名探偵の殿堂 ゲスト作家スペシャル【 PART2】


底無し沼の底 本橋一哉
 
【前口上】  
はじめまして(?)、本橋一哉です。
このたび、縁あって「名探偵の殿堂」に作者として参加させていただくことがかない、とても光栄に思い、また緊張しています。
この話は、私が子供の頃実際に体験したできごとを基に創作したものです。クイズとして書くに当たっては、MAQさんに多くの助言をいただきました。特に、「ミステリとしての整合性」の部分はこの助言に負うところ大です。従って問題を解く手がかりにはいくぶん「MAQ流」が含まれているかも……、
これは作者からのささやかなヒントです。お楽しみいただければ幸いです。
 
 


【問題篇
*登場人物*
(現在)
一哉(27)   語り手
千晶(26)   一哉の新婚の妻
 
(20年前)
黄美子(6)  千晶の友達
俊司(8)        〃 
高弘(14)   俊司の兄
祥造(42)   黄美子の義理の父親
テツ(?)    殺された浮浪者
 

 
 勾配のきつい坂を登っていくと、とつぜん視界が開けた。
 山は、春の盛りだった。
 見晴るかす斜面は満開の桃の花で霞み、その下に集落と田んぼが広がっている。
 「そうしてると、なんだかすごく変な感じがするね」と千晶が言った。
 「まさか自分の結婚相手と一緒にここを歩くとは、思わなかったもの」そう言ってころころと笑う。
 僕と千晶は、半年前に結婚したばかり。忙しかった仕事がようやく一段落したので、5日ほどの休暇を取って小旅行に出かけた。遅ればせながらの新婚旅行を兼ねるつもりもあった。特に行き先を決めずに車を走らせ、気に入ったところがあれば泊まる。新婚旅行としてはかなりささやかというか地味な方だが、千晶は海外旅行なんかよりはこの方がいいと言った。そうして車を走らせるうち、千晶が子供の頃住んでいたという田舎町の近くまで来た。訪ねてみようと言い出したのは僕の方だった。東京の真ん中で生まれ育った僕にとっては、彼女が幼い頃どんなところで過ごしていたのか興味があった。
 N市は木工と果樹栽培で知られる小都市である。千晶が6歳まで住んでいたT町というところは、N市の中心部から山の中へ、車で30分ほど入った、まあ辺鄙、と言っても差し支えないような田舎町だった。
 「すごーい。20年前とぜんぜん変わってない!」千晶が歓声をあげた。
 はじめ、あまり気乗りしなさそうだった彼女だが、実際T町に着くと、さすがに懐かしさがこみ上げてきたようで、いつになくはしゃいだ様子を見せた。道端にスミレやつくしを見つけては、いちいち子供のように喜んでいる。
 「このへんでセミやクワガタなんか獲ったのよ。私、けっこう野生児だったんだから」自慢げにそんなことを言う。本当に幼い頃に戻ってしまったようなその姿がなんだか愛しかった。
 坂を上り詰めたところは小さな神社だった。千晶が子供の頃、遊び場にしていたという。可愛らしい狛犬が一対と、石の鳥居。くすんだような本堂の横には読めない石碑がひとつ。本堂の裏手は雑木林になっているようだ。人気のない本堂に向かって手を合わせてから、何気なく本堂の裏へ向かうと、後ろから千晶の鋭い声がかかった。
 「気をつけて! 危ないわよ!」
 「どうして?」
 「だって、そっちには……あっ」
 「何?」
 「だって、これ……、」
 千晶が指すところにあったのは、言われなければそれとわからないくらいの小さなくぼみだった。以前は水があって池だったのだろうが、すっかり干上がって乾いた落ち葉が溜まっている。深さは大人の膝くらいだろうか。ふちのところに、かつてここが池だったことを示す境界のように、一対の地蔵が祀られていた。一体は高さが50センチくらいのごく小さなもので、もう一体はやや大きい。地蔵というよりは石仏かもしれない。どちらも顔はすりへって見えなかった。
 「信じられない。子供の頃はここ、底無し沼だって言われてたのよ。ものすごく大きくて深い沼だと思ってたのに」と、千晶が言った。
 「小さい子が近づくと危ないからね。だから大人達がそう言ったんだろう」
 「うん、だろうね……、きっと。でも、思い出したけど、ここで人が死んだこともあったのよ。怖かった……」
 「えっ、それいつのこと?」
 「私が6歳の時。ここを引っ越す少し前。ううん、違う、結局それがあったから引っ越すことになったのよ」
 彼女は話し始めた。
 
 
 その頃、沼は緑に澱んでいた。水は濁って水面は藻に覆われ、どれほどの深さがあるのかも窺い知ることはできなかった。
 「なあ、知っとるか。あれは、底無し沼なんじゃて」
 と、遊び友達の俊司が言った。
 「底無し沼……て、底がないん? そんなわけないじゃろ。底がなかったら、水が抜けてしまうが」
 千晶がそう言うと、俊司はこれだから幼稚園児は、と馬鹿にするように笑った。
 「アホ。底無し沼言うたかて、ほんとに底がないんと違う。あの底には、どろどろの泥が溜まっとるんじゃ。そこにはまったら、足を取られて絶対抜けられん。もがけばもがくほど、どんどんはまり込んでしまうんじゃて、母ちゃんがゆうとったで」
 「やめてえな。怖くておえんわ」
 黄美子が、耳を押さえて言った。
 「きみちゃん、大丈夫じゃて。でもほんまに、沼にはまった人がおるんかなあ」
 「そりゃ、おるじゃろ。ガイコツになって、沈んどるんじゃ。誰にも二度と引き上げられん」
 「やめていうとるのに!」
 黄美子はついに半泣きになってしまった。怖いけれどわくわくするような話に水をさされて、俊司はもとより、千晶もいささか面白くなかった。
 「なんじゃ、黄美子の弱虫!」そう言って、俊司が黄美子を小突いた。
 
 千晶がこのT町に住んでいた頃、大抵いつも一緒に遊んでいたのは、黄美子と俊司の二人だった。
 黄美子は千晶と同い年だったが、俊司は2つ上の8歳。もう小学校に上がっていた彼にしてみれば、年下の女の子となんか遊びたくはなかったろうが、そうせざるをえない事情があった。近所に同じ年頃の子供が他にはいなかったということもあるが、6歳年上の俊司の兄、高弘はいわゆる知恵遅れだったのである。高弘は一応地元の中学の特殊学級のようなところに通っていたはずだが、しょっちゅうさぼっては町中や山をフラフラ歩いていた。いい年をしていつも車や汽車のおもちゃを大事そうに持ち歩いている高弘のことは、狭い田舎のこととて知れ渡っていたので、俊司と遊ぼうなどという同年輩の男の子はいない。仕方なく千晶達とつるむことになった彼は、友達というよりは暴君だった。気の強い千晶はそれほどではなかったが、おっとりとしてどちらかといえばとろ臭い黄美子は俊司の格好の標的になった。俊司の鬱憤のはけ口だったと言ってもいい。ある時は背中に毛虫を入れられ、ある時は神社の賽銭をとってこいと無理難題を押し付けられ、黄美子は絶えず泣かされていた。千晶は2人の間に立って、時には黄美子をかばい、また別の時は俊司と一緒になって黄美子をいじめた。そんな彼らの一番よく行く遊び場所だった、坂の上の小さな神社で、いや、正確にはその裏手の「底無し沼」である日、事件が起こったのである。
 
 
 千晶が6歳になったばかりの初夏のその日、いつものように神社へ遊びに行くと、なぜだか異様な人だかりがしていた。ふだんはほとんど人気がないといっていい神社の境内に、お正月の初詣の時でも見られないほどの大人達が犇めいている。見知った顔もあれば知らない顔もあった。人だかりは特に本堂の裏手の方に集まっており、よく見るとパトカーまで止まっていてただならぬ雰囲気だった。なにごとかとそちらへ行こうとした千晶は、いきなり背後から「コラっ!」という罵声にどやしつけられ、すくみあがった。
 びっくりして振り向くと、黄美子の父、祥造が浅黒い顔に恐ろしい表情を浮かべて仁王立ちになっていた。
 「ガキがそねえなもん見るんじゃねえ。さっさと帰れ」
 祥造は憎々しげに言い放った。黄美子の父、とはいっても義理である。黄美子の母の後添いで、黄美子は連れ子であった。箪笥などを作る指物師で、町内の世話役のようなことをしていたが、職人らしく気難しいところがあり、特に子供が騒ぐのが大嫌いだった。黄美子の家に遊びに行って怒鳴りつけられたことがあり、それ以来千晶はこの男が大の苦手だった。祥造は言うだけ言うと、自分はすたすたと人だかりの中へ割り込んでいく。千晶はとりあえずその場は逃げ出すことにして、見つからないように本堂のまわりをウロウロしながら様子をうかがっていると、後ろから小さな声が聞こえた。
 「ちぃちゃん」
 「きみちゃん。来とったんか」
 「うん。何があったん?」
 「なんじゃ、知らんの?」
 「うん。さっき来たばかりじゃもん。けど、なんか人がおおぜいおって、お父ちゃんも怖い顔しておるけん、見つかったら怒られると思って隠れとったんよ」
 「人殺しやでぇ!」
 その時、突然、頭上から降ってきたのは、俊司の声だった。
 「ああ、びっくりしたあ。しゅんちゃんか」
 黄美子が上を見上げて、大きな声をあげた。枝ぶりの良い松の木から、俊司が身軽にするすると降りてきた。
 「人殺して、ほんま?」千晶はそれよりも、俊司の言ったことが気にかかって、聞いた。
 「おお、ほんまもほんまじゃ。タカヒロが見つけたんやで」
 俊司はどこか得意そうに、そう言った。彼は知恵遅れの兄のことを、兄さんとは決して呼ばなかった。
 「誰が殺されたん?」
 「ようは知らん。けど、どうも“テツ”らしい」
 “テツ”というのは、このあたりでは知らない者のない浮浪者だった。時としてこの神社をねぐらにしていることもあったので、千晶たちも幾度か、姿を見かけていた。髪の毛をぼさぼさに伸ばした、ぼろきれのような姿を、千晶は思い出した。あの男が殺されたというのか。
 「誰が殺したん?」黄美子がきいた。
 「それは……、警察が今、調べとるところじゃ。“底無し沼”をさらってな」
 要は、俊司も詳しいことは何も知らなかったらしい。ちょっと言いよどんだ彼は、ふいに声をひそめて、意味ありげに笑いながら、言った。
 「それよりか、“底無し沼”のヒミツを教えちゃろうか」
 「え、何なに?」
 黄美子は無邪気に好奇心をあらわにしたが、千晶はちょっと、警戒した。俊司の意地の悪い笑いを見れば、彼が「その代わり……」と言って何かしら、ろくでもない交換条件を持ち出すのが見えていたからである。
 「そんなんどうでもええ。いこ、きみちゃん」
 黄美子の手を引っぱって行こうとしたところを、
 「おお、今日はええ天気じゃなあ」
 ふいに、場違いに間延びした声と、ずんぐりした大きな影が遮った。高弘だった。いつものように、手には電車のおもちゃ―今日はプラレールの新幹線らしい―を握り締めている。
 「たかちゃん、“テツ”が殺されたんやて? たかちゃんが見つけたんやて? ほんまか?」
 「黄美子か。お前の父ちゃんは飲んだくれじゃなあ。ありゃきっと、黄美子の父ちゃんがしたもんやで。飲んだくれ父ちゃんが飲んだくれを殴り殺したんじゃろ」
 おそらく高弘も、なにかで黄美子の父親にどやしつけられたことがあったのだろう、それはまったく脈絡のない因縁だったが、黄美子はたちまち泣きそうな顔になった。
 「嘘やもん。お父ちゃん、そないなことせんもん!」
 「わしは見たんじゃ。酒びんが粉々になっとったで。けどもう大丈夫じゃけん。悪い奴はみんなわしがやっつけちゃる。あはは」
 そう言うと、高弘は突然、べたりと寝そべった。そのまま、手に持ったプラレールを地面に走らせ始める。時折、のどの奥で「ヴィーン、ヴィーン」というような声を出し、すっかり自分の世界に入ってしまっていた。
 「おい、タカヒロ、警察はもうええんか。なら、もう帰るで」
 俊司がたまりかねたように口を出した。そして、自分の倍はありそうな兄を引き起こすようにして、坂道を降りて行った。高弘はその間ずっと、大きな声で童謡を歌い続けていた。
 
 お〜やまの中い〜く〜汽〜車ぽっぽ
 しゅぽっぽっぽく〜ろい煙を出し〜
 
 
 それからしばらく、千晶は神社へ行くことはなかった。事件のことを知った両親が、心配してそこへ行くことを禁じたからだ。ことに母の不安がりようは並大抵ではなく、ちょっとでも千晶の姿が見えないと心配して探し回った。地元の同じ幼稚園に通っていた黄美子とはよく会ったし、時には家に呼んで、2人で遊んだりした(祥造が怖いので、黄美子の家に行くことはなかった)が、黄美子もやはり神社へ行くのは禁じられているとのことで、2人ともその間ずっと、俊司とは顔を合わせることはなかった。
 しかし、事件から3ヶ月程たち、秋風が立つ頃になると、だいぶ様相は変わってきた。
 まず、“テツ”殺害の犯人と目される人物が逮捕された。それは、浮浪者の“テツ”と大差ないような暮らしをしていた日雇い労働者で、泥酔したあげくささいな口論から酒びんで殴り殺してしまった、ということだった。とにかく犯人が逮捕されたことで、千晶の母は目に見えて安心したようだった。
 さらにその夏の終わり、妊娠中だった千晶の母が、千晶の妹を出産した。母の入院中とその後しばらくは、横浜に住む千晶の祖母がやってきてなにかと面倒を見てくれたが、その祖母も帰ってしまうと、母は新生児の世話にかかりきりになり、千晶にはそれほど目を配ってもいられなくなった。かくて再び千晶はしばしば神社へ、また「底無し沼」へ行くようになり、以前のように黄美子や、俊司ともつるんで遊ぶようになったのである。
 
 その日、黄美子は新しい玩具を持ってきていた。
 それは木製の、白く塗られたクルーザーだった。
 「お父ちゃんが作ってくれたん」
 どちらかといえば男の子が喜びそうな玩具だったが、黄美子は嬉しそうだった。祥造が余暇に、余った木片を使って作ったものを、たまたまごく機嫌が良かったかして、黄美子に与えたものらしい。木工が本職なだけあって、それは驚くほどよくできていた。本体は元より、へさきの碇、甲板のデッキチェア、より糸製のロープなど、細かいところまでが丹念に手作りされ、とても木製とは見えない。俊司は目を丸くしていた。
 「これ、黄美子の父ちゃんが作ったんか?」
 「うん。あたしにくれたんよ」
 千晶はまた、別のことを思い出していた。
 「去年の夏、海に行ったんよ。お父ちゃんとお母ちゃんと。そん時、これと同じような船を見たわ。真っ白でな、すーってすべるみたいに、すごいスピードで走っとった。あれ、乗ってみたかったなあ……」
 うっとりと、千晶は言った。
 「きみちゃん、ええな。こんなん作ってもらって」
 「なんで。ちぃちゃんの方がずっとええわ。あたしまだ、海に行ったことないもん」
 「俺もじゃ」
 ふいに、俊司が目を輝かした。
 「なあ、これ、沼に浮かべて遊ぼうや」
 「嫌っ!」黄美子が強く言った。
 「なんでじゃ。水に浮かべんかったら、船とは言えんじゃろ」俊司が不思議そうに言った。
 「流されでもしたら、取れんようになってしまう。それにあないな汚い沼に入れたりしたら、船が汚れるし。絶対におえん!」
 「川でもないのに、流されるわけないじゃろ。生意気言うな!」
 日頃大人しい黄美子に強く反対されてむかっ腹を立てた俊司は、言葉の勢いに駆られるようにして、黄美子の手から無理やり船を取り上げた。
 「あっ!」
 その拍子に、マストの先がぽきりと折れた。黄美子はたちまち泣き出した。
 「何するん!」
 いきりたったのは千晶の方だった。逃げる俊司を追い、「底無し沼」のふちまで追い詰めると、体の大きさの違いものともせずに飛びつく。特にどうしようというつもりでもなく手を出した俊司は、千晶の勢いに押されてあっさりと船を返した。そして
 「千晶のおてんば! おとこ女!」
 と捨て台詞を残して駈け去っていった。
 「きみちゃん、はい、これ」
 「ありがと。……でも、マスト、折れてしもうた」
 「お父ちゃんに言って、直してもらえばええわ」
 「そないなこと言えん。……お父ちゃんに怒られる」
 黄美子はまたべそをかきだした。
 「大丈夫じゃて。しゅんちゃんがやったて言やあ怒られんけん」
 と慰めたものの、千晶にも自信はなかった。黄美子は
 「どうしよう……どうしよう」
 と言うばかりでずっとめそめそしている。千晶はだんだんいらいらしてきた。
 「ほんなら、あたしもう帰るわ。……じゃあね」
 黄美子はまだしくしくと泣き続けていた。
 
 
 「そのころ結構そういうことはよくあったんだけど、きみちゃんが泣き出して手がつけられなくなって、私はそのままあの子を置いて帰っちゃったの。大人しい子でちょっとうじうじしたところがあったから、私はそれが苦手だったのね」
 「千晶は気が強いからなあ」僕は言った。
 「でも……あの日だけは……、私が船を取り返してあげたあの日だけは……」

 その後、神社を降りて家の近くでまたひと遊びし、暗くなりかけてから家に帰った千晶は、ひどく母に叱られた。
 「沼へ行ったんじゃろ。あそこは危ないけん、行ったらおえんて言うとるのに……」
 なおも母の小言が続きそうだと思ったところへ、妹のぐずる声が聞こえてきた。母は急いで、赤ん坊の世話をしに向かう。
 「そうじゃ、さっきしゅんちゃんが来たで」
 「しゅんちゃんが?」
千晶はかっとした。沼での顛末を告げ口されてしまったのだろうか。
 「うん、また高弘くんが帰ってないんじゃて。見なかったかて聞かれたわ。あの子も偉いなあ。まだ小学生じゃのに、兄ちゃんの面倒まで見て」
 どうやら母は俊司に好感を持っているらしい。千晶は内心ふん、と思った。あの俊司が、自分から兄を探しになど来るものか。どうせ親に言われてしぶしぶ、に決まっている。
 でもよかった。考えて見れば、黄美子の玩具を取り上げた俊司が、そのことを千晶の母に言う筈なんてなかったけれど……
 赤ん坊のおむつを替えながら、母はさらに言った。
 「さ、ごはんの仕度をするけん、早く着替えて、手ぇ洗って来。もうお姉ちゃんなんじゃけ、それくらい言われんでも自分でやって頂戴よ」
 
 翌日、「底無し沼」で溺死している黄美子が発見された。
 千晶が取り返してやった、マストが折れた黄美子のクルーザーは、沼の真ん中に浮かんでいたという。
 “テツ”の事件のすぐあとだったので、やはり警察がいろいろと調べたらしいが、前の事件の犯人はすでに捕まっていたし、どうみても関連はなさそうだった。千晶も事情をきかれたが、あまり大したことは答えられなかった。
 「そのことは、あんまりよく覚えていないの。ただ、きみちゃんのお父さんの祥造さんが、一時疑いをかけられて調べられたっていう話を聞いた。祥造さんは、気難しいところがあって継子のきみちゃんにも厳しくて、時々手を上げることもあったみたいだから、なんていうのかな、虐待、しているんじゃないかなんていう噂があったからだと思うけど」
 「でも、結局事故だってことになったんだね」
 「うん。私が帰ったあと、きみちゃんがうっかり船を沼に落として、それを取り戻そうとして誤って溺れたんだろうってことになったの」
 
 黄美子の事件はそれで一応決着したが、納まらなかったのは千晶の周囲だった。
 千晶の母は、今度こそ本当に震え上がった。神社へ行くことを厳禁するのはもとより、千晶を片時も放さなくなり、その身を案じるあまり、ほとんどノイローゼのようになった。それが高じて、ついには乳飲み子の世話ができなくなり、心配した千晶の祖母の提案で、母子は祖母の住む横浜へ身を寄せることになったのである。仕事のあった千晶の父はしばらく単身赴任となってN市に留まった。そして、落ち着いたら千晶たちもN市へ戻るという予定だったのだが、どういう事情からか、それから2年ほどすると父が横浜に引越して来たため、千晶は二度とN市にも、T町へも戻ることはなかった。おそらく、恐ろしい思い出のあるT町に戻ることを、千晶の母が嫌がったのだろう。
 「だから妹はすごいおばあちゃん子でね。今でも自分はおばあちゃんに育てられたようなものだって言ってるわ。祖母はおととし亡くなったんだけど、その時の妹の悲しみようったらなかった」と、千晶は言った。
 「ごめん。嫌なことを思い出させちゃったんだね。こんなところに来なければよかった」
 「ううん。もう、昔のことだもの」

 T町を離れ、N市街のホテルに向かう車の中、僕らは黙りがちで、会話はほとんどなかった。千晶は車窓からぼんやりと外を眺め、追想にふけっているらしかった。僕は僕で、何かが頭の隅に引っかかっているのを感じ、それが気になってならなかった。何かが……彼女の言った何かが。
 ホテルにチェックインして食事を済ませ、ふたりきりになった時、僕はとうとう黙っていられなくなり、おずおずと切り出した。
 「さっきの話だけどね。……きみちゃんが亡くなった場所には、何か、その、“テツ”が殺された現場に共通するようなものが残っていなかったかな?」
 千晶がさっと顔を上げた。そのことはずっと頭にあったのだろう。彼女の答えは淀みがなかった。
 「うちの母が現場を見ているんだけれど、ビールびんが割れていた、っていうの」
 「ビールびんが?」
 「そう。“テツ”は酒びんで殴り殺されていたでしょう。それで母は、余計不安になったのね。“テツ”を殺した犯人がまだ野放しになっているんじゃないかっていうふうに思ってしまったらしいの。実際には、きみちゃんは溺れて死んだんだし、殴られたわけでもなかったから、“テツ”の事件とは関係あるはずがなかったんだけど」
 「そうか。……千晶、きみちゃんは、君の友達は、……殺されたんだろう?」
 「どうしてそう思うの?」
千晶は特に驚いたふうもなく、訊き返してきた。その表情を見、声を聞いて、僕は確信した。
 (彼女には……わかっていたんだな)
 

(問題編・了)
 
《読者への挑戦》
 
さて、作者はここで古来の作法に則り、読者の皆さまに挑戦いたします。
 
……黄美子の死は殺人であるという前提に基づき…… 
 
1.黄美子を殺した真犯人     
2.その論理的根拠        
3.そして可能ならば、その犯行動機
 
の3点を推理して下さい。1、2が解ければ正解としますが、
3も解明できればよりエレガントな解答となり、作者は大いに喜ぶでしょう。
皆様の健闘をお祈りします。
 
【解答の仕方】
 
●正解を得たと確信された方は、メールにてMAQにお答えをお送りください。
●例によって、解答に掲示板を使うことはご遠慮下さい。
●みごと正解された方には……別に賞品は出ませんが、JUNK LAND内「名探偵の殿堂」にその名を刻し、永くその栄誉を讚えたいと思います。
●解決編は隠しページとしてアップします。「正解者」および「ギブアップ宣言者」にのみ、メールにてそのURLをお伝えします。
●「ギブアップ宣言」は、掲示板/BOARDもしくはメールにて「ギブアップ宣言」とお書き下さい。MAQがチェック次第、解決篇のURLをお教えします。
 
回答の宛先はこちら>yanai@cc.rim.or.jp
 
ではでは。名探偵「志願」の皆さまの健闘をお祈りします。
 




 
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