GooBooスペシャル『暗黒童話』
 
 
“意識する”本格“意識しない”本格
 
〜読者自身が“決める”物語としての『暗黒童話』について〜
 
課題図書:『暗黒童話』(乙一 集英社刊)
 
ヘルパー:松本楽志さん
いまさらご紹介するまでもない、Webミステリ界屈指の目利きにして論客のご登場です。いうまでもなくその切れ味鋭い視点が生みだす書評、独自の研ぎ澄まされた言語感覚が紡ぎだす創作の数々は、どれをとってもピカイチの完成度の高さ。ミステリ&ホラー界屈指の定番Webサイト『天使の階段』で、ぜひ皆様もご一読下さい。(楽志注:最近はあまり本を読んでなくて、書評も少なめです。すいません……)
 
CAUTION!
以下の鼎談では、『暗黒童話』(乙一 集英社刊)のネタバレに多数言及しております。未読の方は一読の上、あらためてお運びいただけますよう、くれぐれもお願い申し上げます。

G=Goo/MAQ B=Boo/aya M=Matsumoto/松本楽志さん
 
 
G「さて今回は2001年度の『GooBoo本格ミステリベスト』で堂々5位にランキングされ……にも関わらず、ぼくもayaさんも未読という赤っ恥をかかされた曰く付きの作品、乙一さんの『暗黒童話』を取り上げます」
B「未読作品がランクインしたことは、これまでもあったかもしれないけど、これだけ上位で取りこぼしたのは初めてだからねー。まあ、お礼参りというか、きっちり落とし前付けるっつーか」
G「作者の人気を反映してか、ヘルパーさんのご応募もいつになく多かったんですが、抽選の結果、松本楽志さんにお願いすることになりました。楽志さん、こちらではお久しぶりです!」
M「ご無沙汰してます。いやいや、それにしても二階堂黎人の日記もかくやと思わせるくらいの凄い豪邸に住んでますね。んな洋館に住んでいればさぞ、仕事もはかどるでしょう」
G「いやいやいや豪邸なんてとんでもない、ほんの東京ドーム4個分程度ですよ。ま、ほとんどの部屋は使ってないというか。足を踏み入れたこともないんで、なんかいろんなものが棲みついてるらしいんですけどね。ちょっとヤバめなものも潜んでるらしいんで、トイレに行く時とかやたら歩き回らないようにしてくださいね」
M「上沼恵美子でも居るんすか?」
G「そ、それは怖い! 怖すぎる!……いや、確認したわけじゃないんですが。時々ねー、下の方からヘンな声が聞こえたりするんですわ。イムアルラトホテプクトゥルゥゥゥゥとかなんとか」
M「そういえばこころなしか魚の腐ったような臭いがしますが、ダゴンの刺身でも食べさせてもらえるんでしょうか?(真顔で)」
G「いや、アレは軽く火を通した方がいいです(真顔で)。ナマで食べると全身からネバネバした粘液が分泌されるんで、誰も握手してくれなくなります(真顔で)。歩くとナメクジみたく跡が残るし(真顔で)」
B「えーい、なにを2人でホラー漫才やってんのよ!」
M「あ、ayaさんもお久しぶりです」
B「お久しぶりですう。お仕事、たいへんそうですね!(はあと)」
G「なあにが(はあと)ですか、キモチワルイ。だいたいWebは仕事でしか使わないとかエラソーに見得きってたくせに、その口ぶりじゃどうやら『天使の階段』をのぞいてるみたいですねぇ」
B「うっるさいわね〜、オトコがつまんないこといつまでもガタガタいってんじゃないのッ!」
G「ほーら、どうせすぐそうやって化けの皮が剥がれるんですから。ま、ともあれ楽志さんという最強の味方を得て、今日は必勝体制ですからね。覚悟して下さいよ」
B「ふッ、チョコザイな。ガイシューイッショクじゃあ!」
M「あれ、鎧袖一触ってこう書くんですね!」
B「……なんだかさりげにバカにされた気がする……」
G「ま、“鎧袖一触”くらい書けるようにしましょうね! ライター生活も20年近くなるんですから」
B「しっかし、だいたいなんでいまごろになって、『暗黒童話』なのよ? とぉっくの昔に新作だって出てるじゃん」
G「あの、それは」
M「す、すいません……すべて僕が悪いんです……夏休みの宿題を次の学年まで持ち越してしまったような気分です……あの、ええ、かなり前にメールのやりとりは始めたんですが。申し訳ありません。とっととはじめましょう」
B「なんだか釈然としないわね〜」
G「……というわけで、『暗黒童話』ですが。まずは軽くストーリィを紹介しておきましょう。主人公は、思わぬ事故で左目を失い、記憶喪失となってしまった少女・菜深。幸い眼球移植によって左目の光を取り戻せた彼女ですが、記憶は戻らないまま。そのために全てに怯える“1人ではなにもできない”少女になってしまい、いつしかクラスメートも家族も辛くあたるように。やがて彼女は少しずつ日常に己の居場所を見失っていきます」
B「そんな時、ふとしたきっかけから、ヒロインは移植された左目が元の持ち主の視覚的記憶を保存していることに気づくんだな。つまり、それと関連する光景を目にした瞬間、彼女の網膜に“元の持ち主が生前に見た光景”が蘇るわけ。むろんヒロインにはその怪現象をコントロールする術はなく、突如襲ってくる記憶にとまどうばかりだったわけだが……やがて、現実の世界に居場所を無くしていた彼女は、その“他人の記憶”の収集し記録することに夢中になっていく」
G「予告もなしに映像だけで届けられる、他人の見知らぬ視界の記憶。優しい姉との思い出、両親の死、学生生活。そして、ついに奇怪な光景がフラッシュバックします。何処ともしれぬ緑濃い山中の青い洋館、その地下室に転がる手足をもがれた少女、迫る人影、必死で逃げる“元の持ち主”、そして突如出現したクルマにはねられて……。“元の持ち主”は誘拐犯に追われて死んだ? そして誘拐犯の元にはさらわれた少女が今もいるのか?……異様な情熱に突き動かされるまま、ヒロインは“元の持ち主”の死の真相を調べ、少女を救出すべく単身見知らぬ街を訪れます」
B「ま、そのあたりまでかな。正直いうとさ、私はまともに乙一作品を読むのって、初めてなのよね。一応『失踪HOLIDAY』とか、ミステリ寄りっぽいのは積読してあるんだけど後回しにしているのが現状で。で、楽志さんにうかがいたいんだけど、この『暗黒童話』という作品は乙一の作品の系譜の中ではだいたいどういう位置付けになるの? こういう方向は作者にとってこれまでの路線の延長線上にあるのか、新境地なのか。ちょっとご教授願いたいな」
M「そうですね。結論から先に言うと、僕はこの路線はまさに従来の延長線上であると思いました」
B「ふむふむ」
M「これまでの流れをざっと書きますと。まずデビュー作が『夏と花火と私の死体』。これはホラーとして必要十分な作品だったんですが、それだけじゃないのがこの作者。ちゃんとどんでん返しを用意している傑作です」
G「Webミステリ界でもけっこう話題になりましたよね」
M「ええ、論理的にどうだ、というわけではないけれどミステリファンでも十分愉しめる作品でした。で、これがフロックだと思いきや、彼はその後も良質のホラーを書き続けているんです。さらに、そこにはちゃーんと“ミステリ”のスパイスをきかせ続けている。なんらかの伏線を張り、それを起動させてサプライズを作る、この手段は少なからずどの作品にも見える特徴だと思います」
B「特にミステリ色の強い作品といったらどのあたりかしら?」
M「そうですね。たとえば『失踪HORIDAY』という作品はこれはホラーテイストは一切無いミステリですし、ホラー短編集と銘打たれている『石ノ目』も、いわゆるホラーなのは表題作だけ。あくまでも作者にとってはホラーもミステリも手段のひとつであるらしい……ってなことは『暗黒童話』までにも感じてました。ただ『華歌』という短編を読んだとき、単なる手法としてとはいえ、いわゆる“ミステリ”に一歩踏み込んだんじゃないかという印象を受けたんです。それでこの『暗黒童話』を読み、なるほど、と。これまでの流れを追っていれば、この作風はさほど驚愕するべき方向というわけでもないのです」
B「で、この『暗黒童話』に至って、これは本格であると。本格としても傑作であるという評価をされるに至ったわけよね?」
M「そうですね。『暗黒童話』というのは“ミステリ的趣向”が“本格”といっていいレベルに辿り着いている、と」
B「じゃあ、そこいらあたりを議論の取っ掛かりにしよう」
G「……ってことは」
B「うん、私にはこの『暗黒童話』が本格ミステリとは思えない、ってことだね。たしかに“本格ミステリ的な技巧”は使われているけれど、残念ながら“本格ミステリとしての使われ方”じゃないと思うんだよ」
 
 
G「なるほど。では、今回は本格ミステリとしての技巧の検証から始めましょうか。……そういう意味で一番に上げるべきは、“移植眼球による幻視”という特殊ルールの存在と、当該ルールの特殊性ゆえに発生した“視点人物の錯覚”。そしてそのことによる犯人の隠蔽というアイディアでしょうね。……いいかえればプロットのキモになっている設定が、そのままミステリとしてのトリックに活かされているわけで。これは実に巧妙な、計算し尽くされたトリックであり、使われ方であるといえるのではないでしょうか」
B「たしかにたいした技巧だとは思うけどさ。結局のところ作者は、この錯覚の発生を読者が論理的に推理できるような手がかりを、じつはほとんど与えてくれない。むろん十分注意深い読者なら、在りえる可能性の1つとして思い浮かべることはありえるのかもしれないけど……少なくとも、明確にそれと判断を下すための決定的な手がかりは与えられない。これは本格ミステリとして考えた時、やはりおおいに問題とすべきではないかしらね」
M「それは皮相的な見方に過ぎるんじゃありませんか? パスラーとしてのフェアプレイ性に問題があるということなんでしょうけど、それは本格ミステリとしてそれほど重要なことなのか……少々疑問です」
B「重要でしょ。少なくとも本格かどうかを見分けるポイントであることは、否定できないと思うけど。トリックでもって読者をミスリードして……だけどそれだけじゃ本格とはいえない。ミスリードくらい、たとえばサスペンスだってバリバリに使うテクニックなんだしね。それを見破るための手がかりが、きちんと与えられなければ、それはサプライズのためのトリックといわれても仕方がないと思う」
M「ああ、そうですね、ちょっと誤解を招く言い方をしました。“パズラーとしてのフェアプレイ性”はたしかに重要なんですが……あ、ちょっと長くなりそうですが、いいですか?」
G「どうぞ、ご遠慮なく」
M「たとえば、『暗黒童話』のような2つの視点から描かれた物語を読んだとき、ぼくらはまず、“なにかそこに仕掛けがあるな”ということを感じますよね?」
B「そうね。まあ、ある程度すれた読者、ことに本格ミステリ読みなら、そういう疑いを持つのは当然ね。“作法”の1つといってもいい」
M「でしょ。で、当然、僕もこれを疑い、そして自分が記憶している過去の物語から検索して2つの可能性を考えました」
G「2つの可能性?」
M「ええ。つまり、読み始めてしばらくすると、まず“このセクションは時間的位置が違うのではないか”ということを考えたんですね。これが1つ目です。ところが、さらに読み進めて主人公が館に近づいていくシーンが出てくると、今度は“このセクションは地理的位置が違うのではないか”ということも考えはじめます。こちらはおそらく、作者のレッドへリングをたどっていくことで容易に想像されうることです……これが2つ目ですね」
G「うん。本格読みなら、ごく自然にそういう経過をたどるでしょう」
M「ところが……ここがポイントなんですが……2つ目のレッドへリングをたどっていくうちに、僕らは前述の1つ目の可能性、すなわち“初めのうちに考えていた時系列のこと”をすっかり忘れてしまうわけです」
B「ふむ、たしかに」
M「つまり、この部分におけるレッドへリングの上手さというのは、二次元的な位置関係をちらつかせることで四次元目の軸である時間軸のトリックを隠す、というものになっているわけです」
G「なるほど! そうやって言語化されるとわかりやすいですね。次元を超えたレッドへリングなのか……技巧としても新しいかもしれませんね」
B「待ってよ。そのことはまあ分かったし面白いと思うけど、それが本格ミステリとしてのフェアプレイといったいどう繋がるの?」
M「そうですね、まあもう少しお聞きください(笑)。で、ですよ。この作品の主人公は、まさに“過去をすっかり失っている”という点において、やはり時間軸を狂わせられているといえるわけです。そして、読者が正しい時間軸を認識するころ、彼女の記憶もまた戻ってくる」
G「シンクロしているわけですね」
B「だーかーらー、それが何だっつーの」
M「(わっかんないヒトだなあ)ですから、この作品における“ミステリ的な意味での日常性の回復”は“時間軸の混乱の回復”といいかえられるってことなんですよ。そして、その “日常性の回復”は読者と主人公において、ほぼ同時に行われている……このことは読者と主人公が同等ということを意味している、といっても良いのではないでしょうか。だとすれば、です。僕にはこのプロットが、ayaさんの言う“サプライズ演出の道具としてしか使われていない”とは思えなくなってくるわけですよ」
B「んんんんん〜? それがそういう結論になるのかな。楽志さんのおっしゃる二重化されたプロットワーク上のテクニック、つまり読者における時間軸の混乱の回復と主人公のそれとをシンクロさせるという技巧は、物語としての『暗黒童話』の構造的な謎の解明が、そのテーマの開示とシンクロしているってことよね。で、たしかにそれはいずれも本格ミステリ的な技巧ではあるけれども、作者としてはむしろ本格ミステリとしてではなく、最終的にテーマをより強く提示するための物語の推進力として、本能的に、つまり本格ミステリ的な技巧ということは意識せずに使っているように思えちゃうんだけどね。あくまで小説的な、テーマを強く打ちだすための物語作家の本能的な技巧という感じがするんだ」
M「たしかに、それを明確な意図を持って作者がやったかどうかはちょっとわかりません。前述したように、作者はどうもミステリとかホラーとか言う縛りをあまり意識してないようですからね。ともかく、僕にとってはあくまで“物語ありき”なんです。そこに“サプライズ演出の道具としてしか使われていない”とは思えない物語が存在し、それを僕は本格だと感じるのみ、ということですね」
B「なるほどね……でもね。仮にサプライズ演出の道具だけではなかったにせよ、だからといってそれが本格ミステリだってことの証明になるとは、私には思えないんだよな。しっかし、この方向の議論ってさぁ、“いつものあの問題”に行き着いちゃうような気が……」
G「“本格とは、何か?”」
B「それだけは避けたいと、思ってたんだけどね〜」
 
 
G「では、今度は逆にayaさんに聞いてみましょうか。……この『暗黒童話』において、本格ミステリとして欠けている要件とはなんだと思われるんですか? 先ほどまでのお話からすると、この場合、カタチとしてのフェア-アンフェアの問題ではないとおっしゃってるようなニュアンスを感じますが」
B「そうだね。使われている技巧が問題なんじゃなくて、まさしく“作者がそれをどういう意図で使ったか”を問題にしたいわけ。平たくいえば、本格ミステリにあっては、作者が“読者に解かせること”と“解かせまいとすること”を同時に、しかも明確に意識してこれを使う必要があると私は思うわけよ」
G「んー、そこが分かりにくいなあ。作者の意図がどうあれ、結果として“解ける可能性もあった”物語となっていたなら、それもまた本格ミステリそのものとなりえるんじゃないですか?」
B「う〜ん、少なくとも私はそれは本格とは認めたくないな。本格ミステリというのは、つねに作者がそれと明確な意図をもったスタンスで書かれるべきものだ……と思いたいっていうか。まぁ、作者が何処まで意図的か、なんて作者本人にしかわからないわけだけど……そこまでいかなくとも、そもそもこの作品って論理的に解くための手がかりなんて、ほとんど用意されてないじゃん」
G「“鴉のマスコット”の手がかりがあるじゃないですか」
M「そうですよね。あれは非常に優れた技巧だと思いますよ。具体的にいうと、軟禁されている瞳が眠りにつくシーン(104〜105P)で『鴉が……』と口走る。そこでそのセクションは終わり、次のセクションは主人公側の視点で、鴉のキーホルダが揺れているのを見るところから始まりますよね。これは映画的な技法でしょうけど、単純にシーンをスライドさせるだけではなく、鴉というキーワードで繋いでいるわけですね。……ここはつい単なる技巧だ、と片づけてしまいがちなところですが、最後まで読むと、瞳がつぶやいた鴉というのは鴉のイメージではなく、まさに“そのキーホルダそのもの”のことであることが分かります(303P)」
G「そうですね。伏線として美しく機能している」
M「まあ、ひとつの伏線としては弱いかもしれませんが、これって“技巧的であることを逆手に取っている”という点で、非常に優れていると思いますね。もっともこれまた、作者本人は無自覚に行っていることなのかも知れませんが」
G「いや、あれは自覚的にやってるんじゃないかな。計算しているでしょう」
B「でも、手がかりとしてみたらどうよ? それが登場する(303P)のは、真犯人暴露の数行前にすぎないじゃん。たしかに伏線にはなってるけど、フーダニットの手がかりというには位置的にアンフェア……というか、ほとんど意味をなしてない。じゃあ、なんのためにといえば、やっぱりそれはサプライズじゃないの? 私にはそうとしか思えないけどなー。……もともとこの作品ではフーダニットとしての謎(犯人は誰か)も、この視点人物の錯覚によって早い段階から否定されてしまうから、読者がこれをフーダニットとして読む可能性はほとんどありえないわけでね。つまりさ、作者は読者から“謎解きをしよう”という意欲や余裕を徹底して奪い尽くすことで、真犯人暴露のサプライズを極限まで演出しているように思えるのよね」
G「つまりこれは本格でなく、サスペンスとしての技法だと?」
B「まあ、そういうことだね……ミステリ的にいえば。でも、たぶんこの作家はサスペンスなんてことも、本格ミステリ同様に全く意識していないと思う。乙一の場合はもっともっと天然の、いわば“語り部”体質であってさ。だから本格ミステリ的な技巧もサスペンス的なテクニックも、全て徹底して彼自身の物語を物語ることに奉仕している、そんな感触があるんだね」
M「もちろん僕自身、ヒット率の高い物語作家として、乙一を高く評価してはいるわけですが……」
B「でしょ? 仮にこの作品が本格ミステリとして成立するとしたらフーダニットの方向しかないと思うけど、同時にフーダニットとして成立させるためには、たとえば“鴉のマスコット”の手がかりや、それに類する伏線をもう少し早い段階に提示するといった工夫が必要だったと思うのよ」
G「つまり、フーダニットとして見るとアンフェアになるということですか」
B「本格ミステリ的に捉えればそういわざるをえない。ともかく作者には“読者自身による謎解き”という方向への配慮は全くないわけで。その意味ではそもそもこれを“本格として”評価しようなんちゅうコト自体、ヤボの極みのようにさえ思えるんだよね」
G「でも、たとえばこの錯覚トリックの存在を隠蔽する機能を果たすミスリードとして、いわゆる“双子の館トリック”を連想させるようなレッドへリングが使われてたりしますよね? 本格ミステリファンならて大喜びでひっかかりたがっちゃいそうなミスリードなんですが……こうした仕掛けの存在からも、ぼくは本格ミステリ的な技巧を心得た作者であり作品であるといっていいのでは」
B「だから、それらの技巧は総体として、作者にとってあくまで“自分の物語”をサスペンスフルに語るための道具にすぎないわけね。むろんそのこと自体の是非はここでは問わないよ、というかそれだって全然OKだし、作者はそれで十二分な成果をあげているわけだけど……だからこそこれを本格ミステリとして評価するのはいかがなものか。本格ミステリとして、ではなく、“本格ミステリ的な技巧を使った”作品として評価すべきだろう」
G「そんなふうにいたずらに本格ミステリを狭く狭く解釈してジャンルの可能性を狭めてしまうのは、それこそいかがなものでしょう? こういう行き方からも、本格としての新たな可能性の広がりがあるんじゃないでしょうか。だとしたらもって了とすべきでしょ」
B「本格ミステリ的な技巧の応用ってのは、ジャンルを問わず近年非常に盛んになっていると思うんだよ。でも、“だからこそ”本格と本格的なるものとはとことん峻別していかなければならないのよね。だってさ、本格ミステリにおいてもっと重要なのは、トリックでもミスリードでもサプライズでもない。それは謎と謎解きロジックなんだよ。これを欠いたいわば“本格的なるもの”を本格ミステリとみなしたりしていたら、その最も肝心な部分がどんどん見失われていくことになりかねないわけで……そのことを私は強く危惧するわけ」
 
 
G「うーん、それは考え過ぎじゃないかなあ。だいいちこの作品はその“謎と謎解きロジック”を欠いているわけじゃないし……」
B「いや、あればいいってもんじゃない。謎と謎解きロジックというものが、作品の中核として、さらにいえば作品総体が読者に与える最大の興味の焦点として、正当な地位を与えられ機能していなければ、本格とはいえない。いくら技巧としてのそれを使っていても、道具や材料みたいな扱いをされていたら、それは本格じゃないってこと」
M「うーん、ちょっと本筋からはずれるかも知れませんが、いいですか? やや極論めいたことを言います……えっとですね、僕は、本格ミステリ側から見れば、あらゆる要素、が謎解きに貢献すればよい。裏返せば、その“あらゆる要素”は“作者の本来の創作動機”であってもかまわないと思うんですよ」
B「?」
M「つまり、謎があってテーマがあろうとテーマがあって謎があろうと、テーマと謎の関係が分かちがたく“片方を読み解くことで片方が解けていく”なら、それは本格ミステリである、と言っていいんじゃないか……。ここでいうあらゆる要素というのは、たとえば“作者の意図”であろうし、極端なことをいえば“裏表紙のあらすじ”さえもそうかもしれない。あるいは“読者がその作品をホラーだと思って読み進めてきた”という事実だって、“あらゆる要素”のひとつといえるわけです。となると、“なんらかの謎が解決された瞬間に時系列をさかのぼって”作品が『本格』へと変貌を遂げることだってあるわけです」
G「つまり、“読者自身の読み方”がその作品を本格かどうか決める、ということですね」
M「まあ、そこまでくると、作品を読む側の読書体験にあまりにも寄り掛かりすぎているように思えるかもしれません。本格かどうかのくくりがそこまで流動的なものでよいのか、と。しかし『暗黒童話』が流動的であるのは、やはり境界線上の作品であるからであり、そもそもが流動的なものなわけですから……まあ、誰かが観察する、のではなく本人が観察しないと定まらない周縁領域、ということでしょうか。あれ、なんだかずいぶん当たり前の結論になってしまいましたね」
G「半分生きて半分死んでいる猫……シュレディンガーの猫の理論ですね」
B「ちょちょちょちょお〜っと待ったああああッ」
G「なんです? とりあえず一応の結論が出た感じなんですけど」
B「けっ結論だとぉ! んなもん認めないぞ〜、認めるもんかあ。あのねぇ、他のジャンルはどうあれ、本格ミステリだけは作者が本格と思って書けば本格だし、そうでなければどれほど本格に似ててもそれは本格じゃないのよ。だってさ、楽志さんのいう“シュレディンガーの猫の理論”を援用すれば、結局のところアレも本格コレも本格っていうことだってOKになっちゃう。昔あったよね、『カラマゾフの兄弟』も本格だっていう議論。それって北村薫さんが例のアンソロジでやってる汎本格主義と同じじゃん!」
G「でも……それってそんなにイケナイことですかね?」
B「本格読みの眼を養った読者が、いろいろなジャンルで“本格ミステリ的な読み方”をして楽しむのは、そりゃもちろん読者の勝手だよ。だけど、それはあくまで“本格ミステリ的な読み方の楽しみ”であって、“本格ミステリを読む楽しみ”とは別物であるはずだ。“本格ミステリ的な読み方”というのは、どこまでいっても個人的なものであって、普遍的なものにはなりえないんじゃないかね」
G「しかし本格の定義というのは、あらためて検証するまでもなく百人百様なんですから、“読者がそれぞれ本格を決めていく”というのは、ある意味正論のようにも思えますが」
B「じゃあ、逆に聞くけどさ。まったく本格を読んだことの無いヒトがいるとして、キミはこの『暗黒童話』を“これが本格だよ”といって勧められるの? それとも“これも本格だよ”かな? ……私にはそれも無理だな。せいぜい“これも本格として読むこともできるんだよ”ってトコだ。この場合どう? このいいかたって“本格じゃないけど……”っていう前置詞がついてるってことでしょうが」
G「う〜ん」
M「なんだかこうなってくると、もう完全に『あんたにとって本格ってなにさ?』の世界に入ってしまっているなあ。面白いんですが、暗黒童話からどんどん離れていっていますね(笑)……そう、たとえば僕はSFのことは良く分からないんですが、ayaさんとMAQさんの言っていることは、かつてSFが議論していたのと同じようなこと何じゃないですかね? どうでしょう?」
G「ああ、それはそうかもしれませんね。昔、SFが『浸透と拡散の時代』とかいわれて、何がSFか・どこまでSFか、みたいなことをマニアが議論していましたよね。ぼくも詳しい経緯はわかりませんが、結局、周辺領域への拡散と浸透が、ジャンルのコアを見失ってジャンルとしての力を失っていった、みたいな歴史観だったのかなあ。むろん実情は知りませんけども、そんな感じで」
B「SFと本格ミステリは根本的に違う。いや、本格ミステリとそれ以外のエンタテイメントジャンルは違う、というべきかな。SFにしろファンタジィにしても、それは基本的に拡散的。広がっていくもの、であるけど、本格ミステリってのは逆にきわめて求心的なもの・つねに中心に向かって凝縮していくものっていうイメージなんだ。むろん本格においても、周辺領域が活発になる、ジャンルの境界線が広がるというのは、それは別に構わない、というか良いことだろうと思うよ。でも、だからこそその核の部分は、つねにきっちりと厳密にブレのないそれを、シカと認識しておく必要がある、と。私はそう思うわけだ」
M「なんかその意見は本格に思い入れがありすぎるだけの気がしないではないですが(苦笑)。僕なんかは拡散の危険というのは、ジャンルの中身の違いではなくパッケージという存在のもつ本質的な性質なんじゃないかと思うのです……ま、確かに、この作品を本格だよ、と騒いでいる人間がめちゃたくさんおる、いうわけちゃいますからね。同じレベルでは語れないことは確かでしょう。だいたい、それに話がこれ以上ずれると、MAQさんがまとめるのが大変そうですから(笑)話を戻しましょうか」
G「うう、お気遣いありがとうございますう〜」
 
 
B「ともかくさ、私はなにも乙一作品のような行き方を否定するものではないわけよ。乙一さん独自のジャンルミクス的エンタテイメントとして、この作品自体がきわめて高いレベルの達成を実現しているのはいうまでもないわけで。ただ……これは本格ミステリではないと。“読者に解かせよう/解けるようにしよう”という視点を欠いているんだからね。無論そのことは作品としてキズでもなんでもないし、どっちがいいとか悪いとかでもない。ただ違う、と。そのことははっきりさせておきたいんだよね〜」
G「うーん。しかし、本格ミステリというものをそこまでストイックに、つまり狭く定義してしまうのは……。本格ミステリのジャンルにおけるコアは、それでもいいのかもしれませんが……この作品については、本格ミステリとしての部分を、たとえそれが作品の一部であっても、本格ミステリとしての達成と評価していいのでは。実際、この作品においては、ホラー的なストーリィラインと本格ミステリ的なストーリィラインがまったく違和感なく並存し、しかもラストでは美しく調和しているわけで。つまり本格としてもホラーとしても読める。たしかに最終的にはそのどちらでもない、乙一作品としかいいようのない境地に到達しているんですが、少なくとも本格として読んでも何の差し支えもない。純文学ならいざ知らず、本格ならば“技巧面だけ”で評価したっていいと思うんです。また、楽志さんの“本格として捉える・読む”という方法論も、楽志さんご自身の実感値に沿ったものである以上、無視できないのは確かですし」
B「そうかね〜、本格として読んだら差し支えがあると思うけど。むろん私だって楽志さんが“本格として読んだ”ことを全面否定しているわけじゃない。おおいにOKだよ。だけど、それはあくまで個人的な嗜好の範囲であってさ。それをもってこの作品を本格と断じてしまうのはまずいのではないかと思うんだ。そもそも作者の志向というか、めざすものが、本格とは違うんだからどうしようもないって気が私はするけどな。大切なのは本格ミステリ的な技巧の巧拙とか、読者がどう読んだかじゃなくて、作品自身が本格足ろうとしているかなのよ」
G「うーん、そうかなあ」
B「何度も言うけどサ、これは良い悪いではないし、どっちが上等ってことでもない。本格だから上等になるってもんじゃないんだからね。この作品はこの作品単体として、大変上出来なエンタテイメントなんだから。……だいたいさー、本格ミステリとして読まれたら、むしろ作者の方が困惑するんじゃないかな〜?」
G「楽志さん、どうです?」
M「あ、えーと、ようするにayaさんがこれを純粋に本格と言い切れていないのは“謎はこれである、さあ読者よ、解けるか?”的に書かれていないし、作者だってそんなつもりはない以上、作品そのものが本格としての自覚を持ってない、それは本格とは言えないってことなわけですよね?」
B「平たくいえばそういうことね」
M「ああ、そうかそうか、それでわかってきました。そうかそうか」
G「……って、1人で納得してないで早く助けてくださいよぉ」
M「ああ、すいません。えっと……僕の創作姿勢の話になってしまうかもしれないんですけど、僕は“作者は物語には居ない”というスタンスなんですよ。作者まがいの影というものはたしかに作品の背後にはあって、その影はたしかにこの作品の作者と名乗っている誰かに似ているのだけど、それでも影は影であり、そこに意志などないと思って居るんですよね。だから作者と意図もしらず“作品自身が本格足ろう”としていると僕はこの作品を捉えた。“謎”というのは明示的に書かれては居ないけれど、“世界そのものが謎”たりえていると僕には読めた。曖昧なものが伏線によって霧散するという構図、すなわち謎→伏線→解決という構図はまぎれもなく本格であり、本作に置いてこれは成立してしまっているんですよね」
G「なるほど。作品はそれ自体、一個の世界として完結しているという視点ですね。“作者の意図とは別に作品自体が本格足ろうとしている”というのは、すっごく魅力的な捉え方ですね。だとすれば確かに、その世界を理解するために、作者の意図などといった背景情報を忖度する必要はなくなります」
M「この考え方って、特殊なように思えるかも知れませんけど、僕ほど極端ではないにせよ、“作品に入り込む”という読書体験をする読者にとってはさほど受け入れられない考えじゃないと思うのですが、どうでしょう。アンケートとったわけじゃないからなんとも言えませんけれど」
 
 
B「そうね、楽志さんのそのスタンスって、物語の読み方としてはある意味非常にプリミティヴな“正しい”方法論よね。どんなジャンルのどんな作者の小説であれ、つねに徹底して自分の方に引き付けて、つまり“自分の物語として”読むという。乙一さんのような物語の語り部的な資質の強い作家にとっては、たぶん最良の読者ということになるのかもしれない。実際そういう読み方をする人は決して少なくないと思うわ。私だって“その手の物語”を読む時は、そういうモードに切り替えるようにしているもの。……ただ」
G「ただ?」
B「こと本格ミステリにあっては、そういうプリミティヴな“物語読み”のスタンスは、やはり似つかわしくない気もするのよね。たぶんここまでくるとそれぞれのスタンスの違いという問題に還元されちゃうだろうから、どうこういっても仕方がないのかも知れないんだけど、とりあえず言っちゃうわね」
G「どうぞご遠慮なく……ハナから遠慮なんかするはずもないでしょうけど」
B「うっさいわね〜。繰り返しになるけど、私にとって本格ミステリが他の文学ジャンル作品と異なるのは、それ自身がおっそろしく“本格であることに自覚的である文学”だという点だと思うのよね」
G「自覚的?」
B「平たくいえば、本格ミステリ作家が本格ミステリを書くとき、読者に対して“ただ物語として楽しんでください”と願いながら書いてるとは思えないのよ。あくまで“本格ミステリとして”楽しんでくださいと、そう思いながら書いているはずなの。裏返せば、これは本格ミステリだから、ただの物語として読まれたのでは十分楽しんでもらえない、という恐れが、それらの作家にはつねにあるはずなのね」
G「だから、読者も“そういうモード”で読む必要がある?」
B「そういうこと。それほどまでに自覚的な文学ジャンルだからこそ、読み手にとっては作者の意図を探ること……作者はどういう意図でこれをこう書いたか・こんな描写をここに入れたか、みたいな考察を行うことで、その作品の楽しさをどんどん膨らませることができるし、何が何でもそうする必要がある、と思うわけ。ただの物語なら“ああ面白いお話だった!”で終わりにしていいわけだけど、本格の場合はさらにそこから先にあるお楽しみがとっても大きいのよね」
G「つまり……結果として本格ミステリとして必要十分な条件要素を備えた作品であっても、“作者にその意図”がなければ、ayaさんのいう“その先のお楽しみ”を賞味しようとしたときに不具合がいっぱい出てしまうというわけですね」
B「まあ、そういうことね。本格ミステリというのは、いうなれば“自意識の化け物みたいな文学”でさ……どれほど天才的な作家でも、天然だけで生み出されるものではないし、極論すれば、そんな形で生み出されちゃいけないという、そんな気さえしちゃうんだよ」
G「でも、ここで語られたことってのは、いってみればすべて『暗黒童話』という作品からぼくらが憶測したことに過ぎないといえばいえますよね。“もしかして作者は自覚的に自分なりの本格を書こうとした”のかもしれないじゃないですか……そうだとしたら、後は単純に技巧的な手落ちってだけの問題で、本格とみなしてもよいということになりますよ。これだって、ぼくはけっして否定しきれない可能性だと思います」
B「うーん、それはたしかにそうかもしれないけど。でも、そういう見方には、ほかならぬ楽志さんご自身が懐疑的なんでしょ?」
M「そうなんです。これが困ったことですよねえ。これまた感覚的なものにすぎませんけれど、やっぱり作者はこの『暗黒童話』という作品を『本格ミステリにしてやろう』という作為をさほど持っていないと思うのですよ。手段としてそこにあるものを使ったという感じがするこの作品の設定からすれば、もっと『不自然な本格』にも改造し得たとは思うんです。しかし、それを作者はしてないわけです。ayaさんから見ると『弱すぎる』伏線を張る程度にとどめるというのは。ホラーにしてみてもこの作者は同じようなスタンスで居る気がするんです。非常にフラットな感覚でガジェットやトリック、アイデアをとらえて居るんじゃないかと」
G「そうですね。乙一さんの場合は何よりもまず“物語であること”を重視しているという感じがします。当然出来上がったものが、どのジャンルに区分けされるかなんてことには全然興味が無いし、そもそも意識もしないって感じ」
B「しかしなあ、それではやっぱり本格にはならないわけよ。本格ミステリというのは、たとえ“物語として不自然だったり不都合だったりしても、本格であるがゆえに優先されるべきことがある”んだと思う」
M「ええ、ayaさんの言いたいことはよくわかります。本格というのが非常に『作られた物語』であり、作者の作為を読者が感じることが前提にもなっているという考え方ですよね。究極の形が『読者への挑戦状』なわけですし、この小説はそんなものとはほど遠いと思う。ただ、僕はこの『物語』が読者に『何かが魅惑的な秘密がここにあるんじゃないか?』と思わせた時点で、本格としての『謎』は成立して……ああ、同じコトの繰り返しになっている(笑)」
B「うーん、楽志さんのおっしゃりたいことはわかるんだけど……。ともかくなんかこう、非常に古典的というか文学的っぽいロマンチシズムを感じさせるスタンスよねー」
M「読書というのは創作行為でもあるという言葉を書くと、ロマンティックで前時代的な言葉と馬鹿にされるかもしれません。けれど、こと本格においては、薄暗がりの中を歩きながら自らの中にいくつかの仮説(あり得るかもしれない物語)を作りながら『謎解き』へ向かって進んでいく。その読書行為の末、無数に発生した物語たちは『謎解き』によって霧散し、世界が確定する。こういう行為はやっぱり『本格を読んだ』と言う行為以外の何ものでもないのではないかと。……って、やっぱりロマンティックすぎるかな(笑)」
G「そんなことないですよー。そういう視点というか、感性を持ち続けるのは大切なことですよね。“物語のちから”を信じるっつーか」
B「けッ! どーせあたしは無粋な教条主義者ですよーだ」
G「まあまあ、そうすねないでくださいよ。すねて可愛いとゆー年ごろはとっくに終わってるんですから」
B「あんたねー、イチイチ一言多いっての! ……ま、ね。どっちが正しいとか正しくないとか、そういうことではなくて。とにもかくにもこれを本格として読み、楽しむことに成功している楽志さんが、ちょっとだけ羨ましいといえばいえるね」
M「この作品を本格側に引きつけて読む読み方、ホラー側に引きつけて読む読み方、というのはそうでない読み方の人間にとってはひとつの発見ではないかと思うわけで。僕がこれを『あえて本格だ』と言いたいのはそれもあるのは確かです。ぐぶらんを読んでもらって興味を少しでも持ってもらえたら、あるいは再読してもらえたら一番嬉しいです。ってなんだか作者インタビューみたいになってますね、俺」
G「乙一さん本人だったら、楽志さんの1/100くらいしかしゃべりませんってば!(笑)」
M「本人と言うより編集者のような発言かもしれません(笑) そうそう、この対談をメールでやりとりしている間に、乙一が作者自ら『ミステリを目指した』と言っている『GOTH リストカット事件』がハードカバーで発売されました! まだ読んではいないのですが、評判は上々! みなさん是非買いましょう!」
G「あー、買いました買いました! 面白いっすよ〜」
B「貸せ!」
G「面白いんだから買いなさい!」
 
(talk in 2002・feb〜jul)

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