消えた切り裂き魔の問題
by YABU


【問題篇
 群馬県粕川村。国定忠治で有名な赤城山の麓に、はるか昔から群生しているブナの原生林がある。果てしなく続く緑の絨毯の中に、そこだけ白く浮き上がる一画。緑の海に浮かぶ芥子粒程の白い島、その中に屋敷は建っていた。三角屋根を頭の上にのせた三階建ての母屋に一階分だけ高くした尖塔が隣接している様は、ヨーロッパ土産のメルヘンチックな屋敷に似ているようで似ていない、およそ不恰好なものだった。尖塔部分は最上階、つまり四階にあたる部分だけが大きな部屋になっており、その下はエレベーターが占めている。それは先天的な足の病のために車椅子での生活を余儀なくされていると噂される主人に合わせて作られたものであるらしい。一階から三階はこのエレベーターと、ちょうど建物の反対側に位置する階段とで行き来することができたが、四階にはエレベーターを使ってしか行くことができない。しかし、エレベーターの使用は主人である大河内と特別に許された客人だけにしか許されてはいない。
 この屋敷の主は大河内信康、今をときめくIT業界でのし上がった現代産業の寵児、SRIカンパニーの社長である。五年程前に突如として現れ、今までの業界人では思いもつかない新しい発想をもって、国内ではNTT(東日本、西日本とも)、海外ではマイクロソフトと手を結び、一気にスターダムへとのし上がった。最近では、次のターゲットとしてロボット産業に力を入れ始め、人間の皮膚に近い肌触りを実現した樹脂を使った、人間型ロボットの試作も始めているとの噂もあった。
 いきなり立志伝中の人物となった大河内信康であったが、彼の生い立ちを知るものはまったくいない。姿を見たものすらごく限られた人たちのみであった。北関東一帯で今でも権勢を誇る元首相の隠し子説、数年前に行方をくらませたIQ400を誇る超天才流体力学者説、マイクロソフトの技術面を一手に受け持っていた影のエンジニア説、様々な説が浮かんでは消えていった。
 そんな正体不明な主人が住む屋敷に二人の招かれた人物と、一人の招かれざる人物が訪れたその夜、悲劇が起こった……
 

 
 梅雨の終わりを告げる雨は急に時ならぬ嵐となって、関東全域に襲いかかっていた。風の強さは類をみず、幹から伸びた枝が折れて、彼方へと飛んでいくことさえ珍しいことではなかった。
 そんな嵐の様子が窓を通して感じられる一階の応接間に二人の男女がいた。二人の視線は、焦点が合わないままにテレビの画面に向けられていた。そこでは、今まさにエレベーター内で一人の女性が殺されていた。
「「殺しのドレス」……ブライアン・デ・パルマ監督のこの傑作が、僕は大好きなんだ」阿藤健はそう話しかけながら、真行寺麻衣の肩に手を廻そうとした。しかし、その手はふらりと立ち上がった彼女の肩に触れることはなかった。阿藤の顔に苦々しい表情がひろがった。
「あっ、そう」
麻衣は気のない返事を返しただけで、また黙り込んでしまった。
 高校三年生の時、アイドルとしてデビューした麻衣だったが、五年間はスポットライトがあたることはなかった。そんな彼女も、二年前に出演した映画「蒼い陽炎」での、妖艶な悪女役が話題となって、若手本格派女優としての道を歩き始めていた。
 話題作りのためには何でもやる女、それが真行寺麻衣に対する世間の見方だった。そもそもデビューのきっかけからして、現マネージャーである阿藤健との肉体関係から始まったと言われていた。そんな二人の関係もデビュー当初は真剣なものだったのだろう。ところが、彼女に対して周囲が熱くなっていくのと反比例して二人の間は冷めていき、今や解消寸前のようだった。今の麻衣にとって、阿藤は荷物以外の何物でもなかった。
 そんな麻衣にCMのオファーが舞い込んできた。今もっとも勢いのあるSRIカンパニーのイメージCMに真行寺麻衣を抜擢するという戦略は、業界内では裏目にでるのは確実とみられていたが、大河内の発想に負けた業界人の意見などは物の数ではないのかもしれない。一部の事情通内では、深紅の薔薇が舞う中で、試作のロボットと真行寺麻衣との濃密なラブシーンが演出されると噂されていた。自然の創造物である人間と人工の創造物であるロボットの愛。今までにない自然と人類の共生を暗示するCMだということだが、視聴者にどのように受け取られるのかは、大きな賭けとなりそうだった。
 壁に掛けられた時計が午後十一時を告げた。窓から嵐の様子を眺めていた麻衣はくるりと振り返ると、部屋の隅に置かれたライティングボード上から真っ赤な花束を拾い上げた。そして、ドアの方へゆっくりと歩を進めた。真っ白なドレスの胸前に捧げ持たれた深紅の薔薇の花束は、見る者に鮮烈な印象を与えた。ソファーに座ったままの阿藤がTV画面から目を離さずに問いかけた。
「こんな時間に待ち合わせか?」
「そう」
阿藤の声は暗く澱んでいた。
「いつの間にそんな花束を用意したんだ?」
「綺麗でしょ?今度のCMのイメージは深紅の薔薇らしいから」
麻衣はそう答えると、立ち止まって振り返った。その顔には妖婦の微笑が刻まれていた。阿藤は依然として画面から眼を離さなかった。
「そのまま朝までか?」
麻衣は答えなかった。阿藤の頭には、何度も見慣れた抗えない微笑が鮮明に浮かんでいた。やり切れない想いが阿藤を支配していた。そんな阿藤の想いを露ほども気に止めていない麻衣はドアを開けて、応接間を出ていった。
 しばらく動けなかった阿藤だったが、画面から振りきるように目を離すと駆け出した。応接間をで、エレベーターの方に向かった。目の前でエレベーターの扉が開き、麻衣が乗りこむ。その表情には自信と色香が溢れ出している。街灯に引き寄せられる蛾のように、引き寄せられる阿藤。腕を伸ばして、何とか麻衣に触れようとするが、邪魔をするように両側から扉が閉じた。互いに引かれあう両扉の間から覗く麻衣の微笑を見詰める阿藤の目から涙が零れ落ちた。扉に残されたかすかな隙間は、どうしても埋められなかった阿藤と麻衣、二人の心の隙間のようだった。
 床上に崩れ落ちた阿藤の耳にはゆっくりと上昇するエレベーターの機械音が微かに聞こえていた。その音を掻き消すように大きく雷が鳴ったかと思うと、窓の外が真昼のように明るくなり、そして一気に暗転した。
 

 
 午後十時半、加門咲は屋敷内の戸締りを点検していた。咲がある事件をきっかけに東京を離れ、住み込みのお手伝いとしてこの屋敷に働きはじめてから、もうすぐ半年がたとうとしていた。この広い屋敷には咲と下男の島田達郎の二人しか、住み込みで働いてはいない。昼間の内は近くの村からおばさんがきて様々な仕事を分担してくれていたが、夜の仕事は全て二人でこなしていた。しかし、島田は料理から屋敷の修繕まで何でもこなすオールラウンドな下男であったし、咲のお手伝いとしての能力も人並み以上のものだったので、さしたる苦労を感じることはなかった。逆に、事件を境に人間不信におちいった咲にとって、基本的に主人一人の世話だけに終始し、客も来なければ、仕事上の同僚もいない、この屋敷での仕事は願ってもないものだった。
 一階の玄関ホールは二階までの吹き抜けとなっており、ホールをぐるりと囲んでいる階段を昇って、咲は二階へとやってきた。二階には十畳ほどの大きさの客室が五部屋あり、現在は真行寺と阿藤が一部屋ずつ使っている。廊下の窓を絶えず雨がうるさく叩いていた。咲はエレベーターに一番近い空き部屋の備品の確認を終えて廊下へと出てきた。すると、一際辺りを圧する激しい雷音が響いて電気が消え、屋敷全体がびりびりと震えた。咲は思わず耳を抑えて、しゃがみ込んでいた。
 しばらくそのままの姿勢で耳を塞いでいたが、手をおそるおそる外して、辺りを見回した。とは言っても、辺りは闇に包まれていてほとんど何も見ることはできなかった。咲は手探りで立ちあがると、島田を呼んだ。すると、正面の方から島田の答える声が返ってきた。一瞬の雷の光をたよりに、咲はゆっくりと歩を進めた。
 その時、背後の方から真行寺麻衣の怒鳴り声が聞こえてきた。
「何よ、これ?停電?何とかしてよ、ねえ、誰かいないの?」
 
 麻衣に返答するその前に、咲の背中を冷たい汗が伝い落ちた。暗闇の中で何かが蠢いている、咲にはそう感じられた。しばらく立ち止まって気配を窺う。しかし、嵐の音が聞こえるだけで、何も感じられなかった。ふうと息を吐き出すと、首を軽くまわした。すると、またもや言い知れぬ不安が忍び寄ってきた。
「誰かいるんですか?」
何の反応も返ってはこなかった。咲の心は不安の影で暗く覆われた。本能的に階段へと向かった咲の足取りはほとんど駆け出さんばかりで、加速度的に精神の混乱を深めていった。階段付近にさしかかった時には、階下に行けば島田がいることも忘れて、三階へと向かってしまっていた。暗闇の中で何度も階段につまずきながら、這うようにして咲は上に向かった。
 三階に上がる頃には、背後の気配など判らなくなっていた。自分の心の中に巣食った不安におされて逃げ続けていた。とにかく前に進み続け、金属製の扉に行く手を阻まれたとき、不意に電気が復活した。屋敷の地下に設置された自家発電装置が作動し始めたのだ。停電していた時間はせいぜい五分もなかっただろう。廊下をこうこうと電灯がてらし、暗闇という名の怪物を一掃してくれた。止まっていたエレベーターも動き出して、微かな振動が手を通じて咲の体に伝わってきた。咲はほっと安心すると、そのままの姿勢で一息ついた。
 
 
 停電の中、島田は嵐にも関わらず訪れた非常識な訪問者の相手をしていた。咲が自分を呼んでいたので、様子を見に行こうと思った矢先、何者かが玄関扉をノックした。島田は訝しみながら玄関扉を開けた。停電して真っ暗な闇の中、一人の男が雨に濡れて立っていた。男は街に帰る途中、車がガス欠になってしまったので、一晩泊めて欲しいと頼んできた。島田は大河内から、約束のない客は誰であっても追い返すように、普段から言いつけられていたので、男に対しても泊めることはできないと頑なに拒否した。
「だから、一晩だけでいいんです、お願いしますよ」
男は執拗に食い下がった。
「うちにストックしてあるガソリンをお分けします。お泊めするわけには参りませんので、ガソリンを補給したら帰ってください」
島田がそう答えると、男はおいおいという感じで両手を広げた。
「この嵐の中を帰れって言うの?絶対事故るよ、ほんと。俺、運転に自信ないんだから」
男は胸の前で両手を合わせて頭を下げた。島田は困ってしまって、しばらく黙り込んだ。男は休まずにお願いします、お願いしますと繰り返してきた。その時、突然明かりが復活した。明かりの元でみる男は、顎ひげが勇ましく、目付きも鋭かった。
 どうやって追い返そうかと島田が思案していると、嵐の音を切り裂いて女の悲鳴が聞こえてきた。島田と男は今の声聞いた?と、目で確認しあった。
「今の悲鳴でしたよね?」
男が小さな声で確認してきた。島田は答えず、背後を振り返った。
「奥の方から聞こえてきたと思ったんですが……」
男が玄関扉を閉めて、屋敷内に入ってきた。島田が男の行動を咎めようとした時、再び悲鳴が聞こえてきた。島田の体は勝手に反応していた。悲鳴の出所を三階とあたりをつけ、一気に階段を駆け上がり、廊下を奥に向かって進んだ。廊下を曲ると、エレベーター前に咲の倒れている姿がみえた。その前には割れた窓の破片が散らばっていた。咲の足がエレベーターの扉に挟まっていたため、扉は開いたり閉じたりをひたすら繰り返していた。
「大丈夫か?」
咲の方に駆け寄る島田の目に、エレベーター内で横たわる女の姿が映った。その女が麻衣であることには気付いたが、今の島田には咲の介抱が最重要事だった。咲の体を抱え上げると、ベッドに寝かせるために一番近くの空いている客室へと向かった。障害物が取り除かれたエレベーターは扉が閉まり、ゆっくりと四階へと向かった。島田は咲をベッドに寝かせると、水やタオルを取りに、各部屋に備え付けられている洗面所へと向かった。
 濡らしたタオルで顔面に浮いた汗をぬぐいおわる頃には、咲の息遣いも大分落ち着いたものへとなっていた。その様子をみた島田は少しだけ胸を撫で下ろした。そんなとき、廊下の方から大河内の怒鳴り声が響いてきた。
「誰だ!お前は」
多分に怒気を含んだ大河内の問いに答える声は飄々としたものだった。
「成井幸助、三十歳。フリーライターです。どうぞよろしくお願いします」
ようやく自分の失策に気付いた島田は慌てて廊下に出た。エレベーターの前に招かれざる男が立っていた。エレベーター内には、明らかに死んでいるとわかる麻衣の横に、大河内が車椅子を押し込んで、乗っていた。その死体の奇妙な美しさに息を呑んだ島田だったが、大河内の怒鳴り声ですぐに我にかえった。
「そのフリーライターがどうしてここにいるんだ?」
大河内の目は完全に成井を見下していた。
「玄関から入ってきました」
あくまでも落ち着いた声音で、成井が返した。
「すいません、大河内さま。私のミスで、こんな男を屋敷の中に入れてしまって……」
島田の詫び言に大河内が怒りの言葉で答えようとする前に、成井が割りこんできた。
「まあまあ、そんなに怒らないで下さい。心臓に負担がかかりますよ。それより、大河内さん、そんな所で何をなさってたんですか? 私がエレベーターを呼ばなければ、花びらを全部拾って掃除でもするつもりだったのでしょうか?」
その時、島田は初めて大河内の手に赤いものが付着していることに気付いた。どうやらそ
れはエレベーター内に散らばる花びらのようだった。
「掃除されるんでしたら、その死体も一緒に片付けた方が良いと思いますよ」
成井の皮肉な口調が大河内の怒りに油を注いだ。
「知らん。お前はさっさと出て行け」
 エレベーター内は妖しい美しさに支配されていた。窓が割れているせいで廊下には猥雑な嵐の音が響き渡っていたが、エレベーター内だけは異様な静謐の中に沈んでいた。
 麻衣の全身は、顔面から足元まで、それこそあらゆる箇所が切り裂かれていた。概して浅い傷ながら、中には首筋の頚動脈をすっぱりと切り裂いた深いものもみられた。鋭利な刃物で切り裂かれたようだったが、近くに凶器はみあたらなかった。死因は大量の出血による失血死、あるいはショック死だと思われた。全身から噴出した血はエレベーター内の壁を濡らし、天井に取り付けられたファンまでも染めていた。麻衣の死体には無数の薔薇の花びらがふりそそいでおり、死者へ手向けられた花のようだった。麻衣に死を与えた凶行は薔薇の花びらへも容赦なく及んでおり、花びらの一枚一枚までが細かく切り裂かれ、麻衣の死体を彩っていた。
 隅の方にはこんな情景に不似合いな、壊れた機械の破片が散らばっていた。破片の量はごく少ないもので、機械はかなり小さなものらしかった。
 エレベーターは大河内専用であるにも関わらず、それなりの広さを持っていた。しかし、室内に篭った血の匂いは強烈で、大河内をエレベーターから出すために近付いた島田の鼻腔を強烈に刺激した。車椅子を引っ張り出したところで、成井が声をかけてきた。
「警察を呼んでもらえますか?」
島田は大河内の方に視線を投げた。大河内が異様に落ち着いた声で答えた。
「電話線が切れてしまったようで使えない。車で報せに行くしかないが……もう少し待つ」
大河内の答えを驚く風もなく成井は聞いていた。
「何を考えているのか知りませんが……いいですよ。私はすべて調べた上でここにやってきたんですから。ま、こんな事件がおきるとは思ってませんでしたがね、大河内さん。いや、水木さんとお呼びしましょうか?」
成井の言葉に大河内は驚愕の表情を浮かべた。ぶるぶると唇が震え、口をぱくぱくと小刻みに動かしていた。
「すべてを調べたと言ったでしょ?あなたがかつてIQ400を誇り、流体力学の常識を覆す男と期待された水木郁夫博士であること。七年前に当時高校一年生の娘さんを襲った事件をきっかけに、行方をくらましたこと。その後どういう経緯を辿ったのか、顔を整形し、大河内信康と名前を変え、IT業界を牛耳る存在にまでのし上がったこと。そして、娘さんの事件に真行寺麻衣が関係しているかもしれないこと。どうして、その真行寺麻衣を自社CMへ起用し、この屋敷に招待したりしたのか、その理由までは分かりませんが」
 成井の少しおどけた言い方にも、大河内は彼らしくもなく狼狽していた。島田は成井の言葉の意味が分からず、呆然としていた。
「そう言えば、あなたの娘さんの事件もエレベーター内でのことでしたよね。剃刀の刃のようなもので顔面を切り刻まれたとか……」
大河内が怒鳴り返そうとしたとき、階段の方からふらふらと一人の男が近付いてきた。
「皆さん、どうしたんですか?いや、お酒がなくなっちゃって……新しいのが欲しいなあっと思ってね」
阿藤はかなり酔っているようで、割れた窓枠を踏みつけながら歩いてきた。
「うるさい。お前は失せろ!」
大河内が突然怒鳴った。怒鳴られた阿藤は何も判らず、酒をねだるだけだった。自分の思い通りにならない苛立ちに大河内は全身を震わせた。
「阿藤さん、静かにして下さい。真行寺さんが亡くなったんです」
島田が静かに教えると、阿藤の動きが一瞬止まった。
「へっ?麻衣がどうしたって?」
「亡くなったんです」
二度聞かされて、阿藤もようやく理解したようだった。廊下にへたり込むと、顔を俯かせて肩を震わせ始めた。しゃくりあげる嗚咽が嵐をついて聞こえてきた。
「このまま立ち話もなんですから、部屋に入りませんか?」
成井の提案にも阿藤は反応しなかった。そして、突然叫んだ。
「お前が殺したんだろう!」
いきなり起き上がると島田に向かって突進した。どしんとぶつかると、胸板を殴った。しかし、体格で勝る島田が落ち着いて足を払うと、阿藤は無様に倒れた。そして、また泣きだした。それを見ていた成井は不思議そうな顔を島田に向けた。
 
 
 三十分後、ようやく落ち着いた面々は空いていた客室に集まっていた。長いソファに阿藤、その横に大河内、そして向かいの一人掛けソファに成井が腰掛けていた。咲はまだベッドの中で上半身だけおこしていた。島田はベッドの横に立ち、咲の肩に手を置いていた。
 成井がまず口を開いた。
「皆さん、大分落ち着かれたようですね。水木さん……とお呼びするのも他の方が戸惑われるので、大河内さんとお呼びしましょうか。大河内さんが警察を呼ぶことを許してくれませんので、しばらく私たちだけで推理でもしてみましょうか?」
成井の口調はいたって気楽な調子だった。
「この嵐の中、外部から侵入者がきたとは考え難いですね。私は先ほど一階から三階までぐるりと廻ってきましたが、不審な形跡はありませんでしたし、窓もすべて施錠されていました。強いて言えば、一階の物置にあったバラバラのマネキンみたいなやつですが、あれが噂の新型ロボットですかね、大河内さん?まあ、怪しいというより、ちょっと気味悪かっただけでした。四階は行けなかったので調べてませんが、あそこから侵入することは不可能でしょう。従って、真行寺さんを殺した犯人はこの屋敷内にいる人物ということになると思います」
言葉をきった成井は全員の顔をゆっくり見回した。大河内は腕組みして相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしており、阿藤は酒臭い息を吐き出しながら髪をくしゃくしゃに掻き回していた。咲はまだ青褪めた顔色で目をきょろきょろさせていた。成井を除いた中では島田が一番落ち着いた表情をしていたが、その表情はむしろ冷徹さが目立っていた。
「それでは、まずは阿藤さんがどうして島田さんを犯人だと思ったのかからお聞きしましょうか。阿藤さん、どうぞ」
成井は阿藤の方に手を差し出した。阿藤は更に髪をくしゃくしゃにすると、顔を上げて島田の方にちらっと目をやった。そして、つかえながら話し始めた。
「昼間、僕たちがこの屋敷についてすぐだった。麻衣のやつがあの男の目付きが気に入らないといって、さんざん文句を言ったんだ。その時のやつの目。何とも言えない冷たい眼で、僕は背筋が寒くなった。それで、やつがやったと……思ったんだ」
阿藤は再びうつむいた。告発された島田の表情は少しも変わっておらず、あくまでも冷たい眼差しを前方に据えていた。その横顔をちらと見た成井は阿藤に向かって話しかけた。
「分かりました。でも、それだけで島田さんを犯人とするのは軽率ですね。そうであれば阿藤さん、あなたや、ここにいる大河内さんの方がよっぽどそれらしい動機がありますからね」
阿藤は一瞬顔をあげて何事か言いかけたが、諦めたのかすぐに顔を俯けた。
 咲は内心落ち着かなかった。阿藤や麻衣本人ですら気付いてなかったが、咲は以前麻衣たちのイジメで芸能界を追放された身だった。もちろん外見にはその頃の面影はなくなってしまっていたのだが。数年前、芸能界に入った咲は、当時人気絶頂だった大物アイドルに目をつけられてしまい、取り巻きグループから執拗なイジメをうけた。そのグループの中でもとりわけ陰湿な行為を繰り返したのが麻衣だった。そんな事件をきっかけに芸能界を去った咲は東京までも離れ、こんな人気のない田舎での仕事に身をやつすことにしたのだ。咲の奥底に燻り続ける憎しみに気付く者もいないまま、話は続けられた。
「まあ、動機を云々するのはやめましょう。人を殺す理由なんて考えようと思えば、いくらでも考えられるものです。一番のミステリーは人間の心だ、なんて言う人が最近は多いですからね」
そういう成井の顔には皮肉な笑みが浮かんでいた。
「さて、それじゃ犯人を絞り込むためには、犯行当時の状況を正確に掴むことが大切です。加門咲さんでしたよね? 第一発見者であるあなたの話からお願いします」
急に話をふられた咲は少しの間逡巡した後、話し始めた。
「私は十時半頃、一階から順番に戸締りの確認を行いました。一階の応接間に阿藤さんと真行寺さんがいらっしゃいました」
阿藤が微かに頷いた。
「二階の確認をしている最中に停電がおこりました。そして、エレベーターの方から真行寺さんの怒鳴り声が聞こえてきて、私がどうしようと迷っていた時……」
咲の言葉が途切れて、顔面から一層血の気がなくなってきた。成井は心配そうな表情を浮かべながらも、話の続きを促した。
「その時、私……すごく不安な気持ちがしました。停電する前、二階には誰もいなかったはずなのに、暗闇の中で嫌なものが蠢いているような、言葉に言い表せない程、どうしようもなく怖くなってきてしまったんです。私は……とにかく逃げ出しました」
恐怖の記憶がよみがえったのか、咲はぶるりと体を震わせた。咲の肩に置かれた島田の手に力がこもった。我知らず咲の手が島田の手に重ねられた。
「嵐の夜のいきなりの停電ですから、無理もありません」
神妙な顔付きで成井は頷いた。
「それで、あなたはどちらに逃げたんですか?」
「一階に島田さんがいることは分かっていたのに、私は三階に上がってしまいました」
「逃げる犠牲者は必ず上へ上へと逃げる。ホラー映画の法則ですね」
神妙な顔のまま、成井が茶々をいれた。咲はそんな成井の言葉を無視した。
「三階の突き当りまで来た時、ちょうど明かりが復活しました。エレベーターも動きだして……風の唸るような音がエレベーターの方から聞こえてきたと思ったら、麻衣さんの悲鳴が聞こえてきたんです」
「ちょっと待って下さい」
成井が咲の言葉を遮った。
「エレベーターが動き始めていたということですね?」
咲は視線を天井にやって、必死に思い出そうとしているようだった。
「そうです。二階にいたエレベーターが停電からの復帰と共に動き出し、そのまま三階まで昇ってきたんです」
「エレベーターが二階にいたというのは、二階で聞いた真行寺さんの声が同じ階から聞こえてきたと思われたからですね?」
「そうです」
成井は視線を宙に泳がせたまま、仕草で話の続きを促した。
「この風のせいでしょうか廊下の窓が割れて、振り向くと雨風が私の方に激しく吹きこんできて、体ごとエレベーターに押し付けられました。直後にエレベーターが三階に到着して、扉が開いて……風に吹かれた薔薇の花びらが舞う中、麻衣さんが倒れていました。麻衣さんの白いドレスには赤い血の痕がいっぱいあって、その上にまた赤い花びらがひらひらと舞い落ちていって……私くらくらしてしまって、そのまま気を失ってしまったみたいです。叫び声をあげたような気はしますけど……」
「その時、エレベーター内に犯人はいなかった?」
「ええ、気が付きませんでした……」
咲の表情に少しだけ安堵の色が浮かんだ。成井は全員の顔を順番に眺めると語りかけた。
「私と島田さんは女性の悲鳴を確かに二度聞いています。今の加門さんのお話からすると、真行寺さんと加門さんのお二人の悲鳴を聞いたということになります。真行寺さんは停電から復帰した後、エレベーター内で殺害されたものと思われますが、エレベーターが三階についた時、犯人はいなかった。切り裂き魔は忽然と消えたことになる訳ですが、どなたか御意見はありませんか?」
成井の問いに答えを返す者は一人もいなかった。全員が考えをまとめきれていないようだった。
「二階で加門さんが感じた気配というのが本当だとしたら、犯人は二階で真行寺さんを殺害してからエレベーターにのせて、テープに録音した声を流したということもありえます。隅の方に壊れた機械の破片が散らばってましたし」
「あれはエレベーター内に設置してあった防犯カメラの残骸だ」
大河内がぞんざいな口調で答えた。
「すると、ビデオには犯人が映っている可能性がありますね」
成井が尋ねると、大河内は低く鼻で笑って、その考えを一蹴した。
「別に毎日二十四時間録画している訳ではないんでな。今日は別に録画してない。残念だったな」
残念ですと答える成井の表情は少しも残念そうではなかった。
「それでは、真行寺さんがエレベーターに乗り込まれるところを見た方はいらっしゃいませんか」
阿藤がゆっくりと手をあげた。
「僕が見てる……」
「それは何時頃ですか?」
「十一時過ぎ、停電の前……」
阿藤は言葉少なに答えた。
「辻褄は合うわけですね。阿藤さんはその前後、どうしてらっしゃったんですか?」
阿藤は不穏な目付きで睨み返してきたが、渋々答えた。
「十時頃から一時間ほど、僕は麻衣と二人で応接間で酒を飲んでいた。十一時になったところで麻衣が大河内さんと約束があるということで花束を抱えて部屋を出ていったんだ」
「すいません。大河内さん、そんな時間から真行寺さんと会う約束をしてらしたんですか?」
成井が大河内の方を向いて尋ねた。
「ああ」
一言だけで大河内が答えた。
「分かりました。すいません、続けてください」
阿藤の声は小さく、聞こえ辛かった。
「僕は麻衣の後で部屋を出て、エレベーターに乗り込むのを見た。もちろん、エレベーター内には彼女一人だけだった。そして、応接間に戻る途中に停電になったが、何とか戻って酒を飲んでいた。それだけさ」
もう自分は全てを話したという表情であっさりと言葉を切った。
「真っ暗な中でですか?」
阿藤は何も答えない。
「真行寺さんの悲鳴などは聞かれなかったのですか?」
「気付かなかった……」
「分かりました。それでは、次に島田さんは?」
島田の顔が成井の方を向いた。
「私は玄関ホールの方で少し片付けものをしている最中に停電になりました。そして、すぐにあなたが玄関を叩いたので、その対応に出ました。その後は、あなたと一緒でしたね」
「真行寺さんの悲鳴に続いて、加門さんの悲鳴を聞かれてからは別行動でしたよ」
成井が指摘した。
「あれからは、三階まで上がって、倒れている咲をこの部屋まで運んだ。それだけですよ」
「三階でどなたかに会われましたか?」
「いえ、咲以外誰も見てません」
「お前はどうしてたんだ?」
突然、大河内が声を発した。その質問は成井に向けられていた。
「僕ですか?」
成井は指で自分を指し示した。
「正直言いますと、僕はずっと大河内さんを追っていたんです。最近になって、ようやく大河内さんが本当は水木博士であることの確証を得て、真行寺さんとの関係もわかりました。大河内さんが何故娘さんの事件に関係しているかもしれない真行寺さんを自分の仕事に関わらせたのか、その点が不思議でしょうがなかった。そんな時に、今日真行寺さんが大河内さんの屋敷を初めて訪れるという情報が入ったものですから、思いきって張り込みに来たというわけです」
成井は悪戯小僧のような微笑を浮かべた。
「なんとか屋敷の中に潜り込みたかったんですが、名案が浮かばないまま外で張り込んでいました。そのまま時間だけが過ぎていって、こんな時間になって当たって砕けろかな、と思って玄関扉をノックしたのが、ちょうど停電が起こったときだったんですね。お分かりいただけましたか?」
成井はそう締めくくると、大河内の方をうかがった。
「ふん、怪しいもんだ」
大河内は鼻で笑いながら、顔をそむけた。
「まあ、そうでしょうね。自分で話していても行き当たりばったりで馬鹿みたいな話ですから。頭のいいあなたが疑うのも無理ありません。それで、あなたはどうなんですか、大河内さん」
成井の問いにも大河内は黙ったままだった。
「島田さんが加門さんをこの部屋に運び入れている間に私は三階まで上がってきました。その時、ちょうどあなたは四階からエレベーターを使って、死体と一緒に降りてこられたところでしたよね。ずっと四階にいらっしゃったんですか? 真行寺さんとの約束も四階で会われることだったんでしょうから、そうですよね?」
しつこく問いかける成井に押されたのか、大河内は答えを返してきた。
「そうだ。私は九時ぐらいから、ずっと四階の自室で仕事をしていた。真行寺君とは十一時に会う約束をしていたから、殺された時も自室にいたことは間違いない」
「一歩も四階から出てはいないということですね。そう言われると、四階に向かっていたはずのエレベーターが何故か三階で止まったんですね。誰かエレベーターを止めた方はいらっしゃるんですか?」
一同は黙りこくったままだった。
「四階に行くにはあのエレベーターを使うしかないのですか?」
「ああ。コンピュータ制御による最新のエレベーターだ」
成井は少し考え込んでから、質問の向きを変えてきた。
「ところで、停電の原因は何だったんでしょう?」
「尖塔の屋根、尖った部分に雷が落ちたためのようです。この屋敷はかなりの部分がコンピュータによって制御されています。雷はコンピュータにとって天敵ですから、あとで点検しないといけないですね」
「へえ、そうなんですか……それにしても暑いですね、この部屋」
成井は襟元のボタンを外しながら、問いかけた。それに答える島田の額にもうっすらと汗が滲んでいた。
「そうですねえ。もしかすると、落雷でエアコンの設定温度が狂ってしまったのかもしれません。確認してきます」
そう言うと、島田はドアを開けて、廊下へと出ていってしまった。
 部屋の中に久しぶりに沈黙が生まれた。それに耐えられなかったのか、咲が顔をうつ伏せ、静かに嗚咽を漏らし始めた。島田は五分ほどで帰ってきた。
「やはり設定温度が狂っていました。落雷のせいで、エアコンの設定温度を記憶していたメモリのデータがおかしくなってしまったようです」
島田は誰ともなしに報告しながら、部屋に入ってきた。うつ伏せた姿勢のままでいた咲の傍へと近付いていくと、その顔に驚愕の表情が浮かんだ。いきなり屈み込み、咲の背中、左袖の付け根あたりをじっと凝視した。
「咲、どうしたんだ、これ?切られているぞ」
島田の言葉にゆっくり顔をあげた咲は、肩越しに覗き易いように袖を軽く引っ張った。切れた箇所を確認すると、ただでさえ血の気の引いていた顔が一層青くなった。
「そんな、いつ切れたのかしら……もしかして、切り裂き魔が?」
自分を両腕で抱え込んだ咲の眼が落ち着きなくさ迷った。幸いなことに切られたのは服だけだったが、咲を怯えさせるには充分なものだった。困惑の表情を浮かべた島田は、そんな咲を見守ることしかできなかった。
「ちょっと、すいません」
いつの間に近寄っていたのか、成井が服の切れ目をじっと凝視した。鋭く切られていることを確認すると、島田に問いかけた。
「ところで、真行寺さんを殺害した凶器はエレベーター内には見あたりませんでした。屋敷内に、凶器となりそうな刃物はありますか?」
島田はゆっくりとした口調で答えた。
「そうですね……薪を作るために使う小型の斧、それから料理に使う各種の包丁。大河内さまと私が使っている安全剃刀。そんなところでしょうか」
「斧や包丁ではないですね、この切り口は。安全剃刀の刃の部分だけを使うのが、一番近そうだ。屋敷内の剃刀はなくなってませんか?」
「さあ……刃の数までは覚えていませんので、調べるだけ無駄かと思います」
凶器からの絞込みができないと分かった成井はがっかりしたようだった。そのまましばらくは考え込んでいたが、自分の考えをまとめるためのように話し始めた。
「エレベーター内から消えた犯人……今回の事件の場合、真行寺さんの悲鳴が本物かどうかで事件の構造がはっきり分かれると思われます」
成井が右手をあげて、人差し指をたてた。
「第一に真行寺さんの悲鳴が本物と仮定した場合です。この場合、真行寺さんの悲鳴が聞こえてから、加門さんが三階で開いたエレベーター内に死体を発見するまでの間に、犯人がエレベーターから脱出することは、はっきり言って不可能と言ってよいでしょう。そうなると、何らかの手段によってエレベーター外から室内にいる真行寺さんを殺害したことになります。当然エレベーターに何らかの仕掛けが施されている可能性が高くなります……大河内さん、屋敷の主であるあなたが最も怪しいということになります。もっともあまり頭の良い方法とは思えませんが、何か御意見はありますか?」
大河内はふて腐れた表情で横を向いたまま、何も答えてはこなかった。その様子をみた成井は続いて中指をたてた。
「第二に真行寺さんの悲鳴が偽物と仮定した場合です。この場合、真行寺さんが殺されたのは停電の間と考えるのが一番妥当です。もっとも阿藤さん、加門さんのどちらかが嘘の証言をしていれば、停電の間でなくても良い訳ですけど。どちらにせよ、この場合はどうやって偽物の悲鳴を作り出すのかが、一番の問題点になってきます」
そこまで言った成井は右手をゆっくりと顎の下に持っていき、眉間に皺を寄せた。
「しかし、どちらの場合にせよ、なぜ密室にする必要があったのか……この点が」
その時、突如別の声が割り込んできて、成井の言葉は消えてしまった。
「分かった!」
 
〈問題篇完〉
 
〈幕間〉
さて、ここで慣例通り、読者への挑戦をさせていただきます。
この事件の真相を推理して下さい。
論理的推理の元、真相に到達するだけの手掛かりは問題篇中に示されています。
 
【解答の仕方】
 
●正解を得たと確信された方は、メールにてMAQにお答えをお送りください。
●例によって、解答に掲示板を使うことはご遠慮下さい。
●みごと正解された方には……別に賞品は出ませんが、JUNK LAND内「名探偵の殿堂」にその名を刻し、永くその栄誉を讚えたいと思います。
●解決編は隠しページとしてアップします。「正解者」および「ギブアップ宣言者」にのみ、メールにてそのURLをお伝えします。
●「ギブアップ宣言」は、掲示板/BOARDもしくはメールにて「ギブアップ宣言」とお書き下さい。MAQがチェック次第、解決篇のURLをお教えします。
 
回答の宛先はこちら>yanai@cc.rim.or.jp
 
ではでは。名探偵「志願」の皆さまの健闘をお祈りします。



 
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