battle82(2002年8月第2週)
 
[取り上げた本]
01 作者不詳 ミステリ作家の読む本 三津田信三        講談社
02 五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し 霧舎 巧         講談社
03 触身仏 北森 鴻         新潮社
04 人形幻戯 西澤保彦         講談社
05 凍るタナトス 柄刀 一         文藝春秋
06 僧正の積木唄 山田正紀         文藝春秋
07 ムガール宮の密室 小森健太朗        原書房
08 ツール&ストール 大倉崇裕         双葉社
09 クビツリハイスクール 西尾維新         講談社
10 その死者の名は
   (Give a Corpse a Bad Name 1940)
エリザベス・フェラーズ  東京創元社
Elizabeth Ferrars
11 煙で描いた肖像画
  (PORTRAIT IN SMOKE 1950)
ビル・S・バリンジャー  東京創元社
BILL S.BALLINGER
12 最後の記憶 綾辻行人         角川書店
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●ハイブリッド・メタ構造の怪奇探偵小説……作者不詳
 
G「恥ずかしながら、この作家さんの作品を読むのは初めてです。三津田信三さんの『作者不詳 ミステリ作家の読む本』なんですが。どうやらこの方はもともとホラー畑の編集者さんで、2001年に出た『ホラー作家の棲む家』で作家としてもデビューされたんだそうです」
B「『ホラー作家の棲む家』はストレートなホラーだったし、元々は創作の方もホラー系がメインなんだろうね。キミは読んでないのか? 『ホラー作家の棲む家』は。『作者不詳』のようなミステリ要素はないけど、なかなか面白かったぞ」
G「ええ、今度読んでみますね。『作者不詳』はぼくもとても楽しめましたし。というわけで、正直いって手を付ける前はあまり期待していなかったのですが、読んでビックリ。『作者不詳』は非常に完成度の高い、ホラーと本格ミステリのハイブリッド作品です」
B「真正面から本格ミステリとして読むと、まあさすがに辛いんだが、ホラーとのハイブリッドと考えれば成功した部類の作品といえるだろう。ハイブリッドなんていうと新しげだけど作品のノリはむしろ古風で、ホラーというより怪談、本格ミステリというより探偵小説という言葉がふさわしい気がしたね」
G「そうですね。むろんプロットワークの仕掛けやホラー演出など、いま風のセンスもちゃんと活かされていますが、全体の感触はたとえば乱歩の一部の作品などを連想させて、それこそ“怪奇探偵小説”というフレーズがピッタリくる感じ。個人的には好きなんですよね〜、こういうの」
B「ほんまに節操のないやっちゃなあ。ま、まずは内容のご紹介といこう。えー、どこか現実感を欠いた町・杏羅町で、偶然古書店“古本堂”を発見した若かりし日の三津田とその友人・飛鳥。せっせと店に通い詰め、常連となった2人は、やがて店主から一冊のミステリ系同人誌を紹介される。本のタイトルは『迷宮草紙』。どこか禍々しいその本の雰囲気に魅かれて読み始めた2人だったが、やがて奇妙なことに気づいた。――収められたミステリ短編にはどれも解決篇というものが存在せず、しかも1つ読み進めるごとに異様な現象が襲いかかりはじめたのだ。徐々に日常を侵食していくその怪異により、2人を取り巻く世界は奇怪な変貌を遂げ始める。この怪異を逃れる方法はたった一つ。みずから作中の謎を解き明かすこと!……生命の危機さえ感じた2人は、必死の謎解きを開始する」
G「というわけで。この作品には作中作――『迷宮草紙』の収録作という体裁で、総計7つの短編が収められています。何しろ同人誌という設定ですから、全て違う同人作家が書いた短編という仕立てで。実際1つ1つまったく異なる内容・タッチで書かれています。すなわち、霧に包まれた館に出現したドッペルゲンガーの謎、見世物小屋から姿を消した赤ん坊という消失もの、荒廃した高校生による惨殺事件の記録ノート、時計屋敷の謎の殺人喜劇、生首が招く孤島の殺戮等々……いずれも怪奇趣味・探偵小説趣味万点の体裁ながら、なかなか気の利いた短編ミステリであり、一応全てパズラーとして謎解きできるような仕掛けになっています」
B「中にはなかなか結構の整ったフーダニットもあったしね。とはいえ、当然パズラーとしての質にはかなりの凸凹があるし、最良のものでも、そこで主人公たちが展開する謎解きはきわめて恣意的な憶測でしかない。ひらたくいっちゃえば作中の怪異にナントカ現実的な説明を付けてみました、というようなレベル。謎解きとしてどうこういうようなものではないね」
G「でも、ミステリとしてのセンスもなかなか良いと思いましたよ。前述の“怪奇探偵小説”風のノリと謎解きロジックの落差が、妙な面白さを生み出しているというか。面白いのは、個々の作中作ではありえない不思議をロジックで解体していくのに、ほかならぬそのロジックを操る探偵たち自身の世界は、すでに圧倒的に不可解な怪異に包囲されている――ということです」
B「つまり、ホラー/ミステリ/ホラーという、三重のハイブリッドなメタ構造になっているわけだな。作中作の趣向といい、なんとまあ凝ったことを考えものではあるよな」
G「たしかにプロット全体の構造はトリッキーというか、きわめて人工的なんですが、だからって作り物の不自然さはまったく感じさせないですよね。むしろとてもこなれているというか、ホラーとミステリが違和感なく調和して、ユニークな作品世界を作り上げている。ホラーとミステリのハイブリッドということでいえば、倉阪さんの作品などよりもはるかに読みやすかったです」
B「きみは倉阪作品が苦手だからなあ。三津田さんの作品は現代のホラーとしては比較的理屈っぽいというか。ミステリ的な感触がわりとはっきり出ているタイプということはいえるかもしれないね。現代のホラーとしてどう評価されるのか分からないけど、ミステリ読みにはとっては読みやすいと思うよ」
G「本格として堅苦しく論じるには向かない作品ですが、ともかく異色作ですね。いってしまえば一種の“奇書”だと思います。本格読みさんも、読んでおいて損はありませんよ」
 
●なんか違う……五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し
 
G「早くも霧舎さんの“私立霧舎学園ミステリ白書シリーズ”が出ておりますね。『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』は、ミステリコミックやラブコメディのスタイルを小説に応用して本格ミステリの読者層拡大を狙おう、という作者の戦略に基づく企画モノの第2作です」
B「またしても長くて恥ずかしいタイトルであるのはともかくとして……コレをなんで小説でやらねばならんのか、いくら考えてもやっぱり理解できなくて。もう見切ってもいいんじゃないか――という気持ちがシミジミ湧いてくる第2作だったりする。それにしてもえらい速攻で出たよなあ。書き溜めてらっしゃったのだろうか? それともこのスタイルが、性に合ってるってことなのか? ま、たしかに不細工なりに手が込んでいた“あかずの扉研究会シリーズ”よりも素早く書けて、作者さんにとっては手間いらずであるのは間違いないんだろうけど」
G「まぁたそういうイヤミったらしいことを回りくどく……さっさとアラスジやっちゃいましょう」
B「へいへい。えー、あの“霧の密室事件”から1カ月後、私立霧舎学園へ転校してきた美少女・羽月琴葉と “伝説”の赤い糸で結ばれた高校生名探偵・小日向棚彦は、またもや学内で発生した奇怪な殺人事件に遭遇する。全身をピンク色のペンキで塗られた死体が、学内のコンピュータ室で発見されたのだ!」
G「終わりですか? 終わりですね? ……えー、というわけで。なんともあっさりアラスジの説明が終わっちゃうあたりもこのシリーズの特徴でしょうか。今回のメインネタは、タイトルにもあります通りアリバイ崩しです」
B「というか、通常のアリバイ崩しものみたいな“考え抜かれた複雑な時刻表のトリック”や、このジャンルに特有のコテコテの密度なんてものは、むろん期待してはいけない。そんなもんあるわけない。なんたってこれはコミックなんだからね」
G「まあ、たしかにメインに据えられているのは短編ネタレベルのトリックなんですが、少なくとも数だけはモロモロたくさん詰まっていますし、コミックミステリならではの……つまり“小説オンリィの作品では不可能な仕掛け”なんぞも仕込まれて、これはこれで楽しく読める作品になっているのではないでしょうか」
B「短編レベルのしょぼいネタを、コミックミステリというテーマの要請に基づき、強引につなぎ合わせてでっち上げた――つまりはそういう作品だわな。やたらにぎやかなそうに見えて、その実ミステリとしての興趣は驚くほど希薄なんだ。通常、こういう作品を“手抜き”とか“安直”というんだが、この作品にあっては“一見そのように見えてもこれはあくまでミステリコミックを小説で描くというコンセプトの要請であって、そう見えるのは気のせいです。けっして手抜きでも安直でもありません”と言い抜けることができるわけ。まっこと見事な戦略といえるだろうね」
G「そりゃまあ長編本格ミステリとして読んだら仕掛けは安直だし、てんで薄口だし、犯人の犯行計画も不自然かつ強引だし、それもトリックを生かすための強引さでは全然なくて単なるご都合主義に基づく不自然さだし、アリバイメインのくせにしょうもないアリバイトリックだったりするんだけど、軽本格、もしくはそれこそミステリコミックと考えれば――まあこんなもんでしょう。本格ミステリ小説を読んでいるんじゃなくて、あくまで字で描いたミステリコミックを読んでいるつもりになるのが、このシリーズの正しい鑑賞法だと思います」
B「ううむ、きみもなかなか歯に衣着せず云いまくってる気がするが……ともかくなんでそれをわざわざ小説でやらねばならんのかが、私にゃ理解できんわけよ。ミステリコミックにふさわしい内容なら、コミックでやればいいだけの話じゃん。なにもわざわざコミックを字でなぞって、いったいどうしようっての?」
G「うーん」
B「なぁーんて読者に思わせてしまった段階で、すでにこの企画は失敗していると、私は思うんだけどね。だいたいさー、あっちの水は美味しそうだから形だけ真似したろ、ということ自体、“なんか違う”んじゃないかって気がする」
G「いや、作者はなにも、カタチだけマネしたろと思ってらっしゃるわけでは、全然ないと思いますが」
B「(聞いてない)そもそもそんな気分じゃ絶対本家には勝てっこないでしょうが。あえて小説でマンガをやるというなら、それならそれで、それならではの、“コミック単体ではけっしてできない仕掛けや内容”にしなければ意味ない! ――とは、まあいわないけど。少なくとももったいないことだわね」
G「むー」
B「字で描いたコミックだったら上等なライトノベルがいくらもあるし、コミック的なテイストを巧くいかした本格ミステリだったら、たとえば西澤さんの“チョーモンイン”なんてのもある。なんのチャレンジも工夫もない“霧舎学園”なんぞ、二番煎じよりもさらに落ちるってぇもんだ」
G「大騒ぎするような作品ではたしかにありませんが、逆に大騒ぎしなけりゃ、これはこれでまあまあ読める作品でもあると、個人的には思うんだけどなあ」
 
●響きあう過去と現在……触身仏

G「北森さんの“蓮丈那智フィールドファイル”の2冊目が出ていますね。孤高にして異端の民俗学者あ〜んどクールビューティな名探偵、蓮丈那智を主人公とするシリーズの第2作品集ということになります」
B「斯界屈指の短編の名手として知られる北森さんは、現在も数多くのシリーズを並行して書いてらっしゃるわけだけど、中でも最も本格色の強いシリーズがこの“蓮丈那智フィールドファイル”シリーズ。実際、第1短編集の『凶笑面』は、第1回の本格ミステリ大賞の候補作にもなったほどだしね。……私見だが、このとき候補作となった5作品(泡坂妻夫『奇術探偵曾我佳城全集』古泉迦十『火蛾』北森鴻『凶笑面』倉知淳『壼中の天国』殊能将之『美濃牛』)の中で、もっとも本格ミステリ大賞の名に最もふさわしかったのは、ほかならぬ『凶笑面』だったと私は思う。少なくとも受賞作である『壼中の天国』よりも、“はるかに本格だった”ことは間違いない」
G「その点については同感ですね。それはそれとして、今回の『触身仏』は該当年度の同賞では候補作にもなりませんでしたが……なぜなんでしょうね。第1巻に比べてとくだんクオリティが下がったとは思わないんですが。他の候補作だって、第1回のときに比べハイレベルという気はしないし」
B「野暮なことをいうなよ〜。シリーズ作品は1回候補作になっちゃったら、もうそれだけで“新鮮さ” がなくなっちゃうんだよ。仮にこのシリーズがもう一度候補作になるチャンスがあるとしたら、番外で“長編”が出るか、または“シリーズが完結”するタイミングしかありえないだろうね」
G「ふーん、そんなもんですかねえ」
B「むろんあくまで私見だよ。ま、どうでもいいじゃん、本格ミステリ大賞なんて」
G「ですね。では内容ですが、まずはざっくりシリーズの基本的な設定を紹介しておきましょう」
B「ふむ。基本的には、民俗学者であるヒロインが各地で調査を進め、奇妙な、あるいは奇怪な伝承や遺跡、遺物なんてものに出会う。で、そいつに関する民俗学的な推理を進めるうちに、それがしばしば現代の、現実の事件の謎解きと重なっていくという……。つまり那智による民俗学的な謎解きが、そのまま現実の事件の謎解きに重ね合わされていくという趣向だな」
G「歴史ミステリや伝奇ミステリではわりとオーソドックスに使われている手法ですが、キチンとやるにはけっこう難度が高いと思うんですよね。なんたって歴史上の謎と現実の謎を呼応させるわけですから、謎自体はもちろんトリックや謎解きロジックもすべて重層的でなければなりません。しかもその二重写しの構造が不自然でなく描かれなきゃならない。素人目に見ても大変な手間がかかりそうですし、技術的にも高度なものが必要になるはずです。それをシリーズ短編でやっているんですから、やっぱスゴイことだと思いますね」
B「たしかにね。北森さんの短編シリーズはたくさんあるけど、手間の掛かり具合ではたぶんこれが一番だろうな。……じゃまず第1話、『秘供養』。雪深い山村にフィールドワークにやってきた那智とその助手・三國。雪に埋もれた山中で、2人は奇妙な五百羅漢像を発見する。五百羅漢はいったい何を供養したものだったのか? 村に伝わる山人の人攫い伝説との関連は? ――那智の展開するトンデモ仮説は、例によって意表を突いた大胆なものではあるけど、シリーズを読みなれた者にとってはやや物足りないかな」
G「贅沢だなあ。それじゃ作者はクオリティを上げ続けなければならないってことじゃないですか〜」
B「もちろんその通りだよ。だって作家の仕事ってそういうもんじゃん!」
G「そ、そうなのかなぁ。ともかく次。『大黒闇』。凄まじい鬼相をもつ仏を描いた仏画。描かれた仏の正体は大黒天だった。一方、大学内では秘かに新興宗教が広がり殺人事件まで発生する。大黒天の変貌の影に隠された歴史の真実を追う那智の推理は、期せずして現実の殺人の真相をもあぶり出していく。……過去と現在の見事な二重奏ですね」
B「現実の事件の方の謎解きは知識ネタに寄りかかったもので、真相自体もかなり見え見え。大黒天に隠された謎との連動が奇麗なだけに、逆に容易に見通せちゃちゃって興を削ぐんだよな。ここはもうひとひねりして、明快でありながら意表をついた“過去-現在”のリンクがほしかったところだね」
G「なんかむっちゃくちゃ高度な要求ですねえ」
B「そうかもね、もちろん“北森さんならそれができる”と思うからいうわけさ。次は『死満瓊』か。フィールドワークの途上、突如消息を絶った那智。やがて助手の三國の元に彼女から謎めいたメールが届き、在野の研究者の遺体とともに那智自身も発見される。……ワトソン役の三國助手が活躍する異色篇、といっても名探偵はやっぱ那智なんだけどね」
G「この作品は北森さんお得意の“業界裏話もの”っぽいところがあって、面白かったですよね。那智が罠にはめられたり、三國が必死の謎解きを展開したりで、これまでのパターンから外れたイレギュラーなエピソードなのも興味深いです」
B「ちょっとキャラ立ちを狙った観もあるんだけど、このシリーズでは難しいよね。名探偵もワトソンも、個性的ではあるけど感情移入しにくいタイプのキャラクタで。しかも“歴史”という強烈な主役が別にいるせいか、那智にせよ三國にせよ、どことなく狂言回しっぽい印象になってしまうんだ。まあ、ヒロインは秘密をいっぱい抱えているっぽいから、いずれその辺りも充実していくんだろうけどね」
G「たぶんその“那智自身の事件”という形で、番外編の長篇が書かれたりするのではないでしょうかね。続きましては、タイトル作品の『触身仏』。奥羽山脈の奥地を訪れた那智と三國。村の道祖神に賽の神として祀られているのは一体の即身仏……しかし賽の神と考えると、その即神仏にはあまりにも矛盾が多い。その即神仏の正体はなんなのか? 謎めいた即神仏の正体という過去の、歴史上の謎がメインなんですが、その謎自体が不思議なくらい魅力的で、謎解きもスリリングです。これはやっぱり作者の筆の力というべきでしょう」
B「こういうタイプの謎解きってさ、史実や学説が背景にあるだけに小説とはいえ確たる結論が出せない場合が多くて。謎解き自体も恣意的な解釈レベルのそれになっちゃうことが多いんだけど。このシリーズの場合は、それ自体ひじょうに豊かなイマジネーションを刺激する謎の設定と、大胆きわまる仮説という謎解きを組合せることで、“ロジックに寄りかからない説得力”を生み出している」
G「論理を積み上げていくのではなく、幻視のジャンプ力でもって他の可能性を排除してしまうような……そんな説得力ですね。このあたり、ちょっと島田理論に通じるものを感じますよね。では、ラスト。『御蔭講』ですね。中部地方で採取された奇妙な伝承。それは『藁しべ長者』に似た御蔭講の伝承譚でした。一方、那智の研究室に新たにやって来た美貌の助手に、その元上司が異様な執着を示します。その執着の影にある秘密とはなにか? わらしべ長者譚に隠された矛盾の真相と、現実の事件との響きあう奇妙な暗合が読みどころ。リンクの張り方は少々強引ですが、巧いものです」
B「少々というか、かなり強引だと思うぞ。――まあ、中短編という限られたボリュームの中で過去と現在が響きあうなんて偶然が3つも4つも重なるのは、もともと不合理な話だからねぇ。多少なりとも強引な展開になっちゃうのは仕方がないんだけど、こんな具合に無理矢理にしてしまうくらいなら、過去-現在の共鳴現象なんて縛りはいっそ外してしまった方が、すっきりするような気がしないでもない」
G「ううん、でもそこが売りですからねえ」
B「だけどかなり苦しげだぜ、作者的にはさ。私自身は民俗学的な謎解きだけでもじゅうぶん魅力的だと思うわけで……だったらそちらに統一しちゃってもいいような気がするのよね。まあ、この作者さんはそんなラクチンな道は、選ばないのだろうけど」
G「そうですね、その意味でも、このシリーズは長篇で読んでみたいなって思います。ボリューム的な制約を取っ払ったとき、このシリーズのコンセプトが何処まで物語のフロシキを広げるのか――非常に興味深いですよね」

 
●論理で再発見される正しい視点……人形幻戯

G「えっと、西澤さんの『人形幻戯』は“チョーモンイン”シリーズの最新刊。シリーズ第6弾ということになりますね。収録作の6篇のうち5篇は、雑誌『メフィスト』掲載(2001〜2002年)で、その時にぼくも読了済み。1篇だけ書き下ろしが付いていました」
B「秘密組織“超能力問題秘密対策委員会(略称チョーモンイン)”の美少女・神麻嗣子と、推理力で彼女に協力するバツイチミステリ作家・保科、そして美女刑事・能解の3人が、超能力犯罪を謎解きして解決する。……というSF本格にマンガチックなキャラクタ要素を加え、ピンポイントアタックの“戦略兵器”つー感じで始まったこの“チョーモンイン”シリーズも、巻が進むごとにキャラが増え、雰囲気が変化し、今じゃ当初のそれとはずいぶんノリが違ってきたね」
G「ですねー。一時は嗣子のライバル美少女が出るわ、保科の元妻が出るわで、思いっきりキャラ読みお気楽方向に進むのかと思わせましたが……徐々に毒っけというか、西澤さんらしいダークな色合いも強まってきて。シリーズの方向性も個々の作品のノリも、なんとなくそうそうお気楽な話ではないゾ、って感じが強まってきましたよね。そういえば、当初は視点も名探偵役の保科さんに統一されていたはずですし、構成も安楽椅子探偵の保科さんに嗣子が事件を持ち込む、というパターンでしたが、近作では視点もパターンも作品ごとにいろいろなスタイルを試みてらっしゃいます」
B「じゃあ、順に行こうかね。まずは『不測の死体』。公園を歩いていて突如空中に出現した“置時計”に頭部を直撃され、一人の女性が死亡する。誰かが(超能力者が)置時計をテレポートさせたのか? ――まるでデスラー戦法みたいだが、ともかく瞬間移動という超能力を使った殺人という“分かりやすい構図”が、保科さんたちの細かな矛盾の検討を経てくるりと反転する。いつもながらの西澤マジックだ」
G「こうした矛盾-仮説-検証の地道な積み重ねによって、論理的に“意外な真相”を導き出す手際については、この作家さんはホントに安定した力をお持ちですよね。特にこの作品における、論理のどんでん返しはとてもきれい。読者の意識の盲点をじつに巧みに突いて、文字通りの膝連打ものだと思います。次は『墜落する思慕』。全校集会をさぼって教室に居残っていた生徒が、いきなり空中浮揚を開始した。目撃者たちの目の前で、スルスルと5階の高みまで昇りつめたあげく、落下して死亡した。サイコキネシスを使ったのは誰なのか? これまたミスリードがまことに巧妙な作品でした」
B「んー、ちょっと強引だし、全体にゴタついた印象があったんだけど、まあ、作者としてはアベレージかな。次は『おもいでの行方』。ふと気づくと、私の記憶は2時間ぶん消えていた。隣の部屋には友人の刺殺体が転がり、ドアには内カギが。一緒に来ていたはずの男友達の姿もない。いったい何が起こったのか? まるでシャプリゾの心理サスペンスを思わせる、不安に満ちたムードがとても良いな。あれこれひねりまわしたあげくの真相は、現象が派手なぶん見当付けやすいけどね」
G「まあ、作り物っぽいといえば、このシリーズはみんな作り物っぽいんですけど、裏返せばそれがミソなんだと思いますよ。いうなれば厳密に限定された条件下での思考実験みたいなもんで――。続きましては、保科さんの元妻・遅塚聡子が、ヒロインっぽい役で登場する異色作『彼女が輪廻を止める理由』。“私”が勤務している事務所のやり手社員が、突然自殺した。その直後から、“私”の脳裏には見たこともない場所の映像が浮かぶようになった。どうやらそこは彼が自殺した場所らしい……ある種のセオリーというか発想法みたいなものを冒頭で紹介しておいて、それと連動するような事件&謎解きを展開するというこの作品の手法は、日常の謎派がよく使いますね。この作品もちょっとひねった日常の謎っぽいお話だし」
B「もともとはチェスタトン-泡坂妻夫のラインあたりで、よく使われるテクニックだよね。これってさ、提示されるそのセオリーが平凡だと真相が割れやすいのが弱点よね。同様に『彼女が輪廻を止める理由』も、落しどころは意外なほど見えやすくて、サプライズという点ではいまひとつだったな。次は表題作の『人形幻戯』。張り込み中のひまつぶしに、何気なくホテルのシャンデリアにいたずらをした刑事。じつは刑事は“プチ・サイキック”だったのだ。ところがたいした“力”も加えなかったはずなのにシャンデリアは落下。人が死んでしまった。……人工的な設定で思考実験というコンセプトはわかるけど、これはちょっと凝りすぎた感じ。偶然が過ぎるし、お話自体に無理があるね」
G「微妙な違いなんですが、たしかにこうした特殊ルールものって、無理っぽさと自然さのサジ加減が難しいですよね。私見ですが問題の設定自体はシンプルな方が面白い気がします。冒頭の『不測の死体』とか、ラストの『怨の駆動体』とか。『怨の駆動体』は、非常階段で転倒し死亡した女性の謎。サイコキネシスでチェーンがかけられた部屋と死亡した彼女の関係は? シンプルな謎ですが、念入りな仮説検証の積み重ねによって意外な解釈が導き出される、その過程そのものが面白いんです」
B「このシリーズはさ、基本的には超能力の介在によって “正しい構図が見失われてしまった”事件から、きめ細かな“ホワイダニットの謎解きの繰り返し”により、“正しい見方の視点/角度”を再発見する物語なんだね。単に意外性に富んでいてしかも論理的に正しい、というだけでなく、心理的にも無理のない解答が導き出されれば、おのずとその推理は美しいものになるわけだ」
G「その意味では、このシリーズもSF部分(本作でいえば超能力の存在)は、あくまで謎解き小説としてのルール設定以上のものではないんですよね。作者は様々な超能力を使って毎回その条件設定を変え、謎解きロジックや謎解きサプライズ(謎解きの過程において論理的に生み出されるサプライズ)に様々なバリエーションを生み出している。キャラ読み向けっぽいポップな外装、安定ぶりとは裏腹に、作者のこの謎解きへのこだわりは、きわめて冒険的かつ挑戦的、それでいて正統的でもあると思います」
B「まあ、そうともいえるかなあ。しかし、それもいいかげん袋小路に入りかかってる気がしないではないし、そろそろシリーズとして次のステップに踏みだすことを期待したいね」

 
●とびきり熱い失敗作……凍るタナトス
 
G「いよいよ始まった文藝春秋80周年記念出版“本格ミステリ・マスターズ”、第1回配本の3冊が出揃いました。島田荘司さんに山田正紀さんという大御所2人に伍して登場したのは、島田学派に連なる奇想本格の旗手・柄刀さん。作品は『凍るタナトス』です。『ifの迷宮』に連なる、先端科学をフィーチャーしたSF本格長篇。いうなれば“21世紀本格”の方向性でしょうか」
B「ここのところ、柄方さんは軽く明るい科学ネタ本格ミステリの『龍之介が行く!』シリーズと、本格の極北ともいうべき異世界本格シリーズの『宇佐見教授』シリーズが活動の中心という感じだったからな。読みやすさという点ではいちばん手強いし、評価もいまひとつって感じのジャンルなんだが……氏にとっては、これがメインの仕事だろうね」
G「ですね。むろんいずれも力のこもったお仕事ではありますが、やはりこちらの先端科学ものや不可能犯罪ものの『アーサー』シリーズが出ないと、なんとなく物足りない感じがありましたから。この新作は嬉しいなあ……というわけで、ではアラスジとまいりましょう。えー、今回のテーマは死体の冷凍保存です。たとえば現代の医学では治せない病気にかかった人が、将来の医学の発展に期待し、難病の患者がみずからの遺体を冷凍保存しておく――というような技術ですね。SFでは非常な長期間にわたる恒星間旅行なんかでコールドスリープ/冷凍睡眠で自動航行し、着いたところで目を覚ます。なーんて技術(映画『エイリアン』冒頭でリプリ−たちが目を覚ますアレ)が登場しますが、こちらは死者の肉体ですから、技術的にはだいぶん易しいんじゃないでしょうか」
B「ちゅうても実用化されてるわけではあるまいがねぇ。もっともそういうことを商売にしている会社がアメリカにあったような気もするが……ともあれ。近未来の日本、“遺体の冷凍保存”が正式な事業として認可され、未来の復活を信じて眠りにつく“クライオニスト”と呼ばれる人々が、少しずつ増え始めていた。ところが、その死体冷凍保存事業の指導者的存在である瀬ノ尾が、入院中だった大学病院で上半身を石膏で塗り固められて窒息死する。遺留品から検出された指紋は、前年発生した猟奇的殺人事件の現場で検出されたそれと一致。その時殺されたのは、死体冷凍保存の反対派だった大学教授だったのだ。一方、死体冷凍保存の推進団体JOPFでは熾烈な内部抗争も始まり、2つの事件の背後には、この死体冷凍保存をめぐる暗闘の存在が示唆される」
G「しかし捜査が進まぬうち、事件は急速に進展します。瀬ノ尾の後を継いだ息子が殺され焼かれ、冷凍保存されていた瀬ノ尾の遺体までも損壊されてしまいます。JOPFの首脳の遺体が揃って冷凍保存不可能な状態になってしまう、という皮肉な自体に蒼ざめる関係者。現場を知り尽くした犯行から組織内部が疑われたものの、関係者は揃って強固なアリバイを持っていた……というわけで、設定やプロットはスケールの大きな近未来メディカルサスペンス、あるいはポリティカルサスペンスって感じですが、例によってこの作者らしい大胆なトリックもたっぷり盛り込まれ、骨太のSF本格大作としても堂々たる威容を誇っています」
B「大作であり力作であるのはたしかだな。とにもかくにも本格として、エンタテイメントとして、隅々まで考え抜かれた手抜きのない作品ではある。あるがしかし、その力の込めようはいっそ暑苦しいといいたくなるほどで……。相変わらずの不細工な構成、文章力の問題もあって、途方もなく読みにくいのも否定できないよなあ」
G「まあ、この作家さんの特にこの系統の作品は、いつもちょっとだけそういう傾向がありますね。しかし、そういう読みづらさを我慢してでも読み通すに足る、充実しまくった内容になっていると思いますが」
B「ちょっとだけってことはないなあ。ほとんど生のまま放り込まれる膨大な先端科学知識、膨大なしかも錯綜した人間関係が織り成す入り組んだストーリィ、かてて加えて物語の立て引きやメリハリなんざまったく無視して、つねに目を血走らせて全力疾走という感じの作者の語り口は、読み難いどころの騒ぎじゃない。はっきりいってうんざりするほどだ」
G「ううん、たしかに少々歯ごたえがある相手かもしれませんけど……それだけの価値はあると思うんですよね。この作品がすごいのは、死体冷凍保存というネタが、単に読者の興味を引くためのガジェットでも、本格ミステリのトリックのための仕掛けでもなく、“それがあったらどうなるか”というSF的なスペキュレーションのテーマとして使われている点にあるわけで。つまり死体冷凍保存によって未来に“死者が復活”するとしたら、社会はどう変わり政治はどう応え経済はどう変化するか――作者はあらゆる角度からこれを徹底的に検証し、その“もう一つの未来”のありようを真摯に考察し描き出している。いわば社会派的な視点で展開するSFなんですね。しかもその“視点”が、本格ミステリとしての根っこのところに、じつに密接に絡んでいくわけで……真の意味での社会派プラスSFプラス本格ミステリという、まさに21世紀本格的なハイブリッドを達成していると。個人的には、まあそう思うんですよね」
B「たしかにその意気やよし、ではあるよ。作者の描く物語の構図はたいへんに壮大な広がりを持っている。いるがしかし、それが本格ミステリとしてよりよいものを生み出すことにつながっているかというと――やっぱり疑問だよな。奇想に満ちた謎、トリック、そして謎解きにどんでん返し……個別に取り出せば、いずれも本格として高度な達成というべきガジェットが豊富に用意されているにもかかわらず、やたら大きく広げすぎた風呂敷が、それらの要素のつながりを全てバラバラにしてしまったわけで。結果、本格ミステリとしてはガジェット相互の連携が失われ、同時に物語としても緊密さを失ってしまっている。多くを望みすぎ、盛り込みすぎて、いちばん大事なものを見失ってしまったよう見えるんだ。壮大なる失敗作というべきだろうな」
G「しかし、それでも、です。こんなでかいテーマに正面から挑んで、しかもそれに関して多角的に目配りしながら、とにもかくにも力技で書ききっている。日本ミステリ界広しといえども、こんな誠実で豪腕な書き手はこの人と島田さんくらいしかいないしょう。たしかに失敗作かもしれませんが、この失敗作はとびきり熱く刺激的だと、ぼくは思いますよ」
 
●貧しすぎる“代案”……僧正の積木唄

G「“本格ミステリ・マスターズ”の第1回配本からもう1冊。山田正紀さんの『僧正の積木唄』と参りましょう。……かつてファイロ・ヴァンスが解決した『僧正殺人事件』を再現するかのように、あの館で『僧正殺人事件2』が発生した! 逮捕された日系人を救うべく、アメリカ放浪中の“金田一耕助”がこの難事件挑む!……というなんともセンセーショナルな設定は、この叢書の第1回配本の3作の中でもナンバー1の吸引力。特にヴァン・ダイン作品、横溝作品に親しんだオールドファンにとっては、これが読まずにおらりょうか! ってところでしょう」
B「かの『ミステリ・オペラ』もそうだったけれど、山田さんという作家さんはじつにキャッチーな企画を立てるわよね。もちろん内容的にも、そうしたユーザー好みのガジェットをふんだんにちりばめてくださるし、嬉しいんだけど……同時にこれまた毎度のことながら、最後まで読むと肝心カナメのところで突き放すというか、蹴倒すというか。結局はミステリとしてのきらびやかなガジェットもセンスあふれるディティールも、すべて“別のことを語るための道具”でしかないことがわかるわけで。大喜びで読み始めては、がっかりしながら読み終える。あるいは釈然としないまま本を閉じる、ことになる。それでもなお新作が出ればやっぱり手に取らずにはいられない。それほど魅力的な意匠で飾られているわけで――オノレの学習能力の無さに心底腹が立つわ」
G「なにもそう回りくどいイチャモンの付け方をせんでもいいと思いますが……とりあえず内容をご紹介しましょう。えー、時は193X年。『僧正殺人事件』あるいは『マザーグース殺人事件』と呼ばれる陰惨な殺人事件の舞台となったNY・ディラード邸で、再び事件が発生する。『僧正殺人事件』の関係者の1人だったアーネッソン教授が、届けられたバースディ・プレゼントに潜められた爆弾で殺されたのだ。かつて名探偵ファイロ・ヴァンスと共に『僧正殺人事件』の捜査にあたり、いまや政界進出をも目論むマーカム地方検事は、折しも高まりつつあった日本人排斥の世論に応えてささいな手掛かりを理由に日系人の使用人・ハシモトを逮捕する。いよいよ高まる黄禍論に危機感を覚えたNY日系人社会の大立者・比奈継貴は、久保銀造を通じ米国滞在中だった金田一耕助に事件の解決を依頼します!」
B「FBIの執拗な捜査妨害に悩まされながらも、徐々に独自の捜査を進めていいく金田一。やがて彼はかっての『僧正殺人事件』の解決にも疑問を抱き始める。ヴァンスは失敗したのか。真の僧正/ビショップは生きているのか? ……というわけで。これは本格ミステリプロパーの作家だったら、たとえ思いついてもなかなかなしえない趣向。すなわち“かの古典的名作において名探偵ヴァンスと作者は決定的なミスを犯している”という前提に立って、くだんの『僧正殺人事件』を全面的に解釈し直し、それを元にオリジナルな続編を成立させている」
G「実際、ヴァン・ダイン作品とその作品世界に対して、作者の筆はおっそろしく非情というか、容赦ないですよね。『僧正』のラストで示された“真相”を根本から否定しちゃうのはもちろん、明哲神のごとき名探偵だったファイロ・ヴァンスは哀れな“壊れかけの道化者”にされちゃいますし、お人よしだった地方検事マーカムも友人を出世のための道具扱いする“卑劣な権力亡者”に描かれます。ここんでいくと、痛快というよりヴァン・ダインが気の毒になってしまうほどです」
B「しかも、その“原典の徹底した否定”は、“そのこと自体を『僧正殺人事件2』を成立させるための前提とするため”であってね。そのあたりの、ある種冷徹なまでの割り切りっぷりは、プロ作家・山田正紀の面目躍如たるものがある、ともいえるだろう。だけどさ、そこまでした結果がコレかよ! って感じは、やはりどうしても拭えないね。金田一が新たに提示する『僧正』の真相はてんで意外性もなく、謎解きとしての面白みもない屁理屈で。“真相”らしい説得力どころか、“もう一つの解釈”としても決定的につまらないんだ。ここまで徹底的にブチ壊しておいて、代案がこれかい! という気分の悪さはどうしても残るね」
G「あれは『僧正』自体でも検討されている選択肢の1つですしね」
B「そうか、きみはわざわざ『僧正殺人事件』を読返したんだよな。何十年ぶりだろ?」
G「ええっと、30年ぶりくらいですか……自分でもやんなっちゃいますけど……けっこう辛かったです。現代の小説に慣れた目にはやはり回りくどくて展開がかったるかったし。ヴァンスの推理は論理的だとはとてもいえず、たしかに穴も多い。ただあれはあれで、つまりあの真相で完結してるのは、やっぱ確かなんですよね」
B「たしかにそうだね。『積木唄』の解決は、『僧正』で描かれた真相が間違っていること、が全ての前提になっている。だけどそれが成立しているのは、じつは『僧正』でヴァンスの出した解決が、世間に明確な形では発表されていなかったから……平たくいえば“金田一は『僧正』の中で事件が確かに解決していることを知らなかった”からこそ、『積木唄』での“金田一の別解”は成立しえている。つまりメタレベルでは、『僧正』と『積木唄』それぞれの事件は、論理的な整合性が取れていない、ということになるだろうね」
G「しかし、そのこと自体は、『積木唄』の作品としてのキズにはならないと思いますが」
B「キズにはならないが、かといって納得もできない。なぜなら前述の通り『積木唄』で提示される『僧正』の謎解きには、そうした引っ掛かりを吹き飛ばすだけのパワーも面白さも意外性もないからだ。繰り返しになるがそこまで徹底的にブチ壊しておいて、代案がこれかい! という気分の悪さばかりが残るというわけ。実際さぁ、古い作品の揚げ足を取るのは、現代の作家にとってはさほど難しいことではないだろうと思うのよね。だけどそれをやる者が少ないのは、(どんな形であれ)それ以上のイカした真相をしめさない限り、そいつはエラくカッコ悪い行為だってことをみんなが知っているからだと思う。すでにこの世に無い先人に対してフェアでない――とは、まあいわないけどさ。少なくともクールな・スマートなパロディのやり方とは、到底思えないね」
G「まあ……そういう気分は確かに残りますが……しかし、同時に『積木唄』が楽しみどころの非情に多い作品であるのも確かでしょう。繰り返されるマザーグースの変奏、ダイイングメッセージに首無し死体といった意匠のきらびやかさはもちろん、梵字のロジックや封筒のシミの手掛かりの活かし方など、思わず膝を叩くような謎解きパートもたくさんちりばめられています」
B「まぁね、そのほかにもマニア心をくすぐる小ネタもいっぱい放り込んでるしね……でもさ、結局それもこれもしょせん細々した意匠に過ぎないと、私には思える。本格ミステリとして全体を一本貫く、明快な論理なりトリックなりの太い柱がそこにはないんだよ」
G「ううん……」
B「『ミステリ・オペラ』もそうだったけどさ、細部にはやたら魅力的な断片がぎっしり詰め込まれているのに、それらは何処まで行っても断片でしかないじゃん。で、全ては時代と世界に飲み込まれていく、名探偵も本格ミステリも謎解きも、もろともにどうでもいいこととして放置され、飲み込まれ、忘れ去られていく――みたいな」
G「つまりこれも、いわゆる1つの本格“で”書いているタイプの作品だと?」
B「そうだと思うね。たしかにその飾り付けはとてもとても魅力的で、ほとんど抵抗できないほどなんだけど……私は嫌いだ。こんなに無駄にゴージャスでなくてもいい。すっきり一本筋の通った“本格そのもの”を、私はこの作家さんには書いてほしいね!」

 
●本格はおまけ……ムガール宮の密室

G「“本格ミステリ・マスターズ”が刊行開始されたことで、いささか影が薄くなった観もありますが、どっこい生きてる“ミステリーリーグ”から、小森森健太朗さんの新作を。近年作者が入れ込んでらっしゃる、歴史上の聖者/思想家の伝記と本格ミステリを融合した“聖者伝”シリーズ最新作、『ムガール宮の密室』です」
B「ようするに歴史推理モノなんだけど、あまりメジャーすぎない聖者・思想家をメインに持ってきているのがミソなんだろうな。たとえばこの作品の場合はサルマッド。私もいちおう名前は聞いたことがあるような気がしないでもないではないが……基本的には“誰やねんそれ”って感じだよね。まぁイスラムの偉大な宗教家らしいけど」
G「恥ずかしながらぼくもそんなもんでしたが、その程度の理解でも十分に楽しめる作品ですので、イスラム方面に暗い方でもとりあえず安心です。……てなわけで本作品は、このサルマッドが活躍した17世紀ムガール帝国の興亡史を背景に、その王位継承がらみの密室殺人を描いた歴史推理です」
B「栄華を究めたムガール帝国の国王シャー・ジャハンの後を継ぎ、王位を継承するのは誰か? 後継者候補に選ばれたのは、教養豊かで信仰にも篤いダラー・シコーと勇猛果敢だが時に残酷なアウラングゼーブの2人。だが、国王による継承者指名を前に、その指名の鍵を握る重臣サドゥラーが王宮で殺害される。衛兵により厳しく警護された現場には、暗殺者はいわずもがな、外部の人間は誰ひとり近づくこともできなかったはずだった。……ただ1人、現場のすぐそばの部屋にいた、継承者候補のダラー・シコーを除いては」
G「やがてシコーは殺人容疑者として告発されます。王位継承者が殺人容疑者となる異常事態に震撼する王宮。その時、シコーと師弟関係にあったスーフィー・サルマッドが、その告発に異議を唱えます。――というわけで。本作の本格ミステリとしての中心は、この“見えない人”テーマの不可能犯罪ということになります」
B「いわゆる1つの“視線の密室”だな」
G「ですね。この作品で登場するのは、“視線の密室”としても構造的にきわめてシンプルで……逆にそれだけに難度が高いというか、ごまかしやトリックを仕掛けにくい環境設定となっています。実際、ミステリとしての不可能興味もかなり強烈ですしね。作者はこれに正面から挑み、非常に大胆かつ奇術的なトリックでもって、正々堂々と“見えない人”を造りだしています。これにはぼくもかなりびっくりしました」
B「たしかに驚くよなあ。思いついても恥ずかしくて使えない、ジュニア小説風のバカミストリックをヌケヌケと使ってくるんだもん! まあこのトリックについては、これ見よがしな伏線が張られているので、誰だって何となく想像がついちゃうだろうね。作中でもあっという間に解かれちゃうし」
G「んー、たしかにぼくもなんとなく見当がついちゃいましたが、それでも面白かったなあ。大胆不敵にトリッキーで、ぼくは好きですよ。このトリック」
B「面白いっちゃ面白いよ。だけどしょせんあくまで短編ネタよね。しかもバカミスのそれ。まあ、いずれにせよミステリ的なエピソードはこのサドゥラー殺害事件の一節だけだし、解決篇を含めれ分量もほんのわずか。残るほとんどは、ムガール帝国の興亡を巡る波乱万丈の歴史小説的記述であるわけで……要するにこれって歴史小説長篇の中に、たいした必然性もなく、ぽこっと本格ミステリ短編がはめこまれているような、ミョーな作品なんだよね。さらに困ったことには、その本格ミステリ部分よりも歴史小説のパートの方が百倍くらい面白い、という点。実際、いままで読んだ小森作品の中でも、この作品のこのパートがいちばん面白かったな!」
G「まあねぇ、質・量ともに歴史小説の方がメインの作品であることは、ぼくも否定しませんけどね。それにそのパートは陰謀あり反逆あり戦記ありの波乱万丈の物語で、素敵に面白かったです。でも、だからといって本格ミステリパートが、なんの必然性もなくはめ込まれているってわけではないでしょう。あのエピソードはある程度実話を背景にしているそうですし」
B「でも実際、全体の中でそこだけ妙に浮き上がって見えちゃうのも事実でしょ? ま、あそこを外しちゃったら“ミステリ・リーグ”の1冊として刊行することはできなかったろうけどねぇ」
G「叢書としてのコンセプトは、本作に限らずじょじょに見失われている感じではありますけどね」
B「いずれにせよこの作品の場合は、“本格ミステリ的要素”を便宜的にくっつけてみました、というだけの“どうでもよさ”感が、全編に漂いまくっているように思えてならないんだよね。実際、あのパートがなくたって全然問題ないっつーか……その方が作品としてはスッキリまとまった気さえしないではないわけで」
G「たしかにミステリパートがやや浮き気味に見えるのは、否定できませんが、無いほうがいいかというと、うーむ。……とりあえずそれがなかったら、ぼくは読まないでしょうし、ねぇ」

 
●アベレージヒッターの限界……ツール&ストール

G「寄席を舞台にした“日常の謎”風短編連作集『三人目の幽霊』でデビューされた、大倉崇裕さんの新刊が出ておりますね。『ツール&ストール』です。今回もシリーズ探偵による連作短編集なんですが、前述の通り日常の謎系本格ミステリだった『三人目の幽霊』とはガラリと趣向が変わっています」
B「仕掛けはいろいろ施してあるが、まぁ、基本的にはサスペンスなんだろうな。個人的には、考えすぎ凝りすぎ肩に力が入りすぎて逆に破綻していた観のある『三人目』よりも、むしろこちらのシリーズの方が伸び伸び書けている印象で、クオリティ的にも作者の資質はこちら向きという気がしたな」
G「探偵役がちょっと面白いですね。白戸修君というまぁフツーに怠け者の大学生なんですが、めったやたらとお人よしで。そのせいでなぜかやたらと事件に巻き込まれる。いってしまえば“巻き込まれ型サスペンス”という王道なんですが、それをシリーズ化してしまったところがちょいとユニークですね」
B「不自然っちゃあ不自然な設定なんだけどね。お話がよく造り込まれているので、その点はあまり気にならなかった。扱われている事件の方は、スリや万引き、ストーカーなどといった軽犯罪。いうなれば“日常の軽犯罪”派というところか。主人公が経験する様々なアルバイトの話題も面白いよ」
G「ですね。さて、まず1本目は表題作の『ツール&ストール』。これは第20回小説推理新人賞の受賞作品ですね。古本屋の主人が殺害され、主人公の友人に容疑がかかる。友人はしかし容疑を否定し、スリの常習犯が出入りするのを目撃したと主人公に訴える。主人公は元スリ係刑事の男に協力を依頼し、くだんの現場に出入りしていたというスリの常習犯を追い始めます」
B「何処にいるともしれないスリを追いあの手この手で探し回るうちに、主人公はスリの様々な手口に触れていくわけで、面白いのはこの部分。丁寧に伏線が張ってあるとはいえ、仕掛け自体はごく他愛ないものでありがちだしね。――まぁ、基本的には全てこのパターンが繰り返される作品集であるわけで、次の『サインペインター』は、友人に代わって引き受けた“ステ看貼り”のバイトのお話ということになる」
G「これは繁華街や住宅地の電柱なんぞに縛りつけてある、立て看板を張る仕事ですね。むろん違法な看板ですから、人目を盗んで速攻で張っていかなきゃいけない。ところがこの業界にも同業者間の縄張り争いなんてものがあって、主人公はそれに巻き込まれ、終いには警察にまで追われるハメになってしまいます。ネタフリ、伏線から落し方まで、きれいにまとまって間然とするところがありません、意表をついたラストもお見事ですね」
B「アベレージだが、まとまりすぎて突出したものが無い。どっちかっていえば仕事の内幕ものっぽい面白さの方が勝ってる感じで、印象に残るのもそちらのエピソードなんだよな」
G「次の『セイフティゾーン』は銀行強盗の話ですね。主人公の銀行口座からいつの間にやら1万円が消えていた。行員に訴えても埒が明かずオロオロするうちに、指名手配中の銀行強盗グループが乱入&立てこもり。銀行強盗たちとともに行内に閉じこめられた主人公は……」
B「これも他愛ない話だよなあ。読んでる間は調子よくサクサク読ませるんだけど、特段びっくりしたり膝を打ったりすることはないぞ。次は『トラブル・シューター』か、何でも屋の話だ。ようやく購入した新品の携帯電話に、なぜかかかってきた間違い電話。呼ばれるままに出かけてみれば、待っていたのは何でも屋で、いきなりストーカーに怯える女性のボディガード役を押し付けられる」
G「巻き込まれタイプだから当然なんですが、このシリーズは出だしのフックの付け方が実に巧いですね。読者の興味のポイントをきゅっとつかんでお話に引きずり込む。このお話も実はそうとう無理無理なストーリィなんですが、テンポよく読ませ、ほどよく意外な真相で驚かせてくださいます。短編ミステリの見本という感じ。ラストは『ショップリフター』、万引きのお話ですね。訪れたディスカウントショップで、身に覚えのない万引き疑惑をかけられた主人公。実は警備員の仕掛けた囮作戦だったと判明し、くだんの警備員に頼まれて主人公は万引き逮捕に協力することに……」
B「この作家さんは、身近な世界を舞台にリアルなサスペンスを生み出すのが巧いんだね。ただミステリ的な仕掛けの引き出しは存外少ないみたいな印象で、ここまで読み進むとだんだんその手口というか、パターンが見えてくる。この作品もラストに一応どんでん返しが用意されているんだが、わりかたミエミエ。やっぱ興を削がれちゃうねぇ」
G「しかし語りの巧さは新人とは思えないレベルですし、ネタの見つけ方もツボを心得ています。小説書きとしての地力は、かなりのものがあると思うんですが」
B「そうなんだろうけど、ミステリ的な発想のスパンが狭いのはチト痛いな。いくつかしか持ち合わせのない既存パターンに、取っ換え引っ換えネタを当てはめてるだけって感じで……これなら幾らでも量産できそうだけど、それじゃやっぱアベレージ以上のものは書けないんではなかろうか。アベレージヒッターもいいけどさ、ここらで一発大きいのを狙って欲しいところだねぇ」

 
●考えるな、楽しめ!……クビツリハイスクール

G「西尾さんの第3作と参りましょう。『クビツリハイスクール』、副題は『戯言遣いの弟子』。ごぞんじ“密室本”の1冊として刊行された本で、たしかに作中にはなかなか愉快な密室も出てきたりしますが――まあ、ミステリではないですよね」
B「強いていえばアクション小説の分野になるんだろうかね。いいんじゃないの? “青春エンタ”で。要は“字で描いたマンガ”ってこと」
G「ここまで来ると、さすがに脱格のなんのという議論も無効化されちゃう感じですからねえ。ま、内容と参りましょう。えー、『クビシメロマンチスト』事件を解決し、ようやく訪れた平和を享受する“いーちゃん”の元をまたしても訪れた最悪のトラブルメーカー。“人類最強”こと哀川潤に挨拶もそこそこにいきなりスタンガンで眠らされた“いーちゃん”は、“人類最強”の手でかーいー女子高生の制服を着せられ、警戒厳重な謎の女子高・私立澄百合学園に送り込まれることになってしまいます」
B「“人類最強”から“いーちゃん”に与えられた使命。それは外界との接触を厳しく制限するスーパーお嬢様学校・澄百合学園から1人の少女を連れ出すことだった。偽造学生証で首尾よく校内に潜入した“いーちゃん”は、早速わたされた校内地図で少女との会合地点に向かう……が、なんとそこは、恐るべき殺人マシーンたちがひしめく“戦場”だったのだあああッ!」
G「というわけでこのスーパーお嬢様学校は、じつは“首吊りハイスクール”の異名を持つ“殺人マシーン養成学校”だったと。むろん前述の通りちゃんと密室は用意されていますし、その解明にあたっては手堅いドンデン返しも用意されています。しかしながら、やはり読みどころは次々襲いかかってくる美少女キリングマシーンたちのバトルに次ぐバトル。実際、風太郎忍法帳もかくやという感じの、多彩な殺人技術・特殊能力が火花を散らすスーパーバトルは、とびきり残酷で血みどろ。なんですが、そのくせ妙に乾いていて。生々しさも重苦しさもまったく感じずに、いわばゲーム感覚で楽しちゃいめますね」
B「まあ、風太郎忍法帳も昔はマンガチックな荒唐無稽さ、なーんて言われたものだしね。たしかに小説としての系統はあの流れになるんだろうけど、だからといってこの作者が風太郎を意識しているとはとうてい思えない」
G「風太郎はともかく、殺人学校というアイディアは小説分野でも幾度か使われていたと思いますが」
B「いやあ、これはやっぱりコミックの文脈から出てきたものだろう。小説としてはいかにも特異な世界観もプロットも、そう考えれば不思議でもなんでもない。実際、残酷なのに妙に乾いて現実感の希薄な命のやり取りの連発っつーのは、まさにコミックのある種のパターンそのものだと思う。……べつだんそれがいいとも悪いとも思わないが、ミステリや本格、新本格の流れの中に無理に置こうとするのはちょっと違うと思うね」
G「もちろんこれを本格として論じる必要はないと思いますが、密室トリックにしろどんでん返しの仕掛けにしろ、ミステリ的な仕掛けはそれなりにきちんと用意されているわけですし……ある種、新本格的なノリみたいなものさえ感じるんですが」
B「この作品の場合は、むしろコミックに取り込まれた新本格的なトリックや仕掛けが小説分野に逆輸入されたような、そんな印象があるんだよね。まあ、そのあたりになると作者自身でなければ分からないことだし、そもそも作品自体の面白さとはなんの関係もないことなんだから、どーでもいいことなんだけど」
G「でも、そう考えていくと、本格の流れと脱格の発生の関係とかいろいろ想像できて面白いですよ」
B「ともあれ、字で描いたマンガだと割りきって読む分には、これは手堅くまとめたアベレージな作品であるわけで。とくだん新鮮だったり、ショッキングだったりする部分はまったくないけど、サクサク読み飛ばせるエンタテイメントとして、じゅうぶんマンガに対抗できる作品だといえるだろう」
G「ぼくはマンガをあまり読んでないから、よくわかんないですけどねぇ」
B「とりあえず、超古臭いセンスで古臭いマンガやゲームをまんまなぞっただけの“某恥ずかしいシリーズ”なんぞより、はるかにセンスがいいのは確かだね」
G「ちょちょちょちょっと〜、その発言は!」
B「うっさいわね〜。“某”っていってるでしょ“某”って!」
G「……なにもそやって地雷原を突っ走らなくたって」
B「ともかくマンガとして読むぶんにはオッケーであると。ただし脱格とか本格とか新本格とか、その手の文脈で議論するのはナンセンスの極みだということは、これは繰り返しいっておきたい。これはマンガだ。それ以上でもそれ以下でもない。なんも考えずに面白がればそれでいいんだよ!」

 
●自然と弛むホホ……その死者の名は

G「フェラーズの“トビー&ジョージ”シリーズの新刊が出ましたね。『その死者の名は』は、シリーズ第1作であり、フェラーズ自身にとってもデビュー作にあたる作品です。つまり処女作がシリーズ4番目の紹介になったわけです」
B「誰かもいってたけど、これは出版社の作戦勝ち。あえて第4作の『猿来たりなば』を最初に紹介することで、フェラーズブームを巻き起こすことに成功したんだよね。(“トビー&ジョージ”シリーズは全5作で、まだ最終作の『Your Neck in a Noose』が未訳なんだけど)なんたって『猿来たりなば』がシリーズ最高傑作であることは間違いないわけで。もしこの処女作から紹介されていたら、果たして『猿来たりなば』の時のようなブームになったかどうか……はなはだ怪しいと思う」
G「たしかに『猿来たりなば』はオールタイム級の傑作ですからねえ。でも、あの本格ミステリとしての完成度の高さには遠く及びませんが、この処女作でもすでにユニークな迷&名探偵コンビ “トビー&ジョージ”の魅力は確立されていますし、カントリーハウスものの軽本格として充分楽しめる仕上がりになっていると思います」
B「たしかに(まるでバークリー作品に出てきそうな)“トビー&ジョージ”は素敵に愉快で楽しませてもらったけど、本格としては――ところどころセンスの閃きは感じるものの――基本的にはたいして見るべきところはないんじゃない? まぁとても出来の良い軽本格というのが妥当な評価だと思う。じゃあ前置きはこれくらいにして、そろそろ内容を紹介しようか」
G「車で人を轢いてしまった……警察署に駆け込んできたアンナ・ミルン夫人はそう告げました。深夜、友人たちを家に送り届けた帰り道、路上で酔いつぶれていた男性を、それと知らずに轢いてしまったというのです。死体は顔が潰れており、土地の者ではないと見当はつくものの、どこの誰とも知れません。ミルン夫人も知り合いではないといいますが、なぜか死体のポケットには夫人の住所を書いた紙片が入っていました。さらに奇妙なことに、“泥酔”していたはずなのに、男は酒場に立ち寄った様子がありません。では、男はどこかで酒を買ったのか――そして男が飲んでいたはずの酒瓶はどこに? 酒瓶探しを命じられた巡査が、うんざりしながら現場近くの川原で酒瓶探しをしていると、どこからともなく現れた奇妙な2人組が、頼まれもしないのに巡査を手伝い始めます……」
B「というわけで、これが記念すべき“トビー&ジョージ”の初登場シーン。いいね、飄々としたユーモアがあって。ミステリとしては、小さな村の住人たちの隠された人間関係のもつれた糸を少しずつ解きほぐしていく形で、謎が解けていくタイプ。フェラーズならではのプロットワークの巧みさがうかがえるものの、本格としてさしたる工夫があるわけではない。ラストのツイストもごく軽いもので、サプライズらしいサプライズは用意されていない」
G「とはいえ、名探偵然とした自信過剰なトビーと、引っ込み思案で口の重いジョージの推理が巧みに連動して、隠された秘密を少しずつ明らかにしていくあたりの構成の妙はさすがにフェラーズ。全編をつつんだ上品なユーモアと共に、読者は終始微笑みながら読み進めることができます。しかし結末で明かされる真相は思いのほか重たいドメスティックな悲劇で、その落差がなんともいえぬ余韻を残しますよね。たしかに後年の作に比べれば、本格としては工夫のない、食い足りない作品であるのは否定できませんが、やはりフェラーズのミステリセンスの素晴らしさがうかがえる作品です」
B「まあ “トビー&ジョージ”のやりとりは、本格読みにとって自然と頬が緩んでくるようなものだしね……多くを期待しなければ楽しめるかも」
G「シリーズは残り1作ですが、それ以外にもフェラーズには多くの著作が残っています。まあ“トビー&ジョージ”シリーズ以外はほとんどサスペンスや犯罪小説だって聞きますが、総計70篇余りも書き残したんだし。全部とはいいませんが、なかには素敵な作品だってたんとあるでしょう。出版社さんに頑張ってもらって、“トビー&ジョージ”シリーズ以外にもよい作品を見つけ出していただきたいですよね!」

 
●孤独なふたり……煙で描いた肖像画

G「あの『歯と爪』の、あの『赤毛の男の妻』の、あの『消された時間』の、バリンジャーの未訳長篇ですね〜。今ごろ出るんですから参っちゃいますよね〜。しかも、小学館から別の訳で同じ本が出るという競作? 状態。巡り合わせとはいえ、なんかもう分け分からんです」
B「まあ、そう興奮するなよ。古典復古(バリンジャーは古典とは違うが)ブームの昨今では、こういうこともあるんだろう。ちなみに、キミが挙げたこの作家の代表作とされている作品群(『赤毛の男の妻』を除く)を読むと、構成上の大胆な技巧を駆使した強烈なサプライズ一発勝負のサスペンス――という作風に思えるんだけど、この『煙で描いた肖像画』は、それらより以前に書かれた初期作品ということで、実際にはその流れからはちょっと外れる作品だったね。むろんサスペンスは強烈なんだけど、全体に漂っている雰囲気はハードボイルドや(古い意味での)ノワールに近い感じだ」
G「ですね。たしかにどんでん返しは用意されていますが、『歯と爪』や『消された時間』の大技系のフィニッシング・ストロークとは違いますし。ただ、解説でも指摘されていますが、それらのサプライズ中心の作品の“原形”にあたるような構成上のギミックが使われていて、そういう意味でも興味深い作品でした」
B「その構成上のギミックというのは“カットバック”なんだが――この作品でのそれは、具体的には1人の“ファム・ファタール”な女の人生を、現在と過去の二つの視点から描いていくという手法に基づいている。……んじゃまあ、ざっくり内容を紹介していこうか」
G「えー、まず“現在”の方の視点人物ですが、こちらは集金代行業を営む青年・ダニー。集金代行業というのは要するに借金の取立て屋ですね。ダニーも最初は雇われて集金していたんですが、小金を溜めて別の集金代行会社を買い取り独立を果たすんです。で、その買い取った会社の古い集金対象リストから1人の女の資料を見つけて、とつぜん彼は古い記憶を蘇らせる。10年前に姿を消したその女・クラッシーに、ダニーはかつて一度だけ会い、言葉を交わし、そして恋していたのです。自分でも理解できないような衝動の虜となったダニーは、集金業のかたわら、時間を作っては姿を消したクラッシーの行方を捜し始めます……」
B「で、もう一つのパートはそのクラッシー自身の物語。貧しい家庭に生まれた彼女。天性の美貌を活かし、策を弄して地元の美人コンテストに優勝し、その賞金を元に故郷を後にする。といって別に何かになりたいとか、勉強したいとか、そういうことではないんだな。ただ、彼女は貧しさが嫌で嫌で仕方がない……どんな手を使ってでも大金をつかむ、という決意だけを胸に都会をめざすわけ。その強迫観念じみた欲望の前では、自分の美貌も肉体も、そしてそれに惹かれて集まってくる男たちも、目標達成のための道具でしかないわけで――物語はこのクラッシーの成り上がり人生行路と、それを“10年後の時点からトレースする”ダニーの追跡行が交互に描かれる形で進行していく」
G「人の弱みに付け込み、善意を踏みにじり、平然と法を犯すクラッシーの邪悪さは、しかし10年の時を隔てたダニーの捜査ではなかなか表には現れてきません。それどころか、必死に這い上がろうとする努力家の娘さんとさえ映るんですね。結果、会えないままにダニーの恋心はますます募っていくわけで……。ここから生まれる、クラッシーというファム・ファタールの実像/虚像のギャップは、物語が進むに連れて大きく広がっていき、それが全編に強烈なサスペンスを生み出しています。そして、ついにラストにいたって2人の道筋が交錯した時……! てなわけで。ラストのサプライズは強烈というほどではありませんが、この2人の“それぞれの一途さ”をまざまざと描き出して、間然とするところがありません。特異な構成の“悪女もの”としても出色の作品というべきでしょう」
B「ミステリ的には、むしろきわめて地味な作品なんだけどね」
G「ともかくクラッシーとダニーという2人のキャラクタが非常に印象的ですよね。2人はどちらも妄執に取りつかれ、途方もなく孤独で、純粋で、虐げられていて……読んでいると、大都会をたった1人で生きるかれらの孤独感や焦燥感が、じわじわ胸に迫ってくるんです。ラストのサプライズ演出も、むしろ“それを描くため”って気がしちゃいますね」
B「都会の孤独を描いた作家といえばアイリッシュが思い浮かぶけど、あの甘さはここにはない。アイリッシュが都会の孤独をロマンチシズム豊かに描いたのに対し、バリンジャーの描くそれはどこまでも無情で、苦く、ハードボイルドなんだよな。『歯と爪』なんかとはミステリとしてのタイプが全然違うし、そういう意味での仕掛けを期待すると裏切られるんだけど……うん、これはいい本だね。そう思う」

 
●理の勝ちすぎた本格ホラー……最後の記憶

G「さて、綾辻さんの新作です。3年ぶりの新刊であり、長編としては……ええっと7年ぶりになります。ほんとうに久方ぶりの新作ですねー。といっても本格ミステリではなくて、ホラー。雑誌連載中の“館シリーズ”の新作であり、ばりばりの本格である(はずの)『暗黒館の殺人』よりも先に、こちらが完成したというわけですね」
B「この方は本格を書く一方で幻想小説やホラー風の作品も書いてらっしゃるけど、ストレートなホラー、しかも長編は、たぶんこれが初めてだよね。個人的には綾辻さんの書くホラーというものにはさほど食指が動かないんだけど、いまやこの方もすっかり寡作な作家というイメージが定着してしまったから。ファンにとってはなんであれ出ただけでめでたい、読めるだけで幸せ、という気持ちはあるのかもね」
G「そうですよ〜、ayaさんも本格じゃなかったからといって、そんな憎まれ口を叩かなくてもいいじゃないですか。ぼくなんかねぇ、ついふらふら〜っとサイン会までいってしまったほどなんですからね」
B「……忙しい忙しい云ってるわりには、そうゆうとこだけ無駄にマメよね〜」
G「ほっといてください。ともかくとっとと内容のご紹介と参りましょう。……語り手である“僕”の母である千鶴は、若年性の痴呆症を患って精神病院に入院している。現在から過去へ。日ごとに記憶を失い、衰えていく母の脳裏に、やがて何事か恐ろしい記憶が去来する。さらに激しく怯えはじめる母。その母の病が遺伝する可能性を知らされ、“僕”自身また恐怖の残影に襲われるようになる。繰り返し繰り返し聞こえてくるバッタの羽音、閃光。そして何ものかの呟き――生きているのは、楽しいかい?――そんな “僕”の前に現れた幼なじみの強引な勧めで、“僕”は母を襲う“恐怖の記憶”の正体を探るべく、故郷へ向かうことになる。失われゆく記憶の彼方から立ちあらわれた、恐怖の正体とは……?」
B「ストーリィの核となっているのは、母親と語り手自身が共有する“恐怖の記憶”の正体にまつわる謎解きであり、しかもその真相自体にもミステリ的なトリックが仕掛けられていたりする。つまり本格ホラーといいつつ、プロットの構造自体はミステリのそれと似ているわけだ」
G「そうですね。ミステリとの違いは、その“真相”が、或る“この世ならぬ異世界”の存在を前提にしている点、ということになりますが――もし、物語の冒頭からこの異世界の存在が提示され、その異世界ならではの“特殊ルール”が示されていたなら、この作品は異世界本格として読むことも可能だったでしょう。実際には、異世界の存在はラストの、真相の提示と同時に行われますから、やはりこれはホラーということになるんでしょうが」
B「そういう意味では、相当に理の勝ったホラーという感じだよね。たしかに随所に幻視/幻想/恐怖のイメージが繰り返し挟み込まれているけど……読者はやはり謎解きの方に目が行ってしまうんだよ。しかも“本格ホラーであるという前提条件”の存在ゆえに、ラストで提示される前から、読者はその“提示されざる異世界の存在”を容易に推定できてしまうわけで。そうなると、はっきりいってトリック自体はきわめて初歩的というか定番というか――ごくありきたりなものだから、“真相”を見破るのは難しいことではないわけだ。結局、読者は序盤中盤は謎解きに惹かれ、終盤は予想通りのどんでん返しにため息をつくという調子で、正直“恐怖を感じるポイント”など一つもなかった……という困った結果になっちゃうわけよ。つまり、ホラーとしてはまったく怖くない失敗作といわざるを得ないな。綾辻さんの本格書きの血が、ホラーを書くことの邪魔をしたって感じだね」
G「いや、しかし今時のモダンホラーというものは、必ずしも怖いばかりの作品ってわけではないのではありませんか? キングにしろマキャモンにしろシモンズにしろ、むしろ“怖いというより先に面白い”作品であることも多いわけで。――極論すればモダンホラーっつうのは、“常識の範疇では説明できない存在により、作中人物に引き起される恐怖を描いたエンタテイメント”、という捉え方もできるんではないか。そんな風に思うんですね。……まあ、ホラーは畑違いなんで、見当違いのことをいってるのかも知れませんが、少なくとも最近のモダンホラーを読んで怖いと感じたことなど、ぼくはほとんどありません」
B「たしかにそれは一面の真実でもあると思うけど、綾辻さん自身は“読者を怖がらせるつもりで”書いているんじゃないかね。あとがきを読む限りでは……たいそう自信無さげではあるけど……とりあえず氏がこの作品で目指してらっしゃったのは、“怖い”本格ホラーだろう」
G「ううん。まあねえ、それはそうかもなあ」
B「だとすれば、この“理の勝ったプロット”は失敗といわざるをえないよね。というか作者自身にもっともっと幻視力ちゅうか、その幻視をまざまざと現出させる強力な文章力がない限り、読者はどこまでもその“理”に惹かれてしまうわけで。ホラーとしては、明快すぎるプロットに文章が負けてしまってる気がするんだよ」
G「……なんだかその指摘って、島田さんと綾辻さんの対談本『本格ミステリー館にて』で、島田さんがおっしゃってた内容にちょっと似てますね」
B「まさしくその通り。あの本の中では島田さんの言い方は今ひとつ明快さを欠いていて問題があると思うけど、内容的には正しく綾辻さんの弱点を指摘したものだったと思う。だいたいさー、この『最後の記憶』では、冒頭のポエムみたいな独白に始まって、随所で繰り返し“僕”を襲う“恐怖の記憶”のイメージが挟み込まれるんだけど、個人的にはあれって怖さというより、むしろ“甘ったるい少年時代の感傷”って感じで……なんだか少女漫画でよくある主人公の独白って感じ」
G「繰り返し主人公を襲うものとして、バッタの羽音や閃光のイメージもありますよね。あれはコミックというよりホラー映画のフラッシュバックの手法を連想しましたが」
B「そうだよね、それはそのとおりだと思う。結局、そういった作者の演出というのは、映画やコミックといった視覚メディアからの引用なんだよ。当たり前のことだけど、視覚メディアの演出をそのまま文字メディアに移し替えたって、効果はたいして期待できないわけで。言い方は悪いけど、これじゃあ作者の自己満足といわれても仕方ないと思うな」
G「それなりに……趣きはあると思うんですけどね」
B「小説はどこまで行っても文章で表現するもんなんだから、描写しなければ始まらない。いくら作者の頭の中にサイコ―な映像や絵があったって、そのイメージを的確に描写してくれなければ伝わらない。……こんなことをプロの作家さんに云うのは僭越のきわみだと思うけどね。ともかくそうした視点を欠いたこの新作は、残念ながら自己満足だけの凡作といわざるをえないよ」

 
#2002年8月某日/某スタバにて
 
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