battle64(6月第4週)
 
 
 
[取り上げた本] 
  
01 「片想い」       東野圭吾                   文藝春秋 
02 「長い腕」       川崎草志                   角川書店 
03 「混沌の脳」      響堂 新                   角川書店 
04 「怪盗ゴダールの冒険」 フレデリック・アーヴィング・アンダースン  国書刊行会 
05 「黒祠の島」      小野不由美                   祥伝社 
06 「九つの殺人メルヘン」 鯨統一郎                    光文社 
07 「模倣犯」       宮部みゆき                   小学館 
08 「ミステリ・オペラ 〜宿命城殺人事件〜」 山田正紀          早川書房 
09 「警察官よ汝を守れ」  ヘンリー・ウエイド             国書刊行会 
10 「リセット」      北村薫                     新潮社 
 
 
Goo=BLACK Boo=RED 
  
●アップトゥデイトな社会派ミステリ……片想い 
  
G「東野さんの新作長篇は『片想い』。これってミステリ味はあるけれども、本格ミステリではないですね。そもそもそのミステリ味だって、ごく薄口だし。ジェンダーの問題をテーマにした社会派ミステリ……ということになるのでしょうか」 
B「タイトルやアラスジを聴いた時点では、例の『秘密』の系統の作品かと思ったんだけど、これは全然違う。刑事が靴の底をすり減らして歩く、というようないわゆる社会派ミステリとはイメージが異なるけれども、社会的な問題をテーマにそれをミステリ的……この場合はサスペンスだと思うが……な処理でもって読ませるわけで。その意味において社会派ミステリと呼んで差し支えないと思うね。まあ、お話の骨格や雰囲気はむしろトレンディドラマ(<死語)みたいな感じで、そこにジェンダー問題という重いテーマを据えて、ミステリの味付けを施した……そんな感じ。誰でも思いつきそうな仕掛けだが、やろうたってなかなかできるもんじゃない。やはりプロだよなあ、とは思うね」 
G「トレンディドラマっつーのはどうかと思いますが、まあ、そんな雰囲気も無きにしも、というところですか。んじゃ、内容をご紹介しますね。大学時代のアメフト仲間が顔をそろえる年に一度の飲み会に出席した主人公。彼はかつてそのチームでクォーターバックを務め、現在はスポーツライターをしています。宴も果てた帰り道、主人公の目の前に不意にかつてアメフト部のマネージャーだった女性が姿を現します。幸せな結婚生活を送っているはずの彼女の、しかしどこか不審な様子に、思わず問い詰めた主人公は彼女から意外な告白を聞かされます」 
B「これってどこまで語っていいんだろうな……ともあれ、彼女自身の秘密……人には語れぬ深刻な問題故に彼女は家庭を捨て、さらにはある殺人事件にまで巻き込まれていたわけだ。主人公はアメフト仲間として、親友として、そしてひとりの人間として、彼女を手助けすることを決意する。彼女を部屋に匿い、巻き込まれた事件を探り始め……やがて主人公はジェンダーを巡るこの社会の様々な矛盾に次々と直面していく……」 
G「どうにも奥歯に物の挟まったいい方になっちゃいますが、ソコはやっぱりネタバレしないほうが良いかと。別にそれだけがミソってわけじゃないですが」 
B「まあ、そうなるだろうな、やっぱ。で、内容だが。ミステリ的などんでんも仕掛けられてはいるけども、そちらはあくまで味付け程度とみた。作者の狙いはやはり、このジェンダーの問題を多角的に考察し提示していくことにあるんだよな」 
G「これはとても重たく、またたいへん複雑かつ広がりを持つ問題なんですが、作者はそれをメッセージとしてでなく1つの現実として、ストーリィと有機的に結合したキャラクタやエピソードを通じて無理なく読ませてくれますね。押し付けがましくもなく、エンタテイメントとしてのツボも外さず……じつにまったく巧いものだと思います」 
B「しかしながら、いくらなんでも少々出来過ぎの感はあるかもね。こうも出てくる人物がどいつもこいつも……というのは、やはりなんだか不自然な気もする」 
G「しかし、そもそもそういう世界を背景にした事件なのですから。主人公の捜査行は“その世界”を巡る旅にほかならないわけで。それが一種寓話めいた雰囲気を帯びてくるのは、むしろ当然なんではないでしょうか」 
B「ま、それはそうかもしれないけどね。『秘密』のように思いきりファンタジィに振ってくれるならまだしも、なまじリアルっぽい書き振りだからちょっと気になってしまうわけだ。ご都合主義といえばいえるわけで……。ついでにいえば、ミステリ部分のツイストの底の浅さも気になるね。テーマの添え物って感じで……どうもここだけ浮いちゃってるような。できればもう一歩深い部分でひねりを効かせてテーマときっちり結びつけてほしかったな」 
G「まあ、そのあたりはたしかにあっさり目ではありますが、なかなか目を向けることの無い問題だけに、ぼく自身は多いに啓発されたというか。認識を新たにした部分がありますよ。面白くてタメになる、まさに一級品の社会派ミステリでしょう」
 
●統一感を欠いた大盤振る舞い……長い腕 
  
G「続きましては、新人さんの賞ものです。横溝正史賞の大賞作品ですね。横溝正史賞もこれで第21回ですか……いまだにもひとつメジャーになりきれない新人賞って感じはありますが、けっこう続いてるもんですね」 
B「賞だって長く続けばいいってもんじゃないだろう。だいたいこの程度の作品が大賞に選ばれちゃうようじゃ、この賞自体、先は長くないって気がするんだけどね」 
G「え、そうですかあ? たしかにあまり巧くはないし、ネタもミエミエだけど、けっこう面白く読みましたよ。新人のものとしてはこれだけ書ければ十分でしょ」 
B「なにいってんだか、このクオリティは佳作もしくは参考作品がギリギりでしょ。選評を読むと消去法で残ったという感じだけど、他のがよっぽど酷かったのか? 選者は勇気をもって受賞作無しの選択をすべきだったね」 
G「何もそこまでいわなくたっていいじゃないですかー。終盤のサスペンスの盛り上がりなんてナカナカのものだったと思いますよ……で、内容ですが。物語は大きく前半と後半の2つに分かれます。無論、同じ主人公を擁する1つながりのストーリィなんですが、ゲーム会社とWebの世界を舞台とする前半と、その前半の謎が過去の歴史上の謎に結びついていく伝奇ミステリ風の後半という構成で。このスタイル自体、一見いかにも水と油なんですが、さほど違和感を感じない。最終的には両方の流れが統合されて時の流れを超えた奥行きのあるエンディングにまで、結びついていくという。なかなかにスケールの大きな企てです」 
B「ヒロインはゲーム開発会社に勤務する凄腕デザイナー。1つの会社に居着くことを潔しとしない彼女は、ようやく1つのしんどいプロジェクトを終えて退職を決める。ところがその矢先、別のチームの同僚2人が社屋ビルの屋上から墜死し、さらにヒロインの故郷の田舎町でも中学生同士の殺人事件が発生する。一見なんら関わりの無いこの2つの事件に、ヒロインは偶然、奇妙な共通点を発見する。どちらの事件にも、同じアニメキャラクタが関わっていたんだな。さらに調べを進めると、ヒロインの故郷の村は全国平均に比べ殺人事件の発生率が異様に高い……という事実が見えてくる」 
G「ケイジロウというそのキャラクタの正体は何か。ヒロインの故郷との関連はどこにあるのか。ヒロインはかつて故郷で両親を襲った謎めいた事件とのつながりを直感し、謎の答えを求めて故郷へ……因習に縛られた村へと帰還します」 
B「作者はどうやらキミもおなじみの某ゲーム会社にいたらしいね。前半はその経験を活かしてゲーム開発現場の描写がこれでもかと続く。とくだんミステリ的な仕掛けと連動しているわけでもなく、いわゆる社会派風の企業内幕暴露ネタでもないから、よっぽどこの業界に興味がある人以外は退屈だろう。事件に絡んで描かれるWeb経由の都市伝説風という味付けも、とくだんの工夫があるわけで無し、いまや少々陳腐だね。このパートは全体にさほど新味というものを感じられない」 
G「んん、そうかなあ。ぼくはあのゲーム会社の描写もそれはそれで面白く読みましたよ。文章とか余り上手とは言えないんですが、この業界を描くには、むしろこういう無機質な説明文っぽい文章があっているような気もしますね……でも、そうだなあ。ゲームに興味の無い人は退屈かしらん。Web経由の都市伝説という、どことなし恩田さんを思わせる趣向は、まあたしかに新味はないのですが、それでもやっぱりスリリング。ぼく、好きなんですよ。都市伝説もの」 
B「そういや一頃盛んに読んでたもんなー、『チョーキング・ドーベルマン』とかあの手の本をさ。しかし、たしかに恩田さんをはじめ都市伝説を扱った作品はいっぱいあるけど、本格でコレっていうのは意外と少ないよね」 
G「そうそう、そうなんですよ。面白いネタだと思うんですけどねえ。どうもホラーに転んでしまうというか。……ま、余談はともかく。このようないわばモダンな前半部から後半は一気に古典的というか……因習に満ちた閉鎖的な村を舞台にした、ホラーがかった伝奇ミステリ風になっていく。このあたりの転調ぶりはいかにも唐突なんですが、それでいてさほど違和感を感じさせないのは、前半部も含めてオカルト的な演出が効いているからでしょう」 
B「たしかに前半から中盤にかけてつるべ打ちされる謎の連打はそれなりに魅力的なんだけど、その謎のスケールの割には解明は呆気ない。実際、ヒロインより先に真相に勘付く読者がほとんどなんじゃないかな。どうも作者は欲張りすぎたようで、Webだの都市伝説だのアニメキャラだのゴテゴテ飾り付けが過ぎて、逆に真相にまつわる骨格部分が浮き上がってしまうというか。丸見えになっちゃってるんだよな。どうもこのあたり不器用で、モトモトのネタは悪くないのに、引っ張りすぎて丸見えになり、あげくえらく貧相なものに見えてしまったという勘違い」 
G「ううん、たしかに真相はわりと早い段階で想像ついちゃいますけどね。それでも、ラストに用意されたもう一つのクライマックスは、これはなかなかのものでしょう。特にヒロインが真犯人を追って敵の本拠に侵入するくだり……あそこなんか『黒い家』のクライマックスを連想させる、じつに強烈なサスペンスがあった。ほとんどホラーのノリでしたよね」 
B「通俗だよなー。盛込み過ぎなんだよ。なんじゃかんじゃ詰め込みすぎるから、全体として統一感が無いというか。せっかくのメインネタがちいとも印象に残らない。勿体ないよなあ、と。ま、それだけだな、これについては」
 
●Z級映画の原作本……混沌の脳 
  
G「島田さん推輓でデビューした響堂さんも、もう4作目ですか。先端科学を応用した本格というスタンスは、島田さんの提唱する“次代の本格ミステリのありよう”にもっとも近いお1人という印象でしたが……どうもいまだにいまひとつ、メインストリームから外れてる印象ですね」 
B「講談社から本を出さないからじゃないの?(笑)。まあ冗談はともかく、基本的にはこの人って、クライトンばりのハイテクサスペンス指向なんじゃないの、って気が最近はしてる。まあ、エンタテイナーとしてはクライトンより相当落ちるけどね……特に今回の新作はヒドイもんだね」 
G「メディカルサスペンス、パニックもの、というノリだったこれまでとは、今回はちょっと方向が違いますかね。まあ、医学ネタといえばそうなんだろうけど」 
B「っていうか、コレはさあ、何の工夫もひねりもない人格転移モノSFだよね。30年前ならまだしも、今どきこんな陳腐なアイディアでこのネタをやられても困っちゃうわけよ。なんだか時代錯誤って感じすら漂っちゃうねー」 
G「むう。まあ、とりあえずアラスジに行きましょう。物語は、主人公の高校生が見知らぬ部屋で目覚めるところから始まります。なぜか意識を失った前後の記憶はないものの、名前もその他の記憶もはっきりしているんですね。……なのに、鏡に映った自分は病み衰えた中年男!  になっているのです……なにがどうっているのか。混乱する彼の前に現れた、美貌の、しかし見知らぬ夫人は主人公を夫と呼びます。調べていくと、どうやら彼は高名な天才科学者の肉体の中にいるらしい。しかも高校生である彼の自宅には、彼とそっくりの別人が……人格移植? クローン? 激しく混乱しながらも、彼は彼自身の肉体を取り戻す戦いを始めます」 
B「ま、それで全部だよな。冒頭を読んで読者が最初に連想した“答え”が、まんまラストの種明かしになっているという。おっそるべき幼稚さというかナチュラルさというか。よぉもまあ今どきここまでストレートなお話を本にしたものよのう、と呆れずにはおれないねー」 
G「たしかにそのあたりの、アイディアストーリィとしての新鮮さは少々物足りませんね。人格移植にせよクローンにせよ、手垢つきまくりのネタに過ぎませんし」 
B「まあ、それだけのアイディアじゃ長篇が持たないものだから、途中“意味なく”ストーリィをひねり回したりしてるんだけど、これがもう本当に意味が無い。タメにする起伏というか。単なる混乱というか。なんか読んでて哀しくなってくるのよね。アイディアが出ないんならテクニックで読ませよう、とでも勘違いしたんだろうか。これを平気で本にしてしまう編集者も編集者だわな」 
G「まあ、思いっきりマッドサイエンティストが出てきたり、山奥の洋館にスーパーコンピュータ付きのヒミツ基地があったり、ある種超レトロなマンガのノリがあって。こういうのは数十年後怪作とか珍品とか言われて、高値の古書になるのかもしれませんね」 
B「……ってそりゃどういう持ち上げ方だよ! しっかしなあ、この小説に出てくる超天才のマッドサイエンティストってさ、本当に子供番組に出てくる悪役並の知能だよなー。根本的にヌケてるっつーか。……あの遺産相続にまつわるおマヌケきわまる手抜かりぶりには笑った笑った。これを原作にして、Z級映画を作るといいね。きっと傑作になるぞぉ!」
 
●変幻自在の語り口で描く姿なき怪盗……怪盗ゴダールの冒険 
  
G「これはちょっとした珍品でしょうか。ぼくも読むのは初めてですね。アンダースンの『怪盗ゴダールの冒険』。作者は20世紀初頭に活躍した流行作家で、大変な数のシリーズ物ミステリを書いたそうですが、日本ではほとんど知られていないようです」 
B「典型的な流行作家というやつだよね。当時は大変な人気だったそうだけど……考えてみりゃ百年後も読み継がれる作家さんなんて、ホンの一握りなのが当たり前だよ。べつに小説に限ったことじゃないけどね。……で、この作品だけど、“百発百中のゴダール”と呼ばれる怪盗ものの短編連作。“百発百中”なんて、なんだか垢抜けないんだけど、要するに狙った獲物は逃さないっちゅうことよね」 
G「ですね。こういった怪盗ものといえば、やはりルパン、二十面相の昔から現代の怪盗ニックシリーズまで続く栄光の歴史があるわけですが、その中でもこの“ゴダール”はかなり特異な位置づけにある気がします。読んでみて、結構驚かされましたもん」 
B「ふむ。そうだねえ……怪盗ニックなんかはあまりそんな匂いはしないけど、怪盗ものというのは本来ハウダニットなんだよね。基本的に“難攻不落な”金庫なりに収められたお宝を、“いかにして”盗み出すか。こいつが読み所で。無論、火薬だの鉄砲だのを使うんじゃなくて、アタマを使ってスマートに盗む。そのハウダニット的な面白さが主眼。現代ミステリでいえば、コンゲームものなんかに通じる面白さだよね。……で、たしかに“ゴダール”もその系譜に連なる怪盗であるわけだけど、ところがその見せ方がおおいにヒネくれているわけで」 
G「そうそう。たしかに彼が狙うのは、たとえば侵入不可能なお屋敷の、金庫室に収められた神秘の宝石であったり、最新技術の警報システムで守られた要塞めいた銀行だったり、貨幣検室局の工場のタンクでドロドロに溶かされた黄金だったりするわけで。ある意味きわめてオーソドックスなんですが、そのプロットのもって行き方が半端じゃない。早い話がゴダール自身が作中にめったに姿を現さないんですね…で、本筋とはおよそ関係無さそうな奇妙なシーンがエンエン語られて。これがどこへどうつながっていくのか、いくら読んでも話が見えないんです。で、最後の最後でそれらのピースが音を立てて組み合わさって一枚の絵となり、ようやく怪盗の真の狙いやら作戦やらが明らかになるという仕掛け」 
B「今日のミステリズレした読者の目で見れば、ゴダールの手口自体はたわいないようなものなんだけどね。それを視点の置き方を工夫することで、面白く読ませてしまうんだ。ともかくこの作者の手を替え品を替えた変幻自在のプロットワークはただ事じゃない。時にはメタまで使ってくるんだからなあ!徹底して読者の鼻ヅラをつかんで引きずり回すって感じで……読み捨てのエンタテイメント作品としては、おそろしく手が込んでいる。まあ、こいつがハウダニットとしての面白さか、といわれると、それはいささか疑問だけれどね」 
G「これはもうネタそのものよりも見せ方で勝負してるミステリでしょう。もうそれ一本に賭けてるって感じで……時折錯綜しすぎて訳がわからなくなるほどですが、この目眩くような語りのテクニックはちょっとなかなか他では味わえないものだと思います」 
B「さすがにいま読むと、全体に古いという感じは否めないけどね。ただ、20世紀初頭の、つまり思いきり景気が良かったころのニューヨークが舞台ということで。そのあたりのレトロモダンな雰囲気がよく出ているのは楽しいな。また、通常こういった怪盗ものでは、キャラクタ小説、ヒーロー小説としての側面が強く打ちだされるのが通例だけど、このゴダールに限っては正反対で。ゴダールそのもののキャラクタは、実に掴み所が無いんだよ。これはキミがいったように、作者が語り口の技巧で勝負しているせいもあるんだろうけど、その点を割り引いても実に蜃気楼じみた主人公で。いくら読んでも一向に本性が見えてこないし、感情移入もできない。まあ、怪盗という立場からすると、本当はその方が正しいのかも知れないね」 
G「そうですねえ、エンタテイメントのシリーズものキャラクタとして、怪盗として、きわめて異色な存在であることは確かでしょう。だからってわけじゃありませんが、この作家はちょっと興味が湧きましたねー。他のシリーズ作品も、できたら読んでみたいものです」
 
●パーフェクト・ワールド……黒祠の島 
  
G「ずいぶんと遅くなってしまいましたが、『黒祠の島』、行きましょう。希代のストーリィテラー・小野不由美さんが、初めて挑んだ本格ミステリ長篇です」 
B「もちろんこの人には、ホラーと本格ミステリの中間を行くような傑作『東亰異聞』があるわけだけど、真っ正面から本格ミステリに取り組んだのは、たしかにこれが初めてだね。『東亰異聞』というホラーと本格と両要素を合わせ持つ作品の次が、キング風味のモダンホラー大作『屍鬼』だったからねぇ。てっきりホラー方面へ向かわれたのか、と思ったけど」 
G「まあ、いっぺん本格っぽいものを書いたヒトは絶対足抜けできないんですよ。必ず帰ってくる……そんな気がします。というところで、えーっと……資料調査の仕事をもらっていた女性フリーライターが失踪し、探偵の式部は彼女の行方を追って南海の孤島・夜叉島にたどり着きます。そこは失踪した彼女の故郷であり、式部の聞き込みではたしかに彼女が連れと2人で島に渡ったことが確認されたのです。しかし、島民たちは2人の行方どころか、彼女たちが来島したことをさえ否定します。島じゅうに飾られた無数の風車、寡黙で何かを怖れるかのような島民たちの態度……この島には何かある。式部は不吉な予感に包まれます」 
B「調査は行き詰り、2人の来島を確認していた僅かな証人までもが証言を翻すに及び、式部は全ての謎の根源が、島を支配する異教と、その教えを背景に島民に絶対的な権力を振う支配者にあることを察知する。……島を支配する教えの秘密とは何か、けっして姿を見せない巫女の正体は?」 
G「絶海の孤島。異教。因習に縛られた排他的な島民。……孤島ものとしては、実に古典的ともいうべきオーソドックスな設定ですが、近年ポスト新本格系の若手作家が試みているいささかマンガチックなそれとは違い、あくまで“現代日本における孤島もの”という困難な課題に正面から挑んだ力作だと思います」 
B「たしかにストレートではある。因習に縛られながら、しかし、現代人的な迷いや戸惑いも隠さないきめ細かい島民の描写や、古代から連綿と続く異教というある種トンデモな設定を成立させるための豊富な蘊蓄。そしてそれらを支える文章力。まさしくこの作家ならではの緻密な描写力で舞台作りは完璧だといっていい」 
G「ミステリ的なネタについても、やはりきわめてストレートですよね。真犯人の設定と、それを導き出すロジックは実に明快で、これしかないという真っ向勝負。その真相を隠蔽するミスリード/トリックの仕掛けも、寸毫の狂いもないポイントにドンピシャで設定されている。そのせいか、いささか全体の見通しが良くなりすぎて、真相を提示されたときのサプライズはいまひとつという感もありますが、前述の“世界作り”の手腕とともに、実に正しい、地に足のついた本格ミステリという確信は揺るぎません。ラストの真犯人のイメージの鮮烈さも忘れ難いし、これはやはり今年の収穫の一冊というべきでしょう」 
B「真っ当な本格という言葉には逆らえないし、本年の収穫の一つという言葉に異論はないけどさ、傑作と言いきるにはやはりどうしても躊躇が残る。なんというかなあ、何から何まで教科書どおりで。こちらの予想を一歩も上回らないスジミチ通りの展開に終始してしまうのは、やはりどこか物足りないんだよ。有り余る実力を備えた優等生の模範答案という感じで、なにか本格らしい歪みとか妖しさとか歪さみたいな匂いに欠けている。……優れた本格ミステリであっても、愛すべき本格とはいえないわけで。どうも作者は準備をしすぎ計算をしすぎた嫌いがあるね」 
G「きれいに設計図を引いて、その通りに伏線を張るのはむしろ本格として褒められるべきことでしょう。歪みや妖しさというのは、往々にして破綻の代名詞というものだと思いますが。それを教科書通りというのは、少々酷ないい方では?」 
B「そうかな? どうも私には作者が、本格としての設計図をきれいにまとめることに汲々となって、クリエイタとしてイマジネーションを羽ばたかせる勇気を失ってしまったように思えてならないね。きれいにまとめることよりも、大事なことってあるはずだ。八方破れでもラストのサプライズ命! とか。このトリックに全てを賭ける!とか。ミスディレクションが全て! とか……ともすれば作品としての完成度を破壊しかねない強烈な執着こそが、本格を本格足らしめる。有り体にいって作者がこの作品で本格としてのナニに賭けているのか、ドコに驚いて欲しいのか、はたまた自分で何を楽しんで書いたのか……作者の顔が、息遣いが少しも見えてこないんだね」 
G「作者の顔が消えるというのは、それだけ物語の世界が、それ自体完結した高度な完成度を持っているということの証明だと思うんですが。破綻しかねない情熱の所産が魅力、というのもわかるのですが、今みたいに破綻それ自体・歪みそれ自体を狙ったような本格が氾濫する中にあっては、この作品のような楷書で書かれた本格の価値は非常に高いという気がしますよ」 
B「価値がないとはいわないよ。しかし、こうもスキが無いとね、どうももう一つ面白く無いんだよなあ。読んでいて少しもコーフンしないというか。なんだか作者は本格ミステリというものが、少しもスキじゃないんじゃないか、って気さえしてしまう。プロの、それも非常に力のあるプロの仕事だけど……たとえていえば、これは“記録に残る”作品であって、ファンの“記憶に残る”作品にはなりえない、という気がするのさ。で、私は記憶に残る作品をこそ愛する、と。……ま、戯言だけどね、そういうことだよ」
 
●ミステリ職人開眼!……九つの殺人メルヘン 
  
G「最近、めっきり筆力旺盛な感じの鯨さんの新作『九つの殺人メルヘン』は、またしても安楽椅子探偵ものの連作短編新シリーズ……といっても、これもまた前回の“ナミダキラコ”同様、都筑を書くのはチトと難しそうで、こりゃ一冊で完結かな?」 
B「そんなこたぁないよ。“数年後”にすりゃいいんでしょ? だいたい名探偵役の正体はほとんど不明のままだし、作者的には続けたい気もあるんじゃないの?」 
G「なるほど、そういわれればそうかも」 
B「しかし、“酒場での会話の中で謎が解かれていく”ってのは、鯨さん自身を含めて、全くといっていいほど新味のない設定だし、“酔うほどに推理力が湧いてくる名探偵”というのも、いまさらな使い古されたネタ。いくら自分が書きやすいからって、こうまでオリジナリティに乏しい設定を使っちゃうのもいかがなものか。続編を書くにはキャラにも設定にも魅力がなさ過ぎだよな」 
G「むー、まあたしかに表面的にはその通りなんですが、このシリーズはそういった表面的な部分よりも、核となってるミステリとしての趣向の部分がとてもユニークかつ凝りまくってるわけで。……というのは、1つはここに収められた9篇が全てアリバイ崩しであって、そのアリバイトリックのパターンってのは、かの有栖川有栖さんが『マジックミラー』という長篇の中の“アリバイ講義”の項で分類した9つのアリバイ・トリックをすべて網羅しているんですね。これだけでも面白いのですが、さらに作者は、これを童話にあてはめて謎解きするという趣向を加えている。サラサラ読めるんですが、これは相当凝った作りの短編集ですね」 
B「童話に当てはめて、というのは、名探偵役のヒロインが大学でメルヒェンを学んでいる学生で、その知識・思考法を応用して謎を解くという意味。たとえばさー、『ヘンゼルとグレーテル』は当時の“子捨て”の暗喩、といった調子の、“一見微笑ましい童話の裏に潜む恐ろしい暗喩、真実”という発想法を当てはめて謎解きするわけ。以前流行った『本当は恐ろしいグリム童話』でやってたアレだね。たしかにそういう意味では二重の縛りを自ら設けて、これに挑戦しているユニークな連作といえるかもしれない」 
G「一編一編はごく短いし、事件の説明もその謎解きも会話体で語られる、ごくあっさりした作品ばかりですが、ぼくは好きですね。なんていうか、気が利いてる。それぞれのトリックもあっと驚くというほどではありませんが、限られた枚数の中で頑張ってると思います。あと、ayaさんが紹介したメルヒェン応用の推理法についても、要は逆転の発想をベースにした帰納的推理で……ちょっとブラウン神父を連想させるムードがあるのもいいですね」 
B「ブラウン神父に比べるなんて片腹痛い! この作者のロジックというのは、一見手を替え品を替えしているようで、実はおっそろしく1パターン。要は前作の『ナミダキラコ』とおんなじで、“とりあえず引っ繰り返す”という。しかもその引っ繰り返し方の方向性がみんな似通ってて……思考のスパンの狭さがアリアリ出ているという感じなんだよなあ。まあ、それを様々なメルヒェンを持ってくることで、かろうじて変化を付けているというところなんだろうね。ついでにいえば、作者にとってはこれがいわばツボだったんだな。なんせこのやり方ならナンボでも大量生産が利くからさ、やけに次々新作が出るようになったのも当然ってわけよ」 
G「んーむちゃくちゃいいよんなあ。だけど、サラサラ読めてごく短い割には、実は密度は相当濃い作品集だと思いますよ。前述のアリバイ・パターン制覇にメルヒェン仕立ての推理。そしてついでに舞台となる日本酒バーに絡めて日本酒の蘊蓄も語られるし、ミステリ的なクスグリも豊富。マニアックな楽しさもいっぱい詰まっている気がします」 
B「結局のところ、本格ミステリとして肝心かなめの部分の工夫をなおざりして、そういう装飾にばっか凝るのが気に入らないのよね。ミステリ的には徹底してパターン化されたルーティンという感じで、驚きというものが無いし。若くしていきなり職人ハダになってどうするんだよ、みたいな」 
G「本格ミステリの世界では、そういう行き方……職人ハダをめざすつうのもアリでしょう。無論そろそろ長篇でドカンと一発、ハデなやつを読ませて欲しいところではありますけどね」 
B「ところでどうでもいいことだが、これって光文社の新書、つまりいわゆるカッパブックスなんだけどさ。カッパブックスらしからぬ装丁だよな」 
G「ですね〜。カバー背は白地に著者名部分に色ベタ帯つうのがカッパの基本パターンでしたが、この本は背はスカイブルーの色ベタだし、表紙も全面イラスト。一見カッパブックスには見えませんね。……版元の意欲の現れでは」 
B「ふーん。どーでもいいけど、ヘタな表紙画だよなあ。キリコもどきっつーか……第一内容の雰囲気に合ってるとも思えないし。まーねー、カッパの従来のパターンがいいとはいわないけどさ、どうせ変えるんならもっとカッチョいいのにしてほしいわよねえ!」
 
●残酷な神が君臨する……模倣犯 
  
G「さて、続きましては宮部みゆきさん畢生の大作『模倣犯』と参りましょう。連載3年(『週刊ポスト』)、加筆2年。総計5年の歳月をかけて完成した問答無用の大作。もちろん本格ミステリではありませんが、おそらくは年末の各種ミステリベストの類いに顔を出すこと必至!  な話題作です」 
B「しっかし、長いよねー。イヤ、たしかに面白いんだよ、面白くて読むのが止められなくなるし、読んでいる間はいろいろ考えさせられるんだけど……それでもなお、ここまで長大である必要があるのかねえ。ボリュームや扱っているテーマの重さに比べて、後に残るものは意外なほど希薄でさ。作者の視点や作中への介入の仕方等、どこか微妙に計算違いしてるっつー感じがしないでもない」 
G「ふうむ。まあ、取りあえずはざっくり内容を。……大づかみに述べるならば、これはある女性連続殺人事件に関わった様々な人々の運命の転変を、その事件の進行にともなって多角的に描いていく物語。行方不明の娘を気づかう老人、悲惨な過去に追われ続ける遺体発見者の少年、ジャーナリストとしての成功とモラルの狭間で苦悩するルポライター、犯人に翻弄されながらも小さな手がかりを追い続ける警察官、そして現代社会のある一面を凝縮したような犯人……一連の事件が生みだした膨大な“関係者”の運命の糸が絡み合いもつれ合って、彼らの人生に無数の悲劇を生みだしていく様を、どんな細部もゆるがせにしないで克明に描いた、壮大な犯罪悲劇で。なんちゅうかミステリ界のバルザックとでもいいたくなるような巨篇ですね」 
B「ミステリ的な仕掛けでいえば、前半部で事件はあっけなく終息したかのような仕掛けになっているところがミソ。それこそここからは“関係者のその後の悲劇”やら“犯人の過去”といったネタをネチネチ書いていくのかな、と読者に思わせておいて、実は本筋はここからなんだよなー。この手の“リアルな”犯罪小説ではちょいと珍しい、マンガチックなほど“巧緻をきわめた”犯罪者による犯罪計画が、人々をさらなる悲劇に巻き込んでいくわけで……。ところが、私の場合、まず気に入らないのはこの犯人像。これは高名な評者の方々がすでに指摘していることだけど、その他の“関係者”のくっきりした肖像に比べると、やはりどうにも薄っぺらで、いきなりそこだけマンガチックな印象が残っちゃうんだよね。あれだけの悲劇を巻き起こした中心にしては、何かひどく空虚で」 
G「それはしかし、“普通の人々”であるその他の関係者のリアルな人生と対比させる形で、いわば計算づくでそういう描き方をしたんじゃないですか? ある種、つかみ所の無い現代の悪の1つの典型として、その空虚な肖像を描くことで、さらに人々を襲った悲劇のやりきれなさを描き出すという」 
B「それは確かにそうなんだろうし、作者はすでにエンタテイメント的な勧善懲悪の力学を遥かに超えた地点にいるわけだけど、この“現代の悲劇”を“全て”描き尽くそうという姿勢からすると、やはりどうしても片手落ちという感が残るんだよ。まるで一連の事件は、犯人という人間が引き起こしたものというより、ある種の避けられない天災みたいに思えてくるわけで。これに限らず、作者の描き方は不必要に残酷で扇情的だ」 
G「扇情的? それはどうでしょう。むしろ抑えた筆致だと思うけど」 
B「この作品では『理由』なんかとは違って、“作者自身の視点”が頻繁に登場するでしょ。で、たとえば犯人に被害者が遭遇したシーンでは“もしこのとき、○○でなかったら、その後の悲劇は避けられたであろう”云々の記述が頻出する。……まるで古臭い“あの時もし……していれば”派(Had I But Known/HIBT派/ラインハートなど)のB級スリラーみたいだよなあ。一事が万事この調子で、作者は登場人物の心に踏み込んで、それこそ“神の視点”でもってあれこれ抉りだしては託宣を下すわけだ。そのくせ犯人だけは……これはミステリ的な仕掛けの都合上ということもあるんだろうけど、えらく淡泊な描き方しかしないわけで、なんちゅうか、この作品全体に作者という名のひどく残酷で不公平な神が君臨しているように見えるんだな。やはりリアルというよりアザトイ。必要以上に扇情的な仕上がりに、私には思えるわけ。エンタテイメントとしては逸脱してるし、ブンガクとしてはモノタリナイ。中途半端なスタンスが、重いばかりで薄っぺらな読後感につながっているんだよ」 
G「ずいぶんとまあキツい評価ですねえ。しかしたとえそうであっても、この凶暴なまでのリーダビリティと、それを生みだした強靱な構成力と描写力は、やはり読みのがすにはもったいなさすぎます。読後感はどうあれ、少なくとも読んでいる間は怒ったり泣けたり感動をいやってほど味わえますし、考えさせられることも多いわけで……傑作でしょう。やはり読んでおくべき一冊だと思いますね」
 
●壮大にして華麗な“本格のようなもの”……ミステリ・オペラ 
  
G「スペシャル級の超大作をもう一発。SFからミステリ、ことに本格ミステリへ路線変更した山田正紀さんの、本格ミステリ分野における総決算的大作『ミステリ・オペラ』、堂々の登場です」 
B「まあ、私たちの世代の読み手にとっては、山田さんといえばどうしても本来SFのヒトであり、転向してきたヒトってイメージなんだけど、若い読み手にすればむしろ本格のヒトなんだろうね。重厚稠密にして重苦しいその本格作品群の頂点に位置する大作だから、そのもったいぶった重々しさとこれでもかの総花的てんこ盛りぶりはただ事ではない。ま、本格としての評価は別として1つの事件であることは確かだわなあ」 
G「そんなわけで。内容……これもそう簡単には語りきれない複雑怪奇な構成になっているのですが……簡単にいうと、ここには50年の時を隔てた2つのプロットがあって。1つは今から50年前。中国大陸某所の宿命城で起こった奇怪な連続殺人を物語るパート。そしてもう1つは現代日本を舞台に、その宿命城殺人事件を題材にした『手記』と、未完のミステリ『宿命城殺人事件』を巡り、かつてその事件に関わった人物やその子孫たちの間で起こる謎めいた自殺・殺人を語っていくパート。この2つが50年の時間と空間を超えて、奇妙に絡み合いもつれ合いながら織り上げていく、一大ミステリ交響曲という風情です」 
B「50年前の事件の方は、日中戦争を背景に日本軍の残虐行為や傀儡国家満州国という、偶然だろうがタイムリーな歴史的事実がストーリィ全体の通奏低音となっているんだな。お話はというと……満州国の建国を祝うためにオペラ『魔笛』の上演&映画化が計画される。いずれも一癖あり気なスタッフ・キャストの一行が、撮影の舞台となるべき宿命城へ向かう道すがら、謎めいた殺人やら事件やらが続けざまに起こるわけ。衆人環視下の列車貨車消失。古代甲骨文字で記された殺人の予言、奇怪な連続見立て殺人、巨大鳥居につるされた縊死死体、密室状況下で腰を粉砕された死体、犯人消失に凶器消失、引き裂かれたトランプカードのダイイングメッセージ。登場人物もまた、悲劇の歌姫に暗躍する小人、仮面の城主、特務機関の密偵、さらには“検閲図書館”を名乗る謎めいた探偵まで、これでもかという華やかさだねえ」 
G「一方現代篇の方はといえば、その宿命城殺人事件の手記を受け継いだ女性が語り手です。その文書読み進めるに連れ、彼女は次々と奇怪な現象に見舞われます。自殺した夫が宙に浮いていたという奇怪な証言を聞き、彼の残したカード占いと遺書めいた文言に秘められたメッセージを読み解くうち、彼女の身の回りには次々と怪しげな人物が現れます。やがて精神のバランスを失った彼女は、徐々に50年前の手記の世界にシンクロし、“並行世界”という奇怪な妄想に取り込まれていきます……」 
B「ともかく一筋縄では行かない作品。特に前段で雪崩のように襲いかかってくる膨大な謎はまさに圧倒的で。難度といいボリュームといい、およそこれが本格ミステリ的なロジックで解けるとは思えないのだけれど、とにもかくにも終盤ではこれがバッサバッサと解かれていくから驚くね。つまり、一応は本格ミステリの範疇に収まっているともいえるのだけれど……そしてまたこれでもかというほど本格ミステリ的意匠がてんこ盛りに盛込まれているわけだけど……にも関わらず、読み終えてみると、本格ミステリとしての感興は意外なほど薄いんだ」 
G「確かに盛込みすぎの感はありますね。ありあまる本格ミステリ的素材を、作者も十分にはコントロールしきれてないようで。全体としてみると不格好で落ち着きが悪い、すんなりきれいに胸に落ちてこないバランスの悪さがあるのは認めます。だけど、この謎ー謎解きの奔流と、本格ミステリ的意匠の圧倒的なボリューム感は、やはり一大の奇景というべきですよ。ラストで試みられている探偵ー犯人に関するきわめてアクロバティックな技巧や、“検閲図書館”といういかにも山田さんらしいイメージなど、またとないユニークな魅力もぎっしり詰まっている。これはやっぱり読み逃せない!  と思うのですが」 
B「個々の謎解きのトリックが、その重々しい語り口からすると意外なほどチープな、つまりあっけない種明かしレベルであるのは、まあいいさ。それらの数が多すぎて有機的な連携を欠き、本格ミステリとしての骨格ーカタチがとんと見えてこないのも、まあいい。だけど、ここまで膨大な数の謎に謎解きにトリックといった本格ミステリ的意匠を用いていながら、それでいて少しも“本格ミステリ的な楽しさがない”のは気に入らないね」 
G「うーん、しかしそれはテーマの重さってものがあるし、語り口だってそれにともなって相当に重苦しいものを選んでらっしゃるわけですから」 
B「そういうことだけではなくてさー。やはりこれは根本のところでは、作者が本格ミステリの歌を唄ってないということだと思うんだよね。根本的に遊び心が無いというか……本格を唄っているんじゃなくて、本格“で”唄っているだけ。膨大な謎も謎解きも、魅力あふれる本格ミステリ的意匠の数々も、この人にとってしょせんは雰囲気なんだな。だから、その1つ1つに対しては愛情なんて無いわけ。いわば道具なんだよ。だからどれほど丁寧に意匠をなぞっても、形だけ整えても、私にはちいとも楽しく感じられないわけ……こういうのが、一番嫌いだね。悪いけど、本格が好きじゃない人、本格は道具扱いする人に、書いて欲しくはないんだよな。“たかが本格ミステリ”だからこそ、他所の人にないがしろに扱われるのはムカッパラがたつ」 
G「いや、それは誤解だと思いますよ。たしかにこの作品で、山田さんは、昭和という時代、そしてその時代を生きた日本人というものを、総体として描き出そうという壮大な試みをしているわけで。その意味で“本格を書く”ではなく“本格で書く”ことになっているのかもしれませんが、そうした試みはこれまでだってあったし、それ自体特段責められるべきことではないでしょう。まして、この作品にあっては、意匠としての本格ミステリ部分も、たいへんなエネルギーが注ぎ込まれているわけですから、読む価値というものはそれだけでも十二分にある」 
B「陳腐なことをいうようだが、この場合はエネルギーよりも愛情が必要なんだよな。本格が、本格そのものが好きでない人間が、いくらエネルギーを注いだってそいつは本格にはなり得ないわけさ。悪いがこいつは理屈じゃないよ。本格ってのはそういうものなんだよ……だから私はこの大作を本格としては認めない。壮大かつ力のこもった、だけど“本格のようなもの”にすぎない。残念ながら、そういうことだね」
 
●筋目正しい古典本格……警察官よ汝を守れ 
  
G「国書刊行会の世界探偵小説全集の第3期もそろそろ佳境。今回の配本はヘンリー・ウェイドの、これまた名のみ聞く幻の傑作です」 
B「ウェイドといえば欧米の本格派黄金時代の作家の1人であるわけだけど、日本ではいちばん読まれているのがおそらくは『リトモア誘拐事件』であり『推定相続人』。前者は誘拐テーマの警察モノであり、後者は倒叙。いずれも本格味はあるけれども、ストレートなものではないから、どうしても本格としては非主流派つうかオフビートつうか、そういうイメージの作家だったんだね。だけど、実はこの人にストレートかつトリッキーな本格ミステリ作品群があるというのは、古くからマニアの間では話題になっていたわけで」 
G「なかでも名作と名高かったのが、この作品なんですよね。そんなこともあって、当GooBooでも『推定相続人』の評の時には“訳す順番が違うんじゃねーか”とかさんざん悪口を書いたわけですが……それらの声が届いたのか。いよいよ“ご要望にお応えして”本邦初訳の新登場です」 
B「まあ、そうはいってもウェイドだしぃ。タイトルからして警察ものっぽいしぃ、と、正直ややウタガイの目で読み始めたんだけどね。まあ警察ものであることは確かだし、曲を凝らした舞台設定ともども、ウェイドらしいといえばその通りなんだけど、その骨格ははびっくりするくらい古典的かつオーソドックスな本格ミステリなんだよな」 
G「ですね〜。まずは曲を凝らした舞台、ですが。とある田舎警察の警察署なんですね。で、この警察署に君臨しているのは、州警察の本部長を務めるスコール大尉なんですが、この大尉が若かりしころ、とあるならず者の恨みを買ったというのが発端で。付近の住民を悩ましていた密猟を撲滅するため、スコール大尉は密猟者の1人を罠にかけて殺人罪で監獄送りしたんですね。当然、罠にかけられたならず者は大尉を恨み、そしてそのまま20年。刑期を終えた彼は復讐鬼となって帰ってくる! という仕掛け」 
B「脅迫状を送り付け、大尉の前に姿を表した復讐鬼に、警察は警戒体制を敷き、面子に賭けて大尉の安全を守ろうとする。ところがなんと、よりにもよって警官でいっぱいの警察署の、しかも署長室で、大尉は射殺死体となって発見されてしまう。ただちに警察をあげての大追跡が始まるが、復讐鬼は杳として姿を現わさない。しかも殺人現場は、内部の犯行すら匂わせる準密室状況で……業を煮やした幹部は、ついにスコットランドヤードに協力を要請。名警部プールを呼び寄せた!」 
G「というわけで、核になる事件は1つだけ。それも警察署内という非常に限定された状況下……であるにも関わらず、謎解きは目まぐるしく二転三転。名探偵役のプールがコツコツと調べて無数の仮説を検証していくというタイプなので、デクスターばりに次々と仮説が提出されては検証され否定されていくんですね。本格として非常にピュアなスタイルが基本って感じで。仮説が崩れるごとに不可能性が増していくプロットも面白いし、真犯人指摘のロジックも伏線の張り方が非常に大胆で、ぼくはとても楽しめました。最終的な解決も、まあ相当綱渡りなトリックなのですが、シンプルかつトリッキーで好きですね」 
B「まあ、限定条件がかなり明確だし、容疑者もわりかた簡単に目星が付くから、真相には簡単に見当がつくはず。トリックなんて他愛ないものだしね。でも、その見せ方はなかなかスマートで悪くないといえるだろう。ただ真犯人の隠蔽の仕方というか動機というか、は、さすがに時代を感じさせる。なんかホームズものの長篇の後半みたいな因縁話になってたりして、ここは少々興ざめしちゃうな」 
G「ただ、その部分の謎解きに関しても、実は作者は相当早い段階でじつに大胆きわまりない伏線を張っているわけで。読者が完全に論理的に解明するのは難しいかもしれないけど、本格としてまあまあフェアだといえるんじゃないでしょうか」 
B「あれはミエミエだよなぁ。アレがあるばっかりに、容易に真犯人の見当が付いてしまうってのはありそうだ。まあ、このあたり、現代の読み手は当時の読者に比べると海千山千だから仕方がないのかもしれないけどね。もう一つ、この作品で名探偵役を務めるプールはウェイドのシリーズ探偵なんだけど、そのキャラクターは一見平凡そうに見えて実はなかなかユニークなんだよね」 
G「そうですね、あきらかに名探偵の位置づけなんですが、いわゆる名探偵らしいアクの強さは全然無くて、ひとことでいって高い知性を備えたジェントルマン。警察で起こった事件だけに、同僚の警官を尋問したり疑ったりしなきゃなんないわけですが、組織としてのルールを守り勤めて丁重にというか。名探偵らしい偉ぶった所が全然無くて、つねに腰を低くしてジェントルに捜査を進めていく。そのあたりが非常に爽やかなんですね。探偵法は前述のようにモース流の迷宮巡り方式で、さほど天才を感じさせるような閃きはないものの、この品の良さ・筋目の正しさみたいなものが、作品としての品格も上げているような感じがします」 
B「基本的には相当に陰惨で救いの無い復讐譚なんだけど、楽しく読めて後味も悪くないのはそのせいかもね。前述のように本格ミステリとしてのコアはきわめて単純なものだし、仮説〜検証〜否定の繰り返しの迷宮ぶりも、今日的な目で見ればごくあっさりしたもの。けれんも抑え気味だしね。そのあたりの落ち着きぶりは、現代の読者には少々物足りないかもしれない」 
G「でも、謎〜トリック〜プロット〜謎解きのバランスはいいですよね。なんていうか、安定感があるわけで。……たしかに大騒ぎするような作品ではないけれど、今日的な水準から見ても、十分佳作といっていい。本格好きなら読んでおいて損はない一冊といえるんじゃないでしょうか」
 
●ベタ甘ファンタジィは“お手の物”……リセット 
  
G「では、今回の10番目の椅子は“落ち穂拾い”の『リセット』をやっておきましょう。本格じゃあないし……ファンタジィかな」 
B「これはなんとかいう3部作の最後の作品だろ? えーっと『スキップ』『ターン』と続く“時と人”三部作か。基本的にこのシリーズって、タイムトラベルテーマの変種というべきアイディアを使って、“時の流れの中で変わっていくもの・変わらないもの”を描くわけでしょ。つまりは“人間を描く”という。まあ、タイムトラベルの変種といっても、SF的なアイディアは、たいてい一個だけだし、それもアイディアとして新しいものが使われるわけじゃない。ごくありきたりの、使い古されたそれを使ってる。だからゆーまでもなくアイディアストーリィとしての面白さは希薄だね。特にこの『リセット』はミステリ的な仕掛けも皆無だし、SF的アイディアの使い方もおそろしくストレート。そういう目的で読んだら少しも面白くないはずだ」 
G「……ってそれってほとんどインネンだなあ。だって、これはそういう本じゃないでしょうに。シミジミ心が温まるいい話だと思うけどなあ。さて……物語は第2次大戦前、神戸の高級住宅地に暮らす少女の物語として始まります。まあ、彼女の家がお金持ちで、つまりはお嬢様ということもあるんでしょうが、現代よりもずーっと平和で愛と友情にあふれ、家族が家族らしく・乙女が乙女らしく暮らす……ある種の理想郷みたいな家族物語というのが前半部。戦前のことですが、作者はこれはずいぶん取材なさったんでしょうね。当時の生活のディティールまで時代相が詳細・リアルに描かれて、とても興味深かったです。この部分に大層なドラマはないのですが、非常に品のいい心温まるお話です」 
B「ところがやがて戦争が始まるわけで。生活の細部の徐々に射してくる重苦しい影。秘かに恋した人は出征し、ヒロインは工場で勤労奉仕。緒戦の華々しい勝利も尽きて、やがて襲い来る空襲の恐怖。そして、避けられない悲劇……」 
G「……というところで、いきなり現代篇へ。まさにあっという間にハイジャンプ! という感じで戦後の物語となって。人と人との見えない絆が生みだす、時を超えた一つの奇蹟が描かれるわけですが……これは驚きますね」 
B「驚く? 驚かないよォ、なんじゃこれって感じ。むしろ使い古された手をよぉもまぁ恥ずかしげもなく使いおったな、と。まあ、アイディアそのものにオリジナリティを求めてるわけじゃないから、そのことはいいんだけれど、こういう使い方ってのはなんだか安直すぎないか? 一瞬、インモラルな方向に行きかけてオオッとか思わせるんだけど、所詮北村薫、というかねー。そうまでしてキレイキレイにまとめたいかねーみたいな。なんとなしアザトさの方が鼻についちゃってさあ」 
G「そうかなあ。前半部の細かなディティールがそのまま伏線になっていて、ガラリと語り口が変わる後半部で生きてくる……ゆったりほのぼのしたお話でありラブストーリィなんですが、一分の無駄もなく一分のスキもない、隅々まで計算し尽くされた物語という感じがします」 
B「その破綻の無さが小面憎い、というかなあ。戦争に翻弄された人間の運命もひっくるめて、全て計算しちまおうという、さりげなさを装ったご都合主義が気に入らない。しょせん読んでいる間だけの夢でありファンタジィであると……そう割りきってしまうには、重たすぎるテーマであったはずなんだけどね。ああ良かったね、と満足して本を閉じるには、作者のしたり顔が見えるようで業腹なんだよ」 
G「なんだかなあ。ようするにayaさん、この手の話が嫌いなんでしょう?」 
B「うーん。好きではないな、たしかに。なんかなあ、バカにすんなよ、っていいたくなっちゃうんだよ。特にこの人のお上品ほのぼのファンタジィ路線はそう感じることが多いね。ファンタジィだから甘いばっかでもいいってもんじゃないはずで。少なくとも大人に読ませるつもりだったら、ファンタジィにだって苦さは必要だよ。いや、ファンタジィだからこそ必要なんだと、私は思う」
 
#2001年6月某日/某スタバにて 
  
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