GooBooスペシャル『アリア系銀河鉄道』
 
 
(ミステリ)線上のアリア
 
〜『アリア系銀河鉄道』を巡る“ミステリの限界”について〜
 
ヘルパー:なかやまさん
今回、特に当方から声をかけさせていただいた“なかやまさん”は、N.Mommaさんの定番ミステリサイト『スタイルズ・アット・ベルンカステル』のBBSを主戦場とする、硬派(?)ミステリマニアさん。ミステリネット界で数々のマニアを撃破(してませんよ)、斯界屈指の論客として勇名を馳せる(馳せてませんてば)一方、義理人情に厚く(かどうかわかりませんが)、“アニキ”の通称で多くの方から親しまれて(おちょくられて?)らっしゃいます。
※カッコ内は全てご本人の突ッ込みです。なにもご自分のプロフィールにまで突ッ込まいでも……
 
Information
本稿で取り上げた問題に関し、SAKATAMさんの『黄金の羊毛亭』にて、同氏によるより緻密な分析が行われております。本稿読了後にお読みいただきますと、さらに興趣が増すこと間違いなし。本稿をお楽しみいただけた方は、ぜひご一読下さい。リンクはこちら
 
CAUTION!
以下の鼎談では、『アリア系銀河鉄道』(柄刀一作・講談社刊)のネタバレに多数言及しております。未読の方は同書を一読の上、あらためてお運びいただけますよう、くれぐれもお願い申し上げます。


 
ご都合主義の効用
 
Goo「さて今回は柄刀一さんの『アリア系銀河鉄道』がお題ということで、かねてよりこの作品について“いろいろいいたいことがある”というなかやまさんに、ご出馬をお願いしました」
なかやま「どうも始めまして、なかやまです。よろしくお願いします」
Boo「こちらこそよろしくお願いします。本当にすいませんねぇ、なんかMAQの方から声をおかけしたんですって? まったくイケズーズーしいったらありゃしない」
N「いえいえ(笑)。それにしてもAyaさんてホントに明日香(『名探偵の殿堂』に登場の名探偵キャラクター)そっくりですね。イメージ通りで嬉しいです」
B「んまあ、なかやまさんったらおじょーず! やっぱ見る人が見ればわかるのよねぇ」
G「なかやまさん、実は視力に問題がおありなのでは……」
B「にゃあにィ! ケンカ売ってんのかコラ。いまのご発言をきいただけで、なかやまさんが優れた鑑識眼をお持ちだってことはアキラカだろーが。キミの方から声をおかけするなんて100万年早いわ!」
G「だって、あの作品はぼくにとって、2000年度の個人的フェイバリットの1つなんですよぉ……それに対する異論! これはもう聞いてみたくなるじゃないですかあ」
B「あんな不器用でいいかげんな作りじゃ、異論が出るのはあったり前じゃん! まっとうなミステリ読みさんに受け入れられないのは当然でしょ」
N「私が“まっとうなミステリ読み”かどうかは……まあ置くとして(笑)。この『アリア系』については、ミステリとしてのごく基本的な部分でおおいに不満を感じたのは確かですね」
B「してまたそれは、どのような?」
N「そうですね。まずこの作品は、一種のSFミステリであるといって差し支えないと思うんです」
G「うーん、そうかなあ。そこからしてぼくは逆にちょっとばかし異論がありますが……後にしましょう。先をお聞かせ下さい」
N「で、SFミステリといえば、私は“設定が命”だと思うんです。私の理解では、SFミステリとは実世界とは違うルールを設定し、それに則ってミステリを展開するものなんですね。ですから、そのルール設定をきちんとしておかないと、ミステリとは到底呼べない代物ができあがってしまう。私が『アリア系』に不満を感じるのはまずそこです」
B「たしかにそれはあるわよね。作者が自分の都合に合わせて、ある意味“恣意的にその世界のルールを決められる”SFミステリだからこそ、そのルールの範囲と限界を明確にしてみずからそれをきっちり守らなければ、フェアな謎解きロジックは成立しないということよね」
N「そうですね。特にこの作品の場合、“異世界における謎解き”というスタイルがミソですから、謎解きロジックの前提となる“設定”がいっそう重要ですし、その適用も厳密であるべきなんです。にもかかわらず、この作品では“異世界”のルール設定が非常に恣意的、はっきりいえばご都合主義的に思えるわけで」
G「いや〜それはしかし、作品のコンセプトそのものを誤解してらっしゃると思いますね。というのは、ぼくはご都合主義も時と場合によると思うんですよ。無論なんでもかんでもOKというわけにはいきませんが、その作品のコンセプトが最大限効果を発揮する演出手法であれば、多少のご都合主義というのもあえて採用されて然るべきではないでしょうか? 『アリア系』はそれに当たるんじゃないかな」
B「なんかさあ、キミの論法そのものがご都合主義という感じもするんだけどねえ……まぁいい。とりあえず作品に沿って少し具体的に論じてみようよ」
 
言語と密室のコンポジションの茶番
 
G「じゃあ、まずは冒頭の『言語と密室のコンポジション』からいきましょうか」
N「そうですね。私にとってもこの作品が一番つっこみやすい(笑)。というか先に述べた不満は主にこの作品に対するもの、といってもいい」
B「そいつは頼もしい(笑)。引っ掛かったのはどこですか? “設定”ということでいえば、“地の文→現実化”“濁音→清音”のルールですかね」
N「そうですね。舞台となる“ベテルの塔”では地の文で表現されたことがそのまま現実となり、殺人現場の“清音の部屋”では濁音は清音に変換される。これがこの世界のルールなわけです。しかし“地の文”とは一体何のことでしょうか。この点がまず曖昧だと思うんです」
G「うん? そうですか? 曖昧っちゃ曖昧ですが、それほどわかりにくいですかね」
N「わかりにくいというより、その設定そのものに無理があるんですよ。文脈からするとここでいう“地の文”は、イコール“宇佐美博士の思考”と考えるのがもっとも自然でしょうが、だとすると“ベテルの塔”イコール“宇佐美博士の内的世界”ということになってしまう。つまり、彼が意識する以前にはこの世界は存在しえなくなってしまいますよね。殺人事件の謎解きなんて茶番です」
G「うーん。それについての作者の説明は“あなたが地の文で思い描いたこと”が実体化する、となっていますよね。ですが、他の部分では宇佐見博士以外の登場人物が思い描いたことも実体化することが暗示されているし、必ずしも宇佐見博士の内的世界とはいえないんじゃないでしょうか」
N「そうですね、私も“宇佐見内的世界説”には固執しません。むしろテレサの言語障害が謎解きに使われている点などからすると、そうではない可能性の方が高いですから。ですが、もしそうだとしたら、この世界はいろんな人の思考によって絶えず形を変える、きわめて不安定なものとなってしまう筈ですよね。いくらなんでもこれは……」
B「そうねえ、純粋なSFの、それも相当実験的な作品だったらありえるけど、謎解きを主題とする本格ミステリの舞台としては、ちょっと考えにくいわよねぇ。裏返せば“考えること”によって何でも実現できてしまうわけだから、いわゆる“なんでもあり”状態。ルールが無いも同然で、論理的な謎解きなんてものは成立させようがない」
N「さらに“清音の部屋”のルールにいたっては、これに輪をかけてご都合主義的。“濁音は清音としてしか存在しえない”まではよしとしましょう。しかし“あらゆる言語が容認される”はいただけない。しかも名称がくっついたり離れたりすることによってものの形が変わるなどとは……(絶句)」
G「うーん」
N「ものにはすべて、言語によって異なる名称がついている筈ですから、このルールを適用すれば、さっきの場合と同じく、“清音の部屋”内部のものは常に形を変え続けていなくてはなりません」
B「そうよね、この命題は根本的に矛盾しているわね。ある1つのものがある言語では清音であり、別の言語では濁音だって場合はザラだろうし、同様に1つのものが別の言語で呼ばれることで“くっつく”と“離れる”が同時に成立しちゃうこともありそう」
N「大体ですねー、“あらゆる言語”とか言いながら、ここでは英語だけが取り上げられていますが、英語の“清音”“濁音”という概念にしてからが、日本語のそれとは違うでしょうし、他の言語に至ってはそもそもそういう概念がないものさえあるんじゃないでしょうか?」
G「うーん、それはおっしゃる通りなんですが、うーん」
B「なーに唸ってるのよ。堂々たる正論よね! できるもんなら、とっとと反論しなさいよ」
G「……どうもそうやって、理詰めで来られると困っちゃうんですが……結局ですね、作者はさほど厳密なロジックに基づいてこの世界観をこさえたわけではないと思うんですね。そういう方向で、この作品のことを考えても仕方がないっていうか……」
B「なんですってぇ!」
G「いやそのあの。なんていうのかな、『言語と密室』は特にはっきり出ていると思うのですが、このシリーズって『不思議の国のアリス』がモチーフになっているんですよね。で、『アリス』っていうのはナンセンス文学。数学をベースにした突拍子もない、すなわちナンセンスなアイディアを、ファンタジィの手法で描いたものだと思うんです。で、柄刀さんは、同じことを本格ミステリでやろうとしたんじゃないか、と」
B「つまり? どういうこと?」
G「この場合おそらく、思いきり突拍子もない……ほとんどナンセンスといっていいくらいトンデモな、トリックなり謎解きロジックなりのアイディアが、まずあったと思うんですよ。で、それがあんまりにもトンデモだから、パズラーのフレームには収めようが無い。SFミステリというフレームを用意してもまだダメ。じゃあっていうんで持ちだしたのが『アリス』だったんじゃないかな」
N「つまり出発点からして本格ではないわけですね。フェア-アンフェアの議論なんてものはテンから考えてない、ただただヒタスラにトンデモトリックが使いたいだけのミステリと。それじゃあ、タダの見せ物じゃないですか!」
G「っていうか、そういう作者自身の姿勢も含めたナンセンスなんですよ。いわばお遊び。論理のお遊びでありトリックのお遊び……どこまで発想をジャンプさせることができるか、というきわめて実験的かつ前衛的な作品ともいえますね。前述の“コンセプト上必要があって用いられるご都合主義”の“コンセプト”とはこのコトなんです。その意味で、さきほどのなかやまさんのご指摘、“殺人事件の謎解きが茶番になっている”は正鵠を射てると思います。というより、この作品はむしろ“茶番であることが前提”になっているようにも思えるんですよ、なにせ、ナンセンス、なんですから」
N「しかし、それが果たして本格ミステリ……いやミステリとして、妥当といえるんでしょうかね。ミステリとは似て非なるものなのでは?」
B「結局のところ、作家的努力を欠いた安易なご都合主義ともいえばいえるわけだからね。そういうご都合主義が我慢ならない人というのは、なかやまさんに限らずたくさんいると思うよ。だとしたら、そのコンセプトをのものが、ミステリのそれとしては間違っているともいえるんじゃないかね」
G「ある意味、“人を選ぶコンセプト”ではあるかもしれません。でも……それはそれでいいんじゃないでしょうか。本格ミステリの、しかもこういうきわめて実験的・前衛的な作品が、そもそも万人に受けるはずもないし、受ける必要もないでしょう。本格ミステリとはそういうものだと思いますが」
N「まあ、肌が合わないといってしまえばそれまでなんですが……だとしても、次の『ノアの隣』も作者の謎解きには、読者にとって最低限の納得度さえないように思えるんですね」
 
ノアの隣に神はいたか?
 
B「じゃあ、『ノアの隣』に行きましょうか。なかやまさん、この作品の突込みどころは?」
N「ええ、2点あります。この作品は人類の起源に題材をとっていますが、メインは“密室における方舟反転の謎”ですよね」
G「そうですね、スケールという点では本書中屈指のトリックでしょう」
N「この“方舟の反転”には犯人というか、仕掛け人が存在するのですが……第一にまず、仕掛けられた方(ノア達)の受け取り方として、“方舟が西楼の方を向いているイコール太陽が西から昇ってくる”という発想がいただけません」
G「ふむ」
N「現代人の考え方とは違うんだ、と言われてしまえばそれまでですが、これだと“太陽が昇る方角”“建物の東楼”“方舟のへさきの方向”という“3つの東”を示す基準のうち、“建物の基準”だけが信用されていることになってしまいます。昔の人の発想でも、これはないでしょう」
B「なるほどね。“太陽が西から昇った”と考えるよりは、“建物(だけ)が逆転した”と考える方がまだ自然だ、と」
G「そうでしょうか? ぼくは必ずしもそうだとは思いません。なかやまさんのご指摘の“3つの東”を並列的に並べてしまえば、たしかにおっしゃる通りなんですが、その考え方は“タイミングと先入観”の要素がすっぽり抜けてしまっていると思うんです」
B「タイミングと先入観? なんじゃそら」
G「ええ、ノアたちがこの怪現象に遭遇するシーンの状況を思い出して下さい。ノアたちが上陸したときは空は厚い雲に覆われ、一瞬その雲間からおぼろな月光がのぞく……というような天候です。つまり、この時点では周囲の状況からは方角は判断できない。で、彼らが“最初に遭遇した方角を推定できる要素”が建物なんです。この判断はごく自然だし、ノアたちにとってようやく辿り着いた大地と、ようやく明らかになった方位のイメージが直結して、それ自体強い先入観となったのは、むしろ当たり前のことのように思えるんですね」
B「つまりその強烈な先入観が、通常時であればまともな発想である、“太陽が昇る方角こそが東という常識”を転倒させてしまったと」
G「まして彼らは“西から太陽が昇る”直前に、“方舟逆転”という奇蹟に遭遇している。もちろん大陸移動による、北と南の入れ替わりもあって、“太陽が西から昇る”という奇蹟を受け入れやすくしていた……そう想像しても、さほど無理はないのでは?」
N「なるほど。そう言われると、納得できる気もしますが……」
B「まあ、これも無理に納得する必要もないと思いますよ。説明聞かなきゃ納得できないような描写、してる方が悪いんだから。……えっと、なかやまさんは突込みどころは2点とおっしゃってたわよね?」
N「ええ、第2点はですね。犯人=ネートルはなぜ、なんのためにこんなことをしたのか。つまり動機が判然としないんです」
G「作中の説明では“方舟の反転”と“東西の逆転”を“奇跡と錯覚”させ“方舟を降りる時期を間違える”よう仕向けた。つまり、奇跡を演出し、降りるべきではない時にノア達を方舟から降ろそうとした、となってますが……」
N「だとすれば、彼ら(ネートルとネディエル)は、それ以前に方舟を降りることになると予想していたこになりますよね?」
G「いや、それはなんともいえないのではないですか。“自分たちがどうなる”という点については、彼らには特に計算はなかったような感じですが。作中で宇佐見博士が推理しているように、ただ“阻もうとするか、試練を与えることが彼らの残された使命”だったと」
N「しかし、ネートルの立場からみれば、たとえノアたちを阻むことができたとしても、彼らと同道している限り自分たちも一蓮托生でしょう? 自分たちだけは助かるというなんらかの計算がなければ、わざわざこんなことをしても無意味なのでは?」
G「強いていえば、ヤブレカブレの復讐というか。滅びの宿命を避けられないことを悟った一族の最後の末裔が、驕れる勝者に“ハチの一刺し”を喰らわせようとした。そんな印象です。いずれにせよ全ては神の掌の上、という諦観もあったでしょうね」
N「つまり、すべては“神の指示”ということですか? でも、それならノアも言ってるように、わざわざ異世界からやってきた宇佐美に謎解きをさせる必要はありませんよ。宇佐美の推理が正しければ、ネートル達が祖先となったネアンデルタール人もやがては滅びてしまうのだし……」
G「うーん、なんだかこの問題は神学論争みたいになっちゃいそうですが……。まず“神の意思”ということですが、この作品における神は、創造し支配し指示する神ではない、というか、あえてそうしようとしない神であるように思えます。平和的で知的で穏健なネアンデルタール(=ネートルたち)と、攻撃的で邪悪な
積極果敢なクロマニヨン(ノアたち)と、それぞれにチャンスを与え、戦わせ、地の支配者として相応しいのはどちらか。みずからの手でつかみ取らせようとしている、そんな感じです」
B「なんかずいぶん強引な解釈に聞こえるけどね。だとしたら、なかやまさんがおっしゃるように、宇佐見博士というクロマニヨンの後裔を送り込んできたのは意味が無いじゃない」
G「宇佐見の存在には、神の意思は反映されていないと思います。神は洪水という条件を設定し、ゲーム/バトルのための基本的な指示を与えた後は、一切手を出していません。宇佐見は名探偵であり、名探偵というものは常に外部から来て“謎は解いても、人を救うことはできない”永遠の傍観者の宿命を負っているんです。だからこそ、この作中では奇蹟は全て人間の手で演出され、人間の手で解かれる」
B「なんかむっちゃご都合主義じゃない?」
G「まあ……そうですね。しかし舞台さえ整えてもらったら、後は神は舞台から降りてもらわなければ、本格ミステリとして成立しませんから」
N「ほら、そうなっちゃうでしょ? 要するにこの作品もまた“方舟反転”という謎をやりたいばっかりに、神の手を借りて大掛かりな舞台装置を作り上げたのはいいが、いかんせん舞台装置の設定が甘かった、ということになるのでは」
B「その弱点は、やはりどう強弁しても逃れられないわよね」
G「弱点でしょうか? 舞台装置については、前述のようにぼくは一応納得のいくものだったし、そのために都合よく神の手を借りたことについては、こういうお話ですから、取りあえず問題はないと感じます……甘すぎますか。少なくとも舞台の設定は、どういう力を借りようが構わないという気がしますが……ともかくこれほどの大トリックをブチカマしてくれるなら、多少のご都合主義などいくらでも受け入れる用意が、ぼくはありますよ」
N「でも、少なくとも“神の意志”という要素を介在させたのは失敗でしょう」
B「そうね……“神の意思”というある種オールマイティの手札を切っちゃったら、その力が及んでいるのが舞台設定だけかどうかは、読者には判断できないものね。MAQのように非常に作者に好意的に判断する者もいれば、なかやまさんのように否定的に捉える人もいる。読まれ方もきわめて恣意的にならざるをえないのよね」
N「蛇足ですが、宇佐美がやってきた時すでに大雨が降り出していたようですが、ノア達が方舟に乗り込む前に岩塩の石組みが溶け出しちゃったらどうするつもりだったんだろう。いくらネートルが実際の指揮をとっていたとしても、ここはこの石、そっちはその石なんて細かい指示をすれば何か気付かれそうなもんだ……なんてところも一応つっこんでおきます」
G「これはぐうの音も出ませんけど。そういうことをいいだしたら、世の中の本格ミステリの半分くらいは、読めたもんじゃないですよう!」
N「ははは。そりゃそうですね」
 
探偵の匣の外
 
B「じゃあ、続いて『探偵の匣』ね」
N「この作品については、事件の謎解きそのものはまあOK。ただ、この作品に限らず柄刀さんには重要な人物や手がかりを小出しにする癖があって、それにどうも違和感を覚える……時々“そういうことは最初っから言えって ! ”と思う……のですが、いっぺんに出して描き分けができないよりはよしとしましょう。重ね合わされた2つのグラスの手がかりに対し、誤った解釈から正しい解釈へともっていく展開も結構いいと思いました」
G「ほっ……」
N「しかーし !  “私は事件の被害者であり、証人であり、探偵であり、そして犯人であった”――このセリフを読んだ時は少々、げんなりしてしまいましたね」
G「え〜、そうですかあ?」
B「いや、私もそう思ったね。飽きちゃったのよ〜、この手はさあ」
N「でしょ。一時期の辻真先とか、叙述トリックを多用する新本格の人たちで食傷しているんですよ。大体、“この作品の趣向はこれこれですよ”とあからさまに叙述するなんて粋じゃない。ましてや“ホラ、ここにこんな手がかりが。どうです、フェアな小説でしょ”と得意げにやってみせるというのが私は大嫌いでして……余談ですが、カーをあまり好きになれない理由のひとつにコレがあったりします」
G「うーん、これは好みの違いになっちゃうのかなあ。ぼくなんてあの手のコケオドシつうかケレンつうかハッタリつうか、が出てくると、いまだにワクワクしちゃうんですけど。“キタキタキタキタキタあ〜ッ!”って。ちなみにぼくはカー、好きッ! だいだい好きッ!」
B「うう、恥ずかしい……。キミは初めて本格ミステリを読んだ小学生かっつーの!」
G「だってあれはミステリ作家特有の“遊び心”なんですよ。そもそもぼくは、作家がああいうことを書きながら“どーだ、フェアだろう”なんて思ってるとは思えないんですよ。“ホラホラ、これね。好きでしょ? 君も”とか“ネタはこれです、仕掛けはごろうじろ。見てのお楽しみィ〜!”みたいな、そんな気分なんではないかなあ。いわばかるーく踊って見せてるわけで……こういうお遊びや茶目っ気をシンケンに受取りすぎちゃあ、それこそ粋でないですよう」
N「そうですかぁ? 190ページの“蛇足”を読んで“そんなのわかるかい ! ”と暴れたくなるのは、私だけじゃないと思うんですけどね。しかも情報が間違ってるし。“76ページ下段17行め”はたぶん“77ページ下段16行め”の間違い」
G「ははあ、なるほど……でもそれはむしろ校正者もしくは編集のミスというべきでしょうね」
N「まあ、それは重箱の隅だから置くとしても、そもそも“別人格の宇佐美博士”という叙述トリックが必要であったとは思えないんですよね。……仮に真・宇佐美博士が実際に事件に介入したとしても、最終的に事件の推理をしたのは吉武博士自身なのだから“事件の被害者であり、――云々”という趣向にキズはつかないし。……まあ私は『ビリー・ミリガン』なんかを読んでいないので、そこに別の趣向があるのかもしれませんが、少なくとも私の知識では、あの叙述トリックはわざわざ苦労して付け加える必要はなさそうに思えました」
B「たしかに大変な手間をかけた割には、さしたるサプライズがあるわけでもないしねえ。そのくせ名字が同じというオチは、少々安直にも思えるな」
G「これはですね、“宇佐見博士だから意味がある”趣向なんですよ。たしかに“私は事件の被害者であり云々”は使い古された趣向です。けれど、柄刀さんはその従来のやり方の一段上を行く趣向を考えた」
B「んんん? どういうこと?」
G「つまりですね、あの思わせぶりな惹句は、本来“私は事件の被害者であり、証人であり、【名】探偵であり、そして犯人であった” と書かれるべきだったわけで。簡単にいえばクイーンが『4大悲劇』でやろうとしたのと同系統の狙いですね。新しいでしょ? 名探偵がらみでこの趣向を実現したのは、世界初なんじゃないかなー」
B「世界初というのは怪しいもんだけど、なるほどその趣向はわかった。わかったけど……それはやっぱり趣向以上のものにはなってないね。本格ミステリの仕掛けとしても、あまり意味がないというか。まあ、君にいわせれば、これも作者のお遊びってことになるんだろうね」
G「そうですね。素敵に楽しい“意味なんて無い”お遊び」
N「むむむ。そうですかね。私なんかから見ると、作者がひとり自分の趣向に舞い上がっているように思えて、どうにもシラけてしまうのですが……。まあ、それも好みの問題なのでしょうかね」
G「舞い上がっているといえばいえるかもしれません。ただ、そういうとこもひっくるめて好きだったりするんですよね、ぼくの場合。これは一般的な感じ方とはいえないものでしょうから、なかやまさんがシラケてしまう、というお気持ちもわからないじゃないです。子供じみてるといわれれば、その通りなんですから」
B「どうも聞いてると、なんだかこの作品って夾雑物が多すぎるというか。そういう“意味のないお遊び”ばかり充実してて、逆に本格としての骨格が見えにくくなってる感じはするな」
G「たしかにそういう傾向はあるかもしれませんね。思いついたものをありったけ詰め込むクセというか、サービス精神というか、そういう部分が目立つ作家さんではあります」
B「しかもそれらをきれいにまとめきれてないというか、手が追いついてない印象だし」
G「でもね、このシリーズは柄刀さんがデビュー直後に始めたもので、まさに新人の作なんですよね。ぼくは、そういう新人の“本格ミステリが好きッ、仕掛けが好きッ、奇想大好きッ”ていう意気みたいなもんをヒシヒシ感じるわけです。そんだけですんごい嬉しくなっちゃうんですよ」
B「しかし、作品総体としての完成度に頓着せずにアイディアのありったけを詰め込んでくる無鉄砲さつうのは、小説書きとしては減点材料といわざるをえないよね」
G「そうなんですが……柄刀さんは、アイディアを“どう見せるか・どう使うか”で勝負するのが主流となった現代本格ミステリ界で数少ない、“アイディアそれ自体で勝負できる”作家さんなんだと思います。ほとんど天然記念物的な希少種なんですね。これを愛さずに何を愛するか! ってなもんで、“どう見せるか・どう使うか”は、とりあえず他人に任せておけばいいかな、と」
N「ううん、そうでしょうか。でも私はやっぱりアイディアそれ自体がいかに良くても、見せ方がきちんとしてなければ納得できないですけどね。例えばこの話でも瀕死の多重人格者がひとりで立ったり座ったりしながら推理を展開していて、まわりはただ黙って見ている――という構図は、普通に考えれば滑稽な上にずいぶん薄情なように思えるんですが」
G「だけど……本格ミステリって、そういうものでしょ? 大体において“普通に考えれば滑稽だったり薄情だったりする”シチュエーションが前提なんです。“殺されるやつが全員殺されるまで謎解きを開陳しない名探偵”“大変な手間をかけてワザワザ密室をつくる犯人”“不可能犯罪のために珍妙な屋敷を建てる館の主人”……そういうレベルの“普通”とか“常識”なんてコトをいいだしたら、本格ミステリなんて“異端”は滅びてしまいますよう!」
N「わはは。“異端”ですか。ま、この例は言いがかりみたいなもんですからあまり説得力ないのは認めますけど」
B「いやいや、なかやまさんの感覚の方が真っ当だし正しいと思いますよ。本格ミステリを、その“異端”ゆえに愛するMAQなんてぇのは、小説読みとしてはそれ自体“異端”でしょう。ま、私自身もそうなんですけどねー」
 
銀河鉄道は何処を走る
 
B「では、次。表題作の『アリア系銀河鉄道』に行こうか」
N「これについては、細かい所にいろいろ不満があります。まず、触れるだけで死んでしまうという、“×酸××ウム”とかいう毒薬の付着場所。そんな都合のいい毒薬が本当にあるのかどうかは知りませんが……」
G「ありますよ」
B「うるさい、黙って聞け!」
N「……犯人がそれを塗っておいたのが、双眼鏡の対物レンズ側、という場所は特に意外でもなんでもない。逆転の発想のつもりなのでしょうが、接眼レンズや胴体部分を調べて、そこだけ見逃すという方が不自然だと思います」
G「これは同意します。“それだけ”がオチだったら愚作でしょうね。ただまあ、その毒の検査薬が高価で徹底した検査はしにくい、という伏線は用意されてますよね」
B「伏線というより作者の言い訳だな、そりゃ」
N「それから脱獄トリック。球体鏡が一つ目橋を塞いで川の水位を上げる、という発想は面白いけれども、そのことに脱獄囚以外誰も気付かなかった、というのはおかしい。そんな派手な現象が起きていたら、刑務所の職員だって気づくはず」
G「そりゃそうです」
B「? 同意か?」
G「えっと、そのこと自体に反論はありません。ただ、毒の件も含めて“それには理由がある”というのが、ぼくの見解です。たぶんなかやまさんの不満は、全部その“理由”で説明がつくと(ぼくは)思うので、まとめてお答えしますね」
N「なんかヤナ感じですね〜。……じゃあまとめてゴンゴンいっちゃいますよ。“鶴見未紀也のダイイングメッセージ(?)の楽譜”はどうです。この暗号自体分かりにくいんですが、そんなことより娘の病気の治療法を、なぜ暗号にする必要があるのか? まわりをはばかる内容じゃなし、ストレートに“癌性腹膜炎に注意 ! ”って書けばいいじゃん !  まーったくもって納得がいきません!」
G「……そ、それくらいですか?」
N「まだまだッ! ファンタジーの部分にも細かい不満があります。“元の円がピンポン玉と同じでも、銀河系と同じでも、直径を2.5m増やそうとするなら円周を7.85m増やせばよい”という理論は、クイズとしては面白いけど、なんで“宇宙も銀河も膨張しているから”増やす円形軌道が直径2.5m分なんですか? 宇宙の膨張は光速なんじゃ? なぜこの“銀河鉄道”にはチャレンジャーだのタイタニックだの、有名な事件の犠牲者ばかり乗ってくるの?……とーもーかーくッ、何から何まで都合がよすぎ!」
B「これもご都合主義ってことだね」
N「そういうことですね。解説で賢治の『銀河鉄道の夜』について巽昌幸さんが述べてる“冒頭で科学知識を披露しながら、いざ宇宙に旅立ってからはもっぱら微少なものばかりが目の前にあらわれる”というのは、むしろ柄刀作品のことだと思いましたね。……要するに科学知識の応用が半端。“都合のいい時はSFで、都合が悪くなったらファンタジーに逃げる”といったらいいすぎでしょうか?」
G「いえいえ。“ある意味”おっしゃる通りだと思いますよ。ただ、なかやまさんってすっごい素直な方ですよね。……いえ、けっして皮肉じゃないんです。ただ」
B「ただ?」
G「たとえば、円形軌道を増やすための長さの件ですが、あの説明をまんま“作者が謎解きの説明として書いている”と素直に受取るなんて、ぼくにとってはほとんど感動的でした」
B「なんか腹の立つ言い方だな〜」
G「だからそうじゃないんですって。ぼくなりに素直にそう思ったわけで……この場合、なかやまさんは“SF的見地からいえばファンタジーに逃げた解答”という解釈をされてると思うのですが、考えてもみて下さい。主人公たちは“野原に停まっていた汽車に乗って宇宙に旅立ち、光速を超えたスピードで銀河を駆け巡り、しかも宇宙空間で下車して虚空に立って鉄道工事を見ている”んですよ?  そういうシチュエーションでなおコレをSFミステリとみなし、SF的な、つまり科学的な回答を要求するというのは凄いことだと」
B「つまりキミはこれは最初っからファンタジィだといいたいわけ?」
G「まあファンタジィといえばファンタジィなんですが、それより何よりこの作品のシチュエーションは、巻末の作者の解説で“(死に瀕した)マリアの意識で生まれ”“無意識の領域に蓄積する情報が生みだす第六感”であり、つまり“意識下の不安定な渾沌を、探偵という姿をとった理性と知性が、表の意識に具現化する過程”を描いていると書いていますよね。つまり……これはマリアの意識下の第六感が生みだした“夢”なんですよ」
B「夢オチ〜?」
G「いや、それ自体がオチになってるわけじゃありませんから、夢オチとは違いますが、ともかく。夢なんですから“その夢を見ている人間の知識・感情の範囲で”都合のいい解釈が採用されたり、メタファや象徴といった形で様々な情報や感情が暗示されるのは、むしろ当たり前のこと。マリアの病気のことだってそうですよね。あれは現実の父親があんなややこしい暗号を残したわけじゃあ無くて、あくまでマリアの自身の病状に対する曖昧模糊とした不安が生んだ予言なんです。そもそも“癌性腹膜炎”なんて言葉はマリアの知識にはありませんし、彼女自身確信が無いどころか意識さえしていない。漠とした不安感・不快感・違和感が、ああいう形で提示されたんです」
B「なるほど。マリア自身の意識下の知識や語彙や予感が、あの世界を制限している、と」
G「そうですそうです。夢の象徴とか暗喩とか、メカニズムはフロイト派っぽくていささか古臭いんですが、だからこそ非常に分かりやすい説明であり設定であると、ぼくは思いますね」
N「ぬ〜ん。私の読み方は、あまりにテキストを額面通りに受け取り過ぎると。作品の背景だとか、テキスト外の知識にあまり自信がないんで、その分フェアな読みをしたつもりなんですが、裏目にでましたね〜。つまりこの作品でいえば、所詮は小娘の意識下の物語なんだから、辻褄が合わなくて当然ということですか」
G「う。そーゆー言い方をしちゃうと、身もフタもないんですが。とりあえずその部分の辻褄は合わないくらいの方が、“設定部分の辻褄”は合うでしょうね」
B「しかし、その“設定の説明”は作者の後書きでされてるわけだからねえ。テキスト内だけで完結できてない世界というのは、やはりエンタテイメントとしては問題アリよ。だいたいこの作者はサービス精神旺盛であるわりには、そういう部分の基本的な“読者へのもてなし”がなってないのよね。さきほどなかやまさんがおっしゃった“手がかりを小出しにする”のと同じことよね。無神経というか、やっぱ独りよがりなんだな」
G「うーん、そのあたりはやっぱ反論できないかも……」
 
アリスのドアを抜けて
 
B「じゃあ、最後。これはボーナストラックだけど『アリスのドア』を」
N「これは意外と良かったです。ここまでブーブー文句を垂れながら読んできたので、意外な拾い物っていうか。なにしろ一番不満だった、条件の設定がしっかりしている。“宇佐美博士の死線の物語”とはっきりしている上、物理的な法則は逸脱しないというルールがしっかりあって、一見ファンタジーのような道具立てをしておいて、きっちりパズルでオトす、というのも意外性があってよかった」
G「よかったぁ! せめて1つくらいは楽しんでいただけないとねえ」
B「しかし、初めから“これはパズルだな”と思って読んだら、こんなに評価はしなかったでしょうが。ついでにいえば、挿し絵も趣向を損ねないもので良かったです。ただまあ所詮はパズルであって、ボーナス・トラック以上のものではないですけれどね(笑)」
G「おっしゃる通りです。ただ“なんでわざわざボーナストラックにパズルをつけたのか”は考えてみてほしいかも」
B「わざわざ?」
G「そう、わざわざ、です。これはもちろんぼくのごく個人的な憶測ですが、“本編がパズラーではなく、パズラーとして読みえない”ため、作者はなかやまさんのような厳しい読者から“パズラーとしての不満が出てくることを予測し、そうしたニーズに応えておくため”にあのパズルっぽいボーナストラックを用意したんです。柄刀さんならではの、徹底したサービス精神ですね」
B「いや、しかしなかやまさんは、この作品をパズラーとして読んだわけではなくて、SFミステリとして読んだとおっしゃってたじゃん」
G「うーん。冒頭でも述べましたが、ぼくはこれをSFミステリとは思えないんです。これが1つ。で、なかやまさんのご不満はほとんど、SFミステリとしての不満というより、パズラーとして読んだ時の不満に聞こえるんですよ。さっきの銀河鉄道の件でも、SFミステリとしては絶対許せないはずのシチュエーションについては言及されず、もっぱらパズラーとしての謎解きや解説や設定の部分に着目してらっしゃる」
B「SFミステリとして読むのはそもそも無理がある?」
G「そうですね。ぼくは不可能だと思います」
N「……そこんとこはきちんとうかがってみたいですね〜」
G「わかりました。じゃあちょっとSFミステリについて話しましょうか」
 
SFミステリ問答
 
G「まずは、なかやまさんのSFミステリに関する定義をお聞きしておかないと」
N「おっけーです。……えっと、私の考えるSFミステリというのは簡単にいってしまえば“SF的な設定の中で書かれるミステリ”なんですね。たとえば未来や異星の都市といった、現代社会とは異質の世界観/ルールを持った場所が舞台になり、そこでなんらかのミステリーな事件が起こるわけです。で、当然、その解決に至る展開も現代社会のルールでなく、“あくまでその世界のルール”に即したものになる……つまりこのジャンルのミソは“現代社会とは異なるルールに即す”という点と、そのルール自体も作者自身が自由に設定できるって点なんですね」
B「なるほどね。つまり自由に設定できるからこそ、その設定部分が重要になってくると。『アリア系』に関しては、その設定部分が御都合主義で恣意的で不満が多い。だからSFミステリとしては根本的にダメダメだというわけね」
G「うーん。じゃあぼくの意見を言わせていただきますけね。異論のポイントは2つあります。ちょっと重箱の隅になりますが……まずはSFミステリの定義。“現代の人間社会とは別のルールを持った世界”イコールSF的世界というのは少々乱暴ではないかな、と」
B「ふむ?」
G「“現代社会とは異質の世界観/ルールを持った場所”を持った世界といえば、ホラー的世界やファンタジィ的世界なんてのも当然入るでしょう。魔法が現実のものと認識される世界を舞台にした『魔術師が多すぎる』やドラゴンが存在する世界の『殺竜事件』……。当然、それぞれの世界観に応じて設定部分のルールはかなり幅があるわけです。いわばこの定義自体、かなり自由度が高いものだという気がします。SFミステリという言葉でひと括りにするのは、ちと無理があると思います」
B「そうねえ。SFミステリというのはジャンルとして確立したものとはいえないから、定義も人によってずいぶん違うわよね。たとえば、SFミステリとしてよくあげられる“鋼鉄都市”は、あれは堂々たる本格ミステリでもあるわけだけど、そいつを書いたアジモフがみずから自作のSFミステリを集めた短編集(『アシモフのミステリ世界』)なんてのを読むと、初期のものなんてずいぶんなかやまさんの定義からは外れている」
G「ああ、そういえばそうですね。“現代社会とは異質の世界観/ルール”を持った世界が舞台というより、単純に最新の科学知識やその応用で謎を解いたり、問題を解決したりするって話がとても多いですよね」
B「そうそう。単に読者の知らない知識や“科学的な発想”で謎解きをする、というのもSFミステリとみなされているわけ。まあ、古臭いSFそのまんまといえばその通りなんだけどさ」
G「SFをサイエンス・フィクションと見なしていた頃の産物って感じですね。だからってもちろん、なかやまさんの定義が違っているってことにはなりませんが、とりあえずSFミステリとしてどう、というのは、だから違うんじゃないかなと思います」
N「ああ、そうか。そういうのもあるんですね。これは知識不足でした。そうすると私の定義はそのまんまSFミステリとしては使えませんね。それでも『アリア系』はこの定義(=異世界の設定・ルールの中で書かれるミステリ)に当てはまると言っていいんじゃないかなあ」
G「それはもちろんそうですね。ただ、『アリア系』の場合は、通常の“特殊ルール導入型”の本格ミステリとはちょっと違うんです。通常のそれが“ルールに基づいたロジックで解かれること”を目的としているならば、『アリア系』の場合は、“その特殊ルールの応用によってどこまでトンデモなトリック・ロジックを創造しえるか”という実験が優先されている。これが前衛であり実験的作品であるというのは、そのためです」
B「そのあたりがキミの持論であるところの“ポスト・モダン・ディティクティヴ・ストーリィ”ってことになるわけだよね。ま、んなこといってんのは、世界中でキミだけって気もするが。ともかく、実験作であることは確かだと私も思う」
 
何処まで許すか・あるいは許せるかという冒険
 
N「しかし、SFミステリかどうかは別としても、“読者が納得できる最低限のルールづくり”はどうしたって必要でしょう。それがなければミステリとしては成立しないのでは?」
G「たしかにおっしゃる通りだと思います。ただ、それは非常に厳密な意味での本格。読者と作者が対等の立場で推理を競い合う、パズラーとしてのルールでしょう」
B「うーん、パズラーでなくとも、本格である以上は“読者が納得できる最低限のルールづくり”は、求められて然るべきだと思うけどね?」
G「そうですね。正論だと思いますよ。ただ、その“納得”というのは、これまた非常に幅が広いものだと思うんです。早い話が、“謎解きゲームとして”つまりパズラー要素を重視する場合の“納得できる設定”と、“とりあえずサプライズのどでかいやつをいっちょ”という場合の、納得できる……というか“許せる設定”というのはずいぶん開きがあるはずです」
B「まあクイーンの国名シリーズとカーの作品では、たしかに設定の許容範囲には開きがあるわな、実際」
G「そういうことですね。で、柄刀さんの、特に『アリア系』は読者側にもっとも緩やかな許容範囲を求めるタイプの作品なんですよ。繰り返しになりますが、それはこれが、もっぱら本格ミステリのコアの1つとしてのトリックとロジックの可能性を、既存の最もゆるやかな設定/ルールの範囲を超えてまで追求し、ほとんど抽象的寓話的神話的世界まで到達してしまった“すぐれて前衛的な本格”だからです」
B「方向としては山口さんの『ミステリーズ』とか『マニアックス』とか……あの方向かな?」
G「そうですそうです」
B「しかし、読んだ感じはずいぶん違うよね? 山口さんのはいかにも前衛って感じで、ある意味その意図がきっちりわかるけど、柄刀さんの場合は見えにくい。むしろサービス精神旺盛な娯楽作を意図しているような感じさえある」
G「体質の違いつうのもあると思いますが……前衛的だから娯楽作に成りえないとは限らないでしょ? 前衛的挑戦的な発想を、あくまで本格ミステリとしてのもてなしで料理したのが、今回の柄刀さんの手法だと思います」
B「本格ミステリの手法? しかし、その“謎解きとしての本格ミステリ”のための“読者が納得できる最低限のルールづくり”がなおざりにされてるわけでしょ?」
G「そうですね。前衛的なコンセプトゆえに、“謎解きゲームとしての本格”の基本からは逸脱せざるを得なかった。そこでそのかわりに、さらに設定的には無理をしてでも前衛を突き詰める、つまり“トリックとロジックから導き出されるサプライズの可能性”を極限まで追求することにした、と」
N「あの〜、ちょっと内容が抽象的すぎてついていけないんですが……(苦笑)」
B「ああ、ごめんなさい〜! ついついアホに釣られてオタクな会話を……」
N「いえいえ。……しかし、です。私に言わせればこの作品は“見せ方や細部の辻褄なんかどうでもいい”と思わせてくれるほどには、サプライズ度が高くはなかったですね。ある程度先が読めてしまうというか。ベテルの塔にしてもノアにしても、“こういう設定だったら大体こういうオチでしょ”という予想がまずあり、結果を正確に推測できたわけではないんですが、まあ予想の範囲内だったと。しかもルールがいいかげんだということで、ちょっとがっかりしてしまったんですが」
B「うーん、MAQの場合は、最初っから“サァ驚いてやるぞう!”みたいな姿勢がありますからねえ。ちょっとでもビックリすると、すーぐ逆上してバカのように大喜びするし」
G「バカはないでしょ、バカは〜」
N「まあまあ。でも、私も思いますよ……あ、バカということじゃなくて、こういう“出るよ出るよ、ほら出た ! ”ってふうに手札をさらして勝負に出てくる話が、MAQさんはお好きなんですね。そのへんかな、評価の分かれ目は」
G「ですかねえ。まあ、そういうのもああいうのもみーんな好き、という間口の広さは、ある程度自分で意図的にそうしようとしている部分はありますね」
B「なるほどね。その間口の広さがあるから、作品総体としての完成度に頓着しない柄刀作品の無鉄砲さをも“暖かく受け止める”ことができるわけだ。……しかしそれにしても、やはり柄刀さんは“どう見せるか”ってことに、あまりにも無頓着すぎるという懸念はどうしても残るよね」
G「まあ、確かにそうですね。ですが、前述した通りたように今はそれでいいんじゃないかな、と思っています。アイディアだけで走れるうちはどこまでも突っ走ってほしいな、と」
B「気持はわからないじゃないが、それじゃまともな小説読みさんからはそっぽを向かれても仕方がないなー」
G「むろん人には好みがありますから、それぞれの許容範囲に応じて好きになったり嫌いになったりすればいいと思いますよ。ただね、切り捨てて欲しくないんですよ。こういう挑戦とか実験って、ちょっと大げさですが、今の本格ミステリ界に絶対必要なことだと思うし……読者の側もちょっとだけ間口を広げて、つまり許容範囲を広げて楽しんだほうが、絶対トクだと思うんです」
N「まあ、私も切り捨てるつもりはありませんよ。なんとなくこの作品には肌に合わないものを感じてしまったというか……細部がいいかげんなのに、妙なところに凝るとか。ほとんど言いがかりに近いですが、しかし、妙に評判のいい作家さんではありますし、最終的な評価は、最低ひとつふたつ長編を読んでみるまでは保留にしたいと思います」
G「ありがとうございます〜。でしたら『サタンの僧院』と『ifの迷宮』あたりははいかがでしょ?」
B「う〜ん、それって逆にヤバイんじゃない? なんかさらに、なかやまさんのイカリを買っちゃいそうな気がするぞォ(笑)」
 
(2001.3.9 up/Talk in 2001.Jan〜Mar)

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