昧することは許さず、かといって独立して仕事に就くことも許さない。生活費と小遣いはやるけれど、それを貯金したり投資したりというのは許さない。生かさぬように殺さぬように……ってわけで。結果、どうなるか。甥たちは1人残らず徹底してスポイルされた、生活力のないダメ男になってしまったわけ」
G「まあ、実際には反骨精神のあるやつもいるし、お調子者もいるしで様々なんですが、共通しているのは、富豪に憎しみを持ち、その遺産の行方に強い感心を持っているという点でしょうか。ともかくそれぞれに思惑を秘め、それぞれにトラブルを抱えたまま、いくつかの小事件を経てついに誕生パーティが始まります。その席上、遺産の行方を左右する爆弾発言が行われた直後、甥たちはお祝いがわりに庭で花火を打ち上げます。しかし花火が終わった時、部屋で1人見物していたはずの富豪は、無残な死体となっていました……」
B「奇矯な大富豪、ロクでなしの相続人たち、大邸宅、遺産、パーティ、カードゲーム……んもう絵に描いたような、古典的館ものよね。オーソドックス過ぎるくらいオーソドックスな“器”に、盛込まれた事件……殺人は1つだけ。しかも物語も半ば過ぎにならないと発生しない。そこまでは延々と、ロクでなしの甥たちの起こす奇妙な小事件や、富豪の奇矯な言動が語られる。ジミよね〜」
G「いやまあ、地味といえば地味ですが、ぼくはこの部分も決して退屈ではなかったですよ。ステレオタイプとはいえ、キャラクタはいずれもくっきりした輪郭でイキイキと描かれているし、奇妙な小事件が次々起こって飽きさせない。小味なサスペンスをつなげていくのが実に巧いんですね。しかも、それら1つ1つの事件やそこで登場する小道具、そして登場人物の性格が、きっちりラストの謎解きに繋がる伏線になっているわけで」
B「たしかにこれは派手なトリックをぶちかますタイプのそれではなくて、ゲンミツに限定された登場人物の中から犯人を絞り込んでいくフーダニットに徹した作品だわね。キミのいう通り伏線の張り方は非常に巧妙だ」
G「しかも、そこではほとんど全てに、大胆きわまりないミスディレクションの技法が使われている。手がかりは、それこそ“これぞ手がかり!”といわんばかりのあからさまな手つきで、読者の目の前に突きつけられるんですが……読者はおそらく最後の最後まで五里霧中でしょう。そして、ラストの謎解きではそれらが全て全く別の意味をもって解釈され、結びつけられ、サプライズに満ちた真相と真犯人が指摘される。う〜ん、いいなあ。見事ですよねぇ。描き出される真相の構図は、前述の通りサプライズもたっぷりだし、納得度も高い。フーダニットとして、ぼくは非常に満足しました」
B「ミスディレクションの素晴らしさについては、まあ同意してもいい。っていうか、まあこいつは、そもそもミスディレクションだけで成立しているような作品なんだけどね。特に小道具の使い方や、登場人物のキャラクタを謎解きロジックに合理的にはめこんでいくテクニックは、かなりのものといっていい。ちょっとクリスティを思わせる感じで……けどね〜」
G「……わかってますよ。巻末で解説氏が指摘している“瑕瑾”でしょ」
B「“瑕瑾”? あーいうのを瑕瑾とはいわん! だってさー、最終的に犯人を限定するために不可欠な手がかりだよ? そんなもんを、名探偵が謎解きの途中でイキナリ持ちだすというのは、アンフェアの最たるもんだろう。これはもう、フーダニットとしては“致命的な欠陥”というべきだね!」
G「うーん、そこを突かれるとツライ。たしかにそこまではフーダニットとして実に巧妙に、注意深く構築されているのに、どうしてこんなミスをしたのか。じっつにもったいないです」
B「ミスというより、あれは“手抜き”に思えちゃうな。たしかにアレって、事前には提示しにくい手がかりで。フェアに提示しようとしたら、それこそプロットごと変更しなければ無理かもしれない。想像するだに大変な作業なわけだけど、それをしなかったばっかりに、あれだけ精密に組み上げられたミスディレクションと謎解きロジックの饗宴が、崩れ去ってしまうわけで。そのコトには作者が気づいてないはずないと思うよ。そうなった時にそれをやるかやらないか。たぶんそれが、傑作になるか凡作に留まるかの境目なんだろうな」
G「傑作になりそこねた作品というところでしょうか……でも、この鮮烈なミスディレクションの切れ味は、捨てがたいんだよなあ。ぼくは注釈付きでも支持したいですね。やはり」
 
#2000年12月某日/某スタバにて
 
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