battle77(2002年4月第2週)
 
[取り上げた本]
01 「白光」 連城三紀彦        朝日新聞社
02 「芙路魅 Fujimi」 積木鏡介         講談社
03 「アイルランドの薔薇」 石持浅海         光文社
04 「双月城の惨劇」 加賀美雅之        光文社
05 「見えない精霊」 林 泰広         光文社
06 「密室の鍵貸します」 東川篤哉         光文社
07 「奇蹟審問官アーサー」 柄刀 一         講談社
08 「サロメの夢は血の夢」 平石貴樹         南雲堂
09 「氷の女王は死んだ」 コリン・ホルト・ソーヤー 東京創元社
10 「レスレクティオ」 平谷美樹         角川春樹事務所
Goo=BLACK Boo=RED
 
●多重解決ドミノ倒し……白光
 
G「えーと、この3月に刊行された連城さんの『白光』は、『小説トリッパー』誌に98年秋から2000年冬にかけて連載された長篇です。……2002年は『人間動物園』という長篇も出ましたし、実はこの年は連城さんのミステリ回帰の年でもあったのではないか、という話もありますね」
B「まあ恋愛小説とか書いていても、やっぱしミステリっぽい仕掛けがちょろちょろちりばめられていたし。連城さんご自身は、そのあたりあまり厳密に区別するつもりはないんじゃなかろうか。実際この『白光』にしろ、ミステリといえばミステリだけど、“現代の家族”の1つのありようちゅーもんを描いた普通小説という読み方だって、じゅうぶんできるわけだしね」
G「ただ、この作品で試みられている仕掛けというか、趣向には、正直いってかーなーりびっくりしました」
B「そう? 連城さんの作風に馴染んだ読み手なら、途中まで読めば作者の狙いくらいはじゅうぶん想像付いちゃうと思うけどな」
G「そうなんですが、まさか実際に、それもあそこまで徹底してやり倒すとは思わなかったですよ。そもそもそんなことが可能だとは、思えなかったし」
B「裏返せばさ、そのきわめて人工的かつ技巧的な仕掛けゆえに、前述の“家族小説”としてのテーマについては、いささか以上に嘘臭くなってしまった嫌いはあるけどね」
G「ともあれ、ざっくり内容と参りましょう。えー、そうですね。ここに1組の姉妹がいます。万事に控え目な優等生タイプの姉と、奔放で派手好きで刹那主義の妹と。対照的な性格をもつ2人はやがて成長して共に結婚し、それぞれ1人ずつ娘を生みます。……こうしてできあがった2組の家族7人(姉の家にはいささか惚け始めた舅が同居しているので4人家族なんですね。妹の方は3人家族)が、この物語の登場人物のほとんど全てであり、そのまま物語の語り手でもあります」
B「つまり、語り手は物語が進むごとに家族から家族へ、入れ替わり立ち替わりバトンタッチされていくわけね。というわけで、構成は凝りに凝っているけれど物語自体はいたってシンプルだよ。……さて、その日妹はカルチャースクールに行くため(と称して)、いつものように幼い娘を姉の家に預けた。しかし、姉は自分の娘を歯医者に連れていくため、預かった妹の娘を舅に託してこれも外出する。ほんのわずかな時間だから惚け始めた舅でも大丈夫だろう、妹の娘は小さいけれどしっかりしているし。……けれどその僅かな時間に、悲劇は起こった。姉が娘を連れて帰宅したとき、少女の姿は消え、留守番を任せたはずの舅は錯乱状態。やがて彼女は無残な死体となって、意外な場所から発見される。平和な住宅地のしかも白昼、その家でいったい何が起こったのか?」
G「というわけでミステリとしては実に単純な事件であり謎であるわけですが、その小さな謎の足もとに実は深く黒々とした底知れぬ謎の深淵が口を開いている、という感じで。……語り手が替わりながらそれぞれが推理し、あるいは“それぞれの真相”を語るたびに、事件の様相はがらりと一変します。ことに終盤近くの逆転に次ぐ逆転は、ちょっと信じられないような“語りのアクロバット”といえますね」
B「そのドミノ倒し的に連発されるどんでん返しの強烈なサプライズと、そのたびに明らかになっていく家族の心の闇とを連動させるのが、おそらくは作者の狙いだったんだろうけど……これはいささか消化不良だなー。“語りのアクロバット”の人工性/作り物っぽさが際立ってしまい、“家族の間に横たわる深淵”とやらも私にゃどうも作り物っぽく見えてしまうんだ」
G「まぁそのあたりは読み手によって受け止め方は違ってくると思いますが、ぼく自身はこれはもう純粋に、技巧の限りを尽くしたミステリとして楽しめばいいんじゃないかと思います。パターンとしては1人称多視点の多重解決ものということになり、その趣向自体はさほど目新しくない気がするんですが、ともかくこれほど壮絶な多重解決は見たことがありません。技巧に裏付けられた力技というか、はなれわざというか……ともかく読者の行なう推理は、それがどのようなものであれ確実に一本背負いを喰らうでしょう!」
B「っていうか、そもそも推理しようなんていう本格読み的な発想はこの作品に関しては禁物ね。もともとこの作者のミステリ書きとしてのスタイルは、謎解きというよりトリッキーさそのものの味わいを楽しませるものでさ。ゆーなればサプライズ重視のフランスミステリの方向つうか……無論、この作品にも伏線は張られてはいるけど、それは謎解きのためというよりどんでん返しに小説的な説得力を与え、完成度を高めための仕込みという意味合いが強いのよね」
G「たしかに伏線については、謎解きの手がかりというよりどんでん返しのための踏みきり板、みたいな感じではありますね。そもそも各語り手の独白には“実は”とか“よく考えてみれば”といったフレーズがバシバシ出てきますし。さすがにぼくも、これを本格ミステリとは呼びかねますけどね。でも、それはそれとして十分楽しめましたから」
B「もちろん作者の技巧を賞味するためにも、伏線を見落とさぬよう注意深く読み進める必要はあるけれど、だからといって解こうなんて考えない方がいい。読んで驚け、そしてくらあい気持になれ、なのさ!」
 
●幻想ホラー外装バカミス骨格……芙路魅
G「積木さんの新作は“密室本”ですね。正直いってこの人に密室本を書かせるなんて、講談社も無茶するなーと思ったんですが……むちゃくちゃながらそれなりに密室ミステリになっていたのでけっこう驚きました」
B「まぁなあ。しかし、一読“なんじゃこりゃ”って感じの作品ではある。初めてこの作家に触れる人にとってはもちろん、この作家のものを読み続けている人にとっても“なんじゃこりゃ”なんではなかろーか。……ちなみに、ある意味ほめ言葉だよ、これは」
G「わっかりにく〜。まあいずれの方にとっても異色作、ってことでよろしいんじゃないでしょうか。密室本ということもあって薄手だし、読みやすいですよね。さて一応アラスジをば。……19年前に発生した連続幼児殺人事件。幼児たちの腹を切り裂き殺害した犯人は、そのまま姿を消したままでした。そして19年後、再び出現した殺人鬼は紆余曲折の末、警察が包囲する屋敷に追いつめられる。しかし……突入した警察が見たものは、惨たらしく殺された3人の幼児と屋敷の主の死体のみ。衆人環視の完璧な包囲網から、犯人はいかにして脱出したのか?」
B「冒頭いきなりこの密室殺人/犯人消失シーンから始まるもんだから、読者としてはおおッとか思うんだけど、その続きが語られるのはラストまでおあずけなんだよね。その間にサンドイッチされているのは、例によって例のごとき作者お得意のホラー的幻想的な物語という仕掛け。さらにこの不可能犯罪の謎に加えて、19年の歳月を隔てた2つの事件に共通して関わる『芙路魅』という少女の謎もあったりして。こっちはこっちで、19年の歳月を隔ててなおまったく同じ姿をしているという『芙路魅』の正体は? というもので、これはこれでまた不可能興味満点の謎ではあるんだけど、読み慣れている人にとってはどちらも丸分かりだろうなあ」
G「でも、ayaさんのお嫌いな幻想ホラー的ウダウダも、今回はボリュームが中篇レベルに抑えられている関係上ごく控えめだし、ストーリィ展開も思いのほか急ピッチでしたよね。そのぶんグロテスク描写や謎解きのトンデモぶりが異様に突出して見えるのですが、この人のものとしてはサクサクと読みやすい部類だと思います」
B「まあ、たしかにリーダビリティはある方かもしれないね。けど、まあ怪奇幻想部分と本格ミステリ的部分の解離っぷりは、いっそ笑っちゃうほど強烈で。面白いっちゃ面白いけど、やっぱり最初に口をついて出てくるのは“なんだこりゃ”なんだよな」
G「そのあたりは作者にとってはある程度狙い通りという気もしないではないのですが……甘いかなあ」
B「それはいったいどういう効果を狙ったものなんだか。私なんかにゃ理解できないけどね。基本的にスペシャル級の“トンデモな謎”を、大技トリックやアクロバティックなロジックを使わずに、アンフェアすれすれのホラーやファンタシィの手法で“幻想的っぽく処理”したような、しないような……というのがこの人の手法だと思うんだけどさ。今回はそれをお休みして、唐突にバカミス的トリックで落としてみましたという感じ。しかも強引な割にはトリック自体は陳腐で、意外性に乏しくてさー。だいたいこれってさあ、『ブラックジャック』じゃん! みたいな」
G「え〜と、不用意な発言は控えて下さいね。まあたしかに作品としてはアンバランスで収まりが悪いかもしれませんが、この落ち着きのない不安定さ・物語としての見通しの悪さが、念入りなグロテスク描写とあいまって一種奇妙な迫力を生み出している気が、ぼくはするんです。ついでにいえば、解決のつけ方もたしかに突拍子なく、強引極まりないんですが……このアンバランスな世界観の中に置いてみると、それはそれで悪くないというか。“ヘンな作品”としての壊れっぷりが、妙な具合に一貫してるような」
B「はッ! あたしにゃ所詮、悪趣味なだけのナンセンスストーリィにしか思えないけどね〜」
M「ん〜。幻想ホラー外装のバカミスとして読んでも、それなりに読めるかなって気はします。もちろん面白がれるかどうかは、人によりきっぱり分かれるでしょうけどね。好きな人は好きだと思いますよん」
 
●模範青年の答案……アイルランドの薔薇
G「光文社のカッパ・ノべルスの新叢書“Kappa-One”の第1弾4冊が刊行されました! “Kappa-One”の“One”は“Our New Entertainment”だそうで、そのココロは“新世紀のベストセラー作家の登竜門”ってことですね」
B「だからトーゼン新人賞風の原稿募集もしているわけだけど、第1回の4冊は同社で刊行している、文庫版の短編本格ミステリ投稿誌『本格推理』出身の4人が初の長篇に挑戦という趣向だね」
G「まあべつだん版元はジャンルを本格ミステリと限っているわけじゃありませんが、『本格推理』出身の4人が揃って本格ミステリを書いたことからして、メフィスト賞以上に本格ミステリ色が強い賞になりそうな気はしますよね」
B「どうだかね〜。いずれにせよ“叢書自体の実力”とかその“本格度”を測るのは募集原稿による作品が出てからということになるかもしれんね。……というわけで、とりあえずはご機嫌伺いという感もある第1弾の4冊だが、う〜む」
G「いずれも本格ミステリながら4冊それぞれ毛色が異なってて、ぼくは感心しましたよ。しかも全体としてクオリティは決して悪くないと思います」
B「まあなあ、たしかにとくべつ悪くはない。けど特に目を剥くようなピッカピカの才能というのもあまり感じないんだよね……ともあれ1冊目、行こう」
G「はいはい、えっと1冊目は石持浅海さんの『アイルランドの薔薇』と参りましょう。え〜と、アラスジです。同僚とともにアイルランドを旅していた製薬メーカーの科学者・フジは、道中突然の嵐に遭遇します。嵐を避け2人がたどりついたのは人里離れた小さな山荘。そこは各国の旅行者たちと共に、北アイルランドの武装テロ組織の要人もいました。ともあれ与えられた部屋に落ち着いた2人でしたが、一夜が明けた時、その要人が死体となって発見されます」
B「犯人は山荘の中にいる。しかし、長年続いたアイルランド扮装が収束に向かおうというこの時期に、一方の長であるテロ組織の要人殺害が表ざたになれば、せっかくの和平もぶち壊しになる。思い余った組織の2人は山荘の客たちに銃を突きつけ、犯人が明らかになるまで宿を離れることを禁じる。……こうして警察に知らせぬままはじまった独自の捜査。しかし、山荘には謎めいた殺し屋が暗躍し、2つめの死体まで出現する。犯人はその殺し屋なのか、それとも?」
G「クローズドサークル設定のパズラーなんですが、アイルランド紛争を背景とすることで設定に必然性を与え、物語にも社会派ミステリ風の奥行きを生みだしていますね。アイルランド紛争なんて、下手な書き方をすればかえって読みにくかったり退屈だったりしそうですが、その当たりの説明は要領良く整理されて分かりやすいですね。文章もしっかりしているし、効果的な設定だったと思います」
B「いや、あれはいくらなんでもコンパクトにまとめすぎだと思うけどね。まあ、だからといってあれ以上ごってり書かれても困るわけだが。なんせミステリとしてのネタは、それ以上に輪をかけてコンパクトだもんな」
G「そうですかね。たしかに鬼面人を驚かすトリックはないけど、あれはああいう物語なんだから当然でしょう。しっくり来るはずが無いですもん。でもですね。一方ではパズラーとしての仕掛けと解法は、そりゃもう必要十分の繊細さと意外性を備えているんじゃないですか? 特に現代社会を舞台にした“本格としての必然性”という問題に関しては、この作者はかなり考え抜いていますよね。いろんな意味でバランスが取れた作品だと思います」
B「そーいう健全なバランス感覚ってのは、往々にして本格ミステリとしての魅力を欠いた、痩せた作品を生みだしやすいわけでね。実際、この作品を読み終えても、私は本格ミステリ的な結構はほとんど印象に残らなかったわ。本格としてのネタを意図的にコンパクトにまとめ、小説の部品扱いしようとしている弊害っちゅうか……ともかく何もかもがちんまりコギレイにまとまったつまらなさが前面に出てくる。作者が本格を書くつもりだったとしたら、これはやっぱ計算違いというべきでしょ」
G「うーん、1つのエンタテイメント作品として見た場合、これは新人の処女作らしからぬ完成度の高さがあると思うな。破天荒を目指すばかりが能じゃないのでは?」
B「私が思うに、本格としての面白さは、あえて小説としてのバランスを崩す処から始まる気がするわけでさ……特に新人が、ちんまりコギレイにまとまった模範青年目指してどうすんのさ。少なくともあたしゃ、そんな優等生にゃこれっぽちも魅力なんて感じられないね!」
 
●甘すぎる見積り……双月城の惨劇
G「てなわけで“Kappa-One”、2冊目と参りましょう。こちらはカーの、しかもバンコランもののパスティーシュ(といっても名前は違いますけど)という凝趣向です」
B「凝ったんだかなんなんだかよくわからないけどね〜。カーの作品の中でもユーモア抜きの、マジな怪奇趣向の方向で行きたかったのかな?」
G「あ、なるほど。ともかく作中の設定としては、登場人物のセリフに実在の人物としてフェル博士(いうまでもなく、同じくカーの創作になる名探偵)への言及があったりしますから、これはやっぱしカー作品と地続きの作品世界ってことになりますね」
B「その割にはバンコランの名前が違うんだよね。ベルトランだっけ? 版権の問題を気にしたにしろ、もひとつ整合性が取れてない感じだな」
G「いやしかし。そもそも原典たるフェル博士ものやHMものは、バンコランものと“同じ世界”なのか、っていう問題もあるんじゃないですか? つまりそもそも……」
B「あーもう! んなことどーでもいいじゃん。とっとと始めよーぜ」
G「はいはい、えーと。舞台は第1次大戦後のドイツの古城“双月城”。城主である双子の美女姉妹が暮らしていたその城に、そこをロケ地に選んだ撮影隊が訪れます。実は撮影隊を率いる俳優はこの城に浅からぬ因縁をもつ人物。城が久しぶりの賑わいを取り戻す一方、様々な思惑が交錯し……ついにある晩、毒殺未遂事件が発生します!」
B「風雲急を告げる事態に、急遽パリの名探偵判事ベルトランを呼び寄せるべく急使が派遣される。しかしその到着を待たずに事件は起こった。密室状態の塔の部屋で首無し死体が発見されたのだ! ライバルたるドイツの名探偵を同道して到着したベルトランは早速捜査を開始するが、彼らを嘲笑うかのごとく次々と奇怪な密室殺人が発生するのであった!……しっかし、大時代な話だなー」
G「それは作者がそういう時代のそういうミステリの復活を目指してるからで、そのこと自体が悪いこととは別段思いませんが」
B「いやもちろんそうだよ。だけどさ、だからといって読者まで当時の、つまり昔の読者ってわけじゃないんだから。作者はもう少し現代の読者の舌の肥っぷりつうもんを、計算に入れておくべきじゃないか」
G「そうですか? ラインの古城に伝説、エキセントリックな登場人物たち。首斬死体に、竜虎相撃つ名探偵の推理合戦……古典的な本格ミステリのガジェットが豊富に用意され、なかなかの雰囲気だと思いますが」
B「作者はそういった舞台を整えただけで、事足れりとしちゃってる気が、私はするね。オカルティックな雰囲気の演出についても同じ。もっぱら記述者がひたすら怖がってみせるだけ、という安直な手法に頼り切りなんだ。一事が万事その調子だから、事件の派手な外観の割には全体として平板で作り物めいた印象ばかりが残る」
G「まあ確かに不器用な面があるのは否定できませんが、現代の作家がああした世界を描こうとすれば、多かれ少なかれ作り物めいてしまうのは仕方がないんじゃないかな」
B「そんなことはないだろう。まあ、一歩譲って仮にそうだとしても、本格としての骨格部分の作りについても、現代の本格ミステリとその読者に関する認識が浅すぎる気がするぞ。たとえば第一の事件だ」
G「ああ、あれはぼくにも見破れましたッ! (喜)」
B「だろ? つまりスジガネ入りのヘボ探偵であるキミにも丸分かりなんだよ、あれは。あの大時代な・びっくりするほど明快かつ分かりやすい機械トリックは」
G「ヘ、ヘボ探偵って……あんまりですう〜」
B「うるさい! 事実ヘボなんだから仕方あるまい! ともかくだなー、作者はあの丸分かりのトリックのオリジナリティによほどの自信があったのか、それとも複雑すぎて理解されにくいとでも思ったのか、謎解きの根幹となる手がかりを幾度となく描写で・登場人物の発言で・図面で・示すわけよ。くどいっちゅーねん! 分かりやすすぎやっちゅーねん! いくらなんでも読者の推理力・観察力を低く見積り過ぎだろが!」
G「んん、まあねぇ。たしかにいずれも伏線というより、これ見よがしな“あからさますぎる手がかり”ではあったかも。……それで読者に解けなければ、作者的にはスゴく気持イイんでしょうけどね。真相は目の前にぶら下がっていたのだ! なんつって」
B「いずれにせよさぁ、塔の首斬殺人のメイントリックはかなり早い段階からバレバレよね。これに限らず、この作品に出てくるトリックは大がかりな割に、実は非常に単純な原理に基づいた呆れるくらいシンプルなものばかり。こんなこといっちゃ失礼だけど、いわば思いつきをそのまま形にしただけで、ろくすぽ練り込みもせず何のひねりもなく使っちゃいました、みたいな感じよね」
G「まあ、たしかにむっちゃ分かりやすいんですが……派手だし手が込んでるし、それはそれで遊び心にあふれてて愉しいじゃないですか」
B「ていうかさ、幼稚な思いつきを不器用な手つきで無理矢理実行しようとしたものだから、結果的に大がかりにならざるを得なかったって感じ。たとえていえば、コメディタッチのSF映画に出てくる、スチャラカなマッドサイエンティストがこさえた“朝食製造装置”みたいよ」
G「あ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の冒頭シーンのあれですね」
B「そ、ジョークでやるならともかく作者はごっつ真剣かつ深刻なんだもん、読者は引くわなあ。どうもこの作者さん、微妙にツボを外したり、計算違いだったりが多すぎるのよね」
G「最初の事件における犯行動機とか、よく考えられてて面白かったと思うんですけど」
B「そいつも演出が不十分なんで、活かされきってない印象だな。せっかくの武器の使い方がわかってないつうか。この、ことごとくツボを外してしまう不器用さ・センスの悪さは、この本の推薦文を書いてらっしゃる二階堂さんの作風によく似ているわね。『ミステリー史上の大偉業』などと、例によって過剰な推薦の言を連発しているけど笑止千万ね! 失礼ながら、2人そろって現代本格ミステリとその読者の水準を、甘く見積もりすぎなんじゃない?」
G「うーん。まあ、マンガだと思えばハラも立たんでしょう。そう思えばそこそこ読めるわけですし」
B「あーッ、あーッ、あーッ」
G「え?」 
B「いくらなんでもそこまでいう?」
G「あ! そのあの」
B「ぬははははは! 掛かったなッ越後屋ッ、語るに落ちるじゃ!」
G「あなた誰なんですか、まったく〜」
 
●論理パズルだからこそ必要なもの……見えない精霊
G「“Kappa-One”4人衆の3冊目は林泰広さんの『見えない精霊』ですね。推薦文を書いてらっしゃるのは泡坂妻夫さん。4作品の中ではもっとも論議を呼んだというか、評価の別れた作品でしたね」
B「マニア筋の“本格読み”、特にパズラー好きはこれを評価する人が多く、“物語読み”傾向の強い方はどっちかというと否定的という印象だね。いわゆる本格……特にパズラー色の強いそれにおける、“小説とパズルの混合比”に関する読者のスタンスが問われる作品なんだろうね。ありていにいっちゃえば、小説としちゃまったくもって“箸にも棒にも掛からぬつまらなさ”だからなー」
G「そうですか? ぼくはあの作り物めいた幻想世界の雰囲気も嫌いじゃないですよ。まあ、小説としても面白いと強弁する気にはなれませんが……。というわけで内容です。舞台は北インド奥地の、外界から隔絶した呪術師の村。ここには“見えない精霊”を操り周辺の村々からも崇敬を集める大呪術師が暮らしています。大呪術師は他人に一切姿を見せず、その正体は一切不明。噂を聞いたカメラマンが幾人も村に侵入し、謎の大呪術師の撮影に挑戦しましたが、ことごとく失敗していました、この“不可能”に挑戦したのが、ウィザードと呼ばれる凄腕カメラマンでした」
B「ウィザードは奇策を用いてまんまと大呪術師の撮影に成功するが、直後、大呪術師は“カメラに魂を抜かれ”て死亡。ウィザード一行は村人に拘束され、自分たちの命を賭けて呪術師たちと奇妙な勝負を行なうハメになる」
G「ウィザードたちの乗り物である飛行船の中で、いよいよ始まった命がけのゲーム。呪術師が呼びだした“存在しないはずの”仮面の男・見えない精霊は、二重三重の厳重な密室をいとも容易くすり抜け、ウィザードたちの面前で次々と絶対不可能な殺人を繰り返していきます。……“見えない精霊”は本当にいるのか? ウィザードはその絶対的な不可能犯罪を解明できるのか? ……というわけで。読みどころは、不可能犯罪という奇跡によって精霊の存在を証明しようとする呪術師と、それがあくまで人間の技と論破しようとするウィザードのロジカルな舌戦にあります」
B「つまり連発される念入りな不可能犯罪をネタに、それが科学的・論理的に説明できるかできないか、その一点に絞って延々と戦わされる議論が最大の見せ場ってこと。しかもこの議論のポイントは“真相が何か”ではなく、その不可能が“論理的に説明がつけられるかどうか”にあるつー点なのよね」
G「なるほど。つまりこの作品での探偵役は、真実の解明、正義の実現などといった物語的な約束を、最初ッからいさぎよく切り捨てちゃってると解釈できるわけですね」
B「そうね。ミステリにおける最低限の建前さえ捨てて、ゲーム化というか、パズルの純度を高めることに全力を注いでいる。実際“そのため”の条件設定は、パズルとしてもかなり綿密よね。たとえば“けっして嘘をつかない5人の見届け人”や“一方通行にしか開閉しないドア(まるで『捩れ屋敷』!)”等々、小説としては極端に人工的かつきわめて不自然」
G「まあ、コンセプト的には高田崇史さんの『千葉千波クンシリーズ』と同じ方向ですが、あのシリーズみたいな無味乾燥さはないですよね。なんというのかな。同じパズルでも『精霊』のそれには、パズルとしての完成度はもちろん、一種の“物語を感じさせる複雑さ”みたいなものがある気がするんです。無理に小説としての充実を図らなくても、パズルそれ自体に奥行きがあって魅力的なんです」
B「もっとも作者は、幻想小説的な味付けでもってそのパズル臭さを消そうとしている気配もあるわね。ま、これはあまり成功してるとはいえないけど」
G「でも、むしろぼくはパズルに徹したが故のリアリティの無さ、作り物っぽさが、あの半端な幻想性にシンクロして、独特の雰囲気を生み出していた気がしますよ。あれはあれで好きだな」
B「ふーん。ま、それは好みの問題ね。私にゃ半端に下手な泡坂さんのモノマネに見えたけどね」
G「ま、そのあたりはどうもいいちゃどうでもいいんです。読みどころはやはり、作り込まれ練り込まれたパズルとロジックにあるので」
B「たしかにね。連発される不可能犯罪の謎解きと、それにかかわるロジカルな論証合戦は、バカみたいに緻密で面白かったけどさ……最大の不可能を演出しているメイントリックは、どうよ?」
G「う」
B「あれってさー、悪いけどやっぱ安直じゃん? すっげーバカみたいに簡単に見破れてしまうぞ! だから中盤あれだけ充実してたのに、読み終えてみるとすっごい食い足りない印象が残っちゃう。……どうもこのあたり、作者はバランスの計算を誤っている気がするね」
G「んー、まあいささかミエミエのメイントリックではありますが、これに関してはメインだけに丁寧に伏線が張られ、フェアプレイを守ろうとしていますからねぇ」
B「どうかなー。裏返せばさ、小説としての作りの薄っぺらさ・リアリティの不足が、その決定的な伏線ってやつを結果としてあからさまに浮き上がらせてしまっている気がするのよね。そもそも条件設定が無闇に綿密すぎて、論理的な解釈のスパンがむちゃくちゃ限定されちゃってるんだから。ここはもう1つどうにかしてほしかった」
G「でも、それはある意味仕方がないというか。あえてそれをやったことで、パズル自体がきわめてフェアかつエレガントなものになったともいえるわけで。解ける解けないという勝負を度外視した、パズルそれ自体の美しさをこそ愛でたいなあと、ぼくは思うなあ」
B「そのエレガントさゆえに読者にも容易に見破れ、食い足りない思
いが残ってしまうというのはどうよ。一編の本格ミステリとして考えたとき、それはやっぱりバランスに問題があるんじゃないか? いい? 机上の論理パズルに徹した潔さはともかくとして、だからこそ……論理パズルだからこそ、小説としての充実が必要だったのだと私は思う。『本格推理』なんかに載った旧作を見る限り、この作者はそれができる実力をもっているはずなんだからね……とりあえず次作には大いに期待しちゃうぞ!」
G「ん〜、むっちゃ一方的な期待だと思いますが……その期待を裏切ったら、さぞ怖いことになるんでしょうねぇ」
 
●コンビニ本格……密室の鍵貸します
G「“Kappa-One”4人衆最後の1冊は、東川篤哉さんの『密室の鍵貸します』。推薦者は有栖川有栖さんですね。こちらは特に作風が似通っているってわけでもない気がしますが」
B「まあ、細かく分ければ、この作品フーダニットパズラーに入るだろうからね。パズラーといえば有栖川さん、と。……って、本当にそうなのか?」
G「まあ……ね。総体的に見ればそういう位置づけになるでしょ……って、とりあえず有栖川さんのことはどうでもいいでしょ。主題は東川作品なんですから」
B「しっかしこのダサいタイトル、どうにかならんかな〜。名画タイトルのパロディにしたって、なんか半世紀くらい古いセンスというか。風俗小説も書く古手のミステリ作家が、大衆小説誌用の短編に“洒落たつもりで”付けそうな題名だよ」
G「そ、そういう瑣末な部分は後にしてですね、とりあえず内容から行きましょうよ、内容。えーと。最近恋人に振られた映画ファンの大学生・戸村を見かねて、彼の先輩が自宅での小宴会&ビデオ観賞に誘います。しかし、男2人の気楽な宴会の最中、くだんの先輩は鍵のかかった浴室で頓死。慌てて部屋を飛びだした戸村でしたが、やがて同じ晩に自分を振った恋人が殺害されていたことを知ります!」
B「動機を持つ戸村だけに、恋人殺しで疑われるのは必至。しかしアリバイを証明してくれるはずの先輩は、すでに目の前で死体になっている。いやそれどころか、状況的にはどうみても自分が連続殺人犯だ! どうする戸村! 辛くも警察の手を逃れた主人公は、知りあいの私立探偵に協力を仰ぐ……」
G「ストーリィだけ追っていくと、これはもう典型的な“巻き込まれ型サスペンス”のような感じなんですが、実は丁寧に作られたフーダニットパズラーです。ユーモアミステリというほどではありませんが、味付けはユーモアですね。ギャグとしての破壊力はあまりないのですが、本格としてのスマートな骨格と調和して、それなりに完成度は高いと思います」
B「どうかなー、たしかにスッキリ仕上がっちゃいるが、今どきのミステリとしては食い足りないね。発生する事件は2つだけだし登場人物も少ないから、事件の構図は簡単に見通せちゃう。スマートな骨格といえば聞こえはいいけどさ、個々の事件のトリックもごくごくシンプルで、しかも律義な伏線の張り方をしているから“問題”としてはびっくりするほど簡単で驚きが無いのよね。まるで短編を引き伸ばしたつうか、薄めたみたいな感じでさ。その“薄め液”が気の抜けたユーモアときては……失礼ながら、どうもあんまり売れそうもないぞ」
G「んー、本格としての仕掛はたしかにシンプルなんですが、なかなか気が利いているって思いません? ぼくはそのあたりにもセンスを感じたんですけど」
B「手抜きとは言わないけどさ、あっさりしたスケッチのノリよね。長篇として読ませるには歯応えが足りないし、センスだけで読ませるには逆に長すぎる。いわばひじょーに分かりやすい設計図を引いて、それをそのまま形にしたという感じ。ネタの小ささはともかく、その使い方に曲が無いので何から何まで見晴らしが良すぎちゃうのよ。サラサラっと抵抗感なく読めるのが取り柄といえば取り柄だけど、それだけね」
G「どっしりした読み応えこそありませんが、さらっと読める口当たりってのもそれはそれでいいんじゃないかなあ。フーダニットとしても、探偵より先に謎が解けちゃっても、ぼくはべつだん不満は残らなかったですよ。犯人の動機などはちょっとしたサプライズでしたし……全編にちりばめられたユーモアが巧い方向に働いて、軽いコメディミステリとしてきれいな仕上がりですよ。ライトノベル式のアプローチとはまた違った、本格へのアプローチともいるのでは?」
B「どうかな〜、動機とかはけっこう苦し紛れっぽいけどなぁ。ともかく薄味の長篇を読むくらいなら、引き締まった短編の方が私は好みだな。やっぱり名探偵より先の解けてしまうフーダニットなんて、悪いがマンガだけで十分だね!」
G「難しいところですが……読者にも解けてしまう、つまりパズラーとして分かりやすい本格というのもありなんじゃないかな。とりあえずそう思わされちゃうくらい読後感はよかったです。驚かされるばかりが本格じゃないでしょ。その意味では、これから本格ミステリ読もうという方にはいいのかもしれませんよ。謎を解く快感を、いつでも手軽に気軽に簡単に味わうことができますから」
B「あのなあ、本格ミステリはコンビニじゃないッつーの!」
 
●てんこ盛りの奇観……奇蹟審問官アーサー
G「『神の手の不可能殺人』なーんて、ゾクゾクするような副題が付いた柄刀さんの新作は、ぼくの大好きな傑作本格『サタンの僧院』からの変種の株分け、だそうで。要するにキリスト教を背景にした、スペシャル級の不可能犯罪・不可能現象を、宗教者が宗教者ゆえにロジックと科学で謎解きする……という趣向ですね」
B「舞台は現代に取られているわけだけど、なんせ主人公がバチカンから派遣された奇蹟審問調査官、アーサー・クレメンス。奇蹟審問官というのは、まあ聞いたことはあると思うけど、要は奇蹟と称する現象が本当に神の恩寵の証である奇蹟なのか、あるいはペテンか自然現象の類いなのかを判定する仕事なんだな。なんでもローマカトリックにおいて聖者として認められるためには、その生涯に2つ以上の奇蹟が顕現されたと認められなければならないんだそうで。要するに聖者認定のための判定材料を検証する仕事ってわけだな」
G「これはじつに巧い設定ですよね。神に仕える聖職者でありながら、論理的思考を訓練し、豊富な科学知識と事例を身につけている。そして奇蹟と称される不可能現象をハンティングし、その超自然的な現象を現実の地平に引きずり下ろして論理的に解釈しようとする。つまり、一種の職業的名探偵ともいえるんですが、彼はあくまで聖職者。なのに奇蹟に対して何処までも懐疑的なわけで……この一種矛盾したスタンスはじつに面白いですよねー」
B「しかし、作中の描写もそうだが、表紙絵とかみるとまるで『吸血鬼ハンター“D”』みたいだよなー。奇蹟審問官ってホンマにあんなカッコしているのか?」
G「ってayaさん、菊池さんなんて読むんですか! ……いや、まあ、んなことはどうでもいいんですが。バチカンだし聖職者だし、あれくらいのカッコしててもいい! ってわけじゃないか……ま、そんなことより、この作品の読みどころは、よぉもこれだけ! っていいたくなるくらいてんこ盛りの不可能犯罪怪現象のオンパレードと、それを片っ端から解き明かしていく名探偵の胸のすくような活躍です!」
B「……なのか? ま、いいや、内容にいこうかね。アーサーが訪れたのはアルゼンチン。アンデス山脈の足下に広がるメンドーサという田舎町だった。この地の教会で信じがたい奇瑞が発生し、それがこの教会に祀られる福者の起した奇蹟なのかどうかを調査するための訪問であった。ところが調査がいくらも進まぬうち、その奇瑞に関わりのあった“十二使徒”と呼ばれる町の敬虔なクリスチャンたちが、次々と殺され始めたのだ!」
G「その十二使徒殺しは、なんとどれもこれも強烈な不可能犯罪! まさに“神の手の不可能殺人”といいたくなるような不可能事の連発で……たとえば1人目は警官たちの面前で“見えない何者か”に襲われて身体を切り裂かれ、2人目はこれまた衆人環視の空中で、ハンググライダーに乗ったまま“至近距離から”撃たれちゃいます。3人目は完全な密室の中での撲殺ですし、4人目は名探偵の面前で再び見えない手によって扼殺されるという具合で……なんちゅうかもう、とても人間の手になる犯罪とは思えないわけです」
B「まあ、ともかくそれらの本筋の殺人以外でも死体は消失するわ自動車は消えるわで大変な騒ぎ。さながら不可能犯罪大図鑑といった風情だね。あまりにもトンデモな現象が連発するので、個々の印象が薄くなってしまうくらいだよなー。とりあえずこのゴージャスな謎と、たっぷり盛り込みまくったトリックだけでも、滅多に見られない奇観という感じはある」
G「ですよねー。んもーこういうとんでもない謎が、とにもかくにも論理的に合理的に解明されていくだけで、おもわずスキップしたくなっちゃうほど嬉しいですよね。一部のトリックには、柄刀さんお得意の科学ネタや世界ふしぎ発見風のローカル奇蹟ネタも使ってらっしゃるのですが……そういう“事実”をぐいぐい不可能犯罪に演出していくその方向性が、もーたまりません! まさに、読め! そして驚け! ですね」
B「もっともそれだけに、どれもこれも一歩間違えればたバカミスそのものの、偶然多用系のアイディアばかり、といえばその通りなんだよな」
G「でもね、宗教的な背景を持ってくることで、そっち方向へのイメージの偏りを払拭しているでしょう。そのあたり不器用ながらも巧い戦略だと、ぼくは思いますよ」
B「だけどなあ、見た目の派手さに目を奪われがちだが、落ち着いて読むと、やはりおよそ見せ方は巧いとはいえないじゃん? 文章の下手さ加減、構成の不器用さもあって、突拍子もない不可能犯罪がなぜかちんまり見えてしまったり。あるいはとんでもなく分かりにくかったりで……アイディアが十分に活かされきってないんだよな」
G「まあ、そのあたりはいっつも言われている弱点であるわけですが……」
B「どーもこの作家さんは、描写の勘所っつーもんがわかってない感じがするのよね。名探偵の解明の方も、聖職者というキャラクタのせいかハッタリやユーモアが欠けてて。そのせいかイマイチ切れ味が悪く、どんくさいし。全体に爽快感に欠けるんだ」
G「んー、でもカッコイイじゃないですかあ。この設定とトリックだけで、ぼく的には全然OKですよ!」
B「あほか、全然反論になってないぞ! ついでにいえば、小説としてみた場合もやっぱ弱点だらけだよな。アーサーの敵役としてのグノーシス派の扱いはどう見たって中途半端だし、そもそも冒頭の奇蹟調査から連続殺人、そして火山の爆発といった複数のドラマがちっとも巧く絡み合わないから、読み終えるとえらくバラバラした散漫な印象ばかりが残る。結果、長篇なのにまるでまとまりの悪い短編連作を読んだみたいな印象でさ」
G「そ、それはたしかにそうですが」
B「そんなこんなで、総体としてのサプライズの衝撃が著しく削がれちゃってるってわけで……アイディア倒れなんだよなあ。この人にはほんと小説が巧くなってほしいよ」
G「そういいますけどね、奇蹟審問官という名探偵キャラクタは、不可能犯罪専門の名探偵としてごっつ応用範囲が広いでしょ。世界中何処へでも奇蹟調査に行っちゃうわけですから、田舎町に籠りっきりのサム先生なんかよりずーっと使い勝手がいいはずで。こいつはぜひシリーズ化して欲しいなあって、ぼくなんかは思うんですよ」
B「だとしたら、むしろ短編がいいんじゃないかな。……ていうか、この作家さんって、失礼ながらそもそも長篇の物語を維持する構成力はないんじゃないか、っていう気さえしてきてるんだけどね!」
 
●再読必至の超絶技巧……サロメの夢は血の夢
G「続きましては『サロメの夢は血の夢』。平石貴樹さんの約5年ぶりの新作、しかも長篇です」
B「寡作な方だけど、なんつうかマニア方面の人気は高いよね。『笑ってジグソー、殺してパズル』とか『だれもがポーを愛していた』とか『スラム・ダンク・マーダーその他』とか、いずれも年間ベスト級という評者も少なくない。実際クオリティも高かったわけだけどさ」
G「そのわりには、この作品はあまり言及されてないような気がします」
B「うーん、野心作ではあるけど、その野心が全面的に成功しているとは言い難いからなあ」
G「そんなことはないですよ。ぼくとしては2002年の本格でいっちばん“読み終えてすぐに再読したくなり、実際に再読してさらに面白かった本”です!」
B「ま、それはわからんではないが……ま、アラスジ行こうかね」
G「はいはい。えーと、物語はいきなりの首斬殺人で幕を開けます。会社社長の自宅で、その邸の主である社長自身の生首が発見されたのです! ところが奇妙なことに発見されたのはその生首だけで胴体は消え、さらになぜかビアズレーの絵が飾られていました」
B「というのはサロメの絵。ヨカナーンの首を皿に載せてもつ有名な作品ね。すわ見立て殺人? と色めき立つ捜査陣。その予想を裏書するかのように、第2の死体が出現する」
G「死んでいたのは社長の娘である女流画家でした。軽井沢の小川で発見されたその水死体の様子は、やはり残されていたミレーの絵そのまま……しかしその絵のモチーフが“自殺した”オフィリアだったことから、捜査官たちは娘が社長/父親殺しの犯人で、犯行の後に自殺したのではないかという疑いを持ちます」
B「父親殺しプラス自殺事件なのか、それとも連続見立て殺人なのか? 単純だがつかみ所の無い謎に翻弄され、迷走する警察。そして登場する名探偵、車椅子の弁護士・山崎千鶴!……てなところかな。この弁護士探偵は以前も脇役で登場してたんだけど、今回はいささか危なっかしいながらも名探偵として主役を張ってるね。そのかわりシリーズ探偵の更科嬢は、今回は顔見せ程度の友情出演のみ」
G「ま、その意味ではニッキー・ファンの方には物足りないかもしれませんが、これはまあこの作品の中核をなす“野心的な趣向”を活かすためのやむをえない措置というべきで。……というのは、これって“内的独白”でもって1編の本格ミステリを描ききった、なんとも驚異的な作品なのです!」
B「つまり全編が“登場人物たちの内的独白とセリフ”のコラージュによって構成されている、と」
G「そういうことですね。ともかく何がスゴイって、その独白&セリフ群の中に、名探偵はもちろん“犯人のそれ”まできちんと含めているという点がスゴイ。もちろん一般小説やミステリでも短編などで時折見られる手法ですが、本格ミステリの長篇で、しかも“きちんと結構の整ったフーダニットパズラー形式”でここまでそれを完璧に実現した例って、おそらく初めてでしょう」
B「まぁ、たしかにここまで徹底してやったケースってのは前代未聞かもしれないね。ちなみに、シリーズ探偵が起用されなかった理由だけど。天才型のニッキ・更科はたちどころに謎を解いてしまうから、その心理を描いたらフーダニットになんかなりゃしない。ここはどうしても、七転八倒する危なっかしい迷(?)探偵が必要だったというわけだね」
G「まー、そうでなくとも名探偵のナマナマしい内的独白なんて、あまり読みたくないですけどね。ともかく! この手法が“単なる実験”に終わらないで、ちゃんと“本格ミステリの仕掛として機能している”点は本当にすごいと思います。非常にストレートに・フェアに・あからさまに、犯人を含めた登場人物の内面を描きながら、それでいてフーダニットとして成立させる、という。……これがいかに困難な技巧か、本格読みさんならお分かりのはずです」
B「ふむ。読了後すぐに再読したくなるというのは、たしかにその通りだね。少なくとも、“犯人が独白しているはず”のパートは読返さずにはいられない。まさかそんなことが“可能とはとても思えない”からなあ」
G「ですよね。ところが再読してみると、作者は実はあからさまなまでに“犯行の経緯を犯人自身の口から語らせている”んですよ。 にもかかわらず、作者の卓越した技巧に引っかけられて全く気付かなかったんですから……これはもう脱帽するしかありません」
B「まぁな。読み手がスットコドッコイという点を割り引いても、たいした技巧であることは認めよう。その意味では、再読時の方がさらにすこぶる面白いパズラーといえるだろうね。ただし」
G「ただし?」
B「小説としてはかなり読みにくいと、そういわざるをえないなぁ。なんせそういうスタイルだから、人物関係の説明や時系列の整理、位置関係の解説なんかも一切無い。さらにいえば、キャラクタの描き分けなど、小説としてはけっして巧いとはいえないから、読者はしばしば物語の流れを見失っちゃうよね。ラストに行き着くまでもなく、それこそ何度も読返して確認するハメになる。再読して楽しい小説である前に、再読を強いる小説であるかもしれないぞ」
G「けど、それもこれも結果として全編が、本格ミステリとしての仕掛に愚直なまでに奉仕していればこそ、なんじゃないでしょうか?」
B「裏返せばその仕掛け以外、本格ミステリとしてさほど見るべきところはないような気もするんだな。犯人のトリックはごくごく小粒で、なあんだというようなものだし、パズラーとしての謎解きロジックも切れ味がいいとはいえない。……もともとごっつ地味な話だしねぇ、本格読みさん以外には非常に勧めにくいタイプの作品だよ」
G「ん〜、それもこれもひっくるめて、“本格だからこそ”の面白さが凝縮されていると思うんですけどね。本格読みさんは読んでおくべしと、とりあえず断言しちゃいます!」
 
●早くも末期症状……氷の女王は死んだ
G「では、ソーヤーの新作とまいりましょう。『老人たちの生活と推理』に続く、新世代コージーミステリの第2弾ですね」
B「なんだよ、新世代コージーミステリって? たしかにコージーではあるんだろうけど、いったいぜんたいどこいらへんが新世代なのよ」
G「え? まあその……老人ホームを舞台に、やたら元気な老嬢たちが探偵役を務める、というあたりでしょうか」
B「まんまじゃん!」
G「まあまあ。ともあれ、そのあたりの背景情報を先にご紹介しましょう。この “カムデン・シリーズ”というのは、美しい海辺の高級老人ホーム『海の上のカムデン』を舞台とする軽本格ミステリシリーズ。第1作の『老人たちの生活と推理』では、無鉄砲なほど勇敢でとことん身勝手なのに可愛らしい“老嬢探偵団”が、ホームで起こった殺人事件に挑戦し、抱腹絶倒の大活躍。本格ミステリ的にも軽いながらも丁寧な伏線が張られ、コージーとしてたいへん充実した作品だと、個人的には評価しています」
B「たしかにキミの好きそうな作品だったよね。なんちゅうか、笑わせ泣かせて……ま、お話としてはたしかに良くできていた」
G「ええ、大好きな作品ですんで、今回はお待ちかねの第2作ということになります」
B「キミには悪いけど、有り体にいってしまえば2作目にしてすでにいささかマンネリ、という感じだったよな。笑いも泣かせも謎解きも、すべてが少しずつ第1作よりパワーダウンしている」
G「うーん。1作目がとても上等だっただけに、第2作では多少そういう印象が残ったのは否定できないですね。でもま、いつも全く変わらないマンネリの安心感というのも、コージーの楽しみの1つかもしれませんし。この2作目はいわばシリーズとしての路線を固める作品だったと思います」
B「まるで政治家の国会答弁みたいだな〜」
G「何いってんですか、内容に行きますよ。えーと。ある日“海の上のカムデン”に、また新しい入居者がやってきました。興味津々で見守る一同の前を次々と豪勢な家具が運ばれ、室内装飾家がレイアウトを指示しています。どうやら新入りはかなりの財産家のようです。ところがその新入り・エイミーは、室内装飾家のレイアウトが気に入らずお金も払わず叩きだし、見守る老人たちを見向きもせずに部屋に閉じこもってしまいます。誰に対しても冷たく権高な態度でたちまち嫌われ者となった彼女に、“氷の女王”というあだ名が付けられます」
B「その嫌われ者のエイミーが、ある早朝、体操に使われる棍棒で撲殺されるという事件が起こる。……早速、前作でもお馴染のイカしたお兄さん・サンディエゴ郡警察のマーティネス警部補が捜査を開始するが、嫌われ者だった被害者だけに容疑者には事欠かかず、真相は薮の中。当初は警部補のキツいお達しで詮索を謹んでいた老嬢コンビだったが、徐々に虫が騒ぎだす。都合のいい時だけ惚けたり耳が遠くなったりするという作戦で、いよいよ大騒ぎの探偵ごっこを開始する!」
G「相変わらず“老人であること”を最大限活用する手管に長けた、可愛らしくもしたたかな老嬢コンビのエネルギッシュな探偵活動ぶりが笑いを誘います。ピントが合っているような外れているよう捜査&推理はじつに楽しく読めますよね」
B「まあ、結局のところミステリ的には事件の方から勝手に底が割れていくよう感じで、トリックも仕掛けもなんも無し。伏線はそれでも一応張ってあるけれど、ごくおざなりなもの。ミステリとしての工夫はナーンもないといっていいね」
G「でも、それでも楽しく読ませてしまうのは、何より作者がキャラを立てる名人であり、さらに会話が巧いからでしょうね。特に老嬢たちのやりとりはワンパターンと思いつつも、ついつい笑ってしまいます」
B「しかし、総体的に見ると、ミステリとしては前述の通りだし、プロットにも工夫が無い。キャラクタだけで読ませるってのはねぇ……まるで作者が情熱を失い、シリーズ末期症状に陥った作品みたいだよ。まだたったの第2作目なんだから、もう少しどうにかならんものかって感じだな」
G「老人ホームという舞台に老嬢コンビがシリーズ探偵という設定なんですから、基本的なパターンはあまりいじりようがない気もしますが……」
B「しかし、このままこのパターンで続けたら“海の上のカムデン”は世界一殺人発生率の高い老人ホームになるぞ。べつに彼女らが旅行に行ったり街に出たり、孫達の家に出かけたりして事件に遭遇したっていいと思うんだけどね。この作者さんはお歳は召してるけど新人だよね。いきなり“シリーズものであることだけに寄りかかった”ような作品ってのは、納得がいかないぞ!」
 
●“永遠”に触れる……レスレクティオ
G「これは3月に出た本ですが、ちょっと好きなので、あえて。えー第1回小松左京賞を受賞した同じ作者の『エリ・エリ』という長篇の続編です」
B「きみはこーいう古臭いというか、オーソドックスというか、“あの頃”っぽいSFがほんと好きやなあ。この作品も本格宇宙SFの王道を行くって感じで。日本SFの伝統的なテーマともいえる“神探し”に真正面から挑んだ意気や壮! ではあるけれども、残念ながら手が全然追いついてない感じなんだよなー。私的にはおおいに食い足りなかったんだけどなー」
G「ま、いいじゃないですか。好きなんですよ、こーゆーの。てなわけで、前作『エリ・エリ』では宗教が絶滅の危機にさらされた未来世界を舞台に、時空を超えた壮大な“神探しの旅”が描かれたわけですが、この作品はその直接の続編。前作のラストで宇宙探査機に接続された“脳だけの存在”となり、無限の彼方へと神探しの旅に出発した主人公・榊のその後が描かれます。前作で解決されないままだった神の痕跡を巡る無数の謎も、バシバシ解決されていきますね」
B「だな。いわば“神探し宇宙編”にして“解決篇”ってところだね」
G「さて、探査機もろともブラックホールに飛び込んだ主人公。数千年の時を超え、ついに“別の宇宙”に到達します。いずことも知れぬその宇宙の果てで彼が出会ったのは、究極の知性体ともいうべきイキッスィア。高度な科学力で自らをデータユニットに換え、永遠の時を生きる彼らは、しかし神ではなく、主人公はその力を借りて再び神探しの旅に出発します」
B「一方、これと並行して語られるのが主人公の後を追う2人の地球人の数奇な運命の物語。1人はイキッスィアに闘いを挑む種族の戦闘員に改造され、もう1人はこの宇宙の神の秘密が隠されるという宙域に封じこめられる。……そうして生き変わり死に変わり、3人はそれぞれ無数の人生を生きつつ数万年に及ぶ時を旅する。気が遠くなるほど果てしないその旅路の果てに、ついに彼らが邂逅した時、彼らが見たものは?」
G「無数の銀河が集結する巨大な銀河列柱、イキッスィア膨張宇宙に収縮宇宙、そして果てしない流れの果ての終末と創世。……いやあもうゾクゾクしちゃうなー、まさにSFですねー」
B「ま、ね。前作ではまだしも舞台は地球および太陽系内に残された“神の痕跡”を巡る旅だったし、ストーリィには国家間の陰謀なんぞも絡んでそれなりに生臭かったんだけれども、今回はもう完全に昔ながらの宇宙小説という感じ」
G「今回舞台は数万年数万光年という途方もないオーダーにわたる時空だし、その手のSFガジェットもドカンドカンと登場しちゃいますからね。なんちゅうかもう眩暈がしてくるほど稀有壮大で……これこそSFでしか味わえないヨロコビですね」
B「そのあたりのノリは、かの光瀬龍の宇宙年代記ものを思わせるんだけど、でも比べちゃうとどうしても物足りないのよね。光瀬作品ほどの嫋嫋たる滅びへの思いや、虚無の深遠を覗き込むような“あのイメージ”の喚起力に欠けるんだよね。これはやはり文章力なのかなあ。光瀬さんの文章ってさりげなく、しかも途方もなく、“永遠”ということを感じさせるじゃん。“一行で永遠ということを描く”ようなそんな力がね、この作品には足りない。ほんと、もうあとほんの一歩って感じなんだけど」
G「まあ、光瀬さんの傑作群に較べちゃうとたしかに見劣りしますけど、それでも前作に較べたら長足の進歩を遂げていると思いますよ」
B「かもしれんが、未だ道遠しという感じでもあるわけよ。ま、なんたって“宇宙を描く”のはたいへんなことだよな」
G「ともかく! ここまで真正面から挑んだ“神もの”ってホント久しぶりだし、たとえいささか手が追いついていないにせよ、“とてつもなくデッカイ世界をデッカイ視点で描いたもの”って問答無用でイイんですよ。ぼくなんかそういう“絵”に触れるだけで、なんかこう自分の認識の地平がいきなりドドンと広がる気がしちゃって。そう思えば、あのラスト2行のメッセージだって感動的でしょ?」
B「ふ〜ん。いわゆる1つのセンス・オブ・ワンダーってやつ? なんか安上がりすぎって気もするけどなぁ……ま、いいや。キミの中の“少年”にカンパイっつーことで」
 
#2002年4月某日/某スタバにて
 
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