五百メートルほどの商店街を端まで歩いてしまうと、サンタクロースは踵を返し、来た道を戻り始める。それが何度か繰り返されたところで、商店街の反対側にもう1人のサンタクロースが姿を現した。 こちらは看板の代わりに「大売り出し」という惹句と店の名前が刷り込まれた風船の束を頭の上に浮かべている。 やがて二人のサンタクロースは商店街の中ほどで顔を合わせ、その場で立ち話を始めた。が、呼び込みの声が騒がしくて2人が何をいっているのか、よく聞き取れない。 「……推薦組はみんな……」 「……約束……10時過ぎ……バイト終わってぎりぎり……」 事務机が5つに応接セットが一組。それだけでもう満杯状態であるのを、強引にパーテーションで仕切って1つだけある窓のそばに大きめの机と椅子を押し込み、どうやら社長室を気取っているらしい。建売住宅の一角に無理にしつらえた書斎コーナーみたいなものだ。 その「社長室」に座った50過ぎの男性が電話をかけている。真田不動産の経営者、真田誠一である。 「ああ、夜回りの件な。明日の寄り合いで決めよう。それと、出初め式の方は……ああ、わかってる。今回は仕方ねぇな。やるやつがいないんだから。ああ、悔しいさ。記念すべき2000年の正月だってぇのに」 真田は受話器を耳に当てたまま、机の上に置いてあった紺色の法被に目をやった。法被はクリーニング店のビニール袋に包まれている。ビニール袋越しに○に「や」の字のマークが染め抜いてあるのがわかる。 「なにいってやがる。いくらあいつが男勝りのおてんばだからと言って……。ああ……じゃあな」 電話を切った真田はひとつ溜息をつき、立ち上がると、丁寧な手付きで法被をたたんで壁ぎわのロッカーにしまい込んだ。ロッカーの中には様々な書類と一緒に、現金などを納めた小さめの手提げ金庫が置いてある。不用心なことだが、ロッカーには鍵もかけていないようだ。 真田は微かに右足を引いているようで、身体の動きもどことなくぎこちない。時計を見上げると、椅子の背にかけてあったジャンバーをひっかけて部屋を出ていった。 5分間ほど過ぎたところでドアがゆっくりと開き、何者かが部屋の中に入ってきた。「その人物」はいっとき動きを止めて周囲の気配を窺っている様子だったが、やがてそっと手を伸ばした。 ちゃぶ台には3人分の食器が並んでいるが、実際に席についているのは、真田とその妻の2人だけである。 二人の交わす会話に重なってTVからのニュース音声が流れている。 N「……太平洋縦断をめざして無許可のまま離陸した一人乗りの気球が、乗員を載せたまま都内上空を彷徨っています……」 「圭子は遅いな」 「クリスマスの晩ですよ。家にいられたら、その方が困っちゃう。あの子ももうすぐ高校生なんですから」 「困るってことは、ないだろう。だいたいお前だってこんな大きなケーキを用意してるじゃないか」 「駅前のケーキ屋で圭子の友達がアルバイトしてて、安くしてくれたんですよ。二切れだけ買うのも体裁が悪いでしょう」 「圭子の友達に値引いてもらうというのも、十分体裁悪いぞ」 「安くしてくれるっていうのを断るのも、カドが立つじゃないですか」 N「気球そのものに損傷がみられないことから、乗員の山本忠さん25歳になんらかのアクシデントにあったものとみられますが、気球を止める手段がなく、警察では航空会社をはじめとする各方面ヘ空路への警戒を要請するとともに、ヘリコプター等により追跡しています……」 「こんな暮れの押し詰まった時期にバイトしてるのか」 「だれのこと?」 「ケーキ屋で値引きしてくれたっていう圭子の友達さ」 「圭子と同じ、推薦合格組ですよ。普通の中3はそりゃ受験も追い込みですが、推薦で決めた子たちはもうヒマですからね」 「バイトは禁止だろう」 「なにいってんの。みんなやってますよ。……でもまあ、禁止は禁止なんでしょうね。あなた、よそで言わないで下さいね。そのせいで推薦取りやめになったりしたらたいへん」 「いうはずないだろ。バイトは圭子もやってるのか?」 「あの子は友達と遊びに行くとかいってましたから」 「……ケーキが腐るぞ」 「大丈夫、明日くらいまでなら持ちますよ」 N「……次のニュースです。クリスマス・イヴを迎えた首都圏では、今夕より低気圧の接近により、一部の地方で雪が降り始めています。都心部でも今夜半から降り始め、所によっては数センチ程度積もるところも出てきそうです……」 「ホワイトクリスマスってやつか」 不機嫌そうに呟いて、真田は窓に目をやった。 四方を住宅やビルに囲まれた、一辺が50mほどのほぼ正方形に近いかたちをした空き地である。ひねこびた雑草がそここに茂り、真ん中あたりにすっかり葉を落とした低い潅木が一本。隅の方にひび割れた土管。表通りからは少々奥まった位置にあるせいか、バブル期の地上げ攻勢にもあわなかったようで、奇跡的に昔ながらの「原っぱ」の風情を残している。少々懐かしさを感じさせる光景ではあるが、そういいきるには問題がある。原っぱの東南の一辺にあたる建物の前に、目も鮮やかな赤色の物体が転がっているのだ。 それは仰向けに倒れたサンタクロースだった。お決まりの赤い上下に白い長い髭をつけ、傍らの雪の上には、念の入ったことに真っ赤な帽子と丸く膨らんだ大きな袋まで落ちている。だが、奇妙なことにこのサンタクロースは、両足とも靴どころか靴下さえ履いていない素足なのだ。足の裏は汚れ一つなくきれいなものだったが、この寒空に剥き出しにされたそれは、妙にうそ寒いものを感じさせた。 背中を丸め、うんざりした目つきでそのサンタを見下ろしていた山田山警部に、部下の岩見沢が声をかけた。 「イヴにサンタが死ぬとは、世も末ですね」 不機嫌そうに鼻を鳴らし、白手袋をはめた両手をこすりあわせながら、山田山警部は死体の傍らにしゃがみ込んだ。 「事故かも知れんよ。酔払ってソリから転落したとか、な」 山田山はサンタの顔を覆っている大仰なヒゲを引っ張って外そうとした、が外れない。髭につけられたゴムひもが、頭の後まで回されているのだ。山田山が丁寧な手付きで被害者の頭を持ち上げひもを外し、髭を取り去ると、思いのほか若々しい女の顔が現れた。 「被害者は真田圭子、15歳。A中学の3年生です。住まいはこのビル……」 といって岩見沢は、すぐそばの建物を指さした。 「ビルといっても3階立てですが、これが父親の経営する会社の事務所兼用の自宅で。ホトケの部屋は3階。つまりこのほぼ真上ですね」 「死因は?」 「解剖待ちですが、首の骨が折れていたようですから……」 「自室から転落したのか」 「たぶん、そういうことではないかと。……ま、後で部屋の方を見て下さい」 「ふん。……しかし、学生がサンタクロースの格好で何をしていたんだ。まさか副業がサンタで、年に一度の仕事に出かけようとしていたというわけでもあるまい」 山田山はゆっくりと立ち上がり、コートの裾についた雪片を払い落とした。 「ここはもういいだろう。被害者の部屋を見る」 真田圭子の部屋は何の変哲もない8畳ほどの洋室だった。
岩見沢の質問に、目を真っ赤に泣きはらした中年女性……母親の真田ひろ子が答えた。 「はい、でも帰ってくるなり自分の部屋に入ってしまって」 「またすぐ出かけるとか、そういう話もなかったのですね」 「ええ、特には」 「で、その後はお会いになっていない」 「そうです……イブだし、家族で祝おうと声はかけたんですが……忙しいとかで」 「ここ二三日、娘さんの様子に変わりはありませんでしたか」 「なにか……嬉しそうというか……そういえば、一昨日ですか、『お父さんに遅めのクリスマスプレゼントをあげるんだ』とか、申しておりました」 「プレゼント? なんでしょう」 「わかりません。夫も心当たりはないそうです。でもあの子は、男勝りとか言われていましたが、本当は親思いの心の優しい娘でしたから。私達にも毎年クリスマスには、何かしら手作りのもの……手編みのマフラーですとか……を用意してくれていて」 「今年は何を用意していたかはわからないんですね?」 「わたし用には手編みのセーターが、タンスの奥に隠してありましたが、夫のそれはわかりません。特にそれらしいものも見当たらなくて」 「奥さんは、その、自分へのプレゼントをいつ見つけたんですか」 「おとついです。あの子の部屋のタンスの衣類を整理しようとして……そういえば、その時あの子に怒られましたわ」 岩見沢のわきで退屈そうに聞いていた山田山警部が、ふいと顔をあげた。 「怒られた? そういうことはよくあったんですか?」 「いえ……開けっ広げな子でしたから、私が勝手に部屋に入ったからといって怒ったりしたことはなかったんですが……ともかく、あれ以来、ちょっとでかける時も鍵をかけるようになったので、部屋には一切入っていません」 「ほう。鍵をね……」 「ええ。どうやら墜落現場はあそこではなかったようです。現場をもう一度詳しく調べたところ、広場のほぼ中央部にあたる場所からそれらしい痕跡が見つかりました。解剖の結果と考え合わせると、広場の中央部で高所から落下して激しく地面にぶつかり、首の骨を折って死亡した、と」 「事故か、自殺という線は変わらんな。まあ、その後、死体を動かしたものがいるわけだが」 「自室から転落したように見せかけたんでしょうね」 「待て! 広場の中央部といったな」 「ええ」 「あの広場の真ん中には高い木も塔も何もなかったぞ。ホトケはどこから落ちたんだ」 「……風に飛ばされて……なんてありえませんよね。昨日は風なんて吹いてなかったし」 「広場を囲んでいた建物で一番高いのが……今は使われてない火の見櫓とホトケの自宅の三階建てか」 「そうですね。後は平屋ばかりです」 「火の見櫓はどうだ?」 「だれも上った形跡はありません」 「ふん……しかし、だいたいなんであんなものが残ってるんだ? 使いもせんのに。老朽化してるだろうし、子供でも入り込んだら危ないじゃないか」 「一階が倉庫になってて、お御輿や古い火消し道具がしまい込んであるんですよ。立派なもんですよ、お御輿なんて。纏とかハシゴとかもありましたね」 「このあたりは『や組』の町火消しがあったからな。たしか、ホトケの親父さんは三代続いた町火消しの頭だよ」 「……しかし、そうなるとホトケがどこから落ちたのか……」 「それこそサンタのソリから落ちたんだとでも考えたくなるな」 「目撃者もありません。だいたいあの広場の回りは夜になるとあまり人気がないんです」 「参ったね、どうも。ホトケの交友関係は?」 「友人関係にもあたったんですが、ホトケが男と付き合ってた形跡は、やはり全くありませんでした」 「自殺を窺わせる書きつけや証言もなかったんだな」 「はい。ただ、男勝りという評判で、昔からこのあたりでは女だてらにガキ大将的な存在だったようです」 「ガキ大将ね……友達から恨まれていたとか?」 「いや、そういうわけではりませんが、ともかく彼女にいわれたら逆らえない、という感じの男友達が数人いたようで。つるんでいろいろやっていたようではあります。……ただ、恨んでるという感じとも違いますね。迷惑がってはいたようですが」 「迷惑ね」 「ええ、中3のこの時期といえば受験勉強のまっさかりですが、ホトケ自身も含め、高校へ推薦入学を決めた数人でつるんで遊んでいたようですね。……なんかヤバいことをやって、それがバレて入学が取消しになるのが怖かったんでしょう。私に事情聴取されたことも秘密にしてくれっていわれましたからね」 「まあ、高校受験ってのはそういうもんだろう。で、麻薬とか、ウリとか、そっちの方はどうだ」 「いや、それはありません。ホトケも含めて基本的には真面目な連中のようです。ヤバいコトといっても、せいぜいアルバイトくらいで。それくらいでビクビクする必要もないと思うんですけどね。いちおうバイト禁止ですから。中学は」 「なるほど。で、例のサンタの衣装は?」 「この時期どこのおもちゃ屋でも売ってる大量生産の変装グッズでした。ホトケ自身が購入した形跡は、いまのところありません」 「あれは後から着せられたものだよ。ホトケはだからサンタの衣装なんぞ購入しちゃいない」 「後から、ですか」 「ああ。だいたいホトケはサンタの衣装の下には下着くらいしか着てなかった。この寒空に出かけようって人間が、そんな薄着で耐えられるわけがない」 「そうか。あの衣装はダブダブでしたしね。下にセーターを着込んだって問題なかったはずです」 「問題は、死体を動かした人間は、なぜサンタの衣装に着替えさせたか。だ。ヒントは裸足だったこと、かな」 「そういえば商店街の聞き込みで、一昨日、ホトケが妙なものを買ったという証言があったんです」 「ほう……いや、待て。当ててみようか。アレじゃないか?」 |
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