battle73(1月第4週)
 
[取り上げた本]
01 「「ABC」殺人事件」 有栖川有栖他        講談社
02 「黒と茶の幻想」 恩田 陸          講談社
03 「太閤の復活祭」 中見利男          角川春樹事務所
04 「銀杏坂」 松尾由美          光文社
05 「今日を忘れた明日の僕へ」 黒田研二          原書房
06 「幽霊は殺人がお好き」 筑波孔一郎         ダイソー
07 「霧の中の虎」 マージョリー・アリンガム  早川書房
08 「雪の死神」 ブリジット・オベール    早川書房
09 「箱の中の書類」 ドロシイ・セイヤーズ    早川書房
10 「ホームズと不死の創造者」 ブライアン・ステイプルフォード  早川書房
Goo=BLACK Boo=RED
 
●意図不明の企画モノ……「ABC」殺人事件
 
G「さて、今回はアンソロジーから参りましょう。『「ABC」殺人事件』は、『「Y」の悲劇』と同じく、古典本格黄金時代の名作をモチーフに、現代本格作家が書きおろした短編アンソロジーですね」
B「元ネタの『ABC殺人事件』は、まあ知らない人はないと思うけれどもクリスティの有名な長篇で。Aの頭文字を持つ場所でAの頭文字を持つ人物が殺され、続いてBが付く場所でBの名を持つ人物が……という具合に連続殺人が起こり、死体の傍らには『ABC鉄道案内』の本が置かれている。個々の人物につながりはなく、じゃあなんで犯人はABC順に殺人を? という古典本格ミステリの名作ね。クリスティ作品としては、中の上程度の出来だと思うけど、いわゆる“ミッシング・リンクもの”を逆手にとった、いかにもクリスティらしいひねりが利いた中核アイディアは、いまや本格ミステリの“基本”だな」
G「現代本格の書き手である執筆陣としては、ですから当然その定番トリックをまんま使っちゃうわけにもいかないわけで。難しいんですが、まあ強いていえば“連続殺人に関わるホワイダニット”というのが、統一テーマということになりましょうか」
B「それじゃあ、わざわざ『ABC』の名を冠する意味が無いよう無きもするんだけどねー。だいたい前回の『「Y」の悲劇』の場合もそうだったけれど、このアンソロジーシリーズはどーも企画の練り込みが足らないというか。編者が何を書かせたいと思っているのか、とんとわからない。“『ABC殺人事件』をネタに、なんか一発ヨロシク!”とか、すげえいいかげんな発注の仕方をしてるんじゃないか、なぁんて気がしちゃうのよね」
G「まさかそんないーかげんな注文の仕方はすまいと思いますが……たしかに『ABC』の紹介やアンソロジーのテーマ解説みたいな序文があっても、よかった気はしますけどね」
B「ともかく『ABC』を知らない人にとっては意味不明・意図不明の本だと思うぞ。ま、読んだことある人間にとっては、いっそう意図不明に思えてくるんだけどね!」
G「……とりあえず1つずつ紹介していきましょう。トップバッターは有栖川さんの『ABCキラー』。安遠町で浅倉が、別院町で番藤が……という具合に『ABC殺人事件』そのままの連続殺人が発生します。アルファベット順に殺すという犯行予告までやってくれちゃう犯人“ABC”キラーの意図は? 探偵役はごぞんじ『国名シリーズ』の火村さんです」
B「この本の中では最も律義にクリスティ作品を再現し、その“別解釈”を施そうとした真っ向勝負の作品だね。さぁっすが本格ミステリ作家クラブ会長というべきか。メインアイディアも悪くはないけど、残念ながら練り込み不足。苦し紛れに偶然を多用するのはいただけないなあ。続く恩田陸さんの『あなたと夜と音楽と』は、“アンソロジーの趣旨を理解してない”んじゃないかって感じの困ったちゃんな作品。ラジオ局の入口に毎週、決まって謎めいた妙なものが置かれている。誰が何のために? という小謎は“日常の謎”的でそれなりに魅力的だが、クリスティ作品とどうリンクしてるつもりなのか意図不明。しまいにそれが殺人事件に繋がってしまうという展開も無理矢理で。謎解きを書かせると、ほんっとこの人は不思議なくらいヘタクソになるねえ」
G「……続いては加納朋子さんの『猫の家のアリス』。ayaさんのお嫌いな『螺旋階段のアリス』の夢見る探偵助手アリスシリーズです。アルファベット順に殺されていく猫たちの謎は、アイディアは小粒ですが語り口の巧さでミスリード。バランスがいいですね」
B「相変わらず不愉快きわまるキャラのヒロインなんだが、1作だけならまあたいしてカンにも触らない。コンパクトが取り柄の可もなく不可もない作品って感じかな。キャラのことを抜きにすれば、インパクトに欠ける分こうしたアンソロジーでは弱いね。続いて、こういうアンソロジーでは、ちょっと珍しい貫井徳郎さんの登場だ。作品は『連鎖する数字』。連続して発生した若者殺し。現場には謎めいた数字を記した紙片が残されているが、被害者の間につながりはない。……要するにミッシングリンクテーマの謎解きで、これもアンソロジーの趣旨からいうと、ちょっとズレズレ。ついでに語り口が不器用なせいか、犯人もバレバレ」
G「まあ、不可解な数字をつなぐ真相は、ちょっと無理無理かなって感じもあるのですが、作者には珍しいパロディ仕立てだし、精密な謎解きや二段落ちの真相も面白いですよね。ぼくはこれと続くラストの『ABCD包囲網』が集中ベストです。というわけで、法月綸太郎さんの『ABCD包囲網』。犯してもいない犯行を次々自白する自首マニアに振り回される久能警部。意図不明な奇妙な言動に隠された秘密とは? ラストでは切れ味のいいどんでん返しが炸裂し、絵に描いたような“意外な真相”が明らかになります。謎解き短編を書かせたら、法月さんはやはり抜群の切れ味ですねー」
B「たしかに巧いよね。まあ、不自然といえば不自然なんだが、このラストには正直驚かされた。クリスティ作品の設定をベースに、これを踏まえたアイディアをさらに一ひねりして鮮やかな効果をあげている。アンソロジーのテーマ的にも、よろしいんじゃないでしょうか」
G「総じて前回の『Y』以上に粒ぞろいの作品がそろったように思えますが」
B「ただまあ、内容的には“『ABC殺人事件』がモチーフ”といってしまうと、いささか以上に無理がある。だいたいさあ、こういっちゃなんだが『ABC殺人事件』というフレーズをタイトルに入れたからといって売上が伸びるとも思えないんだが、どうだろう。いくつかの作品ではクリスティ作品のネタバレをぶちかましてるんだから『ABC』の既読者を対象にしているんだろうけど、その割には全体に原典への配慮が無さ過ぎる。作者たちだっていかにも書きにくそうだし……無理に続ける企画でもないような気が」
G「でも、法月作品や貫井作品のようなのが読めるんだったら、続けてもいいんじゃないですか? お題の解釈についてとやかくいわなければ、それなりに楽しめるシリーズだと思いますけど」
B「だったら、なにも“古典名作をお題にする”なんちゅう縛りの多い企画にする必然性はまったくないじゃん。お題となった原典のファンという、限られた読者に対してはアピールするのかもしれないけどね。それ以外の読者にとっては、無闇に高い敷居になってる気がしちゃうんだよ。商品としての企画が中途半端すぎなんじゃないのー?」
G「まあねぇ。でもどうなんでしょ、まだ続くのかな。続くとしたらクイーン、クリスティときて次は……カーかな?」
B「カーねぇ。なぁんとなく顔触れの予想ができそうな」
 
●癒しとしての物語……黒と茶の幻想
 
G「続きましては、恩田さんで行きましょうか。といってもこの方はガシガシと、そらもう大変な勢いで新刊を刊行しまくってらっしゃるんで、なかなか全部はカバーしきれないんですが……とりあえず“雑誌『メフィスト』連載”でいちばん本格ミステリっぽい“気がした”『黒と茶の幻想』を取り上げましょう」
B「きみねー、そりゃ憶測つうか“希望的観測”じゃん。ダメージ大きかっただろー? あたしゃとうの昔に、この人に本格ミステリを期待するのは諦めてたけどね!」
G「むう。聞くところによると、作者さんご自身はこれを幻想小説っぽく捉えてるみたいですしね……でも、ま。本格ミステリの香りがまったくないというわけではないですよね。内容です。久しぶりに再会した学生時代の仲間たち。その酒の席でふと旅行の計画が持ち上がります。退屈な、そしてそれぞれ問題を抱えた日常を忘れ、あの頃の仲間たちで“Y島への『非日常の旅』”に出かけよう! やがて4人の男女はそれぞれの癒しを求め、フェリーに乗り込みます」
B「その『非日常の旅』には、幹事役の提案で1つの趣向が用意されていた。それは各々が『美しい謎』を持ち寄って、旅をしながら皆で1つ1つ解いていこうというものだった。Y島の原初のままの自然を味わいながら謎解きを楽しみ、彼らの旅はそのまま過去への旅となっていく……」
G「物語はこの旅に参加した4人の人物が、それぞれ語り手を務める4つの章で構成されています。この4人の間には過去隠微な三角関係が存在していて、ある小事件にまつわる“真相”を巡って、水面下でそれぞれに微妙な屈託や不安や疑いがあるわけで。それが物語の進行と共に別の視点で語られていくことで、少しずつ真実のカタチが明らかになっていくという仕掛けです」
B「ある人物にとっての事実が、別の視点から語られることで少しずつ形を変えて行く。その趣向自体には新しさはないし、そのそれぞれの“過去の清算”が、Y島……と秘密めかした書き方になっているけど、これは要するに屋久島ね……の原初の自然と触れ合うヒーリング効果と一体となって癒しと回心をもたらすという展開も、なんだかえらくチープで紋切り型な気がしちゃう。それぞれの持ち寄った“美しい謎”の謎解きもひどく薄っぺらでてんで物足りないしねぇ……一言でいって全体に“ゆるい”!」
G「それはなんていうか、恩田さんならではの微妙な距離感の取り方のせいだと思うんですよ。4人がかかわる事件というのは、あくまで過去のできごとで。いまそこにある危機というより、いわれてはじめて思い出す“喉に引っかかった小骨”みたいなものでしょ。だからこそ4人が再会して初めてそれが顕在化し、それが“ほかならぬ今の自分の問題の根っこ”だったことに気づくわけです。生々しい痛みや激しい葛藤はないのは、そのせいなんですね。まさに4人が出会い旅することで、それぞれの過去を本当の意味で清算する精神的リハビリテーションが可能になっていくんです」
B「あんたねー、自分でなにいってるかわかんなくなってない? どうでもいいけどさー、わたし的には1つでも切れのいい謎解きや意外な真相しておいてほしかったな、と。そうすりゃ全体が、ピリッと引き締まったものになったと思うんだけどね」
G「だからぁ、これは“癒し”の物語だから“ピリッ”はいらないわけですよ。痛みも悲しみもどこか現実離れしていて幻想的で、その気づかなかった傷口が、遠まわしの対話と美しい自然のなかでゆるやかに回復していくという……」
B「アホか。イヤシもコヤシもあるかっつーの。人生はドラマだ! タイコを叩くのはドラマ―だ! ともかくこーんなナマヌルイうだうだ話に800ページも付き合うのはお断りじゃ!」
G「……ayaさん、なにいってんだかわけわかりませんよ……」
 
●暗号解読大戦争……太閤の復活祭
 
G「この作家さんをGooBooで取り上げるのは初めてでしょうね。ぼくもよく知らない作家さんなんですが、プロフィルを見るとライター畑の著作が多いようですね。というところで『太閤の復活祭』ですが……これは時代伝奇小説、でいいんでしょうか?」
B「トンデモ暗号小説じゃないのー? そう思って読む分には、久方ぶりの“暴走する妄想”って感じで面白かったわね。時代小説だなんて思って読むと、あまりにも文章がヘボなので泣きたくなったり壁に叩きつけたくなるんで、それは止した方がいい」
G「まぁ、ね。名人巧者がたくさんいらっしゃる時代小説分野に置くと、そう見えちゃうかもしれませんけどね。でも、たしかにこのとめどない暴走ぶりは、滅多に見られぬ奇観といえそうです。……というわけで、内容です。時は天下分目の“関ヶ原”前夜。大戦の予感に怯える日本各地で、奇妙な手まり唄が流行し始めます。『♪天下分目の大いくさ、太閤殿下がよみがえる。辞世の歌に聞きなされ♪』誰が、何のために流行らせているのか? いち早くその重要さを見抜いた家康は、真相究明のため2人の忍びを派遣し、伊達政宗は自ら秀吉の辞世の句に秘められた暗号解読に乗りだし、諸大名も次々暗号の謎に挑み始めます。かくて、闇の世界での暗号解読大戦争が勃発します!」
B「筋立て聞いてるだけでバカ! だけど面白そう! って感じだけど、そのとーりッ! ただし、はっきりいってムチャクチャ読みにくい。特に前半はヒドイねー。次々視点を切り替えるイマ風の構成を採ってるんだけど、文章が拙劣な上にキャラクタの書き分けが全くできてないもんだから、誰が何やってるんだかまったくわからない。キャラクタ自体もマンガやゲーム以下のステレオタイプばかりだし、ストーリィときたら脈絡の無いエピソードが乱雑に投げ込まれてるだけ。よぉもまあ本にしたもんだ! っていいたくなるくらいのレベルなのよね。だから、マトモに読んでいくだけでかなりの忍耐力と想像力が必要になるわ」
G「でも、そういう弱点を補って余りあるのが、メインの暗号解読合戦ですよね。ことに秀吉の辞世の句……『つゆとをち つゆときえにし わかみかな なにわの事も ゆめのまたゆめ』……の解釈/暗号解読合戦は、古今類を見ない2重3重4重の壮絶な多重解釈というスサマジさ。だいたいこの辞世の句は実際に秀吉が残したもので、作者自身の都合に合わせてこさえられたものではないわけですから、そんな既製品をよくもまあこれだけ重層的に解釈できたもんだと、そのほとんど妄想の域に達した解きっぷりにマジでクラクラしちゃいます。超弩級のブ厚い新書なんですが、そのくだりが始まってしまえばもうほとんど息をもつかせぬ一気読みですね」
B「でもなあ、そうはいってもこの暗号解読は、ほとんど全て強引剛腕力技のオンパレードによる“トンデモ解釈”大行進だからね。通常の暗号解読モノの、精密さや鮮やかさといった世界とはほど遠い。まさにそこまでやるかぁ! って感じの数秘学ノリでさ。これはやっぱり珍奇な見せ物を観る楽しみというべき。……なにはともあれ、奇書であることは確かだなぁ」
 
●異世界の“日常の謎”……銀杏坂
 
G「松尾由美さんの新作『銀杏坂』は、幽霊、生霊、念動力など超常現象がらみの事件に常識人の中年刑事が挑むという連作短編集。第1話が掲載されたのは『ミステリマガジン』でしたが、以降は全て『ジャーロ』連載という珍しい経緯をもった連作ですね」
B「ホラー、SF、ミステリ、ファンタシィ等々、エンタテイメントの様々なジャンルから微妙な距離感を保つ作家さんというイメージだけど、この連作では本格畑に1歩踏み込んだという感じはあるね。作者的には中年刑事版『Xファイル』とのことだが全然違う。これは本格ミステリとして評価すべき作品集だろう」
G「ですね。幽霊とか生霊といった超自然現象が扱われていますが、出てくる謎はいわば“日常の謎”という感じの小謎で。しかもその解き方が、幽霊や生霊などの“超自然現象の存在を前提とした論理で”解かれる。つまり、超常現象アリという特殊ルールを前提とした“異世界本格日常の謎派”というところでしょうか」
B「まあ、そういうことだね。つまりコンセプト的には西澤さんのSF本格と同系統ってことになるんだが、その割には謎も謎解きもえらく小粒なのが物足りない。日常の謎派としても、大人しすぎるんではないかなぁ」
G「いやあ、小粒なぶんキレイにまとまっていると思いますよ。この端正さは悪くないでしょ。まず冒頭の『横縞街綺譚』は、幽霊が住むアパートを舞台に、密室状況での宝石消失事件を描きます。“幽霊の物理的性質”(?)を論理的に検証し、失せ物のありかを導き出すのがミソですね」
B「特殊ルールを活かした一種の盲点原理の謎解きロジックは、たしかにシンプルで美しい。けど裏返せば底が浅く、真相を想像するのもカンタンなのよね。次の『銀杏坂』は、未来予知能力をもつ女性が、自分が夫を殺す予知をしてしまい、怯えて警察に駆け込む。主人公が彼女を安心させようと、予知が外れていた例を調べて行くと……予知能力の正体を巡る謎解きは、分かりやすいっちゃ分かりやすいんだが、やっぱり他愛なさすぎって感じ」
G「シンプルな仕掛を面白く読ませ、しかも微かな余韻を残す作者の手際は堂に入ったものだと思います。ボリュームからいえば、謎解きはこれくらいの軽さで十分では? 続く『雨月夜』のネタは生霊です。夜ごと生霊となって町をさまよう男が、夜道で通り魔を働いたのではないかと疑われます。これは生霊の正体に関わる謎……なぜ生霊が出現するのか……を、逆転の発想で解き明かすロジックが鮮やかです」
B「これもそうだが、基本的に捕物帳なんだよな、これって。世話物風の人情譚が絡んでくるあたりも含めて、無理に現代の話にしない方が良かったんじゃないかって気がするんだが。続く『香爐峰の雪』は“雪密室”の密室殺人。おあつらえ向きに関係者にテレキネシスを使える超能力少年がいて、という話で、不可能犯罪ものなんだけど、テレキネシスがアリなら、そもそも不可能犯罪でも何でもないわ」
G「ところがそれを“超能力の存在を前提として”引っ繰り返すわけで。ドンデン返しが鮮やかに決まっていますよね。最後の『山上記』は、再び第1話の幽霊が登場。主人公の行く先々に“彼女”が出現するのはなぜなのか。また、飛行機に乗ったはずの男が、到着地では消えていたという消失トリックも出てきますね」
B「後者は謎解きを読むと脱力するような他愛ないシロモノ。前者はこうした連作のお約束。“連作全体を繋ぐ”主人公自身にまつわる謎解きなんだけど……まあ、好みの分かれるところだが、ありきたりかつ陳腐な落し方だよなあ」
G「日常の謎派だってぇのは、その“全体を統括する謎ー謎解き”の構図からもうかがわれますよね。たしかに意外な真相というほどの仕掛じゃありませんが、静かな余韻の残るラストだと思います」
B「というわけで。基本的にどれも1アイディア1ツイストのシンプルな作り。“異世界本格”のバリエーションといえばまあその通りなんだけど、せっかく超常現象という大ネタを用いながら、つねに読者の想像の範囲を一歩も出ない解法しか提示できないのは、やはりちょいとばかし物足りない。せっかくの特殊ルールを活かしきってない気がするんだ」
G「特殊ルールといっても、この作品のそれは幽霊や生霊といった“比較的ぼくらの実感値に近い”ギリギリの特殊ルールですからね。その意味では逆にこうした小ネタの方が、ルールの特性を生かしているとはいえませんか? 好き嫌いはありましょうけど、ぼくは支持したいな」
 
●目が慣れるということ……今日を忘れた明日の僕へ
 
G「黒田さんの新作長篇は、ご存知原書房の本格ミステリ叢書『ミステリー・リーグ』の1冊、『今日を忘れた明日の僕へ』です。著者にとっては、初のハードカバー本ですね」
B「そうなるのかな。だからスペシャルにリキが入ってるってわけでも、ないようだけどね。……っていうか、ワタシ的には、これまでで一番つまんなかったゾ!」
G「……いきなりブチカマシてくれますね〜。ま、タイミングも運がなかったですよね。ちょうど、同じ前向性健忘を扱った映画『メメント』が話題を呼び始めた直後だったし、その前には北川さんの『透明な一日』もあったし」
B「前向性健忘というネタの扱い方はそれぞれに違うけど、はっきりいってその2つの方が面白かったな。まあ、『メメント』は映画だからこそ可能な、“見せ方”で勝負してたわけだけど」
G「むー、ともかく内容と参りましょう。ある朝、自宅で目覚めた主人公は、その日が8月20日である知って驚愕します。眠っている間に、いつのまにか季節が変わり歳月が経っている! 驚き慌てる彼に、妻は彼が数カ月前に事故に遭い前向性健忘になったことを告げます。つまり彼は1日の間しか記憶を保てず、一眠りすればまたリセットされて、その日の記憶は一切失われてしまう。その症状が治らぬかぎり、彼は“永遠にその1日”繰り返すしかないのです……」
B「驚き、絶望しながらも失われた月日を取り戻そうとするうち、主人公は自分の親友が白骨死体となって発見されことを知る。わずかな記憶の断片と自身の日記の混乱した記述をたどるうち、彼はある恐ろしい可能性に思い至る……」
G「視点人物を記憶喪失者に置くというやり方は、サスペンスならともかく本格ミステリ的には、作者にとっても読者にとっても難度が高い試みだと思います。客観的な事実として保証されるものが何一つ無いわけですから、極論すれば“叙述トリックやり放題”に近い。読者にとっては闇夜を手探りで歩く状態に近いし、作者にとっては、伏線を張るにもどんでん返しを仕掛けるにも、読者の理解度をどのくらいに見積もればよいか悩ましいところになりますよね。1歩間違えばナニガナンダカワカリマセン状態になってしまいますし……その意味で、今回の黒田さんは、たぶん従来よりもかなり軽めのひねり方に抑えている感じがします」
B「というより、前向性健忘という(本格ミステリ的に)非常に興味深いネタを扱いながら、そのひねり方はあまりにもフツーで面白みに欠ける。結局のところ、このネタに関してはサスペンス的な用法が中心であるように思えて、本格ミステリ的な意味での新味はほとんど感じられないのよ。本格ミステリ的には、いつものくろけんマジックの応用というレベルに過ぎないんじゃないの? 全然食い足りないね!」
G「それは……だけど、期待度が高すぎたからじゃないんですか?」
B「せっかくの魅力的なネタを活かしきってないのは、この場合罪だと思わないか? ワタシ的にはすっげえワクワクしながら読み始めたわけよ。この前向性健忘というネタを得て、どんなに新しいマジックに挑戦してくれるのか、と。ところがさ、結局前述の通り、謎ー謎解きの仕掛部分だけを取りだせば、非常にシンプルで定番的なものでしかないわけで。前向性健忘は、ほとんどサスペンスを高めるための装飾っぽい使い方でしかない。この作家としてはすっげーフツー、みたいな」
G「そうはいっても、複雑に張り巡らされた膨大な伏線を次々回収して意外な真相に結びつけていく作者のテクニックは、やはり飛びきり水際立ったものだと思いますし、前向性健忘の使い方もバランスが取れてたと思うんですが」
B「ん〜。なんでなんだろうなあ。巧いんだけど夢中になれない。なんとなあく冷めちゃうのはなぜなんだろう、と。……結局のところ、これは本格ミステリというよりもパズルなんだよな。たぶん。前から感じてたんだけど、これってさ、解いていくというよりも、パズルのピースを嵌めていく……それも作者が嵌めていくのを、読者は黙って見守るって感じのそれなんだ。テクニックだけでは、“いずれ目が慣れちゃう”んだよね。そんな気がする」
G「うーん。テクニックだけってことは、ないと思うんですけどねぇ」
 
●恐怖のブッチュン……幽霊は殺人がお好き
 
G「知ってる人は知っている、100円ショップ・ダイソーの『ダイソー・ミステリー・シリーズ』から1冊だけ。筑波孔一郎さんの『幽霊は殺人がお好き』を取り上げましょう。もちろん100円です。ダイソーの本を書いている人で読んだことのある作家さんって、この人くらいしかいないし」
B「筑波さんとはまた、懐かしい名前だなー。懐かしすぎるッ!」
G「でしょでしょ? この方は『幻影城』新人賞受賞……ではないですね。候補作でデビューしたんでしたっけ?」
B「忘れたなあ。『幻影城』がらみのデビューだったのは覚えてるんだけど……『日本ミステリー事典』で調べたら?」
G「いや、それが、この方のお名前は載ってないんですよ」
B「キツイのう……去る者日々に疎し、か」
G「まあ、たまぁに聞いたことの無い新書に書いてるのを見たことがありましたし、完全に筆を折ってたわけではないようですけどねぇ」
B「有り体にいってしまえば、幻影城時代の作品も内容的には素人の候補作品停まりのものばかりだったしなあ、悪いけど向いてないんじゃないの? 今回のこの『幽霊は殺人がお好き』にしたって、どー見ても超脱力級の出来じゃん」
G「うーん。まあともかく内容です。えーと、主人公は幽霊研究家の有礼太郎で……」
B「コレはユーモアのツモリなんですカ? なんぼなんでもそれはねーだろって感じのネーミーングよねぇ!」
G「うるさいなあ、少し黙ってて下さいよ。えーっと、旧華族の家に伝わる幽霊伝説の話を聞きつけた主人公。八方手を尽くして取材の許可を取りくだんの館を訪れますが、訪問早々、館の時計塔で幽霊と思しき人影を目撃します。聞けばその風体は伝説通りの幽霊の姿。すわ伝説の復活かと怯える館の人々をあざ笑うように、幽霊は館の人々を次々と殺し始めます……」
B「200ページちょいのボリュームで、4人も殺されるんだから忙しいわよねー。最初の殺人は雨で泥濘んだ地面による一種の雪密室なんだけど、凶器は現場から8m離れた場所に落ちていたという妙に中途半端な不可能犯罪。2つ目は毒殺で、これは沢山入った錠剤のビンからどうやって毒入りのそれを被害者自身に選ばせ飲ませたか、という毒殺トリック。3つ目はまた密室殺人。最後は、これは普通の刺殺事件か」
G「たしかに100円ミステリだけにページ数に制限が有るんでしょう。限られた枚数の中でてんこ盛り状態で事件を起したため、物語はとんでもなくぎこちなく唐突で。かなり粗っぽい仕上がりなんですが、作者はそれでも事件ごとにトリックを創案していますし、解明のための伏線もそれなりに頑張って張っている。本格ミステリ書きとして、できる範囲の努力は惜しんでいないように思えます」
B「たしかにトリックが豊富に使われてるんだけど、どれを見てもツクヅクしょぼいのよね。脱力級の情けなさっつーか。主人公のタワケたネーミングや情けないキャラ設定、あるいは下手くそな地口駄洒落がオンパレードなネタの数々からすると、作者的にはバカミス狙いだったのかも。ところが、それがことごとくといっていいほど滑る滑る! 結果、ただただカッコ悪いだけのダメミスになってしまったというオソマツ……」
G「うーん、たしかに隠れた傑作なんていって持ち上げるつもりはありませんが、2番目の毒殺トリックや3番目の密室トリックは、セコイなりに面白いアイディアなんじゃないかな。使い方次第でもっと活かせた気もします。……この方の場合、文章や小説作法の面でのお粗末さが、作品全体を必要以上にみすぼらしく安っぽく見せてしまうようなところがあるようですね」
B「名探偵はラストで10ページにわたって、延々と謎解き演説をぶちかますしなあ。ともかくさぁ、キスのことを“ブッチュン”と書く作者のセンスには、呆れるのを通り越して物悲しくなってくるぞ」
G「ま、ね。でも100円ならお買い得といえないではないではないかもしれないではないかと」
B「どこが! 100円が10円だってダメなもんはダメ。こういう粗雑な商売して作家でございなんて……哀しすぎるよ、じっさい」
 
●懐かしいスリラア……霧の中の虎
 
G「アリンガムといえば、クリスティ、セイヤーズと並ぶ英国三大女流だそうで。実際、古典ミステリの解説書なんかではよくその名前を目にするのですが、なかなかその作品自体を読むことができませんね。有名なところだと『幽霊の死』と『判事への花束』あたりでしょうか」
B「そうだね、その2冊のポケミスはだいぶ前に復刊されたけど……まだ手に入るのかな? 作風的にはマイケル・イネスやニコラス・ブレイクあたりのいわゆる新本格派の1人で、黄金時代の古典本格に比べると読者はずいぶん地味な印象を覚えるはずだ。ことにこの『霧の中の虎』は、名探偵キャンピオンこそ出てくるものの、実は本格ミステリ的な色彩は全くといっていいほど無い。風俗小説的なスリラー小説として読むべきだろうね」
G「そうそう! ぼくはこれが『ミステリマガジン』に分載されたとき、取っておいて完結してからまとめて読んだんですよ。それこそクリスティに連なる本格派だと思い込んでね。だから、読み終えた時はずいぶん面食らいましたねー。でも今回、こうして1冊になったものを読み返してみると、これはこれでけっこうなかなか現代的な面白さがある気がします」
B「ふーん? まあ巻末の新保博久さんの解説によれば、かのジュリアン・シモンズがこの作品を作者の最高傑作といってるそうだし、それなりの読みどころはあるんだろう。ワタシには見つからなかったけどね!」
G「またそーゆー憎まれ口を〜。ともあれ、内容を紹介しておきましょうよ。前途有望な青年と婚約し、幸せの絶頂にあった娘のもとに届いた不吉な写真。それは5年前に戦死したはずの夫の近影と思われるスナップでした。やがて、送り主の指示により警官と共に訪れた場所で、娘はついに夫とおぼしき人物の姿を目撃します。夫は本当に生きているのか。生きているならなぜ姿を隠すのか。はたまた生きていると思わせようとする、送り主の意図は?」
B「一方その頃、正体不明の凶悪犯ハボックが刑務所を脱獄し、ロンドン警視庁の必死の捜索をよそに次々と凶悪な殺人を犯し始める。実はこの悪の権化ハボックは、娘の父親である清廉な司祭アブリル師と浅からぬ因縁を持っていた。凶行を重ねるハボックに挑むアブリル師……。深く濃い霧につつまれたロンドンを舞台に、消えては現れる謎めいた夫の捜索、そしてハボックVS警察、ハボックVSアブリル師の追跡劇が始まる!」
G「というわけで、前半は謎めいた夫探しのサスペンス、後半はハボックの追跡劇という形で、物語は終始緊密なサスペンスを保ったまま進行します。夫探しのシークェンスなど本格ミステリ的な興味が全く無いわけではありませんが、基本的に物語はあくまでスリラーとしてのスタンスで描かれていきます」
B「たしかにある種オールドファッションなスリラー映画を見ているような趣のあるサスペンスなんだけど、いま読むとやはりそのサスペンス作りの手法は古臭い。現代の強烈なアクションやスリル演出を読み慣れた読者には、どうしたって物足りないないんじゃないかね」
G「地味ながらも緊密なサスペンスは一読の価値アリだと思いますよ。霧深いロンドンという舞台の不気味さも非常にうまく活かされてるし……もちろんキャラクタ造形も! アリンガムといえば、悪の造形に秀でた作家として有名ですが、実際この作品に登場するハボックという悪の権化は、かのレクター博士の先祖という感じの実に強烈なキャラクターです。彼と対照的に清貧の人・アブリル師との対比の妙は、宗教劇を思わせる強いメッセージ性を感じさせます」
B「たしかに印象的なキャラクターが登場するんだけど、ハボックの悪漢ぶりなんかレクター博士というよりルパン風。まあ、これは時代的なんぞもあるからどうこういっても仕方がないけどね。ただ、たしかにその追跡劇は、今風のサスペンスとは一味も二味も違う趣きがあるし、それなりの妙な迫力がある。いま読むとけっこう新鮮かもしれないな」
G「実際、ぼくはアリンガムという作家のイメージが一新されましたし、これは読んでおいて損の無い1作でしょう。アリンガムにはまだまだ未訳の傑作がたくさんあり、もっと本格味の強い作品もあるそうですから、クリスティ、セイヤーズなみに翻訳が進むといいですね」
 
●不撓不屈の知性……雪の死神
 
G「ではオベール、行きましょうか。まさか出るとは思わなかった『森の死神』の続編『雪の死神』です。爆弾テロに巻きこまれ、目も見えず口も聞けず、まばたきと左手を少しだけ動かすことしかできないエリーズは、全身麻痺の車椅子生活を送る名探偵。いうなれば史上もっとも過酷な環境に置かれた名探偵を主人公とするこのシリーズ、前作では森潜む連続殺人鬼と闘ったわけですが、今回はバカンスで訪れた冬のスキーリゾート地で、またしても謎めいた殺人鬼に挑戦されます!」
B「なに、いきなり内容紹介から行くわけ? えーっとぉ。相変わらず他人とのコミュニケーションもままならないヒロインだけど、その不屈な闘志は相変わらず。電動車椅子を手に入れて行動範囲も広がってきた。で、今回はおなじみの介護人イヴェットと共に、冬のスキー場にバカンスにやってきたわけだけど……そこでD・ヴォールと名乗る最悪のストーカーが彼女に付きまとい始めるのよね。付き添いの目を盗み、彼女が1人きりになったときを見計らって狂気に満ちた愛情をささやき、“不気味な贈り物”を置いていくというイヤ〜なやつ。おりしも街では連続惨殺事件が発生し、ヒロインはその犯人こそ謎のストーカーなのではないかと疑いはじめるのよ」
G「彼女の疑いを裏書するように、惨殺事件はヒロインの身近に迫り、ストーカーの接触は少しずつ危うさを増していきます。限られた手段を駆使し、必死で犯人の正体を推理しようとするエリーズでしたが……」
B「この作家さんも、ひところに比べると騒がれなくなったわよねー。一時はフランスの新本格派(?)みたいなノリの扱いだったんだけどね。まあ、『雪の死神』を読むと、そのあたりのトーンダウンもわからないじゃない。デビュー当初はなかなかに仕掛けの凝った設定でトリッキーなサスペンスを展開する作家だったんだけど、この新作なんかでは、トリッキーというよりあざといB級スリラーの書き手であることが、はっきりしてきた感じがする」
G「そうですねえ。実際、本格ミステリ的な趣向は、前作に比べるとぐっと控えめですね。ただ、最後のどんでん返しは、こりゃあやっぱり強烈無比で。そこまでやるかっていいたくなるくらいの“意外な真相”です」
B「いや、あれはいくらなんでもやりすぎつうか……ほとんどトンデモの世界よねぇ。まあ、この人はもともと読者を驚かせるためなら何でもやっちゃうタイプの作家さんだけど、今回のこれはほとんどエゲツナイって感じの領域にまで差し掛かった感じがするな。ま、正直にいえばそこが面白いわけだけどね」
G「とにもかくにも、リーダビリティはおっそろしく高いじゃないですかぁ。ヒロインを襲うつるべ打ちの危機また危機! 彼女が必死で推理をめぐらし知恵を働かせて危機から逃れようとするサスペンスも強烈で、その波状攻撃は全身麻痺というヒロインの過酷な状況でもって、いちだんと強烈なものになっていきます。やっぱ読み始めたら止められませんよう!」
B「今回は特にハリウッド映画もどきのショッキングなシーンやアクションシーンが乱れ撃ちだからなぁ。まあ、ハンデを背負ったヒロインがたった1人で追い詰められていくってのは手垢のついたやり方だけど、ヒロインのキャラクタ造形が凡百のそれとは一線を画しているわね」
G「ですね。もともと過酷な状況に置かれているエリーズなんですが、ともかく不屈の根性の持ち主で。凶悪無比な殺人鬼に正面から挑んで一歩も引かないんです。彼女の武器といえば鋭敏な推理力ととっさの機転しかないわけだし、身体は前述のように全身麻痺。ですから、敵の物理的な攻撃にはどうしようもないはずなんですが……それでもどんなに追い詰められても決してくじけない。知恵と機転で切り抜けて反撃しようとさえする。まさに不撓不屈ですね」
B「筋立てといい仕掛けといい、通俗のきわみといえばそのとおりなんだけどねぇ」
G「ともかく、この不撓不屈の知性を備えたヒロインの過酷な戦いは一読の価値ありですよ!」
 
●異色の心理小説……箱の中の書類
 
G「再びポケミスに戻りまして、セイヤーズと参りましょう。そういえば今回の洋モノは、なぜか女流作家さんばかりですね。……というわけで、セイヤーズ唯一の非ウィムジィもの長篇『箱の中の書類』です」
B「非ウィムジィものであり、ロバート・ユースタスという医学博士作家との共著であり、さらに複数の書簡で構成されているというきわめつけの異色作ね。しかし、ポケミスともあろうものが、共著者の名前を載せないのはいかがなものか。ショーバイ的にセイヤーズ作品であることを強調したかったのかも知れんが、載せた方がむしろ異色作っぽくて売れたかもよ。どーせ、マニアしか買わないことに変わりはないんだし。ともかくアンフェアはいかんアンフェアは!」
G「いやぁ、もうセイヤーズはほぼ全訳状態に近いですし、日本でも人気は定着しているんじゃないですか? むろんこれが異色作であることは確かですけどね……。というわけでこの作品は、事件関係者の書簡と供述書だけで構成された書簡体小説。作者にとっては初期作品に属するものだけに、内容は比較的本格ミステリ色が強い謎解きストーリィになっています」
B「書簡体だから、アラスジを紹介するのも難しいわね。とりあえず設定だけでも話すと……若い後妻と暮らす電気技師ハリソンは、家に画家と作家の2人の青年を下宿させることになった。下手の横好きな水彩画とキノコが大好きな夫、そんな彼にどこか飽き足らない思いを抱いている若妻、そして礼儀正しく魅力的な若い下宿人たち……やがてその人間関係は微妙にもつれ、歪み、ついに1人が不審な死を遂げる」
G「登場するのはほぼこの5人の登場人物だけで、前述の通り読者は、それぞれが書いた手紙で断片的に語られるエピソードから、表面的な物語の影で進む感情のもつれや陰謀の進行を推定していきます。本格ミステリ的な仕掛は非常にシンプルでさほど意外性はありませんが、この書簡体という工夫が隠微なサスペンスを生み出しています」
B「隠微なサスペンス〜? っていうか、そもそも手紙の方は別に告発状でも何でもない日常的な私信だから、事件の本筋に触れる記述はごく断片的にしか行われなくてさぁ。単純な話なのに、えらくかったるいっつーか、回りくどいったらありゃしないのよね! だからといって書簡体を利用したミステリ的な仕掛が有るわけじゃなし……これは失敗した実験作というのが、妥当なところじゃないの〜?」
G「うーん、まあミステリ的な部分だけ取りだせばそうかもしれませんが、たぶん作者の意図はそこにはないんですよ。つまりこれは“人間が描きたかった”んじゃないかなと。……たとえば語り手/手紙の書き手によって、同じ人物の描写が180度変わっていくじゃないですか。同じ人物が、間抜けでセンスの悪い田舎者だったり、誠実で朴訥な家庭人だったり。見る人間/語る人間によって全く変わってくる。その落差の面白さが1つ。そして、その人物をそんなふうに書く書き手自身の性格を含めて、登場人物のキャラクタを重層的に描いていくことで、表面的な物語の裏面に隠された悪意の在処を描いていく手法は、どこかルース・レンデルあたりに通じるものを感じます」
B「だとしても、実際にはあまり巧く機能しているとは思えないんだよね。根本となるミステリ的な仕掛の貧弱さ、事件それ自体の底の浅さが祟って、結局のところ物語は最後まで読者の予想の範囲を超えることが無い。書簡体という手法と内容のシンクロ率が低すぎる感じで、効果的とはいいがたいのよね。これが1作きりの冒険だったのも、まあ当然かな」
G「ぼくは面白かったですけどねー。一種の家庭心理小説として、面白い試みだと思います。まあ、ミステリ的な仕掛としては毒殺トリックに尽きてるわけで。それも本格読みには十分予想できちゃう範囲なので、その部分であまり過大な期待をするのは禁物ですけども」
 
●ホームズはダメ警官……ホームズと不死の創造者
 
G「さて、今回の10番目の席は、英国SF界の重鎮ブライアン・ステイブルフォードの『ホームズと不死の創造者』です。ホームズパロディ要素をもつSF本格だというので読んでみたんですが……ヘンな話でしたね」
B「っていうか、ぜーんぜんホームズパロディじゃねーし、本格でもねーぞ! はっきりいって、そういう要素はほとんど無い! これはいかにも英国SFらしい辛気臭く、地味ーな、“ミステリっぽい筋立てがあるだけの”SF。ミステリ読みの出る幕ではないな」
G「いやいやいや、そういう暴言はつつしんでほしいなあ。ホームズだってワトソンだって……それどころかオスカー・ワイルドだって出てくるじゃないですか。物語の骨格だってたしかに連続殺人の謎解きだし」
B「キミねー、そういうホラばっか吹いてるとロクな死に方しないぞ! ともかく本格ミステリ的な謎解きやトリックのお楽しみは、まったくないと。あっても笑っちゃうくらいしょーもないのがちょびっとだけだと。そのことだけは誤解しないよーに!」
G「はいはい。じゃ、内容の紹介、行きますね。えー舞台は、バイオテクノロジーとナノテクノロジーの進歩により、平均寿命が200歳を超えた25世紀末の未来世界。世紀末の安逸と怠惰を貪る超ハイテク世紀末社会に、突如奇怪な連続殺人が勃発します。それは人間を内側から食い尽くす新種のナノテクバイオ植物を用いた完全犯罪。事件の捜査は、ハル・ワトスン警視の指示のもと女性警官のシャーロット・ホームズ部長刑事に任されます」
B「ホームズが女性警官なのは、まあヨシとしよう。ワトソンがその上司というのも、考えようによっちゃ皮肉が利いてて面白いかもしれない。でもさあ、このホームズが捜査官としててんで使えない、ただのダメ警官つーのは……作者はいったい何がやりたいのか全然わからないってーの!」
G「じゃあ、いったい誰が探偵役かっつーと、オスカー・ワイルドなんですよね。まあ、このワイルドも詩人じゃなくてフラワー・デザイナー。別に捜査官でも名探偵でもないんですけどね。このホームズ&ワイルドの凸凹コンビが、連続殺人の謎を追っていくわけです」
B「そのアラスジだけ読むとまるでSFミステリみたいなんだけど、謎の解かれ方やラストで明らかになる真相に、ミステリ的な面白さはまったくといっていいほどありゃしない。そこで提示されるのは、究極まで進歩した科学により何処までも曖昧になった生と死にまつわる憂鬱なテーマの啓示……英国SFやのう、と。つまりあくまでこれはSF的な文脈で読むべき本なんだよ」
G「そうはいっても、ドイル作品からの直接的あるいは間接的な引用は豊富に行われていますし、バイオ植物や不老不死技術にまつわるナノテク関連のSF的アイディアも面白い。病むことも老いることもなくなった異形の未来世界の描写もなかなかインパクトがありましたよ。ミステリ読みにとっても、まったくなじめないわけではない。っていうか、むしろなかなかに魅力的な、異世界遍歴譚といえるんじゃないでしょうか!」
 
#2002年1月某日/某スタバにて
 
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