battle81(2002年7月第4週)
 
[取り上げた本]
01 『瑠璃城』殺人事件 北山猛邦        講談社
02 アルファベット荘事件 北山猛邦        白泉社
03 はじまりの島 柳 広司        朝日新聞社
04 奥様はネットワーカ 森 博嗣        メディアファクトリー
05 ラッシュ・ライフ 伊坂幸太郎       新潮社
06 死刑、廃止せず 石川真介        河出書房新社
07 [まほろ市の殺人]シリーズ
   まほろ市の殺人 春 無節操な殺人
   まほろ市の殺人 夏 夏に散る花
   まほろ市の殺人 秋 闇雲A子と憂鬱刑事
   まほろ市の殺人 冬 蜃気楼に手を振る
            祥伝社
倉知 淳
我孫子武丸
麻耶雄嵩
有栖川有栖
08 樒/榁(しきみ/むろ) 殊能将之        講談社
09 未熟の獣 黒崎 緑        小学館
10 被告の女性に関しては
   (As for the Woman 1939)
フランシス・アイルズ  晶文社
Francis Iles
11 ソルトマーシュの殺人
  (The Saltmarsh Murders  1932)
グラディス・ミッチェル 国書刊行会
Gladys Mitchell
12 死者を起こせ
  (Debout les Morts  1995)
フレッド・ヴァルガス  東京創元社
Fred Vargas
13 ウロボロスの波動 林 譲治        早川書房
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●狭い、発想のスパン……『瑠璃城』殺人事件
 
G「『「瑠璃城」殺人事件』は『「クロック城」殺人事件』で第24回メフィスト賞を受賞し、デビューされた北山猛邦さんの第2作ですね。タイトルを2つ並べるとシリーズものっぽいけど、物語は完全に別個のものですからどちらから読んでも不都合はありません」
B「まー、この後にもすぐに『アルファベット荘事件』って作品が出たけどね。これもシリーズってわけじゃない。いずれにせよ、どれも同じくらいグダグダ〜っていう共通点があるだけ」
G「だーかーらぁ!」
B「はいはい、新人作家さんには優しくね。んじゃ、とっとと内容の紹介と行こう。時は1982年、舞台は“最果ての地”にある謎めいた図書館。その図書館に通う余命いくばくもない少女のもとを、1人の人物が訪ねてくる。その人物は少女と自分とを結ぶ、奇怪な運命の物語を語る。――数百年というもの、2人は死に変わり生き変わりしながら、幾度と無く巡り合い、幾度となくたがいに殺し合ってきたというのだ……呪われた“六人の首なし騎士の短剣”によって、と」
G「その呪われた物語は1243年のフランスに始まります。巨大な十字架型の建造物に寄り添うようにして建つ城、瑠璃城。その密閉された城内から城主の妻が消えたのです。娘であるマリィがその行方を探すうち、今度は彼女の護衛役だった“六人の白の楯騎士団”が姿を消してしまいます。6人はやがて、徒歩で数日はかかる遠隔の地で首無し死体となって発見されます。たとえどれほど急いでも、死体が発見された時刻までに行けつけるはずのない場所で……。生きてであれ死体としてであれ、騎士たちはどうやってそこへたどりついたのか?」
B「次に2人が巡り合ったのは一次大戦のフランス戦線でのことだった。火と血と鉄と泥濘にまみれたこの世の地獄。事件など起きようはずもないこの場所で、しかし事件は起こる。塹壕の底にあった4つの首無し死体が一瞬のうちに消失したのだ。……そして呪われた運命は、いま最果ての図書館で2人を巡り合わせ、またしても奇怪な事件を呼び起したのだった……」
G「というわけで。処女作以上に強烈な不可能犯罪が連発されるこの第2作。全編を厚く覆った幻想のベールはいわずもがな、ほとんどこの世のものとは思えぬような強烈な謎と不可思議が読者に襲いかかります。しかもそれらの不思議が、きわめて即物的な、大技系物理トリックに支えられている点が、この新人作家さんの特徴といえるでしょう。ある意味ひじょうに古典的な、いってしまえば古臭いコンセプトの本格ミステリなのですが、キャラクタ設定や世界観はまぎれもなく現代の、それもライトノベルもしくはアニメやコミック系の描き方です。――そのあたりの妙なギャップが、物語としての全体の整合性を損なっている感じはありますかね」
B「でもまぁ、本来古典的な本格ミステリ的世界観とライノベやアニメ・コミックの語り口/表現スタイルというのは、わりと馴染みやすいものだったりするんだけど……残念ながらこの作家さんは、現状まだまだ異世界を1つの世界として明確に構築する幻視能力に欠け、それを言語化するテクニックも不足しているようだね。だから結果としてそれらが互いに足を引っ張りあって、モロトモに薄っぺらで幼稚で、見るに堪えないシロモノになってしまっている。ファンタシィとしてもSFとしても、物語としての最低限のリアリティすら構築できてない物語世界であることは前作と同じ。いわばマンガのシナリオだな。誰か絵をつけてやってくれ! みたいな」
G「しかし昨今の状況を鑑みるに、こうした大技系の物理トリックをメインに持ってくる作風は非常に貴重だと思いますし、トリックメーカーとしての発想もそう悪くはない。大胆不敵というか……雰囲気は随分違いますが、本格としての骨格は二階堂さん―加賀美さんラインに位置する方なのではないでしょうか。まあ、二階堂さんたちは、それをそれこそ古典本格そのままの口調で再現しているのに対し、こちらはayaさんがおっしゃるようにコミックやアニメ、ゲームなんかの文法で語っている感じで。やはりそれなりに違いはありますけどね」
B「まー押し並べて幼稚で拙い、という共通点はあるかもね。トリックの話が出たからついでに指摘しておくけど、この作家さんって、現状を見るかぎりトリックメーカーとしての発想のスパンは、実はむちゃくちゃ狭いと思うね。なんたって前作の『クロック城』とこの『瑠璃城』、そしてついでに次作の『アルファベット荘事件』もひっくるめて、突き詰めればメインはまったく“同じトリック”なんだもんな」
G「え。そ、そうかな?」
B「そうだよ。要するにどれも……(以下ややネタバレ。『『クロック城』殺人事件』、『アルファベット荘事件』未読の人も見ちゃ駄目です)……“道の無いところに道を創る”ことで、通れない場所を通ったリ、近道したり……(ネタバレ終わり)……するわけじゃん。有り体にいってしまえば、処女作〜第3作は全てこの発想に基づく陳腐なバリエーションに過ぎないね」
G「う〜ん、そうもいえますか……」
B「そこへ持ってきて、前述の通りそのトリックを中核にした、仕掛けの演出も稚拙きわまりないときてはね。読むに堪えないとしかいいようがない。私だってべつだん小説として高度なものを望んでいるわけじゃないけど、それにしたって限度があるわよ」
G「ううん、拙い部分はありますし、総じて眼高手低の誹りを逃れないのは確かですが……大技系物理トリックがメインで、“そのために”世界をこさえちゃうという大胆不敵な方向性は、個人的には大好きなんですけどねえ」
B「そりゃ私だって好きさ。だけどそれならそれで、その物理トリックが使われる必然性を、じゅうぶん満たすだけの背景/世界を創るべきだ。それができない/する気が無い書き手にとって、この方向性は明らかに鬼門だ」
G「ううむ、なんか知らないけどえらそーです」
 
●趣味の創作……アルファベット荘事件
 
G「というわけで北山さんの第3作、『アルファベット荘事件』ですね。第3作といっても、実際には『クロック城』でデビューする以前に書かれていた作品らしいですが」
B「ふーん。ということは、作を重ねるごとに下手になってるってことか?」
G「だから、そうやっていきなり取りつく島もないことを云うのは、お願いですから止めてください。……まあ、それでも『瑠璃城』の時に比べれば、ayaさんの怒りも少なめみたいですね」
B「ていうかさー、慣れた」
G「あのねー」
B「それはまあ冗談だが、続けて読むといくらかマシだったかもしれないな。いっとくがあくまでこの作家さんの作品としては、だぞ。総体的にみれば相変わらずキズだらけで、ヒドイもんだ」
G「……長居は禁物という気がしてきましたので、とっとと内容に行きます。えーと、今回は現代のお話なんですよね。実際、前2作に比べると幻想味はやや押さえ目といえるでしょう。で、今回のメインネタは“創生の箱”。鍵をかけておくと、いつの間にか・どこからか、無かったはずの“中味”が出現するという、奇妙な伝説に彩られたオーパーツです。まずプロローグの舞台・冬のケルンでは、人々で賑わうパーティ会場の真ん中におかれ衆人環視のもとにあったその“創生の箱”に突如バラバラ死体が出現する、という強烈な不可能犯罪が語られます。続いて本編の幕が上がるのは、十数年後の日本。アルファベットの文字の形をした巨大な彫刻が、庭にゴロゴロ転がっているという館、“アルファベット荘”が舞台となります」
B「劇団ポルカの劇団員・美衣子と看板女優・美由紀、そしてなぜか不可能犯罪の謎解きに取りつかれた男・ディが、このアルファベット荘に招待される。そこにはすでに数人の男女が集められており、広間には例の“創生の箱”が置かれていた――。翌朝、事件は起こった。本館にあったはずの“創生の箱”がいつの間にか別館へ移動し、中から死体が発見されたのだ。本館と別館の間は降り積もった雪で覆われ、誰ひとりそこを行き来した様子はない。重く大きな“創生の箱”は宙を飛んだのか?」
G「プロローグの衆人環視下の死体出現、本編の第1の事件での“創生の箱”の雪密室移動、そしてさらにもう一つ衆人環視下の出現と、今回は三つの不可能犯罪が仕掛けられています。いずれも違うトリックが用いられ、特に第1と第2の事件のそれは豪快な物理トリック。3番目のそれも……ちょっとセコイけど……奇術っぽいトリックでいい感じ。詳細に見ていくといずれも穴があるというか、実効性は高いとはいえないのですが、まことにトリックらしいトリックで。そのトリックをあからさまにメインに据えた作風は、個人的にはやはり好もしい感じです」
B「『瑠璃城』評でいったように、メインの事件のトリックは第1作・第2作と同じ発想で創られたバリエーション。添付された図版を見た瞬間におよそ読者の99%は見破ると思うね。……ただまあ、いずれのトリックもそのメカニズム自体に実効性が無い(つまり現実にはおよそ実行不可能ってこと!)ってのは、仕方がないといえば仕方がないんだけどね」
G「あれ? 妙に鷹揚ですね」
B「物理トリックの大技なんてさ、この作家さんのものに限らずたいていどこか無茶してるものよ。ていうか、“無茶してるからこそ、トリックとして面白いものになる”ともいえる。ただ、問題なのはその実効性のないトリックを何の工夫もなくそのまま使い、その現実性の欠如をあからさまに読者に知らしめてしまうのはいただけない。トリックの運用面・演出面における無神経さが気に入らないんだよね」
G「しかし、作者はけっこう念入りに幻想的な雰囲気を盛り上げている気がしますけどね」
B「だから、その演出の方向性が間違ってる。トリックをメインに据えるなら、少なくとも読んでいる間だけでもそのトリックが可能であるもののように思わせなければ意味が無いじゃん。“本格における雰囲気作り”は、なにも雰囲気作りのためばかりじゃない。謎やトリックや謎解きという虚構にリアリティを与えるためのものなんだ。……たいそうな手間をかけなくたっていいから、とりあえず謎解きされ解明されたその一瞬でも“すげー!”とか“なるほどォ!”とか思わせてほしいんだよね」
G「後でよーく考えたら、実効性がないけど……でも十分ってことですか」
B「そうだね。“その一瞬の驚き”でトリックはじゅうぶん役割を果たし、意味を持つことができるんだ。それをやらなけりゃ、トリックを使った意味なんて無いよ」
G「しかし、たとえばあの第2の事件のメイントリックを一瞬でも実効性があるように思わせるなんて、相当のテクニックというか、力技が必要だと思いますけどねえ。それこそ島田さんレベルの剛腕が」
B「そりゃ大げさだよ。使い方を考え抜いて、で、それに合わせた環境を設定し、トリック自体もその使い方に会わせてブラッシュアップする。それだけのことだ……当たり前の作業だと思うけどね」
G「その当たり前のことが難しいんでしょうに」
B「っていうかさ。どーもこの作家さんは、思いついたトリックをそのまんま絵にしているようなトコロがあって。後は自分好みの世界で雰囲気を盛り上げて一丁上がり、みたいな安易さが感じられて仕方がないんだよね。なんかこう“趣味の創作”を読まされてるみたいで、私はどーしても納得がいかない」
 
●これが異世界本格だ!……はじまりの島

G「デビュー以来、歴史上の人物を材に取った、異色の歴史ミステリを書いてらっしゃる柳さんの新作長篇、『はじまりの島』と参りましょう。(いや、実在の人物ばかりじゃなく、小説作品のそれもあるんですけどね。漱石の“坊っちゃん”とか)」
B「異色は異色だが、この作家さん、ミステリとしては徐々に本格ミステリ色を強めているところが嬉しいね。特に前作のソクラテスを名探偵役に据えた『饗宴』は、ランキングにも挙げられた(『2002 本格ミステリ・ベスト10』18位)ほどだったけど、今回はさらに本格として完成度を高め、文字通り年間ベスト級の作品となっている」
G「おお、評価が高いですね〜。いや、たしかに素晴らしいデキでしたもんね。で、内容ですが、今回はチャールズ・ダーウィンが名探偵役を務めます。ええ、あの“進化論”のダーウィンですね。物語はダーウィンが『種の起源』における進化論の着想を得たといわれる、ビーグル号の南米大陸沿岸の探検行がベース。この探検行で起こった奇怪なエピソードとして語られます」
B「南米各地を測量しつつ、長期にわたる航海を続ける英国海軍軍艦ビーグル号。若き博物学者チャールズ・ダーウィンはこの探検に同行し、各地の生物の生態や風物に旺盛な好奇心を発揮していた。やがて一行がたどり着いたのは、岩に覆われ、竜を思わせるオオトカゲが闊歩する“悪魔の島”、ガラパゴス諸島だった。船長は水や食糧などの調達を命じる一方、休暇がわりに希望者の上陸を許可。希望したダーウィンら11人を島に残し、一週間後の再会を約してビーグル号は帆を上げる」
G「たまたまその島にはアメリカの捕鯨船員が来ており、ダーウィンらは彼から島の伝説を聞きます。その奇怪な伝説が一同の心にかすかな影を落したその晩、早くも事件は起こりました。見晴らしの良い屋外で、神父が何者かに絞殺されたのです。傍に近づいた者はいなかったはずなのに。奇怪な不可能犯罪の勃発に、伝説の復活を疑う一行。やがてこの絶海の孤島で、仲間たちは1人また1人と“姿なき犯人”に重傷を負わされ、溺死させられていきます。……伝説の殺人鬼は実在するのか? それとも乗員の中に犯人がいるとすれば、なぜ、なんのために仲間を殺すのか?」
B「進化論を提唱した科学者らしく、逆転の発想と鋭敏な観察力で鋭く謎に迫っていくダーウィンは、ホームズの推理力とブラウン神父の愛嬌を兼ね備えた魅力的な探偵役だね。核にあるトリックはごくシンプルなものだが、まさに“人の手が触れていない”ガラパゴスという一種の異世界というべき舞台の特性を活かして効果的。この特異な舞台と登場人物による異様な“世界観”が、クローズドサークルタイプの本格としてのアイディアに、実に巧みに結びついてるんだ。重厚だがスキのない仕上がりは、まさに2002年度を代表する異世界本格ミステリというべきだろう」
G「手掛かりにかかわる伏線の張り方も、ミスリードの配置も、よく計算されて間然とするところがありませんしね。ともかく細部の細部まで目が行き届いた手抜きの無い作品です。もちろん、ラストの“世界が反転する”サプライズもみごとに決まってますよね」
B「だな。特に真犯人の“存在しないはずの動機”には、ダーウィンの進化論的世界観と、それ以前のキリスト教的世界観との相克がみごとに反映されていて、思わず膝を打った。読んでもらえれば分かると思うが、まさに“進化論殺人事件”なんだよな、これは」
G「そう考えていくと、名探偵役へのダーウィンの起用もけっして単なるアイキャッチなんかじゃbネいですよね。あくまで“本格ミステリとして、物語としての必然”だったといえる。本格ミステリ要素と小説としてのテーマが見事に連携しているわけで……まさに本格読みとしての満足感と物語読みとしての喜びが、諸共に味わえるという希有な作品だと思います」
B「とはいえ。裏返せば、あまりにも本格要素と小説とがバランスよく配合されすぎていて、一個の作品として見たとき、逆に本格ミステリとしての突出した魅力が見えにくい、ということはいえるかもしれない。ま、つまり完成度が高すぎ、磨かれすぎてる……ってんだから、贅沢すぎる注文ではあるんだけどね」
G「ほっんと文句の尽きない人ですね〜。まーとりあえず、読んでおいて損の無い作品。というか、読まなきゃもったいない作品ってことですよ!」

 
●ポエティック・スリラー……奥様はネットワーカ

G「続きましては森さんの『奥様はネットワーカ』、これはノンシリーズの長篇ですね。もともとは雑誌『ダ・ヴィンチ』に2000年6月から2002年7月にかけて連載されたものに、ボーナストラックの書き下ろしを添えた長篇です」
B「『ダ・ヴィンチ』を読んでないから知らないけど、つまり連載を読んでた人も結末が読みたかったら、また単行本を買わなきゃなんなかったってコトなのかしらん?」
G「いえいえ、物語自体は連載時点でちゃんと完結していたそうです。書き下ろされた追加要素は、あくまでボーナストラックってことですね」
B「なるほど特典映像か」
G「とりあえずタイトルを見たときは、ノン・シリーズでノン・ミステリな作品なのかなあ、と思ったんですが、実際に読んでみると思いのほかストレートかつトリッキーなミステリでしたね」
B「一人称多視点、それも6人という大人数の視点で語られる、大学を舞台にした連続傷害殺人事件だもんなあ。とはいえ、お得意の森ポエムが随所に挟み込まれ、なんとなーくとらえ所の無いファンタジックな霧に覆われたような雰囲気で。なぜかVシリーズなんかよりも、作者の筆はノビノビしている感じがした。ま、そのとらえ所の無さ自体、実は一種のミスディレクションなんだけどね!」
G「じゃ内容を紹介しましょうか。えーと。スージィ(内野智佳)は、某国立大学工学部の秘書。この大学関係者として、やや電波な助手ホリや教授のイエダ、助教授のサトルとサエグサ。そしてスージィの友達であるルナらが多視点の語り手ということになります。ともあれ。この揃いも揃って個性的かつ浮世離れした人々がふわふわ生活している某国立大学周辺で、暴行傷害事件が多発し始めます。最初はどことなく他人事だった彼らでしたが、犯人は奇妙な独り言を呟きながら、徐々に彼らのもとに忍び寄っていきます……6人もの独白が入り乱れるんじゃさぞや分かりにくかろう、と思われるかもしれません。でもだいじょうぶ。物語はきわめてシンプルで、それぞれの語り手の語り口やエピソードの味付けが明確に区別されているので、全く混乱なく読みすすめることができます」
B「まあ、“それ”も含めてじつは作者のミスディレクションなんだけどね。ともかくこれは一発大技のトリックで、ファイナルストロークの一撃を狙ったスタイリッシュなスリラー。前半の、どこか浮世離れしたエピソードの居心地良さにウカウカ載せられていると、後半にわかにスピードアップして、気付いた時にはどんでん返しを喰らっている……という仕掛けだ。トリック自体は使い古された手だし、その使われ方も含めて、本格読みにしてみれば見破れて当然のはずなんだけどね」
G「作品全体が、まるごとそのトリックを活かすためのミスディレクションの仕掛けになっているんですよ。そのさりげなくも大胆な趣向が、今回はきれいに決まったと思います。ちりばめられたポエムや全編を覆うファンタジックな雰囲気もそうですが、一見作者さんが自分の好きなように気楽に書いているように見えて、実は隅々までサプライズ演出のために計算が行きわたっている。そんな感じです」
B「とりあえず1アイディア1ツイストに徹し、きっぱり割り切っているところが取り柄だね。もっともこれも、森さんが書いたからこそ成立しているという感じはしないでもないが」
G「中盤から後半にかけての、冷めたまま熱っぽくなっていくような一種独特なスリルの盛り上げ方もなかなか読ませるじゃないですか。1冊だけ森作品を勧めるなら、シリーズ作品よりも実はけっこう手ごろな入門書といえるかも」
B「こういう風に本格ミステリというワクを完全にとっぱらっちゃった方が、作者さんも書きやすいのかな。まあ、このネタ1つで長篇1本持たせちゃうんだから、それはそれでたいしたもんだとは思うが、基本的には軽い読み心地とツイストが軽く奇麗に決まっているだけの炭酸飲料。仕掛けを除いたほとんどは独特のジョークのかたまりみたいなものだし、あんましごちょごちょ論じるのも、それ自体が垢抜けないことであるような気分にさせられてしまう。ま、そういうノリも含めていかにも森さんらしい作品だよね」

 
●Rush or Lush……ラッシュ・ライフ
 

G「『オーデュボンの祈り』で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビューした、伊坂幸太郎さんの長篇第2作『ラッシュ・ライフ』と参りましょう。この作家さんも本作でブレイクしたっぽいですね」
B「その筋では『オーデュボンの祈り』の時から評判だったけどね。やや玄人受けっぽい感じだったその『オーデュボン』と比較すると、分かりやすい文学性(=かんどーとか)を装備したうえ、語り口の巧さもいちだんと際立ってきた感じ。作中に登場するトリックとかを見るかぎり、ミステリのツボも十二分に心得てるようだけど……かといってそれにこだわっている様子はさらにない。ううむ、この人も“目標はブンガク方面”なんだろうなー」
G「いや、そんなことはまだわからないですよ。まあ、ともかく内容のご紹介を……と思ったんですが、これが難しい。簡単にいってしまえば、この作品は5組の登場人物たちによる5つのストーリィラインがあるんですね。で、その5つの物語が断片的に、時には時系列を無視した形でコラージュされている。5つのストーリィラインも簡単に紹介しておきましょう。まずは、“金で買えないものはない”と豪語する画商に、文字通り金で買われた新進女流画家の鬱屈を描いたエピソード。そして周到な準備に余念の無い、独自の美学を持った一匹狼の盗賊のエピソード」
B「奇妙な予言で難事件を解決して人気を呼び、信者を集めるようになった新興宗教で、新入りの信者が命じられた奇怪な作業の物語なんてのもあったな。ミステリ色が強いのは、不倫相手と共謀し配偶者の抹殺を図った女のお話かな。交換殺人の計画が次々と予想外のアクシデントに遭遇して……というストーリィだ。あと最後は、リストラされ家族にも見捨てられ絶望した中年サラリーマンが偶然入手した拳銃を巡って展開されるエピソード」
G「ですね。……で、作品としてのミソは、一見無関係なこれらの物語が、話が進むにつれて幾つかのアイテムによって結ばれ、意外なところでリンクし始めていくという点にある」
B「バラバラのように見えた物語が、実はドミノ倒し的に発生したエピソードだというがた徐々に見えてくるんだな――その仕掛け自体は、モジュラー型警察小説や叙述トリックもののスリラーなんかでも、よく使われるものだが、これだけ多くの物語が相互補完的に絡み合って展開していくのはちょっと珍しい。5つものストーリィラインを断続的に並走させて、しかも読者を混乱させないというのは、たいしたテクニックだといえるだろう」
G「たしかに全体の構造のコントロールも素晴らしいんですが、ディティールの充実ブリも見逃せません。個々のエピソードがバラエティに富んでいて、しかもリーダビリティ豊かで、それぞれのキャラもきっちり立っている。こういった小説としての基礎体力がしっかりしてるからこそ、こういう複雑な構成にも関わらず、読者は迷わずストーリィの連鎖を理解できる。個々のエピソードを結ぶリンクが浮かび上がる瞬間も、素晴らしくスリリングなものになるんですよね」
B「まあ実際にはリンクの張り方自体、けっこう強引なトコロもあるけどね。作り物っぽさは逃れられてないし、偶然も多用しすぎ。そういう意味では、断片的なパズルが、自然にきれいに嵌まっていく快感みたいなものはあまり感じられないんだね。まあ作者さんとしてはもともとそういったミステリ的な技巧として、このスタイルを採用したのではなさそうだから、そんなこといっても仕方がないんだけど」
G「そうですねえ。やはりこの手法は、あくまで“Lush Life/豊潤な/あるいは飲んだくれのやけっぱちの/人生”、というテーマを描くための仕掛けというか。……だからぼくはそのことはあまり気にならなかったなあ。むしろバタバタ大騒ぎしながらぶきっちょに繋がっていく方が、いかにも騒がしく逞しくパワフルな人生って感じでいいんじゃないでしょうか」
B「ふん、いずれにせよ……最後の最後で、色も形も様々なピースがぴたりと嵌まるべき位置に嵌まり一枚の大きな絵を描きだす瞬間に、作者が“Lush Life”という言葉に込めた思いが、鮮やかに浮かび上がってくるわけで。ここはさすがにどんな読者も思わずニヤリとせずにはいられないだろう。……これもまた近年流行する“ミステリ的技巧の文学的応用”の成功例の一つというべきなんだろうね」
G「そういういい方をすると、なんかこの方もいずれ“あっちの方”へ行ってしまいそうな予感にとらわれちゃいますねぇ」
B「古処さんにせよ柳さんにせよ、“小説が巧い”と思える人ほどそうなるような気がしてくるんだよね……。なんか根本的に構造的に問題があるのかなあ」

 
●小説自体が心神喪失……死刑、廃止せず

G「石川真介さんの『死刑、廃止せず』と参りましょう。この作家さんは『不連続線』で第2回鮎川賞を受賞した方ですね。その後しばらく書店店頭ではお名前を見かけることがありませんでしたが……本格読みにはあまりなじみのないブランドの新書で、旅情ミステリーなんかをお書きになってらっしゃったようですね」
B「私も1〜2冊読んだだけだけど、正直ほとんど印象に残っていないなあ」
G「今回の新作はタイトルからして、それらの作品とは一味違う力作感みたなものがあったので手にとりました」
B「早い話がタイトル買いだね。まーこれをやると往々にして失敗するのは皆さんもご存知のとおり。今回も……いやまあしかし、ものすごーくびっくりさせられたのは確かだったけどね」
G「ま、ともかくですね。この新作長篇は、タイトルにある通りいわゆる“死刑廃止問題”を題材にした社会派サスペンス。以前からこの方は社会派っぽい題材を扱っていましたが、今回は特にこのスペシャルに重たいテーマを正面から扱っている、ようにみえる。とりあえずこれは確かですよね。……というわけで内容紹介を。物語はある悲惨な幼児殺人を巡る被害者・加害者・その他の関係者が、それぞれ章ごとに視点人物として目まぐるしく入れ替わりながら進行していきます。前半部での主役格は、妻を亡くし幼い息子と暮らす中年銀行員氏。彼は幼い息子のためにと再婚を決意するんですが、その見合いの席上で見知らぬ男に幼い息子を惨殺されてしまうんですね。犯人はその場で取り押さえられるんですが、心神喪失が認められ、事件は不起訴のまま終了してしまう……しかしじつはその犯人は過去2度の殺人歴をもち、いずれも心神喪失と認定された人物だったのです」
B「なぜ罪もない息子が、殺されねばならなかったのか……銀行員はどうしても納得がいかず、一人で事件を捜査し始める。やがて次々と不審な点が明らかになってくる。係累もなく土地勘もなく金もない容疑者が、なぜ・どうやって現場の店を訪れることになったのか? もしやそこには“何者かの意志”があったのか? ――というあたりで前半終了。“いかにも”な設定ながら、このへんまでは思ったよりもミステリミステリしてて、なかなか緊迫感あふれる展開だったんだけどね」
G「そうですね。過去のトラウマのせいで極度にキレやすく暴力的で、しかも心神喪失を装うことに長けた犯人をはじめ、徹底した死刑廃止主義者の法律家や死刑存続主義者の評論家などなど役者も出揃って、読者としては当然、後半では死刑存廃議論を多角的に深めていくものと思うわけです」
B「そうそう、いわば貫井さんみたいな方向をめざすのかなーと思っちゃうのよね。ところが! ジツはこれが全ッ然そういう話にはならないんだな〜。たとえば、前半あれだけリキ入れて作り上げたキーパースンの犯人氏は、後半になるとほとんど全くといっていいほど登場しない。まあ、2人の学者(1人は元・最高裁判事)が死刑存廃議論を展開するんだけど、議論そのものが(素人目に見ても)浅く表面的で、問題提議にも至らないレベル。でもって主人公はその議論をよそに行き当たりばったりの調査を進め、事件の背景に隠された陰謀を暴き出して“真犯人”を突き止めるという……」
G「まあ、死刑存廃議論はテーマというより、ネタの1つと考えるべきなんでしょうね。事件の背景には意外なほどトリッキーな仕掛けが施されてましたし、どんでん返しもあったりして、社会派という印象はむしろ希薄です」
B「っていうか後半は死刑存廃論議なんて完全にどっかへ消し飛んじゃって、主人公氏はいきなりハチャメチャな復讐計画を開始するじゃん。しかも彼は復讐のターゲットとして、実行犯でも真犯人でもなく、息子殺しとはまったく関わりない“ある人物”に狙いを定めるんだよね。思わず“ナゼダ!”って叫びたくなっちゃうんだけど、物語の理不尽さはまだまだここから。まずそのシッチャカメッチャカな彼の復讐計画に、地位も名誉もある分別盛りの大人たちがなぜか続々と協力する。ついでに鬼警部はなぜか美貌の女流ミステリ作家と2人で“2人で探偵を”してるし(笑)、○○○は×××だったりするしで、もう無茶苦茶。しかもラストではなぜか突然、主要登場人物が全員集合して、思わず脳味噌逆上がりしそうな大団円を迎える」
G「ま、まあそうですけど、その説明じゃ読者にはまったくわからないのでは……」
B「実際に読むと、たぶんもっともっとわけわからなくなるぞ! ともかく主要登場人物が、1人残らずおっそろしく気分が変わりやすく、しかも軽薄で衝動的で行き当たりばったりで……不自然とかご都合主義とかいうレベルでなく、まるで全員が全員発狂しちゃってるみたいなのよね」
G「ううん、まあねえ。ちょっと構成が散漫になっちゃってるきらいはありますけどね」
B「そういうレベルの話かよ。ともかくこの作者さんは、その場その場の思いつきで無闇矢鱈と意外性やはったりを打ちだすもんだから、結局どーにもこーにも収拾がつかなくなって、ほとんどヤケクソのように暴発して果てた、と。そういうお粗末な顛末よ」
G「でも、そのトンデモな暴走ぶりは、それはそれで見ものかもしれませんよね。ともかく、とりあえず読んでてタマゲルのはたしかですもん」
B「まぁねえ。お粗末な小説はいくらでもあるけど、“小説自体がここまで徹底して心神喪失”しちゃってる例ってあまり知らないわよね。極め付けの怪作というか、なんともはやスサマジイものを読ませていただきましたって感じ。悪食の人にだけ“自爆覚悟で”お勧めかもよ」
G「悪食って……ま、ね。ちなみにどうでもよいことですが、この作品はかの『新本陣殺人事件』と同じ叢書から出ていますね」
B「あれ、そうだったけか。ふ〜ん……じゃ河出さんのコレって、ひょっとしたら“そういう方針”のミステリ叢書?」
G「だからそーゆーコトをいうてはなりませんってば〜」
B「よくいうわね〜。誘導尋問したのはキミだろ!」

 
●そつなく無理なく味気なく……「まほろ市の殺人」シリーズ

G「架空の都市“真幌市”で四季折々に発生する奇妙な事件を、4人の新本格系作家がそれぞれ“季節分担”で競作した企画もの。それが『まほろ市の殺人』シリーズです」
B「“春”が『猫丸先輩シリーズ』の倉知さん、“夏”は『かまいたちの夜』の我孫子さん、“秋”は『メルカトル鮎シリーズ』の麻耶さん、そして“冬”が『火村シリーズ』の有栖川さんと、顔触れだけはなかなか豪華。中編程度のボリュームしかなくて、(たぶん比較的)さくっと書き下ろせる400円文庫というメディアの特性を活かした企画だな」
G「しかしayaさん、いくら中編とはいえ舞台が同じだけで(ごく一部を除いて)お話が続いていたりリンクしてたりするわけではないんですから、なにも一度に4冊取り上げなくてもいいんじゃないでしょうか?」
B「だって、こんなもんを個別に、つまり4回も取り上げる必要なんてないじゃん。豪勢な顔触れを揃えて、ユニークな企画を立てて……その結果がこれ? 競作も何も、わざわざ架空の都市をこさえて共通の舞台にしているのに、それを活かそうとか共同謀議で何か仕掛けようとか、だれ1人として考えようともしていないじゃん。……あたしにゃ、だれもかれも“いわれたこと”をそつなく無理無くこなしてるだけのルーティンワークにしか見えないね」
G「そ、それはあんまりな言い草では。前述の通り各作品間のリンクが全く無いわけではないし、“真幌市”市内や周辺の地名のネーミングなど、ミステリ作家らしい遊び心だって活かされてると思うんですけど」
B「だって……それだけじゃないの。ミステリとして有機的に機能している仕掛けが1つでもあった? 失礼ながら、こーんな美味しそうな機会を与えられながら、キャリアも実力もある本格系の作家さんが、舞台だけこさえてそれで満足しちゃってるのが私にゃ分からない。合作であれリレー長篇であれ、本格の世界には遊び心炸裂の輝かしい伝統っちゅーもんがあるのにね!」
G「どういう伝統ですか、それ。まあ、みなさんお忙しい方たちですからねえ。お遊びをいろいろやりたくたって、時間的制約、距離的制約その他もろもろ事情というものがあるでしょう」
B「んなこたぁわかってる。だけど、“それでもやる”のが本格書きつーもんだと、私は思う。あーもういいや、早く内容を紹介してしまおう」
G「んじゃ、まずは倉知さんの『まほろ市の殺人 春 無節操な殺人』から。“僕”の彼女が奇妙な“痴漢”に遭遇した。カラオケで大騒ぎした帰り道、“幽霊の痴漢にお尻を触られた”、そういって蒼ざめる彼女―美波の携帯に、今度は友人のカノコから“人を殺してしまった”という電話が入る。7階の自宅ベランダから侵入者を突き落としたというのだ。ところが調べてみるとその死体は影も形もなくなっていた……。ほんわりした雰囲気のなか、つかみ所の無い謎がちりばめられた、倉知さんらしい作品。謎の提出から捜査、謎解きまで、定型通りに展開される本格ミステリですね」
B「殺人事件を扱ってはいるものの、方法論自体は日常の謎派の短編シリーズである『猫丸先輩』ものと同じ感じ。行き当たりばったりで必然性に乏しい犯行計画も、憶測に次ぐ憶測で説得力皆無の謎解きも、バカミスすれすれのトリックも……イキオイで読ませる/ごまかせる短編ならともかく中編や長篇で同じことをやれば、骨格の貧相さばかりが浮き彫りになるのは当たり前よね!  ハイ、次。えーと、我孫子さんの『まほろ市の殺人 夏 夏に散る花』ね。2作目が書けない新人作家・君村のもとに届いたファンレター。内容に感激した君村は彼女に積極的にアプローチし、ついに直接会うことになる。しかし実際会った彼女は、なぜか妙に素っ気無い。ますます思いを募らせる君村だったが……」
G「悪意みなぎる(心理的)残酷スリラーとして、コンパクトにきっちりまとまった“巧い”作品です。ボリュームとのバランスを勘案したのか、本格ミステリな仕掛けに妙な色気を見せず、きっぱり心理スリラーと割りきって書いたのが功を奏したのではないでしょうか」
B「まとまってはいる。まとまってはいるが、べつだんこの企画で使う必然性の無いネタだよね。いうなれば注文の枚数に合わせて仕上げた職人ワザのアベレージ。それ以上でもそれ以下でもないなあ。次の“秋”は麻耶さんの『まほろ市の殺人 秋 闇雲A子と憂鬱刑事』。ふざけたタイトルだが、内容の充実度はこれがいちばんだろうね。真幌市に跳梁する連続殺人鬼“真幌キラー”を追う、ミステリ作家にして素人探偵の闇雲A子と“隠れ名探偵”の刑事・天城。被害者の耳を焼き、現場に奇妙な小物を残す殺人鬼の意図は何なのか……」
G「練り込まれたトリックにプロット、そして縦横に張られた伏線にセンスのいい仕掛け。サプライズの演出も鮮やかで、サイコサスペンスとしても本格としてもたいへん充実した内容です。400円文庫のボリュームに納めてしまうのがもったいないくらいですね。実験的な作風で知られる麻耶さんですが、やっぱりミステリ書きとしてのセンスは飛び抜けてる感じだなあ」
B「本格としての定型を守りながらも、読み終えてみればやっぱり麻耶ワールド。この人を引っ張り出すことに成功したのが、この企画唯一の得点かも。ラストの“冬”は、有栖川さんの『まほろ市の殺人 冬 蜃気楼に手を振る』」
G「しがないサラリーマンの兄とヒモめいた生活を送る弟。ある晩、偶然行きあったバイク事故の現場で、兄弟は大金の入った鞄を拾う。返そうと主張する弟、躊躇する兄……2人のいさかいはやがて殺人を引き起こす。ダメ男の主人公がビクビクしながら進める完全犯罪が、ひょんなことから破綻しかける、という倒叙スタイルの前半は、作者のストーリテラーぶりがいかんなく発揮されて読ませます。さらに後半では大技を駆使したどんでん返しで、事件の様相が一変するという大技付き」
B「っていうか……強引。いくらなんでもこりゃないだろうって感じの無理無理さだよなあ。2時間サスペンスなみの貧相な構想をベースに、無理矢理サプライズを生み出そうとしている――そんな感じで物語の随所がきしんでいる。早い話が尺とネタのバランスの案配に失敗し、そのキシミを技術的にもカバーしきれてないんだな。なんか最後は投げちゃってるような気配すら感じられて……4作の中でも破綻ブリはぴかいちだな。お得意の幻想ムードの演出も、余裕の無さが禍して浮きまくっているね」
G「むー、前半は結構読ませるんですけどね」
B「それだけじゃ話にならないわよ。……まあ、この作品に限らず、4作品とも総じて企画自体の練り込みが不足している。なんちゅうか手持ちのネタでなんとか形にはめてみました、という感じがありあり伝わってくるんだよね」
G「たしかに余裕の無さは感じましたけどね」
B「裏返せば、そんな余裕の無い企画だけに各作家さんの地力つーもんがハッキリ出たという気はする。意地の悪いことをいえば、そのあたりが楽しみどころともいえるわけで。……たぶん2度と繰り返されないだろうな、この企画は」
G「こ、根性わる〜!」

 
●軽く流したミステリコント……樒/榁

G「『樒/榁』は現代本格のもっとも先鋭な書き手のお1人、殊能さんによる“密室本”。密室本シリーズの例にならって、この本もたいへん薄いのですが、さらに作品自体も中篇2作による二部構成で……あっさりライト級の読み心地ですね」
B「同じ温泉地を舞台に十数年の時を隔てて発生した2つの事件を、それぞれ別の名探偵が解決する、と。ま、そういう趣向だな」
G「ええ。登場人物も含めて、この構成もちょっと前作『鏡の中は日曜日』に似ていますね」
B「まあ、くだんの前作のネタバレもあることだし、『鏡の中は日曜日』を先に読んでおくべし、だね。仕掛け的にも、あれを踏まえて作者が軽〜くジョークを飛ばしてみた、って感じだからね」
G「やっぱ、そういうことなんですかねえ……。それでもなんだか、どこかに深い意味が・何らかの仕掛けが潜めてある、って気がして仕方が無いんですけど」
B「そう思わせちゃうあたりが、この作家さんの恐ろしいところなんだよな。思わせぶりなハッタリと意地の悪いジョークで読者を煙に巻くのは、殊能さんの得意技。存在自体がトリックスターみたいな作家さんなんだよね」
G「なんのことやら。さて、ではまず『樒』から行きましょう。こちらは『鏡の中は日曜日』に登場した推理作家・鮎井郁介による、“水城優臣シリーズ”の遺作『天狗の斧』という体裁です。舞台は香川県の飯七温泉。この地に招待された水城と鮎井コンビは、村人たちの天狗目撃の噂などを聞きながら旅館に到着します。怪しげな骨董が並べられたその温泉宿にいた先客は、不動産会社の社長と専務、そして見知らぬ若者の3人だけ。ビジネスマンコンビはこの地にゴルフ場建設を目論み、怪文書なんかも届いたりしていよいよ怪しげな雰囲気が高まったところで、事件が起こります。閂が掛けられ密室状態になった部屋で不動産会社の社長が死体となり、神社のご神体である“天狗の斧”が残されていたのです……名探偵・水城優臣の推理やいかに!」
B「続いては『榁』。『樒』で描かれた事件から十数年後、ごぞんじ名探偵・石動戯作が、友人を訪ねてこの飯七温泉にやってきた。しかし『樒』時代の閑静な温泉地は、いつの間にやら奇妙な“天狗原人”の遺跡を売り物にする、俗悪な観光地になっていた。石動が訪れたのは、かつて水城らが宿泊した温泉旅館。ま、当然のように奇妙な事件が発生する。しかもかつて殺人事件が起こったその部屋で……今度は“中に誰もいないのに”何時の間にか部屋が密室になっていたのだ!」
G「というわけで。前述のとおり同じ場所で時を隔てて発生した2つの密室事件を、2人の名探偵がそれぞれ異なる解法で解く、という趣向です。個々の密室トリックはごく小ぶりで、大騒ぎするようなものではありません。でも、例によってちょっと視点をずらしていくお得意のテクニックを活かして、洒落たトリック小説としてまとめあげています。端正な仕上がりですよね」
B「各1トリック1ツイストのシンプルな構成は、物足りないといえば物足りないが、ボリュームから勘案すればこのあたりがジャストボリュームなんだろう。作品の位置づけとしては、『鏡の中は日曜日』のオマケみたいなもんなんじゃないかな。そう考えればそれなりに、気が利いているともいえるわけで。これはこれでいいんじゃないかと思う」
G「あら、えらくあっさりしてますね?」
B「十年かけた挙句の新作がコレなら、そりゃまあ腹もたつだろうけどさ。さっきもいったように、これは前作の“遺産”を活かしてセンスだけでざっと素描したミステリコント。ちょっぴり食い足りない気分にさせるのも、たぶん作者の計算のうちだろう。裏返せばこのレベルの作品なら、この人はいつだって書けるってことなんだろうな」
G「そのわりには、ここんとこ新作の声が聞こえてきませんけどね」
B「そういえばそうだねえ。待たされれば待たされるほど、こっちの期待値は上がっていくんだけど……読者のそんな思いもまた、かる〜くスルーされそうな気が(笑)。そもそもこの作家さんは量産志向なんてテンからなさそうだしねえ」
G「ですね。この作家さんの場合は、そやって期待しすぎると“ワザとその期待を外す”ということを、意図的に、しかも平然とやりそうでコワイですよね」
B「たしかにそうだな。だったらできるだけ、期待してる気持ちを表に出さないようにせんとね(笑)」

 
●みんな、サイコ……未熟の獣

G「98年から01年まで雑誌『本の窓』に連載されていた『未熟の獣』が本になりました。作者の黒崎緑さんは、軽妙なユーモアミステリ『しゃべくり探偵』シリーズで知られた方ですが……GooBooで取り上げるのはひょっとしたら初めてかなあ」
B「んー、この方はサントリーミステリー大賞のご出身だったっけ。もうしわけないがあまり読んでないんだよなあ。この『未熟の獣』も例の赤本(『本格ミステリ・クロニクル 300』探偵小説研究会 編著)にリストアップされてたから読んだんだ。とりあえず面白かったけど……やっぱ、なんでこれが本格として選ばれたのか謎だったな」
G「ま、赤本のあのリストは、“本格として読むこともできる”本のリスト程度に受け止めておけばよいのではないでしょうか」
B「だから〜、その“本格として読むこと”ができないっつの! この小説のどこをどう読めば本格なんて言葉が出てくるのよ。作者だって困るんじゃない? 本格として読まれたりなんかしたら」
G「まーそのあたりは固いこといいっこなしですよ。それをいいだしたら、絶対に話が終わらないですからね。……というわけで内容ですが、舞台となるのは郊外の平和な住宅地。その公園の1画で、行方不明だった少女の絞殺死体が発見されるんですね。有名美少女タレントに似た顔立ちをもつその少女の遺体は、“1+1=”というダイイングメッセージ(?)が書かれた紙片を握りしめていました。しかし警察の必死の捜査にもかかわらず、犯人は不明のまま。しかも同じくそのタレントに似た少女たちが、数カ月おきに次々と誘拐されたり殺されはじめます」
B「同一犯なのか、同一犯だとすれば動機はなんなのか。子どもを持つ住人たちは恐怖し、動揺し……主婦たちはそれぞれの思惑を胸に、犯人探しの推理を始める。ところがくだんの美少女タレントが隣町でドラマのロケを行なうことになったことから、事態は急変する。ロケ現場で爆弾が炸裂し美少女タレントが誘拐されたのだ。やはり犯人の狙いは美少女タレントだったのか?」
G「そんな風に紹介すると、なにやらミッシングリンクテーマのサイコスリラーか、犯罪小説みたいな感じですが、じつはちょっと……いや全然、違うんですよね」
B「そうだね。意味あり気な犯人視点の描写もふんだんにあったりして。“犯人が誰か”ということを除いては、実はその犯行動機も犯行経過も“読者にだけは明らか”にされているんだ」
G「特に中盤では複数の人物が容疑者に擬せられ、フーダニットサスペンス風に展開するんですが……面白いのは、ここに登場する主婦たちもその他の登場人物たちも、それぞれ少しずつ壊れているってことなんです。しかも、ごく平凡な日常の描写と重ね合わせて浮き彫りにされていく、かれらのささやかな狂気が妙にリアルで。薄ら寒くて。まさに誰が犯人でもおかしくない、って風に思えてくる。ここから生まれるサスペンスはかなり強烈ですよね」
B「でもねえ、結局本筋の事件は一番つまらない形で、しかもごくいいかげんに謎解きされされちゃうんだよなあ。例の“1+1=”のダイイングメッセージだってそうよ。くだらないというか陳腐というか、すげーつまんない形で解かれちゃう……どうやら作者さんが描きたかったのは本格ミステリ的な意味での謎解きではなくて、“その先”にあったようだね」
G「たしかに真相が解明されるまでのサスペンスが前述のように強烈だっただけに、謎解き自体にはちょっとしたガッカリ感はあるかもしれませんね。でも、おっしゃる通り作者さんの狙いはその先。つまり、連続誘拐殺人事件という非日常的な事件をきっかけに、“日常に潜んでいたそれぞれの狂気”があぶり出されてくる、という仕掛けにあったんでしょう。実際、この狙いは見事に成功していると思いますよ。ことに主婦の心理描写のあれこれは、なんかこう薄気味悪くなるくらいリアルだったな」
B「そうか? う〜ん。私は個々の狂気の描き方は意外なくらいありきたりで、むしろ表層的って気がしたがなあ。個々の狂気の膨らませ方というか暴走のさせ方も、なんかこう舌足らずでさ。読んでいて怖さを引き出してくれるほどのインパクトはなかったな」
G「いや、だって洋モノのサイコサスペンスじゃないんですから。あれくらい抑制された筆致の方が、むしろリアルに感じられるんですけど。洋モノみたいになっちゃうともう怪物の範疇で、かえってリアルには感じられない」
B「……感覚の違いだね。私はともかく、真相も含めて何から何まで読者の想像を一歩も超えてくれていない気がして、正直おおいに食い足りなかったな。なんちゅうか、予定調和の狂気って感じだったんだよ。残念ながらね」

 
●解剖学者の筆……被告の女性に関しては

G「ここ数年何度となく使っているフレーズですが、今回もまた使わせていただきます。“ああ、こんな作品まで日本語で読める日が来ようとは!”。……というわけで、あのフランシス・アイルズことアントニイ・バークリイの、実質的な遺作長篇となった『被告の女性に関しては』の登場です」
B「たしかにこれが翻訳されたのは驚きだよねー。そもそもこの作品は『殺意』や『犯行以前』(=『レディに捧げる殺人物語』)と共に、アイルズ名義で書かれた三部作の最終作。んで、この三部作ちゅうのは“パズルとしての本格の人工的な謎”への批評から“リアルな謎としての人間心理”へ至る、作者のミステリ進化論を実作で証明したような3作なのよね。つまりはこの最終作はミステリではない、というわけ」
G「それでもいちおう『殺意』と『犯行以前』の2作は、まだしもミステリの範疇にあるといえますよね。特に『犯行以前』は倒叙もののベストに選ばれることも多い、評価の高い作品でしょう。実際、これはどちらもとても面白いですし」
B「ふん。いうまでもなく、本格ミステリだとはコンリンザイいえないけどね! ……ともかくそういう流れの先に生まれた作品だけに、この『被告の女性に関しては』では、作者はほぼ完全にといっていいほど作中からミステリ的要素を排除しちゃってる。あとに残ったのは、この三部作に共通するモチーフである“三角関係”を主題にした、残酷かつ皮肉で、しかもとーっても苦いユーモア心理小説というわけだ」
G「では、内容を紹介しておきましょう。えっと……主人公のアーサーは強い劣等感と優越感を合わせ持つ、自意識過剰かつ情緒不安定気味の大学生。夏の休暇を目前に軽い病気にかかった彼は、フィアンセの少女の勧めで海辺の村での静養を計画します。彼女に紹介された村の開業医宅に滞在し、治療しながらのんびりひと夏を過ごそうというわけです」
B「やがて村を訪れた彼を迎えたのは、親切心と奇妙な意地の悪さを合わせ持つ医師と、その美しい夫人だった。2人に歓迎され、ひとまずは村に落ち着いた主人公。しかし医師という職業がら主人は留守がちで、田舎の生活の無聊に飽いた彼は、徐々に美しい夫人に魅了されていく。やがて幾つかの偶然の積み重ねで完全に恋に溺れた彼を、あまりにも皮肉な運命が襲う……」
G「というわけで。ラストに軽いツイストも用意されてはいますが、けっしてミステリ的なサプライズを生み出すものではなく、おそらく作者自身にもそのつもりはないようですね」
B「つまり、それはこの愚かな主人公を始めとする登場人物たちの、玄妙不可思議な心理と性格を描くための仕掛けだね」
G「ですね。ともかく作者の筆は何処までも皮肉っぽく、残酷で。過剰な自信と弱気の間を揺れ動く自意識の化物みたいな主人公の心を、身勝手でご都合主義な女心と共に、まさに解剖学者の手つきで容赦なく抉りだしていく。ここいらの描写はことごとく人間心理のツボを突きまくっていて、間然とするところがない。作中では事件というほどの事件は起こらないんですが……やっぱ素敵に面白いですよ〜、バークリイは!」
B「まあ、プロット自体はものすごくオーソドックスなパターンの恋愛遊戯でそれ以上の工夫はないし、当然、恋愛小説としてのカタルシスやスリルもまったくといっていいほど存在しないんだけどね」
G「だって作者は、恋の素晴らしさなんぞ描くつもりはサラサラ無いわけですから。やはりこれはしょうもない人間心理の機微を、いやらしいくらいきめ細かく、皮肉たっぷりに描いていく意地悪な筆の冴えが読み所というものでしょう」
B「いうなれば、三角関係の構図の中でもつれ合い・絡み合い・はじけあう、卑小な人間どもの浅ましい心理を、繊細な技術と悪意で描ききった、と。……でもね、これはやっぱりあくまでバークリイ作品だから面白いんだと思うけどね、私は」
G「どういうことですか?」
B「だからさ、バークリイの作品を読み続けて、作者のミステリの変遷を追ってきた読み手だからこそ“この遺作のありよう”がきれいに腑に落ちて、楽しめもするわけで……もしこれが名も知らぬ別の作家の作品として紹介されたらどうだったと思う? 果たしてそこまで楽しめたかな? 私はやっぱ疑問だな」
G「うーん、そうかなあ」
B「ともかくバークリイ作品をひと通り読んで、その創作の流れみたいなものをつかみ、しかる後に読んだ方が無難な作品だと思うよ。……っていうか、有り体にいってしまえばさ、ミステリ的にもけっして重要な小説というわけじゃないんだから。バークリイ・ファンだけが読んどけばいいんじゃないのー?」

 
●面白いのは脇筋……ソルトマーシュの殺人

G「世界探偵小説全集の第三期もそろそろ終わりですね。第28巻はグラディス・ミッチェルの『ソルトマーシュの殺人』です」
B「この作家さんは古典本格黄金時代の、それも末期に活躍した方で、“黄金時代最後のミステリ作家”なぁんて呼ばれることもあるようだ。まあ本格派といっても末期だからね、派手なトリックや精密なロジックはあまり出てこない。むろん本格としての基本はきっちり押さえてあるが、読みどころはやっぱ、個性豊かな登場人物が繰り広げる、オフビートっぽい人間喜劇のブラックな笑いにあるんだな。このあたりを意識しておかないと、ガッカリすることになるぞ」
G「いわゆる英国新本格派つうかファルス派つうか……マイケル・イネスあたりと並べて論じられることが多い作家さんですね。1983年に没するまでほぼ年1冊ペースで書き続けて作品総数は70冊を超えるそうですが、その割には邦訳の機会には恵まれなかったようで。今回の『ソルトマーシュの殺人』は『トム・ブラウンの死体』に続く2冊目の邦訳ということになります。著作の数が多いだけに、前述のようなファルスを基本としつつもストレートな本格からオカルト色の強いミステリまで、いろんなタイプの作品があるみたい。もっともっと紹介が進んでいい作家さんの1人ですね」
B「英国新本格派は私はどっちかというと苦手なんだけど、この作品はけっこう楽しく読めたね。本格色の強いものがあるなら、私も読んでみたいな。……じゃ、内容を紹介しよう。舞台となるのはのどかな田園が広がるソルトマーシュ村。おりしも牧師館の若いメイドが妊娠したことが発覚し、噂好きの村人たちは大騒ぎ。彼女を妊娠させた男の正体をめぐって様々な憶測が飛び交っていた。その不始末をとがめられ、牧師館を追われたメイドは村の宿屋に身を寄せることになったが、なぜか父親の名はガンとして語らない。やがて月満ちて無事子どもは産まれたが……村祭りの夜、彼女は無惨にも殺害されてしまったのだ」
G「メイドの殺害をきっかけに、牧師が何者かに襲撃されるなどにわかに事件が続発し始めます。やがて警察はある人物を逮捕しますが、若い副牧師ノエルはその犯行を信じず、休暇で村に滞在していた老心理学者のミセス・ブラッドリーに事件の解決を依頼します。かくて立ち上がった魔女のごときミセス・ブラッドリーは、悪意滴る笑みを浮かべつつ、変人ぞろいの村人の秘密を次々暴き真実に迫っていきます」
B「実はこの作品も、本格ミステリとしての骨格は意外なくらいしっかりしているんだよね。手がかりがあり、ミスリードがあり、丹念な捜査・検証があって謎解きがあり、意外な犯人も意外な解決も用意されている。ところが作者の筆は、謎解きの本筋を描くことより村の奇人変人たちの空騒ぎを描くことに熱心で。非常にしばしば謎解きを放り出しては、この脇筋の描写に熱中するんだよな。いわばむちゃくちゃ無駄口の多い小説で……いくらファルス派とはいえ、これって明らかにミステリとしてのバランスが変。この妙なクセさえなければ、本格ミステリとしてずいぶんスッキリしたはずなんだけどね」
G「だけど作者は最初からそんな古典的な本格ミステリを書くつもりは無いわけですから、そもそもそれは無理な注文というものでしょう。というより、この主客転倒したひねくれた書き方こそが、この作者の持ち味なんですよ。要するに読者の思い込みのツボをことごとく外していく、とんでもなく底意地の悪いオフビートというか……こういうひねくれっぷりは、イネスやバークリイなんかにも通じる部分がありますよね。ある意味、英国のミステリ作家の持ち味の一つなんでしょう。ですから、そう割りきってしまえば、作者がひっきりなしにそれていく“わき道”も面白く読めますよ。なんかこうおっそろしく毒の強いブラックコメディを読んでるみたいで、なかなか楽しい」
B「ん〜、まあたしかにその部分で退屈することはなかったけどさ、べつだん私は“そういうもの”を読みたいわけではないからなあ。ただ、名探偵役のミセス・ブラッドリーはいいね。しばしば論理を超越しちゃう直感型推理の探偵だから、パズラーの探偵役としての納得度は低いんだけど、謎解きシーンでのケレンたっぷりの大芝居はひじょうに愉快だ。もちろん本編終了後の“付録”に潜めたファイナルストロークの一撃も強烈なサプライズを味わせてくれた。むっちゃくちゃアザトイけどね」
G「おっしゃるとおり、パズラーとしては弱点や無駄が多すぎるくらい多い。これは否定しません。ですが一方で、噛めば噛むほど味わい深い、滋味あふれる作品でもあると思うんです。ちなみにミッチェル作品のほとんどで探偵役を務めているミセス・ブラッドリーは、同時期に活躍した同じ老女探偵のミス・マープルなんかとは、全てが対極的な存在ですね。いわく“博物館の翼手竜”の複製に似た容貌、フェル博士並のオカルト知識の豊富さ、容赦のない毒舌、そしてもちろん全てを見通す透徹した知性に、独自の倫理観に照らして大胆に断罪してはばからない倣岸不遜さ。んもうキャラ立ちまくりというか、異様なまでに強烈なそのキャラクターは、女性探偵としても他に余り例が無いタイプでしょう。ぜひもっとたくさん読んでみたいですね」

 
●オフビートにもほどがある……死者を起こせ

G「この方の作品を読むのは初めてです。『死者を起こせ』はフランスのオフビートな本格派、フレッド・ヴァンルガスさんの長篇。ル・マン市ミステリ大賞とフランスミステリ批評家賞を受賞した作品だそうです」
B「申し訳ないけど両方知らない賞だなあ。まあ、こういっちゃなんだけど、いかにも批評家好みの作品って感じはしたよ。また、いかにもフランスミステリーって感じも」
G「現代フランスの本格派というと、昨今話題のポール・アルテさんがいるわけですが、全然違いますよね」
B「アルテは本格マニアっぽいというか、日本の新本格っぽい。ヴァルガスの方がずっとフランスミステリしてるんじゃない? 謎解きよりもキャラクタ造形が読み所だし、ちょっと文学入ってるし。はっきりいって本格としては、箸にも棒にも掛からんワケのわかんない作品だけどね」
G「自分の理解できないものを一方的に否定する、というのは、いかがなものかと」
B「面白くない、ってことはわかるぞ!」
G「まぁそういわずに、まずはアラスジと参りましょう。えー。住宅地のかたすみに半ば荒れ果てたまま建っている“ボロ館”。このおんぼろ下宿館に、3人の新しい下宿人がやって来ました。マルコ、マタイ、ルカという聖者の名をニックネームに持つ、若く貧乏な歴史学者たちです。この“ボロ館”の隣には元オペラ歌手の婦人が暮らしていましたが、ある日、婦人は自家の庭に一夜にして若木が植え込まれたことに気付きます」
B「誰が? 何のために? そしていつの間に? もしかして木の下に“何か”が埋められているのでは? 漠とした恐怖を感じた婦人は、仲よくなった3人の貧乏学者に“謎の木”の調査を依頼する。お金はないが義侠心に熱く、女性に弱い3人は、すったもんだしながらも木を掘り返すが……今度は依頼人の婦人が失踪してしまう」
G「一夜にして庭に見知らぬ木が出現するという怪現象は、ユーモラスでしかもちょっぴり不気味で、魅力的な“冒頭の謎”ですよね。ちょっと日常の謎っぽいっていうか。3人組のキャラクタも楽しくて、ぼくはけっこう楽しく読みました」
B「まぁそうなんだけどさ、ミステリとしてはあっという間に失速し、破綻しちゃうんだよね。作者は実にしばしば本筋の謎解きを放りだして、関係ないことをちょー熱心に書き始める。たとえば3人組のライフスタイルや思想信条、余り意味があるとも思えないドタバタとか。そういう本筋に関係ないことを描くのは、ほんとむちゃくちゃ熱心なのに、謎解きの方はあからさまに放りだすんだ」
G「もともと本筋の事件自体、雲をつかむような、とらえ所の無い話ですからね」
B「だからって、それを放りだしていいってもんでもないだろう。 おかげで読者はあっという間に話の流れを見失っちゃうんだ。たしかに一応伏線は張ってあるし、謎解きも用意されているんだけど、読者的には、だから“事件の輪郭をつかむことすら容易じゃない”。謎解きを読んでも、それが面白いんだかつまらないんだかすら判然としない……ある意味すごいといえばすごい作りだよなあ。ま、どっちにしろヘタれた真相なので、肩に力を入れて読んでもがっかりするだけだとは思うけどね」
G「んん、ものすごーくヘンな、ツボ外しまくりの軽本格といった感じかしらん。たしかに本格としては、読者のツボを微妙に外してくるようなオフビートなノリですけどね。とりあえず“意外な真相”ということはいえるんじゃないでしょうか」
B「どういう意味の意外さだ、それは(笑)」
G「いや、まあ、サプライズだって無いわけじゃないでしょ。ただ、本格ミステリとしてのネタは、やはりフランス的なエスプリというかジョークに近いもので……3人組のドタバタユーモアもそうですが、涼しい顔してツボを外してくる軽みやセンスを楽しむべき作品でしょう。軽い気持で読めばなかなか楽しいですよ」
B「うーん、しっかし読みにくいんだよなあ。小説が下手というかさ、しまいにゃ誰が誰やら、何が何やら分からなくなる始末だったぞ。それがある種の持ち味だというのは分かるんだけど、せめてもう少し整理した、明快な書き方はできないもんかな」
G「下手というのとは違うでしょう。かといって単純に巧いというのでもないですが……その妙なユーモアにあふれた書きっぷりはまことに繊細で、しかも個性的。好きな人にとっては、じんわりくる楽しさがありますよね。特に奇人ぞろいの3人組の奇矯な生活ぶりや彼らが暮らす“建物の妙なコンセプト”など、オフビートな面白さとしか言い様がないもので。ノリ的にはカルヴィーノ(こっちはイタリアですけどね)にちょっと似た楽しさがあります」
B「カルヴィーノの天衣無縫にぶっ飛んだ発想とはまた全然違うと思うよ。まあ、私も本格として読むのは早々に諦めたからいいけどね。ともかくこの作家さんは、日本人にはいちばん分かりにくいタイプだと思う」
G「いや、好きな人は好きなはずですよ。趣味に合えばめっけもんだし、そうでなくても海外の現代ミステリの流れの1つとして知っておくのは損じゃない。ともかくとびきりユニークであるのは確かだと思います」

 
●本格SFミステリの王道……ウロボロスの波動

G「『ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション』といえば、気鋭の現代SF作家が網羅された質の高い国産SF叢書ですが、今回はその1冊、林譲治さんの『ウロボロスの波動』を取り上げましょう。なんたってこれはバリバリのハードSFながら濃厚な謎解き味を漂わせ、SFミステリとしても読めるというアジモフばりの連作短編集です」
B「私も全然知らない作家さんだったんだけどねー。例の探偵小説研究会編著の『本格ミステリこれがベストだ! 2003』の『会員おすすめ20選』で、巽昌章さんが紹介してた本なんで読んでみたんだ。この『会員おすすめ20選』は、『文章魔界道』や『四月は霧の00密室』やらを勧めてる方がいたりして、あてにならない気はしたけどね。まあ“本格として”読めるかどうかはともかく、ハードSFは好きだからいいかと」
G「そういうわけで内容ですが。この作品はもともと99年〜2001年にかけて雑誌『SFマガジン』に断続的に掲載された5篇に、書き下ろし1篇を加えた計6篇による連作SF短編集。22世紀初頭の地球ー太陽系を舞台に描く“太陽系開拓史”です」
B「シリーズ全体の背景となる設定はこんな感じ……。えー、火星を始めとする太陽系内他惑星の開拓が進み、地球外で暮らす人々も増えつつあった22世紀の太陽系。しかし、地球外で暮らす者たちにとって環境は厳しく、あらゆる面で母なる地球の支援/支配の元にあった。しかしわずか数十天文単位の距離に、小型のブラックホールが発見された時、事態は一変した。開拓者たちは、『カーリー』と名づけられたこのミニブラックホールの軌道を改変し、これを無限のエネルギー源として利用しようという壮大なプロジェクトを立上げたのだ!」
G「この計画の核にあるのは“人工降着円盤”というアイディアなんですが……このなんとも巨大なスケールのSFガジェットの内容は、読んでのお楽しみということで(笑)。ともかく開拓者たちはAADDという組織を設立し、このプロジェクトに挑んでいきます。というわけで、第1話『ウロボロスの波動』。カーリーを囲むようにして建設された直径4050キロの巨大な環状構造物・ウロボロスで、ありえない事故が発生した。AIに制御されていた輸送用のトロッコが暴走し、乗っていた科学者が死亡したのだ。あらゆるトラブルを想定し、徹底した安全策をとっていたはずのAIがなぜ狂ったのか。いや、かれは本当に狂ったのか? システム管理部門のキャサリンは、その謎を解き事故の再発を防ぐべくAI中枢に向かう」
B「これは非常に刺激的なミステリSFだったねー。ミステリ的な意味での謎解きは実はたいしたサプライズもないし、スリリングでもないのよ。だけどSFならではの発想というか、SF的視点に基づいた謎の構築と解明の仕組みがとても新鮮だったのね」
G「いわゆる異世界ミステリにおける特殊ルールが、“完全にSF的な発想に基づいたときどうなるか”という好例だと思います。SF読みさんにすれば、この謎ー謎解きの背景にある視点は特に珍しくもないものなんでしょうが、ミステリ読みにとってはきわめて異質なものなんですよね。同じ謎解きなのに、ミステリのそれとは感触がまるきり違います」
B「続いては『小惑星ラプシヌプルクルの謎』。エネルギー中継システムを建設するため、ロボットが送り込まれた小惑星ラプシヌプルクル。塵が積った小さな岩のかけらであり、いかなる生命の痕跡も存在せず、むろん人類も下り立ったことはない。しかしロボットが建設したその無人施設が、何者かによって破壊されたのだ。だれが? なぜ? もしや……」
G「これなんかもう完全にフーダニットであり、ハウダニットですよねー。いうなれば“人間の手が触れない”絶対的な密室での破壊事件、究極の不可能犯罪。しかもその真相がまた凄くて……いうなれば島田荘司ばりのトリックが使われてるんですよね! 読み返してみると謎解きの伏線も非常に丁寧に張られてますし、これは本格としてばっちり楽しめますよ」
B「たしかにこれは『ウロボロス』とは違って本格ミステリの文法で書かれた謎解きともいえるわけで、柄刀さんの一連の科学推理ものに近いノリかもね。その意味ではちょっと物足りなかった気がしないではない。まあ、実際に謎を解くにはちょっとした科学知識が必要なんだけど……でも私だって解けたくらいだから、たいした専門知識じゃないんだろう」
G「続きましては『ヒドラ氷穴』。着実に計画を進め、力をつけていくAADDに反撥を強める地球側。特に強硬なある地球側組織が、AADD総裁を狙って暗殺者を送り込んできた。暗殺者は軌道エレベータを占拠したテロリストを隠れ蓑に、ガードの裏をかいてまんまと火星に侵入したが、総裁は火星には“降りない”予定だったのだ。わざわざ火星に侵入した暗殺者の狙いは何なのか? これはいわばSF版『ジャッカルの日』。警備側と暗殺者とが互い相手の手を読み、裏をかこうとする、知力戦を描いたサスペンスですね。もちろん暗殺計画も守備側の防御法にも、SF的アイディアがたっぷり活かされています」
B「SF版『ジャッカルの日』というのは言い得て妙だなー。このあたり、すでに作者はSFミステリのテクニックを自家薬籠中のものとしている感じだね。ま、裏返せばそういう骨格/コンセプトが奇麗に透けて見える底の浅さはあるんだが。次は『エウロパの龍』。木星の衛星エウロバの10kmに及ぶ分厚い氷原の下に発見された“海”。潜航艇はその海で“生命”を発見したが、連絡の直後、忽然と消息を絶つ。その原因調査のために派遣された潜航艇を襲う巨大な影!」
G「これはわりと普通のハードSF短編かな。ただし、謎の生命体の正体や“なぜ彼らが出現したのか”“なぜ潜航艇を襲うのか”といった謎は、これもやはりきちんと伏線が張られた謎解きでもって解明されますね。ほんと本格ミステリ並みの律義さで伏線が張ってある。SFとしては逆にそのあたりが窮屈な感じがするのかもしれませんが。……次は『エインガナの声』。AADDと地球の共同プロジェクトにより、矮小銀河エインガナの観測のため冥王星のさらに外側までやってきた探査用大型宇宙船。協力して観測作業を進めていた地球人とAADDだったが、ふいに地球・AADD間で戦争が勃発したという連絡が入る!」
B「すでに地球への帰属意識を完全に失ったAADDスタッフと、彼らを異人種扱いする地球人。いわば一種の異星人混成チームの内紛を描いた異文化ギャップものだな。宇宙植民地と地球連邦の対立の構図は、ガンダム世代にはなじみ深いものだろう。巽さんも指摘していたが、こういう他者への認識や理解の仕方のズレというのが、この作家さんのテーマのようだね。他と違って謎解きがメインではないけれど、小さい謎解きやどんでん返しの仕掛けはやはりきっちり仕込まれている。特にどんでん返しはかなり強引だけど、予想もしてなかったんでびっくりしたよ」
G「では、ラスト。『キャリバンの翼』です。ついに天王星の軌道に乗ったブラックホール・カーリーに、ナノマシンの探査機器が打込まれた。送り届けられたデータは、しかし信じられないものでした。“ブラックホールの内部に何かがいる!”。……というわけで、ここでにわかに物語はファーストコンタクトものSFになるわけですが」
B「これはちょっとお話を盛り込みすぎかな。30ページちょいのお話の中で25年の時が流れ、かなり大がかりなファーストコンタクト物語が語られるわけで、いかになんでも消化不良。遥かな宇宙への旅立ちを描いて感動的であるべきエンディングも、なんだか駆け足で落ち着かない気がする。もっとじっくり描きこんでほしかったな」
G「まあ、それはそれとして……本編を全て読み終えた後、最後の最後に明かされる“あのトリック”にはビックリしましたよね」
B「ああ、あれね。うん、まあビックリしたってほどではないけど、予想もしてなかったのは確かだなー。この作家さん、新本格を相当読んでるんじゃないの? まさかこんなバリバリのハードSFで、こんな仕掛けに出会おうとは思わなかった。未来史ものSF連作のお約束的体裁が、じつはまんまミスディレクションになってるんだね」
G「すごいですよねー。これはもう本格読みさんも絶対に読んでおくべきSFだと思います」
B「SF的にいえば、こういう未来史ものってある種基本の1つだよね。ハインラインの『未来史シリーズ』、ブラッドベリの『火星年代記』、『ファウンデーション・シリーズ』だってそうといやそうだし、日本にだって光瀬龍の『宇宙開拓史シリーズ』とかがある。まあ、あのあたりに比べると、しかしまだまだ硬いというか、こなれてないっぽい気はするよね。ハードSFとしての科学的アイディアが先にたっちゃってるんだ」
G「作者さんはまだまだこのシリーズを書き継いでいかれるそうですから、そのあたりはまあいずれ。……それに。どうでもいけど例が古いですよ〜。SF読みさんに見られたら笑われちゃうな。ま、ともかくそういった輝かしい未来史ものSFの歴史に連なる、堂々たる1編には間違いないし、SFミステリとしてもきわめて高度な達成だと思います。お勧めですね!」
※ハードSFの本格ミステリ的な応用は堀晃作品の影響という意見もある。また“あのトリック”についてはF・ポールに前例(『マン・プラス』)がある。……いずれも『黄金の羊毛亭』のSAKATAM氏の指摘

 
#2002年7月某日/某スタバにて
 
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