GooBoo SPECIAL

「物語」から「ゲーム」へ
-私説・本格推理小説論序説-
 
読者の皆さまへ
私は、ノーギャラの文章は、書かないことにしています。
なぜなら私はプロの文章書きであり、プロはお金のために働くものだから。お気楽トンボのMAQとは違うのです。
だから今回の依頼にも、寝ていたほうがマシ、と言い張ったのですが、
結局、むかし書いた原稿を提供するというカタチで妥協してしまいました。私もまだまだ、プロとしては未熟なようです。
これは高校生だった私が、当時の本格ミステリ観を語ったものです。
生硬で、幼稚な文章ですが、ミステリに対する考え方は今もほとんど変わっていません。もちろん手も入れていません。
ちなみにリライトはMAQが行ったので、誤字脱字があった場合は彼の責任です。
誤植1箇所につき1回、ランチをおごってもらう約束なので、読者の皆さんははりきって誤植を見つけるように。
では、ごゆっくり。
 
by aya

 
稿では、本格推理小説の2つの方向性について分析・考察し、ことに日本におけるそれの問題点を抽出する。
さらに、これらの作業を通じて、今後の本格推理小説の進むべき道・方向性を考える。
 
とくちに本格推理といっても、そこには大きくわけて2つの方向性がある。
1つは不可能興味あふれる謎とトリックをメインに置いて、その意外性で勝負するタイプ。
多くは冒頭に強烈な不可能犯罪……時にオカルティックな、時に幻想的なそれ……を配置し、
その謎が結末で合理的に解明される、というのが基本的な構造である。
ディクスン・カー、横溝正史らが、この派を代表する作家ということになろう。
もう一方は緻密に伏線を張り、証拠を提出し、読者と推理を競うことを標榜するタイプ。
こちらの見せ場は犯人を論理的に解明していく過程にある。
つまり都築道夫いうところの“謎と論理のエンタテインメント”派であり、このタイプは特にパズラーと呼ばれることが多い。
代表的な作家はもちろんエラリィ・クイーン。
日本ではこのタイプの書き手は少数派というべきで、前述の都築道夫の一部の作品ていどしか思い浮かばない。
 
のように、2タイプそれぞれの特徴を抽出してみると、一見いかにも相反するもののように思えるけれども、
実際にはすべての本格推理作家を、画然とこの2タイプに分類することなど不可能に近い。
多くの作家はこの両端の間のどこかで両者のバランスをとり、その作風を決定している……というのが実情であろう。
前者のトリック派の作家にせよ、謎解きの論理性を無視することなどできないし、
パズラー派の作品においてもトリックや魅力的な謎が全く見当たらないということは、まず、ない。
書き手にとってみれば、せいぜいがどちらに重点をおくかという、バランスの問題なのである。
この、おそらくは商業的な戦略、あるいは作家本人の資質・能力によって自動的に決定されているであろう、
これら個々の作家のスタンスは、
しかし、それぞれの作品の読み手にとっては、受け止め方が大きく異なってくる。
 
者のようなトリック重視型の本格推理において、読者が期待するのは、何よりもまず「意外性」だ。
そもそもカーの作品を読みながら、フェル博士と真剣に推理を競おうという読者は、少数派だろう。
ここでは、だから謎解きは論理的に矛盾してさえいなければ、それでいい。
“名探偵”の推理が、われわれには望むべくもない超絶的な天才の閃き=直感に基づいたものであったとしても、さあらばあれ。
私たちはいっこうに気にしない。
というよりむしろ、私たちは見事に作者から背負い投げをくらいたい。裏切られ、騙され、驚かされたいのである。
むろん、最低限守られるべきルールはあるにせよ、厳しくフェアプレイを要求するなど無粋の極みというべきであろう。
いうなればここでは、私たちはつねに受動的な姿勢であり続ける。
餌を待つ幼鳥よろしく、謎なり、トリックなり、作者の与えてくれる“驚き”をひたすら待ち焦がれているのだ。
考えてみれば、これは推理小説に限らずいわゆる物語一般の受容者としての姿勢に近い。
事実、この派に属する作家達は“物語”性を非常に重視している場合が多く、
カーにせよ横溝にせよ、その精妙巧緻なプロットとストーリィテリングには定評がある。
彼らの、波乱万丈、面白すぎるほど面白いストーリィは、時に“謎解き”の興味すらも凌駕しかねない。
極論すれば、彼らの作品において“謎やトリック”もまたプロットの一部として機能し、
より豊穰な物語性を作り上げていくことに奉仕しているのである。まさに、まず“物語”ありき。
エンタテインメントとしての“物語”の血統を色濃く受け継いだオールドタイプの本格推理小説なのである。
 
方、パズラーを読むとき、事情は全く逆になる。
私たちは科学者の、ごく厳正な姿勢でもって作品に臨むのである。
作者の提出する証拠の類いを細かにチェックし、演繹的に論理を積み上げて名探偵と推理を競い、
いち早く真犯人を指摘しようと知恵を絞る。
すなわちわれわれはより積極的・能動的な態度で作品世界と対峙し、
“ゲーム”の参加者となり、名探偵と対等な立場に立つ“プレイヤー”となるのだ。
……このとき、推理小説は“ゲーム”に限りなく接近する。
“物語”の伝統から逸脱した新しいエンタテインメントの可能性すらここにはあるといえるかも知れない。
 
て、ことほど左様にスタンスの異なる2者ではあるけれど、
わが国推理小説界においてどちらが優勢かといえば、これはあきらかに前者である。
クイーンの本邦における人気の高さを考え合わせるといささか不思議でさえあるのだが、
ともかく、謎解きの精緻な論理のみで勝負しようという作家は圧倒的に少数派である。いや、ほとんど皆無といっていい。
すなわちわが国においては、本格推理といえばまず、オールドタイプのトリック派のそれを指すのである。
事実、わが国の本格推理作家諸氏は、斬新奇抜なトリックと奇々怪々な犯罪の謎の創出に全力を注いできた。
そして皮肉なことにそのことが、結果としてわが国における本格推理の衰退を招いたのである。
トリックにせよ“謎”にせよ、斬新奇抜に、大掛かりになればなるほど、非現実的になっていく。
そもそもトリックはすでにオリジナルなものは出つくしたと言われて久しく、
新奇さを競うほど現実を遊離した“不自然”なものとなっていかざるを得ないのだ。
その限界を見失い、“不自然”な領域へ踏み込んだとき、本格推理小説は普通一般の読者の支持を失った。
この不自然さ・アンリアルへのアンチテーゼとして登場した社会派推理がもてはやされたのは、いわば当然の結果だった。
……ともあれ、それはよい。いうなれば歴史的必然であり、文学的な自然淘汰であった。
だが、時代は巡る。振り子は行くところまで行けばまた、戻るものだ。
 
年の横溝ブームは、絶滅に瀕した希少な天然記念物に対する物珍しさであって、所詮一過性のものでしかないという意見を聞く。
たしかにそうした側面もあろう。しかし、それだけではない。
多くの若い読者にとって、横溝作品に象徴される“あの世界”は、そのまま“新しいジャンル”の発見にほかならなかった。
地味で辛気臭い“リアル”な社会派推理に、息が詰まるような思いをしていた彼らは、
横溝作品に代表されるオールドタイプの本格推理を新たに“発見”したのである。
が、しかし。いうまでもなく問題はここにこそ存在している。
ただいたずらに旧作を発掘するばかりでは、いずれ行き詰る時が来るのは目に見えているのだ。
ことに、すでに社会派推理の洗礼を受けた現代の読者にとって、
これらの旧作が“荒唐無稽”な“つくりもの”に見えはじめるのは時間の問題だといえよう。
すなわち、現代にふさわしいスタイルと内容を持った新しい作家による新しい本格推理小説。
それを、私たちは必要としているのである。
では、それはどんなものであるべきなのか。
 
れはたとえば、オールドタイプな本格推理の血を引きながらも、より新しいパズラーとしての洗礼を受けた作品とでもいおうか。
いずれにせよ、私たちはもはや、苔の生えたオカルティズムや不自然きわまりない密室のための密室に用はない。
謎はもちろん必須だが、それとてもまた犯人が仕掛けるものなどではなく、むしろ状況から生まれた謎であるべきだし、
トリックもまた全否定するものではないにせよ、“そうせざるをえなかった”という必然性が大前提とならなければならない。
トリックにせよ謎にせよ動機にせよ、あくまで無理の無いこと……必然性をすべての前提とすることで、
新時代の“リアル”を実現するのである。
そして、むろん最大のテーマは、それらの上に構築されたロジックの面白さ、論理のアクロバットだ。
 
くまで論理的な解明をこそ主眼とし、より遊戯性が高く、より“ゲーム性”が強い本格推理……
いずれにせよこのようなタイプの作品は、
(きわめて希少な例外をのぞいて)これまでの日本のミステリ史の文脈からは生まれえなかったタイプのものである。
当然ながらそれを創出しうる書き手もまた、従来の文脈からは生まれえない才能、ということになろう。
すなわち、日本ではなく海外のモダンパズラーの影響をこそ強く受け、ソフィスティケイトされた若い才能。
旧弊な常識に囚われない、柔軟で伸びやかな感性を備えた才能。
その才能を、私は期待し渇望する。むろん、その姿はいまだ何処にもみえないのであるけれども……。
 

【言わずもがな、の後口上】
これってもしかして「新本格派」の登場を予見した、文章だったのでは?
思いきり背伸びをした書きぶりが初々しいとはいえ、内容的にも高校生が書く文章とはとても思えません。
後生畏るべし!って、実際それが商売になっちゃったわけですが。……ともかく貴重な文章を提供してくれたayaさんに感謝!です。
 by MAQ

 
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