battle70(12月第2週)
 
[取り上げた本]
01 「青空の下の密室」          村瀬継弥        富士見書房
02 「異邦人ーfusion-」           西沢保彦          集英社
03 「夏の夜会」             西沢保彦          光文社
04 「クリスマスの四人」         井上夢人          光文社
05 「たったひとつの 浦川氏の事件簿」  斎藤 肇          原書房
06 「饗宴 ソクラテス最後の事件」    柳広 司          原書房
07 「絶叫城殺人事件」          有栖川有栖         新潮社
08 「死の殻」              ニコラス・ブレイク   東京創元社
09 「予期せぬ夜」            エリザベス・デイリイ   早川書房
10 「切り裂き魔ゴーレム」        ピーター・アクロイド    白水社
Goo=BLACK Boo=RED
 
●お茶漬けの味のYAミステリ……青空の下の密室
 
G「これってすでにシリーズ第2作が出てるのですが、だからってそっちから紹介するわけにも行かないので1作目から。学校を舞台にしたちょっと異色の“日常の謎”もの『藤田先生シリーズ』で知られる村瀬継弥さんの『青空の密室』は、YA向け書下ろしミステリ文庫の新シリーズ“富士見ミステリー文庫”の1冊です」
B「題して『着流し探偵事件帖』というわけで、別に名探偵が若様侍てぇわけじゃない。名探偵役が高校生なのに自宅ではキモノを着ているから。当然、美形で、学園一の美女がガールフレンドという……いまどきマンガでもやらないチンプな設定。この主人公たちが通う高校で発生した教師殺しの謎を解くというお話は、まあYAの王道か?」
G「『藤田先生シリーズ』では小学校が舞台でしたし、作者自身も教員だったそうですから、学校を舞台にするのは手慣れたものでしょう。イマドキの高校がどんなだかよく知りませんが、読んでいる間は違和感なく読めました。けっこうリアルなんじゃないですか?」
B「どうなんだろね。YAをターゲットとするからにはキャラメイクには力を入れたはずなんだけど、これはなあ。主人公が美形で彼女も超美人つーのはまあ仕方がないとして、味付けが“着流し”だけってのはちょいと工夫が足りない感じ。もしマンガだったとしてもそれだけじゃダメでしょ」
G「でも、この主人公まあ美形秀才スポーツ万能と絵に書いたようなステレオタイプながら、ケンカを止めようとしてその直後思いっきりびびった姿を見せたりして、薄っぺらなだけのステレオタイプとはちょっと違うかも。少なくともイヤミな感じはしなかったし、“美形だけど”あまし反感は感じなかったなあ」
B「“その言い方”がなんとなくモノガナシイんだけどね。まあ、そういった味付け部分はともかく、問題はやはりミステリネタだな」
G「昼休みの校舎の屋上で発見された刺殺死体。現場は一種の密室状態という事件ですね。前述の名探偵に、美女のガールフレンド、そこに語り手/ワトソン役の3人組が少年探偵団よろしく捜査を開始します。ワトソン役の父親が警察OBということで、警察の情報も抜かりなくキャッチできるという仕掛けですね」
B「その程度のご都合主義は目をつぶらないと、YAミステリなんて読めないからな」
G「んで、調べを進めていくうちに、学内で起こっていたイジメが事件の背景にあるのではないか……そう3人が推理した矢先、再び教師が殺されます」
B「密室という古典的な謎の割には演出はごく控えめで、三人組の捜査もまるで社会派みたいに足で稼ぐ捜査が中心で遅々として進まない。むろんラストでは着流し探偵による謎解きがあって、これはまあ、とりあえずコンパクトにまとまった水準作の趣きかな。ただ、いかにもあっさりしててさ、ちょっと……いや、かなり食い足りない」
G「たしかにあっさりしているんですが、謎解きロジックはきれいにまとまっているし、トリックも地味だけど堅実。バランスはいいと思いますよ」
B「そうかなあ、この作家さんのたとえば『藤田先生シリーズ』って、“日常の謎”派にしては奇術的なトリックや無理無理の力技がけっこう使われてて。学校という地道な背景を無理矢理マジックの舞台にしたような妙な面白さがあったんだけど、それに比べるといかにも“コツコツ当ててきた”という感じで面白みに欠ける気がするな」
G「たしかにね。“日常の謎”派らしからぬトリッキーな作風のアンバランスさが、どこかファンタジックな印象を醸し出してた『藤田先生シリーズ』に比べると、全体にコンパクトな印象はありますが……」
B「学園もの、というか“少年探偵団もの”としても、全体にすごーくテンポが悪い感じがしたね。最初の事件が起こってからこっち、なっかなか話が進まないんだもの。探偵たちはまるで社会派推理小説に出てくる刑事みたいに、足で捜査するばっかでさ」
G「まあ、シリーズ第1作ということもあって、今回はキャラクタ紹介の巻も兼ねているのでしょう。作者自身、これまでは短編が主体の創作活動だったわけですし。シリーズ2作目で本領発揮なのかもしれませんよ」
B「なーんか、甘っちょろいこといってるなあ。こんなヌルくて色気の無いお話で、せっかちなYAの読者が満足するのか?」
G「ぼくは嫌いじゃないですよ。逆にYAにしてはじっくり腰をすえて書いてる感じで。高校という舞台の描写も事件そのものの謎解きも地に足がついている。マンガじゃないんですから、ブッ飛べばいいってもんじゃないでしょう」
B「そうかなあ、私はお茶漬けみたいなYAミステリなんてどうかと思うけどなあ!」
 
●SF本格シリーズ番外編……異邦人
 
G「2001年度の西澤さんは、なんとなく活動が控えめだったような印象なんですが、なぜなんでしょうね……コレこうしてちゃんと本も出してますのにね」
B「たしかに本は出てるけど、ひところの快進撃ぶりに比べればやはりパワーダウンの印象は否めないからなあ。まあ、出版された作品も、この『異邦人』をはじめどっちかゆうたら地味な印象のもんが多かったし」
G「だけど、ぼくはこの『異邦人』は好きです。本格ミステリとしてのネタはごく小振りなんですが、完成度はかなり高いと思います」
B「作者の作品系列からいうと、SF本格ミステリ方向の長篇なんだが、初期のそれとはまったく雰囲気が違うね。SF的な設定の中で初期は本格ミステリしてたわけだけど、今は……なんだろうね。“家族”とゆーテーマでもってニンゲンってやつを描いているのかね。そりゃ巧いもんだし、ミステリとしての出来も悪くないけど……やっぱ本格読みとしては圧倒的に物足りないぞ」
G「ヒトは本格にのみ生くるにアラズ……なんちて。海辺の殺人での足跡トリックとその謎解きロジックは久方ぶりにキレ味がいいと思うんだけどな。ま、内容行きましょうか。えー、いきなりバラしちゃいますけど、今回のSFネタはタイムスリップです。主人公は永広影二という40歳の中年男なんですが、大晦日のその日、故郷に帰ろうとして彼一人が23年前の過去にタイムトリップしてしまうんですね。意識だけではなくて40歳の肉体ごとタイトリップしちゃうんですから、これはまあデロリアンいらずの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。かつて子供の頃の彼が存在した過去の世界に紛れ込んでしまったわけです」
B「なぜタイムトリップが起こったのかとかいったSF的な理屈づけは、例によって一切抜きで。ただとりあえず主人公はそういう逆ウラシマ状態に放り込まれてしまう。自分にとっては懐かしく見覚えのある街であり人々なんだけど、その世界にとっては自分は全くの異邦人であるというわけ。で、問題はなぜ23年前なのかというところで。実は23年前にこの故郷の地で、彼の父親が何者かに殺されてしまうという事件があったのね。そのために彼の姉はとても辛い人生を送ってきたのを、彼は知っているわけ。んで40歳の彼がトリップしてきたのは、この父親殺しが起こる数日前なんだね」
G「父親殺しの発生を予知している彼は、それを防ぐことができるのか。そして迷宮入りした事件の真相はなんなのか。知りあいなど1人もいない、いるはずがない過去の世界で、異邦人の彼は奇妙な協力者を得て“運命を変える”べく活動を開始します」
B「このSF本格の系統にしては信じがたいくらい静かな……沈欝な感じさえするほどの静けさと悲哀に満ちた物語だね。シチュエーション的にはナンボでもサスペンスを盛り上げられる話なのに、中盤では前述の奇妙な協力者との推理問答、というかなんとも不思議な雰囲気の対話が延々と続くなど、作者は物語的な動きを抑え対話と思索でもって、お得意の家族とジェンダーと運命にまつわるテーマを考察していく」
G「といってもけして頭でっかちなゴチゴチした印象はなくて、ayaさんがおっしゃった複数のテーマが、父親殺しという悲劇とその後の家族の運命へと繊細な手つきで集約されていきます。少々小奇麗すぎるくらいすっきりまとまったミステリパートの謎と謎解きも、そこにきっちり収まる程よいコンパクトさという感じ。でも、さっきいった通り切れ味はとても良い。全体に非常に完成度の高い作品ですね。テーマや語り口など、トマス・H・クックの一連の作品に共通するものを感じました。こういうのもいいと思います」
B「破綻が無いといえばそれまでなんだけど、こちらの想像を大きく上回ってくれる大胆さもなくて。じっくり読ませようという押さえた語り口がサスペンスを削いでくもんだから、いっそう結末のサプライズもコンパクトになってしまった感じ。暴走せえとはいわないが、やはりどうしても食い足りない思いが先にたつなあ。SF本格のシリーズとしては番外編と考えたいよ」
 
●逆転し続ける記憶……夏の夜会
 
G「じゃあ西澤さんでもう1本。『夏の夜会』はノン・シリーズの長篇ですね」
B「うん、たしかにノン・シリーズだけど、本格ミステリの方法論というか、方向性としては、タック・シリーズの近作に近いんじゃないかな」
G「そういわれればそんな気もしますね。複数の探偵役が議論しながら、少しずつ謎を解いていくという構成なんて、まさにその通りだと思います。ただし、この作品の場合はメイン・テーマに“記憶というものの不確かさ”というのがあって、要は失われた記憶の彼方の事件の真相を、皆で記憶を辿りながら探っていくというわけで。読み心地はかなり違う気もしますね」
B「たしかにね。じゃあ、内容の紹介と行こう。こちらもまた主人公は40歳の中年男だね。ある夏。祖母が亡くなり葬儀のために帰省した主人公は、久しぶりに帰った故郷で小学校時代の級友の結婚披露宴に出席し、その後同窓会よろしく旧友たちと酒を酌み交わすことになる」
G「いまやいい大人になった男女取り混ぜ5人の仲間たち。話題になるのはやはり懐かしい小学校時代の思い出です。あんなこともあった、こんなこともあったと思い出をたどるうち、ふと誰かがいいだします。そういえばあの夏休み、クラスメートの1人が死んだんじゃなかったか?」
B「薄れかけた思い出の彼方をたどり、それぞれの記憶を付きあわせるうち、その級友は殺されたのではなかったか、という疑いが持ち上がり、座はじょじょに盛り上がっていく。じゃあ、犯人は捕まったのか? いやそもそも、誰が犯人だったんだ? ……それぞれ微妙に食い違うおぼろな記憶の断片を重ね合わせ、浮かび上がってくるこの記憶は真実なのか。それとも、子の場で作り上げられた仮想の記憶なのか。繰り返される反論とどんでん返しの果てに浮かび上がった真相とは?」
G「何しろそれぞれ異なる視点の、それもおぼろな記憶に基づいた仮説が積み重ねられていくわけですから、精緻というよりはタックの酩酊推理に近い印象なのですが、どんでん返しに次ぐどんでん返しで真相がくるくる反転していく謎解きのサスペンスはかなりのもので。その謎解きだけでほぼ全編が構成されているという、きわめて異色な本格ミステリといえますね」
B「まあ、なんぼなんでも“級友が殺された”なんて大事件のことを、犯人の名前までひっくるめてその場にいる全員が忘れているというのは、いささか以上に不審な気もするな。40歳といやぁキミと同年代だけど、ここまで記憶力って悪くなるもんなのかね」
G「って他人事みたいにいってますけど、ayaさんだって同じでしょ! さすがに殺人事件なんて大事件があったら覚えているような気もしますけど(当時ぼくは“少年探偵団員”でしたし!)、しかし正直いって最近のぼくの物忘れのは悪さは半端じゃないですからねえ。この作品の登場人物達の忘れっぷりも、それほど不自然には感じませんでしたよ。いや、それどころか、わが身を省みてちょっぴりゾッとしてみたり」
B「ふん、そういや妙な怖さがあるよね。この作品」
G「そうなんですよ。前述の通りノリは酩酊推理なのですが、なんというか、話が進むにつれ記憶の不確かさというものがどんどん膨れ上がり、自分自身の記憶であるのにその下に潜むものの正体が知れない……という、なんとも倒錯した怖さすら漂ってくるんです」
B「謎解きロジックは、まあサプライズ優先って感じでかなり無理無理なんだけど、全編に漂う真夏のべったりした暑さの中の白昼夢めいた雰囲気が、そのあたりの不自然さをいい具合にカバーしているね。まあ、スッパリ割り切れないぶん本格としてはやや緩い感じなんだが、記憶という素材の性質上、これは仕方がないところか」
G「実験作だけど、これは成功している部類だと思います」
B「ただ、やっぱしあんまり読後感はよろしくない。本格としても気持のいいエンディングの付け方ではないわよね」
 
●無格殿御乱心……クリスマスの四人
 
G「続きましては、井上夢人さんの久方ぶりの新作『クリスマスの4人』。ちゅーてもこれは連載ものでしたっけね。まとめて読もうと思って連載中はガマンしてたので、ぼくは今回が初読です」
B「あたしもそのつもりでガマンしてたんだけどね〜。おかげでイカリが百倍ぐらい膨れ上がったね〜。なんじゃこりゃああああッ!」
G「あ、やっぱし。じゃあ長居は禁物なんで、さくさく内容紹介と参りましょう。物語は1970年のクリスマスの晩の物語を皮切りに、そこから2000年に至る10年ごとに分けられた4つの章で構成されています。主要登場人物は同じ4人で、つまり1970年に共にクリスマスを過ごした4人の、80年、90年、2000年のクリスマスの1日がそれぞれ描かれるという趣向です」
B「そんな風にいうと何やらロマンチックなんだけど、実は全然そういうお話ではない。冒頭70年のクリスマス。4人はみな20歳前後の若者で、ハメを外して楽しもうとばかりに車に乗って郊外に繰りだす。何処ともしれぬ畑の真ん中に停めた車中でマリファナを吸い、いい気持になったところで仲間の1人が無免許運転の揚げ句、不審な中年男を跳ねてしまう」
G「見ると男は既に死んでおり、4人はにわかにパニックに襲われます。正直に届けるか、それとも知らん顔を決め込むか……。議論の末、4人は男の死体を山中に捨て事件を隠蔽することを決めます。ついでに身元を隠そうと服をはぎ取っていくと、身分証ひとつないのにポケットから200万円もの大金が出てきます。つのる不審を押し隠し、ともかく4人は死体を捨て金を山分けし別れます」
B「とまあ、この第一章はありがちな青春サスペンスの冒頭シーン。ホラ、あのボディカウントムービーそのまんま。まああれは夏だったけどね」
G「でも、その後の展開はおそらく確実に読者の意表をつきますよね。10年後の80年にはたまたま再会した4人の前に“死んだはずのあの男”が出現し、奇妙なメッセージを残して消失。そのまた10年後には、仲間の一人がくだんの事件を小説化し、さらに映画傘が決まって、その記者発表の会場で今度は密室殺人まで起こる。カサックやバリンジャーを思わせるような、どう考えてもありえない、強烈な謎が連発されます」
B「そこまではいい、そこまでは。だけどこの真相はないだろう! いっくらなんでもこれはないネタつうか。んもー泣けてくるほど陳腐で安直安易の極み。……まあ、仮に百歩譲ってアレを使うのはヨシとしたにせよ、使い方が安直すぎるんだよ。アレを使ったミステリを構想したとき、誰もがいっちばん最初に思いつく、そして苦笑いを浮かべて捨てる類いのアイディアだ。ちょっとはヒネれよ……つうか、これじゃバカミスということさできないじゃん!」
G「んー、まあねえ。もともと井上さんって結末をキレイにまとめるの、あまりお上手じゃないじゃないですか。いつもたいてい冒頭から中盤にかけてが1番面白いわけで。ラストは、まあ“とりあえず終わらせる”以上のことはしていないみたいな」
B「そしたら、この作品ってなんにも残らねーじゃん! すっげえ安易なルーティンワーク……なあんていわれちゃっていいわけ? 本格でも変格でもない“無格”を標榜する 井上さんともあろう人が、こーんな型通りの陳腐なネタかよってね」
G「10年ごとの時代風俗とか……けっこう良く描かれてると思いますよ。とりあえず、途中まではすっごいサスペンスだったし」
B「けッ!」
 
●とことんひねくれた本格ミステリ寓話集……たったひとつの
 
G「斎藤肇さんといえば新本格の1人としてデビューされた方ですが、とにかく寡作で。ながらく新作が読めなかったのですが、久方ぶりに出して下さいました。原書房のミステリーリーグの1冊としてでた『たったひとつの』です。本格としてもかなりオフビートな連作短編集なんですが、いきなり第2回本格ミステリ大賞の候補作にも選ばれましたね」
B「タイトルにもある通り、浦川氏という名探偵が謎解き役となる8つの短編が収められているわけだけど、この探偵役がまことに珍妙不可思議な名探偵でね。……もう皆さん読んでいるだろうし、8つもあるからイチイチ紹介しないけれど、事件は必ずしも犯罪がらみとは限らない。殺人事件もあれば日常の謎っぽいのもあるし、何が謎だか事件だかとんと見当もつかない奇妙な話や、アクションものさえある」
G「つまりタッチも方向性も異なるお話が収められているわけですが、必ず浦川氏が探偵役を勤め、謎を解きます。ただしその謎解きは本筋の事件そのものの謎ではなくて、その周辺に転がっているオフビートな謎なんですね。つまり、事件から謎を見つけ出す視点がひねくれているんですが、それでいてそのツボを外した視点・スタンスはじつに本格ミステリ的。もちろんその謎に対する謎解きロジックも、チェスタトンや亜愛一郎系列の逆説っぽいロジックで非常に魅力的ですよ。後半どんどんエスカレートする知的ディレッタントという感じの蘊蓄も、やっぱりえらくひねくれてて、うん、とても楽しいですね」
B「しかし、これは好みが別れると思うぞお。そのひねくれ方といったら半端じゃないし、作者が何をいいたいのか何をやりたいのか。つかみ所が無くてイライラするんだね。ついでに名探偵の常軌を逸した神出鬼没ぶりも含めて、その独特の夢幻的な雰囲気はおよそ本格ミステリのノリじゃないからね。一編一編取りだせば、ネタもじつに他愛ないし」
G「たしかに読んでいる間はずっと、なんだか濃い霧の中を歩いているみたいな気分なのですが、ラストできちんと種明かしが有ります。まあ、これまたおっそろしくオフビートなオチで。いわゆる本格ミステリ的な予想をことごとく外してくる、徹底してひねくれたどんでん返し。くだらないといえばくだらないんですが、こういうくだらないことに長篇1冊分のボリュームを惜しげもなく費やしてしまう遊び心は、やはりまぎれもなく本格ミステリのそれというべきでしょう」
B「うーむ、玄人筋に妙に評判が高いのは確かなんだけどね。これは本格ミステリそのものというよりも、本格ミステリ的な発想や思想を逆説的に語った寓話集みたいな趣でさ。相当なレベルまで病膏肓に入った本格ミステリ読みでなければ、何が面白いのかすら分からないんじゃなかいかなあ。私自身も、面白いっちゃあ面白いが、コレだ! と素直に推す気にはなれなくてさ。少なくとも本格を読み始めたばかりの人なんかには、やっぱりちょっと勧めにくいんじゃなかろうか。フツーの本格に飽き足りなくなった貴兄に。ってところかね。歯切れ悪くてスマン。だけど、これ自体が歯切れの悪さをワザと楽しんでるみたいな作品なのさ」
 
●頭でっかちの異世界本格……饗宴
 
G「柳さんの、これは第3作にあたるのかな。『饗宴』は古代ギリシアの哲人・ソクラテスを名探偵役に据えた長篇本格ミステリですね。ぼくは前作の『黄金の灰』というシュリーマンを主人公にした作品が好きで、期待して読んだのですが、今回はアレとはかなり作風が違う」
B「どっちかっていったら、今度の作品の方が本格なんじゃないの? 『黄金の灰』は、トンデモ歴史推理って感じだけど」
G「たしかにそうなんですが、ぼくはあのおバカな奇想が好きなんですよ。そういう意味では、ソクラテスという実在の、歴史上の人物を主人公にしたかっちりした歴史本格ミステリの本作は、なんちゅうかまとまりすぎてていまひとつ物足りないみたいで」
B「君もよーわからんやっちゃなあ。しかし、とりあえずこれは歴史ミステリというのとは違うだろ。むろん何をもって歴史ミステリというか、っつー問題もあるけど、歴史上の謎を解いたり、同じく歴史上の定説を覆す推理を展開したりするのが歴史ミステリだとするならば、この作品は、古代ギリシアという世界観とソクラテスらのキャラを借りてるだけで、やっているのは純然たる本格ミステリ。強いていえば、異世界本格の変種というところだろうね」
G「なるほど。作者はたまたま“古代ギリシア”という異世界を舞台に借りているだけってことですね。その意味では、その“異世界”ならではのトリックなり謎解きなりが、どう展開されるかがポイントとなりますね。その意味ではぼくにとってはけっこう満足度が高かったですよ。さて、内容ですが」
B「舞台はもちろん古代ギリシアの都市国家アテナイ。金持ちの饗宴(パーティだな、要するに)に招かれたソクラテスと弟子のクリトン(こいつがワトソン役ね)は、ピュタゴラス教団と呼ばれる奇怪な反政府グループの噂を聞く。このアテナイにも一味が侵入し、秘かに暗躍しているというのだ」
G「次の日、饗宴の出席者の1人が市場で殺され、さらに別のバラバラ死体も出現。さらに昼間から異様な数の鴉が襲来し、日頃従順な女達も秘かに奇怪な祭を開き……奇怪な出来事の連続の背景にピュタゴラス教団の暗躍があるという流言が流れ、アテナイは徐々に落ち着きを失っていきます。アテナイの平和を取り戻すべく、名探偵ソクラテスは謎解きに挑戦します……」
B「前作もそうだったのだけれど、ミステリとしての骨格への肉付けが過ぎて、本格として読むと少々贅肉が多い印象だな。たしかに雰囲気はよく出てて面白いんだけど、中核の仕掛がいま1つショボいというのも相まって、読み終えて後の満足感はいまひとつというところだね」
G「でも、前述した通り、前作に比べればミステリ部分はずいぶんきっちり考え抜かれていて、トンデモ色は抑えられてますよね。まあ、さっきもいった通りトンデモ好きのぼくとしては、そこが物足りないのですが、本格としてはこっちの方がはるかに完成度が高い。この方向で進んで下さるなら、注目しておいて損のない作家でしょう」
B「ただ、この人はあまり小説は巧くないね。どうも語り口がぎこちないというか、ストーリィの流れがガタガタしてる感じ。まあ、そういった弱点をカバーするための歴史ネタ使いなのかもしれないけどね。たしかにもう1〜2作は読んでみたいところだな」
 
●大人の読者のための“塩分控えめ”……絶叫城殺人事件
 
G「有栖川さんの新作は火村シリーズの短編集。各篇ともタイトルが『○○殺人事件』で統一されてます。通常の同シリーズより、パズラー色がやや強いって感じかな」
B「っていうか、いつもの火村ものが“薄すぎる”だけの話でしょ。江神シリーズとは、やはり比較する気にもなれないレベル。パズラーとしてというより、やっぱりディティールで読ませるスタイルよね」
G「いつまでたっても江神シリーズと比較されちゃうのは、なんだか気の毒だなあ。ご本人も不本意でしょうに。ぼくは最近の有栖川さんのものでは、これが一番できが良いと思いますよ。復調の気配?」
B「いつまでも比較されるのは、いつまで経ってもそれを超えられないからでしょ。まあ、火村ものの中ではマシな方、というのは同意できるけどね」
G「ではせっかくなので1篇ずつ行きますよ。まずは『黒鳥亭殺人事件』。画家が娘と2人で暮らす黒烏亭はかつて殺人事件が起こったといういわく付きの“黒い家”。ところがその事件の犯人と目されていた人物の死体が井戸で見つかって……」
B「ミステリファンならだれでも仕掛が一目で丸分かりという、ヒネリのカケラもないしょーもない話。結局面白いのは、作中のエピソードとして登場する“二十の扉”の話」
G「“二十の扉”なんつっても、今の人はわからないかもしれませんね。回答者が“それは○○ですか”とか二十の質問をしていって出題者がそれに答え、出題者が何を思い浮かべているか当てるゲームです。作中でアリスが子供とやりとりする“それ”は、たしかに面白いですね。続く『壺中庵殺人事件』は、地下室で縊死を遂げた老人の謎を追う密室もの、有栖川さんにしては珍しいトリッキーな作品ですね。密室の構成もかなり練り込まれています」
B「その割にはあっさりお茶漬けの味の読み応えでねー。これは収録作全体にいえることだけど、どーいうつもりなんだか、作者はミステリとしての仕掛部分できるだけあっさり軽く扱おうとケツイしてるみたいで。まるで、ミステリとして読んで欲しくない、みたいな妙な雰囲気なんだよな。次の『月宮殿殺人事件』は、ホームレスが河原にきずいたガラクタ宮殿への放火事件のお話。火に包まれた、しかしガラクタしかないそこへ“わざわざ飛び込んだ”住人の真意は? というホワイダニット。ある少々特殊な知識をがないと解けない1発ネタだけど、そもそも作者は読者との知恵比べには興味がない様子だよな」
G「うーん、たしかに読んでほしいのは謎解きロジックではないのかも。でも、ファンタジックでさえある冒頭から静かな余韻の響くエンディングまで、過不足無くまとまった完成度の高い作品でしょう。短編ミステリとしてみれば、無理にパズラーに仕立てる必要は感じません。続く『雪華楼殺人事件』も同じ方向性ですね。廃虚のビルで繰らしていた駆け落ちカップルの片割れの奇妙な死は、ミステリ的には不可能犯罪であるし、その解明もかなりトリッキーではあるのですが、作者はあきらかにそのケレンぶりを抑えようとしている気配がありますね。これはやはり、大人の鑑賞に堪える小説としてバランスの取れた本格ミステリを書こうという試みなんじゃないでしょうか」
B「本来、文学としては著しくバランスを欠いているのが、本格ミステリというものの特徴だろう。“その方向”は本格としては退化にほかならない気がして、ちょいと泡坂さんの近年の作品の枯れっぷりを連想しちゃうね。次の『紅雨荘殺人事件』は化粧品会社の女社長が殺される……これもホワイダニットかな。ラストは情緒纏綿たるメロドラマで、テレビの2時間サスペンスが好きな人は喜ぶかもね」
G「それはちょっと言い過ぎですよ。たしかにメロドラマなのですが、とてもきれい。ミステリ部分もいうほど小粒じゃありません。なんていうのかな、徹底して練り込んだうえで、徹底して無駄を削ぎ落としたような、そんな印象です。ラストは表題作の『絶叫城殺人事件』。こちらはこれまでの静かなムードとは一転して、『絶叫城殺人事件』と呼ばれるTVゲームをなぞった犯行を繰り返す殺人鬼と名探偵火村の対決! という派手なお話ですね」
B「見立てものであり、ミッシングリンクものであり、連続殺人鬼ものであるというわけだが、はっきりいって食い足りない。核になるアイディアからいったらこんなもんだろうとは思うけど、それにしては話の風呂敷を広げすぎた印象で、何もかも中途半端なまま終わってしまった感じだな。ここまでこじんまり・こぎれいにまとまっていた短編集だけど、最後の1本でバランスを見誤っている。ともかくどうでもいいが、“こっちの方向”に行くなら、もう無理に本格にしなくてもいいんじゃないのって気もするね」
G「本格ミステリを読まず嫌いしている大人の読者には、この本なんてお勧めじゃないですか?ぼくはこの方向もありだと思いますけど。いや、もちろんだからってもう江神モノを書かなくていいってわけじゃありませんよ!」
 
●本格で人間を描くということ……死の殻
 
G「では、ぐっと渋いところでニコラス・ブレイク、行きましょう。『死の殻』ですね」
B「この作家は、まあ知らない人はないと思うけど、ポスト本格黄金時代の、いわゆる新本格派と呼ばれる作家の1人。新本格派と呼ばれているのは、『ハムレット復讐せよ』のマイケル・イネス、『ランプリイ家の殺人』のナイオ・マーシュ、『判事への花束』のマージェリー・アリンガムあたりのちょいと文学っけの強い本格書きたちで。それだけにいささか地味な作風の人が多くて、黄金時代の作家に比べると、現在ではやや影が薄い観があるね」
G「ただ、最近の古典再発見ブームの流れの中で、ようやくこのあたりの作家たちの再評価も進み始めたような気がします。この『死の殻』も、そういった流れに乗って邦訳されたんでしょうね。なんと驚いたことにこれが作者の第2作だそうです。とはいえもちろん、名探偵ナイジェル・ストリングスはちゃんと登場していますよ」
B「んじゃまあ、サクサクと内容を紹介しちゃおかね。えー、輝かしい戦歴と数々の勇猛果敢な行動によりすべての人から愛される、伝説的な空の英雄オブライエンのもとに殺人予告状が届いた。クリスマスにオブライエンへの復讐を果たすというのだ。オブライエンの護衛を引き受けたナイジェルだったが、周到な犯人の策略に出し抜かれてしまう」
G「ついに発生したクリスマスの悲劇! 一敗地にまみれたナイジェルは、ことの真相を解き明かすべく“誰からも愛される英雄”の過去を調べ始める……」
B「今回が初読だったんだけど、新本格派という名前らしからぬ古風でオーソドックスな作りなのに少々驚いたね。前段には謎がありトリックがあり、後段には過去の因縁話があるというかなり古臭いスタイルで。本格ミステリ的には1アイディアで勝負してるって感じなんだけど、これがどうにも小粒なネタで。ついでにプロットのひねりもごく単純なので、そういう意味での満足感はないね。陳腐で退屈」
G「って、そういうところが読みどころの作品じゃないのですから仕方がないでしょ。英国の新本格派は、そういう古典的な本格ミステリのアンチテーゼとして生み出されたんですから、期待するほうが間違ってますよ。読みどころは人間そのもの……この作品でいえば、誰からも愛された英雄の隠れた素顔であり、その英雄に復讐を誓う……誓わずにはいられない真犯人の、悲劇的な横顔にあるわけで。つまり、いわゆる“人間を描く”ってやつ。これをするために、作者は便宜的に古典的な本格ミステリの枠組みを援用しているわけですね」
B「にしても、本格ミステリ的な枠組みを使うからには、本格読みが想定読者だったはずなのに、その割には本格ミステリ的な技も技の使い方も、えらくみみっちいというか浅はかというか。これでは本格読みが満足するはずもないと思うがねえ。たしかにね、特に犯人の人物像は非常に印象的ではあるけれど、“だから何?”って感じはどうしてもぬぐえない。これなら無理に本格ミステリなどという制限の多いスタイルを使う必要なんてなかったように思えてならないな」
G「いや、それはそれこそ無茶な言いがかりでしょう。読み終えてなお読者の胸にくっきり刻み込まれる犯人の悲劇的なキャラクタは、やはりちょっとほかでは味わえないくらい忘れがたく印象的ですし、その思いの深さは、本格ミステリ部分の食い足りなさを十二分に補ってくれると、ぼくは思いますが。今年デビューした新人の作品じゃないんですから、きちんと期待するポイントをたがえずに読めば十二分に楽しめます」
B「そういう意味では、私の場合は最初っから読む必要を感じないタイプの作品だよね。私は本格ミステリにそーゆー感動を求めちゃいないんだから。もしそういうものが味わいたければ、ほかにいくらもあるわけでね……。無理に本格に仕立てる必然性なんてどこにもないと思うよ!」
 
●通俗の愉しみ……予期せぬ夜
 
G「国書刊行会の快進撃(なのか? ともかく続いているのは確かだが)に刺激を受けたか、老舗ハヤカワのポケミスによる古典復古が本格化しています。これもその1冊で、エリザベス・デイリイの『予期せぬ夜』。とはまた渋いですよね〜」
B「デイリイなんてねー、まあマニアじゃなけりゃ知らないかもね。よく使われるキャッチフレーズは『クリスティがもっとも愛した米国推理作家』ってやつで。これはクリスティがこの人の作品を好んだというコメントが残されたかららしいんだけど、だからってクリスティ並に面白いかというとそんなはずもなく。デイリイ作品といえばポケミスの『二巻の殺人』(現役なの?)が有名だけど、これがオニのように退屈なビブリオミステリだったしなあ」
G「まあ『二巻の殺人』はかなり古色蒼然として面白みに欠ける作品でしたが、それに比べればこの『予期せぬ夜』はずっと面白い」
B「相対的にはそうもいえなくはないが……ねえ。基本的には2時間ドラマサスペンス風味のヌルく古臭いサスペンスってとこかなあ。たしかに『二巻の殺人』の古めかしさよりはましだし、メロドラマだから読みやすいかもね」
G「まあ、とりあえず内容をば。え〜、幼少より極端に病弱だっため、やりたいことを何もさせてもらえず皮肉な性格持ち主となっアンバリー青年が、一族とともに海辺の避暑地にやってきました。この夏21歳の誕生日を迎えれば莫大な遺産を相続できるとて、有頂天の彼に振り回される一同。やがて、誕生日を迎えた深夜、無事遺産相続した直後、青年はホテル近くの崖下で死体となって発見されます」
B「有頂天だった彼が自殺するはずがない。といって、相続後の殺人では意味が無いはず……では事故? さらに彼自身の遺言状が消え、奇怪な様相を見せ始めた事件に、名探偵ガーマジが挑む! 遺産相続ネタではわりと使い古された感のある1アイディアがプロットの核。そこに変形コージー風味の舞台やら2時間サスペンス風味の怪しげな登場人物、そしてメロドラマなんぞを盛込んで、大衆小説としてはなかなかにゴージャスな創り。ただし、いかにも古臭い」
G「アイディアの頃が仕方は、たしかに器用とはいえなくて、現代の読者にはわりと容易に先が読めちゃったりするのですが、それはそれ。作者はたいへんサービス精神の豊かな作家らしく、ayaさんがおっしゃる通りの盛りだくさんの趣向でもてなしてくれます」
B「しっかし、垢抜けないよなあ。ネタの転がし方が単調でいかにも不器用って感じがしてしまう」
G「けど、すごく誠実な感じがしますよね。読者がプロットの仕掛に気づいてしまっも、次から次へと怪しげな人物やら事件やらを繰りだして、リーダビリティは終盤まできちんと持続されますし。クラシックとしては、読ませる部類だと思います」
B「まあ、どっちかっていえば、あれは古典的な大衆小説の技法だね。その場限りの通俗なネタをバラまいてるだけって感じもしないではない」
G「いやまあ、たしかに通俗ですが、そういう昔の大衆小説の通俗さって、ある種居心地がとてもいいじゃないですか。“次から次へ”といったってのんびりしたもので、どこか品があるし、ゆったりした気分で読めるのはとても心地よいもの。この作家の作品では世評名高い前述の『二巻の殺人』より、むしろこちらの方がお勧めですよ」
 
●複雑精妙な騙りのパッチワーク……切り裂き魔ゴーレム
 
G「続きましてはピーター・アクロイドの『切り裂き魔ゴーレム』です。アクロイドという、ミステリファンにとって非常に魅力的なペンネームをもち、ミステリ趣向の作品も数多く書いてらっしゃる作家さんなんですが、あまりミステリファンの方には読まれてないですね」
B「まあ、本来この作家ってポストモダン小説の書き手だしなあ。たしかにここの作品を見ていくとミステリ的な枠組みを多用してはいるんだけど、それはあくまでフレームの流用という趣向であって。既成のミステリやらエンタテイメントやらの面白さとは、やっぱ方向が違うからね。エンタテイメントの平易な文章・構成なれた人にとっては、とっつきにくいのは確かだろう」
G「たしかにいささか敷居は高いかもしれませんね。気楽に読み流すというわけにはいかなくて、ぼくなんぞどうしてもちょっとばかり構えて読んじゃうんですが、慣れてくると既成のミステリとは次元の違う面白さが味わえるんですよね。なんていうのかなー、変幻自在な騙りの技巧そのものを楽しむことができる、みたいな」
B「そうだね。ストーリィというより、語り口を楽しむというのはありかもしれない。幾重にも織りなされた騙りのマジックから生み出されるこのめくるめく感覚は、ちょっと通常のミステリやエンタテイメントでは味わえない世界だろう。ただ、本格ミステリ的な、というかミステリ的な腑の落ち方を期待すると辛いと思う」
G「いやあ、それでもこの新作は面白かったですよ。ミステリ読みの目からすると、たぶん今まででいちばん読みやすいんじゃないかな」
B「まあ、19世紀末ロンドンという、ミステリファンにとってはおなじみの世界が舞台だし、ネタもおなじみの“切り裂きジャック”の原型ともいうべき連続猟奇殺人事件だからな」
G「というわけで、なにしろ本筋脇筋、事実と虚構が入り乱れ、テキスト自体も1人称視点3人称視点、新聞記事に日記、裁判記録といった変幻自在のスタイルが混在しているので、あらすじはすげえ説明しにくいです。中心となっているのは、魔都ロンドンに突如出現した殺人鬼“切り裂き魔ゴーレム”よる猟奇殺人の物語なんですが、これと平行しあるいは交錯しながら、もう1人の主人公・エリザベスの数奇な運命が語られます」
B「凄惨をきわめるゴーレムによる殺人はいわずもがな、このヒロインもまた夫殺しを犯すし、市民は怯えながらもミュージックホールの殺人舞台劇や街頭の殺人コメディ人形劇に夢中になる……」
G「殺人嗜好が充満し熱に浮かされたような魔都ロンドンの世相を浮き彫りにしつつ、ゴーレムの正体・エリザベスの動機などといった謎解きの魅力でぐいぐい物語を引っ張っていく後半の展開は圧巻ですね。例によって作者はその博覧強記ぶりを遺憾なく発揮して、当時のロンドンに暮らしていた実在の人物を次々と登場させ、この残酷なユーモアに満ちた殺人喜劇を多角的な視点で描いていきます。ともかく膨大雑多なネタと伏線と技巧とがぎっしりぎちぎちに詰め込まれ、一度読んだだけではとてもすべてを捉えきれないほど。なんというか、実に豊穣な小説なんですね」
B「しかしそれがミステリの楽しさかというと、これは難しいところ。物語というより、モノスゴク膨大なネタでもって作り上げた複雑精妙なパッチワークの宇宙のごときものなんだ。だからミステリ的には、たぶんそれほど意味のない作品じゃないのかね」
G「そうかなあ、ぼくはミステリ読みさんにもお勧めだと思いますよ。さっきもいったように、ラストにいたってもいわゆるミステリ的な快感はないけれど、ミステリにもこんなことができるんだ、という驚きがあったんですね。少なくとも『ドグラ・マグラ』がミステリである程度には、この作品もミステリであるはず。はまる人ははまるはずですよ」
 
#2001年12月某日/某スタバにて
 
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