battle95(2003年1月第4週)
 
[取り上げた本]
01 緋友禅 旗師・冬狐堂 北森 鴻             文藝春秋
02 街の灯 北村 薫             文藝春秋
03 フレーム・アウト 生垣真太郎          講談社
04 QED 竹取伝説 高田崇史           講談社
05 虚空の逆マトリクス 森博嗣            講談社
06 呪い亀 霞流一            原書房
07 『妖奇』傑作選 ミステリー文学資料館編    光文社
08 歌うダイアモンド ヘレン・マクロイ       晶文社
09 クレシェンド 竹本健治           角川書店
10 人形(ギニョル) 佐藤ラギ           新潮社
Goo=BLACK Boo=RED
 
●手間暇かけて練り上げた短編ミステリの粋……緋友禅
 
G「北森さんの新刊です。『緋友禅』はごぞんじ“旗師・冬狐堂シリーズ”の最新短編集。初出はいずれも文藝春秋の『オール読物』と『別冊文藝春秋』で2001年から2002年に掲載された作品を収録しています。このシリーズの前作は、それこそ伝奇ミステリを思わせる非常にスケールの大きな陰謀サスペンスっぽい作品でしたが、こちらはぐっとストレートなミステリ短編集ですね」
B「ストレートといってもパズラーというわけではないけどね。なんというかミステリ短編としての、短編小説としての密度が高いというか。大人のミステリ短編というか。本格ミステリ的な部分だけを取り出してしまうと、まあさほど新しいわけでも凝っているわけでもないんだけど……小説としてのテーマ、ストーリィ、あるいはキャラクタといった基本要素がミステリ的な仕掛けと巧みに溶け合って、間然とするところがない。力作だね。手抜きの無い仕事だと思う」
G「シリーズをお読みの方にはいまさらでしょうが、内容をご紹介する前にいちおうシリーズ設定を紹介しておきましょう。“主人公・冬狐堂”こと陶子は、“旗師”と呼ばれる店舗を持たない骨董業者。磨き抜かれた己の鑑識眼だけを頼りに、“騙された奴が悪い”百鬼夜行の骨董業界を生き抜いています」
B「この骨董業界という特異な世界を舞台に選んだのが、まずもってこのシリーズの成功のカギ。多くの場合、物語は陶子のもとに持ち込まれたいわく因縁のある書画骨董美術品を巡って展開されていくわけだけど、たとえばそれが古美術品であれば歴史推理譚に、贋作であればフーダニットやコンゲーム風に、巨匠の幻の名作であれば芸術家の業を描くホワイダニットにと、変幻自在に変化がつけられる。しかもそんな風にネタに合わせてミステリ手法が選べるから、前述のようにテーマとミステリ的な仕掛けが無理なく連携するわけだ」
G「そんなことが可能なのも、作者にあらゆるタイプのミステリ手法を自在に操るテクニックがあるからですよね。むろん骨董業界や古美術、歴史に関する取材や研究も怠りなくやってらっしゃるんでしょう。そのあたりの確固とした基盤があるからこそ、できあがった作品がこれほど充実しているのだと思います」
B「とはいえ個別に見ていくと、やっぱいろいろ注文もつけたくなるんだけどな。とりあえず内容を紹介しようか」
G「そうですね。まず第1話は『陶鬼』です。ええっと……旗師・弦海の自殺の報を受けた陶子。弦海は狷介固陋で油断のならぬ旗師として知られた人物でしたが、実は駆け出しだった頃の陶子が教えを受けた、いわば師匠筋にあたる男でもあったのです。あまりにも唐突なその死に不審を感じる陶子。さらに信じられないことに、弦海は萩焼の巨匠・久賀秋霜の遺作を壊し、責任を取って死んだというのです。疑いを深めた陶子は、弦海と秋霜の関係を探り始めます。……凄腕と呼ばれた旗師がなぜ巨匠の名品を壊したのか。萩焼の歴史を塗り替えた巨匠の技に隠された秘密とは何か。栄光の影に隠された芸術家の業というものが、一読強い印象を残します」
B「謎解きは萩焼をはじめとする陶工の世界に関わる専門知識を元に行われるから、読者には基本的には参加のしようが無い。巨匠の技の秘密というのも面白いには面白いが、作者の用意した“答”がどれほどユニークなものなのか、素人の私には見当もつかないんだよね。正直“なんだそんなことなの”って感じも少々あったりなかったり。薀蓄の面白さ、つまり情報小説的な面白さがあるのは確かだけれど、特殊な業界を舞台に選んだ場合の弱点が出てしまったかもね。……続く第2話は『「永久笑み」の少女』。1人の老人が陶子の元に持ち込んだ、あまりにも見事な埴輪土器。鑑定の結果、それは真物とされるが、出所は不明のまま……実は老人は古墳などの遺跡の盗掘を行う“掘師”だったのだ。やがて老人は不審な死を遂げ、老人の孫娘もまた失踪していたことが明らかになる。老人はなぜ陶子の元に埴輪を持ち込んだのか? ホワイダニットの謎を解いた陶子は、大胆な推理によって“犯人”を突き止め、巧妙な罠を仕掛ける……」
G「いうなればホワイダニットで始まった謎解きがフーダニットに転調するわけで。この推理の転調と連鎖が大胆かつ巧妙。堀師なんて仕事ははじめて知りましたが(いや、むろん闇の商売なんでしょうが)、これにまつわる薀蓄も非常に興味深いです。まあ、盗掘に関わる“ある知識”が謎解きの決定的な手掛りとなるわけで……これもまたayaさんにいわせれば、専門知識ネタってことになるんでしょうけどね。それが犯人の残した手掛りと二重写しになる瞬間の描写の鮮やかさはまことに強烈! サプライズも申し分ありません」
B「ううん、これはもう少しボリュームが欲しかった感じだなあ。いや、この作品に限らずどれも長編に仕立てることが充分可能な密度と内容だと思うよ」
G「次は表題作の『緋友禅』ですね。何気なく陶子が足を踏み入れた東銀座の画廊。そこでは名も知れぬ作家による糊染めのタペストリーの個展が開かれていました。客の姿もなく閑散とした展示会でしたが、その無名作家の作品に陶子は紛れも無い天才を発見します。陶子は即決で全ての作品を買い取りますが、個展終了後天才は死亡し、しかも全ての作品がいずこかへと持ち去られてしまいます。……数ヶ月後、華々しいデビューを飾った女流アーチストの作品に、陶子はあの無名作家の作品が盗用されていることを知ります」
B「これはミステリ的にはわりとストレートな作品で、正直あまり面白みが無い。むろん友禅にまつわる薀蓄は面白いんだけど、裏切りあい騙しあいが横行する生臭いアーチストたちの暗闘というのは、しかしとくだん珍しくも無いテーマという感じ。Webを使った陶子の逆襲なんかで新味を出そうとしているが、これもあまり効果的とはいえない。……もうひとひねりほしかった感じだなぁ。大ラスは『奇縁円空』。タイトルどおり、生涯に12万体の仏像を彫ったという伝説的な造仏聖・円空がテーマの作品だ。これは中篇クラスの分量をもち、内容的にも長編なみのボリュームがある集中の白眉というべき力作だね。……かつて骨董業界を震撼させた伝説的な円空の贋作“鬼炎円空”。30年前に姿を消したはずのその“鬼炎円空”が、陶子の前に出現した。かつて展示会で自らの作品を傷つけ姿を消した“鬼炎円空”の作者・北条鬼炎とは何者か。なぜ円空の贋作を作り、しかもそれを傷つけたのか。鬼炎の謎を追ううち、陶子は徐々に円空その人の正体にも迫っていく……」
G「中篇とはとても思えないような読み応えのある作品です。内容的にも非常に充実していて、“どうやって12万体もの仏像を彫ったのか”という円空の謎を巡る歴史推理としても読めるし、天才贋作者・鬼炎円空の出自を巡る伝奇小説的な楽しさもある。専門家にも見分けられない贋作と真作を分ける唯一のポイントを巡る謎解きも面白いし……非常に多彩かつ盛りだくさんな内容なんですが、それらが全て円空と鬼炎円空という2人の天才が負った業という1点できれいに連動して、見事に1つのテーマに昇華されている点がまた凄い。余韻嫋嫋として最後の1行が胸に迫ります」
B「ただしこれだけ充実した内容だったら、もう少しボリュームが欲しかったのも確かでね。全体にいささか密度が高すぎて忙しく息苦しく、読みづらい感じがするのもまた確か。むろん力技でこのボリュームに纏め上げた作者の手腕はたいしたもんだと思うけど、読物としては長編にしちゃった方が読みやすかったんじゃなかろうか。それだけ広がりのあるテーマであり内容だと、私は思うな」
G「そうですね、たしかに長編バージョンは、ぼくも読んでみたい気がします。が、まあそれは贅沢というものでしょう。ともかくここに収められているのは、名人が手間を惜しまず投資をケチらず、丁寧に練り上げた贅沢な短編ミステリの粋。昨今これくらい密度の高い短編集はなかなかありませんよ!」
 
●期待と思惑の齟齬……街の灯
 
G「北村薫さんの新作、といっても短編連作ですが、『街の灯』はごぞんじ文藝春秋の本格ミステリ系叢書『本格ミステリ・マスターズ』の新刊です」
B「北村さんといえば、この『本格ミステリ・マスターズ』の編集委員のお1人。当然、この『本格ミステリ・マスターズ』という叢書の意義目的コンセプトに則った、ある意味他の参加作家さんの範となるような作品。少なくともそういう意気込みのうかがえる作品でもって登場してくれると思ったんだけどね。……残念ながらいろんな意味でガッカリさせられた新作だった」
G「そうですか? 新しいシリーズキャラクタによる新シリーズだし、たしかに日常の謎ではあるけど従来のソレとはずいぶん手触りが違うし、なかなかの意欲作だと感じましたが」
B「私が気に入らないのはそんなことじゃない。いやまあ、日常の謎はもうたくさんって気持ももちろんあるけど……この作品ってさ、そもそも書き下ろしじゃないじゃん。『別冊文藝春秋』に載ったやつをまとめただけだぜ? たしかにすでにこの叢書にも、加納さんの『虹の家のアリス』で非書き下ろしの前例があるわけだけど、北村さんはなんたって編集委員じゃん。それでいいのか、と、私は声を大にして問いたい」
G「ううん、でも、このシリーズが掲載されたのは2002年1月、5月、7月、11月の『別冊文藝春秋』ですから、タイミング的にはすでに『本格ミステリ・マスターズ』の企画がスタートしていたと思うんです。だとしたら、北村さん的には最初から“そのつもり”で。つまり『本格ミステリ・マスターズ』用の“意気込み”で書いた作品を、とりあえず先に雑誌に載せてみました、ってだけのことなんじゃないのかな」
B「北村さんの中で『本格ミステリ・マスターズ』という叢書が持つ意味は、してまたその編集委員の重みってものは、そんなものなのかしらん」
G「書き下ろしの方が、雑誌連載ものをまとめたものよりエライってもんでもないでしょう。それはいちゃもんだと思うなあ」
B「たしかにね、事情はきみがいうようなものだったのかもしれない。だけどね、加納さんが既存シリーズの連載ものをそのまま単行本化して事足れりとし、それを編集委員の北村さん御自ら追認するように『街の灯』を出した。この調子じゃ、『本格ミステリ・マスターズ』はいずれ遠からず、本格ヘのこだわりもクソもない“ただのミステリ叢書”になるだろうね。つうか、もうなってるか。まあ、そもそもこうして本になった以上版元はそれでおっけーなんだし……結局この叢書が“これぞ本格ミステリにこだわった本格系作家入魂の1冊”だなんていう私の思い入れは、見当違いも甚だしいアホな幻想だったってことなんだろうな。ま、いいけどさ」
G「ううむ、出版の経緯のことはともかく、『街の灯』は本格としてけっして悪い作品ではないと思いますけどね」
B「だから“けっして悪い作品ではない”程度の作品でいいのかよ、と。私はそういってるの!……ま、いいや。なんか疲れた。いったところで成るようにしか成らんもんね。内容を紹介しましょ」
G「はいはい。前述の通りこの新作は新しい舞台、新しいキャラクタによる新シリーズです。舞台はなんと昭和7年の東京。主人公/語り手は女子学習院に通う社長令嬢・花村英子で、彼女と彼女専属の運転主兼ボディガードでもある“男装の麗人”ベッキーさんこと別宮みつ子が、メインキャラということになります」
B「昭和7年というと、上海事件、満州建国、そして5.15事件が起こった年。日本が急速に戦争へ傾斜していく直前の、どこかしら微かな不安の漂う、それでもまだまだのどかな時代のお話。まあ、主人公は宮様も行く女子学習院に通うようなお嬢様だから、もっぱら太平楽な上流階級の世界が話の舞台で。政情や社会情勢、庶民の暮らしぶりなんてものはほとんど触れられないんだけどね」
G「そのあたりはいずれシリーズが進むにつれて語られていくのではないでしょうか。とりあえず戦前の華族や財閥、宮様といった上流階級の生活風俗がきちんと描かれて、これはこれで大変興味深い読み物になっています。……ともあれそんな特異な世界を舞台に、三つの謎解きストーリィが語られます。第1話『虚栄の市』はシリーズ1作目だけにヒロインとベッキーの出会いに大半の筆が割かれていますが、用意された謎もなかなかに面妖です。それはヒロインが新聞で読んで興味を持つ〈自らを埋葬せし男〉という怪事件。自殺とおぼしき男の死体が、自ら掘った穴の中に埋まっていたという椿事です。いかにも作者好みの名探偵然としたベッキーさんが実はワトソン役で、名探偵役は語り手の英子という、通常とは逆の構図が興味深い。もちろん謎解きの方も、乱歩を思わせる奇譚風味が効いた楽しい仕上がりですね」
B「作者的にはおそらくかなりトリッキーな味付けを志向したものと思えるけど、どうしたことだか謎解きに少しも切れ味がない。無理筋に無理筋を重ねた憶測だらけのロジックは、およそ日常の謎派らしからぬ手際の悪さだな。おそらくはモチーフとなっている乱歩作品の味を踏襲しようとしたのだろうけど、その狙い自体が無理筋だ。まあこの『虚栄の市』に限らず、このシリーズは全体に謎-謎解きの切れ味が悪いんだよね。第2話の『銀座八丁』もまた然り。ヒロインの銀座屋台街探訪譚に、ヒロインの兄とその友人が行なっていた奇妙な暗号ごっこの謎解きが絡むという趣向だが……これも要するに作者の筆はあくまで当時の銀座風俗を描くことに力が注がれ、暗号の謎解きはその風俗描写のために行なわれたささやかな味付けに過ぎない。謎解き自体をとりだしてみても味も素っ気もないわけで、まして意外性の欠片もない陳腐なシロモノだ」
G「とは言え、そうまで作者が入れ込んだ銀座風俗の描写は物珍しく、やっぱ素敵に面白いですよね。現在の和光にあたる服部時計店の時計台の四番目の時計のエピソードなんてとても魅力的でした。続く第三話は『街の灯』。こちらはぐっとミステリ色が強い作品でしたね」
B「軽井沢の避暑先で主人公が遭遇した奇禍。友人の家で開かれた映画上映会で、富豪青年が仕掛けた些細な悪戯が思いがけぬ悲劇を招く。しかし、ヒロインとベッキーさんの炯眼は、そこに秘められた確かな悪意の匂いを嗅ぎ取る。これまたトリッキーといえばトリッキーな不可能犯罪ものだけど、無いほうが良かったようなしょぼいトリックで、やっぱりどうも作者は計算違いをしているとしか思えない。そもそもトリックメーカーとはいえない作者にとって、最大の武器は謎&ロジックの発想と演出。すなわち小さくとも魅力的な謎の創出とサプライズを演出する謎解きレトリックにあるわけだが、このシリーズでは前述のように風俗小説的な要素への比重が高いぶん、謎解きにボリュームが割けず、いつもの手が使えなかったのではなかろうか」
G「ふむ、それでトリックメインの一発勝負という戦法を使っていると」
B「ま、憶測だけどね。だけどそのトリックの造り込みが甘いから、どうにも気の抜けたような仕上がりになってしまったきらいがある。あくまで好意的に見るならば、新境地への挑戦とも取れるわけだけど、べつだんそれは本格として新しい試みとはいえないだろう。ましてその結果が、膝を叩くような機知も、唸りたくなるようなロジックも、拍手したくなるようなレトリックも全く無しでは……少なくとも本格ミステリ的には、やらないほうがマシだったのではないかいな」
G「ううむ、まあたしかに本格としては薄味ですが、それ以上にくだんの風俗小説的要素と連動して、達者な、手慣れたエンタテイメントに仕上がっていると思うのですが」
B「つまり結局、この本の新しさも面白さも“本格ミステリ部分ではなく”風俗小説もしくは、ヒロインのビルドゥングスロマン的な部分にあるんでしょ? それでもやっぱり作者は、これが『本格ミステリ・マスターズ』という叢書に相応しい作品だと、そうおっしゃるのかしらん」
G「うーむ。そういわれちゃうと、やっぱり『本格ミステリ・マスターズ』に“本格ミステリ叢書としてのこだわり”を期待するのは、間違ってるような気がしてきちゃいますねえ」
B「なんなんだかなあ」
 
●いちばんカッコ悪い失敗の仕方……フレームアウト
 
G「“メフィスト賞史上最大の挑戦”というオビの言葉も勇ましい、第27回メフィスト賞受賞作品。作者は京大卒でニューヨーク在住、書いた作品ももちろんニューヨークが舞台という、なんつうか周辺情報がえらくかっちょいい新人さんの処女長編です」
B「“メフィスト賞史上最大の挑戦”ってのは煽りすぎというもっぱらの評価。“おいおいメフィスト賞ってそういうレベルだったのかよ?”みたいな。どっちかというと失笑を買っているという感じがしないでもないわね〜。無論これは作者でなく、売る側の戦略ミスだけどさ」
G「ん〜、あたらそんな煽り方をしたばっかりに、期待値が膨らみすぎて。なんだか不満の方が先に立つ感じはありますが、一連のメフィスト賞作品の中ではさほど悪くはないですよね」
B「“そのレベル”で評価するならば、だけどね。まあ、基本的にミステリとしての仕掛けもプロットも、そしてノリも、ストレートな本格というよりシャプリゾやカサックといった、サプライズ重視のフランス系サスペンスに近い仕上がりだな」
G「あ、ちょっといえてるかも。それでは内容のご紹介とまいりましょう。舞台は1979年のニューヨーク。フリーの映画編集者を営む主人公ディヴィッドは、編集作業を行っている最中にゴミ箱の底から見覚えの無い16ミリフィルムを発見します。映っていたのは1人の女が自ら腹を刺して血に染まる、わずか数分のカット……デイヴィッドはそこに出演しているのが伝説的なホラー女優アンジェリカだと気付き、どこか異様な雰囲気を漂わせる映像と共に、そのフィルムに強い執着を覚えます。もしやこれは“スナッフ”(実際の殺人等を記録した闇フィルム)なのではないか? ところが一緒に見ていた友人のビリーが突如怒り出し、そのフィルムを廃棄してしまいます」
B「フィルムへ執着するディヴィッドはゴミ箱に残った別テイクのフィルムから、それを演出した人物を突き止め、くだんの監督と女優について調査を始める。たびたび奇妙な幻覚に襲われながら、何かに取り付かれたような調査の末に、ついにデイヴィッドは2人の消息を知る人物にめぐり合う。しかし、アンジェリカの消息は不明、監督は亡くなっていた。姿を消した友人、恋人、怪しげな私立探偵。奇怪に変容していく“現実”とさらに激しくなる幻覚の狭間に、ディヴィッドが見つけ出したフィルムに隠された“真実”とは?」
G「舞台が映画界ということで、映画に関わるカルトな知識や楽屋落ちが満載で、それが一つのお楽しみになっていますね。ついでにいえば、全編を包む熱っぽい悪夢のようなムードに、不可解かつ異様な現象が連発される作中の雰囲気は、どこかリンチやクローネンバーグの映像作品を思わせます。ミステリ的にはかなり複雑な、というか凝った心理トリックがメイン。これはたしかにayaさんがおっしゃるように、フランスものを思わせるサプライズ一発勝負のミステリですね」
B「ふむ。前述したサプライズ重視のフランス系サスペンスのコンセプトっつーのは、“人間の心のフシギをネタにすれば、何やってもヨシ!”だから、途方も無い無理無理の仕掛けや設定に、精緻な心理描写でもってリアリティを作り出すのがポイントなのよね。ところがこの作品の場合は、肝心の文章が生硬な翻訳調というか。学生バイトの翻訳者に訳させたみたいな、こなれてない割に俗っぽい妙な文章で……せっかくの複雑巧緻な仕掛けが宙に浮いてしまった印象」
G「この仕掛け自体のアイディアは、しかしかなり大胆かつ凝ったものですよね。まあ“メフィスト賞最大の挑戦”かどうかはともかく、力作であることは確かでしょう」
B「見え方としてはたいして強烈でもない怪現象なのに、それを具現化するための仕掛けの部分が複雑すぎてね……なんだか作者もそのトリックを扱いかねているような気配がするんだよな。なんちゅうか真相は見え見えなのに、その構造が分かりにくいというか。すんなり伝わってこないというか。結局、読者的には“推理するまでもなく、落しどころはそこしかない”と想像がついてしまうという。……ま、意欲は買うけどね、やっぱ“スマートでないフランスミステリ”つうのはねえ。このタイプとしては“いちばんカッコ悪い失敗の仕方”だわなぁ」
G「ううむ、それはありますね。怪現象を成立させているシステムはわからなくても、結局、真相はそれっきゃないっしょ、みたいな。そのあたり、作者は若干手際が悪く、計算違いもあったかもしれませんね。……でも、個人的には映画ネタの部分は十二分に楽しませてもらいましたし、仕掛けもまあそれなりの面白さだったと思います」
B「そうか? 仕掛けはたしかに力作だけど……不器用すぎだよ、あれじゃ」
G「ま、そのあたりはおいおい洗練されていくでしょうし。たしかに“最大”は大げさだけど、新人さんとしてはアベレージでしょう。特に映画ファンにとっては、楽しめる映画ネタがちりばめられていてオトクだと思いますよ」
 
●レベルの高いアベレージ……QED 竹取伝説
 
G「続きましては、高田崇史さんの新刊と参りましょう。いよいよ好調! という感じの『QED』シリーズ第6作、『QED 竹取伝説』です。今回の作品は、むろんお話としては独立したものなんですけど、前作の『QED 式の密室』のラストと同じ場面からお話が始まったりするので、できればそちらを先に読んでおいた方がよいかもしれませんね」
B「んー、まあそかな。まあ、そういう設定だけに、今回はもう前フリ無しにいきなり“名探偵”桑原崇の歴史蘊蓄から始まるという、なんともストレートな展開だね。シリーズ読者にとっては、これくらい速攻で話を進めてくれた方がありがたいな。特にあたしゃ、いつもの奈々ちゃんの恋心のウダウダなんぞどーでもいいんでね!」
G「いや、あれはあれで一服の清涼剤と申しましょうか。読みたい人はけっこういると思いますけどね。ともあれ、GooBoo読んでる人が全員シリーズ読者なんてことはありえないんで。またしても一応設定をご紹介します。このシリーズは、博覧強記で歴史や古典、民俗学関係に無茶強い、薬剤師にして名探偵の桑原崇青年と、彼の後輩で薬剤師にしてワトソン役/語り手の棚旗奈々ちゃんによる歴史推理本格ミステリ。歴史上の謎と現実の事件とをリンクさせた壮大な謎解きが特長で、特に歴史推理のパートで桑原が展開する奇想に富み、しかも異様な説得力のあるトンデモ仮説が大きな読みどころとなっています」
B「前作、『QED 式の密室』では歴史や文学に登場する日本の鬼についての議論がテーマだったわけだけど、今回桑原の蘊蓄は、“松竹梅”から不吉の象徴としての“竹”、そしてそこから様々な年中行事の“真相”について、グイグイと大風呂敷を広げていく。すると同席していた桑原の友人が奇妙な“事件”の物語を始める……」
G「それは奥多摩の山奥にある“魔のカーブ”にまつわる、都市伝説風の物語でした。山道とはいえ、特に見通しが悪いわけでもないそのカーブでは、なぜか事故が頻発しているというのです。しかも生き残った被害者は、そろって“カーブに生えていた竹やぶが光った”という謎めいた証言を……調べを進めると、くだんのカーブの近くにある村では笹姫様と呼ばれる地神が祀られ、村人はその祟りだというのです。桑原の推理は“かぐや姫”そして“竹取物語”の裏に隠された恐ろしい真相にまで及びますが、事件はやがて現実をも侵食し始めます」
B「魔のカーブのそばで、近在の村の若者が腹部を竹で貫かれた死体で発見されたのだ。続いて蓑をかぶせられた女が吊り橋から吊るされるに及び、村人はそれが村に伝わる笹姫様の“手毬歌の見立て”であることに気付く。誰が、なぜ見立て殺人を? 光る竹の正体は? はたまた笹姫さまとは何者なのか? 桑原と奈々は、複雑に絡みあう時を超えた謎に挑む!」
G「というわけで……これはいいです! とてもいい。個人的にはシリーズ屈指の傑作ではないかと思うくらいで。もともとシリーズ全体のクオリティが高いわけですから、ひょっとして年間ベスト級かも」
B「おいおい、それはいくらなんでも持ち上げ過ぎじゃないかねぇ〜。たしかにいつになくバランスよく、端正にまとまって破綻の無い仕上がりではあるけどさ。メイントリックはバリエーションだし、ミステリ的な仕掛けにはこれといって突出したものはないじゃん。たしかに良いできだけど、作者としてはアベレージじゃないの?」
G「たしかに見立て殺人のホワイダニットとしての謎も、光る竹のトリックも、突出したアイディアではありませんよね。だけど必要十分なクオリティと説得力があるじゃないですか。しかも『竹取物語』にまつわるトンデモ仮説は奇想天外でありながら説得力に富んでいますし。全体として見ると、都市伝説に手毬歌に見立て、おまけに歴史伝奇と派手な要素がてんこ盛りにも関わらず、全てが奇麗にリンクされしかも非常にバランスがいいんですね。特に歴史上の謎と現実の事件の謎のリンクの処理が非常に巧みでよく練られているのには感心しました。歴史推理では、ややもすれば歴史上の謎解きと現実の謎解きが乖離する弊を逃れられないけど、この作品に関しては美しく響きあって二重奏を奏でている。これは良作ですよ〜」
B「歴史上の謎解きパートに比べると、現実の事件の方の謎解きが]いささか以上にコンパクトすぎあっさりしすぎる嫌いがあるけどねえ。ま、良作という言葉までは否定すまいよ。けどさぁ、この膨大な引用つうか、歴史文学蘊蓄には、ウンザリする向きも多いと思うぞ。このシリーズの場合、そこを読み飛ばしたんじゃ面白さが半減する弱点があるからなあ」
G「ううむ、それは確かにその通りですが、ここはじっくり腰を落ち着けて読んでほしいなあ。そのぶんの面白さや驚きが味わえるのはぼくが保証しますから!」
B「キミに保証されても、んなもん屁の突っ張りにもならんけどなあ」
 
●そつなさというつまらなさ……虚空の逆マトリクス
 
G「森さんの短編集が出ましたね。『虚空の逆マトリクス』……難し系のハードSFみたいなタイトルですねぇ」
B「なんだよその難し系ハードSFっつーのは。意味不明だぞ」
G「なんかこう、スーガクとかブツリとかそういう高度に抽象的な議論が飛び交うようなハードSF」
B「……とりあえずそういう短編集ではないな。ミステリ短編集らしいミステリ短編集つうか。この方の短編集としては、もっともバラエティに富んでいるんではなかろうか」
G「ですね。収録されている全7篇のうちシリーズものが1篇ずつ計2篇ありますが、別々のシリーズだし。それ以外は全部独立した短編。内容や語り口もなんとなくバラバラだし、初出の媒体もけっこうバラケています……こんな風にいうと、なんとなく落ち穂拾い集みたいなイメージがしちゃうかもしれませんけど、裏返せば変化に富んでいて読みやすいし、面白い。森さんの作風の巾の広さを実感できる入門向きの本かも知れませんね」
B「しかし、その冒頭でいきなり『トロイの木馬』はキツイんじゃないか?」
G「そんなことはないと思いますが……これは例の島田荘司さん責任編集のアンソロジー『21世紀本格』のために書かれた作品ですね。会社の仕事も学校での授業も全てネット上の電脳空間で行われている、高度に発達したネットワーク社会で起こった事件のお話」
B「それほど目新しいネタではないし処理の仕方も比較的ストレートなんだけど、実は私はけっこう好きなんだよね。リアルとバーチャルの曖昧な境界にあって変容していく現実、つうテーマはちょっとディック風で……だけどもちろん、同じ悪夢でもあくまで冷たく清潔な悪夢だ」
G「ほんまにayaさんはディックが好きですね〜。っつうか、これってそんなにディック作品に似てますか。なんかオチは見え見えだし、ぼくはあんまし評価できないけどなあ。続く『赤いドレスのメアリィ』は『別冊文藝春秋』に載った作品ですね。海辺の町のバス停で、来る日も来る日も“誰か”を待ち続ける赤いドレスの女性。彼女はいったい誰を、あるいは何を待っているのか……森作品としては異色の街角奇譚風味の短編ですね」
B「軽いツイストを効かせたショートストーリィだね。ミステリ味はあるけど、まあそれは付けたしのようなもので。雰囲気を味わうべきお話なんだろうな。その“らしからぬ”普通っぽさは、媒体に合わせたってことなのかね。次の『不良探偵』は、一風変わった本格ミステリマニア向けのひねくれたオチがついた、けれど他愛ないフーダニット。ネタはちょっとだけ面白いんだけど、これを活かすのならもう少し“煽った”書き方をしてもよいのではなかろうか」
G「この作品に限らず、森さんの作品って読者と作品の間に何か1枚、目に見えないフィルタが存在している感じがするんですよね。どんでん返しのサプライズにしろ謎解きロジックにしろ、なんかこうナマナマしく伝わってこないというか。シリーズ作品の時はなんとも思わないんですが、ノンシリーズ作品ではちょっと気になるかも」
B「次の『話好きのタクシードライバ』(『KADOKAWAミステリ』所収)もそうだね。話し好きなタクシードライバーが困惑する相手に向かって延々と世間話を続けるという、ミステリ味皆無のショートコント。これももっと下世話な饒舌体にした方が効果的だったんじゃなかろうか」
G「そうしたら全く誰でも書けそうな作品になっちゃいそうな気が、しないでもないですけどね。次の『ゲームの国』は、『リリおばさんの事件簿1』という副題からも分かる通り、新シリーズの第1作(※後記:賢明なる読者さんのご指摘によれば、『今夜はパラシュート博物館へ』と『虚空の逆マトリクス』収録の2つの『ゲームの国』は、“『事件簿1シリーズ』という名のシリーズというネタ”であり『事件簿2』は永久に出ない、とのこと。『今夜はパラシュート博物館へ』も読んだはずなのに忘却の彼方。モロトモに赤っ恥である)。食堂・食品会社を経営する回文好きのおばさんが名探偵役を演じるフーダニットですね。食堂の冷蔵庫で発見された死体は、奇妙なダイイングメッセージを残していた……フーダニットとしての犯人絞り込みの論理は、シンプルだけどきれいですよね」
B「まあ、ダイイングメッセージの答にも驚きはないし、これも他愛ないといえば他愛ないんだけどね。読みどころはひょっとしてたっぷり盛り込まれたオリジナルの回文かしらん。まあ、文章のプロである小説家が集中してこさえれば、これくらいの数はすぐに出てきそうではあるけどね」
G「続きましては『小説新潮』に掲載された『探偵の孤影』。ハードボイルドタッチの私立探偵に行方不明の女探し、まさに典型的ハードボイルドの設定なんですが、実はなんとホラー落ちという」
B「いうまでもなくこれは、あるヒット映画と同一アイディアを使ったバリエーション作品。このネタは人気あるのかね〜、つい最近も似たような趣向の長篇を読んだばかりだったんだよね」
G「う〜ん、そういう意味では使い古しのネタなんですが、ハードボイルド風の外装がよいミスリードになって、ぼくにとってはちょっとしたサプライズでした。ホント、この作家さんは何を書いても、こぎれいにコンパクトにまとめますよねえ」
B「ラストはお久しぶりね、の犀川&萌絵シリーズ最新作『いつ入れ替わった?』。警察の監視下、誘拐事件の身代金が消失するという謎を、いつものコンビが謎解きする。……またしても他愛ないというかしょーもない錯覚トリック。まあ、この謎解きエピソードはいかにもお遊びめいてて、“肩の力が抜けまくり過ぎた”森さんらしい作品。犀川&萌絵コンビにキャラ萌えの方には、アホらしくなるようなサービスカットが付いているのが売りかしらん」
G「とうとう犀川先生、捕まってしまいました。って感じですかね」
B「まあ、バラエティに富んでいるとはいえ、読み終えてみればやっぱりまぎれもなく森印の短編集。器用ではあるけどそつなくこなすことのツマラナさがよーく出た仕上がりだねえ」
G「それよか、後ろの広告頁に気になる予告がついてましたよね。なんなんでしょう、この新刊予告は」
B「真賀田四季リターンズ!……ではないと思うが、なんなんだろうね〜。どうでもいいけどね〜」
 
●バカにはバカの説得力が要る……呪い亀
 
G「ミステリー・リーグの新刊『呪い亀』は、作家専業になって約1年、モノスゴイ勢いで新刊を出しておられる霞さんの新作長篇です。そういえば昨年は『首断ち六地蔵』が話題になってましたし……脂の乗りきった活躍というやつでしょうか。この調子なら“今年こそブレイク”とかいう噂も、まんざら有りえなくはない話なのかも」
B「何をたわけたヨタを飛ばしてんだろうね〜、このスットコドッコイは。単純に量産化が加速しただけで、本格としてのクオリティは相変わらずじゃん。思いつきのアイディアを磨きもかけずに、ワンパターンな筋立てに乱雑に詰め込んだ安普請の粗悪品。大量生産には適しているが、まともな本格ミステリをこさえるには向かない生産方式だね。ブレイクするかどうかは知らないし知りたくもないが、少なくとも“本格としてではない”だろうね」
G「う〜む、たしかに丁寧な造りとはお世辞にもいえませんが……そこまでいいますかね。まあいいです。とりあえずは内容をご紹介してからにしましょう。ええっと、この長篇は作者いうところの“獣道シリーズ”最新作、タイトル及びモチーフに動物を扱ったシリーズですね」
B「ちゅーてもこの人の作品って、たしかほとんど全てそうなんじゃななかったっけ? これは私立探偵・紅門福助シリーズの第3作だけど、別のシリーズも単独作品も、みーんな動物モノだったような。だから毎度のように見立てものっぽくなって、舞台やキャラは違ってもみーんな同じように見えるんだよね」
G「んー、そういとも限らないでしょう。え〜と、『スティームタイガーの死走』とか」
B「あーあれね。うん、まあ、あれはけっこう良かったかも……。でも、あれとか『首断ち六地蔵』をのぞけば、どれをとってもミステリ的な感触はみーんな同じっぽい気がするね」
G「ふーん。釈然としませんが、まあ内容と参りましょう。ええっと、映画好きが高じて、とうとう新たな映画館の建設に着手した小金持ち・那須福太郎。強度の縁起担ぎである彼は、不吉なことにはどんな些細なこともガマンならないタチです。ところがそんな彼に、次々と不吉な匂いのする悪戯が仕掛けられます。この調子では祝福されるべき映画館オープンも不吉な影に包まれかねない……業を煮やした福太郎は、ごぞんじ私立探偵・紅門福助に事件の解決を依頼します」
B「押っ取り刀で駆けつけた紅門だったが、彼の登場と同時になぜか事件は一挙に凶悪化。ついでに怪現象も続発し始める。亀の甲羅にまたがった“浦島太郎”見立て殺人に、局部を切り取られた密室殺人、快走しつつ衆人環視のビルから煙のように姿を消す怪老人。死体はいずれも奇妙な“亀の見立て”を施され、事態は加速度的に狂騒の一途をたどる……」
G「例によって見立てに密室、消失トリック、意外な動機に多重解決等々、数えきれないほどの本格ミステリギミックが惜しげもなく詰め込まれ、何とも賑やかな仕上がりですね」
B「といってもねえ。例によって例のごとく、やたら賑やかでけたたましい割にはストーリィは妙に平板で、むしろ単調な印象を覚えたなあ。なんちゅうか、死体はやたらゴロゴロ転がるけど、お話はまったく停滞している。みたいな。これはやっぱりさ、思いつきのネタをエピソードに仕立てて順番に並べていくだけで、実はトータルなストーリィらしいストーリィなんて何にも用意されてないからなんだと思うね。物語がトリックやらギミックやらを披露するための容れ物にすぎないってのも一概には否定できないヤリクチだけど、その肝心のトリックやギミックがあれじゃなあ」
G「そうですかねぇ。まあ、たしかにトリックは一発勝負のバカトリックが中心で、デキにもかなりバラつきがりますが……バカトリックですから実効性や説得力は考えたって仕方がないのでは? それさえ気にしなければ、なかなか驚かしてくれる発想もあって楽しめますよ」
B「バカトリックはバカトリックなりの必然性、説得力というものが必要なわけでね。たとえばバカげすぎた論理で読者を笑わせるとか、ねじ伏せるとか、途方に暮れさせるとか……どんな手を使ってでもいいから“その世界なりのリアリティ”をこさえる必要があるのではなかろうか。でいうか、そこが作家としての腕の見せ所ではなかろうか。でなければバカトリックはどこまでいってもただの幼稚な絵空事でしかない」
G「ただのバカトリックだからこその楽しさ、面白さというのもあるでしょう」
B「それはマニアならではの、根性の曲がった見方だと思うね。私にはただ単に“バカです、バカだから説得力はこんなもんで”というような安易なやり方に見えてしまうのよ。たぶん作者はサービスのつもりで、何でもかんでも詰め込んでくるんだろうけど、結局それも物量作戦でごまかそうとしているように見えてしまうくらいのもんで」
G「そうかなあ。盛りだくさんのアイディアは、それだけでも一見の価値はあると思うし……なかには磨けば光る原石もあるんじゃないかと思うんですが」
B「磨かれない原石はただの屑石と同じ。原石を拾ってくるのは、極端なことをいえば編集者だってできるわけでね。作家の仕事ってのは料理人と一緒で、そいつに磨きをかけて美味しく口当たり良く調理することにあるんだと、私は思う。もちろん原石を探してくるのも大事な仕事だし、才能だと思うが、作家としての腕の見せ所てやつぁそっから先にある。というのは前述した通りだ。まあ、人それぞれだからいいんだけどさ、少なくともあたしゃ屑石がごちゃごちゃ詰め込まれた不細工な大箱より、丁寧にカットされ磨き抜かれた宝石を1個だけ収めた、美しい意匠の宝石箱の方がダンゼンいいね!」
G「ん〜、そりゃたしかにそうですが、“こういうの”もあっていいとぼくは思うなあ。ついでにいえば、謎解きロジックもそうですよ。そりゃまあ今回も緻密とはいえないけど、昨今の本格ミステリ界ではカナリ律義にやってる方だと思いますね。特に……これも霞さんお得意の手法ですが……同じ手がかりを幾通りにも解釈して展開していく多重解決の趣向なんて、ぼく的にはとっても楽しかったです」
B「あたしゃ苦痛だったなあ。なんかこう説得力皆無の“絵に描いたような机上の空論”が飛び交うだけで、膝を打つような閃きがかけらもない、かといって天馬空を行くようなバカバカしさの飛翔もない。ただただビンボくさい屁理屈が行き交うだけでさ、面白くもなんともない。だから、ロジックが逆転してもこれっぱかしもスリルがないんだよね。まあ、好きな人は好きなんだろうけどね。悪いけど、私はもうお腹いっぱいって感じだなあ」
 
●埋もれていたものには埋もれていた理由が……『妖奇』傑作選
 
G「いままでこの『甦る推理雑誌』のシリーズは取り上げてなかった気がするのですが、たまには趣向を変えてやってみましょう。ちょうどシリーズ第4巻の『『妖奇』傑作選』が出ましたしね」
B「ううむ。『幻の探偵雑誌シリーズ』、そしてこの『甦る推理雑誌シリーズ』は、たしかに貴重な仕事だとは思うけど、その歴史的、あるいは資料的価値を除いたら、現代の読者が読んでほんまに面白いミステリがしこたまあるとはやはりいいにくい。……あれはやっぱりかなり限定された読み手のためのものだと思うぞ」
G「それはまあおっしゃる通りなんですが、バリバリの新刊ばかりというのも芸が無いですから」
B「それならそれでいいけどさ、私はレトロ属性がほとんど全くといっていいほど無いからね。資料的価値なんざ無視して、いま読んで面白いかどうかだけを論じるよ」
G「それはぼくも同じですから。というわけで『妖奇』ですが、これは1947年、つまり二次大戦終戦の2年後に創刊されたミステリ雑誌。終戦直後の渾沌とした時代に月刊誌として5年半も続いたのですから、立派なものですね……いや、もちろんぼくの生まれる前の話ですから本書解説の受け売りですが」
B「私も全然知らない雑誌だけど、これって“戦前のミステリ作品の再録”で作られた雑誌なんだね。まるで『幻影城』みたいと思っちゃったけど、こういうやり方、昔からあったんだねえ」
G「とはいえもちろん新作だって載っていたわけで、この『傑作選』に収録されているのは再録ものでなく新作が中心です。順に行きましょう。まずは香住春作さんの『化け猫奇談』。深夜、老夫婦の家を訪ね、一夜の宿を借りた見知らぬ美女。その家が盗賊に襲われ、美女はいつの間にやら猫に変じ、結果として老夫婦を救うという奇譚」
B「これは『片目君の捕物帳』というシリーズの一篇らしいけど、その名の通り捕物帳そのままのお話を、まんま(当時の)現代に舞台を移して焼き直した感じだね。裏返せば時代小説/捕物帳ならそれなりに趣きもありリアリティもあったであろう物語が、現代に舞台を移すことでひどくチャチなものに見えてしまうという。コンセプト自体が失敗という作品ね」
G「んー、むしろこれは軽妙な語り口のミステリコントという印象で、楽しく軽く読ませるのが取り柄の作品でしょう。たしかに化け猫の謎解きは他愛ないのですが、軽快に読ませて後口も悪くありません。たしかこの作家さんは以前『幻影城』に作品が載っていた記憶があって、当時はなかなか新鮮で面白かったですね。さて次は、なんと高木彬光さんの『初雪』。老婆の独り語りで描く不思議な因縁譚……と見せて、ラストには大胆なトリックでどんでん返しの一撃が用意されています。しかしこんな大家も書いていたんですねえ」
B「たしかにどんでん返しは用意されてはいるけれど、現代の本格読みにとっては真相は見え見え。落とし所はそこしかないって感じだからねえ。……作者は謎解きよりも情痴の縺れと美女の復讐心を描くのに忙しく、ミステリ的な仕掛けはごく大ざっぱなものしか用意していない感じなんだね。まあ、このあたりのバランスが、おそらくこの『妖奇』という雑誌のカラーだったんだろうな」
G「次の『煙突奇譚』は宇桂三郎という作家さんの作品。この人は名前を聞くのも初めてでした。痴話喧嘩のあげく情婦を殺してしまった男、首尾よく証拠は隠滅したが、 部屋の窓から見える煙突に登っていた男に犯行を目撃されてしまいます。やつを始末しなければ……男は奇妙な殺人計画を立てる。倒叙推理ですね。煙突の上からのぞきをする男なんて発想は、ちょっと乱歩風の味わいがありますね」
B「しかしその着想はてんで活かされてないんだよね〜。話の流れも主人公の心理描写もなんか唐突で、行き当たりばったりで、どうにも話に入り込み難いんだよね。古臭いのは仕方がないが、その点を割り引いても書き慣れない素人臭い作品といわざるを得ないなあ」
G「いや、この全く洗練されてないがちゃがちゃしたイカガワシい読み心地がいいんですよ〜。いかにも『妖奇』って感じでしょ。次は北林透馬さんの『電話の声』。この作家さんも知らないなあ。……殺人現場からかかってきた電話は助けを求める女の声。駆けつけた警官は無残な死体を見つけ、その場から逃げようとした女を捕らえる。版密室状態の現場で、犯行が可能なのは彼女以外いないのだが……。一種の不可能犯罪を熱かった密室もの。ちょっと緩めのパズラーですか」
B「冗談いっちゃいけない。これはせいぜいちゃちなアリバイトリックを使ったスリラーってとこね。なまじ真面目に書いているだけに読み所というものがほとんど無くて、どうにも困る作品ね。……というわけで、最後は一挙収録の長篇『生首殺人事件』。これだけで本全体の8割近いボリュームを占める本書の目玉、なんだろうけど……ねぇ」
G「作者は尾久木弾歩さんという人で、素性不明の謎めいた作家さんらしいですね。本格ミステリの長篇を幾つかの越している作家さんとして、ぼくも名前だけは聞いたことがあったのですが、実際に読むのは今回が初めてです」
B「まあ、私も初めて読んだけどね。残念ながら、正直いって読んだことを後悔したくなるくらいつまらない」
G「探偵役が江良利久一と名付けられているくらいですから、作者はクイーンファンだったんでしょうね。資産家のクリスマスパーティに集まった人々が、次々と密室で首無し死体となって発見されるというストーリィで……解決篇の前には“読者への挑戦”や登場人物のアリバイをチェックする一覧表も入っている。まさに生真面目なくらい古典的な定型通りの本格です」
B「たしかにね。丁寧に、一生懸命に、真面目に書いた堂々たる本格長篇なんだけどね。残念ながら時代性を加味しても、これははっきりいって本格ミステリ適性の全く無い人が書いた極め付けの凡作としかいいようがない。“なんぼなんでもこれはやっちゃいかんだろ!”という幼稚な密室トリックといい、こじつけでさえない憶測だらけの謎解きといい、あまりの陳腐さに唖然とするような首切りの理由といい、全てがただひたすらに低レベル。本格ミステリとして読めるポイントはただの1つもありゃしない。しかもなまじ生真面目に堅苦しく書いているものだからバカミスにもなれない」
G「……まあ、ね。本格としてのお膳立てはそろっているのですが、むしろこれはスリラーとして読むべきでしょうね。資産家のクリスマスパーティなんてモダンで華やかな舞台が用意されていますが、じつはその背景にはドロドロの血の怨念やら、過去の因縁が十重二十重に渦巻いてて。むしろひと昔前の因縁譚っぽい味さえありますね。しかしまあ、そうやってスリラーと割りきって読む分には、なかなか楽しくて。警察の面前で次々と首無し死体が転がり、意外な過去が暴れていく展開は目まぐるしく、いっかな読者を飽きさせません」
B「どうかなあ、定番的なエピソードを不器用に繋ぎあわせただけで、意外な展開とは思えないけどな。やっぱあれだね、前もいったけど“埋もれてた作品には埋もれてただけの理由がある”ってことだね!」
 
●珠玉……歌うダイアモンド
 
G「“晶文社ミステリ”叢書の1月の新刊ですが、ヘレン・マクロイの短編集『歌うダイアモンド』が出ましたので、これ、行きましょう」
B「この作家さんも、昨今の古典復古ブームによって再発見されたって感じの人だわね。それまではせいぜい『暗い鏡の中に』くらいしか読めなかったから、心理サスペンス色の強い本格ミステリの書き手という印象だったけど、『家蝿とカナリア』『割れたひづめ』といったストレートな本格や『ひとりで歩く女』のようなサスペンスが出て、さらに今回の短編集ではSFまで読めるようになった。作風の幅の広さが明らかになってきたな」
G「そうですね。この『歌うダイアモンド』は、作者の自選短編8篇に中編の『人生はいつも残酷』を加えたものですが、内容的にはおっしゃる通り様々なジャンルのエンタテイメントに挑戦されていて、非常にバラエティに富んでいますよね。しかし、それでいててんでんばらばらという印象は全然なくて。やはりどんなジャンル作品を書いても共通するものがある」
B「特に読後感がね。宇宙人やUFOや最終戦争といったネタが出てくるSFでも、ストレートなパズラーでも、ニューロティックなサスペンスでも、読み終えるとやはり一様に、“どこか割り切れない不安さ”みたいなものが残る。本格ミステリ的には、ラストできれいに謎解きされ全てに合理的な解釈がつけられても、それでもなお、いわば解釈の余地が残るわけで。それが本格ミステリ書きとしてのこの作者の弱みでもあり強みでもあるんだろうね」
G「弱みというのとは違うでしょう。それはいわばパズルとしての本格に飽き足りないこの作家の持ち味であり、工夫であるわけで。活躍した年代からいっても、いわゆる古典本格が近代化していく変化の中心にいたお1人だったのではないでしょうか。この、いかにも現代的なニューロティックな不安感というのは当時としては新鮮だったでしょうし、いま読んでもそれ自体けっして古びてはいないと思います」
B「まあ、それでも作品自体は古びているものも多いけどね。8篇もあるし、紹介は完結に行こう」
G「ですね。ではまず『東洋趣味(シノワズリ)』。清朝末期の中国・北京を舞台に、伝説的な名画を巡る幻想味豊かな怪異譚ですね。美術に造詣の深かった作者の趣味がよく活かされ、代表作に上げられることも多い作品です。物語は伝統的な怪異譚の形式通りなのですが、やはり詩情豊かな幻視に彩られたとらえ所の無い怖さが深い味わいを醸し出します」
B「東洋的なるものに対する、西洋人の憧れ混じりの恐怖と不可解さが主題かしらね。思わせぶりな、ある意味すっきり伝わりにくい書き方をしているのは意図的なものだけど、若い読み手には理解しにくいかもしれない。次の『Q通り十番地』はディストピアものSF。近未来の管理社会の恐怖を描いたものなんだけどこれはさすがに今となってはアイディアからして古臭く、陳腐化しちゃった感じ」
G「たしかにいつかどこかで読んだような話ではありますね。次の『八月の黄昏に』もSFです。幼いころUFOを目撃した少年が長じて超光速宇宙船を開発し、念願の宇宙旅行に。たどり着いた先で彼が見たのは? 少年と宇宙船……どこか切ない雰囲気がちょっとだけブラッドベリを思わせますね」
B「SF的にはかなり無茶な話だが、ラストのオチは途中で読めてしまう。これも陳腐化した一発ネタだなあ。そういう意味ではSFのアイディアって古びやすいのかな。『カーテンの向こう側』はニューロティックサスペンス。夜ごと悪夢に襲われる娘。夢に出てくる“カーテンの向こう側にある恐ろしいもの”とは何だったか」
G「これもアイディア自体には今となっては新鮮さはありませんが、短い枚数に恐怖と不安、どんでん返しに残酷な結末を過不足無く盛り込んで、形よくまとめた巧妙な作品。職人芸という感じですね。『ところかわれば』はまたSF。ファーストコンタクトものというか、異文化ギャップものですね。人類初の太陽系探索体に選ばれたカップル/宇宙使節が訪れたのは、自分たちそっくりのエイリアンが暮らす惑星だったが……」
B「人類の文化に対する皮肉が効いたSFコメディか。作者のものとしては異色のメッセージ色の強い作品だ。異星人の生態に関する“あのアイディア”はかなりぶっ飛んでるね。ほとんどバカSFだ。『鏡もて見るごとく』は、かの名作長篇『暗い鏡の中に』の原形となった短編。設定やストーリィはほとんど長篇版と変わらず、ドッペルゲンガーの恐怖とその合理的な謎解きを描いた本格ミステリ。長篇版との違いはラストの処理だけなんだけど、短編の方が合理的に全ての謎が解かれるので、私はこちらも捨てがたいな」
G「短いだけにきっちり張られた伏線など、長篇以上に分かりやすい構造になっています。ですから長篇版→本作の順で読み比べると楽しいし、作者の鮮やかな手際がよくわかりますね。続く『歌うダイアモンド』は、“歌うダイアモンド”を思わせる奇妙なUFOの目撃者が、全米各地で次々不審な死を遂げるというお話。SFか、ホラーかって感じの怪異譚なんですが……ラストまで読むと、これがなんと本格ミステリ! こんなトンデモなくスケールの大きな謎を合理的に解いてしまうんだからたまげますよね〜」
B「いつものあの暗い、不安を誘うような語り口なんでなかなか物語の方向性が見えてこないんだけど、これはアイディア自体はバカミスだよ〜。マクロイってけっこうお茶目だなあ。次の『風のない場所』は詩情あふれる終末ものSF。これはいいね〜」
G「救いの無い、哀しすぎるお話なんですけど、同じく終末ものSFの名作『渚にて』を思わせる、静けさに満ちた“世界の終わり”が何とも言えない余韻を残しますね。傑作だと思います。……で、ラストは中編『人生はいつも残酷』。浮浪者暮らしの少年時代に何者かに殺されかけ、ほうほうのていで逃げ出した過去を持つ男。顔を変え名前を変えて再びその地を訪れ、“自分を殺そうとした”犯人を捜そうとする。ところがすでにその自分は殺され葬られたことになっていた……どんでん返しに次ぐどんでん返しがぎっしり詰め込まれ、まさに“一寸先も見えない”飛びきりサスペンスフルな傑作です。ラストも強烈なサプライズが用意されているんですが、縦横に張られた伏線といい、その合理的な解釈といい、はたまた(解説で千街さんが指摘している通り)実に巧妙なミスディレクションといい、本格ミステリとしても充分通用する緻密な構成はさすがの一言です」
B「これで謎解きをきっちりやってくれれば、まさに堂々たるパズラーになるんだろうけど、あえてそうせず。本格としては多少ユルくても、サスペンスとしての完成度を重視するのがこの人の作家性だろうな。たしかに息継ぐ暇もないサスペンスなんだけど、さすがに少々詰め込みすぎの感も。長篇化してもよかったような気はするね」
G「まあ、それだけ密度が高いということで。ともかく総じて質の高い、しかもバラエティに富んで飽きさせない短編集だと思いますね。マクロイという作家がよくわかるし……お勧めです」
B「まあ前述の通り、多少古びたり陳腐だったりするネタもあるんだけど、読んで損のない作品集であるのは確かだな。お値段分の価値は充分ある……けど、こういう本こそやっぱ文庫で出してほしい感じはするわね」
 
●怪異のとめどない増幅……クレシェンド
 
G「竹本健治さんの久方ぶりの長篇は、立派な箱入りの今どき珍しい贅沢な本。ジャンルは……これもホラーなんでしょうね。元々は雑誌『KADOKAWAミステリ』の2001年1月号から2002年7月号にかけて断続的に連載された作品です」
B「長篇はなんかとても久しぶりという感じよね。まあ、ホラーなのは仕方ないわよね。ここんとこ出す作品は短編もみんなホラーがメインという感じだったもの」
G「まあ、今回の新刊はホラーとはいえ謎解き要素も一応ありますし、伝奇小説的だったりもするしで。内容的にはジャンルミックス的なホラー風エンタテイメントという感じ。……いやべつだんホラーが悪いとかいうつもりはありませんよ」
B「ジャンルミクスというか、要するにごった煮風よね。まあ、元々が短編として断続的に発表するというスタイルのせいもあったのかもしれないけど、章が変わるたび咄のノリもタッチもコロコロ変わってくんで、なんかいっそう雑駁というか大味な印象だったなあ。ま、とにもかくにも内容をご紹介しましょ」
G「はいはい、ええっと。主人公は某大手ゲームメーカーに勤務している、矢木沢という男。長年ゲーム作りの仕事に従事してきた彼ですが、近ごろ少々疲れ気味で。大事な企画の打合せに臨んでいても、気付くといつの間にか意識を飛ばしてしまったりします。そしてある日。新作ゲームの企画用に参考資料を集めるため、彼はふだんあまり訪れるものもいない地下2階に足を踏み入れます。そのビルはもともと古くからある大学の施設で、建物自体も古びていたのですが--それにしても彼が足を踏み入れた地下2階は、あまりにも異様な場所でした。なんとそのフロアだけ“上部の建物とは違う方向に”通路が広がっているのです。奇妙なほど朽ち果て打ち捨てられたその通路を進むうち、矢木沢は突如強烈な幻覚に襲われます……それはまるで“百鬼夜行”を思わせる怪異でした」
B「恐怖と不安に怯え己の神経の正常を疑い始めた矢木沢は、合理的な説明を求めて友人の部屋を訪れる。そこは様々な分野の知識人が集う一種のサロンであり、そこで彼は怜悧な美貌をもつ娘・真壁岬に出会う。透徹した知性と百科全書的な知識をもつ岬は矢木沢の出会った怪異に興味を抱き、やがて2人は共に“百鬼夜行”の正体を追い始める。やがて、その謎めいた地下2階は旧帝国陸軍の極秘研究機関があったことが明らかになる。そこではかつて、日本の神話伝承や古代文化と深く関わる謎めいた研究が進められていたというのである。だがそれ以上の探索はなかなか進まぬ一方で、矢木沢の幻覚症状は急速に悪化。ついに矢木沢は岬とともに、小笠原の孤島へと逃げ出す……しかしそこで彼らは信じられない“存在”と遭遇する!」
G「というわけで。冒頭は“日常の断層”風の怪異譚って感じのごく身近な恐怖から始まるんですが、その後はもう歴史ホラーから古代伝奇ホラー、神話ホラーと、章が進むたびにスケールがどんどこ広がりエスカレートし、終いには読者が当初は予想もしてなかったトンデモない所まで連れ去られてしまいます。このとめどなくスケールが拡大していく感覚は、本邦のホラーではあまり味わったことの無い独特のぶっ飛び方でしたね。特に豊富に盛り込まれた神話伝承の蘊蓄や日常描写等々のディティールの精密さと対比されて、それがなんともアンバランスな不安というか、底の抜けた恐怖というか。……を生み出しています」
B「ていうか、私はむしろだらしなく大風呂敷を広げすぎ、物語の底が抜けていくばかりの困った作品という印象の方が強いなあ。冒頭近くに登場する“上階と方向の違う地下フロア”とか、そこにあった施設にまつわる謎解きとか、お話が“地に足がついている”うちはすっごいスリリングで面白かったのにね。後半、物語は加速度的に“止めどなくなんでもあり”状態になっちゃってさ。終盤の“アレ”なんてスケールがデカいだけでイメージは陳腐だし、リアリティの欠片もない。当然、浮世離れしすぎててショックも恐怖もありゃしない」
G「それはだけど、ayaさんが“その手の属性”を欠いているだけの話なんじゃないかなあ。たしかにそれほど斬新なアイディアというわけではないけど、ぼくなんかけっこう後半もワクワクしながら読みましたけどね」
B「そーゆー特殊体質の人はともかくとしてだな〜。ケンゼンな私としては、作者のタガの外れた暴走を呆然と見送るしかないわけで、いったいどこをどう怖がればいいのか、面白がるべきなのか、ポイントがちぃともつかめなくて、なんだか苛々しちゃったよ」
G「ayaさんがケンゼンかどうかについては、おおいに議論の余地があると思いますが、それはそれとして。……まあたしかに物語としてはバランスを欠いていますし、作者の狙いも消化不良のままである感じはありますが、なんちゅうかこのイビツな感じが微妙に面白いっちゅうか。ええ、ぼくはけっこう楽しみましたね」
 
●なんか、ふつー……人形(ギニョル)
 
G「連発でホラーなんて行ってみましょうか。佐藤ラギさんの『人形(ギニョル)』は、第3回ホラーサスペンス大賞受賞作です。モンスターも幽霊も超能力もなし。ともかくスーパーナチュラルな要素は一切ないのですが、禍々しい黒さに満ちた謎とエロティックな背徳の香りが濃厚に漂う、最近ではちょっと珍しいタイプのホラーです」
B「まあ、めざしているのはその方向なんだと思うけど……その狙いに作者の筆力が伴わなかったちゅーか、眼高手低っちゅーか。この方向の成否ってのは、モロ文章力に拠ってくる部分が大きいからなあ。やっぱホラーって難しいよね、って感じだったね」
G「ううん、文章力に不足はないでしょう。新人さんとはとても思えないくらい、しっかり書けていると思いますけど」
B「んー。あのさあ、この場合しっかり書くということとはちょっと違うんだよ。なんというかこう、文章から醸し出される腐敗一歩手前の香気というか、病み崩れる寸前の色気というか、深淵を垣間見る奥行きというか、虚無を渡る谺というか。……この手のホラーつうか怪奇小説は、やっぱ病んだ魂が紡ぎだす病んだ言葉たちで綴られてほしい、みたいな気分」
G「……何いってんだかよくわからないんで、アラスジに行きますね。ええっと、主人公の語り手はサラリーマンから転職した中年の孤独なSM作家の“私”。SM小説書きという特殊な趣味ゆえに妻子に捨てられ、孤独に暮らす“私”でしたが、小説の中では鬼畜の限りを尽くしながらも、創作の世界を離れればごく平凡で退屈な日常生活を送っていました。ある晩、取材を兼ねて訪れた“その筋の”店で、“私”は常連客から奇妙な男娼の噂を聞きます。“その筋”の男たちから“ギニョル”と呼ばれるその少年は、男たちの非道な仕打ちも言われるままに受け入れ、しかも金も取らない。文字通りの生き人形だというのです……男の案内でギニョルに会った“私”は、好奇心の赴くままギニョルをホテルに連れ込みます」
B「輝くばかりの美少年……しかしその全身は惨たらしいまでの傷跡で厚く覆われ、さらに尻には奇怪な呪いめいたタトゥの文言が。“私”が話しかけても応えず、一切に無反応な少年に苛立った“私”は、突然激しい衝動に駆られ少年をさんざんに打擲する。常識人だったはずの自分の中に潜んでいた、嗜虐への暝い衝動を呼び覚ましたものは何なのか。男娼と呼ぶには余りにも奇怪で謎に満ちたギニョルに、怯えながらも魅せられた“私”は、彼を自室に監禁し“邪悪ナル世界”へと足を踏み入れる……」
G「てなわけで。ギニョルといえば、ミステリ読みにとってはやはり“グラン・ギニョール”。これは殺人を繰り広げる残酷な大衆人形劇のことだですけれども、この作品で描かれるのはまさに生身の人間を使ったグランギニョール。殺人こそ起こりませんが、だからこそ痛い痛い嗜虐シーンがこれでもかってくらい描かれます。作者の筆はけして扇情的なわけではなく、むしろ抑制が利いているのですが、それだけに生々しいというか。特に終盤、突如暴力的に訪れる2つの山場の凄絶な残酷描写は、インモラルというだけでなくちょいとショッキング。この手の描写が苦手な方はちょっと生理的にキツイかもしれません」
B「ううむそうかなあ。今どき“あの程度”の描写がショッキングか? はっきりいって私にゃてんでヌルいって感じで……ちぃとも“伝わって”こなかったけどなあ」
G「それはayaさんが“人生経験が豊富すぎる”からでしょー。あのラストのあれがああしてぱちりのぽとりの……うーやだやだ」
B「なあにをカマトトなこといってんだろうね〜、まったく。あんなん映画でもコミックでもなんぼでも見てるじゃん。むろん小説としてもどーってことないレベルだと思うけどね。だいたいさぁ今どきSMだとか嗜虐だとかってだけでインモラルの甘美な香りを嗅げるほど、わたしらはイノセントではないのよね。(作者的には)ショッキングな(つもりであろう)描写も精密ではあるけど色気が無い、腐乱した甘い匂いがない。まして怖さなんて欠片もないし。もうちょっと文章にそういう華というか毒というか、があれば、この凡々たるストーリィの平板さに少しは我慢できたと思うんだけどさ」
G「いや、それは過去の偉大な作品と比較しての話でしょ。この作品はこれはこれで、今どき珍らしいある種のヤバさみたいなもんがあったと思いますよ」
B「見解の相違だねー。どこがヤバいんだか危ないんだかぜーんぜん理解できん。むしろなんかふつーだし」
G「ストーリィについても、確かにそれほどドラマチックな展開を見せるわけではありませんが、にもかかわらずページをめくらせる力が強い。基本的には静かっぽいお話なのに、クイクイ読まされちゃった気がします」
B「クイクイ読ませるというより、ワタシ的にはむしろ、さらさら読み流せるという感じね」
G「読み流す?」
B「物語の構造的にはさ、ギニョルの背負った“罪”の秘密というか“邪悪ナル世界”の謎というか、がリーダビリティの原動力になっているわけでしょ。だけど、そもそもギニョルしゃべりすぎー。ってか、なんかふつーすぎてその“謎”自体がちぃとも私を魅惑してくれないんだよ」
G「繰り返しになりますが、やはりそれは過去の偉大な作品と直接比較しちゃってるからではないですか。これくらいの軽みがあった方が、たぶん今の人は入りやすいし、読みやすいはずですよ」
B「このタイプの怪奇小説で“読みやすい”が取り柄っつーのは、なんか違うって気がするんだが……。ついでにいっちゃうけどさ、ラストで仄めかされる“真相”の陳腐なことといったらないよなー。“サプライズを意図したつもりでジツはてんで予定調和そのもの”って感じだわ。そりゃまあホラーなんだろうから、謎解きで勝負する必要はないけどさ。仄めかすにせよ、せめてもうちっと“邪悪ナル世界”に相応しい、病んだ暝さちゅーもんを匂わせてほしかったね!」
 
#2003年2月某日/某スタバにて
 
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