battle94くらい(2002年12月第4週)
 
[取り上げた本]
01 「ファンタズム」 西澤保彦         講談社
02 「明智小五郎対金田一耕助」 芦辺 拓         原書房
03 「海賊島事件」 上遠野浩平        講談社
04 「闇匣」 黒田研二         講談社
05 「セント・ニコラスの,ダイヤモンドの靴」 島田荘司         原書房
06 「殺しも鯖もMで始まる」 浅暮三文         講談社
07 「探偵術教えます」 パーシヴァル・ワイルド  晶文社
08 「おれたちはブルースしか歌わない」 西村京太郎        講談社
09 「影踏み鬼」 翔田 寛         双葉社
10 「ファントムの夜明け」 浦賀和宏         幻冬舎
Goo=BLACK Boo=RED
 
●本格じゃないから本格として読もう……ファンタズム
※若干ネタバレ気味です。同書読了後にお読みになることをお勧めします。
 
G「西澤さんの最新長編『ファンタズム』、行きましょっか。Webミステリ界を二分する議論を引き起こした問題作ですね」
B「んー、作者自身が“本格ではなくミステリでもない”つってるんだから、無理にGooBooせんでもいいんでないの?」
G「もちろん本格としていいとか悪いとかいうのはナシでしょうけど、とはいえ本格ミステリの技巧が応用されている作品であることは確かなんですから。GooBoo的にはそのあたりから語ればいいのかなと」
B「ふーん。ま、いいけど。えっと、アラスジやんの? もうみんな知ってるんじゃないか?」
G「ま、一応。えーと、印南野市で女性ばかりを狙った連続殺人事件が発生します。現場には犯人のメッセージらしきメモや切抜き、そして犯人の指紋までがくっきり残されていました。犯行自体も大胆きわまりないもので、警察は躍起になって捜査を進めます。しかし必死の捜査にもかかわらず、被害者をつなぐ糸は見つからず、これといった容疑者も浮かんでこない。ある現場の不審な状況……まるで空中に消失したような足跡の痕跡などから、刑事たちは密かに犯人を“ファントム”と名付けます」
B「とはいえ、物語は捜査側の視点とファントムこと有銘継哉の視点で交互に語られていく形だから、フーダニット的な謎は最初っから存在しないわけで。もっぱらミッシングリンク・テーマ的な謎と、それに関連するホワイダニット、そしてホワイダニットな謎が中心となって物語を推進するわけだ」
G「もっともミステリ読み的な視点で読んでいると、たとえば視点が切り替わるたびにくどいほど日時が確認されたりして……作者の手付きは実になんとも怪しげなんですね。このくどいほどの“あらため”は、どう考えたって後で“ドカンとひっくり返す”ためだとしか思えませんから、当然読者はこの点も大いに警戒しまくりながら読み進むことになります」
B「まあ、その期待は裏切られないというか……思い切り裏切られるというか。えーい、まどろっこしい!」
G「ぼくはラストを読むまでぜんぜん気付かなかったんですが、ayaさんは、話題になってるあの仕掛けについては前半で気付きましたか?」
B「あの被害者たちのナニが不自然だな、とは思ったんだけど、気づいたのはやっぱ読み終えてからだね」
G「あ、やっぱし。ま、ともかく作者は“フェアに”本格ミステリではなくミステリでもないと宣言した上で、そのいかにも本格ミステリ読み的な読みを誘いまくる技巧によって読者に強烈な先入観を与えたあげく、エンディングではまことに鮮やかに、その思い込みを宙吊りにするわけで……鮮やかですね。本格ミステリの技法の他ジャンルへの見事な応用例として、ジャンル違いですが歌野さんの『世界の終わり、あるいは始まり』を連想しました。まあ最初はタイトルの連想から、映画の方を思い浮かべちゃったんですけどね」
B「ああ、コスカレリのあれだね。殺人ボールがギュ−ンのガリガリのチュ−ってやつ」
G「まあしょうもないB級ホラーなんですが。あれっておっしゃるように殺人ボールの虐殺シーンが印象に残るけど、一方では悪夢映画でもあったじゃないですか」
B「そうだね。たしかにあの映画はなんちゅうかこう、つかみ所がない・理屈の通らない、“なんとなく薄気味悪い”としかいいようのないシーンがいっぱいあった。……まあ、そういうノリはたしか1作目だけで、パート2は単なる殺人ボール大活躍スプラッタ映画になってた気がするが」
G「ともかく、その悪夢映画のイメージと“作者の言葉”からの連想で、きっと“ものすごく理屈の通らない”お話なんだろうな、と。そういう先入観があったんで、前半本格っぽくなってった時はすごいドキドキしちゃって。結果ものの見事に作者の術中にはまったって感じです」
B「そういう意味では、それこそ本格読みが思いきり本格読みをした方が、ツボにはまる作品なのかもしれないね。しかし、裏返せばその本格読み的な視点を欠いてしまうと、逆に徹底して“なんじゃこら”な作品であるようにも思えるよ」
G「というと?」
B「西澤さんって本来ものすご“屁理屈こねるのが好きな人”だと思うのね。だから、この作品の場合も、さっきからいってる本格ミステリ的な意匠としての仕掛けを前提にしない限り、 “理屈の通らない現象に、なぜ理屈が通らないかという理屈”をつけてようとした、かなりウザイ作品とも読めてしまう気がするのよ」
G「ふむ」
B「つまり、この作品の本格ミステリ的な仕掛けってのは、これこれこういう理由で“この現象はものすごく理屈が通らない”。したがって/理屈からいって“コレはものすごく怖い/不思議なことなんだ”……てなことをといいたげな。つまり幻想ホラーとしてはひじょーに垢抜けないやり口に見えてしまうのではなかろうか、ってこと」
G「なるほど、いわば怖さ、不思議さを、読者に対して論理的に説得しようとしているように見えてしまいかねない、と」
B「そういうこと。いわゆる本格ミステリ的な念のいった手付きが、非・本格読みにはそう見えてしまうんじゃないかって思うわけよ。とくに本来、幻想ホラーとしてはこっちが主役となるべき異世界幻視……この作品でいえばエメラルド色の塔の幻想とかかしらね。そういう部分のイメージの貧弱さのせいもあって、いっそうそんな風に思えるわけだけど……。そういう意味では、これは作者自身が、新しい分野に挑戦しようとしながら、結局本格ミステリの呪縛から逃れられなかった作品という気もする」
G「うーん、うがちまくった見方だなあ」
B「まあそれは否定しないけど……それにしたって、あのラストのバタツキはちょっといただけないじゃん。たしかに念入りに築き上げたものをドカンと一撃で壊して、さっと跡形もなく消し去ることで、宙吊り効果を高めたい。というのはわかるんだけど……いろいろ未完成部品が残ったままで、きれいに消えてないし」
G「“壊されるべき”本格ミステリ的な部分が、完璧な美しさをもっている必要があったということでしょうか」
B「そうね。贅沢な要求だとは分かっちゃいるが……崩壊&反転の構図の効果を完璧なものとするためには、壊されるものが“とても壊せそうもないほどの完璧な美しさ”を持っていてほしい。もちろん、同時にその破壊の強度に拮抗するだけのヴィジョンも必要よね。……そもそも前半部、ことに犯人の独白部分で、“反転すべき異世界への幻視の強度が足りてない”から、ラストできれいに世界が反転してくれない、ということもいえると思う。残念ながら、意欲作だけどいま一歩詰めが足りない。私的にはそーゆー結論!」
 
●変幻自在のパスティーシュ集……明智小五郎対金田一耕助
 
G「ミステリファンなら誰しもおおッとか思っちゃうようなタイトルなんですが、これは原書房の本格系(かもしれない)叢書、ミステリー・リーグの最新刊。副題に『名探偵博覧会II』とある通り、近年芦辺さんがしきりと書いてらっしゃる、古典的探偵小説のパスティーシュシリーズの第2短編集です」
B「前作は『真説ルパン対ホームズ』だったしね。ようするに古今の名探偵怪盗その他の著名キャラクタを題材にこさえた、独自の贋作シリーズということね。あとがきで作者も書いているけれど、作者にとってこういった昔ながらの探偵小説の再現に挑戦することは、いわば自身のミステリ作家としての原点を確認するという意味合いもあるようだ」
G「もっとも、そうはいってもサービス精神旺盛で、本格ミステリ書きとしても正統的でありながら挑戦的でもある芦辺さんだけに、その仕上がりはいわゆるパスティーシュという言葉から連想される作品……その原典のイメージを損なわぬよう、可能なかぎり摸作に徹した当たり障りのないシロモノ……とはちょいと肌合いが違います。むろん収録されている作品の全部が全部そうだというわけではありませんが、ミステリとしてはもちろんパスティーシュとしても1作ごとに趣向を凝らし、ユニークなアイディアを盛り込んで、バラエティに富んだ楽しくも刺激的な作品集となっています」
B「まぁ、裏返せばこの方はストーリィテラーではあっても、基本的に小説自体はあまりお上手でない。文章力の方にもいささか難があるだけに、原典通りの摸作というのは、逆にハードルが高かったのかもしれないね〜」
G「うー。なんちゅー意地の悪い見方をするんですか、まったく! ともかく1編ずつご紹介して参りましょう。まずは表題作の『明智小五郎対金田一耕助』。この作品だけが書き下ろしですね。タイトル通り、本邦を代表する2大名探偵の推理合戦という趣向です。探偵として売出中の金田一耕助が、招かれた商家の窓から目撃した異様な殺人。慌てて向いの家に駆けつけると、密室状態の家は無人で犯人も被害者の姿もない……という不思議。いち早く謎を解いた金田一は、自信満々解決宣言。しかし偶然その記事を読んだ明智は現場へ向かう……二大探偵の勝負の行く末やいかん! マンガの方では彼らの孫もどきたちがしきりと勝負していたようですが、小説ではパスティーシュであれパロディであれこの二人が競演した作品は記憶にありません。どんでん返しの連続するトリッキーな謎解きの楽しさはもちろん、作中には昨年刊行された山田正紀さんの金田一パスティーシュ『僧正の積木唄』へのリンクや、同時代の他の名探偵達への言及もあって楽しさ満点の仕上がりです」
B「作者自身も語っているが、一般にこうした競演では勝負なし引き分けが原則だけど、この作品ではきっぱり勝負がついているのがミソ。しかしメイントリックは、二階堂さんの某近作とそっくりくりのバリエーションだね。あれを読んだ読者には丸分かりだし、そうでなくとも凝りすぎた現場の舞台設定が難易度を著しく下げている。だいたいあのトリック自体、無理無理の馬鹿トリックなのになあ、何故使うかなあ。乱歩作品の雰囲気を出したかったんだろうけど、だったらもう少し文体を工夫してほしいね! 続いては『ミステリマガジン』の“カー特集号”に寄稿された『フレンチ警部と雷鳴の城』。カー特集号であるにも関わらず、主人公はなんとフレンチ警部(カーと同時代に活躍した英国本格ミステリの巨匠の一人・クロフツのシリーズ探偵)なのよね。なんとも捻くれたアプローチなんだけど、それでいてちゃんとカーのパロディになっているのには感心した」
G「ですね。伝説に彩られた古城での雪密室の殺人という“いかにも”な趣向なんですが、その密室のメイントリックは、まさにカー・パスティーシュならではというか、そのことを逆手にとった実に鮮やかな着想。集中ベストはこれですね」
B「とはいえ、城の伝説の真相はいささかいいかげんだよなー。島田さんばりの奇想を試したつもりかもしれないが、あれじゃ驚く以前に阿呆らしくなっちゃうって。……というわけで、次はブラウン神父ものパスティーシュだね」
G「この『ブラウン神父の日本趣味(ジャポニズム)』は、小森健太朗さんが同人誌向けに書いた短編を、芦辺さんが大幅にリライトした作品で、原書房のパスティーシュ・アンソロジー『贋作館事件』に収められていた作品です。東洋趣味の富豪の館で起こった密室殺人。見えない犯人の正体とは? 中核となっているのは一種の心理的盲点トリックで、これもなんちゅうかきわめてアヴァンギャルドなネタですし、奇矯な登場人物たちやエキセントリックな舞台も、ブラウン神父ものの雰囲気をよく捉えていたと思います」
B「アホかキミは! 確かにブラウン神父ものパスティーシュとして道具立ては完璧だけどさ、実際には全くといっていいほど“その雰囲気”は出ていないじゃん。努力してはいるけど、やはり文章が根本的に違うんだよなー。文章力ってやっぱ大事だよなー……ってことがシミジミ実感できる1編だわね。ま、よぉく考えるとメイントリックもチェスタトンの逆説の論理とはまったく方向性が違うし、このネタを日本人読者に実感させるのもちと無理があるだろう」
G「文句の多い人だなあ。じゃ次は『そしてオリエント急行から誰もいなくなった』。ネタはもちろんクリスティの2大名作ですね。『ミステリマガジン』のクリスティ特集に寄稿された作品です。今回もまた作者は趣向を変え、かの『オリエント急行の殺人』の事件解決直後から物語を始めます。すなわち、列車内の殺人事件について、その解決を名探偵から一方的に告げられた現地の警察にいた名もなき名探偵の推理とは?」
B「なんでもこの作品に関しては、編集の意向でクリスティ作品の登場人物を直接使うな、という制約があったそうで。“そのこと”自体を逆手にとって、しかもかの2大名作をリンクさせるという大胆なアイディアには驚いた。枚数制限のためか、その秀逸なアイディアがきっちりミステリとして昇華されきっていないのは返す返すも残念だけど、パスティーシュというジャンルの性格上、これは仕方のないところかな」
G「続いては『ミステリマガジン』のクイーン特集に寄稿された、クイーンのパスティーシュ『Qの悲劇 または二人の黒覆面の冒険』ですね。こちらもまた、名探偵クイーンではなく作者であるクイーンの二人組に探偵をさせるというユニークな趣向が素晴らしい。まあ、これもクリスティ同様の制限があったようですが、作中で作家クイーンの2人が挑む事件も、いかにもクイーン作品を思わせるロジカルなフーダニットでした」
B「とはいえフーダニットとしてはごく他愛ないもので、やはり作者はいかにもパズラーが苦手という感じ。だからミステリ的にはあまり感心しなかったんだけど……後年クイーンの名前と絡めてしきりに語られることになるある実在の人物が、作中にひょっこり登場したりするのがとても楽しい。こうしたディティール部分へのいかにもマニアな洒落っ気が、読み処なんじゃないかね」
G「同様に『ミステリマガジン』の“ミステリ映画特集”に寄稿された『探偵映画の夜』は、パスティーシュとしてはちょっと異色な作品ですね。というのは、これは探偵小説というよりも古典的なミステリ映画をネタにした作品なんですね。前半部は古典ミステリ映画の名作を縦横に語った蘊蓄話。後半はその蘊蓄を語っていたミステリ作家が密室で殺されるという謎解きです。後半部に関していえば1アイディアの密室トリックはちょっと実効性は低いけど、なかなか鮮やかなアイディアですよね」
B「いや、どっちかっていったら、『名探偵Z』向きのバカトリックじゃない? ちょっとあの作品の雰囲気には合わないと思うねえ。別に無理にミステリにせずに、ミステリ映画エッセイだけでも良かった気がしないでもない。映画蘊蓄だけで素敵に面白いんだからさ」
G「いや、それでもあえてミステリ化せずにはおれないサービス精神が、芦辺さんの真骨頂だとぼくは思いますよ。さて、ラストを飾る『少年は怪人を夢見る』は、ミステリではなく、ファンタジックなサスペンスというかホラーというか……もっともホラー小説アンソロジーの『変化 妖かしの宴2』に収録された作品だそうですから、当然かもしれませんが。ともかく、前述の通りミステリでは在りませんが、それでいてある意味もっとも正統的なパスティーシュであるかもしれない。ただし“何というキャラクタ”のパスティーシュかはいえませんね」
B「っていうか、ミエミエだとは思うが。ともかくストレートにパスティーシュを書こうとしているのはわかるが、何もホラーアンソロジーにまで、こんなネタを使わなくても(笑)。やっぱりこの作者はホネのズイまでミステリ作家なんだなあ」
G「たしかにそうですね。良くも悪くもサービス精神旺盛なミステリ作家であり、ミステリ愛好家である芦辺さんの“らしさ”が非常によく出た作品集だと思います」
B「これでもう少し語りが巧ければねえ……」
G「だから黙ってて下さいってば! ともかくパスティーシュ集としても、アイディア、アプローチ、そしてクオリティ共にトップクラスだとぼくは思います。古典を愛する本格読みにとっては、またとない贈り物といえるんじゃないかな」
 
●路線変更?……海賊島事件
 
G「ごぞんじブギーポップ・上遠野さんの異世界本格ミステリシリーズもこの『海賊島事件』で第3作目となりましたね。ライトノベル系で本格ミステリが大増殖したせいもあってか、最近はちょっとばかし存在感が薄れてきている気もしますが、個人的にはこの系統の異世界本格としてはもっともクオリティの高いシリーズと考えています」
B「悪魔絵師さんまで連れてきて、出版社的にもたいへんな力のいれようだったけど……しかし、どうなんだろう。ひょっとして売れてない? だってどう見たってこの3作目が、これまでで一番落ちる気がするぞ。本格要素も大幅ボリュームダウンだし……」
G「アラスジもせんうちからそういうコトいわんでください! ともかく今回もまた、剣と魔法が現実のものとして存在する“あの異世界”が舞台です。そういえばこれって特にシリーズ名称は付いてないみたいですね。呼びにくいので勝手に『七海連合シリーズ』と呼ばせてもらっちゃいますね。で、『七海連合シリーズ』ですが、とりあえず舞台背景なぞを先にご紹介しましょう。え〜、魔法が現実のものとして日常的に使用され、竜なんかも生息する“この世界”。幾多の国が合い争いあるいは陰謀を巡らす、いわば春秋戦国時代にあります。その中でも異彩を放つ一大勢力が、通商連合として誕生した『七海連合』です」
B「元々が通商連合だっただけに、この七海連合は各国間の紛争の取りまとめ役になることが多い。で、名探偵役たる主人公たちは、この七海連合の意を受けて、国家間の紛争を解決するために、殺人事件の謎を解くーーというのが基本設定。ちなみにこの『七海連合シリーズ』の名探偵役は戦地調停士を中心とする交代制のようだが、今回は実質上の名探偵である仮面の戦地調停士ED、美貌の女士官リスカッセ、そして地上最強の風の騎士ヒースロゥ……じつになんともイカニモなトリオが担当している」
G「ともかく戦地調停士の職務は基本的に国と国の紛争解決がメインですから、その原因となった殺人事件や殺竜事件を解決し、同時に権謀術数を巡らせて紛争を調停。有利な交渉を行なうという、フーダニット+ポリティカルサスペンス的な面白さも加味されていますね。異世界本格としての特徴は、体系化され厳密にその限界が定められた魔法の法則がいわゆる“異世界本格としての特殊ルール”に当たるケースが多いです。このあたり、作者は律義なくらい明確なルールと、入念な伏線を張って、非常にフェアな異世界本格ミステリを展開しています。で、今回のお話ですが……事件は“落日宮”という巨大なサロンで起こった“史上最も完璧な密室殺人”に端を発します」
B「落日宮でひたすらある人物の到来を待ち続けていた美貌の亡命王女。だが、その“待ち人”が落日宮を訪れたとき、彼女は魔法で封印された完全密室で、美しすぎる死体となって発見される。いかなる者にも破れぬ魔法密室をいかにして破ったか、その謎は解けぬもの、巨大な水晶体に死体を封じ込めたその手口は水晶彫刻をよくする1人の魔導芸術家と推定される……しかし容疑者はいち早く姿を消し、強大な海賊集団が経営する巨大カジノ・海賊島に逃げ込む」
G「いかなる国にも属さない無法の地・海賊島。しかし被害者の母国であるダイキ帝国は強大な艦隊で島を取り囲み、砲艦外交で容疑者の引渡しを要求します。しかし海賊団に君臨する謎の人物……誰も顔を見たことがない首領は、帝国の要求を一蹴。複雑な政治情勢も絡んで、戦争の危機が高まります。一触即発の状況を打開すべく、首領はEDら三人に事件の解決と紛争の調停を依頼します……開戦まで残るは3日間。EDは完全密室の謎を解いて“真犯人”を見つけ出せるのか。リスカッセは戦争の危機を回避することができるのか。そして余りにも謎めいた、海賊首領の正体とは?」
B「というようなアラスジは、実はあくまで表面的なものでね。実際には、そのバックストーリィとなっている、シリーズの新キャラ・若き海賊団首領の“誕生編”というのが作者的なメインなのかも……だって断然こっちの方がリキ入ってるもんねえ。ミステリ的な仕掛けははっきりいってシリーズで一番しょぼいし謎解きも安直。一応付けてみたって感じがアリアリとわかるありさまだもん」
G「む〜。たしかにそういう傾向はありますね。異世界本格としてのロジックも前作で確立されたパターンが実に忠実に応用され、手がかりや伏線の律義すぎるほど律義な配置のせいもあって、シリーズ読者にとっては解きやすい謎であるのも確かです。でもトリック〜謎〜解決のロジックについていえば、その奇麗に整理されたシンプルさや三段跳び論法を必要としない明快さは、“作者自身がルールを決められる”異世界本格ならではのもの。すでに作者は3作目にしてこのジャンルの要諦をつかんでいるといえるのではないでしょうか」
B「たしかに完全魔導密室のトリックは異世界本格ならではのものだけど、それだって丸分かりの易しさで意外性の欠片もないのは前述の通り。ましてそれ以外の“待ち人トリック”や“犯行動機”等々のサブトリック群については、本格読みにとってはどれもこれも見慣れすぎてゲップが出ちゃう常套手段だよね。異世界ものならではの外装に目を逸らされさえしなければ、これもまた赤子の手を捻るレベルの易しさとしかいいようがないわけで。なんちゅうかミステリとして書いたのなら、これはやっぱり安直すぎる。やっぱり作者は、もうこのシリーズをミステリとして書く気はないんじゃないの?」
G「今さらそんなことはしない、と思いますけど……まあ、その意味でも次作あたりでシリーズの方向性が決定的になるのかも、しれません。ぼくとしては異世界本格に徹してほしいんですけどね。この人は絶対、本格ミステリのセンスにもすごく恵まれてる作家さんだと思うし」
 
●“それなり”への道……闇匣
 
G「黒田さんの新刊と参りましょう。『闇匣』です。これは密室本ですね。本格ミステリでいうところの密室殺人を扱っているわけではありませんが、まさしく密室本の名に相応しい1冊ですね」
B「2002年の黒田さんは新シリーズも含めて新刊の数もそれなりにあったのだけど、はっきりいって本格ミステリ的には、いやミステリ的にもどどんと“薄く”なったってのが、私の正直な感想だな」
G「う〜ん、そうですねえ。まあたしかに読み終えて“すげえ”と呟くようなことは少なくなりましたけど……どうなんでしょうねぇ。マニア好みの作風からより一般受けする作風への転換なのかなあ。でも、マニアックというかヘンテコな作品も書いてらっしゃるし、まだまだこれからもたんと楽しませてくださる作家さんだと思いますが」
B「でも現実に以前の、これでもかッというような凝りに凝った構成や仕掛けは影を潜めてしまったし、4つも5つもあったツイストもいまやせいぜい1つか2つ。しかも仕掛けやそれを支えるディティール部分のツメも、以前に比べるとずいぶん大ざっぱになってしまった印象があるのは確かね。この『闇匣』なんてその象徴みたいな作品だわ」
G「そうかな、たしかに1アイディアの一発勝負、それも力づくって感じはあるけど、“密室本”は造本的な要請からボリュームに限りがあるようだし……」
B「まあ、いいや。まずは内容をご紹介しておこうよ」
G「ですね。ええっとぉ……目が覚めると、俺は闇の中にいた。身体は固く椅子に縛りつけられ、身動き一つできない。だれが、なぜ? たしか俺は恋人と2人ホテルの部屋にいたはずなのに。そのとき闇の向かうから声が聞こえた。ひそかに馬鹿にしながら付きあっていた友人・龍一の声だ。どこか狂気を感じさせるその声は、俺の妹を殺した犯人を教えろと俺に迫った。俺は思いだす。1年前、俺と俺の元カノ、そして俺の妹に龍一の4人はキャンプに出かけ、不幸にも妹は水死していたのだ。事件は事故として処理されたはずだったが……妹に偏執的な恋をしていた龍一は諦めなかった。そしてとうとう、誰ともしれぬ、いや存在するとも限らない犯人への復讐を始めたのだ!」
B「当然、容疑者はあのキャンプに参加した俺、龍一、妹、そして当時の俺の元カノだった枝理の4人の誰かに絞られる。龍一にいわせれば、犯人は俺か枝理のどちらかで、しかも枝理は既に病死したというのだ。つまり俺を殺せばいずれにせよ龍一の復讐は果たされる。だから、殺されるのが嫌だったら真相を推理しろ……狂気に取りつかれた龍一の命令だった。押し寄せる闇に押しつぶされそうになりながら、俺は縛られたまま必死の推理を始める」
G「密室状況に閉じこめられ過去の事件の真相を推理する、というシチュエーションだけを取り上げれば、岡嶋二人さんの後期の代表作の1つである『そして扉が閉ざされた』そっくりですよね。でも、あちらが複数の人物による推理合戦といういわゆる『毒チョコ』タイプのミステリだったのに比べ、こちらは主人公の1人称視点に絞り込み、その上で幾重にも施した仕掛けを炸裂させて読者を翻弄していくタイプの、サスペンス色の強い作品に仕上がっています。前述の通り密室本の制約上、ボリューム面はぱっつんぱっつんって感じなんですが、それだけに全編目まぐるしいほどのどんでん返しの連続に酔わせてもらえます」
B「どんでん返しの連続といってもさぁ、そのドンデンはすっげぇシンプルでストレートなものばっかだよね。だいたいさ、4人の容疑者でうち1人が死んでいるという前提条件のシンプルさや主役の置かれた特異な状況を勘案し、順列組合せで考えていけば、作者の手のうちは誰だってだいたい想像がついちゃうんだな。しかも描写が通り一遍で語り口も急ぎ足だから、作者が律義に配置した手がかりが逆に浮き上がって見えるのも困りもの。どうもボリュームと仕掛けのバランスが悪すぎて、骨格までもが透けて見えちゃったって感じだね」
G「まあ、仕掛け自体はたしかに見えやすいかもしれません。ただサスペンスあふれる語り口に乗っかってクイクイ読み進んでしまえば、そういったアラはさほど目に付かない気もします。前述のように、ある意味作者はより一般的な読み手を対象にした、いわばベストセラー作家への道を歩もうとしているんではないか、なんて」
B「でもそうやって感情移入するには、語り手である主役が“イヤなヤツすぎる”のよね。べつに語り手が善人じゃなきゃイカンとはいわんけどさ、少なくとも勢いで読ませるんだったら、こーんな感情移入しにくい不愉快な人物を選ぶ手はないだろう。ついでにいえばアレやコレやのトリックも同じ、なんぼなんでも無理がありすぎで、納得度は極端に低い……どうも今回はアイディア自体はともかく、ボリュームとプロットとの兼ね合いに計算違いを犯したうえ、プロットや仕掛けを支えるべきディティールもまたほころびだらけなんだよな。結果、あたかもやっつけ仕事であるかのように見えてしまったのは……こりゃ悔やんでも悔やみきれない痛恨事と、私なんぞは思ってしまうんだけどね!」
 
●対クリスマス戦略兵器……セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴
 
B「正方形に近いコンパクトな判形にキンキラキンの華やかな写真をあしらって、背は赤。オビはグリーン。透明フィルムのカバーをかけて、奥付けの発行日は12月24日。プレゼント用にしてくださいといわんばかりの、対クリスマス仕様の装丁が美々しくも鬱陶しい島田さんの新刊」
G「なにも最初っからそうBooを剥き出しにすることないでしょうに。……とりあえず、この新刊に2編の作品が収録されています。書き下ろしの短編『シアルヴィ館のクリスマス』と、500枚をちょっと切るくらいの短めの長編『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』ですね」
B「ちなみに後者はかの“三号雑誌”『季刊島田荘司』の3号に掲載された作品で、その時にGooBoo済みだから、ここでは繰り返して触れることはしないよ。あらためて読み直したけど私の評価は変わらないからね〜」
G「え〜っ、そうなんですかあ。だけど、そしたら語ることなんて何も無いじゃないですかあ」
B「そんなこたぁないじゃん。ちゃんと書き下ろしの短編『シアルヴィ館のクリスマス』があるし、この本自体のコンセプトについてだっていろいろ議論できるっつうもんでしょうが」
G「そうかなあ。まあそれでもいいですけど、ともかくこやって取り上げたんですから、一応『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』についても軽く紹介しておきますよ」
B「ふーん。まあ好きにやって」
G「いいですよぉだ。えっと、この『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』は、いうまでもなくバリバリの御手洗もの長編です。しかも年代記的にいうと、かの『占星術殺人事件』の直後にあたりのお話で。御手洗さんも元気一杯、全力投球で奇人ぶりを発揮しながら走り回っていますし、石岡君もまだ若い。多くのファンが読みたい時代の、読みたい御手洗さんがここにいます」
B「そうよねえ、気に入らん作品だけどそのあたりの描写は私も好きだな。やっぱ御手洗さんはああでなくちゃね。『魔神の遊戯』の御手洗さんに物足りない思いをした方には、ま、よいプレゼントになったのかも」
G「ですね。お話の方は衆人環視下での2度にわたるお宝消失の謎解きがメイン。ネタは小ぶりですが、前述の通り御手洗さんのアクティヴな謎解きと、恵まれない少女にプレゼントを贈る定番どおりのクリスマスストーリィが楽しめます。本格ミステリ的にはさほど新しい試みや大胆なサプライズなどはありませんけど、ちょっとホームズ譚を思わせる独特のノリがまた楽しい。整ったバランスの良い作品」
B「まあ、読後感は思いっきり短編ネタって感じなんだけど、御手洗ファンなら許容範囲かなあ」
G「ayaさんはさっき装丁のことにいちゃもんつけてらっしゃいましたけど、このクリスマスストーリィな内容といい、プレゼント用としてはオッケーなんじゃないかと思いますけどね」
B「そりゃあたしだって、そういうビジネスにまで文句をつけるつもりは無いけどね。私が気に入らないのは、むしろこのあってもなくてもどうでもいいような書下ろしの短編『シアルヴィ館のクリスマス』よ」
G「え、そうですか? でもこれってそもそもミステリじゃないし、それどころかストーリィだってない。単純に“いま”御手洗さんがいる大学の研究室の面々が、クリスマスの雑談を楽しんでいる……それだけのエピソードじゃないですか。まあ、機能的には本編である『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』への導入というか、プロローグというか、そういう文章だと思いますが」
B「そうだよね、たしかに『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』の背景になっている女帝エカテリーナ二世やサンタクロースにまつわる歴史薀蓄が語られてはいるけど、どれもこれも本当に雑談で。はっきりいってほとんど内容の無い文章。作品的にも、キャラ萌え的にもむぁったく価値なんてない作品だと思うんだけど……こいつが書き下ろされ収録されたばっかりに、あたしゃ1500円はらって買うハメになったんだよ。当然、『季刊島田荘司』は持ってるんだから、この書き下ろしさえなければ買う必要は無かったのに〜」
G「って、なんだ〜、私怨ですか! それって逆恨みですよ。だって作者的にはむしろサービスのつもりなんじゃないかなあ。べつに『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』だけで単行本にしても良かったのに、わざわざ書き下ろしを付けてくれたわけですから」
B「でもそれってもしかして、“すでに『季刊島田荘司』をもっている人間も、新たに買って当然”ということが前提になってるわけじゃん。同じ作品であっても判を違えてちょびっとおまけをつけて出せば、絶対買うよね、みたいな」
G「う〜ん、それも根性のひねくれた見方だと思うなあ」
B「これって結局、島田作品なら何でもかんでも買いたがる集めたがるタイプのファン向け商売ってことじゃんよ! 私が気に入らないのはそこなんだよね。これまでも繰り返し言ってきたことだけどさ、ひょっとして島田さんてば、そういう人たちこそがいちばんの自分のファンだと思ってない?」
G「いやそんなことはないでしょう。ちゃんと『魔神の遊戯』という作品だって出してくれたわけですし」
B「もちろん私は邪推してるんだと思うよ、思うけど……声のでかい連中ばかりがファンじゃないってことはわかってほしいわけよ。それとさー、あえて言わせてもらうけど、この出版社さんのやり方つーのもも私は個人的には好きになれないな〜」
G「ごわぁああ、またそういう問題発言を〜! ビジネスなんだからしょうがないでしょうに〜。鶴亀鶴亀鶴亀」
 
●着なれぬ背広……殺しも鯖もMで始まる
 
G「これは“密室本”ですね。『殺しも鯖もMで始まる』は作者さんにとっては初の本格ミステリで、浅暮さんがGooBooに登場するのも初めてですね」
B「そうだっけ? まあどっちでもいいけど、個人的には最初で最後って感じだなあ。まあ、メフィスト賞でデビューされた方だから密室本執筆は断れないお仕事だったのかもしれないけど、なにもこう無理して密室モノの本格ミステリなんて書かなくても、よかったんじゃないかしらん、って気分がヒシヒシしちゃったなあ」
G「ん〜、そうですかね。まあたしかに書き慣れてない、辛そうな感じは随所に感じられましたけど、出来上がったものを見ると密室本の中でも“本格らしさ”ではトップクラスという驚きの仕上がりですよね。ともかく一生懸命トリックをこさえ、伏線を張り、手がかりを配置して丁寧にフーダニットの結構を整えている。作者のきまじめさが伝わってきます」
B「ン〜、私的にはさぁ、その不器用で生真面目な頑張りがうんざりするほどあからさまに伝わってくるのが、逆にどーもね。なんちゅうかコノ垢抜けないっちゅうか、センス悪っちゅうか。ま、内容のご紹介を済ませてからにしようか」
G「どうでもいいけど、やっぱ根性曲がってますねえ。……ええっと。北海道の人里離れた原っぱで、猟犬が掘り当てた奇妙な死体。地下2メートルのところに作られた卵形の空洞で、老奇術師が餓死していたのです。しかも『サバ』という奇妙なメッセージを残して……辺りには掘り返した後など皆無。自殺にせよ他殺にせよ、どうやってこんな穴ぼこを掘ったのか、はたまた埋めたのか? 警察も首を捻ります。調べが進むと被害者の4人の弟子が、奇術師としての跡目を巡って隠微な対立をしていたのでした」
B「葬儀のために山荘に集まった容疑者と警官、そして名探偵。大雪が彼らを山荘に閉じこめた晩、再び密室殺人が発生する。山荘の部屋は全て密室化され、殺人現場はさらに部屋のドアを内外からロープで封じられていた。そしてまた『ミソ』というダイイングメッセージが……。誰が、なぜ、どうやって。奇妙な警句を呟きながら、ハーフの葬儀屋探偵の推理が一閃する!」
G「というわけで、この密室本特有のミニマムなボリュームに堂々たるパーフェクト密室が2つ。しかもいずれも今どき珍しいくらい、ストレートなアプローチの密室トリックが使われています」
B「第1の地中密室は力任せの無理筋トリック。実行性皆無だし必然性も限りなくゼロに近いわね。第2のロープ密室は面白みの無い機械トリックなのは仕方がないにせよ、これまた必然性がほとんど感じられないのにはつくづく困る。ダイイングメッセージについても右に同じね。これら全ての共通点は、無理矢理でっち上げたカッコ悪いアイディアを、カッコ悪く物語にはめ込んでいる、その無理矢理な手際の悪さばかりが先に立っちゃっているところで……だからたとえ見破れなくても、真相を読んでもちぃとも驚けないんだね。申し訳ないが、手際の悪い素人奇術くらい、興ざめなものはないね」
G「ううん、そこまで酷くはないと思いますよ。突拍子もないアイディアですが、作者は不足がちなボリュームの中、実に丁寧にこの奇矯な密室トリックを構築している。ハウダニット、フーダニットとしての手がかりの配置、およびそおれに基づく謎解きについても、過不足無くストーリィを作り上げていると思います」
B「ていうかさー、まずトリックありきの発想自体が密室ものとしては古すぎるわよね。前にもいったと思うけど、現代にあって密室をやるなら、なぜ“密室か?”という必然性こそがもっとも重要なんだと私は思う。そういう視点を欠いて、しかもこんな不格好な無理矢理トリックじゃ、古典本格の悪しき部分だけの再生産みたいなもの。謎解きロジックについても同じだね。三段跳び論法はともかく、それが論理的であるように見せるレトリックや演出が無ければ、面白くもなんともないただの妄説だよ。……いってしまえば、本格ミステリに対する認識が、作者はいささか古すぎるんじゃなかろうか」
G「むう。作品全体に漂う、オフビートつうか洒落てるというか、微妙にツボを外してくるとぼけた感じのユーモアとか……けっこう好きなんですけどね。もう少し本格ミステリとしての技巧が洗練されれば、ぐっと面白くなった気がします」
B「うーん、残念だがそのユーモアとやらも私にはよくわからんなあ。たとえばあれか? 名探偵がしきりにつぶやく“英語を直訳した警句”とかのこと? なんだかなあ、“だからナニ?”って感じだよ。名探偵のキャラメイクの一環なんだろうけど、ちぃともカッコよくもエキセントリックでもない、タダのヘンなヒトに見えるんだけどね。……まあ徹底してセンスが合わないだけかもしれないけど、とりあえず私としては“着なれぬ背広”なんて無理に着るこたぁないじゃん、と思っちゃうね」
 
●大人のためのミステリコント集……探偵術教えます
 
G「これはまた珍しい古典作品が出ました。ワイルドの『探偵術教えます』です」
B「この作家さんは本邦では最近、国書から『悪党どものお楽しみ』が出たけれど、有名なのはやはり『検屍裁判』というユーモア本格長篇ね。本書の解説でも乱歩やチャンドラーが褒めた作品として、この『検屍裁判』をあげている。ちなみにこの“『検屍』を褒めたチャンドラーの文章”は、ヘイクラフト編の『ミステリの美学』(2003年3月・成甲書房刊)に収録されているので私らも読むことができるよ。もっともこの『検屍裁判』の方は絶版だけどね」
G「まあ、実際には『ミステリの美学』におけるチャンドラーのワイルドへの言及はほんの一行程度なんですけどね、たしかに褒めています。この方は元々は劇作家さんだそうですからミステリ作品はさほど多くないし、そのミステリ作品もストレートなミステリというより、ユーモアと機知に富んだ軽いミステリコメディという風情ですね」
B「ご本人はかなりのマニアさんだったらしく、随所にマニアックな蘊蓄や楽屋落ちが仕込まれているし、軽いながらもツボを突いたツイストなど、随所にミステリセンスの良さを発揮しているといえるね。まあミステリとしては他愛ないお話なんだけどさ」
G「てなわけで、内容をご紹介しましょう。この作品は、あるお金持ちのお抱え運転手であるモーランを主人公とする連作短編集。ハンサムだけどちょっとおバカで無教養なモーラン君、実は彼は“通信教育の探偵講座”を受講し探偵をめざしているんですね。で、この講座のカリキュラムのステップごとに発生した珍事件を、モーラン君と講師である“主任警部”がやりとりする手紙で語っていくという、つまり書簡体の小説です。ミステリで全編が書簡体というのは珍しいですね」
B「第1話は『P・モーランの尾行術』。“主任警部”の指示で尾行の実施訓練を始めたモーラン君。尾行した相手に気付かれ、とっさに捜査官バッジ(オモチャ)を見せたモーラン君。するとなぜか相手は動揺し、こっそり20ドル札を握らせてきた!」
G「ありがちな展開といえばその通りなんですが、なあんにも気付かないまま犯罪組織の渦中にズカズカ踏み込む主人公のお間抜けぶり、その報告を読んで真相を察しやきもきする“主任警部”の対比の妙が楽しいですね」
B「まあ、それがこのシリーズの基本的なパターンだね。“主任警部”=読者には主人公の落ち入った危険な状況がありありと分かるのに、当の主人公はのほほんと危地に突入し、しかも事件の方はなんとなく勝手に解決されちゃうという……。パロディミステリではごく基本的なパターンともいえるけど、劇作家の作者的にはこれはたぶん喜劇の基本パターンの応用なんだろうね」
G「続きましては『P・モーランの推理法』。曲がりなりにも事件を解決しすっかり名探偵気分のモーラン君。偶然見かけた男をバイオリン弾きと推理して、お金持ちのパーティで代理の演奏を依頼しようとします。ところがモーラン君の手紙を読んだ“主任警部”は、それが有名な強盗犯と察して大慌て……。パターンは第一話と同じなんですが、モーラン君のホームズを気取ったスットコドッコイな推理が楽しめます」
B「解説でも指摘されているけれど、実はホームズの推理だってモーラン君のそれと五十歩百歩なわけで。そのあたりの皮肉な視線が読みどころだろうね。次は『P・モーランと放火犯』。“村の名探偵”として妙な人気を獲得したモーラン君の元に、保険会社のOLが仕事を依頼。ある屋敷が放火される恐れがあるので張り込んでほしいというのだ。任せておけとばかりに意気込むモーラン君。しかし偶然そのOLの不審な行動を目撃し、その後を追ってみたら……これもパターンは同じ。読者にはモーラン君がハメられていくのが分かるのに、当の本人はノンキに探偵ごっこに興じている。事件は彼の強運で解決するけど、ヤバいオチがついていた!」
G「蒼ざめる“主任警部”とフテブテしくなってきたモーラン君の、強心臓というかしたたかな無神経さの対比が楽しいですよねー。続く『P・モーランのホテル探偵』では、モーラン君は“名探偵”の噂を聞きつけたホテル経営者にホテルディック=ホテル専属探偵として雇われます。彼が通信教育の教えを守ろうとすればするほど、なぜか蒼ざめていくホテルの一番の上客。怒り心頭の“主任警部”はモーラン君の退学を決定しますが、あわやというところで意外な機転を働かせ、その上客の窮地を救ったのは意外やモーラン君でした」
B「主人公のいつになく冴えた活躍は、なんだか“らしくない”けれど、終盤ばたばたばたッと決まるハートウォーミングなどんでん返しが奇麗で、なかなか爽やかなサプライズだね。ミステリというよりもコメディの落し方ではあるけれど、劇作家らしい作者のテクニックが想像できる。次は『P・モーランと脅迫状』。脅迫状を受取った銀行のお偉いさんが、モーラン君に犯人探しを依頼する。脅迫状を研究するためモーラン君がその筆跡を真似てみたことをきっかけに、街中で脅迫騒ぎが起こってしまう……。主人公の大ボケが偶然の積み重ねで結果的にドタバタ騒ぎを引き起こすという黄金パターン。しかし、そんな事態を逆手にとって、したたかに稼ごうとする“主任警部”や牧師のキャラクタがいいね」
G「ミステリパロディらしさが全開の作品といえば、次の『P・モーランと消えたダイヤモンド』でしょうか。衆人環視のさなか消えうせたダイヤモンド、という失せ物探しネタなんですが、今回モーラン君はミステリマニアの娘の助言を得て、古今の名探偵の推理をダイレクトに引用しつつ大胆な捜査を敢行します。胸像があればぶち壊し、水槽があればこれをぶち割り、壺があれば割ってみる。名品珍品を片っ端から壊された依頼人は“見つけないでくれたら金を払う”と悲鳴を上げます。これは笑いましたねー、名探偵を気取れば気取るほど身の回りのもの破壊していく“大迷惑男”のパターン……映画でいったらクルーゾー警部ですね」
B「懐かしいなあ、『ピンクパンサー』シリーズか。まあこの事件ではモーラン君はいいとこなしなんだけど、とにもかくにも“解決”したということでいよいよ鼻高々。“主任警部”もバカにされっぱなしなんだけど、最後の最後で彼が姿を現し鮮やかに一矢報いるのが最終話『P・モーラン、指紋の専門家』。数々の事件“解決”で金回りのいいモーラン君。すかさず“主任警部”が売り込んだ高価な指紋検出セット指紋もキャッシュで買い取って、指紋検出に夢中になる。そこへ偶然であった不審な大男が“指紋を採られまい”としているのに気付いた主人公は、彼こそが手配犯の強盗ではと睨むが……」
G「だんだん増長した主人公が、最後にぎゃふんという目に遭わされてストンと幕が落ちる……このあとがちょっと気になる幕切れですね。実際、シリーズはこの後も執筆されていたそうで、できればぜひ続きが読みたいです」
B「まあ、これはこれでいいんじゃないの? 探偵術というか、ミステリの様々なガジェットをテーマに、バラエティ豊かに描いた軽〜いミステリコントというところで、ちょっぴりレトロな洒落た味わいは楽しいけれど、ユーモアミステリとしては後年の作品のような起爆力はないし、若い方が読んだらちょっと食い足りないかも。まあ、前述したようにこれはあくまで古典的なコメディの作劇作法に則って書かれたミステリコントだから仕方がないっちゃ仕方がない」
G「古典的な作劇作法?」
B「バカで、無知な、しかし“イノセントを持った人物”が、常識の世界を相手にいろいろドタバタを繰り広げ、しかし最終的にはそのイノセントゆえの幸運で幸福/勝利をつかむ、というパターンね……いやまあ、演劇の世界でこれが古典的かどうかは知らないけどさ。ちょっと古めのコメディ映画では、これが1つの黄金パターンじゃん。たとえば、チャップリンだってそうだよね」
G「ぼくはセラーズの『チャンス』とか、それこそさっき出た『ピンクパンサー』とかを連想しました」
B「そうそう。で、それらに対して、主人公ばかりでなく“彼を取り巻く世界までが発狂”しちゃってるのが、いま現在のコメディのパターン。小説でいえば“バカミス”ね。『名探偵Z』とかもそうでしょう」
G「映画でいったら『裸の銃をもつ男』とか?」
B「ドレビン警部か〜、いいね〜。……ま、ともかくそういうことだから、こと笑いという面でいえば、今どきの読者さんにはてんで刺激のないお上品なものと思われる怖れはある」
G「これもまた“ニヤリ”という感じで、ぼくは好きですけどね。お話の作りも、たしかにパターンなんですが、逆にパターンならではの安心感がある。ほのかなギャグやささやかな機知にニヤニヤする、大人のエンタテイメントってやつなんではないでしょうか」(本書は奥付では2002年11月の発行です。)
 
●何でいまさら……おれたちはブルースしか歌わない
 
G「トラベルミステリーの大家というか大御所というかミステリ長者というか、かの西村京太郎さんが昭和50年に書いた青春ミステリー『おれたちはブルースしか歌わない』が、講談社ノベルスから復刊されました。カバー袖に作者のメッセージが付けられていますが、特に加筆だの修整だのした様子もないし……何で今さら復刊したのかよくわからないですよね」
B「ほんとによーわからん。まさかとは思うが、西尾さんたちの“新青春エンタ”とやらが流行っているから、それにあやかってこの“旧青春エンタ”で柳の下を狙ったのか? だいたい加筆修正なしの単なる復刊ならGooBooベストの対象作品にもならないし、GooBoo的にもあらためて取り上げる必要はないんじゃないの?」
G「いや、そうなんですけどね。現在の西村作品って傾向的にも内容的にも、今後もまずGooBooすることはなさそうだし。大家さんなんだから1回くらい取り上げてもいいかなって思いまして」
B「だったら他にいいものが幾らでもあるじゃん。トリッキーな初期作品でもいいし、トラベルミステリだって初期の『終着駅殺人事件』とか、けっこう面白かった気がする。古典パロディの『名探偵シリーズ』だって悪くない。なにも青春モノとしての古び方がイタイだけのこの作品を選ばんでも」
G「そうなんですが、まあ若い衆にもなじみ深い講談社ノベルスですから、手に取りやすい西村作品なんじゃないかな、って。……というわけで内容のご紹介です。主人公は浪人生崩れの“おれ”。大学入試は半ば諦め気味の“おれ”は、仲間を集めてブルース専門の“グループサウンズ”『ザ・ダックスフント』を結成しプロを目指しています。“おれ”は亡くなった両親が残した一軒家に独り暮らししてるんですが、ある晩その近所で殺人事件が発生します。“おれ”は野次馬気分で見物に行っただけでしたが、なぜか同じ日、“おれ”の家に一匹のダックスフントが迷い込みます。“おれ”はその犬をロンと名付けバンドのマスコットとして可愛がるんですが、その半年後、ロンは不意に失踪してしまいます」
B「仲間と共にその行方を探すうち“おれ”は不意に思いつく。もしかしてロンの失踪は、あの殺人事件と関連があったのでは? ……偶然知りあった被害者の娘と共に事件の謎を追ううち、静岡ナンバーの不審な車を目撃。さらに静岡で『ザ・ダックスフント』のオリジナル曲が盗作されヒットしていることを知った“おれ”と仲間たちは、勇躍静岡に乗り込む。しかしその矢先、なんとバンドメンバーの1人が殺されてしまったのだ!」
G「というわけで、かなり強引な展開ながらさすがに波乱万丈というか、先の予想の付かない展開でクイクイ読ませてくれますね。前半はご紹介した通り軽快な青春推理なんですが、中盤以降行、仲間に犠牲者が出るあたりからいきなり死体がゴロゴロ転がって。しかも密室有り、見立て有り、というまことに古典的な本格ミステリ的状況になっていきます。なんと“読者への挑戦”まで付いているんですから、作者としてはかなり正統的なフーダニットを意識して書いたんでしょうね」
B「……なぁにが正統的なフーダニットなんだか! たしかにトリックがあり、挑戦状があり、フーダニットの謎解きがあってどんでん返しもあるけど、はっきりいってその本格ミステリ的部分はかーなーりーどしゃめしゃ。行き当たりばったりの推理の競演の揚げ句、信じられないような強引かつスキだらけ憶測だらけの推理が延べられ、説得力もなけりゃサプライズのカケラもない真相が語られる始末。いーかーにーもなーんの設計図も引かずに思いつくまま、行き当たりばったりに書きましたって感じの困ったシロモノだね。これだったらスチャラカな『名探偵シリーズ』の方がなんぼか面白いぞ!」
G「まあ、たしかに多少ロジックの詰めがいいかげんだったり、トリックがチャチだったりしますが……いちおう多重解決の趣向ですし、謎解きだっていうほど酷くはないと思いますよ。この人のものとしてはアベレージじゃないですか?」
B「なんちゅうアベレージなんだかなあ。ともかく謎解き部分に限らず、一から十までご都合主義の連打で安直に話が進んでいくのはいかがなものかと思わざるを得ないね〜。クルマのナンバー調べたくなるとバンドメンバーの親戚が陸運局勤務だったり、重要な容疑者の身近に主人公に好意を持つ女性がいたり、たまたま高級なラジオをもっててたまたま静岡の放送を聞いたらたまたま盗作された曲が放送されたり……」
G「まあ、ね」
B「ついでにいってしまえば、風俗小説としても面白みはたいしてないね。昭和50年代当時としても主人公の若者口調は古臭いし、いかにも無理して若者っぽく書いてみましたという気恥ずかしいエピソードや描写が頻出! 読んでるこっちが恥ずかしくなる。これじゃあ西村さんの人気の足を引っ張る以外、まーったく効果がないと思うんだが……いったいどういうつもりで、今さらこんな作品を復刊させたのか? 出版社の意図がわたしゃ心底不思議だね!」
 
●凝り凝りの時代ミステリ……影踏み鬼
 
G「ちょうど一年前の2001年12月に出た本ですが、当時は完全なチェック漏れで捕捉しそこねていた作品です。GooBooベストで某氏がおあげになったので慌てて取寄せて読ませていただいた次第です」
B「私も全然知らなかったなあ。名前さえ聞いたことが無かったんだけど、もともとは表題作(この本自体は短編集なのよね)の『影踏み鬼』で第22回小説推理新人賞を受賞された方。その後、同じく収録作の『奈落闇恋道行』で、第54回の日本推理作家協会賞の候補になっている。……ここで受賞されてたら捕捉してたかもしれないけどね〜」
G「時代小説タッチの作品が多いせいか、中間小説誌を主戦場としてらっしゃるのも盲点でしたね。あのあたりまではさすがにカバーしきれません。でも、まぎれもなくミステリ系の新人さんなんだけど、いわゆる新本格系の新人さんとは一線を画す存在ですよね。時代小説の素材や言葉遣いも楽々と使いこなすし、中間小説誌に載っても見劣りしない完成された文章力と小説技術を持ってらっしゃる。ご自分の“作品世界”つうもんも確固としたものをお持ちだし」
B「ううむ、そうだなあ。不遜な言い方だけど、すでに充分“鍛えられた”作家さんという感じはあるね。芸道もの・時代ものを扱う達者な書き手という点で、初期の連城作品を連想させる部分も多いんだけど、連城さんほどのミステリ技巧は無く、そのぶんドロドロだと思う(笑)。ま、内容をご紹介するべし」
G「ですね。まずは受賞作にして表題作の『影踏み鬼』。語り手は狂言作者で、彼が若い時分に師匠から聞いた奇談、という体裁の物語です。時代はどうやら江戸の末頃みたいですね。えー、威勢を誇った大店の跡取息子がさらわれ、身代金が要求されます。身代金受け渡しの場所を密かに役人たちが包囲しますが、下手人は現れません。しかも身代金はいつのまにか贋金にすりかえられていました。金は消え子供は戻らず……気落ちした両親はやがて次々亡くなってしまいます。後を継いだ若主人は店をつぶしてしまいます。……身代金目的の誘拐といい、事件の真相を巡る構図といい、これは時代小説の体裁ながらきわめて現代的な骨組みの作品ですね。なのにチグハグな感じはまったくない」
B「なぜ下手人は金を取りに現れなかったのか、金はどこへ消えたのか。本格ミステリ的に読むとそういう謎が中心にあるわけだが、その謎解きだけを取りだして見ると、はっきりいって大したアイディアがあるわけではない。実際、すぐに真相の見当はつくしね」
G「でも、終盤はどんでん返しの連発ですよね。真相も二転三転したあげく、あらゆる手がかりがきれいに反転して結びつき、鮮やかな真相を描き出す。僕はけっこう真剣に感心しましたよ」
B「しかしこの作品の場合、どんでん返し自体が語り手の嘘やごまかしによって成立しているタイプのものだからねえ。推理にこだわって読んでしまうと、真相はむしろ陳腐なものに思えるだろうな。あくまでこれは濃厚な時代小説色の味付けで、面白く読ませているわけで、明らかに語り口というか料理の仕方の勝利だな。続いては『藁屋の怪』。主人公は何ともしれぬ暗い影を背負う、盲目の芸人・ヨシ。四弦の鳴り物芸の技術は見事だが、彼が背負う陰湿な空気と耐えがたい腐臭には誰もが顔をそむける。唯一彼を嫌わないある元締めの家に、ヨシは寝泊まりしていたが、そこで彼は夜毎怪異に遭遇する。……この家の娘は男に騙され大金をもったまま姿を消し、生死も知れない。もしやその娘の生霊か。恐怖するヨシは家の奥に隠し部屋に続く梯子を見つけ、恐ろしい悲劇の構図が見えてくる。やがてその家を流血の惨劇が襲った! ……まあ、怪談かな。ホラーとしては理に落ちる謎解きであることが逆に物足りない」
G「これは全編に共通するテーマだと思いますが、人の心の暝い妄念をねちっこく描いた血みどろ絵巻という感じ。読ませますよね。描ける人だと思う。次は『虫酸』ですね。えっと、大工の棟梁の娘として何不自由なく育った娘・加代。しかし彼女にはなぜか盗癖がありました。そんな彼女の危ういところを助け、かばった男は、そのことがきっかけで身を持ち崩し、監獄へ送られてしまいます。やがて男が出所してきたとき、加代は周囲の反対を押しきって監獄帰りの男に嫁ぎます。……真面目一方だったか大男がなぜ身を持ち崩したのか。加代の盗癖に隠された秘密とは?」
B「男の変節に隠された愛情。虫酸はいつ誰に対して走ったのか。……よく練られたドラマではあるけど、狙い澄ましたオトシドコロを隠そうとするあまり、作者は張るべき伏線を抑制しすぎてしまった感じだね。ドンデン返しがいかにも唐突に思えてしまうのは、作者にとってはやはり計算値違いでしょ。ディティールを創りすぎ狙いすぎて、全体のバランスや効果に計算違いが生じてしまったのかな。次は『血みどろ絵』。思わず『血みどろ砂絵』といいたくなるけど、こっちはタダの『絵』だからね。これは少々時代が下って明治のお話だな。といっても江戸の気配は濃厚に残っているんだけれども……男に刺し殺され血だるまとなって死んだ酌婦は、幼い自分が世話になった乳母だった……若く美しかった乳母がなぜ酌婦に落ちぶれ、あげく無惨に殺されねばならなかったのか。独り事件の真相を求めて訪ね歩く娘がついに真相を知ったとき、過去と現在の2人の女の心が鮮やかに重ね合わされる」
G「これは結末の1行がじつに鮮やかですよねー。ともすればディティールに凝りすぎ作品全体がごたついた印象を与えやすい作風なんですが、この作品はそんなゴタついた飾り付けが比較的少なくて、どんでん返しもオチも奇麗に決まっています」
B「そうねえ、私もそのあたりがベストバランスだと思うんだが、どうもこの作者さんは必要以上に描き込みたい気持が強いみたいで、トリの『奈落闇恋道行』も力を入れるべきポイントと抜くべきポイントが微妙に狂っている感じ。……名人と呼ばれた歌舞伎役者がセリフをトチり、ぶざまに笑われた揚げ句、首を括って自殺した。名人上手といわれた役者が、なぜトチったのか。二重三重のどんでん返しの果てに暴かれた真相は哀しい恋の物語……」
G「これは第54回日本推理作家協会賞の候補作となった作品だけに、練りに練ったプロットも芸人の業を余すところ無く描いた厚みのある描写も文句無しの一級品。隅々まで力のみなぎった力作ですね」
B「うーん、これもなあ。見事などんでん返しなのだが、やはり伏線の張りどころが甘いんだよな。だからなんちゅうか、奇麗に落ちてくれないんだよね。たしかにキミがいうとおり、隅々まで力がこもり凝りまくっているんだけど、逆に凝れば凝るほどミステリとしてマズくなっていく感じ。たぶんこの作者さんの場合は“描きたいもの”のポイントがミステリというジャンルとは、ちょっとばかしずれているんだろう。ならばいっそのこと、もう少しミステリ的な技巧とは距離を置いたほうがいいような気もするんだけど……きっと連城作品が好きなんだろうな」
G「んー、どっちにしろ地力のある人だと思うんで、いずれ頭角を現すと思いますよ。どんな形かは分かりませんけど」
 
●“あの映画”の影……ファントムの夜明け
 
G「浦賀さんの書き下ろしが出ましたね。『ファントムの夜明け』は長篇サスペンスホラー。超常現象を扱ってはいるんですが、お話的には完全にサスペンスですよね、これは」
B「まあそうだろうね。作中に登場する“超常現象”はあくまでサスペンスやらサプライズやらをこさえるための“道具”として使われている。面白いのは、むしろこの作家さんの作品としては、私の読んだかぎりではもっともすっきりした仕上がりであること。むしろ講談社ノベルスから出てた一連の作品の方が、スピリット的に遥かにホラーっぽかった気がする」
G「そういわれればそんな気もしますね。とにかくこの新作長篇は、ラストでのサプライズを狙った、なんちゅうか一発勝負って感じの作品ですよね」
B「ていうか、そのラストに至る展開が、前述の通り“いつになくすっきりと見通しが良すぎ”て、結果ショッカー演出サスペンス演出がことごとく不発になってしまったから。……だからそんな風に読めたのかもしれないけどね」
G「またそういう憎まれ口ばっか云う〜。んもうアラスジいっちゃいますからね! というわけで、1年前の夏。あるできごとをきっかけに、恋人だった健吾と別れたヒロイン・真美。別れた当初はぼろぼろでしたが今はなんとか立ち直り、健吾のことを時々思いだすこともあるけど、独り暮らしにも慣れました。その日、真美は友達に頼まれて、健吾に本を返すため1年ぶりに彼の家を訪れました。彼は留守でしたが、何気なくドアノブに触れた瞬間、静電気のような異様な感触が伝わってきました」
B「全身を包む異様な感覚に気分が悪くなった真美は健吾の家を後にする。しかし、それ以来しきりに、小さいころ事故で死んだ双子の妹・麻紀の記憶がよみがえり、同時に誰ともしれぬ人の声が聞こえるようになる。苦しそうに助けを求めるその声……そういえば麻紀も、生前よくそんなことを云ってなかったか? 誰かがここに埋められている、とか。見えない友達がいる、とか。もしかして、私にもあの“ちから”が?」
G「そんな彼女のもとへ、健吾の現在の恋人・妙子が訪ねてきました。実は健吾はずっと行方不明で連絡もつかないのだというのです。もしかしてトラブルに巻き込まれたのではないか……妙子の言葉に不吉な予感を募らせる真美。では、あの時健吾の部屋で感じた不吉な予感と苦しそうな声は、もしかして?」
B「というわけで、早い話がこの作品は、大ヒットした某ハリウッド映画の、焼き直しというかバリエーション。あることをきっかけに特殊な能力を発言したヒロインが、その能力を活かして“眠れる事件”を解決していくという……。もちろんディティールや雰囲気は全く違うんだけど、ラストにはちゃんと“彼女自身”にまつわるどんでん返しも用意されていて、構図的にはあの映画そのままよね。これってちょっと安易すぎない?」
G「ううむ、たしかにプロットや設定は共通点が多いんですが、展開される物語のトーンは全然違いますよね。こちらはその“ちから”そのもののサスペンスあふれる発現がストーリィの中心だし、終盤のどんでん返しも映画とはショッカー演出の“角度”が全く違う。たしかにあの映画の強い影響下に生まれた作品だと思いますが、力点はあくまでサスペンスとしてのそれに当てられていると思いますよ。ラストのどんでん返しなんて、いつになく鮮やかに決まっているじゃないですか」
B「どんでん返し自体はたしかにきれいに決まっているものの、どんでんのネタそのものがチャチすぎストレートすぎて、サプライズを呼び起こすには弱すぎる。あの映画みたく根こそぎ引っ繰り返すようなインパクトがないんだよなあ。スケールが小さいとゆーか、予定調和とゆーか。さっきもいった通りオリジナリティにも欠けるし、そもそも長篇を持たすには弱すぎるアイディアなんじゃないかね」
G「個人的には、講談社のベルスで新本格(?)を書いてらっしゃった時よりずっとコンパクトにまとまってて、エンタテイメントとしてバランスが取れている。アベレージではないかなあ」
B「ストレートではあるけど、逆にこぎれいにまとまりすぎちゃって新鮮さや面白みに欠けるんだよな。そのくせ中盤、綾辻さんのアレをもっと単調にしたような陳腐な1人語りが、思い入れたっぷりにえんえんと続くんだよな。あれって怖くも面白くもないし、むしろサスペンスを削ぎまくるような気がするんだけどねー」
G「ううん、たしかに“怖がる人”の心理描写はたっぷりありますね……。でも、それは浦賀さんに限ったことじゃないでしょう」
B「たしかに日本の作家ってそういう手法が大好きみたいだけどさ、個人的には“人が怖がっている様子”を描いて読者を怖がらせようって手法は、安易に手を出すべきじゃない気がするんだよ。そもそも“登場人物が怖がっている様”“怖がってる登場人物の心理”といったものと“怖いもの”は別物だし、それを描いて読者を怖がらせるのは高い技術が伴わない限りほとんど不可能。結果、B級ホラーと同じ安直な手法に見えてしまうわけで、いいことなんて1個もない気がする」
G「浦賀さんの作品としてはこれまでで最も一般化された、というか分かりやすく、普通に面白いエンタテイメントだと思いますけどね。たとえば本格ミステリ的技巧もうまく活かされているでしょ。ラストのどんでん返しだってそうです。たしかにインパクトはいまいちだけど、きれいに伏線が張ってあって、解こうと思えば解くこともできるわけで……」
B「でも、フツーだよね。突出したところがなにひとつ無い。浦賀さんじゃなくても書けそうな作品なんだよな。いいといえばいいよ、だけど、ちんまり職業作家風にまとまってしまうにゃまだまだ早すぎると、わたしゃそんなふうに思うんだけどね〜」
 
#2002年12月某日/某スタバにて
 
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