battle80(2002年6月第4週)
 
[取り上げた本]
01 ゴッホ殺人事件 高橋克彦            講談社
02 狐闇 北森 鴻            講談社
03 笑殺魔 黒田研二            講談社
04 袋綴じ事件 石崎幸二            講談社
05 殺意は幽霊館から 柄刀 一            祥伝社
06 試験に敗けない密室 高田崇史            講談社
07 法月綸太郎の功績 法月綸太郎           講談社
08 黄色の間 メアリ・ロバーツ・ラインハート 早川書房
09 降霊会の怪事件 ピーター・ラヴゼイ       早川書房
10 歩兵型戦闘車両ダブルオー 坂本康宏            徳間書店
Goo=BLACK Boo=RED
 
●大衆小説の王道……ゴッホ殺人事件
 
G「高橋克彦さんの本を取り上げるのは、GooBooとしてはもしかして初めてですかね? 例の赤本『本格ミステリ・クロニクル300』にも選ばれた『ゴッホ殺人事件』です」
B「この方はもはや乱歩賞作家なんて肩書きは不要の大家さんだわね。元々は浮世絵などの美術の世界を舞台にした、歴史推理っぽい本格ミステリが持ち味だった方だけど、現在では伝奇SF、ホラーまで幅広い分野でご活躍ね」
G「ていうか、最近はどちらかというと伝奇SF方面での展開の方が目立っている感じですよね。そんな高橋さんが久方ぶりに名探偵・塔馬双太郎を起用した大作でもって、本格ミステリに帰ってこられました」
B「いや……まあねえ。たしかにゴッホの死の謎にまつわる緻密な謎解きは堂々たる歴史推理だし、後半炸裂するどんでん返しは本格ミステリ的なプロットワーク技巧を駆使したものだけど、これをしてきっぱり本格ミステリと呼んでしまうのはいかがなものか。実際、フーダニットとしてみた場合パズラー趣向はほとんどないし……むしろ前述の歴史推理趣向やナチの遺産に絡んだ陰謀小説趣向、歴史奇譚要素まで盛り込んだたいへんゴージャスなサスペンス大作というべきなんではなかろうか」
G「でも、ayaさんがおっしゃるようにゴッホの死にまつわる謎解きはすごく面白かったし。本格ミステリとしても楽しめる作品であることは、間違いないと思いますよ。じゃあアラスジを紹介しましょう。ええっと、まず先に申し上げて起きますが、この物語の背景には二次大戦末期にナチスが占領したヨーロッパ各国から強奪し行方しれずとなった、膨大な美術品の行方という大きな謎があるんですね。物語の前半は、そのナチの遺産の行方を追うモサドの諜報部員と、別ルートからこの謎に関わることになったパリ在住の絵画修復師・加納由梨子の2つの視点から語られていきます」
B「1人暮らししていた母親が突然自殺し、久しぶりに帰国したヒロイン・由梨子。彼女は母親の遺品から外国語で書かれたメモを発見し、それが未発見のゴッホの作品リストであることを知る。ゴッホ研究家の美術館員マーゴにそれを見せ、2人はその謎めいたリストの調査を開始する。徐々に解明されていく事実……そこからマーゴは、自殺とされていたゴッホの死に関し新しい仮説を立てる。それはゴッホの死が“ある人物”による殺人であったという大胆な仮説だった」
G「一方、ナチの強奪美術品の行方とその正体を追っていたモサドは、その行方にヒロインの自殺した母が関係していたのではないかと考え、ヒロインに接触して強奪美術品が総額500億円を超えるゴッホの未発表絵画であることを察知。ヒロインとモサドは協力してその謎を追い始めます。やがてマーゴはゴッホ殺人説の論文を発表し一躍時の人となりますが、それもつかの間。マーゴは爆殺され、モサド部員の1人も事故に見せかけて殺され、さらにヒロインの身辺にも不審な影が出没。そんなヒロインの身を危ぶんだ由梨子の兄は、友人の浮世絵研究家・塔馬双太郎に事件の解決を依頼します」
B「そして、ついに姿を現した問題の未発表ゴッホ作品。ヒロイン、塔馬、そしてモサドは、そのゴッホを追って日本へ向かう。日本を舞台に、謎めいた暗殺集団とゴッホ作品をもつ画商グループ、そして塔馬、モサドの三つ巴の戦いが始まった!」
G「というわけで、前半の舞台はヨーロッパ。ゴッホの足跡をたどるトラベルミステリ風の楽しみもたっぷり盛り込まれていますし、様々な資料を緻密に検討し丹念に分析・推理を積み重ねながら、その記述の矛盾から“ゴッホ殺人説”という大胆な仮説を導き出していく過程はまさに圧巻。美術品絡みの歴史推理という手法は作者の独壇場というべき分野ですが、ややもすれば専門知識のない素人からすると、そこで展開される推理自体の面白さがなかなか理解しにくかったりする。つまり、読者側の知識や思い入れの不足から“なるほど”で終わってしまい、その推理の凄さが分からないんですね。……でも、今回はそんな不満は全然無かったです。終始スリリングで意外性も十分な謎解きでした」
B「そうだね。なにしろゴッホというビッグネームが対象であり、しかも殺人の犯人として指名されるのも非常に有名な人物だったからね。美術の世界に暗い読者でも、“意外な犯人”のサプライズがたっぷり味わえる。推理自体も非常に緻密かつ妥当なもので納得度も高いんだな」
G「こうした推理検証が、しかもサスペンスたっぷりの謀略サスペンス的なプロットの上で語られていくので、歴史推理ながらたいへんアクティヴかつリーダビリティも豊富。まさに大衆小説の骨法を心得た作者の手腕が十二分に発揮されています。なんつうかさすがっていうか、キャリアはだてじゃない、みたいな」
B「一方、後半になると前述の通り舞台は日本に移り、ゴッホ未発表作品をさばこうとする謎のグループとその正体を探ろうとする主人公たちとの一騎打ちの様相を呈するわけで、お話的には一見サスペンス色がぐいぐい強くなっていくわけだが……」
G「さすがに百戦錬磨のプロって感じで、作者はここでもひねりにひねった展開でもって、この大作を単なるサスペンスストーリィでは終わらせません。詳しくは申せませんが、ともかく一筋縄ではいかない周到な仕掛けを張りまくり、ラストではドカンと大きな花火を打ち上げてくれます。……このどんでん返しがまた強烈なんですよね〜。まったく肝を抜かれちゃいました」
B「いや、それは少々大げさすぎるね。“周到な仕掛け”はそりゃまあ確かにその通りなんだけど、いってしまえば“この手”は作者の常套手段。しかも実に丁寧に手がかりをばらまき、伏線を配置しているもんだから、わりと見え見えっちゃあ見え見えでね。読者が本格読みであるなら、そのどんでん返しの仕掛けを見抜くのはさほど難しいことじゃないと思うよ」
G「いやあ、でも前半読んでいる間はまったく気がつかなかったけどなあ」
B「それはキミがひと一倍ニブイから!」
G「ううッ、やっぱそうなんですかねえ。でも、だったらニブイ方が幸せかも。だって素直にびっくりできちゃいますからね!」
B「……何をかいわんや、だな。ま、いいけどね。んで作品のほうに戻ると、この作品は上下2巻の大作ではあるものの、物語は全般的に会話中心で進められるからとても読みやすく、なんでもかんでも気持ちいいくらいぐんぐん読める。でもその反面、全体にいささか雑駁で軽く、食い足りない印象も残っちゃうのよ。なんちゅうか、とびきり派手な展開がしこたま用意されている割には、サスペンス自体は意外なほど平板な印象。大衆小説の職人が熟練の技で作り上げたアベレージってところなんだろうなあ」
G「いや、それはあんまりですよ。前半のゴッホの謎解き、中盤のサスペンス、そしてラストの大どんでん返しと、大作ながら実に隅々まで計算し尽くされているじゃないですか。これがアベレージなら作者の水準はすごく高い。本格ミステリ要素を備えた、大変上等な大衆小説の王道って感じですよ!」
 
●中途半端に広げた風呂敷……狐闇
 
G「北森さんの『狐闇』は、ごぞんじ“旗師・冬狐堂”シリーズの最新長篇ですね。このシリーズは長短編双方が書かれていますが、店舗を持たない一匹狼の骨董業者(=旗師)である宇佐見陶子が、骨董にまつわる事件や謎に挑むというスタイルは共通するものの、長篇ではより骨董にまつわる伝奇推理色や骨董界内部での暗闘を描くサスペンス色が若干強めになっている印象がありますね」
B「特に今回は、『蓮丈那智フィールドノート』シリーズのヒロインである異端の民族学者・蓮丈那智(『凶笑面』ほか)や雅蘭堂の越名集治(『親不孝通りディティクティブ』ほか)など、同じ作者の別シリーズの主人公……主に歴史・骨董関係だけどね……も登場するという大サービスで。物語もいつになくスケールの大きな、ほとんど伝奇SFに近いホラ話だね」
G「もちろん以前から伝奇推理色・歴史推理色は強かったし、今さら驚くほどではないんですが、ともかく一段と伝奇ミステリ方向へ踏み込んだ感じで。北森さんとしては異色の作品かもしれませんね。では、まずストーリィのご紹介から」
B「とある骨董市で、陶子が競り落とした2面の青銅鏡……それは陶子にとって特に珍しくもない品だった。しかし帰宅した陶子が荷を解くと、いつの間にか青銅鏡の1つが“三角縁神獣鏡”と呼ばれる伝説的な名品にすり替えられていた。不審を感じつつも“三角縁神獣鏡”の妖しい美しさに魅せられていく陶子。だが、ある日そんな彼女のもとを怪しげな男たちが訪れる。“その鏡は盗品だ”“私たちが相応の金額で買い戻したい”。いよいよ不審を感じつつも後難を怖れ、仕方なく“神獣鏡”を渡した陶子だったが……それが陶子の旗師としての転落の始まりだった!」
G「やがて“神獣鏡”に関わる者が次々と不審死し、ついには陶子自身も卑劣な罠に落とされる。……いったいあの鏡は何なのか。なぜあの男たちは、鏡に関わる者たちを“始末”していくのか。罠に落ちて旗師としての一切を失った陶子は、鏡にまつわる謎解きに挑むことを決意。そして孤立無援の彼女の戦いに、異端の民族学者・蓮丈那智と骨董屋・雅蘭堂の越名集治が協力の名乗りを上げます。やがてはるか数千年の時を超え、陶子たちの前に出現したのは、歴史の影に隠された恐るべき真実でした! ……というわけで。物語前半はお得意の骨董ネタに見せて、歴史推理的要素や伝奇推理的要素もたっぷり盛り込みながら加速度的にお話を拡大。後半に至ってはもうなんとも気宇壮大な時代伝奇SF風味にまで風呂敷がおっ広がる。この途方もない展開にはホントびっくりしました〜」
B「今までも伝奇ミステリっぽいお話は書いてらっしゃったわけだから、まあ全くの不意打ちって分けじゃないんだけどね。それにしたって驚くのはたしかで。なんせノリ的スケール的には、ほとんど半村良の『伝説』シリーズって感じのぶっ飛びぶりだからねえ」
G「そうですね。冬狐堂というヒロイン自体が、どちらかといえば地味で暗めのイメージを持ったキャラクタですから……まさかスーパー伝奇のヒロインをやるとは思いませんでした」
B「ただ、個人的には、ここまでやるんだったらいっそSFに片足突っ込んでも良かったんじゃないか、という気がしないではないな」
G「ううん、そうですか? やはりギリギリのところでミステリに踏みとどまったという感じで、ぼくとしては好感を持ちましたが」
B「そうなのよね、どうも作者はミステリとしてのリアリティをぎりぎりのところで維持せずにはおれなかった、って感じはあるんだけど……ストーリィの流れからすれば、SFにしちゃった方がずっとすっきりしたはず。ここまで大きな風呂敷を用意しておきながら、そのミステリに残した軸足が“足を引っ張って”、終盤はあきらかに尻ツボミよね。なんちゅうか、風呂敷を広げきらないうちに畳みはじめてしまったというか」
G「う〜ん」
B「ともかく物語の中核にある、例の“壮大な陰謀”とか実にスケールの大きな奇想なのに、“ミステリであるが故に”いまひとつ広がりきらないのよね。そのせいで全体に筆が萎縮した感じで、特に終盤は妙に奥歯に物の挟まったような語りになってしまってる。さらにいえば、そのせいで今度は核心にある陰謀のリアリティまで損なわれて……終いには全てがたんなる絵空事に思えてくるという悪循環」
G「まあねえ、たしかに大山鳴動鼠一匹って感じはありますが、あれは当然まだまだ続くお話でしょうからね。この1冊だけで決めつけてしまうのは早計かもしれませんよ」
B「まぁね。ラストの様子では“真の敵”はまだ姿を表してないようだし、シリーズはまだ続くみたいよね。当然、今後に期待! でいいんだけどさ……何しろ蓮丈那智や越名集治も、顔見せだけでなくちゃんと活躍する“オールスターキャストの大作”なんだから、もっとドドンとボリューム増やしていいわよね。そう、いっそ超能力者でも怪物でも宇宙人でもドンドコ出して、思いきり風呂敷を広げた方が、物語としても膨らみが出て面白くなるんじゃないかなー」
G「まあ、そうなると『冬狐堂』シリーズとしては、えらく頓狂な印象になっちゃいそうな……むろんぼくも北森さんによる半村良ばりの伝奇SF、読んでみたいですけどね!」
 
●向かない戦略……笑殺魔

G「今年は黒田さんの新シリーズがどんどこ始まりますよね〜。『笑殺魔』もその1冊で、『〈ハーフリース保育園〉推理日誌』という新シリーズの1発目になります」
B「保育園を舞台にした軽本格、というよりサスペンスコメディのシリーズ、であるらしい。内容の練り込みにあんまり手をかけず勢いで読ませるというスタンスは、(私が思うところの)最近のこの作者さんの基本方針どおり。だとすれば、とりあえずどう見ても“幼稚園にしか見えない保育園”というのも、まあアリなんだろうね」
G「……どことなくイヤミっぽいその言い回し、どうになりませんかね〜。ともかく内容のご紹介と参りましょう。サクサクとね。えー、主人公にして語り手は、教育関連商品を販売する弱小企業の営業マン・次郎丸諒。保育園などの教育施設をルートセールスして回っている彼の悩みのタネは、同じ地区を担当するライバル会社の営業マン・夏目でした。その日次郎丸クンが向かったハーフリース保育園も、じつはその夏目の独占取引状態。何とかその状況を打開しろと、上司の厳しい命令を受けての訪問だったのです。何はともあれ挨拶をと園長を訪れた次郎丸君、ちょうどその時園長室に“子供が職員にケガさせられた”と母親が怒鳴り込み、コトのはずみで次郎丸は負傷してしまいます」
B「幸いケガはたいしたものではなかったが、次郎丸は事件の背後にある奇妙な“事情”、保母の雪村先生を巡る奇妙な偶然のことを耳にする。雪村先生が笑顔を見せると、見せた相手はなぜか必ず不幸な目に遭うというのだ。そのため雪村先生は、保母なのに笑顔を浮かべることもできなくなっていた。頭をひねりながら自宅へ帰った次郎丸……ところが今度はアパートが火事に遭い、仕方なく『ハーフリース』に戻ると今度は園児が誘拐され、その両親と間違えられた次郎丸と雪村先生が身代金を要求されてしまったのだ!」
G「保育園という身近な世界にマンガチックな登場人物を配した構図は、いつもの講談社ノベルスでの黒田作品に比べると親しみやすく読みやすく、してまた奇想天外かつコミカルなエピソードを、歯切れよくつないでいくストーリィもまじつに軽快。ほどよいサスペンスコメディとしてアベレージなのではないでしょうか」
B「“ほどよい”というより、この場合は物足りない・食い足りないというべきでね。被害者視点の誘拐譚に関わる仕掛けは、いかにも机の上で手軽にでっち上げましたって感じの、(この作家さんとしては)杜撰かつ安直なものだわね」
G「ううん、まあミステリ的な仕掛けの部分はごくあっさりしていますけどね……読み手のスピード感を損なわない程度のジャストバランスともいえるのでは」
B「それはどうかなー。ミステリとしての仕掛けをストーリィに組み込むにあたっては、施すべき調整、ディティール処理つうもんがあると思うんだが、個人的には今回の作品ではこれが充分ではないと思えたのよね。だからなんちゅうか、仕掛けが浮いちゃって浮いちゃって……いかにも“シリーズ用に”こしらえた舞台に、仕掛けを無造作に放り込みましたという印象でさ〜」
G「ミステリとしての仕掛けとシリーズ作品としての演出が、チグハグってことですか?」
B「だね。そのチグハグ感が先に立っちゃって、ラストの真相もサプライズの感興がごく薄くなっちゃってるのよ。この点に限らず、この作品についてはこういったディティール部分の作り込みの甘さがとても目立つのよね。たとえばシリーズキャラを除いた登場人物たちはどいつもこいつもミョーに影が薄くてね。物語としての必要からそれぞれに担わされた役割の重さとの齟齬がえらく大きいんだ。平たくいえば個々のキャラクタに役割に相応しいリアリティがないから、物語に説得力が生まれない。結果、これまた結末が素直に腑に落ちてくれないわけ」
G「正直いって、キャラメイキングもそうですが、描写全般に関してはこれまでより特に落ちるという気はしませんけどね」
B「もちろんそれはその通りだと思う。小説としての作り込みの甘さはこれまでも変わらなかったと思うよ。だけどさ、これまでのようにミステリとしての仕掛けに大きな力を注いだ作品だったら、ミステリ的な仕掛けの複雑さやそれを操る技巧の冴えに圧倒されて気にならなかったのよ。いわば“ミステリとして読ませ所を作ることで小説としての弱点をカバー”してたわけ。ところが今回はシリーズものとしての必要性から、いつものそのミステリ技巧を押さえた関係上、作者のストーリィテラーとしての弱点があからさまになってしまったカタチなのね。まあいつになくたっぷり盛り込んでいるギャグでごまかそうとしているのかもしれないけど、これもやっぱりいっこうに弾けないしリズムも悪い」
G「ん〜、ええとこなしじゃないですか〜。繰り返しっぽくなっちゃいますけど、ぼくは軽エンタテイメントとしては充分アベレージだと思いますけどねえ。ayaさんのそれって、やっぱマニアの身勝手な願望ってやつなんじゃ……」
B「だといいけどね! 申し訳ないけど、私はあくまで(そんなもん意識してらっしゃるのかどうかしらないけどね)この“シリーズ多発によるベストセラー作家化戦略”には反対だ。“向いてないぞ”と、ダンダンコとして主張したいね!」
G「ていうか、それは“やってほしくないぞ”、ということでしょうに」

 
●へなちょこの皮をかぶった二枚腰……袋綴じ事件

G「石崎さんの密室本、行きましょう。『袋綴じ事件』は、ごぞんじマンザイ女子高生コンビ『ミリア&ユリ』シリーズの新作です。事件もストーリィも無視してひたすらボケまくる天然マンザイ女子高生コンビ“ミリア&ユリ”、そしてそんな2人にひたすらイビられオモチャにされる、ミステリマニアの悲哀を一身に集めた“石崎さん”のシリーズ第4作ですね」
B「時として作品世界の基盤さえ平気で揺るがすギャグにマニア向け専門の楽屋落ち……それもどっちかっていえば垢抜けないヤツの連発で、そのスジではもっぱら揶揄の対象となっている感のあるこの“ミリユリシリーズ”だけど、どうしてなかなか作者は二枚腰よね〜。シリーズの弱点や密室本企画そのものを逆手にとってしたたかに新作を出してくる」
G「いや、じつはぼくこのシリーズって、けっこう好きなんです。新作がいつも楽しみというか。……たしかに本格としてもユーモアものとしてもヘタレてるし垢抜けないんですが、そのヘタレかたが妙にシンクロするというか。ayaさんがおっしゃるように、作者は以外としたたたかですし、なんだかんだいいつつ本格ミステリとしても最低限押さえるべきはきっちり押さえている。“笑い”を狙った本格は最近けっこうたくさんありますけども、個人的には霞さんや東川さんよりもずっと好みですね。まあ、非常に個人的なツボってだけのことなのかもしれませんが」
B「まあ、そういう作家さんを目っけられるのは、それだけで幸せなことかもしれんね。じゃ、内容と行こう」
G「いちおうシリーズ設定も簡単に紹介しておきますかね。前述の通り、これは破壊的なギャグ職人である女子高生コンビ・ミリア&ユリを主人公とするシリーズ。ミステリに興味も関心もないこの2人が、ただ単に遊ぶため・ギャグのネタのために作ったサークルがミステリィ研究会で、“いじると面白いギャグのネタとして”勝手に任命された安サラリーマン・石崎が顧問。名探偵にも謎解きにも全く興味の無いミリユリですが、しばしば面白半分に奇妙な事件に巻き込まれ、2人にオモチャにされながら石崎が事件の謎を解いていく……というのが基本的な構造です」
B「無論、今回の新作も、事件の発端はクラスメートからの“孤島への招待状”から始まる。くだんのクラスメートは別居している父親との約束で、年に1度、彼が暮らす孤島(?)での会食に行かなければならず、ミリユリたちはそれに誘われたのだ。むろん一も二もなく参加を決めた ミリユリ。嫌がる石崎を無理矢理連れ出して、いざ島へ」
G「んもーこいつら毎回毎回孤島ばっか行ってるぅ! というツッコミはファンのお約束ですけど、そういう突込みにすかさずギャグで応える反射神経が、この作家の身上。“実際の活動内容に合わせて”ミリユリはいち早くミステリィ研究会を“孤島研究会”に改称していたりします。……それはともかく、かくてクラスメートの父親が暮らす“島”に渡った3人。しかし彼らの到来を待っていたかのように台風が島を襲い交通は途絶。お誂え向きの舞台が整ったところで奇怪な事件が発生します!」
B「それは紛れもない密室犯罪だった……。幾重にも厳重に施錠された密室状態の部屋で主人が殴打され、意識不明となったのだ。被害者は命こそとりとめたものの部屋は荒らされ、明らかに何者かが侵入した様子。ところが事件とは全く関係なく、焼きそばパンを賭けたスチャラカ対決を繰り広げるミリユリ! 彼女たちのイジメに耐えながら必死の推理を続ける石崎! そしてこの“史上最も情けない名探偵”石崎が名指した犯人とは!?……つーわけで。どう、今回はこれまでよりギャグは若干控えめだったんじゃない?」
G「ん〜、そうかも。しかしですね、それでもやっぱりミリユリの止めどない悪ふざけはちょっと他では見られない奇観ですよねー。ファンにとってはこの微妙に温くてマニアックな応酬が、なんとも心地よい定番といいましょうか(笑)。特に今回は“学食の焼きそばパン”を賭けた、ミリユリの“名探偵を巡る対決”は最高でした。しかも、私見ですがそんな見かけのユルさの割に、本格ミステリとして意外なくらいかっちりした作りなのがこのシリーズの特徴で」
B「そ、そうか? そうなのか?」
G「そうです! 今回はですね、密室本というボリューム的な縛りがあったせいか、派手なトリックやプロット上の仕掛なんてものはありませんでしたが……」
B「っていうかさ、そんなもんいつもありゃしねーじゃん!」
G「ですが、丁寧に張られた伏線とそれを活かした謎解き……すなわち“犯人限定の論理”は、小粒ですがまことにしっかりした印象で」
B「いや、謎解きとしては異様に易しすぎるだろ! あれじゃなんぼユーモアミステリとはいえ、食い足りないにもほどがあるってもんよ」
G「たしかに謎解きとしての難易度としてはごく低めではありますが、使われる仕掛や手がかりも基本に則ってきちんと配置されていますしね。読者は“挑戦状付きのパズラー”として読むことも、じゅうぶん可能だと思います。難易度はどうあれ、今どきの本格ミステリとしては、これってけっこうポイント高いと見なしてよいのではないでしょうか!」
B「あのなあ、単に基本を押さえればいいというものじゃないだろう。ともかくどう見たってあれは短編ネタだし……いや、それより何よりわたしゃミリユリの極寒ギャグが堪え難いわけで」
G「……まあそういった個人的な好みは置くとして」
B「だから勝手に“置く”なよ!」
G「密室本の袋綴じ企画に引っかけたネタも、いかにもこの作家さんらしい洒落っ気にあふれてて楽しいですよね。そりゃもちろん、飛び抜けて大きなサプライズや爽快感を味わえる類いの本格ではありませんが……ギャグと本格とがバランス良く配合され、安心した読み心地を保証してくれるわけで。こうした安定したアベレージヒッターぶりは、この“本格百鬼夜行”の時代にあってはじつに貴重なものだ、とぼくは思いますよ!」
B「だからなんなんなんだよ、その“本格百鬼夜行”ってさ……」

 
●トリックの活かし方……殺意は幽霊館から
 
G「400円文庫から出ました『殺意は幽霊館から』は、ごぞんじ柄刀さんの『天才・龍之介がゆく!』シリーズの中編です。エピソード的には『十字架クロスワードの殺人』よりも後のお話ということになるようですね」
B「そうだね。『十字架』には“龍之介が小笠原の島を出てから2ヵ月後”という意の記述があるけど、この『幽霊館』では“遺産を受け取る目処がついた半年後”となっているし、そう思えるわけだけどね。まあ、んなこたどうでもいいんじゃない? さくっと内容紹介をしておこうよ」
G「了解です。え〜と、波乱万丈の冒険行の果てに、ようやく祖父の遺産を手にした主人公・龍之介君。その苦労を癒す“慰労会”がわりに、遺産探しの旅に付き合ってくれた語り手の光章とそのガールフレンドの一美を招待し、温泉ヘ骨休めに出かけることにしました。静かな海辺の旅館でのんびり温泉を堪能した3人は、地元で“幽霊館”と呼ばれる廃ビルの噂を聞き、夜の散歩ついでに出かけることにします。たどりついたその場所は、たしかにひと気もなく薄気味悪いけれど、なんということもない廃ビルです……ところが次の瞬間、3人は信じられないものを目撃します」
B「それはビルの外、薄青い光に浮かび上がった人間の姿。空中にふわりと浮かんだその人影は、明滅する光に照らされながら宙高く飛び上がり、3階の窓のあたりで消えたのだ。幽霊? いや、まさか。だれかの悪戯と確信してくだんのビルに飛び込んだ3人だったが、ビルの中にはロープもケーブルもない。さらに3階の窓辺に、再び青く透き通った人影が出現した。駆け寄るまもなく人影は窓から飛び降りそのまま消失し、地面にも屋上にも何の痕跡も残っていない。……あれはいったいなんだったか? 翌日、1人の女性が死体となって発見された。現場はくだんの幽霊館で、しかも犯行時刻は、3人が“幽霊”を目撃した時刻だったという。ではあれは被害者の亡霊か、それとも“幽霊犯人”か。思いがけず容疑者にされた龍之介たちの謎解きが始まる!」
G「というわけで。発生する殺人は1つだけですが、そこで提示されるのはシリーズ屈指の奇想天外な謎といえるでしょうね。不可能犯罪・超常現象を初歩的な科学知識をベースに合理的に解明するというのが、このシリーズの基本パターンなんですが、今回はその超常現象が特に派手で。しかもその派手な現象を引き起こしたトリックの仕掛けがなかなか鮮やかで……膝連打の仕上がりでしたね」
B「トリックとしては島田氏の某名作のバリエーションというべきものかな。原理としてはきわめて基本的というか、明快というか、初歩的というか、そういうものなんだけどね。今回は柄刀さんの応用の仕方というか、“使い方”が巧かったかも」
G「ぼくはトリック単独として見ても悪くないと思いますが、もちろんayaさんがおっしゃるとおり、“使い方”もスマートでしたね。“飛行する幽霊”という“超常現象”とそれを引き起こした“トリック”、そしてその“原理”が連動しているのは、まあ当然ですが、この作品にあってはさらにその原理を引き起こしたある“経緯”が、そのまま“手がかり”となって事件の真犯人を暴き出していく……作者的には中篇というボリュームに合わせたシェイプアップだったと思うんですが、結果として本格ミステリとして非常に見通しのいい明快な“設計図”が引かれることになったのだと思います」
B「そんなことはまあ“本格としての基本”なんだから、できて当然と、私は思うけどね」
G「でも、実際にはなかなかこうきれいには決まりませんよ。なんちゅうか本格ミステリとして一連の骨格が、1つのトリックを核にきれいに連鎖し連動しているんですね。だからアイディアとしてはシンプルなのに強く印象に残るし、謎解きもまた鮮やかに決まるわけで。……失礼ながらこの作家さんの作品ではめったに無いことですが、思わず“巧い!”と唸ってしまいました。ボリューム的には中編程度なんですが、とても満足度の高い1冊です。奇想満載トリックてんこもりの長編もいいですが、本格ミステリとしての切れ味は断然こっちの方がいい」
B「まあ短編ネタといってしまえばそれまでなんだが、前述のように使い方が巧いから活きている。それに中篇のボリュームならいつものプロットや構成面の弱点が出る間もなかったし(笑)。400円文庫は意外と柄刀さんに向いた“メディア”なのかも」
G「400円文庫って手軽に買ったり読んだりできますが、実際にはわりとがっかりさせられることも多い。そこへ行くとこの作品はボリュームと内容のバランスがぴったり取れていて。いわば400円文庫のジャストバランスといえるでしょう」
B「どうでもいいが、まさかこの作家さんの作品で“バランスが良い”なんて言葉を聞こうとはなぁ」
G「あのね〜!」
 
●パズルはパズルとして……試験に敗けない密室

G「好調続く高田崇史さんの『千葉千波の事件日記』シリーズの新刊が出ましたね。『試験に敗けない密室』はなんとシリーズ初の長篇です」
B「といっても、密室本なみに極薄なんだけどね……。内容だっていつも通りのあのパターン。つまり、ほとんど小説であることを放棄したかのような、いわばパズルを語るための器としての小説でしかない。短編ならまだしも、長篇でこれをやることのメリットというのが私にはさっぱり分からんなあ」
G「んーまあ、本来はこちらが密室本として企画されていたそうですから(結果的には『QED 式の密室』が密室本として出された)、密室本としてのボリューム的な制限ちゅうものもあったかもしれませんね。ただ、やっぱ短編スタイルで書かれている従来のこのシリーズとは、若干ノリが違うと思いますよ。いつもほどパズルだけッて感じではない、っていうか一般的なミステリ要素もふだんよりぐっと多い」
B「ふん。その割にいちだんと薄口に、淡く、印象薄く感じるのは、なぜなんだろうね〜。やっぱ善し悪しに関わりなく、このシリーズは私のなかで“パズルな小説モドキ”というイメージが、定着しちゃってるんだろうな。ま、どうでもいいことだけどさ」
G「パ、パズルな小説モドキって……あんまりな言い方ですよ〜」
B「なんで? だってその通りじゃん。いいからとっとと内容を紹介する!」
G「へいへい。え〜相変わらず緊迫感の欠片もない平均的へなちょこ浪人生・ぴいくんは、夏休みのシーズンを迎え、いつもの仲間たち(硬派浪人の慎之助とスラリサラリパラリ系天才高校生の千葉千波君)と共に避暑に出かけます。めざしたのは千波君の別荘だったはずなのに、しょうもない勘違いから山奥の寒村・十三塚にたどり着きます。幸い旅館はあったものの、突然の大雨に交通も電話も途絶し、いきなり嵐の孤島状態に。しかもなぜか村には奇怪な伝説に彩られた名所の数々があり、退屈しのぎに出かけた3人は、そこで思いもかけぬ奇禍に遭遇。“善人だけが出られる”という面妖な言い伝えをもつ“神裁きの土牢”に慎之介が”に閉じこめられてしまったのです!」
B「救いを求めて旅館に駆け戻ったぴいくんと千波君、しかし旅館では密室状態の一室に旅館の女将ががんじがらめに縛られ、さらに部屋の鍵は取り出し不能な広口壜に収められ、“存在しない”はずの美女が部屋から消失する。次々巻き起こる怪事件怪現象の連打を、解き明かすカギはどこにあるのか!」
G「当初密室本として企画された作品だけにボリュームはごく控え目ですが、絵に描いたような“本格ミステリ的舞台”に“不可能興味満点の謎の数々”と“いかにも”な趣向が満載の作品ですね。まあ、謎へのアプローチも解法も例によってきわめてパズル的で、本格ミステリ臭は期待したほど濃くはないんですけどね。豪快なラストの謎解きも含め、重たくなりかねないネタをサラリと読ませる独特の高田タッチがよく活かされた作品です」
B「ま、その軽さというのは、例によって小説であることを切り捨てたトコロから生まれる軽さであってね。やはり長篇になっても“パズルな小説モドキ”というコンセプトに変わりはなかったということなんだろう。キミがいうように、あれだけゴージャスに取りそろえられた本格ミステリ的設定やガジェットが、そのくせ作品世界の雰囲気やリアリティをまったく盛り上げないのは驚くほどで。要はこれもまたパズルのために便宜的に選ばれた意匠にすぎないということ」
G「ううん、まあそうかもしれませんけど、それはそれで作品のコンセプトにフィットしていると思うんですよね。コンセプト自体への好き嫌いはともかくとして、手法としてはアリでしょう」
B「まあね。作者にはきっと1つの小説世界を作り上げようなんて意識は欠片もないんだろうから……だからいくらそれらしく描かれても、“伝説の村”は張りぼてのセットみたいだし、恐れおののく村人は三文役者にしか見えず、スリルもサスペンスもサプライズも生まれないわけだ。このあたりのとってつけたような“人工性”というか“作り物っぽさ”は、霧舎さんの『開かずの扉研究会』シリーズなんかにも共通すノリだと思うけど、あちらがおそらくは単純に“技術的な問題”でそうなっているのに対し、高田さんはあくまで確信犯なのよね」
G「つまり、狙ってやっている?」
B「いや、狙っているというより興味が無いんだと思う。パズルの謎はパズルの謎だから答えられるべきだし、パズルの答えはパズルの答えだから正しい……なんてね、たぶん作者はそう考えているんじゃなかろうか。だから謎にも解法にも、物語的な説得力や必然性を演出する必要を感じてないんだよ、きっと。そして、だからこそ本格ミステリ的意匠についても“とってつけた”感がありありと出てしまうんじゃないのかね。……小説にする気が無いのなら、最初っからパズル集として出せばいいじゃんってさ、つい思っちゃうね」
G「しかし、小説としての一切が本格としての謎解きに奉仕する、というのはayaさんの本格ミステリ観の1つだったじゃないですか? そういう高田さんの手法は、ある意味その“小説としての一切が本格としての謎解きに奉仕する
”っていうことに近いのでは?」
B「違う! それは断じて違うぞ。この作品の本格ミステリ的設定は、小説として出版されるために便宜的に設えられたモノだ。だからそいつを取り除いて、純粋な論理パズル問題にしてしまっても、おそらくは作品としてのクオリティは変わりゃしない。だが、本当の、小説でもある本格ミステリなら、本格ミステリ的設定なりキャラクタなりガジェットなり物語なりを除いてしまったら、それはもはや全く別物になってしまう。謎・謎解きロジック・トリックと物語の要素とが有機的に連携し、“謎解き”という1つの目的に向かう不即不離のパーツとして一体化している。それが本格ミステリなんだよ。……だからね」
G「だから?」
B「どーでもいいけど、小説もどきのパズルと一緒にするなってーのッ!」

 
●これが本格短編だ……法月綸太郎の功績

G「では法月さんの新作、『法月綸太郎の功績』と参りましょう。といっても雑誌やアンソロジーに掲載された“綸太郎シリーズ”ですけどね。ちょうど収録作である『都市伝説パズル』が日本推理作家協会賞の短編部門を受賞したので、最高のタイミングでの出版となりましたね」
B「このシリーズも、『冒険』『新冒険』ときてこれで3作目か。今回の『功績』が飛び抜けていいというわけではない、というかみんないいんだよね、このシリーズは。特に前作はたいへん素晴らしかったし……受賞はシリーズ全体への評価と考えるべきだろうな」
G「ぼく自身は収録作は全て雑誌・アンソロジー掲載時に読んでいましたが、今回再読してもやっぱり面白いし素晴らしい。こと本格ミステリ短編としてはもっともベーシックかつ、質の高いシリーズだといえるでしょう。データ提供&捨て推理提供役のパパ法月、プラス半ば安楽椅探偵に近い息子法月の親子探偵という構図も、ささいな矛盾や謎を足がかりに仮説・検証を繰り返して、ついに意外な真相を導き出すいう本格の基本通りの構造も、シリーズ当初から変わりはありません。それでいて基本となる事件ネタの新鮮さとロジックの切口のバリエーションだけで、つねに飛び抜けた面白さを提供してくれる。パズラーのお手本とはまさにこのことですね」
B「個人的には、前作『新冒険』の方が若干クオリティが高かった気がするけどね。まあいいや、内容を」
G「まずは『=Yの悲劇』。これはアンソロジー『「Y」の悲劇』のために書かれた作品で。クイーンの里程標的名作『Yの悲劇』へのオマージュでもある作品です。夫の浮気を突き止めた妻。夫の出張中を見計らって浮気相手のマンションへ乗り込みます。ところが彼女が帰宅してみると、留守を任せていた妹が殺されていました。そして現場には『=Y』と読めるダイイングメッセージが……。ダイイングメッセージものだけに、その解釈を巡り次々仮説が否定されていくのは基本通り。ですがこういう流れがぼくは好きなんですよね〜。最後の正解もさすがに気が利いています」
B「まあ、そもそもダイイングメッセージが残されたこと自体が不自然というのは、これも“お約束”なのでいわないでおくけど、これは事件の構図がシンプルなので、ダイイングメッセージにこだわらなければ、真相はわりと簡単に見破れる。前作から引き続いて、少々どんでん返しがパターン化している気がするね。もっともダイイングメッセージの解釈に関して2次元的な仮説を続けておいて、いきなり3次元正解でもってサプライズを取るテクニックは鮮やかだなー」
G「続きましては『中国蝸牛の謎』。これは雑誌『メフィスト』で前後編の2回分載で掲載された作品ですね。人気ミステリ作家が久しぶりに筆を執る本格ミステリ新作の予告に、ときめきを隠せない綸太郎。くだんの新作では“カタツムリの渦巻き”がポイントなのだという……ところがその作家が“全てがあべこべにされた密室”から消失! してしまいます。“全てがあべこべ”の密室、すなわちクイーンの『チャイナ・オレンジの秘密』からの引用ですね」
B「2回分載だったからけっこうワクワクして完結編を読んだんだけど、イザ読むとちょっと、いやかなり尻すぼみという肩透かしというか……。前段の大仰な衒学趣味がほとんど活かされないし、あべこべという派手な現象面が逆に足を引っ張った感じで、作者の計算違いがありあり。ひょっとして何にも考えずに、取りあえず前編だけハデに盛り上げたんじゃないかあ? とか思ったぞ」
G「とはいえ、アベレージはクリアしていると思いますけどね。次も『メフィスト』掲載の作品ですね。日本推理作家協会賞受賞作品であるところの『都市伝説パズル』です。タイトル通り都市伝説がモチーフの作品で、ぼくはこれ大好きなんですよね〜。やっぱこの作品集の中ではベストでしょ」
B「きみは都市伝説が好きだからなー。あのでかい2巻本も持ってたよね」
G「ああ『チョーキングドーベルマン』と『消えるヒッチハイカー』(ジャン・ハロルド・ブルンヴァン 新宿書房)ですね。アメリカを中心とした各地の都市伝説が山ほど載ってて面白いですよ〜。貸したげましょうか?」
B「ん〜ま〜今度ね。ともかく話を続けて」
G「おっと。えっと。んで、この作品で登場する都市伝説は、自室で眠りこけていた娘が電気をつけてみると“電気をつけなくて幸いしたな”という血文字が壁に掛かれているというもの。これをなぞったような事件が起こるわけで。……友人宅で開かれた宴会の直後、忘れ物を取りに友人宅に戻った娘。部屋の主が眠っていると思い、彼女は明りをつけずに忘れ物を回収します。ところが翌朝、部屋からは惨殺死体と共に壁に書かれた“電気をつけなくて幸いしたな”の血文字が!」
B「鮮やかといえば鮮やかなんだが……これもセオリー通りの引っ繰り返し方が透けて見えちゃって、少々食い足りないんだよな。都市伝説で目先を変えてはいるが、ミステリとしての基本的な構造はパターン化しマンネリ化しちゃってる感じだね」
G「というか、これは定番としての美しさを愛でるべきシリーズだと思うんですよ。たしかに“謎解き問題”として見た場合、ファンやマニアさんにはいささか難易度が低く思えるかもしれませんが、幅広い層へ本格ミステリとはこういうもんだと伝えるには、これくらいがベストバランスでしょ。マニアは定型に添って語られる、ロジックのディティールや演出の妙を味わいたいな、と」
B「ふん。次は『ABCD包囲網』か、これはアンソロジー『「ABC」殺人事件』のために書かれた作品ね。いうまでもなくクリスティの『ABC殺人事件』へのオマージュ。すでに容疑者は割れ逮捕を待つばかりの捜査本部を訪れた1人の男。男は告げる、“私が犯人です“。騒然となる捜査本部。しかしあわてて調べてみても、そいつはやっぱり無関係。ありがちな迷惑男かと放りだすと、また別の事件で自首してくる。虚言癖があるわけでも、神経を病んでいるわけでもない男の狙いはいったい何んなのか? 正直、無理無理な話……だけど、このどんでん返しにはちょっぴり驚いたかも」
G「っていうかかなり驚くでしょ。ミステリとしてはありそうな話ですし、定型通りといえばこれも定型通りなのですが、このプロットワークの巧さは短編巧者の法月さんならではのものでしょう。ついでに『ABC殺人事件』へのオマージュという点でも、気の利いた見事な作品ですよね」
B「でもやっぱ無理無理な話だと思うねー。だって不自然じゃん。私はやっぱりラストのこの『縊心伝心』がベストだな。えー、不倫相手の娘から自殺をほのめかす電話がかかってきた。駆けつけるとすでに時遅く、娘は死体に点ところが縊死に見えたその死は、じつは後頭部の打撲傷によるものだった。なぜ、どうして?」
G「不可能犯罪めいた死因の謎も魅力的ですが、“カーペットの向き”などというささいな矛盾からロジックを組み上げる手際は、まさにクイーン譲りの緻密さ・鮮やかさですね」
B「ロジックそのものがドラマチックというか、綸太郎が謎解きを1ステップ進めるたびにわくわくしちゃうんだよな〜。緻密でありつつ、しかも大胆な飛躍があって……まさに悪魔のように細心かつ天使のように大胆!本格ミステリならではの謎解きロジックの魅力つうもんを、余すところ無く描き出している」
G「やはり法月さんは頼りになりますよね〜」
B「脱格やら破格やらいろんなものがあって賑やかなのはいいが、結局そういう元気の良い、というか元気しか取り柄がないような作品たちを許容できるのは、法月作品のようなベーシックな本格ミステリが頑として存在しているからだ。脱格と比較検討してかっちょよく“批評”するのもいいけどさ……どちらが本格ミステリとしてのベースであり基盤であり根っこであるかを、忘れてはいかんと思う。根っこの無い所に、枝葉も果実も実りはしないんだからね!」

 
●これがご都合主義だ!……黄色の間

G「『黄色の間』は懐かしの女流サスペンス作家、ラインハートの新訳ですね。このラインハートという作家さんはもう没後50年近い前世紀の作家さんで、いわゆる“HIBK派”の創始者として有名な方ですね」
B「“HIBK派”というのは“Had-I-But-Known”の意で、通称“もし……していれば派”。要するにだなー、奇怪な事件に巻き込まれ次々と何かに襲われるヒロインが“もし……と知ってさえいたら!”なあんてたびたび呟く、そういうサスペンスのこと。なんか前にも同じような説明した気がするなー」
G「まあまあ。この“HIBK派”という言葉は、どっちかといったら否定的な意味合いで使われているケースが多いようですね。ご都合主義バリバリの、数珠繋ぎサスペンスという感じで」
B「非常に大ざっぱに言っちゃえば“ハーレクインロマンス”のサスペンス版って感じかな。まあ、ご都合主義でも何でもサスペンスたっぷりなら、それはまあそれなりに楽しめるからいいんだけど……古いからねえ。今となってはノンビリした、悪くいえば間延びしたサスペンスって思えることも多いだろうね」
G「そのせいでしょうか、このラインハートって作家さんは日本ではとても不遇で。古典の年表なんかによく上げられている『螺旋階段』という作品以外は、じつはなかなか読みにくい状況が続いていました。が、ここ数年の古典復古ブームに乗って、こちらもぼちぼち翻訳が出るようになりました。『帰ってこない女』は文庫で出ましたから、読まれた方も多いでしょうね。他に『ドアは語る』ってのも翻訳が出ているようです。ぼくは未読ですが」
B「私もそれは読んでいないなあ。まあ、とりあえず内容を紹介してしまおう」
G「ですね。えー、舞台となるのは、第二次大戦下のアメリカ、メイン州の静かな別荘地・クレストビューです。戦争中といっても静かな別荘地の話ですから、戦争の影はほとんどありませんね。ーーで。くだんの別荘地を訪れた、ヒロイン・キャロル。母親の希望で、長い間ほったらかしになっていた別荘を使うことになり、ひと足早く準備を整えておくべくメイドたちを連れてやってきたのです。……ところがその別荘で、キャロルは身元不明の女性の死体を発見します!」
B「その女性殴殺され焼かれた女性は、どうやら別荘にある『黄色の間』と呼ばれる1室に寝泊まりしていたらしい。当然のように警察は被害者とキャロルの家族の関係を執拗に追及するが、死体の身元は一向に判明しない。頼りにならない警察に業を煮やし、傷病休暇で滞在していた諜報部員のデイン少佐が捜査を開始するが、怪しげな管理人も何事か知っているらしきキャロルの姉も一向に口を開かず、捜査は行き詰る。徐々に高まる不安のなか、謎めいた発砲事件や放火事件が相次ぎ、徐々にキャロルは、そして町全体は大きな不安につつまれていく」
G「前半はヒロインの身の回りに次々と怪事が連発するサスペンスパート。お約束とはいえ関係者全員が不自然なくらい口が堅いので、読者には事件の構図が全く見えないし予想もつかないんですね。そのため、読者もまた、ひたすら怯えまくるヒロインの視点で、徐々に高まっていくとらえ所の無い不安と恐怖をぞんぶんに味わうという仕掛け。このあたりの作者の演出は強引ながらさすがに堂に入ったもので、なかなか読ませますね」
B「まあ、後半の名探偵・デインによる謎解きパートが思いきり腰砕けなんで、その前半を楽しんでおくよりほかこの作品を楽しむ術はないんだけどね」
G「ううむ、たしかに推理パートは、“HIBK派”の本領発揮しまくりって感じですけどねえ。あれは“ああいうもの”だから“ああいうもの”と割りきってしまえば、それなりに楽しいですけどね」
B「そうは思えないねぇ。だってさあ、あんなん推理でも何でもないじゃん。なんちゅうか、推理を巡らせて解くというより事件の方が勝手に解けていく感じで。特に終盤なんかページをめくるごとに“実は……”“本当は……”“隠していたけれども……”といった意表をついた証言の連発! 登場人物も読者も、作者の気まぐれに無駄に翻弄されまくってるような読み心地だったぞ」
G「古典作品なんですから、それもまた一興というところじゃないですか。行き当たりばったりといえばその通りですが、謎解きは一応伏線らしきものも張ってないわけじゃなかったですし」
B「伏線つったってあれじゃおよそ効果的とはいえないじゃん。結局のところ、ラインハート作品のサスペンスつうのは、その場限りのハッタリと刹那的サプライズばかりで物語の展開は理不尽なくらい行き当たりばったり。古臭いゴシックロマンの伝統をモロに受け継いでいるって感じ。せめてもう少し登場人物の感情の動きにもう少し説得力があれば感情移入のしようもあるんだあろうけど、そのあたりもいい加減。すべて作者のハッタリのためのロボットでしかないわけで。たとえば最終的にはハーレクインロマンス的なハッピーエンドも用意されているんだが、視点人物であるにも関わらず“彼と彼女”がいつの間に恋に落ちていたのかさっぱりわからないという。実はこの点がいちばん“意外性”に富んでいたのかも。……さすがにこれじゃ廃れるのも無理ないなあ」
G「だから、それは“そういうものだと割りきって”読めば、それなりに楽しいんですってば。たとえば戦時下にあるアメリカの地域社会の風俗描写とか、そういうディティールも、ぼくはけっこう興味深かったですよ。実際、真犯人や事件関係者の不審な行動の背景にも、じつは戦時下ゆえのアレコレが密接に関係してたりしますし。……堅いこといわなければそれなりに楽しめるリーダビリティはもっている作品だと思いますよ」

 
●フーダニットの練習帳……降霊会の怪事件

G「ラブゼイの新刊が出ましたので、取り上げましょう。『降霊会の怪事件』はクリッブ部長刑事&サッカレイ巡査シリーズの新刊です。19世紀末ヴィクトリア朝ロンドンを舞台にした、本格味の強い歴史ミステリシリーズなんですが、邦訳も何時のまにやらもう7作目。意外なほど(といっては失礼ですが)巻を重ねていたんだなーって印象です」
B「この“クリッブ&サッカレイシリーズ”は、しかし同じ作者のダイヤモンドシリーズなんかに比べると、たしかにいまいち注目度が低く、記憶に残りにくい感じはあるね。歴史ミステリだし、地味に思われちゃうのかな」
G「ダイヤモンドものもそうですが、1作ごとにミステリとしての方向性というかノリが変わるので、シリーズとしての統一感が若干薄い感じがするのが原因かもしれませんね。本格ミステリだったり、風俗ミステリっぽかったり、サスペンスものだったり、ドタバタコメディミステリだったり……もちろん当たり外れはあるけど、まあそれぞれに面白いと思うんですけどね」
B「今回の作品はシリーズ6作目で、タイプでいえばストレートな本格ミステリということになるだろう。読者諸兄もご存知の通り、このシリーズの舞台となっているヴィクトリア朝英国ってのは、ミステリファンにとっては何よりまずホームズの世界なんだけど、科学技術の急速な発展と同時にオカルトも流行ってたりしてた時代。降霊術や死後の世界の研究は、上流社会においてもそれと認められた趣味の1つだったようだ。今回のこの新作でも、そういった時代の風潮が1つの背景となっている」
G「というわけで内容です。……上流家庭ばかりを狙った盗難事件が頻発し、これを追っていたクリップ。捜査の行きがかりから、彼は被害者の家で行われる降霊会の催しに参加するはめになりました。降霊会の主役は、売り出し中の若手霊媒師。厳重に縛られ身動きひとつできないはずでしたが、にも関わらず霊媒師は次々とありえないような怪現象を引き起こします」
B「奇々怪々な降霊現象に呆気にとられる一同。そこでさらに厳密な科学的な検証のため、最新の測定装置を使いながら降霊を行なうことになる。ところが、その日。実験もクライマックスに差しかかろうという時、くだんの霊媒師には奇妙な状況下で死が訪れたのだ! 事故なのか、殺人なのか。殺人ならば、誰がなぜ、どうやって。霊媒師が行なっていた降霊はトリックだったのか……クリッブたちの捜査が始まった!」
G「というわけで。文庫で300頁ちょっとですから、今どきの基準からすればごくコンパクトな長篇といえますね。ほんと軽く、さくっと読めてしまう。まあ、400円文庫よりは全然歯応えがありますが」
B「そうね、降霊術というオカルティックなネタを主題に据えながらも、カーのようなけれんはなく、雰囲気の演出は全体にごく控え目な感じだね。作中で発生する殺人だって1つだけだし。ちんまりきれいにまとまってはいるんだが、全般にコンパクトすぎて面白みに欠ける恨みが残るねえ」
G「まあ、本格ミステリ的にはトリックらしいトリックもないし、あざといミスリードなんてものもない。おっしゃる通りけれんや仕掛けめいたギミックは皆無に近いのですが、裏返せば、きちんと配置された手がかりを丁寧に拾っていけば誰にでもちゃんと犯人がわかる仕掛けで。……いまあえてこれをやるのって、実はけっこう大変なことだという気もするんです」
B「たしかにね。フーダニットという点は、かなりきっちり意識されているわよね。作中に“読者への挑戦”めいたセリフもあるし、関係者を集めての名探偵の謎解きという、セオリー通りの大団円も用意されているし」
G「そうですそうです。まさに、端正にまとめられたフーダニットの小品という趣なんですね。どぎつさやあざとい仕掛けを競っているような昨今の国産新本格を読み慣れた目には、たいそう地味に思えたり物足りなく思えるかもしれませんが、フーダニットとしての必要充分な“謎〜手がかり〜推理〜解明”の基本に徹したこのコンパクトさは、逆に何となくホッとするような気がして……好感がもてるんですよね」
B「ううむ、しかしほかならぬラブゼイの作品としては、やはりいかに何でも物足りないねえ。謎、ロジック、トリック、真相……いずれも軽く流し打ちをしているというか。ここが読み所っていう売りが全く感じられないんだよね。ミステリの名匠・ラブゼイにしては、やはり凡作の誹りを逃れられないと思うがなあ」
G「クリップの謎解きは、飛び抜けて気が利いているわけではないですけどね。シンプルな割には、ほどよい意外性と納得度の高さをもっていて、ぼくとしてはじゅうぶん満足できる仕上がりです。ボリュームとの兼ね合いから言えば。フーダニットとしてのバランスは、このあたりがちょうどよいのでは?」
B「ううむ。ラブゼイのような手だれな作家さんに、教科書通りに書かれてもなあ。これじゃまるで、教書見ながら書いてる練習帳だよ」
G「まあ、このころはまだ作者も充分には成熟してなかったのかも」
B「にしてもさ。どこか1カ所……どこでもいいからおッと思わせてくれるポイントがほしかったんだけどね。あと、そう、訳文も感心しなかったな。わたしゃあまり翻訳のことに口出ししたくないんだけど、この翻訳はこなれていない感じで、あちらこちらで引っ掛かりまくったなあ……たとえば『某』ってコトバが頻発されるんで、どこの某氏かと思ったら『それがし』だってんだもんね! いくらヴィクトリア朝だっていったってねえ、『それがし』はどうかと思うぞ!」

 
●チェーンジ! ダブルオー……歩兵型戦闘車両ダブルオー

G「えーと、これは新人の方のSF長篇ですね。第三回日本SF新人賞佳作入選作品。話題になったんだかどうなんだかよくわかりませんが、ぼくはとても面白く読みました。ラストではちょこっと泣けちゃったし」
B「どへ〜、あんなミエミエの素人臭い仕込みで泣けちゃうわけ? なんちゅうか、キミってば根っから人間が安上がりにできてるみたいだねェ」
G「ほっといて下さい。たしかにね、作品としてはまだまだスキだらけの素人臭い仕上がりですけど、ぼくの場合はそれがいい方に作用したかな〜って感じなんですよ」
B「あのラストは、安っぽい・ステレオタイプの・紋切り型の、ナニワブシだと思うけどね〜」
G「……んん、こんな話ばっかしてるとなんだか“泣かせる父モノ”かなんかと誤解されちゃいそうなんで、とっとと内容に行きます。えーとぉ、舞台は現代日本。会社を首になり恋人にも振られ、どーしようもなくダメダメな青年の前に、怪しげなリクルーターが現れます。“臨時雇いだが公務員になる気はないか?”。誘いに乗った彼は、同じようにして集められた2人と共に勤務先に向かいます」
B「主役格の彼は柔道空手の有段者で脳味噌まで筋肉という根っからの体育会系。なのにいつも肝心のところで負けあるいは貧乏籤を引く、根っからの負け犬タイプね。もう1人は天才シューター(シューティングゲーマー)で、しかし生活力皆無のオタク青年。最後の1人は重機運転のプロなのに、人の良さが災いして失業中の妻子持ち。要するにどいつもこいつも現実社会にいまひとつ適応できず、ナニガシカの鬱屈を抱えた青年達であるわけで……だから、この作品には彼らの友情&成長小説という側面もあるわけね」
G「人里離れた山奥の勤務先で、彼らが与えられた仕事とは、環境庁が秘かに開発した歩兵型戦闘車両、すなわち巨大な人型のしかも戦闘用合体ロボットのパイロットでした! ……なぜ環境庁が戦闘用メカ? しかもなぜ合体ロボ? なぜ自分たちがパイロットを? 様々な疑問に答えも与えられぬまま、激しい操縦&合体訓練の日々が始まります。しかしいくら訓練しても自力での合体は困難で。結局、タダの1度も成功しないうちに、思いがけず出動命令が下ります!」
B「この作品の最大のアイディア、つうか私的には唯一と思える取り柄が、この合体ロボ『ダブルオー』なんだな。というのがこいつ、人型といっても“巨大な湯沸かしポットに長すぎる腕と短すぎる脚を付けた”という、史上最悪にカッコ悪い(笑)合体ロボなのよね。むろんこれには理由があるわけで。合体した巨大ロボを、立たせ、歩かせ、戦わせるには、このカタチしかなかったという……要するに“リアルに、科学的に、巨大合体ロボをこさえる”とこうなったんだね。このあたりの発想は小林泰三さんの『ΑΩ(アルファ・オメガ)』と同じ、っていうか例の一連の空想科学読本シリーズをネタ本にしたような感じね。当然、戦闘描写もそれなりに“リアルたろうとして”いる感じで。アニメやコミックで馴染んだ合体ロボの戦闘シーンのイメージとの落差から生まれる、いじましくも悲壮なユーモアとサスペンスが味わえるという仕掛け」
G「なぜわざわざ合体ロボにしたのか、という理由も笑いますよね〜。環境庁という“お役所がオーナー”ってアイディアが、ここらあたりにバッチリ活かされていますね。戦闘時における最大の障害が“お役所仕事”というエピソードも含め、お役所ロボのアイディアは秀逸です」
B「しかしSF的にも、小説的にいっても、作者自身のアイディアらしきものはそれだけっちゃあそれだけ。後はもう紋切り型の工夫のないエピソードが並べられているだけなんだよね。主人公たち3人を含め、キャラクタはどれもステレオタイプながらエピソードとして膨らませられる仕込みがいっぱい仕掛けられているんだし、ダブルオーの闘いを軸にするにせよ、ストーリィをもう少しじっくり肉付けしてほしかった気がするよ。あれじゃなんだか合体ロボネタでこういう場面が描きたいッという、作者の思い入れシーンが羅列されている印象で、いかにも食い足りない。せめて敵となる怪獣たちのキャラクタにもう1アイディアあればねえ」
G「でも怪獣の出現理由については、ダブルオー誕生の背景と合わせてちゃんと“それなりの理屈”を通してあると思いますけど」
B「いやー、それはどうかなあ。リアルにするためにわざわざあんなカッコワルイ合体ロボを作った作者にしては、どれもこれも何処かで見たような安直な怪獣ばかりって気がするぞ。ここはどうしたってもう1つ、オリジナルなアイディアが必要ね。ついでにいえば、キミが泣けたっていうストーリィだって同じ。どう見たって見え見えの友情! 努力! 勝利! な陳腐かつチープな感動ストーリィじゃん」
G「ん〜、たしかに陳腐かもしれません。でもねえ、あれは作者の手が追いついてないだけで、チープだとか安直だとはぼくは思えないんですよね。少なくとも作者は自分が描きたいこと・描きたい世界をハッキリつかんでいるし、それを作者なりに描ききっている。実際、作品には作者のその“描きたいことを描くヨロコビ”ってやつが、ものすごくあからさまに現れてる気がするんです」
B「読者を楽しませることより先に作者自身が楽しんじゃったら、そりゃあやっぱしプロとしちゃマズイでしょ」
G「それはそうかもしれませんけどね。読んでるとなんかこう作者の喜びがじんじん伝わってくる感じで……なんだかとても嬉しくなってきて、こういうのもいいなぁと。たとえば、最後に3人が初めて声を合わせて必殺技を叫ぶシーンとか……こう、どわあっと胸がアツくなりません?」
B「なるかそんなもん! きみは小学生かッってーの!」

 
#2002年6月某日/某スタバにて
 
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