battle58(3月第1週)
 


[取り上げた本]
 
01 「QED 東照宮の怨」    高田崇史                    講談社
02 「顔のない男」      北森 鴻                   文藝春秋
03 「他言は無用」      リチャード・ハル              東京創元社
04 「騙し絵の檻」      ジル・マゴーン               東京創元社
05 「セントニコラスの、ダイヤモンドの靴」(季刊島田荘司03所収)島田荘司    原書房
06 「御手洗潔後略本」    島田荘司責任編集                原書房
07 「北京原人の日」     鯨統一郎                    講談社
08 「最後から二番目の真実」 氷川 透                    講談社
09 「ミステリ評論革命」   佳多山大地・鷹城 宏              双葉社
10 「バカミスの世界」    小山正とバカミステリーズ          美術出版社
 
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●大風呂敷の畳み方……QED 東照宮の怨
 
G「偏屈な名探偵プラス若い娘のワトソン役という、薬剤師コンビを主役とする歴史推理シリーズもこれで第5作目。歴史ミステリは……現代の事件がからむにせよ……なんたってネタが“歴史上の謎”になりますから、なかなかシリーズ化は難しいのかな、と思っていたのですが、どうしてどうして着実に巻を重ねていますね」
B「まあ、途中で“ホームズネタ”の作品が混じってたりするしなあ。第一、普通一般でいう歴史ミステリのフォーマットとは若干違うよね。この人の場合」
G「はて、それはどういう?」
B「まあまあ、ともかく内容を紹介してしまおうよ。まずは現代の事件だが……軽井沢へのリゾートホテル建設を進める会社社長が、自宅で殺されるというものだね」
G「そうですそうです。しかも体をメッタ刺しに刺された被害者は、“かごめ”というダイイングメッセージを残して絶命するんです。で、彼の家からは、お宝の三十六歌仙絵が盗み出されていました。で、この三十六歌仙絵に絡んで名探偵たちが挑戦するのが、日光東照宮の謎、ということになるわけですが。今回の歴史ミステリ部分の謎解きは、これまでのシリーズ中屈指のスケールにしてとびきりの奇想ですよね」
B「しかしなあ、東照宮の謎といわれても、読者にはそれだけじゃ何のこっちゃ分からないと思うよ。関東圏のヒトなら、東照宮には修学旅行や遠足で一度は行ってると思うけど、はてあんなところに謎なんてあったっけ?ってね」
G「要するにその謎解きというのは、東照宮に保存されている三十六歌仙絵に“隠された意味”を読み解き、そこから敷延して東照宮の各所に残る奇妙な建築・意匠を読み解いて、そこに潜められた徳川家と天海僧正の真の意図を明らかにしようというもので。そこからゆらゆら立ち現れてくる歴史の影に葬られた“影の歴史”のスケールと奇想は、もはやほとんど伝奇小説なみの壮大さで……ぼくなんかわくわくしちゃいましたね」
B「まあ、スケールという点では確かにその通り。しかし、これはいみじくもきみ自身が使った“伝奇小説”の言葉がぴったりくるようなトンデモ史観で、在野の歴史研究家や畑違いの学者が唱えそうな説だわな」
G「別にぼくらは歴史の論文を読んでいるわけではないし、謎解きして面白くて説得力があれば、それでじゅうぶんOKでしょう。実際、この想像力の暴走ぶりにはびっくりしたし、それ自体すんごいスリリングで面白かったけどな」
B「もちろんそれはその通りなんだけど、本格ミステリとしての枠組みの中に置いてみると、謎解きとしての切れ味よりもイマジネーションが優先されてるみたいなこの展開は、少々落ち着きが悪い。どうも根拠となる資料が専門的に過ぎるし、仮説の広げ方も恣意的すぎるように思えるな。じゃあいっそのこと伝奇小説として読んだらよさそうなものだが、それはそれで作者の繰りだす蘊蓄の嵐と怪しげな資料の羅列がいささかウザい。説自体、どこかで見たような“いかにも”なトンデモ史観だしね。驚かされるというより呆れた、ということころか」
G「うーん。まあ、確かに一般的な資料を使って解いてくれた方が、歴史の素人である読者にとっては説得力はあるでしょうけどね。けど、この謎については謎自体がある意味かなり専門的だし、資料なんて多分どんなものを持ってこられても、ぼくにとって同じかなって気もします。まあ、強いていえば、この手に歴史ミステリでは、“誰もが知ってる歴史上のエピソードや説を、全く新しい視点で解釈し直す”という手法が理想的なのかな。高木彬光さんの『邪馬台国の秘密』や『成吉思汗の秘密』はそういう方向でしょうね」
B「その意味ではさ、この作品の東照宮というメインネタの謎自体が、説明されないと見えてこないという弱点があるね。これでは謎それ自体の吸引力としては今一つだからねえ。悪いいい方をすれば、自分で謎を引きずり出して自分で都合よく解いていく……マッチポンプといったらいいすぎだけど、作者や作中人物が勝手に熱狂している感じで、わたしゃ付いていきかねる気がしちゃうんだよ」
G「しかし、現代の方の事件とのリンクのさせ方とか、通常の歴史ミステリの弱点になりやすい部分の処理の仕方は、さすがに巧いものだと思いましたが」
B「あたしゃ全然逆だね。処理の仕方そのものはいいとしても、なにせその根幹となる新史観がトンデモだから、現実の事件の方まで、なんだかそれ自体とてつもなく非現実的な動機であり犯行であるように思えてしまうんだね。こちらの謎解き自体えらくご都合主義な展開だしなあ。本格ミステリとしては多いに不満が残る」
G「歴史ミステリ部分で広げた大風呂敷が、現実の事件の方を侵食したあげく、結局きれいに畳みそこねちゃったって感じでしょうか。まあ、たしかにフェアな謎解きとはいいにくいですが……ぼく自身はあの果てしなく暴走する謎解きは、それ自体むっちゃ面白かったし、とりあえず読んでいる間は整合性だのロジックだのは、あんまり気にせずゴンゴン読めましたよ」
 
●トリッキーなハード・サスペンス……顔のない男
 
G「北森さんの新作は連作短編集。一昨年から昨年にかけて文字通りの珠玉の短編集を連発してた頃の印象が強いせいか、なーんか久しぶりって感じがしちゃいましたね」
B「長篇の方でなかなかマスターピースというべき作品が出ない北森さんだけど、今回は連作短編集とはいえ、これはほとんど長篇とみなしてもいいような構成の作品だね」
G「ですね。それもかなりトリッキーな仕掛けの。全体の雰囲気はハードボイルドか警察小説かって感じではあるんですが。取りあえず内容に行きましょう。冒頭、いきなり“主人公”が殺されてしまう、というショッキングなシーンから始まります。公園の工事現場で発見され惨死体は、空木という中年の男のものと判明します。警察は捜査を進めますが、犯人どころか被害者の背景が一向に見えてこない。どうやらこの男、父親の残した家に住み、遺産を食いつぶしながら、一切の付きあいを断って20年近く一人暮らししてきたらしいのです。捜査はそこで行き詰り、徐々に迷宮入りの色を濃くしていきます」
B「ところが、ある理由から上司に疎まれている古株と若手の刑事コンビが、偶然被害者の家から奇妙なノートを発見するんだな。それは被害者が、奇妙な……としかいいようのない探偵仕事をしていたことを示唆するメモで。刑事コンビは上司に報告しないまま、その謎めいたメモの証拠を追って次々と別の事件に遭遇していく。つまり、このメモがらみで彼らが遭遇する事件が、じつは1つ1つの短編を構成しているんだね。……で、それぞれの事件の謎が解けていくに従い、最初の事件の“被害者の正体”が明らかになっていくという仕掛け」
G「個々の事件についても小振りながらきちんとした仕掛けが施されていますし、徐々に明らかになっていく“被害者の正体”というサスペンスもなかなかのモノ。加えて、コンビを組んでいる刑事の片方がだんだん怪しげに見えてくるというサスペンスもあって、終盤の盛り上がりはスゴイです。全体の雰囲気は、非常に硬質でリアルな警察小説プラスエスピオナージュみたいな感じで、ちょっと逢坂さんの『百舌シリーズ』を連想させますね。トリッキーなところも似ているし」
B「たしかに『百舌』っぽいよね。サスペンス作りに関しては、いっそアザトいといいたくなるくらい、あの手この手を使って盛り上げてるしね。謎のメモに残された個々の事件の奇怪さと謎解きの仕掛けも、かなり強引なんだが、作品全体の一種のデモーニッシュな雰囲気に合っているとはいえるだろう。しかし、途中まで読むとだいたいこのラストのどんでんは想像がつく。おまけに前半部で飛び道具を目いっぱい仕掛けたせいか、そのどんでん自体にかなり無理が生じてしまった感じで……強引でしかも若干のヘナヘナ感が、どうしても残るなー」
G「うーん、そうかな? たしかに強引ではありますが、比較的きれいに決まっているのでは。少なくともぼくにとってはほぼ満足すべきサプライズでした」
B「いや〜、どうもねー。北森さんというと、非常にバランスの取れた過不足のない、つまり完成度の高い短編を書く人ってイメージだからさ。この新作はすごくアンバランスな感じがしちゃったんだよね。その割には、前述の通り結末の予想もついちゃって、サプライズは今一つだったし」
G「まあ、“このパターン”というか“テーマ”って、一頃ずいぶん流行りましたからね、ベストセラーも出たし。しかしこの作品はたしかにテーマ的には同傾向ながら、やはり作者の狙いはトリッキーな仕掛けとどんでん返しに集中していると思うんですよ。その意味では全体としてみた時の、多少の無理無理感は許容範囲に収まっている……といっていいんじゃないかなあ。もちろんこれを作者のマスターピース長篇にしていいかとなると、疑問ですけどね。北森さんならもっといけるだろうと、どうしても思ってしまうな」
 
●遊び心必携のオトナの愉しみ……他言は無用
 
G「ハルとはまた、ずいぶんと懐かしい名前です。といってもこの人は日本では『伯母殺人事件』1作で名を残しているという感じで。『伯母』自体は、オールタイムのベスト10……とはいいませんが、ベスト20なら決まって顔を出してくるクラスの名作なのに、その他の作品についてはあまり知られていない」
B「あれは面白い。バークリーの『殺意』あたりと比較されることがあるけど、わたしゃ『伯母殺し』の方が好き。むろん『殺意』も面白いんだけどね」
G「で、『他言は無用』ですが。解説子のいう“一筋縄で行かないミステリ”という表現が実になんともぴったりくる作品で……いえ、けっして晦渋だとか難解だとかいうわけではないのですが、なんかこう内容を紹介してもうまく面白さが伝わるのかな」
B「そらそうだけど、やってみるしかないでしょ」
G「ですね。んじゃやってみましょう。さて舞台は英国ロンドンのとあるクラブ。……ちなみにこのクラブって英国の小説にしばしば出てくるんですが、どう説明したらいいんでしょうね。紳士階級の男が職場以外の大半の時間を過ごす、会員制の酒場+社交場+休憩所+文化施設? みたいな。英国紳士の皆さんは、ここで食事をし、酒をのみ、本を読み、手紙を書き、居眠りし、会話をし……時には殺人なんかも楽しむわけで」
B「そんなクラブの1つ、ホワイトホールクラブで夕食に出た特製スフレを食べた会員の1人が頓死するという事件が持ち上がる。困ったことに料理長が“間違えて料理に毒を入れたかもしれない”などといいだしたものだから、幹事は大慌て。困った揚げ句、クラブの名誉を守るため、会員の医師を協力させて病死というカタチで他の会員にも秘密裏にコッソリ処理してしまう」
G「ところがその数日後から、コトの真相を察知した謎の人物からクラブの“環境改善”を要求する奇妙な脅迫状が届きはじめます。蒼ざめる幹事。待ってましたとばかりに探偵を始めるお調子者……ひとくせもふたくせもある面々が繰り広げるドタバタの果てには、とびきり皮肉なツイストが効いたブラックな結末が待っていたのです」
B「んー、まあそんなところかなあ。ただ、これは本格とはいいにくいし、サスペンスとも違う。倒叙でももちろんない。渋くて洒落てて皮肉が効いてて、小味なツイストが山ほど放り込まれた、まったくいかにも英国風、ハル風としかいいようのない“大人の”ミステリだ。好きな人は大好きだろう。しかし、そのひねくれっぷりは半端じゃないから、誰でも楽しめるってわけにはやはりいかない」
G「しかし要素としては、珍妙な謎解きロジックあり、皮肉の利いたドンデンも用意されてる。ついでにキャラクタ小説としてもとびきり楽しくおかしいし、古典本格ミステリへの皮肉な楽屋落ちもてんこ盛り。全編に漂う“あの古きよき時代”の雰囲気もいいし……ある程度古典ミステリを読んでいる方ならすごく楽しめる作品なんではないかなあ」
B「しかしストレートなミステリ的リーダビリティは、期待しない方がいいだろうな。極論しちゃえば、これって全編が洒落みたいなもんでさ。ミステリを知り尽くした技巧派が、余裕たっぷりの遊び心でこさえたような……そんな作品なんだよ。だから読者の側にも遊び心が必要なんだ。まー大人の読み物ってのは、そうしたもんなんだろう」
G「んー、マニア向きであることは否定しませんが、敷居はけっして高くないでしょう。ミステリ好きに限らず広く“小説好き”の皆さんにお勧めしたくなるような作品ですね」
 
●まぎれもなく現代の、本格ミステリ……騙し絵の檻
 
G「ではマゴーン、行きましょう。かねてより現代本格ミステリ屈指の実力派といわれながら、これまで邦訳された作品ではいまひとつぱっとしない観のあった作家さんですが、真の代表作といわれるこの作品でいよいよブレイク、でしょうか」
B「とりあえず森さん、法月さんは戦後、つまり黄金時代以降ではベスト5に入る傑作という評価。ただし、その前宣伝が効きすぎたのか、実際に読んだ人からはむしろ不満の声の方が強いような印象があるわね」
G「ぼくはこれ、好きですよ。海外の現代本格ミステリとしては、相当高い水準にある作品だと思います」
B「そうね。ただ、同じように戦後を代表する傑作『ホッグ連続殺人』あたりと比較されるとやはり辛いわよね。本格として『ホッグ』よりはっきり落ちるというわけじゃなくて、もっぱら読みにくさ・とっつきにくさの部分が問題なんだと思うけど」
G「その弱点とされる部分も含め、これは現代の本格ミステリの在り方を真摯に考え、果敢に挑戦しそれに成功した作品だとぼくは考えます。読みにくさ・わかりにくさを云々する声が大きいのは知っていますが、紛れもなく傑作! とぼくは評価します。……内容ですが。主人公は二重殺人の罪で15年間の長きにわたって投獄されていた男。で、この彼が犯したとされる二重殺人は実は冤罪。無実の罪なのです。全てを失い獄につながれた彼は、反省するどころか、15年間ひたすら自分を嵌めた真犯人を呪い・恨み続け、いつの日か復讐を果たすことだけを目標に生き抜いてきたわけです。物語はこの“復讐鬼”が出獄するところから始まります」
B「主人公は出獄するやただちにかつての二重殺人事件の舞台となった会社……それはとりもなおさず彼が勤務していた会社でもあるわけだけど……に乗り込み、集まっていた役員たち/事件関係者、に真犯人探しを宣言。強引に協力を求めるんだな」
G「彼に興味を持った女性ジャーナリストの協力を得て、主人公は15年前の出来事を思い出しながら、強引に執拗に巧妙に、あらゆる手を使って捜査を進めます。幾つかの意外な事実が明らかになり、幾つかの秘密が暴れ、しかしいくら捜査を進めても真犯人どころか、主人公の冤罪を覆す証拠すら発見できません」
B「出口のない迷路にはまり、主人公も自暴自棄に成りかけるんだが……最後の最後でついに彼は、真に驚くべき真相にたどり着く。相棒の女記者を従えて再び事件関係者が勢揃いした役員室に乗り込み、有無をいわさず謎解きを始める……」
G「というわけで、最後に明かされるこの真相は、はっきりいってかなりのインパクト。きわめて大胆かつ緻密なミスディレクションによって隠されていた“あるポイント”を軸に、全ての伏線・全ての証拠が一瞬にしてその意味を逆転させ、いきなり全く別の絵柄を描き出す、という。まさに“騙し絵の檻”(これはいいタイトルですね。原題よりずっといい)……本格ミステリのクライマックスたる謎解きシーンとしては、もっとも理想的かつ美しいカタチを作り上げているんですね」
B「トリックを使わず、もっぱらミスディレクション1本で全ての伏線を裏返すという非常に高度な技巧ではあるよね。ただ、それだけに事件の基本的な構造や伏線の置き方など、謎解きロジックの基本を支える部分の読者へのプレゼンテーションがきわめて重要ってことになるわけで。これに関しては、いささか不親切といわざるをえない。これは多くの人が指摘していることだけど、多用されるカットバックの接合部分の処理が読者に対していまひとつ不親切で、往々にして読者をおいてけぼりにしてしまうんだな。こういうスタイルを読み慣れない読者は相当きっちり熟読しないと、語られている状況をつかむことさえ容易じゃないかもしれない」
G「ぼくはあの程度なら、現代小説としては許容範囲の不親切さだと思いますね。主人公の一人称視点としてはあの書き方は自然だと思いますし、作品のキモである、あの大胆きわまりないミスディレクションを成立させるためにも必要な処置だったと思います。まあ、もともとマゴーンはカットバックを多用する作家ですし、読み慣れていればマゴつくほどの不親切さではないでしょう。世の中、何から何まで手をとって案内し、もてなしてくれるような小説ばかりじゃありませんから」
B「いやあ、あれはやり過ぎだろう。ほんの少しだけ親切な書き方をしてくれれば、ずいぶん読みやすくなったと思うけどね。実際、本格を読み慣れた人ほど、この作品は敷居が高く感じるだろう。なんせ恨み辛みに凝り固まった主人公が語り手だから物語は重苦しく陰鬱な色彩にどっぷり覆われて、およそ一般的な本格ミステリ的な愉しさとは無縁。特に尋問と証拠調べが続き、しかもそれにも関わらず一向に真相が見えてこない中盤は、主人公同様に読者もイラダチと閉塞感をたっぷり味わうはず。しかもこのまったく名探偵らしからぬ人物が名探偵役を勤めるんだからねぇ。いわゆる名探偵登場! な醍醐味なんぞカケラもない」
G「それもひっくるめてぼくは思うんですよ。作者はこの作品で“現代の本格ミステリとはどうあるべきか”の1つの答を出そうとしたんだと」
B「こりゃまた大きく出たわねー。どういうこと?」
G「一言でいえば、作者はこの作品で、古典的な本格コードを排し、あくまで現代小説としての手法で本格ミステリを描こうとしているんだと思います。たとえばですね、現代にあっては名探偵なんて存在はそれ自体どういう書き方をしても不自然という誹りを逃れられないわけです。これに今日的なリアリティを与えるには、ではどうすればよいか。作者は考えたわけです」
B「なるほど。それがこの冷徹な論理・理性なんてものとは無縁に見え、それでいて謎を解くことへの必然性をもった主人公か」
G「そうですそうです。実際、あのラストの謎解きシーンだって、一見古典的な“名探偵、皆を集めてさてといい”風に見えて、あれだけ観客全員から反感を買い、期待されていない名探偵なんて、その存在そのものが実にアイロニカルでモダンじゃないですか。主人公以外誰も望んでいない真相解明という構図。不自然でアンリアルなトリックを排し、あくまでミスディレクションで勝負する姿勢、ホワイダニットが中核となる謎の作り……いずれもも優れて現代的です。ついでにいえば、真犯人のキャラクタや動機も、ぼくはとてもリアルでユニークなものに感じました」
B「なるほどね。そういえばいえるかもね。まあ、それでもなお、いささか敷居が高いことにかわりはないと思うけどね」
G「多少の読みにくさは、この場合キズにはならないはずです。作者の志の高さをこそ注目してほしいなあ、と」
 
●テクニックだけで読ませる460枚……セントニコラスの、ダイヤモンドの靴
 
G「では島田さん、行きましょう。『セントニコラスの、ダイヤモンドの靴』はごぞんじ『季刊 島田荘司 03』に収録された御手洗ものの最新長篇。460枚だから、これも前作同様に長篇といっていいですよね」
B「島田さん自身はそう考えてないみたいだけどね。次作は“御手洗もの”の長篇だ、って書いてるそうだよ。ってことはこれは長篇じゃないんでしょ、作者にとっては。まー実際、内容的にもさあ……」
G「はいはい、評価に関わる議論は後あと。とりあえず内容を紹介しますよ! えー、これは御手洗さんの事件簿でいうと『占星術』を解決した彼が、石岡君とともに横浜馬車道に引っ越してきた頃のお話のようで。季節はもちろんクリスマス間近の年の暮れ。事務所を訪れた老婦人が、2人に奇妙な話をします。それはクリスチャンである夫人が教会のバザーで目撃した光景でした」
B「夫人の友人に1人の老婦人がいるんだけど、この人のご先祖がじつは明治の元勲の1人である榎本武揚で。その榎本が旧ロシア皇帝から譲られた“セント・ニコラスの長靴”と呼ばれる歴史的なお宝を、老婦人が所有しているというのが伏線……このあたりは前作の『ロシア幽霊軍艦事件』のネタから派生したアイディアだね、きっと……で、前述の教会のバザーにその老婦人一家も参加するんだけど、その会場に雨が降りだした途端、揃って様子がおかしくなったというんだな」
G「宝物を所有するくだんの老婦人は卒倒して救急車で運ばれるし、残された夫婦はなぜかその救急車に同行もせずに、必死で道路ぎわの花壇を掘り返し始める。事情を聞いても何も教えてもらえない語り手の夫人は不思議がります……紹介できるのは、ここまでかなあ。むろん御手洗さんは不可解な夫婦の行動に隠された大事件を暴き、衆人環視下での二度にわたるお宝消失の謎を解き、ついでに恵まれない少女にサンタクロースよろしくプレゼントを贈るというお話。本格ミステリとしての仕掛けは、御手洗ものの短編ではおなじみのシャーロック・ホームズ方式。謎-謎解きの構造は小振りですがいかにも手慣れて、テンポよく読まされてしまいます。特に今回は、少女との交流や悪役への対処の仕方など、御手洗さんのキャラクタが全面に押しだされている感じですね」
B「まあ、御手洗さんの出馬を待つまでもなく、勘のいい人ならそのアラスジだけで、事件の概要はつかめちゃうだろうね。手慣れたものといえば聞こえはいいが、トリックの基となってる発想は明らかに自作の使い回し。奇妙な出来事から隠された大事件を推理する、きみがいうところの“ホームズ方式”も、もうパターン化された感じで意外性に欠けるわね。つまり一から十までインパクトに欠ける、島田さんらしからぬ凡作」
G「それはどうかなあ、御手洗さんがこれだけ精力的に動き回る作品は近年珍しいし、歴史蘊蓄が語られる割にはテンポよくサクサク読ませてくれるじゃありませんか。やっぱり巧いなあ、と思いますが」
B「どう考えても短編向きの小ネタを、クリスマスストーリィ処理することによってこの枚数に膨らませたって感じがある。きみの言葉を借りれば、巧さでこの枚数に仕立てたっていうか。本格ミステリとしての骨格はほんと寂しくなるようなシロモノだぜ。……どうも島田さんもこの個人雑誌がシンドくなってるんじゃないのかなあ。水増しとはいわないけれど、全体に今回の『季刊島田荘司』は低調よね。前回から始まったはずの時代小説『金獅子』は早くも姿を消しちゃったし、当初の狙いだったはずの日本人論もない」
G「まあ、それは確かにそうですが、こうやってコンスタントに御手洗ものが読めるだけで、ファンは幸福でしょう」
B「だから、こんなユルい御手洗ものを書いてたら、ますます普通一般の読み手が遠ざかっちゃうんじゃないか、って気がするわけよ! そもそもこういう個人雑誌っていうだけで、やっぱ普通一般のミステリ読みさんは手に取らなくなっちゃうだろうしさー。……もう、いい加減なところでケリつけて、書き下ろしに集中したほうがいいと思うんだけどなあ」
 
●参加することに意義があるファン感謝イベント……御手洗潔後略本
 
G「原書房の“御手洗本”をもう1冊行きましょう。これも思いっきり時機を逸した感じはありますが……」
B「いくらなんでも逸し過ぎだよなー。しかもココで取り上げる意義があるのかって点からして、あたしゃいささか以上の異義があるけどねー」
G「まあまあ、そういわずに。まずはこの本のコンセプトから説明しないといけませんね。この本はタイトルにある通り島田荘司さんの創出した現代屈指の名探偵・御手洗潔とその世界に関わるアレコレを、多彩な角度から描き研究し愉しもうというアンソロジー。シャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)がホームズを実在の人物として博物館をこさえたり、様々な研究本を出したりしていますが、要はあれと同じ。いわゆるキャラ萌えとは一線を画する、遊び心あふれる大人の趣味の世界ですね」
B「シャーロキアンとキャラ萌えのどこが違うのか、私にはもう一つ理解できないけどねー。でき上がったもののクオリティには違いはあれ、根本的にはまったくおんなじことじゃん。どっちがエラいとかクダラナいとかいう問題じゃないだろう。ま、わたしゃモロトモに好きじゃあないけどね」
G「うーむ、そういわれると確かにそんな気もしてきますが……ともあれ、コレというのは本来ファン側がメインの活動であったはずなのですが、この場合は作家自身、つまり島田さん自身が責任編集という形で全面的に協力しているという点が大きな特色。……たとえばドイルはシャーロキアンの活動に、あんましいい顔をしなかったそうですね」
B「それはまあ、ドイル自身があまりホームズものを気に入ってなかったというか、もっと他の自分の作品……歴史小説とか……を読んで欲しかったからってのもあるだろうね。ただ、この手の活動に作者自身は基本的にノータッチ、というのが原則だったのはその通りだと思う。その意味では、島田さんはこの本であっさりと掟破りをしている。まあ、出版側の要請もあったとは思うが、どうも意図を計りかねる気がするのは確かなんだなあ」
G「ともあれそういうわけで、この本では島田さん自身が意一般のファンから御手洗もののパロディやパスティーシュ、コラム等の原稿を集め、選び、編集したものが中心になっています。他にプロ作家の寄稿もたくさんあるし、島田さん自身の作品も勿論ある。非常に珍しいというか、大げさないい方をすれば奇書といっていい一冊です」
B「たしかに奇書って感じよねー。載っている作品も、基本的には徹底して原典、つまり島田作品に寄り添って書かれているものがほとんどだから、相当の島田ファンでないと愉しむのは難しいわね。……じゃ、せっかくだから簡単な内容紹介と寸評で行ってみようか」
G「ですね、まず冒頭の『「占星術殺人事件」占星術』は、タイトル通り『占星術殺人事件』に出てくる占星術関係の記述をネタにした、占星術テーマの蘊蓄エッセイ」
B「この作者って占星術師? よくわかんないけど、内容もやたら専門的な蘊蓄てんこ盛りで、興味の内人には苦痛なほど。まあ、シャーロキアン関係とかでもこういう“研究発表”はありがちだけど、普通出版はされないわなあ」
G「続いては『天の魔弓』。アマチュアのパスティーシュですね。御手洗・石岡の対話形式でどんどん話を転がしながら、ちょっとした謎掛けから壮大なホラ話に広げていく」
B「推理とかロジックというより、酔っ払いのバカ話。説教臭いところは御手洗さんというより島田さん風だったりして、これは選者の好みを計算に入れた作戦勝ち。どうでもいいけど、カギカッコの中の文章の末尾にマルをつけるのは好きじゃない」
G「そういう文例もあるし、間違いってわけじゃないと思うけどな。次は同じくアマチュアの手になるパスティーシュ。御手洗モノの某レギュラーキャラクタの少年時代を描いた、スケッチ風の小品。ミステリしてない純粋なキャラクタ小説だけど、この作者は書ける人ですね」
B「こいつはキミが言った通りのコンセプトの作品で、ミステリとして小説としてのネタらしいネタはないから、思い入れと文章力だけで書いているのが逆に幸いしたかな。破綻がないつうか。だけど裏返せば、純粋な創作としては面白くも何ともない、一般性もない。まことに正しいファンライターのアリカタだわな!」
G「むう……続きましては『感音楽』。ご存知の通り、Junk Landの『名探偵の殿堂』の連覇の名探偵さんであり、クイズ作品も提供していただいているYABUさんの作品です。一見、御手洗ものとは何の関係もないミステリ短編と思わせて……パスティーシュとしてはこのアンソロジー中もっともスマートな処理でしょう」
B「その点は同意。読者が御手洗ファンであることを絶対の前提として割りきって、さらに“そのこと自体”を逆手にとってサプライズを作り上げる。行き届いた計算だね。ただし、だとしたらその効果を高めるためにも、前半部の事件の謎ー謎解きにもう一ひねり欲しかったな。ヒロインの秘密自体もバレバレなネタだし、それが明確な謎としてクローズアップされてこないのも多いに物足りない。ここがしっかりしてれば、エンディングはもっと盛り上がったはずだ。好きなラストシーンだけに、もったいないって感じがしちゃうね」
G「続いてはメフィスト賞作家・氷川透さんによる『マクラフリンはお好きなんですか?』。ギタリストとしての御手洗さんに着目、ジャズギター史に関する豊富な蘊蓄と分析から、御手洗さんのギター奏法がどのようなものだったかを推理しています」
B「ジャズギターなんて興味も知識もない世界のお話なんだが、前の『占星術』とは違ってこれはとても面白かった。蘊蓄自慢だけでなくきちんと推理があり、読者に読ませようという姿勢がある。御手洗さんへの愛着もしっかり伝わってくるし……ファンとして正しい、そしてクオリティの高いエッセイだ」
G「じゃあ柄刀さんの『青の広間の御手洗潔』。これは原典よりちょっとだけ未来の御手洗さんを描いたパスティーシュ。御手洗さんの研究チームがノーベル賞を受賞し、その授賞式に招かれた御手洗さんが、友人の不運を救うためその会場でちょっとした機知を働かせるというお話」
B「柄刀さんらしい先端科学知識てんこ盛りの短編なんだけど、どうも“らしからぬ”堅さがあって、ミステリとしての面白味はいま一つだなー。蘊蓄の投入の仕方もこなれてないし、何より御手洗さんのやり方があまり御手洗さんらしくないような気がする。せっかくノーベル賞授賞式という“見せ場”を用意したんだからもっとどうにかしてほしかったね」
G「次は『神経細胞の自殺によって引き起こされたサルのワーキングメモリー障害』。“御手洗さんが書いた論文”という体裁の、響堂新さんによる論文ですね」
B「つまらないというか、わからない。だから評価もできない。作中人物の書いたものを偽作するというのはありがちな手法だけど、論文じゃなあ。論文としてどれくらいのクオリティなのか、専門家の意見を聞いてみたいところだね。箸にも棒にもかからん出来だったら、許しがたい」
G「次は杉本@むにゅ10号さんの『数学者からの報酬』。夭折した実在の数学者ベギー・ダグデールが残した暗号を御手洗さんが解くという話。アマチュアのパスティーシュですね」
B「ハンドルをそのまま筆名にするなぁ! こういう感覚が嫌いなんだ、私は。ま、それはともかく、うーん、労作。しかし、パスティーシュとしてはなんの工夫もないなあ」
G「橘高伶さんの『御手洗シリーズ 舞台紀行』は、御手洗シリーズの舞台を訪ねてまわる紀行エッセイですね。作者はアマチュアです」
B「ま、なんてこともないありがちな企画、ありがちな内容だな。ファンのHPとかに行けばいくらでもあるんじゃないか? こういうの」
G「じゃ、リオさんの『この世はただの紙の月』。アマチュアさんのパスティーシュですね」
B「これも対話形式か。……ま、いちばん簡単だもんな、マネっこするには。だけどこれはあんまり巧くない。しかもミステリじゃないし」
G「御手洗さん・石岡君の話し言葉はわりかたマネしやすいと思うんですけどね。じゃ『躊躇するE』です。作者は松尾詩朗さん。プロですね。えっと、雪に閉ざされた研究所にコンピュータウィルスを送ったという脅迫状が届いて……」
B「目を覆いたくなるようなヘタクソぶりは相変わらずだよなあ、この人。幼稚で無茶なネタをまるきり説得力のない文章で語るという。あまりにも“らしからぬ”御手洗さんにはしまいに腹まで立ってくるぞ!」
G「じゃあ、これはどうです? 『六甲アイランドシティのピエロ』。お昼休みの公園に毎日のように現れてパントマイムを演じるピエロの目的は? そしてそのピエロに怯える男の正体は? 作者の船引良祐さんはアマチュアの書き手ですが」
B「アマチュアのパスティーシュとしてはまあまあ読める部類かなあ。ともかくもきちんとプロットを練り、御手洗ものらしい演出を心がけているだけでも良しとせねばいかんのだろうね」
G「続いては『「眩暈」に見えるユニセックス論』。作者の来栖美遊さんはアマチュアさんです。タイトル通りの評論です」
B「性にまつわる蘊蓄をたっぷりぶちこんで、流行りのスタイルで処理してみましたっつー感じの評論ね。内容的には特に新しさなんてモノはなくて平凡なんだけど、こうしたタイプの文章としては平易な語り口でわりかた好感が持てる」
G「同じく評論で『分子生物学の変遷』。これはプロですね。響堂新さんは二度目の登場」
B「これもどうでもいいよー。タイトル通り『分子生物学の変遷』を概説した文章。御手洗さんの研究分野と重なる、という一点つながりで収録されてるんだけど、これを読まされてもなあ……」
G「優木さんの『石岡君、自動車学校へ行く』は、石岡君が里美にせがまれて自動車免許の再取得に挑戦するというお話。これはけっこう笑わしてもらいました。ミステリ要素は皆無なんですが、楽しかったです」
B「これはネタをめっけたもん勝ちって感じだね。このキャラでこの設定なら面白くならないはずがない。まずまず手慣れた書き振りだけど、もっと弾けてよかったような気もする。タイトル見た時に期待したほどは笑えなかったな」
G「続いては『夢の中でも』。山田さんという方のパロディです。タイトル通り夢の中で石岡君が不条理な体験に遭遇しまくるギャグ満載」
B「ギャグだからって借り物のイメージだらけってのはいただけないなあ。笑えないぜ、まったく……ねー全部やるのぉ?んもー飽きてきたぞ!」
G「なに、もうひと息です! ほ〜らラス前の作品ですよう! 『倫敦と即席ミイラ殺人事件』はなかなかの力作ですね。半地下の密室で僅かの時間でミイラ化した男の死体。そして窓から飛び込んできたスポーツカー、強烈な謎が冒頭から炸裂します。作者は杉永祐章さん。御手洗さんでなく、クリーン・ミステリが探偵役というのも凝ってますよね」
B「まあ、これも無理無理なトリックなんだけど、どうせやるならこれくらいトンデモにしちゃった方が気持いい。演出の仕方などおよそ巧いとはいえないんだけど、バカバカしくて楽しいのは確か。天然のバカミスになりかけてるかも」
G「はい、これで大ラス。島田さんの『御手洗潔、その時代の幻』。L.Aを訪れた御手洗さんを島田さんがインタビューするという趣向……」
B「まあ……ファンサービス、だよねえ。御手洗さんや石岡君のパーソナルなデータを、御手洗さん自身の口から語らせるという。それこそキャラ萌えのヒト以外にはむぁーったく意味のない作品。無論この本そのものがファンサービスの産物だと思うんだけどね。考えてみると、実は本それ自体よりも“こういう本を島田さんが音頭を取って作り・出す”という行為そのものが、ファンサービスになってるって感じがする。でき上がったものをどうこういうより、原稿を応募するなりして参加することに意義があるイベントなんだわね、きっと」
G「お祭りだと思えば腹も立たない?」
B「っていうか立てる気もなくなったわ、あーあ」
 
●ホラ話の語り方……北京原人の日
 
G「では、気を取り直して『北京原人の日』。鯨さんの新作長篇ですね。ハードカバーは初めてなのかな? まあ、内容は例によってお得意の歴史ミステリなんですが、今回は冒険小説風味が入ってますね」
B「デビュー作はあんなに面白かったのに、どうしてだか2作目以降ちいとも弾けない作家さんだけど、本だけは快調に出るわねー。で、この新作はタイトル通り“北京原人の謎”がメインテーマ。知らない人はいないと思うけど、このネタは実話っちゅうか……考古学史上最大の発見の1つである北京原人の化石が、日中戦争が始まった直後に保管場所から消え、以来現在に至るまで発見されていないというミステリー。当然、犯人探しはこれまでも行われてきたし、こいつをネタにしたミステリも書かれてきた。伴野さんの乱歩賞受賞作『五十万年の死角』とかね……で、鯨さんは例によってこのテーマにかなり大胆な仮説に基づいてアプローチしているわけだけど」
G「ですねー。この“化石消失の犯人とその動機”に関するアイディアは、ちょっと目ウロコでした。いかにもミステリ的っちゃあミステリ的なんですけどね。で、内容ですが。主人公は“何をやっても長続きしない”駆け出しカメラマンの青年。とある雑誌編集部へ就職を決めた彼が会社に向かう途上、銀座の交差点の空中に軍服姿の男が突如出現し墜死するという奇怪な光景を目撃します。死亡した男は旧軍人と判明しますが、そのポケットから北京原人の化石の一部が発見され、にわかにその化石の行方に巨額の賞金がかけられます。遅刻を理由に雑誌社を馘首された主人公は、ここらで一発当てて成り上がろうと、雑誌社で知りあった女性ライターとともに賞金目当てで北京原人の謎を追い始めます」
B「死んだ男の過去を追ううちに、謎めいた旧日本軍秘密機関の存在が見えてくる。謎めいた組織は次々と関係者を始末し、2人はその罠にはめられて殺人犯の汚名を着せられてしまう。2人を追う警察と謎の組織、その包囲の網をかいくぐって2人は北京原人の化石を発見できるのか? そしてその化石消失の謎に秘められた、世界史を書き換える秘密とは何か?」
G「そのラストで提示される壮大な……ほとんど、いや完璧にトンデモの域に達した仮説は、まあ、相当のオドロキがありますよね。前述の通り“化石消失の犯人とその動機”に関するアイディアも大胆かつ意外性に富んだものなんですが、作者はそこから“第二次大戦全体に関わる壮大なドンデン返し”をブチ上げる。いやぁ面白かったなあ。ムチャクチャなんですけどね、こういうホラ話は大好きです」
B「たしかにアイディアとしてはすごく面白いんだけどね、この作家の悪いクセというか、どうもアイディアの扱い方がおっそろしく粗雑なんだな。メインネタがトンデモなホラ話だからこそ、それを嵌め込むプロットやディティールは徹底的にガッチリしたもので固めていかなきゃダメでしょう。それこそ丸ごとマンガになっちまう」
G「まあ、たしかに謎の秘密機関やらご都合主義連発の2人の逃亡劇やら、冒険小説というよりマンガチックな展開であるのは確かですけどね」
B「冒頭の空中出現の謎にしても、その秘密機関の正体にしても、主人公コンビのキャラクタにしても……ホンマにもう泣けてくるほど幼稚で陳腐でお粗末で。どうも鯨さんって何から何まで無理矢理サプライズを詰め込もうとして、ロクデもないアイディアを平気でそのまま採用してしまうようなトコロがあるんだな。サービス精神といえば聞こえはいいが、結果、肝心のメインネタまで、なんだかえらく軽薄な嘘っぽいバカ話に見えて、だんだんバカバカしくなってくるという。これじゃあ逆効果よね」
G「たしかに欲張ってアレもコレもと盛り込もうとして、収拾がつかなくなっている感じはしますね。しかし、このメインネタ一発だけでも、読む価値はあるように思えますが」
B「どうかなあ。ハードカバーだしねえ……。ともかくこの作家さんは“ホラ話の語り方”ってもんを、もっと考えたほうがいいと思うなあ。ウソってのはさ、真実の中に一個だけまぜるのがポイントじゃん。一から十までウソばっかじゃ話にならない」
G「んー、でもそれじゃ歴史ノンフィクションみたいじゃないですかあ?」
B「だからあ、せめて真実に見えるウソで回りを固めろってコトよ。ま、お気楽な字で描いたマンガのつもりでいるんなら、これでいいんだろうけどね。わたしゃ読まないよ!」
 
●ゲーデル問題とその実践的解決法……最後から二番目の真実
 
G「では、本格らしい本格を1つ。メフィスト賞&島田荘司推薦の2大看板を背負った氷川さんの第3作『最後から二番目の真実』です。にしてもカッコいいタイトルだなあ」
B「意外とスバヤく出たよね。このタイプは執筆にもっと時間がかかると思ったけど。……だからってわけじゃないけど、今回の新作は、まあ異色作といっておくべきだろうね」
G「え、そうですかあ? 前2作同様に謎解きロジックを中心に置いたパズラーだたお思いますけど」
B「ま、そうなんだけど……話はあと。とりあえずアラスジを」
G「はあ。えーと、主人公は作者と同名の氷川透。語り手にして名探偵というこの“クイーン方式”の構図に当てはまるのを、(作中の)氷川自身は潔しとはしていない気がありますが、ともあれ。今回の舞台は屈指の“お嬢様大学”である聖習院女子大の研究棟。そこに研究室を持つ哲学科の講師に呼ばれ、氷川は彼の研究室を訪れます。氷川の友人であるその講師は、ミステリ作家である氷川から、かの“法月論文”で取り上げられた“ミステリにおけるゲーデル問題”について話を聞きたいというのです(ゲーデル問題については後述)。研究室を訪れた氷川は行きあわせた3人の女子大生らと共にミステリ談義を始めるわけですが、むろん当然のように事件が起こります。女子大生三人組の1人が同じ棟の別室から姿を消し、同じ部屋で警備員の死体が発見されたのです。しかもその直後に、部屋から消えたはずの女子大生の死体が、屋上から逆さ吊りにされているのが見つかり、否応なく氷川は謎めいた事件の謎解きに取り組むことになります……」
B「謎解きパズルのために作られた人工的な舞台というのは、この作者の定番だけど、今回はその傾向がますます徹底されている。現場となった研究棟は出入り口がビデオカメラで監視され、さらに棟内の全ての部屋のドアの開閉が自動的に記録されるという、ちょっと考えられないような仕掛けが施されているわけ。……そんな仕掛けに現実性があるのか、なんてことを考えてたら、このヒトのミステリは読めないわけで。ともかくその偏執狂的な仕掛けにより、容疑者は限定され、犯行時間帯における犯人の犯行経路や各容疑者の動静もはっきり示されてしまうんだな。まあ、問題のポイントを明確にするために、条件設定を厳密にしているわけだ」
G「ところが、その記録が確かだとすると、容疑者の誰にとってもこの犯行は論理的に不可能ということになってしまうわけで。冒頭の“女子大生宙吊り死体”なんてのは、一見猟奇的なフックに見えますが、作者の筆は努めてその猟奇性を押さえ・否定するかのような書き方で。つまりこの“宙吊り死体”も含めて、あくまで“論理的な不可能性”こそがリーダビリティの原動力であり、その“合理的な解明と証明”が唯一無二のサプライズの原動力であるわけ。……ピュアですよねー」
B「まあね。しかし問題としては一見単純に見えるけど、限定条件が厳密な割に、いやそれゆえにこそ、ラストの解決は非常に煩雑かつ強引なロジックが積み重ねられていく印象。切れ味というか、ロジック自体の爽快さという点ではいささか心許ないんだよ。ロジックの前提となっている犯人側のトリックが、どうも相当の綱渡りで詐術めいているのもいかがなものか」
G「しかし、アレは驚きましたよー」
B「そうか? トリックに関していえば……この作者はどうもあまりたくさん引き出しを持っていないような感じで、今回も旧作のバリエーションと組合せって気がしたけどな。まあ、結果として“論理的な不可能性”の演出はかなり成功してるんだが、バリエーションを増やさないといずれ行き詰るんじゃないかなぁ」
G「ある意味パターンなトリックというか、ロジックのとじ方ではありましたけどね。例の“本来あるべき”名探偵役の女子大生の謎解き(これがとりもなおさず“最後から二番目の真実”であるわけですが)はぼくも想像できましたが、だからこそその後の氷川の謎解きにはビックリしたクチです」
B「相当複雑なロジックというか真相だからねえ。個々のトリックは見破れても全体像を推理するのは、読者にとって至難の業だったと思うよ。私も完全正解はできなかったし。謎解きとしての難度は前作よりやや高めではないかなー、っつうか無闇にヤヤコシイってことなんだけどね。実際、あまりサプライズや納得感は感じなかったしねえ」
G「……で、冒頭でayaさんがいってた“異色作”ってのはどういうことなんですか?」
B「キミもアラスジで説明した通り、この作品では“ゲーデル問題”について、かなりたっぷり議論されているじゃん」
G「そうですね。あれはわかりやすいですよね。ぼくもきっちりとは理解してなかったんで、ありがたかったです。いちおうその部分、概説しておきましょう。作中で議論される“ミステリにおけるゲーデル問題”というのは、氷川の言葉を借りれば『推理小説がフェアプレイを完遂するためには完結した公理系である必要があり、(中略)それを証明する必要がある。それには(中略)小説そのものよりも上位に位置するなにものかが必要だ』というもの。で、たとえばそのための装置が“読者への挑戦”であるというのが“法月論文”のポイントの1つだということですね」
B「問題はその先で述べられてるパズラーの本質的な矛盾よね……すなわち、読者に対しては作品外に“挑戦”をおけばよいにせよ、作中の探偵にそれを見せることはできない(作品の外なんだからね)。したがって、ある1つの手がかりが真の手がかりなのか、それとも犯人が置いた偽の手がかりなのか、作中人物である探偵には論理的に判断ができないわけだ。故に論理的には『作品内世界には、論理的に唯一ありうる犯人、という存在は論理的に言ってありえない』ということになる」
G「いわゆる“クイーン後期の問題”ってやつに重なってくるわけですね」
B「だね。で、私が思うに、この作品ってのは“ミステリにおけるゲーデル問題とその解決法の一試論”を実践してみせた。……つまり、クイーンや法月さんが陥った“悩み”を、その“悩み”に至る前に早手回しに解決してみせたってことなんではないか」
G「なるほど、ゲーデル問題の矛盾により、いかにもミステリ的な・美しい“最後から二番目の真実”に到達しながらも正解を出しえなかったのが、“氷川より名探偵らしい女子大生名探偵”だったわけですね。で、その後に語り手/書き手としての立場を利用して、“作中人物でありながら作品外から真実を保証しうるメタ名探偵としての自分”を証明して見せたのが、ラストの氷川の謎解きだったと」
B「美しくもないし強引だけど、これが最後の真実だというわけ。まあ、作者なりの、“今後もクイーン流のロジカルなパズラーを書いていきますよ”という宣言であり、そのためにどうしても必要だった手続きみたいなものだったんじゃないかな」
G「ある意味、非常に自覚的かつ戦略的なメタミステリともいえるんでしょうね。ayaさんの推理が当たっているとすれば、次作こそが、作者の第2のスタートということになるのかも」
B「どうだかわかんないけどねー。だとしたら要領良すぎって気もしないじゃないけど……だからって悩むばかりが能じゃないのは、やっぱ確かだわなあ」
 
●で、面白いわけ? そこんとこどうよ?……ミステリ評論革命
 
G「ごぞんじ探偵小説研究会のお2人が、月刊誌に連載中のミステリ評論をまとめた一冊。前年度分は『探偵小説美味礼賛1999』って本にまとめられているから、いうなればこれは『探偵小説美味礼賛2000』ってことですね」
B「だから当然なんだけど、書評のスタイルはその『探偵小説美味礼賛1999』とまったく同じ。たしかその時にGooBooしたはずだから、今回は“取り上げている本”だけ紹介して、後は前回のGooBooを読んでもらえばいいんじゃないの?」
G「いうと思った。……でもそういうわけにはいきませんよ。もちろんそれぞれが取り上げてらっしゃる作品は紹介しますけどね。えっと、佳多山さんが『白夜行』に『妖奇切断譜』、『象と耳鳴り』、『美濃牛』、『無間地獄』に『少年計数機』。最後の二つは違いますが本格ミステリ中心のセレクトですね」
B「このお2人は、基本的には本格が好きなんだろう。鷹城さんも『どんどん橋、落ちた』から『徳利長屋の怪』、『真説ルパン対ホームズ』に『木製の王子』まで取り上げてるし。まあ、『スイート・リトル・ベイビー』や『シメール』といったホラー、ファンタジィ系もあるけどね。全部、読んでた?」
G「牧野さんと服部さんの作品は読んでません」
B「ふうん、キミにしちゃ上出来じゃん。お2人ともネタバレアリの前提で書いているから、未読の作品が取り上げられている場合は読まずにおくべきなんだけど……読んじゃったんだろ、どーせ」
G「読んじゃいましたねー。思いっきり。読んでもない作品の評論だからつまんないのかと思いきや、これがけっこう面白い。前作でも感じたことですが、書評でありながら、対象となる本から独立して愉しめる評論になってるんですよね、このお2人の場合」
B「だよね。例によって他ジャンル他メディアの作品をじゃんじゃん引用しながら、連想でもってイメージを膨らませていき、対象作品そのものというより、それが生まれ出た時代を語ろうとしている、みたいな。ミステリを入り口にした華麗なる社会批評・時代批評……といったらちょいと大げさかね」
G「もともと文芸評論というのは飛躍がミソ、みたいなところがありますからね。その意味ではこのお二人の方法論はべつに異端でも何でもない。単にそのやり方を作品世界の枠をはるかに超えて、さらにその語りを芸の域まで磨き上げてるって感じ」
B「だから極端なこといえば、対象作品なんてどうでもいいのかもしれないね。結局は、自分の世界観が語りたいんだ、みたいな。……だからこそ、対象作品を読んでいなくても評論単独で愉しめるんじゃないかな。エンタテイメントとしての評論という感じだ」
G「華麗ですよね。カッコイイ、まねしたくなるスタイルです」
B「“カッコイイ”ってのは読んでて愉しいよね、特に書いている人間にとってはむっちゃキモチイイはずだ。まさに書き手と読者双方にとってメデタシメデタシなエンタテイメント評論っていえるわけだけど……ただ、そこまでいっちゃうと書評としてはどうだろうね。少なくとも、この評論を読んで、対象作品がミステリとしてどうなのか、というカンジンカナメの問題は、どうにも見えてこない。で、どうなのよ、結局面白いわけぇ? って聞きたくなっちゃうね」
G「うーん。しかし、とりあえず面白ければ、コレもありだと思うけど」
B「そりゃもちろんアリだろうさ。だけど書評としてはいかがなものか。むしろ欠陥品だと思うね。少なくともあたしは、あまし興味が持てないな」
 
●“パックス・バカミスーナ”もほどほどに……バカミスの世界
 
G「ブックガイドをもう一冊。『ミステリ評論革命』と並んでるところを見るとなんだかモノスゴイですね、って感じの『バカミスの世界』。ごぞんじ『このミス』の後ろの方に載っていた“バカミス”のコーナーが、なんだかだんだんボリュームを増やしてきたなあとか思っていたら、とうとう本になってしまいました。元々は作者の小山さんもたしか“珍作・怪作”なんて呼んでいたと思うのですが……“バカミス”って言葉が市民権を獲得したってコトなんでしょうね」
B「たしかにそうだろうね。ただ、“バカミス”の解釈は人それぞれって所があって、この本でもあえて厳密な定義分類をしようとはしていない。そのせいか、本自体もいささかなんでもアリの暴走状態になってる気配はあるけどね」
G「で、『バカミスの世界』ですが、そのおバカなタイトルからすると驚くくらい充実したブックガイドになっています。内容は、バカミスの視点でミステリ史(欧米を中心に)を検証していく第1章、第2章は、国産バカミス創作の第一人者・霞流一さんのの創作『わらう公家』(むろん『笑う後家』のパロディですね)を中心に、折原さんのエッセイ、北村さん・若竹さんの対談、山口雅也さんのインタビュー等で日本のバカミスの現状を紹介。そして第3章は海外のバカミス短編、第4章でバカミスベスト100のブックレビュー。いやはやたいへんな労作です」
B「第1部は原書の貴重な書影、写真が豊富に収録されていてなかなか楽しいんだけど、これらはカラーにしてほしかったところだな」
G「初心者にとっては目新しい珍作・怪作も多数紹介されていますし、特にバカミスという切り口に興味がない人にとっても参考になるんじゃないでしょうか」
B「そうだね。ただ、文章の方はなんでもかんでもバカミスにしちゃおうという気配が濃厚なんで、ちょっと割り引いて読んだ方がいいかも」
G「第2章の『わらう公家』、本家に劣らぬ大バカぶりでしたね。あのスットコドッコイの超絶トリック……」
B「そうか? まあ、あんなもんかな、って感じだけど……私の場合、バカミスの旗印をあげてる霞さんの作品だから、逆にインパクトが薄く感じるんだよね。どうせこのヒトのコトだからまたバカなトリックなんだろ、って先入観を持ってしまう。“狙って書くバカミス”ってのは、だからたぶん不利なんだよ」
G「バカミスそのものの定義については、折原さんのエッセイがわかりやすくていいですね」
B「ご本人の作品は『倒錯のロンド』が入ってるだけだけど、考えてみればああも徹底して叙述トリックにこだわり続ける創作姿勢そのものが、バカミス的であるかもしれない。カーの密室もそうだけど、“度を超したこだわり”はバカミスのモト、なんだよね」
G「第3章の海外バカミス短編はいずれも初訳らしいですね。ウッドハウス、マルツバーグ、ロバート・バーにロバート・レスリー・べレム……」
B「妙な顔触れだな。いずれも珍しいのは確かだが、じつは読んでもあまり面白くない。この作家ならもっと面白いのが他にあるのに、というのばっかで。第1章もそうだったけど、編者のマニアぶりが前面に出ている感じ。普通の読者にはどうでもいいコーナーだな、たぶん」
G「で、最後は『厳選! バカミスベスト100』ですが、いきなりクリスティの『アクロイド』や『そして誰も』『ABC』から始まるんでビックリします。これもバカミスだったのか! みたいな」
B「まあ、よくあることなんだけど、こういう新規な用語を開発しそれが“受けちゃった”ヒトにありがちなカンチガイ。んもうなんでもかんでもそれにしたがるっていうか……アレもバカミス、コレもバカミス、ちょっとでもその匂いがあれば、無ければ無理矢理にこさえてでも“こっち側に引きずり込む”。これって一種の膨張主義? パックスバカミスーナもほどほどにって感じだけど、その暴走ぶり自体がバカミスっちゃあバカミスだぁね」
G「結局、バカミスってなんなんでしょうね。『アクロイド』だってそういわれればバカミスって気もしないではないな、とか思っちゃうし」
B「そうだな。基本的に本格ミステリってのはバカなものなんだよ。密室、孤島、館、名探偵……こういったコード自体、マトモに考えればバカバカしいものなんだよね、きっと。しかもそのバカバカしいものを、いいトシした大人がこれ以上ないくらい真剣に考え続け書き続けている。ハタから見ればバカだと思うよ」
G「そういわれると、小山さんたちの“パックス・バカミスーナ”も一応の説得力がありそうに思えてきちゃいますが」
B「だけど、その本質的なバカを悟られないように、作家は頑張ってるわけで。時折その“バカと思わせない技術が足りなくて”あるいは“その技術ではカバーしきれないくらいバカへの情熱が暴走して”しまった場合、本質的なバカっぷりがアラワに出てしまう。そのとき、バカミスが生まれるんじゃないかな、と」
G「そういう意味では“狙って書く”のはやっぱり邪道なんですかね」
B「うーん、邪道とはいわないけど、どうしても薄っぺらなものになる傾向はある気がする。だって、前述の2つの分類からすれば、単純に“バカを隠すのを止めれば”、バカミスに見えてくるわけだし。きちんとやろうとしたら大変な力量が必要だと思うね……」
 
#2001年2月某日/某スタバにて
 
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