battle67(9月第2週)
 


[取り上げた本]
 
01 「密室殺人コレクション」  二階堂黎人・森英俊[共編]         原書房
02 「人形は笑わない」     はやみねかおる               講談社
03 「彼女は存在しない」    浦部和弘                 角川書店
04 「学寮祭の夜」       ドロシー・L・セイヤーズ        東京創元社
05 「四人の申し分なき重罪人」 G・K・チェスタトン          国書刊行会
06 「冬のスフィンクス」    飛鳥部勝則               東京創元社
07 「ヴェロニカの鍵」     飛鳥部勝則                文芸春秋
08 「鬼のすべて」       鯨統一郎                 文藝春秋
09 「神のふたつの貌」     貫井徳郎                 文芸春秋
10 「堕ちていく僕たち」    森 博嗣                  集英社
  
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●傑作は傑作なりに、バカはバカなりに……密室殺人コレクション
 
G「いわずとしれたカー・マニアの作家・二階堂さんと、斯界屈指のミステリ研究家である森さんの共編になる、密室テーマの古典的本格ミステリアンソロジーです。このテーマに関する編者としてはおそらく現代最強のコンビでしょうね」
B「実際、セレクトされた6篇の中短編の顔触れを見るだけで、思わず唸ってしまうほどで。……マニア感涙の一冊ではあろうな」
G「というわけで、順番に行きましょう。まずは『つなわたりの密室』。作者は“あの”『赤い右手』のジョエル・タウンズリー・ロジャーズです。密室状態のアパート内で起きた2つの殺人。いち早く駆けつけた警官に、犯人は逃げ場を失ったはずだった。しかし……例によってパルプマガジン風味の奇妙に熱っぽい文体に幻惑されまくる一編。変幻自在なシーン転換が駆使されて、読者はいいように翻弄されてしまいます。さすが、という感じ」
B「実はけっこうあざといテクニックを使っているんだけど、それは承知の上。なんたってこの作者なんだからね。“あの”雰囲気はやっぱりたまらなく良いなあ!。次の『消失の密室』はマックス・アフォードというオーストラリア作家の作品。ラジオドラマの作家だったらしいけど、無論私も初体験。お話は懐かしの“呪われた部屋”モノだね。人が閉じこめられると消えてしまうという伝説を持つ部屋で、悪戯したのが運の尽き。本当に消えちゃった……密室というか人間消失トリックなんだけど、これはまあ現代の読者にとっては見え見えの他愛ないネタだな」
G「ジュブナイルあたりにありそうなネタですね。まあこれは未知の作家の珍品というところでしょう。続く『カスタネット、カナリア、それと殺人』はジョゼフ・カミングスの作。合衆国上院議員のバナーが名探偵役を勤めるシリーズものの一編です。飼っていたカナリアを殺された女優から、その犯人探しを頼まれたバナー。ところがその女優の映画撮影現場で、今しも撮影中の俳優が殺されるという怪事件が……フィルムに映らない“見えない犯人”の正体は、あっと驚くバカミスネタ。なんというかすげー大らかな感じがして、ぼくはわりと好きですね」
B「うーん、たしかに作者の名前は忘れても、この大バカトリックのことだけは忘れないだろうな。それくらいキョーレツにバカ。現代の作家がやったらフクロにされるぞ! ロバート・アーサーの『ガラスの橋』は、これまた人間消失モノ。“一時間で戻らなかったら、警察を呼んで”と言い残して山の上の一軒家を訪れた女性。一面に降り積もった雪に残っていたのは行きの足跡だけ。しかし、くだんの家に彼女の姿はなくて……。まーこれもバカな子供騙しのトリックなんだけど、“いかにも”な演出でけっこうクイクイ読ませるな」
G「謎解きも奇麗ですよ。手がかりの配置や、それに基づく解明のロジックがなかなかまとまってて、すっとんきょうなトリックがメインなのに、わりとかっちりした本格ミステリに仕上がった印象です。このネタだったらバカミスにしたくなるところですけどね。アーサー・ポージズの『インドダイヤの謎』は、『EQMM』に掲載された消失もの。名うての泥棒を追いつめた警官隊。ところが肝心かなめのダイヤモンドがどうしても見つからなくて……名探偵役のセラリー・グリーンという名前からもわかる通り、これはしゃれっ気たっぷりのパロディ作品。全編コメディタッチの楽しい作品ですが、消失トリックはさりげなく気が利いててGoo」
B「密室というのとは違うが、スマートでしゃれてて、オチもパーフェクトな決まり方。こういうのは、やっぱアチラの作家の方が巧いよなあ。サミュエル・ホプキンズ・アダムズの『飛んできた死』はミステリ史上初めての“足跡のない殺人”モノ。いわば歴史的な作品なんだけど、これがいきなりトンデモで。海岸で発見された警備員の死体のそばには、謎めいた巨大な鳥の足跡が……そのスケッチを見た学者はプテラノドンの足跡だという。これまた大らかだなあ」
G「この時代って、ホント真剣にバカミスをやっちゃうんですよね。むろんそこが面白いわけですが。この作品も登場人物がけっこうマジでプテラノドンの生存を疑ったりするもので、ついついこっちもその気になったりして。この手の大風呂敷の広げっぷリは大好きなんですよ」
B「っていうか、当時だってそんなこと信じるやつがいるとは思えないけど、作者の筆が思い入れたっぷりなんで、ちょっとだけそんな気になってみるのも楽しいか」
G「というわけで、密室というより不可能犯罪コレクションという感じなんですが、内容的には傑作あり怪作ありのバラエティに富んだ1冊。ただ、傑作は傑作なりに、バカはバカなりにクオリティが高いのもまた確かで。6篇中5篇までが初紹介という貴重品ぞろいである点は別にしても、読んで損の無い楽しい本。ミステリってホンマに楽しいなあって思いました」
B「“アンソロジスト”二階堂さんの仕事としてはベストの1つだろうね。しかし、この手の本を読むたび思うことだけど、世の中にはまだまだ“ある”んだなあ、と。……二階堂さんは最近てんで冴えない蘭子モノなんぞ書いてないで、こういう仕事をもっとやるべし!」
G「わわッ、禁句禁句禁句〜ッ!」
 
●バカミスレベルの大技炸裂……人形は笑わない
 
B「あれー、はやみねさんのジュブナイルは取り上げない“方針”じゃなかったの?」
G「ええまあ、おっしゃる通りだったんですが……方針変更。“君子は豹変す”というやつで。考えてみたら、このシリーズよかぜんっぜん本格ミステリでない作品だって、ガンガン取り上げちゃってるわけですからね。ジュブナイルだからって無視しちゃうのは不公平かなと。はやみねさんも作家専業になられたことですしね」
B「ああ、後書きに書いてあったね。二足のわらじがシンドクなったのかな。このシリーズだけならそれほど刊行ペースは早くなかったけど、もう1つの成年向け(なのか?)のシリーズも軌道に乗ったみたいだしね。だけど……だいたいキミってば、この夢水清志郎シリーズを読んでたわけ?」
G「はッはッはッ! 去年の暮れぐらいすかねえ、シリーズ全冊まとめ買いして一気読みし倒しましたッ。コンプリートですッ」
B「むちゃくちゃ読みやすいんだもん、イバるほどのことじゃない。あのシリーズなら1日で全部読みきれても不思議じゃない。というわけで夢水清志郎シリーズだけど、成人の読者にはもう一つのシリーズである『虹北みすてり商店街シリーズ』の方がなじみ深いのかもね。この2つのシリーズって“同じ世界”の話であるような」
G「あちらのサブキャラがこちらでちらりと言及されたりすることがあった程度で、いまんとこ本格的な共演というのはなかったと想いますが……でも、伏線は張ってあるわけですから。虹北恭介と夢水清志郎の共演なんてのもいずれ実現するかもしれません」
B「別の作家のジュブナイルミステリシリーズと、合作したことはあるしね」
G「とりあえず主役の名探偵・夢水清志郎は、元・大学の論理学教授で、現在は無職。不思議な事件に遭遇すると驚異的な推理力を発揮するが、ふだんはひたすらぐうたらしていて常識にも欠ける、無芸大食の怪人物」
B「あんまり颯爽としてない、困ったオッサンに設定されているところがいいね。ジュブナイルらしからぬ感じでさ」
G「ですね。では今回の新作の内容を紹介いたしましょう。えっと……語り手の女子中学生・亜衣は学校では文芸部の部長なんですが、ボーイフレンド・レイチのミスで部は活動予算の獲得に失敗してしまいます。困り果てた亜衣にレイチが提案したのは、自主映画の製作&上映で稼ごうという計画でした」
B「文芸部の部費稼ぎがなんで自主映画制作なのか。よくわかんないんだけど、どうも映画作りには作者自身の思い入れがあるようだね。虹北みすてり商店街シリーズでも、自主映画の話って年中出てくるし……ともかく。そんなわけで、なぜかレイチの監督脚本主演になる“ミステリ映画”を撮ることになった文芸部一行は、おりよく取材旅行に出かけることになった夢水教授ら(なぜか雑誌に紀行文の連載をもっているのだ)の車に便乗し、山奥の不思議な村に旅立った……」
G「さて、一行が訪れた毬音村は、たった9人しか住人がいない過疎の村。そこにはかつて伝説的な人形師が暮らした、人形の塔という奇妙な塔が建っていました。無数の人形で飾られ今は住む者もないその塔は、かつて密室状態の部屋から建設会社の社長が墜死し、人形師自身がやはり密室状況下で死体となって発見されるなど、奇怪で不吉な過去に彩られています。村人たちの協力も得て、いよいよ始まる亜衣たちの映画撮影。でも、なんとクライマックスの脚本は未完成! 担当のレイチは、夢水教授の謎解きをそのまま脚本に取り入れようと考えていたのです。さあ、夢水教授はクランクアップ前に、塔の謎を解き明かすことができるのでしょうか?」
B「過去の事件とはいえ、ジュブナイルものには珍しく殺人事件が扱われ、舞台作りもかなり本格的という印象なんだけど。でも、その大仰な舞台の割にはミステリ部分は意外と少ないという感じよね」
G「亜衣たちの映画制作のドタバタがメインストーリィで、そこに過去の事件の謎解きが絡んでくるという形ですからね。しかし、これは実はけっこう陰惨な密室死事件を、軽く楽しく読ませる工夫ですよね。たしかにミステリ的にはあっさりしているんですが、メインの密室トリックはほとんどバカミスレベルの大技で、正直かなりびっくりしました」
B「うーん、まあたしかにかなりの大技だし、オリジナリティもあるんだけど……あれはやっぱジュブナイルだからこそ許される荒唐無稽さよねえ。バカミスならともかく、大人の読者がマジで読んだら呆れると思う」
G「そりゃそうかもしれませんが、あのドタバタしたにぎやかなお話の中では、ぼくはさほどの違和感は感じませんでしたね。よく読むと、謎を解くための手がかりの出し方や伏線の張り方も、なかなかどうして考え抜かれているし……本格ミステリとしての基本はきっちり抑えられている印象です。無論、パズラーとしてド真剣に読むのはさすがにちょっとつらいでしょうが、楽しく軽く読めてびっくりできる軽パズラーとしては、かなりクオリティが高い」
B「その、ジュブナイルとしては、とか、軽パズラーとしては、とか、留保付きで評価するのがどうも気にいらないんだよね。ハンデ付けずに勝負してみろよ、みたいな。この作家さんには、やっぱマジでいっぺん成年向けの本格ミステリで真っ向勝負してほしいな」
G「『虹北みすてり商店街』があるじゃないですか」
B「あれもジュブナイルでしょ? 違った?」
G「いや、あれは……うーん」
B「あとさあ、いくらジュブナイルとはいえ、出てくる中学生があまりにも子供っぽくない? とても中3とは思えないノンキさというか幼稚さというか……小学生かと思ったよ」
G「うーん、それはやっぱジュブナイルだから、あんまり生々しいのは……」
B「ほらね。つまりどうしても一種のファンタジィになっちゃうわけでしょ。なんかすごく書きにくそうって気がしちゃうんだよなあ。そのあたりも含めて、私はやっぱりこの人の脱ジュブナイルした作品を読んでみたいわけよ」
 
●“痛い”サイコサスペンス……彼女は存在しない
 
G「浦部さんの新作『彼女は存在しない』は、作者にとって初のハードカバー。版元も角川書店ということで……講談社以外はこれが初めてなんじゃないかな。なんとなく前作あたりから雰囲気が変わったような気がしますが、この新作も以前とはどこか違う」
B「ある種、ふっきれたような軽さというか、軽やかさが出てきたよね。ネタ的にはさして新しくもない二重人格ものだし、相変わらず語り手のウダウダがメインのストーリィ展開ではあるけれど、その自分語りのウダウダはぐっと減って読みやすくなったし、エンタテイメントらしくなった」
G「自分語りの呪縛からふっ切れたってことでしょうか?」
B「そう、それと、本格ミステリという呪縛からも、ふっきれたんじゃないかな。もともとこの人って、本格ミステリのフォーマットを自分流に崩そうとして崩しきれずにもがいていたようなところがあったけど、この新作ではそのあたりのこだわりはきれいさっぱり切り捨てて、もう少し幅の広いエンタテイメントという枠組みの中で体質に合ったものを書き始めたって印象がある」
G「そうですねえ。たしかにミステリ的な仕掛けやどんでん返しも用意してありますが、この新作はあきらかにサイコサスペンス、もしくはサイコホラーの領域の作品ですね」
B「体質に合わないのに、無理に本格にこだわる必要なんて無いんだからね。良いことなんじゃないの。まあ、臭みが抜けた分、逆にこれまでの作風のファンには物足りないのかもしれないが」
G「そんなもんですかね。さて、内容ですが。この作品では、主に2人の男女がほぼ交互に語り手を務め物語が進んで行くスタイルです。語り手の1人は、両親を失い、妹と2人暮らしをしている青年。彼の妹は長い間いわゆるひきこもり状態にあり、しかも時折記憶を失ったり人が変わったようになるんですね。それで、語り手の彼はその妹が精神のバランスを崩し多重人格を患っているのではと疑い、心配しています。またもう一方は、こちらは能天気な遊び人の若い女性なんですが……この2組の男女の出会いをきっかけに、奇妙で恐ろしい事件が起こります」
B「筋を紹介するのが難しいよなあ……2つの視点で語られる2つの物語。一方は多重人格を疑われる人物の絶望と崩壊の物語。そこに能天気なカップルの日常をいかに交差させるか、が作者のたくらみで。1アイディアのシンプルな仕掛けは、作者の手口になれた読者なら見抜くことはさほど難しくないだろう」
G「けど、それが1アイディアのどんでん返し小説に終わってないところがミソでしょう。どんでんが単なるどんでんに終わらず、サイコサスペンスとしての心理的なショッカー演出に実に巧みに組み込まれている。だからたとえその仕掛けに気づいても最後までサスペンスのテンションは落ちないし、エンディングのなんとも救いのない絶望的な光景にはショックを感じるはず。たくさんの死体がゴロゴロ転がるわけではないし、外見的には特別凄惨な事件が起こるわけでもないけれど、これくらい“痛い”サイコサスペンスというのも珍しい。ちょっとだけクックの“記憶シリーズ”を連想しました」
B「“痛さ”というのはなんとなくわかるね。クックというより北川さんあたりを、私は連想するけどね。ともかくミステリ的な仕掛けを、あくまでテーマ描出のための道具として使う、という割り切りのよさも、作者の体質からいえばまあ正解だったと思う。ミステリ的には大して評価できる作品ではないし、帯の推薦文とはいえ、なんで森博嗣さんがこれを絶賛してんだかもよくわかんないけどね」
G「徹底して精神世界でのサスペンス&ホラーを描ききったこの作品は、なんていうかマスターベーションな自分語りにとどまらない普遍的な広がりのある精神世界を描いて、しかもエンタテイメントとしてじゅうぶんに消化し昇華されているって気がするんです。現時点での、この作者の集大成でしょうね。森さんもそのあたりを気に入られたんじゃないですか?」
B「かもね。でさ、この作家は今後はむしろホラーの方に進んだらいいと思うんだよね。話の作りとか狙いとかは、すでにもうあきらかにそっちの方向に向かってると思うんだよ。モンスターや怪異を使わずに、心理的な描写1本でこれだけの恐怖演出ができるのはたいしたものだし、エンディングのサプライズ演出も、ミステリ的などんでん返しというよりホラーのそれになっていると思う。ま、いずれにせよ、かなり読者を選ぶ作風だとは思うけどね」
G「かなりはっきりと自分の世界つうものをもってる作家ですよね。それはデビュー以来一貫して変わらないわけですが、叩かれながらもそれをここまでエンタテイメントとして確立させたのは、これはこれでたいしたものだと思います。でも、ホラーちゅうのはどうですかね。ぼくは心理サスペンスとホラーの中間くらいが狙い目だと思いますが……」
B「どっちにしろ、本格ミステリじゃないんだから、ノープロブレム!」
 
●これが風俗小説だ!……学寮祭の夜
 
G「戦前に『大学祭の夜』というタイトルで1度抄訳が出たきり、長らく入手難が続いていたセイヤーズ最大の長篇『学寮祭の夜』がついに新訳なって登場です。これもまさか日本語で読めることになろうとは、思ってもみなかった作品ですね」
B「いくら不人気のセイヤーズとはいえ、ポケミスにも入らなかったのは不審な感じもあるけれど、そのあたりの事情については巻末の解説に詳しい。そもそも巻を重ねるにつれ、本格ミステリ味が薄れ風俗小説的傾向を強めていったピーター卿シリーズの、これはもう大ラス前の作品だからねぇ。いや、考えてみれば大ラスの『忙しい蜜月旅行』は、もともとライトコメディの戯曲だったのをノベライズした作品なんだから、実質上のシリーズ最終作はこちらともいえる。抄訳ということもあってか、当時の目利きたちにはミステリとしてあまり人気がなかった、ということらしいんだが、さて」
G「では内容のご紹介から参りましょう。今回の実質的な主役は、ピーター卿の想い人である女流ミステリ作家のハリエット。『毒を食らわば』で出会ったこの2人、ピーター卿は一貫して彼女に礼儀正しく求婚し続けているのですが、彼女はひたすらヒジ鉄を食らわし続けています。といっても、ハリエットはピーター卿が嫌いなわけではなく憎からず思っているのですが、自立した女性としてのプライドと自立心、美意識が彼の思いを容易に受け入れることを許さない。危機を救ってくれた白馬の騎士(=ピーター卿)の玉の輿にのるという、いわば前近代的なハッピーエンドの図式が我慢ならないんですね。で、これがこの物語のバックストーリィというか……前提となっているんです」
B「長い前置きだなあ。んじゃあ、本編のお話ね。ハリエットの母校オクスフォード大学で恒例の学寮祭(日本の学園祭とはかなり違う。よくわからんが、数日間に及ぶ卒業生の大規模な交流会みたいな催し)が開かれ、久しぶりに母校にやってきたハリエット。懐かしい旧友や恩師に会い、しばし感慨にふける彼女だったが、偶然見つけた悪意に満ちた書きつけに不吉な予感を感じる」
G「数ヶ月後、ハリエットは再び学寮に招かれます。じつは学寮では謎の人物がバラまく中傷の手紙が蔓延し、悪質な悪戯が頻発していたのです。体面が傷つくのを怖れる大学側の依頼で、ハリエットは調査を開始します。しかし犯人は容易に尻尾をつかませず、逆にその悪戯は激しくなる一方。ついに中傷に怯えた学生の自殺未遂事件が発生するに及び、万策つきたハリエットは節を曲げてピーター卿に助力を求めます……」
B「ピーター卿はほぼ終盤近くまで登場せず、物語の大半はハリエット中心に進んでいくのよね。しかも、大学キャンパスが舞台だけに登場人物の大半は学者を中心とする大学関係者なんだけど、そのほとんどが女性だってとこが、セイヤーズ流風俗小説としてのミソになってるんだよな」
G「そういえばそうですね。というのは、この学者たちは結婚−育児という(古典的な意味での)女の幸せを捨てて学問に身をささげた存在であるわけで。この一連の事件の背後に、漠然とそういう道を選んだ自分たち/当時の一般的な女の幸せを否定する女に対する悪意を感じ取り、これについて作中で繰り返し議論するんです」
B「で、その問題というのは、とりもなおさずハリエット自身がピーター卿との関係で直面している問題に他ならないわけで。つまり、彼女の内面的葛藤が女性学者たちの議論と重ねあわされ、それがそのまま事件の背景とつながっているんだな。まあ、女性問題のテーマとしては、今となってはきわめて初歩的な議論であることは否定できないんだけど、同時にこれって普遍的な問題でもあるわけでね。幾度となく繰り返される議論やハリエット自身の葛藤は、きわめて知的かつ徹底したものでかなり読み応えがある」
G「しかも最終的にピーター卿によって解かれる事件の背景や、あばかれた真犯人の動機がじつに見事にそのテーマとシンクロしてくるわけで……小説としての厚み、奥行きという点では、なるほど“単なる謎解きパズルではない”というずっしりした手ごたえがあります」
B「まあ、ピーター卿の謎解きやフーダニットとしての仕掛けという点では、正直他愛ないというレベルで、本格ミステリ的にはほとんど評価できないんだけどねー」
G「それはその通りですが、だからといって重たいテーマを延々と議論するだけの退屈な小説というわけではありませんよね。ぐっと人間的な厚みを増したハリエットやピーター卿をはじめ、陰影濃く描かれた個性的な登場人物たちはいずれも一読忘れがたい印象を残しますし、彼らの繰り広げる大学キャンパスのスケッチは上品なユーモアに満ちて、それだけでとても楽しい読み物になっています。とくにね、シリーズ当初いささか軽薄才子っぽい喜劇的人物だった名探偵ピーター卿が、血肉を備えた大人として描かれているのは、大きな読みどころといえるでしょう。どうも“風俗小説”という言い方をすると、なんとなし下品な通俗小説を想像してしまうのですが、英国流のそれは、むしろ非常に洗練された上品かつ知的なヒューマンドラマなんだってことがわかりますね。本格ミステリから風俗小説に“意図的に”路線を変えていったセイヤーズの意図が、この小説を読むと非常によく理解できる」
B「ただ、そうはいってもやはり本格ミステリとして読むのはキツイだろうな。ここには小説を読む楽しさはあっても、本格ミステリ的な楽しさはほとんど存在しない。それとシリーズのお楽しみである“御前とパンターの主従漫才”は、今回はまったく登場しないし。やはりそれなりのカクゴで手をつけないと挫折するかも」
G「長いですしねー。でも、最初の100ページくらいを乗り切ってしまえば、後は意外とすいすい読める気がしますよ。本格ミステリ的な期待はしない方がよいけど、面白い小説を読みたいなら、そしてピーター卿とハリエットの恋の行方が気になるファンならば、読んでみる価値は十二分にあると思います」
 
●本格ミステリ・ピュアモルト……四人の申し分なき重罪人
 
G「んじゃ、古典ノリでもう一冊。チェスタトンの『四人の申し分なき重罪人』、行きましょう。説明、必要でしょうか? あの必読の古典的名作『ブラウン神父』ものの作者が描く奇妙な逆説論理の寓話集です」
B「チェスタトンのミステリ作品は厳密には『ブラウン神父』ものと長篇『木曜の男』だけ。『木曜の男」も寓話やファンタジィに近い印象だけどね。ただ、非ミステリの『詩人と狂人たち』や『奇商クラブ』といった作品でも、『ブラウン神父』ものでおなじみの逆説やロジカルな謎解きが扱われてはいる。……にも関わらず、これらをミステリに含めにくいのは(いや、含めても全然構わないんだけどね)、『ブラウン神父』ものが、同じく逆説たっぷりの論理のアクロバットをメインにしながらも、それと有機的に連結するオリジナルなトリックや仕掛けがたっぷり盛込まれミステリとしての枠組みをきちんと守っているから。語られていることはとても高度なんだけど、それがエンタテイメントとして完璧に消化されていたんだね。けど、その他の『詩人』にしろ『奇商』にしろ、そういったミステリ的な意匠を潔くとっぱらった逆説と、ロジックの抽象的な議論がメインだから物語としての枠組みもとらえにくい。寓話、という感じのパターンが多いんだよね。ギリギリのところでミステリの枠組みに留まった『ブラウン神父』を読み慣れた人には敷居も高いし、物足りなさも大きいわけ」
G「そういう分け方からすれば、この『四人の申し分なき重罪人』も非ミステリの流れの1つにあるのは確かですね。でも、その一連の作品群ではこれはもっともミステリらしく、わかりやすい作品だと思いますよ。久方ぶりに、ぼくは『ブラウン神父』的な匂いを嗅げて楽しかったし、嬉しかったな」
B「ふん。むろんチェスタトン・ファンは必読の本であることは言うまでもないけどね。……さて、収められているのは4つの短編。個々の内容を紹介してもあまり意味が無いんでザックリ行かせてもらおうかな。えーまずは設定だけど、これは“誤解された男のクラブ”というクラブに招待された新聞記者が、4人の人物から聞いた4つの奇妙な物語というものなのね」
G「“誤解された男のクラブ”というのもヘンな名前なんですが、ここの入会資格は“自分の美徳を悪徳のように見せかけている者”。つまり“自ら誤解されることを望んだ男たち”のクラブなんですね。で、その4人というのは、中でも選り抜きの人たちで。殺人未遂、医療ミス、泥棒、反逆という重罪に問われることで、美徳をなした連中なのです。悪徳をなすことが美徳となるとはどういうことか……どういう理屈か。その一点に絞った逆説が変幻自在のロジックで解き明かされていくという仕掛け。エンタテイメント的な仕掛けや飾りを排除し、高度に洗練され抽象化されたロジックのみのエンタテイメントというものが成立するとすれば、まさにこれがその見本というべきで。本格ミステリとはいえないし、広義のミステリとも呼びにくいのですが、“論理のアクロバット”という1点に絞って読むならば、ドンデン返しありトリックありで……これはもう本格ミステリそのものといってもいいかもしれません」
B「ある意味、非常に純粋かつ抽象的な本格ミステリという雰囲気はあるわね。まあ、麻耶さんよかよほど素直だし、読みやすいわよ。裏返せばそのあたりが物足りないかもしれない。アヴァンギャルドに慣れた現代の読者にとっては、ナチュラルつうかプリミティヴなくらいシンプルな世界観だからなあ」
G「なんちゅうのかなー、けっして抹香臭くはないんですが、それでいてはっきり宗教の光が差してくる感じがあって。楽しく読んでいるうちに、ある種の崇高さみたいなものを感じさせてしまうのですから、やはりスゴイもんですよ」
B「どうかなあ、それはそうだが、ミステリとは関係ない部分の“付加価値”だね。ミステリ的にも論理のアクロバットの楽しさはあるんだけど、それがまんま本格ミステリの楽しさそのものかっていうとやはりどこか違う気がするんだよな。トリックや名探偵や仕掛けや雰囲気といった意匠/“不純物”も、やっぱ本格の欠くべからざる一面だと思うわけで。この作品の場合は本格ミステリのロジックの楽しさをとことん蒸留したピュアモルト、みたいな印象。純粋だけど読み手を選ぶな」
 
●本格ミステリの肖像……冬のスフィンクス
 
G「この作家さん、寡作な方かと思っていたんですが、ここんとこ続けざまに新刊が出ましたね。飛鳥部さんの長篇2連発とまいりましょう。まずは『冬のスフィンクス』から」
B「続けて読んでみると、その意匠的な趣向はともあれ本格ミステリとしての中核が似たり寄ったりで。どうもこの作家さんって、本格ミステリ書きとしての引き出しが意外と少ないような気がしてきたんだよなあ……。ま、それはともかく、こちらはこんなお話だ。主人公にして語り手は、看板描きを営む画家崩れ・楯経介。画家への夢を諦め鬱屈した日々を送る彼の唯一の楽しみは、眠る前に画集を見ること。彼は夢の中で画集で見た絵の世界へ入り込むことができるのだ。そんな風にして“絵画の世界”に入り込んだある夢の中、彼はとある山中の洋館を訪ねる。そこには現実の世界での友人や名前だけは知っていた芸術家、小説家、評論家らが集まっている。それが夢である、と意識している主人公は探偵を名乗るが、ふいに屋敷で密室状態の部屋から死体が発見される」
G「現場の状況は自殺と見えましたが、ミステリファンでもある主人公は殺人を主張。名探偵を気取って謎解きをしようとしますが、謎は解けぬままに目が覚めてしまいます。次の晩、再び同じ絵を見ながら眠りにつくと、案の定くだんの洋館にたどりつき、主人公はそこで今度は首切り殺人に遭遇します。事件を解決しようとする主人公でしたが、謎は解けぬまま、夢はじょじょに彼の現実をも侵食し始めます」
B「メタミステリとしては、いちばん安易なヤリクチにも思える“夢”という設定は……本格ミステリ的にはやはり失敗だわね。基本的に夢というものそれ自体の環境が、本格ミステリの枠組みになじまないっつーか。作中で主人公が何度も呟くように“夢の中なら何でもあり”なのだからして、要はファプレイなど望むべくもないわけさ。……っていうか読者にそう思わせてしまうのが失敗。謎解き意欲を喚起させることが不可能に近いんだから」
G「とはいえ、最終的に提示される謎解きはけっして夢の特異性に依存したものではなくて、小味だけどきちんと現実レベルの論理に着地していると思いますが。このへんの作りの端正さは、相変わらず作者の軸足がきっちり本格に置かれていることの証明だと思います」
B「それはどうだろうね。だったら夢仕立ての設定はいったいなんだったのか。結局、この人は画家崩れの主人公が壊れていく過程を、私小説風幻想小説風に描きたかっただけなのではないか。それはそれでなかなかの壊れっぷりではあるのだけれど、それが本格ミステリとしての骨格にいまいちつながってこないのが物足りない。凝った仕掛けが本格ミステリとしての構成に貢献していないのよ」
G「それが飛鳥部さんの作風だということでしょ? 別にだれもかれもが正面から、純度百パーセントの本格を書かなきゃいけないってもんでもないでしょうし」
B「そりゃそうだが、それにしてもこいつは本格ミステリ的に不純物が多すぎやしないか? どうも“形式としての本格ミステリ”を弄んでいるだけで、肝心かなめの部分は別の歌を歌っているという印象なんだな。余計なものが多すぎて、本格ミステリとしての軸が見えにくくなっちゃっているんだ」
G「作者が画家さんだからってわけじゃないですが、この作者のやり方っていうのは本格ミステリそのものを書くというのではなくて、“本格ミステリというモチーフ”(それは、とりもなおさず作者自身だと思うのですが)を外側から捉えて、いろんな技法で描こうとしているような感じがするんです。それは印象派だったり、アブストラクトだったり、ハイパーリアルだったり……。どんずば本格でないもどかしさは残るかもしれないけど、それはそれで、とてもユニークで面白い“本格ミステリの肖像”なんではないかなあ、と思いますね」
 
●飛鳥部流異世界本格……ヴェロニカの鍵
 
B「てなわけで引き続き飛鳥部さんの最新長編『ヴェロニカの鍵』に行くけどさ。きみがいう“本格ミステリの自画像”という説が、これは悪い形に出ちゃったというか。同じモチーフを描き方だけ変えても、モチーフが同じ。ネタも同じじゃどうしようもない。特にこの2作を続けて読むと、解法というか、犯人を特定する手がかりの出し方〜決め手の置き方がワンパターンなんだよね。しかも本格としてのミソがそこにしかないから、作品総体としてもひどく安直な印象を受けてしまう」
G「そうですかね。たしかに“その部分”は似たような技法を使っていますけど、見せ方はずいぶん違うし、本格として新しい趣向がないわけじゃない。またしても画家の世界が舞台ということで似たような印象を持ってしまうんですが、それぞれ別個に楽しめる作品だと思いますよ。……内容に行きましょう。主人公の久我は画家崩れの絵画教室教師。学生時代以来ヴェロニカのモチーフに取り付かれ、それが描けないまま鬱屈した日々を送っています。そんな主人公の友人である著名な画家が、密室状態のアトリエで死体となって発見されます」
B「ほおらー、前作とそっくりじゃん〜。事件は自殺として処理されるが、実は主人公は事件に関して重要な事実を目撃していた。もはや妄執となったヴェロニカのイメージが、重層する謎となって主人公を苦しめる。犯人は誰か。現場はなぜ密室なのか。ヴェロニカとはいったい誰なのか」
G「飛鳥部テイストが全編にみなぎる文字通りの飛鳥部ワールドですが、本格ミステリ的にはこちらの方がはるかにストレートだし整理されている。仕掛けも凝っていますね。メインは前作と同じく密室ネタなんですが、密室を構成した動機という点で、まさに飛鳥部さんでなければ書けない新趣向が持ち出されています。また、主人公の目撃証言にまつわる真犯人の隠し方も同じく飛鳥部さんらしいアイディアで……ある意味、これって飛鳥部流の“異世界本格”なんではないかな? 一般世界ではありえない特殊ルールが導入されているわけですから」
B「しかし、そういう読み方をすると、今度はその特殊ルール自体が、なんだか大して面白くもユニークでもないのが困りものでね。そりゃあたしかに画家の世界ってそういうもんなのかもしれないけど、結果として出てくる現象があれじゃあねえ。本格ミステリに使う特殊ルールとしては、つまんないよなあ。としかいいようがない。思わせぶりに謎めいていて、そのくせ尻切れとんぼに消えていく登場人物たちも、ミステリ的にはやっぱりどう見たって中途半端。なんていうのかなー、本格ミステリとしての作りの甘さを、画家の世界という異世界設定を持ち出すことで、ごまかしている気がしちゃうんだよね」
G「これは決してごまかしているわけじゃないと思いますよ。あとがきでも書いてらっしゃるとおり、こうしか書けない、作者なりの本格ミステリへのアプローチなんだと。たしかに、それだけに作者の世界観になじめるかどうかで、好き嫌いがはっきり出ると思いますが。これが好きって人もきっといっぱいいるはずです」
B「たしかにあとがきを見ると、作者は本格謎解きを書いているつもりでいるそうだよね。でもさ“自分に向けて書いている”って書いてるじゃん。これだよね。これだからああいう独りよがり本格になってしまう。私見だけどさ、本格ミステリくらい“読者に向けて”書かなきゃいけないエンタテイメントってほかにないと思うよ。その読まれ方まで含めて、とことん計算しながら書かなきゃいけないんだ。……自分に向けて書きたいなら、私小説でも書けば? って感じだね!」
 
●無手勝流は程々に……鬼のすべて
 
G「毎月のように新刊が出る鯨さん。今月は長篇ですね。歴史上の謎、というより今回は民俗学的な謎を、現代の事件に絡めるお得意のパターン。んで、今回のお題は“鬼”」
B「この作家さんって、長篇になると構成力のなさや文章の粗さが一段とアラワになる嫌いがあるんだよね。特に今回はそのケが強い気がするなぁ」
G「まあ、そういわずに内容へ行きましょう。えっと……久しぶりの休日、ヒロインの刑事は友人の女性と遊びに出かけようと公園で待ちあわせていました。ところが友人は姿を見せず、やがて公園のカラクリ時計の中から、時報とともに友人の生首が出現します。カラクリのオブジェの一部が生首に重なって、その姿はまるで鬼のよう。さらに事件直後、マスコミに届いた奇妙な犯行声明には鬼と名乗る人物の署名が……事件直後の醜態をとがめられた揚げ句、捜査チームから外されたヒロインは、友人の警官の協力を得て独自の捜査を進めます」
B「数週間後、再び鬼の見立を施された異様な遺体が発見され、再び鬼の犯行声明が。しかし、被害者たちを結ぶリンクは見えず、鬼を名乗る犯人の意図も不明のまま、事件は徐々にエスカレートしていく。追いつめられたヒロインは、友人から紹介された伝説的な元名刑事の力を借りることを決意する。謎めいたその名探偵は、謎を解くには“鬼”について調べる必要があると宣言する」
G「……現実の鬼と民俗学上の鬼と。2つの鬼の正体を追うヒロインと“名探偵”は、学問の常識を覆す壮大な仮説と、意外すぎる犯人の正体にたどりつく。……てなわけで、今回はお得意のユーモアは抜き。ハードタッチのサイコサスペンス+トンデモ歴史推理というユニークな構成。容易に感情移入を許さない突き放した文体のせいでしょうか、“味方”も含めて登場人物がどいつもこいつも怪しげに見えてくるという相乗効果もあって、現実の事件の謎が小粒である割にはリーダビリティはなかなかのもの。ラストで開陳される“鬼の正体”もいつもながらの鯨ブシ全開で、読者の意表をつきまくります」
B「……というようなポイントは、いうなればどれもケガの巧妙みたいなものでさ。あれはキャラクタのほとんど幼稚といいたくなるような信じがたいステレオタイプぶりに、文章の粗さが相まって妙なアヤシサを醸し出してるだけ。本格ミステリ的な仕掛けについても、数だけは沢山あるけどどれもこれもひどく消化不良で。ただ闇雲に放り込んであるだけという粗っぽさなんだよね。どうやらこの作家、何のためにそれをそこに配置するのか、という最も基本的な計算さえ一切していない気がしちゃうね!」
G「むー、たしかに多少散漫な印象はありますが……」
B「ついでにいえばさー、犯人の犯罪計画もヒロインたちの捜査も民俗学上の謎と現実の事件の謎が交錯する(はずの)ストーリィも、んもーすべてがてんでんばらばらの散漫さなんだよね。最後に明かされる肝心かなめの“2つの鬼”の関連も、てーんで説得力がないときては、んもう読んでるこっちが泣きたくなるね! なんちゅうか1から10までガサツというか無計画というか、思いつきをそのまま殴り書きしたような感じ……といったらいいすぎか」
G「いいすぎですよう! だって、そうはいってもぎっしりアイディアがつまっててサクサク読めるし、読んでる間は充分楽しいんだから、これはこれで良しとしたいな。まあ、“鬼の正体”についてはもっともっとトンデモの世界にぶっ飛んでてよかった気もしますけど」
B「なーにをいってんだか、このスットコドッコイは! “鬼の正体”に関するトンデモ仮説についても、あれじゃちぃともミステリ的なジャンプとはいえないわけで、なにが面白いんだか全然わかんないね。ともかく、こーんな安直な行き当たりばったりの作品、あたしにゃヤッツケ仕事以外のなにものでもないように思える。最低限の設計図さえ引いてないんじゃないのかって感じで……ここを先途と書きまくるのはいいけど、なにしろ何から何まで慌てすぎだよ。もっとじっくり、腰を落ち着けて書いてほしい。本格ミステリの長篇に、無手勝流は通じないんだよ!」
 
●神への遠い道……神のふたつの貌
 
G「続きまして『神のふたつの貌』は、貫井さんの久しぶりの長篇ですね。今回は“神の沈黙”……特にキリスト教におけるそれをテーマに据えた、いつにも増して重たい一作ですね」
B「ストーリィは犯罪小説風の仕立て方だし、トリッキーなツイストも用意されてはいるけれど、ミステリといいきってしまうにはテーマは重く、作者の問い掛けは余りにも真摯なものに感じられて。じゃあ宗教小説としてどうなのかというと、遠藤周作のようなキリスト者の作品と比較してやはりあまりにも通り一遍で深みにかけるわけで。……身の丈に合わないテーマを選んだものだなあという印象だね」
G「ふむ、まあとりあえずアラスジから。ある小さなプロテスタント教会の息子として生まれた主人公。家族の前でも宗教人としての姿勢を決して崩さない父親/牧師を尊敬し、自分もまた同じ道を歩むのが当然と考える彼にとって、神の存在は当然のことでした。しかし同時に無痛症という病気を患う彼は、“神の存在”を確かめずにはいられず、異常な嗜好に耽る自分を止められません。そんな父子に秘かな反感を感じている奔放な母親は、偶然教会に匿われた若い男との交流をきっかけに外聞の悪い死を遂げてしまいます」
B「神はなぜ人々の苦しみを放置するのか。なぜ祈りに応えてくれないのか。父子は互いの運命を奇妙に重ね合いながら、神への孤独な問い掛けを発し続け……やがて少年の真摯な問いかけと疑問は、大きな悲劇を引き起こしてしまう……」
G「“神の沈黙”というテーマはともかく、作品のタッチはちょっと東野さんの『白夜行』を思わせる重たいサスペンスストーリィですね。ミステリ的な仕掛けは、終盤近くのシンプルだけど非常に鮮やかなツイスト1点ですが、そのトリックによる反転の図式はまことに鮮やかで。テーマの重さそのものが一種のミスディレクションになっている。巧いですねぇ」
B「しかしそうはいっても、その“ミステリ的な仕掛け”が主ではないのはどう見ても明らかでさ。やはり作者が書きたかった・書いているのは“神の沈黙とそれに苦しみ悩む人間”であることは間違いないだろう。……だとすれば、あのどんでん返しがテーマの焦点をぼかしてしまった嫌いはあるな」
G「不要な小細工ってことですか?」
B「とはいわないけど、“ミステリ書きとしての言訳”っぽく感じられたのは確かだね」
G「とはいえ、あの反転の図式は常套手段とはいえ、テーマがテーマだけにサプライズもいちだんと強烈だったのは確かですよね。それにテーマ的にも、ずっしり胸に残るものがあって。ぼくはなかなか感動させられちゃいましたよ」
B「さて、それはどうだろう。“神の沈黙”というのは純文学の、特にキリスト作家にとってはかなりオーソドックスなものテーマでさ。それらの多くは、まさにキリスト者であり同時に文学者である作家……つまり“信じる者であると同時に疑う者でもある”書き手ならではの、血が噴き出すような痛みに満ちていることが多いんだね。そうした作品に比べると、やはり貫井作品は浅い。妙に背伸びしていたりして、胸に迫ってくるものがないんだ。“神の沈黙”を描くのにキリスト教を使うというのは、やはりどう考えても作者の手に余る気がしちゃうよ」
G「まあたしかにそれはありますね。たとえばこの作品を読んでとっさに連想するのは、遠藤周作の『沈黙』だったり『イエスの生涯』(これは両方とも素晴らしい作品です!)だったりするんですが、これらに比べたらやはりたしかに浅いし、通り一遍の印象はあります。しかし、エンタテイメントの枠組みのなかで、特にミステリ仕立てという条件設定の中では非常に健闘していると思うんですよ。実際、あれを宗教小説として読む人はいないだろうし……」
B「まあ、そりゃそうだけどね。たとえば『白夜行』なんかに比べちゃうと、同じような“信念に基づく悪”を描いていても、宗教者でも何でもない『白夜行』の主人公の方が、はるかに人間としての痛みを痛切に感じさせてくれたな、って気がしちゃうんだよね」
 
●たぶんビジネスではない僕たち……堕ちていく僕たち
 
G「今回の10番目の席は『堕ちていく僕たち』、森博嗣さんの作品です」
B「非ミステリのピックアップコーナーである10番目の席の常連になるとは……森さんが作風の幅を広げてるってことの証明かもね」
G「ですね。ただ、ジャンルは違っても、実際に読んでみるとやはり紛れもなく森作品であるわけで。それだけ確固とした自分の世界を持ってらっしゃると、いえるのかもしれませんね。というわけでこの本は、『小説すばる』に載った5篇ほどの短編を集めた短編集。全ての作品に共通しているのは、あるSF的なガジェットを様々なタイプの男女にスペキュレイトすることで、その人間たちの関係性がどう変容するか……を描いているってことです」
B「なにもわざわざそんなややこしい言い方をする必要はないでしょ。要するに、あるSF的なガジェットってのは、“一口食べると性転換してしまう”という不思議なインスタントラーメンのこと。で、性転換することで人間の関係がどう変わるか、をスケッチしたんであろうな、と。表題作の『墜ちていく僕たち』は、コレをたとえば男臭い大学生の男2人が食べちゃったらどうなるって話。さらに同人マンガを描いている女の子たちが食べたらどうなるか、ってのが2つ目の『舞い上がる俺たち』で、3つ目の『どうしようもない私たち』は、今度は“恋多き女”が食べたらって話でちょいミステリ風。4つ目の『どうしたの、君たち』は少し視点が違って、奇妙な盗撮癖をもつ男が“食べちゃったヒト”の変化をそれと知らずに不思議がる話」
G「で。最後の『そこはかとなく怪しい人たち』は小説家の女性が、憧れのシンガーに声をかけられて有頂天。でも実は……というお話ですね」
B「SF的アイディアが使われているとはいえ、その“性転換ラーメン”のヒミツは結局明かされないし、性転換後の人間たちの変化もごくあっさりとしか描かれない。そもそも登場人物はラーメンの秘密を探ろうなんて考えもしないんだよな。で、この奇妙な事態をについても、さしたる驚きもなく受け入れるわけで。つまり物語の方向はSF的にもミステリ的にも展開しない」
G「同一シチュエーションが繰り返されて、それぞれ異なる登場人物の反応を描くという点では、ファンタジィによくある“不思議なお店”モノに近いのですが」
B「でも、そこからツイストの効いた物語を紡ぎだそうなんて気は、作者にはさらさら無いようだね」
G「たしかにそうですね。そういう古典的なエンタテイメントの骨法とは、まったく関係のないレベルのお話という感じです。それにしても、この奇妙な事態を妙に素直に受け入れていく登場人物たちは、まともに考えればすごく不自然に思えるはずなのに……読んでいると少しもそんな風には感じられないのが、なんだかすごく不思議です。むしろとても当たり前のように思えてしまって」
B「これもやっぱり森ワールドというべきなのかね。物語としての予定調和を外す方へ外す方へ展開しているのにさほど違和感を感じないのは、森作品という前提があるからだろうな。そういうある種の先入観というか、ブランドイメージが確立されていることをあらためて思い知らされたような作品集ではある。それだけにその“ブランドイメージ”が好みでない人間にとっては、読んでもしょうがない本だろう」
G「しかし、珍しくセックス描写があったりして、いろんな意味で自由に書いたって感じがすごくします。いつものミステリィとは違って、これに関してはビジネスではないんじゃないですか。その意味では森ファンにとっては重要な本になるかも知れないし……1つ1つはごく短いものですから、非森ファンも喰わず嫌いせずに冒頭の1篇だけでも立ち読みして、“森ワールド”との距離を測ってみるのもいいんじゃないでしょうか」
 
#2001年9月某日/某スタバにて
 
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