【名探偵の殿堂すぺしあーる・リレーミステリ企画】


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連載第3回 「仮面の下の仮面」 by TANISHI
 
 
《再び、ブリッツの章》
 
「プレイヤーさん! どうして今まで出てきてくれなかったの?」
 なんだなんだ? メイが背後を振り向いた状態で、誰かに向かって語りかけていた。
「あら? そのミサンガは確か私が……もしかして、兄さん…なの? 兄さん!」
 どうしたのだろうか。そのときメイは、虚空を見つめながら一人で叫んでいたんだ。
「おいおい、何を一人で騒いでやがる。プレイヤーがどうしたって? 兄さんとはどういうことだよ」
 ゲルニカは不審そうな目でメイを見つめた。フェイスもメイのほうを見ていたが、相変らず無表情だ。
「兄さん、兄さん!」
「メイさん、しっかりしてください。周りをよく見て! ここにいる生きた人間は、ボクとゲルニカさんとフェイスさん、そしてメイさんの4人だけですよ」
「え……あれ? 私……どうしちゃたのかしら」
 うつろな表情なままだったが、メイはようやく状況を理解したようだ。恐らくは立て続けに死体に遭遇したせいで、精神状態が不均衡になって幻覚を見たのだろう。
 メイを落ち着かせるためにも、ボクたち4人はさきほどの居室に戻った。
「さっき兄さんって言ってたけど、どういうことかな。よかったら事情を話してくれませんか」そんな問いかけにも、メイは首を横に振るばかりだった。
 
 はぁー……悪夢だよ、ホント。これで死体は合計3つ。黒焦げさんにリオンさんに、そしてシマダさん。ボクが検分したんだから、3人とも死んだのは間違いようの無い事実なんだ。
 ついさっきまでボクは、ゲルニカが言ったように“館の主人=プレイヤーが犯人”って予想をしていた。でも3人目に死んだのはボクたち招待客の側ではなく、シマダというプレイヤー側の人間だった。これは一体どういうことなんだ? ホストのプレイヤー氏は姿を現さないし、黒焦げ氏の正体は不明だし、ボクたちと一緒に連絡船に乗ってやってきた“当初の”名無し氏は行方知れず……あらあら、謎だらけじゃないか。そもそもミステリ掲示板の常連――ロムの人もいるけど――を集めて、何で殺人事件なんかが起こるんだよ。みんな翻訳ミステリが好きなだけの連中じゃないのか? ひょっとして、趣味が高じて本当に人を殺してみたくなったマニアがいるとか?? おいおい、そんなサイコ・スリラー的な動機は真っ平ゴメンだよなぁ。
「はぁー……こんな場合、“彼女”ならどう対処するのかなぁ」ボクは憧れの上司を想いながらつぶやいてしまった。柄にもなく、ね。
「ん? 何か言ったか?」とゲルニカが聞いてきた。みんな無言だったので、ボクのつぶやきはゲルニカに届いたようだった。
「いや、この状況を打破するにはどうしたものかと思ってね。考えごとをしていただけだよ」
 そう、ゲルニカと館内を調べたときに何か見落としはなかったか、何か犯人につながる手がかりはなかったか……これまでのことを整理すれば、何か見えてくるかもしれない。
 まず、ボクたちがこの地に降り立ったときのことを思い出す。360°見渡して目に入ったのは、晴れた空と、眼下の海と、目の前の大きな建物だけだった。幾重もの柵に囲まれたこの“プレイヤーの自宅”は、家というよりも平べったいビルとも言うべき巨大な建造物で、外観からは3階建てほどに見えた。幾つも柵の扉を抜けて庭園を横切り、ようやくたどり着いた建物の玄関ホールは、小さめの体育館くらい広い吹き抜けだった。奥に入ってみると、部屋数はあきれるほど多くラボらしき部屋もあるので、自宅と言うよりは企業の研究所か研修施設っていう印象だ。
 ゲルニカと館内を調べ回ったとき、階段が見つかったので階上もチェックできた。2階と3階にはそのとき初めて足を踏み入れたのだが、やはりスタッフは誰もいなかった。屋上に出られそうな通路はなさそうだ。開かない扉は幾つかあったのだが、最も重大なのはボクたちが入ってきた玄関のぶ厚いドアが施錠されていたこと。体当たりしてもびくともしない。そう、つまりボクたちは閉じ込められたってことなんだ。
「おいテメエ、何を考えてんだよ! さっきフェイスも言ってたけれど、『アクロイド殺し』を知らないなんて怪しいぞ。オマエが殺したのか!?」
「ちょっとゲルニカさん、そう絡まないでくださいよ。さっき疑いは晴れたはずでしょ? それに『アクロイド』は未読なだけで、アガサ・クリスティの作品だってことくらいは知ってますよ」
「でもさっきは事情があるって言ってたじゃないか。死体を見ても全然ビビッてないようだし、怪しいことには違いねえ」
 ゲルニカが襲いかからんばかりだったので、ボクは観念して正体を明らかにすることにした。
「いや、事情って言うのはボクの職業のことなんです。実はボク……刑事なんですよ」
 そう言って、みんなに身分証明書を見せてやった。すると予想通り、嫌な反応が返ってきた。
「何よ、警察ならこの殺人事件、何とかしなさいよ。早く応援を呼んで、ここから出してよ!」と泣き叫ぶのはメイ。
「何だ? するとオマエはこの殺人事件を予見して潜り込んだ刑事だってえのか」ゲルニカはまるで、殺人を防げなかったのはボクに責任があるような言い草だ。だから言いたくなかったんだよなぁ、刑事って。
「もう、違いますよぉ。ボクは本当にMS掲示板の常連でミステリ好きなんですってば。ちょっと嗜好が偏っているし書き込みも少ないですけど。今回のオフ会参加も、自分でプレイヤーさん宛てにメールを打ったんですから。今日は非番なんですよ」
 ボクの言葉を聞いたゲルニカが、少し表情を和らげた。
「おい、今“MS掲示板”って言ったよな。『Mystery Space』のBBSのことをさ。その通称を知ってるってことは、本当に常連なんだ……」
 やっとゲルニカは分かってくれたようだ。このとき、ボクは気付いたんだ。MS掲示板の常連じゃない人物が、この中にいるってことにね。
 
「さっきの仕返しじゃあないですけど、今度はボクの方から質問しますよ。そうだな、誰にしようか……烏丸康彦にしましょう。一つで結構ですから、彼の著作名を言ってもらえますか? フェイスさん」
 フェイスは、ぐっと詰まって答えられないようだった。
「ゲルニカさんやメイさんなら分かりますよね? 最近の日本のミステリ作家じゃメジャーな方ですから」
「もちろんよ」メイは自信ありげに頷き、疑惑の目をフェイスに向けた。
「何よ……烏丸なにがしを知らないからって責めないでよ。『アクロイド』を知らないあなたに言われる筋合いはないわ」
 フェイスは例のくぐもった声でそう言い返したが、MS掲示板常連のボクたちには全く説得力がなかった。
「真っ先に『アクロイド』を引き合いに出すなんて……フェイスさん、あなたは『Mystery Space』の特徴をご存じないのですか? このサイトは日本のミステリを主に扱っているんですよ。それをこよなく愛する者同士が集まる場なんです」ボクの言葉に、メイからの援護射撃が続いた。
「そうよ。実は私も、欧米のミステリは苦手なの。日本の推理小説が好きだからこそ、数あるミステリ・サイトの中から『Mystery Space』を選んでるってわけ」
 あなたは違うの? と言わんばかりにメイはフェイスを睨みつけた。
「烏丸康彦の名前は、何度も掲示板やプレイヤーさんの日記にも出てきています。それなのに、なぜ知らないのですか」
 ボクはフェイスに詰め寄った。しかしその反応は、全く意外なものだった。
「サイトの特徴はよーく知っているわよ。でも私、最近のミステリにはあまり興味ないの」
 開き直りとも取れるフェイスの言動に、ボクたちは身構えた。
「ちょっと、だからって犯人扱いしないでね。仕方がないわ、ブリッツさんに続いて私も正体を明かすとしましょうか」
 そう言ってフェイスは、名前どおり自分の“顔”に手をかけた。
 ベリベリという粘着剤が剥がれる音をさせて、フェイスの“顔”が取れた。パテを外しドーランをふき取っていくと、本来の顔が徐々に現れるのだった。その顔……よく知っている顔を見て、ボクはしばらく言葉が出なかったよ。
「な……ナオミ警部! 何やっているんですか、こんなところで」
 そう、フェイスの正体はボクの憧れの上司だったんだ。ここに来るために休暇届を出した、直属の上司だ。
「ふぅー、あー暑かった。特殊メーキャップってのはなかなかツライものがあるわね。申し遅れました、私はここにいるブリッツくんと同じ職場、警察のものです」
 そう言いながら身分証明書をみんなに見せるナオミ警部に向かって、ボクは何を言えばいいのやら分からなくなってしまった。
「あのぅ、ナオミ警部までがボクのことをハンドルで呼ぶのは、そのぅ……」
「何くだらないこと言ってんのよ。あなたこそ私をファーストネームで呼ぶのはやめなさい。いつも陰ではそう呼んでるの?」
「いえ、警部! 滅相もございません」
「おいおい、ちょっとどういうことだよ。ちゃんと説明してくれよ」
 ゲルニカに続いてメイも「そうよそうよ」と興奮気味にボクたちに詰め寄った。
「分かったわ。私が知っていることは全て話しましょう」
 そう言ってナオミ警部は、とんでもない“陰謀”を語りだしたんだ……。
 
 
《再び、ゲルニカの章》
 
 おいおい、“館もの”なのに警察のご登場ってか? しかも二人も。一体どうなってんだよ。俺はメイやブリッツとは違い、内外のミステリに精通しているつもりだ。でもこんな展開のミステリは読んだことがねえ。ついて行けないよ、実際問題として。
 身分証明書を見たところ、彼らが警察であることに間違いはなさそうだ。とりあえず納得がいくまでフェイス――いやナオミと言ったか、彼女を問い詰めるとするか。
「あなたたち、ミステリは好きだと言ってるけど、日本で実際に起きている犯罪や政治の問題についてはどれだけ知っているのかしら」
 ミステリだけじゃなくアニメも好きだけど――と茶々を入れそうになったブリッツを制し、ナオミは続けた。
「日本国政府が推し進めている、住民基本台帳ネットワークシステム(通称『住基ネット』)ってご存知かしら。国民全員に背番号をつけるようなもので、住所や戸籍などの情報が番号からすぐに引き出せるという代物よ。国民の間では、プライバシーの侵害とかで反対運動が起こったりもしてるわ」
「それが今回の事件にどうつながるっていうんだよ」
「実はね、これは極秘情報なんだけれども、我が国では更に進んだシステムを開発中なの。政府が大手のソフトウェア企業と手を組んで、ね」
 ナオミは、その新システムの特徴を語りだした。
「住所や戸籍、電話番号やメールアドレスはもちろんのこと、その人の嗜好や思想までもを情報として管理しようというものなの。でも、プライバシーの侵害とか法的な問題をクリアしなくちゃならない。よくネット上のアンケートで住所氏名のほかに好きなジャンルとか入力したりする機会があるわよね。でも大抵は『この情報は本目的以外には使用しません』って断り書きが付いている。そういった規約がないと、最近じゃ誰も恐がって入力してくれないから。一方で、もし業者がその規約を破って他の目的に流用なんかしたら、これは法的にアウト。業者はお縄になっちゃう」
「どうも話が見えてこないなあ。それが『Mystery Space』と関係があるとでも言うのか?」
「正解よ、ゲルニカさん。いい勘してるわね。では、ここで問題です。今言った問題をクリアしながら個人の思想などの情報を集めようとしたら、どうしたらいいと思う?」
 俺は突然教師に指された小学生のように、何も言えなかった。
「答えはね、その個人が自主的に話した、あるいは書き込んだ情報を利用すればいいのよ。そうすれば法の網はくぐり抜けられる。何の規制もなく正当に得た情報としてね。その情報収集の場が、『Mystery Space』の掲示板であり、プレイヤーとのメール交換なの」
「へん! この世の中、BBSに個人情報を書き込むヤツなんているもんか」
「そう、だからこそ新たなソフトウェア開発が必要になったのよ。掲示板に書き込まれた文面から個人情報を抽出する技術と、個人情報を含むような書き込みを誘導する文面作成技術の開発がね」
「え、じゃあプレイヤーさんはそのソフト開発に関わっているってことですか?」
 メイの当然ともいえる質問に、ナオミはかぶりを振った。
「ああ……まだ分からないの? プレイヤーなんて人物はこの世に存在しないの。開発中の、人工知能を持った対話型情報収集システムの名称が“プレイヤー”なのよ」
 
 ナオミの言うことは俄かに信じがたいものだった。プレイヤーはいない? じゃあ、掲示板でこまめに返事を書いてくれたのも、日記で興味深い話題を提供してくれたのも人間じゃなく、“システム”だったってことなのか?
「ちょっと待てよ。プレイヤーのミステリに関する知識は、それはすごいものだった。これを“システム”にさせるとなると、膨大なデータベースが必要にならないか」
「鋭いわね、そのとおりよ。データベースの構築は、それ専門の関係会社に委託されたの。なんでもそこのトップはミステリ評論家で、『蜃気楼』っていうサイトも運営していたとか」
 な、なんだって! やはりM.A.氏が……プレイヤー氏ではなく、“プレイヤー”の頭脳だったんだ。それにしても、彼の会社はどこの系列だったか……親会社は確か――
「そうだ、あなたたちに一つ忠告しておくわ。“システム”が試行されているサイトは他にも数多くあるから、今後は気をつけるように」
「おいおい、気をつけるたって何かそれと分かる特徴はあるのか?」
「あるわよ。まず第一に、掲示板に書き込んだりメールを出したりしたら必ずこまめに返事がある。なるべく対話が続くようにね。第二に、毎日トップページを更新して話題を提供している。データ抽出作業を行なう日曜とか、メンテナンスが必要な数日間は更新を休むようだけど。“仕事が忙しくて修羅場状態だ”とか何とか言い訳してね」
 確かに、単なる趣味で毎日更新するサイトなんてあり得ない。怪しいよな。
「さて、話を元に戻すわね。“システム”の開発は最終段階を迎えて、今はその性能を検証しているところらしいの。そして今回のオフ会が開催された目的の一つは、まさにその検証――サンプリング調査のため。掲示板やメールでのやり取りからプロファイルした人物像と実際とが一致しているかどうか、ここに連れてきて確認しようとしたわけ。運悪くそのターゲットとなってしまったのが、ゲルニカとブリッツの二人よ」
「え、なんで俺とコイツなんだよ。メイとリオンはどうなんだ?」
「オフ会参加希望者の中では、ゲルニカはBBSに書き込みが多い者、ブリッツは少ない者のサンプルとして適当だったのね。書き込みの多い少ないからプロファイリング精度の傾向をつかもうとしたのでしょう。そして……メイとリオンが呼び出されたのは、また別の目的からなの」
 このオフ会には、まだ他に目的があったっていうのか?
「それはね、『ミステリ地獄』を閉鎖に追い込んだ、“メイ”の抹殺よ」
 
 とうとうナオミの口から、殺人事件につながるキーワードが飛び出した。
「『ミステリ地獄』は“システム”を開発する上での一過程だったの。当時はまだAI――人工知能は使われてなくって、毎日の更新は“管理人”の手によってなされていたのだけれど。そこでは、どういう問いかけをすればホンネを引き出せるか――個人情報を書き込むよう誘導し抽出するためのノウハウが積み上げられていったのね。ところがせっかく築き上げた『ミステリ地獄』をメチャクチャにした人物がいた。“メイ”よ。でも単に閉鎖に追い込まれただけなら、企業も抹殺までは考えなかったでしょうね」
 その企業が俺たちもよく知る大手なのかどうか気になったが、そんな思いをよそにナオミは説明を続けていった。
「“メイ”をプロファイルした結果、どうやら“システム”について気付いたらしいってことが分かったの。自分たちは書き込みを誘導させられてるんじゃないか――そう疑っているようだって。“メイ”が大暴れしたのは、胡散臭い『ミステリ地獄』からみんなのプライバシーを守ろうとしたからかもね」
 あの事件は“メイ”の正義感によるものだったっていうのか。俺の隣では、ここにいるメイも目を見開いて驚いている様子だった。
「一方、企業サイドは慌てたでしょうね。なにしろこのシステムが上手く機能するためには、その存在が知られていないことが大前提。だって、そんな“システム”だって分かっていたら誰も掲示板に書き込まないでしょうから。そこで、極秘プロジェクトとして“メイ”をおびき出して抹殺する作戦が練られたのよ。それが、今の『Mystery Space』が誕生した理由の一つでもあるの」
 なに? 『Mystery Space』は単に“システム”の発展形じゃあないってことか?
「“メイ”のプロファイリング結果の一つに、“日本のミステリが好き”っていう事象があったの。そこで、和製ミステリをメインに扱うことで特徴づけたサイトを立ち上げたってわけ。“メイ”なら、きっとこのサイトにやってくるって踏んでね。そうしたら、案の定それらしき人物が引っかかった。そう、リオンよ」
 ナオミは第一の被害者――いや死んだ順なら第二か、のハンドル名を挙げた。
「彼は “システム”が運営するサイトに、またやってきたのよ。“ReON”っていうハンドルは“再びON”したってことを暗示してそうだけど、これは考え過ぎかしらね」
 想像したとおり“メイ”はハンドル名を変えていたのだ。では、ここにいるメイはやはり無関係なのだろうか。
「システムの精度検証と“メイ”抹殺のために、オフ会参加希望者が募られた。ところが、参加希望のメールの中にメイと名乗る人物が現れた。“メイ”=リオンっていう自信はあったものの確信にまで至らなかった企業サイドは、ここにいるメイも念のため呼ぶことにしたのね。メイさんも不運よね。ハンドル名の一致はたまたまなのでしょう?」
 ナオミの問いかけに、メイは俯いて首を横に振るばかりだった。
「じゃあリオンはここに来て“メイ”であることが確認され、それで射殺されたってことですか? 企業側の手によって」
「ようやく事態が飲み込めたようね、ブリッツくん。残念ながら私が阻止することはできなかったけど……」
 ナオミは本当に悔しそうだった。その思いに嘘偽りはなさそうだ。
「あのー、そもそも警部はなぜこのオフ会に潜り込もうと思われたのですか? それにあの変装はどういうわけで?」
「“システム”に関することは事前に探っていて、今回の潜入捜査は予定されていたものなの。プレイヤー宛てに出された参加希望のメールも全て秘密裏に入手していたのよ。そしたら驚いたことに、ブリッツって名乗る人物のメールアドレスの@マーク以下が、我が署のアドレスじゃない」
「け、警部! スミマセンでした。でも普段は自宅のパソコンからアクセスしているんですよ。あのときは申し込みが遅れて急いでいたもんだから、つい……」
「その件に関しては、また署に戻ってからゆっくりと聞かせてもらうわ。とにかく私は、休暇届とつき合わせてブリッツがあなただったってことを確信したのよ。潜入捜査を邪魔されたくなかったからっていうのもあるけど、あなたのことが心配だったから自ら変装して乗り込むことにしたの」
 なんて部下思いの警部なんだろうか。俺は次第に好意を持ち始めていた。先ほどフェイスはブリッツを疑うような発言をしていたが、あれは我が子を谷に突き落とす獅子のような思いで試練を与えたのだろう。
「じゃあ裏情報を熟知している警部さんにお聞きしたいんだが、リオンはどうやって殺されたんだ? やはりロースト氏が背後から撃ったのかい?」
 俺は少し意地悪な質問をしてやった。しかし、これは私の想像だけど――と断りが入ったものの、ナオミの推理は想像を絶するものだった。
「そうね、確かにリオンを撃ったのは黒焦げ氏でしょうね」
「おいおい、何言ってやがる! あいつの頭は燃えていたんだぜ。そんなヤツがリオンを殺した犯人であるわけがねえ」
「ちょっと誤解しないで。誰があの黒焦げ氏のことを“犯人”だと言った? 私が言っているのは、黒焦げ氏はリオンを撃った“凶器”だったってこと」
 
 なに! 凶器だったって? 俺たちはナオミの説明を待つほかはなかった。
「先に、黒焦げ氏が誰だったかハッキリさせちゃいましょうね。もう予想してると思うけど、黒焦げ氏は私たちと一緒にやってきた名無し氏よ」
 確かに、プレイヤー氏がいないと分かった今となっては、それしか答えはあるまい。
「犯人の手によって最初に殺された名無し氏の死体は、書斎の真中でドアの方を向くように座らされたのよ。口の中に火薬と散弾をたっぷり詰め込まれてね。そして、その頭部に火が放たれた。一方で犯人は、何とか理由をつけてリオンを書斎に呼び出した。部屋に入ったリオンは驚いたでしょうね、中で死体の頭が燃えているんだから。でも好奇心が勝って、すぐには逃げ出さなかったのね。そこに、犯人が声をかけてきた。あの大きなモニタを通してね。恐らくは、書斎の扉を閉めるように指示し、時間稼ぎにいろいろ話したんだと思うわ」
 そうこうしているうちに、俺たちは焦げた臭いにつられて部屋の前まで集まってきたわけだ。
「頃合いを見計らって、犯人はリオンに書斎から出るように仕向けた。リオンが中から扉を開けたときに何が起こったか――『バックドラフト』って映画を見たことある? 見てればピンとくるかもしれないけどね。死体の頭部が燃えて部屋の中の酸素が消費されるに従い、火は小さく燻った状態になっていた。でもリオンが扉を開けることによって外から新鮮な空気が入り込み、頭部の炎は一挙に大きくなった。そして火は口中の火薬に達し、扉の方に向けて散弾が発射された……」
 ロースト氏の口の中が特に酷い状態だったのは、そのせいだったのか。もし口が閉じられていたなら、死体の頭は吹っ飛んでいたことだろう。
「ねえ、さっきから犯人って仰ってますけど、それは誰なの?」メイが口をはさんだ。
「名無し氏とリオンを殺した実行犯は、シマダよ。他にいないでしょ? まあ、彼らを殺させた黒幕は企業の上層部なんでしょうけどね」
「なあ、さっきから気になってるんだが、その企業ってどこの会社なんだ?」
「うーん、さすがに明言は避けたいわ。そうね……『ミステリ地獄(Mystery Sheol)』や『蜃気楼(Mirage Site)』でも、BBSはMS掲示板って呼ばれていたみたいよ。コンピュータ業界でMSっていえば……あとは想像におまかせするわ」
 まさか、あの世界的大企業が政府と手を組んでこんな陰謀を!? 信じられない。
「それにしても、名無しさんって何者だったのかしら……」メイの疑問は当然だろう。
「彼はね、いるはずのないプレイヤー氏の替え玉として用意されたのよ。調べたところによると、彼は『ミステリ地獄』で管理人を任されていた人らしいわ」
「兄さん!」メイが一声叫び、また俯いてしまった。どうやら泣いているようだ。
「せっかく立ち上げた“自分の顔”ともいうべきサイトを企業に乗っ取られ、更には“メイ”に閉鎖に追い込まれたせいで、精神に異常をきたして施設に隔離されていたそうよ。その彼を、企業の手先であるタロウ・シマダが言葉巧みに呼び出したってわけ」
「でも警部、その当のシマダも殺されてしまいましたよ。いったい誰の手によって――」
「おい、あれ煙じゃないか!? ドアの隙間!」
 俺はブリッツの言葉を遮って叫んだ。俺たちが今いる居室のドアの隙間から煙がにじみ出していたんだ。ということは、廊下は煙で充満している? 火事か!?
「いけない! すぐにここから脱出しなきゃ。大丈夫よ、みんな落ち着いて。外に出られる裏口は見つけておいたから。さあ、煙をなるべく吸わないようハンカチで口元を押さえて、私についてきて。廊下を突っ切るわよ!」
「おい、メイ! しっかりしろ。行くぞ!」俺はメイの腕を取り、無理やり立たせた。
 廊下は煙が充満していて、数メートル先も見えない。俺はメイの手を引っ張りながら、何とかナオミの後を追いかけた。ブリッツも俺たちの後を走ってついてくる。
 突如、目の前が明るくなった。ナオミが裏口のドアを開け放ったようだ。
「ここよ! ここから早く逃げて!」
 ナオミの横をすり抜け、俺たちは外に飛び出した。
 
 
《再び、メイの章》
 
「おい、メイ! しっかりしろ。行くぞ!」
 見ると、男の人が私の腕を強くつかんで、立たせてくれた。
 なぜか目の前がかすんでよく見えない。私、泣いているの?
 わけも分からず、手を引っ張られて男の人と一緒に走っている。
「ブリッツはここに残って! 刑事が逃げてどうするのよ!」
 女の人の声が聞こえる。何のことだか、さっぱり分からない。
 突然目の前が明るくなった。広いところに出た解放感が、私を包む。
 かすみもなくなり、私の手を握っている人の顔が見えた。
「兄さん……よかった、会えて」
 青い空が見えた。兄さんの笑顔が見えた。遠くに地面が見えた。
 
 
《みたび、ブリッツの章》
 
「さあ、こっちに来て。あなたには話しておきたいことがあるの」
 裏口とは反対側、玄関の方に向かってボクたちは歩いて行った。煙が薄れ、呼吸も楽になる。ナオミ警部に促されるまま、広めの居室に入った。窓からは青い海が臨めた。
「あの……警部、消火活動はしなくていいんでしょうか」
「いいのよ、発煙筒を焚いただけだから。すぐに消えるわ。まあ、ゆっくりしましょ。コーヒーでも飲む?」
 勝手知ったる要領でナオミ警部は戸棚からカップを取り出し、ポットで湯を沸かして二人分のコーヒーを入れてくれた。
「あのー、発煙筒って? それってまさか……」
「そう、時限つきの発火装置。私がセットしたの。大きめのバッグにいろいろ詰め込んで持ってきた、その中の一つよ。それより、さっきのあなたの質問に答えておこうと思うんだけど」
 さっきの質問とは、シマダを殺した犯人についてだろう。嫌な予感がした。
「シマダを刺したのは私よ。持ってきたナイフでね」ボクは耳を疑った。
「彼は計画を無視して勝手に暴走しだしたのよ。私はそれを防げなかった……本当に残念だわ。でも、シマダには責任を取ってもらわなくてはならない。上の判断で、彼には死んでもらうことになったのよ」
 上層部とやり取りができたということは、通信機器も持ち込んでいのだろうか。
「本来ならシマダは、プレイヤー氏としての名無し氏とリオンの二人を、不慮の転落事故に見せかけて殺すはずだったの。そして、その不運な事故のため『Mystery Space』は閉鎖されるはずだった……穏便にね。ところが、あのシマダのバカはミステリ・マニアだったのね、偏執狂と言っていいくらいの。せっかく二人を殺していいのなら――とばかりに派手な装飾を施してしまったわけ。おかげで騒ぎが大きくなりすぎちゃって、ゲルニカやメイを無事に帰してあげることができなくなったわ」
「え? ゲルニカとメイは、さっきここから脱出したんじゃ……」
「ま、確かに脱出はしたけどね。20階から転落したんじゃ命はないでしょうよ」
 
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ警部! 20階? えっと、ここは1階じゃないんですか?」
「あら、あなたも気付いてないの? おバカさんね。ここに来たときのことを思い出してみて。この地は海岸線から程近いところに屹立した丘――というより、エアーズロックみたいに天辺が平坦な小高い岩場。アメリカのモニュメントバレーやデビルスタワーのほうが似ているかしら」
「ええ、ボクたちは“連絡船”と称する飛行船に乗せられて、丘の頂上まで連れて来られたんでしたね。高所恐怖症気味なので、地に足がつかない感じがしました」
「そう。私たちは海側から飛行船に乗って上昇し、この地に降り立った。でも、みんなはこの丘の反対側は見ていないはずよ」
 え? 反対側……?
「ここの施設は、海側から見ると丘の上に建った3階建てくらいに見えるかもしれない。でもね、反対側から見ると分かるんだけど、本当は大地に建った22階建てのビルなの。私たちがいるこのフロアは、20階に相当するのよ。建物が丘の急斜面にめり込んでいるせいで、こんな錯覚が起こるの」
 どおりで……ボクの部屋は2033号室、妙な部屋番号だとは思っていたんだ。
「オフ会参加者に反対側を見せなかったのは、転落事故を自然なものに演出するための伏線だったのよ。シマダは、計画に関わる人を極力減らすべくスタッフたちをみんな帰した後、玄関はもちろん階下に通じるエレベーターや階段ホールへの扉を施錠して回った。19階以下の存在を隠すためにね」
 これで中に閉じ込められたボクたちは、もはやこのフロアが20階であることを知るすべを失ったわけだ。
「1階だと思い込んだリオン氏がたまたま開いていた非常口から外に出ようとし、プレイヤー氏が止めようとして巻き添えになり、二人とも20階から墜死する――そんな“不運な事故”のシナリオが用意されていたの。それを、あのバカが……」
「あの……さっきから伺っていると、警部は計画やシマダのことをよくご存知のようですけど……。失礼ですが、ひょっとして警部はシマダとグルだったってことですか? 警部はどこまで本当のことをご存知なのですか?」
「ちょっと、人聞きの悪いことを言わないで。私は彼の監査役として派遣されてきたのだから、彼のほうは私の素性を知らなかったはずよ。つまり、私が“謎の6人め”だったってわけ。それに、もちろん私にだって知らないことはあるわ。ゲルニカやメイのことは本名すら知らないわよ。よく知っているのは、企業側の手先で今回の番頭役を務めたタロウ・シマダと、『ミステリ地獄』の管理人だった名無し氏――本名がピーター・アンダーソンっていう男のことくらいかしら」
 監査役……ということは、ナオミ警部は今回の事件を阻止するために潜入したのではなく、シマダが計画どおりに事を運ぶかどうか見届けるためにきたってことなのか?
「どうして……なぜ警部は、こんな陰謀に加担しているのですか」
「あなた何を言っているの? 我々ブリスベン市警の者が、オーストラリア政府の進める計画に協力しなくてどうするのよ」
 そうか……ボクたち刑事は、結局は国家の犬に過ぎないんだね。ボクは自分の仕事を“正義の味方”と思っていたけれど、そんな青臭い考えを捨て去る時期がきたようだ。窓の外、遠くに広がる南太平洋を眺めながら、ちょっと感傷的になってしまった。
「さ、事件の説明はこれまでよ。コーヒー、もう一杯飲む? それにしても、あなたもミステリ好きだったとはね」
「はい、なぜだか翻訳ものにハマってしまって。日本のミステリってあまり大々的に訳されていないし、情報も少ないので『Mystery Space』は重宝してたんですよ」
「そうだ、そのサイトへの書き込みだけど一つ忠告しておくわ。ハンドルは本名とはかけ離れたものにしたほうがいいわよ、ブリッツスタインくん」
 ああ、そうだった。署に戻ったら、パソコンを私用に使ったことでこってり絞られそうだな、ここにいるナオミ・オズワルド警部に。
 こんな雑談をしている間にも、僕の頭の片隅には何かしら拭い去れない違和感のようなものがあった。なんだろう……そうだ、焦げた臭いにつられて書斎の前に集まったときのことだ。あのとき、もしボクが自ら扉を開けていたら?……きっと、ボクが散弾を浴びて死んでいただろう。裏事情を知っていたはずのナオミ警部は、そんな事態を予想できなかったのだろうか。シマダの動きはモニタリングしていたはずではないのか?
 思わず顔をあげ、ボクはナオミ警部を見た。彼女はなぜ、ボクのような新米刑事に真相を語ったのだろうか。彼女の笑顔が少しゆがんだような気がした。ボクは、空になったコーヒーカップに目を落とし、慄然とした。
 
(完)
 
本作品は、オーストラリア在住のLand Junk氏による著作を和訳したものです。親日家でもある氏が掲載を快諾してくださったことに、改めて感謝の意を表します。
この物語はフィクションであり、実在する企業や団体とは一切関係ございません。
(2003.3.8脱稿)
 
  
「マスカレード」は終わらない!
 


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