battle97(2003年3月第4週)
 
[取り上げた本]
01 リドル・ロマンス 迷宮浪漫 西澤保彦          集英社
02 バニー・レークは行方不明 イヴリン・パイパー     早川書房
03 蜜の森の凍える女神 関田 涙          講談社
04 ダブルダウン勘繰郎 西尾維新          講談社
05 十八面の骰子 森福 都          光文社
06 葉桜の季節に君を想うということ 歌野晶午          文藝春秋
07 Gの残影 小森健太朗         文藝春秋
08 フクロウは夜ふかしをする コリン・ホルト・ソーヤー  東京創元社
09 魔性の馬 ジョセフィン・テイ     小学館
10 怪盗スライ・クーパー SCE(ゲーム/PS2)
Goo=BLACK Boo=RED
 
●消滅する名探偵……リドル・ロマンス 迷宮浪漫
 
G「西澤さんの新作『リドル・ロマンス 迷宮浪漫』は、1998年から2002年にかけて雑誌『小説すばる』に断続的に掲載された『ハーレクイン』シリーズの8つの短編をまとめたものですね。作者にとっては新シリーズの単行本化ですし、ちょっと設定を紹介しておきましょうか。……いずことも知れぬ大都会の高層ビルの一室に、ただひとりオフィスを構える謎の人・ハーレクイン。長身痩躯・黒ずくめでとてつもない美形。この世のものならぬ雰囲気を漂わせる彼の仕事(?)は、悩める者の話を聞き、その望みをかなえること。人々はその噂を聞き、何者かに導かれるようにして彼を訪ねる……」
B「“悩める客”の話を聞きながら、ハーレクインはその記憶に隠された嘘を暴いてはもう一つの真実を明らかにする。そして時に優しく、時に残酷にその“悩み”を解決していく……とはいえ実はハーレクイン自身は個々の謎を解いたり、悩みを解決したりするわけではないんだね。彼はあくまで客の記憶を刺激し、あるいは誘導していく触媒的な存在であって、答えを見つけるのは常に客自身なんだな。……なんかこう精神分析のカウンセラーみたいだね。ミステリ的には、いうまでもなくアガサ・クリスティの『ハーリ・クィン』ものを現代風に焼きなおした、一種のパロディもしくはパスティーシュというべきだろう」
G「ですね。全編を覆う幻想的な雰囲気も共通していますし、“人生やその一断面としての事件をいかに読み替えるか”をテーマにした謎解きも、クリスティの『ハーリ・クィン』と共通点が多いと思います。まあ、ハーレクインというとやっぱ『ハーレクイン・ロマンス』を連想する方が多いのでしょうが、これは本来“道化役者”の意味で。英国ではこの道化役者のパントマイム芝居が、クリスマスと大みそかの間の定番的な娯楽の1つとなっているとか。クリスティの『ハーリ・クィン』もここから採られたというのが定説のようです。有名な作品ですからご存じない方は無いと思いますが、いちおう本家『ハーリ・クィン』もご紹介しておきましょう。クィン氏はいつも孤独な旅を続ける謎の人。“恋人たちが危機を迎え”るとどこからともなく現れ、彼自身は推理せずに、他人を導き刺激して真実を明らかにすることで、恋人たちの危機を救います。ただしこの本家のクィン氏が導くのは、クィン氏の友人であり“人生の観察者”であるサタースウェイト氏なんですね。いわばクィン氏は、“眠れる名探偵”であるサタースウェイト氏の推理の触媒的機能を果たしているんです」
B「そう考えていくと、クリスティ版では“犯人/被害者/名探偵+触媒としてのクィン氏”という、三者の住み分けの構図がはっきりしていたと思うんだよ。これに対して西澤版では“犯人/被害者(=名探偵)+触媒としてのハーレクイン”という形になり、名探偵という存在がきれいさっぱり削除されちゃってるんだね」
G「ふむ。クリスティ作品ではサタースウェイト氏という名探偵がクッション役となって、被害者が残酷な真実に直面することを防いでいた……ソフィスティケイトされたハッピーエンドだけを提供していた、といえるかもしれませんね。……これに比べると西澤版ははるかに残酷です。その“被害者自身に真実を気付かせる”のですから」
B「人々が無意識のうちに覆い隠していた、残酷な真実を否応なく突きつける。……この一種サディスティックといえるような演出によって、作者はどんでん返しのサプライズとドラマ性を高めているんだな。そのために名探偵などという都合の良いファンタジックな存在を潔く切り捨てちゃうあたりが、西澤さんの作家性というものだろう」
G「うーん、作家性ねえ。まあ、本格ミステリのそれとはどこか違うけど、たしかにどれもサプライズは大きいですね」
B「本格とは全く違うわよ。何しろどの作品も記憶というもの自体のあやふやさ、頼りなさをテコにした謎解きでありどんでん返しであるわけで。早い話が“何でもアリ”。まあ、これって西澤さんお得意の恣意的解釈のレトリックでもって展開するパターンだから、作者にとっては手馴れたもんなんだけど……それがいちだんと強調されている。ともかく論理性には乏しく、パズラーとしての興趣は薄い。というかミステリといえるかどうか自体微妙なところだろう」
G「それはまあ、あくまで古典的な探偵小説の形式に則って書かれているクリスティ作品との比較でそう見えるだけだと思いますけどね。“人生そのものがミステリー”というか……これはたいへんリアルでバラエティに富んだ、しかも歯ごたえのあるミステリ作品といえるんじゃないでしょうか」
B「だけどねー。バラエティに富んでいるとはいえ、1編あたりのボリュームはさほど多くないし、ミステリとして特異な、いわば条件のきついスタイルだからねぇ。ミステリ的な読み方をしていると、だんだんパターンが読めてくる……作者のどんでん返しの狙いどころやラストの落しどころが見えてきちゃうんだよ。その意味では雑誌に1編ずつ発表されるのを読んでこそ、インパクトのある作品だったような気もする」
G「そりゃまあ、そういう目的で書かれたんだから当然だと思いますけど……でも、ぼくは面白かったですよ。たしかに異色作ですが、やっぱりあの残酷な謎解きとサプライズは西澤節だと思う。篠田真由美さんのパロディ仕立ての解説も面白かったですしね」
B「あーあれは面白かった! ほとんど洒落になんないくらいで。ご本人はジョークのつもりなんだろうけど、思いっきり本音に読めてしまうあたりがなんともはや、いいね〜」
※クリスティの『ハーリ・クィン』もの総計14編書かれましたが、『謎のクィン氏』(早川書房)「クィン氏の事件簿」(東京創元社)などでその大半がお読みになれます(各12編収録)。
 
●悪夢のニューヨーク……バニー・レイクは行方不明
 
G「ポケミスの新しいシリーズ“ポケミス名画座”から1冊。『バニー・レイクは行方不明』を取り上げましょう」
B「まずは予備知識。“ポケミス名画座”というのは、ミステリ映画の名作といわれる作品の“原作”を集めた叢書だね。要するに映画の方は有名だけど、原作はそうでもない、わりと珍品っぽい作品が中心になっているという趣向だな。とはいえラインナップを見ると名画といってもかなり古い作品が中心で、若い人には馴染みが薄いタイトルばかりかもしれないね」
G「ラインナップされた作品の中で実際に見たことがあるのは、ぼくも『刑事マディガン』に『狼は天使の匂い』、そして『犯罪王リコ』くらい。今回取り上げた『バニー・レイクは行方不明』についても、名のみ聞く名作という感じです」
B「私もそうだなー。原作についても同様で、そもそもこのイヴリン・パイパーという作家さんの邦訳が出たのは、これが初めてのようだね。まあ、映画が名作だからといって原作もそうとは限らないのは当たり前。ラインナップもほとんどサスペンスや犯罪小説が中心っぽいから、あまり期待してなかったんだけどね」
G「ぼくもそんなもんでしたが、これは意外と……といったら失礼ですが……面白かった。ちょっとアイリッシュの『幻の女』を思わせる、“あのパターン”のスリラーなんですが。まあ、ともかく内容をご紹介しましょう」
B「若く美しい未婚の母・ブランチは、3歳の愛する娘バニーを連れ、母親とともにニュヨークにやって来た。首尾よく仕事を手に入れ、バニーを保育園に預けて出勤したブランチだったが、同居していた母親が急用で出かけてしまったために、会社を早引けして娘を保育園に迎えに行くことに。ところが閉園の時間が来ても、なぜかバニーは姿を現さない。それどころかあわてて聞き回るブランチに、保育園の誰もが“そんな娘は知らない”というのだ!」
G「警察に連絡し、みずからもバニーの姿を求めて走り回るブランチ。しかし、警察が調べると彼女の部屋には子供が生活していた様子はなく、指紋すら残っていません。さらに近所の住人は、だれひとりバニーの姿を見ていないのです。彼女の必死の訴えも虚しく、捜査を打ち切る警察。追い詰められた彼女は、バニーの行方を求めて夜のニューヨークを彷徨います」
B「物語は一人称多視点で描かれていくんだけど、中心となるのはもちろんブランチ。娘がさらわれた手掛かりどころか彼女が存在した証拠さえ次々失われ、徐々に狂気をエスカレートさせながら悪夢のような夜のニューヨークを駆け回る。ブランチの心理描写は圧巻だ」
G「実際、彼女に襲いかかる怪事の連続は、ほとんどホラーめいた悪意に満ちていて。読んでいる方も、これが現実なのか、それとも彼女自身の妄想なのか、少しずつ分からなくなっていくんですよね。……もしかしてバニーという少女など最初からいなかったのではないか、ってね。多視点とは云え基本的にはブランチ視点がメインというか、それ一直線の印象で。いってしまえば単調なプロットなんですが、ともかく彼女の焦燥感のエスカレートの仕方が只事でなく、読者はぐいぐいと感情移入させられちゃいます。同じニューヨークが舞台でも、この作家さんの描き方にはアイリッシュのような甘さがなく、まさに悪夢を思わせる不条理の世界なんですよね」
B「ただ、この訳のせいなのか原文がそうなのかわからないけど、文章自体がブランチの心情に感情移入しすぎているようで。エピソードの描写が妙に偏ってたり言葉足らずだったりすることが非常に多いのが困りもの。その場面でいったい何が起こっているのかすら、しばしば分かりづらかったりするんだよなあ」
G「まあ、そうなんですが、それが作品の悪夢めいた印象をさらに強烈なものにしているんですよ」
B「でも結果としてそのことが、ラストのどんでん返しの仕掛けまで妙に薄っぺらで、作り物めいたものに見せてしまっている。実際、ラストの納得度はいまひとつだし、どんでん返しとしても物足りない。結構ドキドキしながら読んだのに、読み終えてしまうと余りできの良くないスリラーという印象ばかりが残ってしまうんだ」
G「しかし、こういうタイプの、特に昔のサスペンス作品って、多かれ少なかれそういう傾向がありますよね。アイリッシュ作品もそうですが、真相が判明するまでのサスペンスは比類ないけど、タネアカシされてしまえば意外とつまらない、という……。やはり中盤のサスペンスが、一番の読み所ってことなんじゃないかな」
B「それにしたって、“何が起こっているんか分からない”描写ってのはあんまりだと思うけどね。あとほんの少しだけ丁寧に、要領よく書いていけば、スリラーとしてもアベレージになった気がするんだけどね」
G「まあ、読んでおくべき、ってほどの作品じゃありませんが、通勤電車での消暇法として読むぶんには、必要十分の面白さだと思いますよ」
 
●新本格第一世代の劣化コピー……蜜の森の凍える女神

G「賞モノとまいりましょう。関田涙さんの『蜜の森の凍える女神』は第28回のメフィスト賞受賞作品です。いうまでもなくメフィスト賞はノンジャンルのエンタテイメント新人賞ですが、今回のこの作品は久方ぶり……でもないけど、割りかたストレートな本格ミステリですね」
B「うーん。ここんとこメフィスト賞は本格系で受賞者が出るたびに、なんか小粒になってくような印象があるなあ。――受賞・落選の境界線がどのあたりにあるのか、とんと見当がつかない」
G「やはり選者の思い入れとか、“商品としての”アピールや将来性とか。本格としての単体の評価では、割り切れない部分もあるんじゃないでしょうか」
B「本格ミステリ以外の作品なら、選者の思い入れっつーもんが反映されるのもわかるんだけどねえ。……本格についてはできればも少し明確に、そして厳しく判定した方がいいと思うんだけどな。少なくともこーんな取り柄の無い、全てが平均的にちょっとずつダメダメな作品を出す必要性なんて、どこにもないような気がするんだが」
G「……毎回いってますけど、いきなりそーゆー身も蓋もない、でもって救いのカケラもないよーな言い方は、新人さんに対してはやめてください」
B「つってもなー、他に言い様がないもんなー」
G「んもう、アラスジに行きますから! ええっと、主人公はスーパー美少女・女子高生にして名探偵のヴィッキー(通称/いうまでもなく日本人です)。語り手はそのヴィッキーの弟である小説家志望の中学生、“僕”」
B「名探偵のキャラが被ってるね。特に根津愛(愛川晶の代理探偵シリーズ)にはモロ被り。気持ちはわかるが、どうみたって安直なキャラ設定としかいいようがない。だからせっかくのデビュー作だというのに、この名探偵についての印象が極めて希薄なんだ。美少女な女子高生でやりたいならせめてミリユリ(石崎幸二のミリア&ユリシリーズ)くらいの味付けをするべきだよ(ま、ミリユリにもミリユリ自体が区別つかないという弱点があるわけだが)。好き嫌いは別として、あたしゃミリユリの方がはるかにほんまもんの女子高生っぽいと思うね。ついでにいえばヴィッキーというニックネームもどうかと思うなー。榊原郁恵を連想しちゃったぞ」
G「それは“ナッキー”ですッ。だいたい古すぎですよ〜。この作者さんの世代じゃ、そんなイニシエのテレビ番組、知るわけないです……ていうか、いちいち途中で突っ込まないで下さい!」
B「わはは。わーったわーった」
G「……というわけで、その日。“僕”はヴィッキーとその友人の3人で休日を楽しむべく、山奥の別荘にやってきたのでした。別荘は父親の友人の持ち物で、その日は3人の貸し切り状態。親抜きの楽しい休日を楽しむ予定だった3人ですが、突如天候が急変。季節外れの豪雪によって、3人は別荘に閉じ込められてしまいます。そんな彼らのもとを、雪で車が立ち往生してた大学生たちが助けを求め、3人は大学生たちに一夜の宿を提供します」
B「やがて互いの紹介も終わり、くつろぎ始めた大学生たち。ヴィッキーが名探偵であることを知ったグループの1人が、ひまつぶしに即興の“探偵ゲーム”を提案する。くじ引きで選ばれた犯人役がシナリオに従って殺人の真似事をし、その“現場”の手掛りからヴィッキーが犯人を推理するというゲームだ。ところがその翌朝、“探偵ゲーム”を提案した大学生が、密室状態の自室で死体となって発見される!」
G「やがてやってきた警察の捜査により、次々と奇怪な事実が明らかになります。施錠されていたはずが何時の間にか開錠されていたという、不可解な半密室状況の現場。五十年前に発生した探偵小説家惨殺事件との奇妙な暗合。そして表面上は和気藹々としていた大学生グループの捩れた人間関係……だがその捜査のさなか、再びメンバーの1人を死が襲う!」
B「と、いうわけで。(完全な“嵐の孤島状況”ではないが)雪の山荘、大学生グループ内での殺人、ミステリマニア薀蓄に読者への挑戦、そして作品全体に仕掛けられたあるトリックなどなど、その意匠は新本格派の定番的な設定をまんま踏まえている。特にどの新本格作家というより、その最大公約数をものすごーく不器用になぞっている感じだね」
G「たしかにそういう雰囲気はありますが……」
B「でもって、トリックもあり伏線もあり犯人限定の論理もあって、一応形としては整っているんだが、全てがせこいというかしょぼいというか古臭いんだよな。わたしらの語ったアラスジも冗漫だったけど“作品自体はもっと冗漫”で、登場人物も似たようなのがうじゃうじゃ出てきて誰が誰やら区別がつかない。……要するに新本格が登場したときに弱点とされ、叩かれたポイントを、まんま引き継いで改悪したみたいな感じ。早い話が“新本格第一世代の劣化コピー”だな、これは」
G「だけど、“探偵ゲーム”とリンクした実際の犯行というアイディアやアンフェアぎりぎりの“目撃者”の存在など、面白いアイディアはいっぱいあるでしょ。謎と手掛り、そして仕掛けの連携による全体の構図は、それなりに考えられていると思うんです」
B「たしかにそこは(しょぼいけど)作品の売りの1つなんだろうね。しかしその“売り”すら、作者はまともにプレゼンテーションできていないんだよな。まー、あの“妙な挑戦状”を見ると、本格としては気配もあるんだけどね」
G「うーん、あの挑戦状ねえ。ご紹介しますと、この作品にはラス前に名探偵役のヴィッキーによる“読者への挑戦”が用意されているんですね。んで、そこでヴィッキー/作者は読者に対して、“犯人は誰か?”ではなく、“犯人に対して名探偵が下した処置の是非”を問うんですね。しかも作者は、ヴィッキーの出したこの結論に共感できなければ、シリーズを読み続けてもらうことはないだろう、とまで作者はいいきってます」
B「そんな大げさに言うようなラストでもないんだけどね。だいたいさあ、“女子高生が法に代わって裁くことの是非”なんて、真剣に問われても困る。……ポーズだとは思うけど垢抜けないにもほどがあるって感じ。ついでにいえば、その挑戦状の中で(挑戦状の書き手であるヴィッキーが、弟である僕の書いた本編の出来について)さんざん悪口雑言を垂れたあげく、読者に同情して見せるんだけど、どういうつもりなんだろうね、これは。本格として、ミステリとして期待してほしくないということか?」
G「新人さんらしいテレみたいなものでは」
B「どうでもいいが、むちゃくちゃカッコ悪いぞ! (作中人物の口を借りて)作者自身がそんなことを云ってる作品を、読みたいなんて思うわけがなかろう。シンキンカンを演出してるつもりなのかも知れないが、甘えるのもたいがいにしてほしいね」

 
●字で描くマンガふたたび……ダブルダウン勘繰郎

G「本格ミステリではないし、ミステリかどうかもかなーり怪しい感じですが、とりあえず取り上げてみましょう。西尾維新さんの新作は、話題のJDCトリビュート『ダブルダウン勘繰郎』です。大方の方にとっては言うまでも無いことですが、JDCというのは、John Dickson Carrではむろんなく、清涼院流水さんのデビュー作『コズミック 世紀末探偵神話』(第2回メフィスト賞受賞作)に登場する“日本探偵倶楽部”のこと。で、このJDCの登場するシリーズ作品が『JDCシリーズ』と呼ばれています。なんか“倶楽部”というと親睦団体みたいですが、実際には企業みたいなもの。要するに“名探偵が社員及び経営者となって運営される組織”で、その主要事業は“怪事件の捜査解決”なんですね。つまり1人2人でなくうじゃうじゃと名探偵がいて、それぞれ超絶的な推理力で持って事件を解決するという」
B「当然、彼らが対する事件の方も半端じゃなくて、“1200個の密室で、1200人を殺害する!”とか……要するに字で書いたマンガなんだけどね〜」
G「実際、これが発表された当時は、古手のミステリファンからの反撥は相当で、“こんなんミステリちゃうわい!”から“ミステリを殺すもの”まで、そりゃーもう袋叩きって感じもありましたよね。そのあたりのオールドファンの戸惑いについては、手前味噌ながら流水ファンのガム氏とMAQの対談『流水大説を語り尽くす』に詳しいので、お暇でしたらどうぞ」
B「……CMかよ。ともかくそうしたオールドファンの嘆きを他所に、流水さんとJDCシリーズは若い世代にきっちり支持され、後に続く作家たちに大きな影響を与えた……らしい。こうして“トリビュート/tribute/感謝の証としてささげるもの/賛辞”すなわち“清涼院流水師のJDCシリーズに西尾維新さんが感謝の証としてささげた賛辞”がわりの“JDCパロディもしくはパスティーシュ”が企画されたくらいなんだから。“S&Mトリビュート”でもなく、“京極堂トリビュート”でもなく、“JDCトリビュート”なんだからね!」
G「その意味では作品自体の巧拙や人気とは別に、JDCシリーズにはミステリというジャンル自体の捉え方・扱い方みたいな部分で、ある種革新的な提案が含まれ、しかもそれが若い人たちの感覚にフィットしていた……のであろうことは、JDCシリーズに否定的なオールドファンも認めざるを得ないでしょうね」
B「しっかし西尾さんがJDCの影響下にあるなんて、想像もしてなかったんだけどなあ。第一、JDCシリーズが内包していた革新的な提案って何よ? “何でもアリ”ってこと? 正直わたしにはよくわからない」
G「そのあたりはぼくも同様ですけどね。ま、とりあえず『ダブルダウン勘繰郎』、行ってみましょう。まずはアラスジです。河原町御池にそびえるJDCビル。その前にたたずみJDCをためつすがめつ注視する1人の若者がいました。不審に思った“蘿蔔むつみ”が声をかけると、若者は“虚野勘繰郎”と名乗り、JDC入会志望であることを明かします。JDCの入会審査の厳しさを知る“むつみ”は勘繰郎の無謀さに呆れますが、勘繰郎は自信満々。おりしもその場で発生しようとしていた事件を未然で食い止めます。……しかし、あにはからんやそれをきっかけに2人は、JDCを執拗に付け狙う名探偵キラー“逆島あやめ”と闘う羽目になってしまったのです!」
B「ごくごく薄めの一冊で、1アイディア1エピソードのアクション小説風青春小説。向こう見ずで一本気な“絵に描いたような若者らしい若者”が、強大な敵とのバトルを通じて成長していく、という。……バトルシーンには、ちょっとだけ西尾さんらしい機知やトリックが使われているが、基本的には『少年ジャンプ』とかに連載されてるコミックを思わせるような世界観、キャラクター、エピソードで、べつだんこれを小説で読む必要は特に無い、という感じ」
G「たしかにストーリィ的にはミステリ風味はほとんど無いんですが、ラストに西尾さんらしいどんでん返しがいくつか仕込まれていて。……まあ、本格読みなら確実に予想できちゃうレベルの仕掛けなんですが、お話がいつになく軽快にサクサク進むので、その勢いに乗って読み進むとラストで足元をすくわれてビックリしますね。それにしても勘繰郎クンは西尾さんらしからぬストレートな、それこそ少年マンガの王道を行くような熱血系主人公さんですね」
B「あれはさー、いーちゃんのあの回りくどい語り口というか論法をひっくり返しただけなんじゃないの? 結局はいつもの西尾節っちゅー感じで、どちらもイマ風のライトな青春小説であることにかわりは無い。それにJDCトリビュートっていうけどさ、あくまでJDCという設定だけ借りて、あとは好きに書きましたみたいな感じじゃない? たしかに既存の西尾さんのシリーズ作品にははめ込みにくいネタではあるんだろうけど、だからといってJDCである必然性もさほど感じないね」
G「いや、JDCという既存のシリーズを前提にしているからあの薄さで収まってるんだと思いますね。とりあえずJDCと書いておけば、ごちゃごちゃ説明する必要が無いわけですし」
B「つまり、JDCを利用してコンパクトにまとめたと。――まあ、あのネタじゃ分厚くしても仕様が無いしなあ。いずれにせよ、つまらないとはいわないが、清涼院さんとは別の意味でこれもやっぱし“字で描いたマンガ”だよね。べつだんそれが悪いとはいわないけどさ、強いて読む必要も感じない」
G「JDCが彼らに与えた影響ってのが、もう少しはっきりした形で見えたら面白かったんですけどね」
B「いや、それは少なくとも小説家としてはあからさまには見せたくないでしょ。いっそ巻末に対談かなんか付けてくれたらよかったのにね。それこそ流水師VS西尾氏の対談なんつって……どうでもいいけど、この2人ってすんごい話が噛み合わないような気もするけど!(笑)」

 
●手堅い職人芸……十八面の骰子
 

G「森福さんの新作は、雑誌『ジャーロ』に連載されていた、中国歴史ミステリ『巡按御史』シリーズの短編5篇を集めた短編集ですね。表題作『十八面の骰子』は第55回推理作家協会賞の候補作ともなった作品ですが、惜しくも受賞は逸してらっしゃいます」
B「ちなみにその時の短編部門受賞作品は、法月綸太郎さんの『都市伝説パズル』と光原百合さんの『十八の夏』だな」
G「ですね。えっと、この『巡按御史』シリーズも単行本化されるのは初めてですから設定を紹介しておきましょう。これは最盛期を迎えつつある宋代の中国を舞台に、天子/皇帝の密命を受け各地の役人の不正を正す“巡按御史”の活躍を描いたシリーズでして。ま、いわば天下御免の秘密捜査官ってとこかな」
B「秘かに目的の城下に浸入し、民草の噂を集めて役人の不正を探り、証拠が揃ったところで正体を明かして断罪する。日本でいえば水戸黄門(ちょっと違う)か隠密剣士か(古い)。主人公の巡按御史・希舜は皇帝の血を引く25歳の才気盛んな青年。とはいえこの希舜、どういうわけだか身体の成長が人より遅く、外見的には15歳の美少年にしか見えない……というのがミソね。お付きのこれも美青年・伯淵に巡按御史役をやらせ、自分は“取るに足りない”少年に身をやつして秘かに探索に励むという仕掛け。もうひとり、これは剣の達人・由育が荒事専門のガードマン役で、この3人が広大な中国各地を巡っては謎を解き、“金さん”よろしく不正を正して行くというわけだ。この作者さんの近作はみんなそうだが、淡いながらもパズラー趣向が盛り込まれているんだけど――まあ、どちらかといえばホームズものっぽい推理冒険譚というところかな。中国が舞台のせいもあるが、ヒューリックの『狄判事シリーズ』に似てるね」
G「では、順に内容を紹介していきましょう。まずは表題作の『十八面の骰子』。品行方正、非の打ち所の無い仕事振りを見せる県知事は、しかし賄賂も取らぬのにどうして豊かな財産を築けたのか? 姿を消した流れの石工が残した奇妙な“十八面の骰子”に隠された秘密とは? ……作品全体にバラ巻かれた手がかりを結末で一点に収束させる作者の手際は、まさに熟練の鮮やかさ。手堅くまとめた推理譚って感じですね」
B「パズラーとしては多少ユルいけど、まぁそういう志向じゃないからな。ただ、この手法がすぐにパターン化しちゃうのはどうだろう。次の『松籟青の鉢』もそうだが、お話の構図は違ってもミステリとしてのつくりはまったく同じなんだよね。……町を牛耳る2つの財産家。事あるごとに角突き合わせるこの両家のせいで、いまや町は真っ二つ。ゆーなれば『血の収穫』状態の、その戦いの影で糸を引くのは誰か、そしてその狙いは? 丁寧に張られた伏線はお見事なんだけど、前述のとおりパーツの組合せで真相を描き出すという構造はこちらも同じで新味が無い。ラストもひねってはあるんだけど、サプライズというには物足りない。本格読みなら直感的にその真相を察し、それをさかのぼる形で伏線を拾っていくことさえできてしまうだろうな。甘い甘い甘すぎるッ! って感じ」
G「本格プロパーの作家さんじゃないんだし、ストレートな本格を書こうとしてるわけでもないのでしょうから、そういう読み方は禁じ手ですよ。続きましては『石花園の奇貨』。かつて名園・石花園で共に酒を酌み交わし、友情を結んだ5人の友人。十数年後の再会を約して分かれた彼らだったが、間近に迫った約束の日を前に、なぜかその仲間たちが次々と殺されていく。その昔、石花園に5人が隠したという奇貨/宝物を狙う者の仕業なのか? しかし、荒れ果てたこの庭のどこに、どんな宝が? これはなかなか楽しい暗号&宝探し譚ですね。隠された宝の正体はかなり意外なものですが、読み返すとこれにもきちんと伏線が張ってある。パズラーというほどロジカルな構成にはなっていませんが、手掛りの配置は非常に律儀で好感が持てます」
B「ただねぇ、それが律儀なばかりで特段の工夫も演出もないのが辛いところだな。物語の中に無造作にぽんと置くだけ、という芸の無いやり方だから、読み慣れるとミエミエになってくる。少しはミスリードってことを意識してもらった方が良いような。……ちなみに私はこの“宝の正体”も想像がついちゃったぞ。続いては『黒竹筒の割符』。原因不明の死人が次々発生する町に入った巡按御史一行。奇妙な暗号に導かれて古井戸の底を探れば、なんと“巡按御史の登場”を予言する書きつけが発見される。彼らの登場を予見したのは何者か、そしてその意図は? この作品もなあ。真相の構図は、それだけ見ればなかなかの意外性なんだが、作者にはそれを隠そうとかそれで意図的にサプライズを演出してやろうという気持ちがほとんどない。実際、タメのないままあっさりばらされちゃうし、なんかもったいないんだよね」
G「そういう意味での作り物っぽさって、どうやらこの作者さんはあまりお好きでないのかもしれませんね。物語の骨格は非常に濃い口なのに、語り口はつねにさらっとしてけれんがない。……このあたりは巧い下手というより好みの問題だと思います。たしかにミステリとしては、もう少し派手な演出があっても良い気はしますけどね。ラストの『白磚塔の幻影』はこれは派手な海賊退治の冒険譚ですね」
B「沿岸の町を荒らしまわる神出鬼没の海賊団。軍を派遣しても、肝心のアジトの島はわからない、どうやら軍の中に秘かに海賊と通じるものがいるらしい。誰がどうやって海賊とのつなぎをしているのか。合戦のさなか、巡按御史・希舜は密かに単身海賊船に侵入する。ミステリ的なトリックはごく初歩的な推理コミックレベルだよな。どうこういうほどの仕掛けではない。――てなわけで。あらためてシリーズを通読してみると、なんだか徐々に推理味が後退していってる感じだね」
G「いっそきっぱり“狄判事シリーズ”みたいな冒険推理譚と捉えればいいんじゃないですか? 突出した部分こそありませんが、値段分は確実に楽しませてくれる職人芸だと思いますよ」
B「んん、こんなにちんまりきれいに収まってしまったら、書く方だって面白く無かろうに。正直いって冒険推理譚として読むにしても慢性的に食い足りないし……だからキャラクタも立ってない。手堅くまとめて破綻がないのは確かだが、もう一つ弱いって感じなんだよな。これはエンタテイメントとしてはやっぱ弱点だろう。アベレージヒッターもいいけどさ、最初から狙うもんでもないんじゃないかね」

 
●必読の失敗作……葉桜の季節に君を想うということ

G「歌野さんの新作が出ましたね。『葉桜の季節に君を想うということ』は“本格ミステリ・マスターズ”からの登場です」
B「前作の『館という名の楽園で』は、まあ中編だったし、実質的には前々作の『世界の終わり、そして始まり』に続く“本格ミステリ技巧応用シリーズ”というところだろうか。非本格ながら、現時点における作者の最高傑作というべき『世界の終わり、そして始まり』に続く作品だけに、期待も大きかったわけだが……さて」
G「ちょっと待ってくださいよ、するとayaさんはこの新作を本格ではないと思ってるんですか?」
B「本格ぅ? 違うでしょー。そりゃま、本格ミステリ的な要素は含んでいるけど、本格ミステリそのものではないでしょ。そんなの、あたり前だと思うけどねー」
G「……なんかこう、いろんなとこからいろんなものが飛んできそうなご発言ですねえ。ま、いいや。そのあたりはとりあえず内容をご紹介してからということで」
B「ふん。何度もいったことだけどさ、“本格でないということ”自体は、べつだんその作品のキズになるわけでもなんでもないんだから、どーでもいいじゃん。これが本格ミステリだと思う人がいたっていいと思うよ……私は断じて違う、と思うけどね」
G「だからー、そうやって念入りに火に油を注がなくてもいいですってば! んもうとっとと内容に行きます。……えー、スポーツクラブで体を鍛えてはナンパとセックスに勤しむ“俺”は、ガードマンからパソコン教室の講師、テレビのエキストラまで何でもこなす、自称“何でもやってやろう屋”。欲望の赴くままにナンパに励む“俺”だが、実は真実の愛との出会いを夢見るロマンチストでもある。そんな“俺”が出会ったのは、麻宮さくらと名乗る女。地下鉄駅で飛び込み自殺をしようとしたのを、“俺”が助けてやったのだ」
B「一方、弟分の高校生・キヨシの懇願をきっかけに、“俺”はお嬢さまの久高愛子から探偵仕事を依頼されることになる。愛子がいうには、交通事故で亡くなった久高家の当主・隆一郎の死は保険金殺人であり、隆一郎が生前、健康器具や健康食品を数千万円分も買い込まされていた“蓬莱倶楽部”が、影で糸を引いている可能性がある……らしいのだ。かつて興信所に勤務していた経験を生かし、“俺”は早速、蓬莱倶楽部の内偵を開始する」
G「とまあアラスジを紹介したかぎりでは、陳腐な通俗ハードボイルドめいたお話に思えるかもしれません。実際、物語は主人公の“俺”視点で、しかも(歌野さんらしからぬ)少々荒っぽい口調で語られますし、悪辣な詐欺商法を追い詰めていくプロットもおおむね通俗ハードボイルドの定番に沿って展開します」
B「そうはいってもふいに謎めいた人物の謎めいた描写が挟み込まれたり、借金地獄に嵌まった女の転落のエピソードが脈絡無く挟み込まれたり、主人公の興信所時代の不可解な殺人事件の本格ミステリ的エピソードが紹介されたり……そのほかにもところどころに微妙な違和感があるんだが、なにしろストーリィテリングが軽快なのでクイクイ読まされてしまうんだな。で、そうなってしまうと、すでに作者の術中に陥っているという仕掛け」
G「ですね。ラストでは、それらの一見無関係としか思えなかった幾多のエピソードや描写が一点に結び合わされて、俄然それまでとは全く違う絵を鮮やかに描き出し、あろうことか“俺の物語”そのものの意味合いが一変してしまう。実際、このどんでん返しから生まれるサプライズは実に強烈で、破壊力という点では歌野作品の中でも屈指のレベル。むろんこの大トリックを成立させるために、作者は作品のそれこそ隅々に至るまで、魔術的なまでの技巧を駆使して伏線とミスリードの二重奏を織り上げています。まさに圧巻の一言ですね」
B「その点については異論ない。大胆にして巧緻を極めた本格ミステリ的テクニックは、まさに年間ベスト級といっていい」
G「――にもかかわらず、ayaさんとしてはこれは本格ではないと」
B「だね。違うと思う。……しかし、そんなに不思議かなー。一目瞭然だと思うんだが。だいたいさあ、歌野さん自身もこれをして本格だというつもりはないんじゃないかなー」
G「えー? どういうことですか」
B「うん、この本の巻末に歌野さんのインタビューが収録されているよね。そこで氏はこんなことをいっている。“本格の華はトリックだと思います。ずっとわからない謎が、最後にトリックが明かされたときにびっくりして鳥肌が立つようなものが、読んでいて楽しいし、快感なんです”“論理の積み重ねによってきちんと説明されてなくても、トリックと、きれいな伏線が張ってあればいいかな”――談話なんで分かりにくいんだが、ここで作者が本格の要素としてあげているものが4つほどあると思うんだ」
G「ふむ。ええっと“ずっとわからない謎”“トリック”“きれいな伏線”……あと1つは?」
B「“びっくりして鳥肌が立つ”、すなわちサプライズだね。で、この4つの要素が氏にとっての本格の構成要件だとするならば、本作は本格ではないということになるわけだ。なぜなら、この作品には“ずっとわからない謎”というものがない。いや、というよりメイントリックがその“ずっとわからない謎”の存在を許さなかったというべきかな」
G「……なんかまた、妄説っぽくなってきましたねー」
B「まあ聞きなよ。まずさっきアラスジ紹介でキミがいってたように、物語は通俗ハードボイルドの流れでサクサク語られるよね。ところどころ微妙な違和感があったとしても、それは物語の中でけっして強調されることはない。まして視点人物である“俺”がそれに注目することはしない。つまり視点人物にとっても、読者にとっても、“ずっとわからない謎”なんてものは存在しないわけだ」
G「ふむ。それはそうですけど……たとえば主人公の興信所員時代のヤクザ惨殺事件のエピソードは、かなり強烈な謎があったと思うんですが」
B「それはだけど、あくまでサブ的なエピソードよね。メイントリックとの連携という意味ではさほど大きな役割を果たしているとはいえない」
G「じゃあじゃあ、すでに亡くなっていた某人物に掛けられていた保険の謎はどうです。これは主人公自身も茫然自失しているほど強調されている謎ですよ」
B「その謎が登場するのは、全編の8割が終わった時点。ラス前もいいとこじゃん。たとえば冒頭にそのシーンが持ってきてあったならともかく、現状では“ずっとわからない謎”とはいえないだろう。……つまりね、この作品の中心に仕掛けられているサプライズは、“そこに謎が存在していることに気付かれないことによって”、はじめて最大の効果を発揮するタイプのトリックなんだよ。そもそもこれってトリックとしての方向性というか趣向自体はさほど斬新というものではないわけで。この作品がスゴイのはあくまで応用したスケールの大きさと偏執的な作り込みのスゴさなんだよね。だから裏返せばトリック単独としては“そのあたりに怪しさ/謎の所在を感知すれば、それだけで検討対象の一つとしてあげられやすいもの”――つまり、ありていにいってしまえば“バレやすいもの”なんだよ。だからこそ“より大きなサプライズの演出を優先する”作者としては、“ずっとわからない謎”なんてものを設定して“読者の注意を引くわけにはいかなかった”と」
G「うーん。伏線はきちんと張ってありますし、本格ミステリとしてのフェアプレイは守られていると思いますけどねえ」
B「たしかにフェアではあるけど、それはあくまでサプライズを際立たせるための伏線であって、本格ミステリとしてのフェアプレイとは質というか狙いが違う。コンセプトそのものがサスペンスやスリラーの方法論だと思うね……ま、こうした考え方自体、きっと古臭い原理主義者的発想なんだろうけどね。ともかくサプライズ至上主義ってのは、本格ミステリ本来のコンセプトとは馴染まない部分も多々あると、私は思う」
G「うーん。大方の同意を得るのは難しいと思いますが、理屈はわかりました。まあ、本格であるなしと作品自体の評価は別ですからね。ayaさんも作品自体は評価してらっしゃるわけですし」
B「いや、そうでもないんだよな〜、これが」
G「え〜、そうなのぉ〜」
B「悪いけどね。これはやっぱりサプライズにこだわりすぎて、作品自体は破綻していると思う。このトリックとサプライズによってラストで物語そのもののイメージが、意味が、意義が、180度ひっくり返る。それによって隠しテーマがより強く訴求される。……小説としての狙いはそこにあったと思うのね。実際、作者はこのサプライズを演出するために超絶的な技巧を駆使し、たいへんな努力を注ぎ込んでいる。だけどサプライズそのものの効果、すなわち読者を驚かせることを除けば、それが小説としての主題をより力強く浮き彫りにすることになったとは、必ずしもいえないんじゃないか。むしろ、その過剰なサプライズの演出が、逆にその小説的主題を不鮮明なものにしてしまったような印象が、個人的にはあるんだよね」
G「ううむ。本格ミステリ的技巧で、小説としてのテーマをより強く訴求するというのは、前々作の『世界の終わり、そして始まり』と共通するものだと思うのですが」
B「うん。でもね、『世界の終わり、そして始まり』では、その本格ミステリ的技巧が主人公の置かれた立場・キャラクタそのものと見事にフィットしていた。つまりそのトリックが使われる必然性があったんだね。だからテーマが技巧と溶け合って、より力強く訴求されたわけだけど、本作のコレはあくまで作者が読者へ向けて仕掛けているトリックであってさ。作中人物とは関わりがない/必然性がないメタレベルの仕掛けになっている。……そのあたりの乖離感みたいなものが『世界の終わり、そして始まり』と比較したときの物足りなさ、まとまりの無さ、感銘の薄さに繋がっているんじゃないかな。まあね、さっきもいったように技巧的には本当に凄いレベルの達成だし、読んで損のない作品だとは思う。失敗作だけど必読! つーことで」
G「ううむ、なんかケムに巻かれたような気が……」

 
●280ページ目の殺人……Gの残影

G「では、“本格ミステリ・マスターズ”の3月刊行分から『Gの残影』と参りましょう。前作『ムガール宮の密室』で、インドの聖人サルマッドを描いた小森さんの、“聖者伝シリーズ”第2作ともいうべき新作長篇ですね。聖者といっても、今回のお題はウスペンスキーとグルジェフなんですが」
B「つまりタイトルの“G”はグルジェフのG、なんだけど……はっきりいってわたしゃこの人、よく知らん。ロシアの帝政末期に活躍……というか怪しげなことをいっぱいしていた山師っぽい神秘思想家。ってイメージなんだけど、それが正しいのかどうかもよくわからない。ましてウスペンスキーについては、名前を聞くのも初めてだったな」
G「ぼくも似たようなものです。この小説によれば、ウスペンスキーは同じく有名な神秘思想家で、グルジェフに心服してお弟子さんになり、後に何故か離れることになった方……らしいですね。なぜこの2人が袂を分かつことになったか、ってのは、なんか有名な“歴史上の謎”らしく、この本の中でも作者自身が“意外な仮説”を立ててくれています」
B「つってもなんせ予備知識がないから、それがどれだけ意外な仮説なんだかまったく判断できない。正直いって“ふーん”って感じだ。でも、そんなグルジェフ音痴のわたしにも、作品自体はそこそこ楽しく読むことができたよ。これは驚きだったね。同じ作者の前作『ムガール宮の密室』もそうだったんだけど、激動の時代を生きた非常に特異な、一種の“怪人の伝記小説”として、それなりに楽しめたって感じ」
G「っていうか、これって“本格ミステリ・マスターズ”ですし、いちおう本格でもあるんですが……」
B「は? どこが? ……ってくらいのもんだね。本格ミステリとしては!」
G「むぅ。ま、とりあえず内容をご紹介しましょう。物語は、グルジェフでなくウスペンスキーに心酔する若者が視点人物となります。で、彼の目を通してウスペンスキーとグルジェフの出会い、そして進行するロシア革命による内戦の危機が描かれていくんですね」
B「そのあたりは完全に伝記小説というか歴史小説タッチで、ミステリ要素はかけらもないね」
G「ま、そうですね。ともかくウスペンスキーはグルジェフに心酔し、弟子となる。ところが内戦の進行にともなってグルジェフと弟子仲間たちは戦火に追われ、小さな村の館逃げ込むんですね。そこで仲間の1人が密室状況下で射殺され、弟子グループの中で謎解きが始まる……と」
B「ここまで、つまりミステリとしての主題であるべき殺人事件が起こるのが、おおよそ280ページ目。本編が全部で約370ページだから、実に全体の75%過ぎないと事件が起きないわけ。……本格としては、というかミステリとしても、これはとんでもなく特異な構成というか。ありていにいってしまえばこのミステリパートは付けたしというか。“本格ミステリ・マスターズ”という看板を外してしまえば、物語全体の中では特に必要性を感じない、その程度の重みしかない」
G 「ううん、まあそういわれても仕方がないですかねえ」
B「一応の名探偵役はウスペンスキーが務め、エニアグラムというグルジェフ風味の神秘思想を応用した推理法が使われたりもするが、実際にはじーっつに他愛ないというか、“ど、どうしてあっしの名前がおわかりで?”“フフ、お前の笠にかいてある!”的な、謎解きともいえないような謎解きでもってあっさり犯人は指摘されちゃう。……前段の長い長い歴史小説・伝記小説パートがこのミステリ部分の伏線や手がかりとなっているというわけでもないし、まるで伝記小説の中にぽこっとミステリ短編、それもあんまし出来の良くないヤツが無駄にはめ込まれているような感じ。“本格で書く”なんてのを遥かに超えた“本格をちょびっとだけくっつける”という、ほとんど“何を考えてるんだこいつ”的な手法といえる」
G「前述の通り、ラストで作者はウスペンスキー・グルジェフ訣別の理由に関する新説を描いてます。で、作者としては、むしろこちらの伝記的な謎解きの方がメインであるような感触で。伝記小説としては対象となるグルジェフ自体がとても興味深いし、作品はその波乱に富んだ生涯をよく活写してお話としてはそれでじゅうぶん面白いのですから、無理にミステリ要素など入れなくても良かったのかもしれませんね」
B「よくわかんないけどさ、その新説とやらもわたしにゃさほど面白い説とは思えなかったけどなあ。まあ、このグルジェフ・ウスペンスキーに馴染みが無く思い入れもないから、面白みを感じられなかったのかもしれないけど、それにしたって意外性もどんでん返しもないつまらない説だってのが正直なところ。思想小説としてもさしたる工夫もなくごくあっさりした記述で、グルジェフやウスペンスキーの思想がいかなるものなのかは概略程度にしかわからない」
G「けど逆にその薄口の味付けが、伝記・歴史小説としてのエンタテイメント性を確保した感じはあるでしょう。“本格ミステリ・マスターズ”の本じゃないみたいなのは否定できませんけどね」
B「っていうかさ、この本を“本格ミステリ・マスターズ”の1冊として書いちゃう作者もぶっ飛んでるし、それをそのまま本として出しちゃう版元も驚異的だね。あまりにもスゴいんで腹も立たん。つくづく、なんでもありなんだなあ、と」

 
●低値安定……フクロウは夜ふかしをする

G「元気な老嬢探偵たちが活躍する『海の上のカムデン』シリーズ、早くも第3作の登場です。老人ホームというちょっとユニークな舞台で展開される、この軽本格シリーズ。謎解き味はごく軽めですが、やたら元気な老嬢探偵たちのはた迷惑な冒険を描いて、安定したクオリティを維持しています」
B「というか、2作目はなんかフツーにつまらないコージーになってたけどね。その意味では試金石の3作目だったわけだが……結論からいえば低め安定ってとこか。まあ、1作目にしたところで謎解き的にはスキだらけではあったけどね」
G「ううん、だけどこの作者さんはキャラクタ造形が抜群に巧いので、プロットやミステリとしての仕掛けが平凡でも、それなりに楽しめるのが強みでしょう。すっかりおなじみになった老嬢たちのドタバタに、再会できるだけでも楽しいな」
B「それってようするにキャラ読み?」
G「なのかな。でも、お婆さんですよ?……ま、いいや。というわけで3回目ですがシリーズ設定を少々。えー、ロサンゼルス南のかつての高級リゾート地に立つ“海の上のカムデン”は、かつて老舗高級ホテルだった建物を改造して作った高級老人ホーム。ゴージャスな設備、最高の料理で知られる、この美しい施設は、しかし実は世界一殺人事件の発生率が高い老人ホームだったのです! ホームの入居者、アンジェラ&キャレドニアの老嬢探偵コンビは、警察の警告もどこ吹く風と猪突猛進で謎解きに挑みます」
B「今回はしかし、シリーズのこれまでの事件とは明らかに違うんだよね。これまでは、カムデンの新しい入居者が過去のしがらみとか、まあいろいろあって殺されてたんだけど、今回はなにしろ無差別連続殺人だもんね」
G「自動販売機のメンテナンス係、そして庭師。カムデンの敷地内で発生した連続殺人は、しかし被害者にもホームにもつながりは一切不明でした。今回は、お気に入りの美形警官マーティネス警部補は他の事件で忙しく、いけ好かないベンソン部長刑事が担当し、老嬢探偵コンビの活動を厳しく制限しようとします。しかしもちろんカムデン1の名探偵をもって任ずる2人には通用しません! 思いつくまま気の向くまま無鉄砲な捜査を開始します!」
B「やがて2人のあまりの無鉄砲ぶりにベンソン刑事は音を上げ、おなじみマーティネス警部補に捜査はバトンタッチされるが、その時すでに事件は思いもかけぬ第3の被害者を生み出していた……被害者たちを結ぶ糸とは何か。直感と思い込みで突き進む老嬢探偵達の推理の冒険の顛末やいかに!」
G「というわけで今回の事件はなんとミッシングリンクもので、見立て殺人の趣向まで盛り込んだ楽しげな作品なんですね。しかし、別に嵐の山荘状態にあるわけでもないのに、ずいぶんと思いきった趣向を採用しますよね」
B「まあねえ、でも何しろ主人公たちが老人ホームで暮らす老嬢だから、カムデンの外に舞台をもっていくわけにもいかないのよね。結局、作者としてはその非常に限られた舞台の中で趣向を凝らすしかないわけで。このあたりシリーズの特徴が、逆に制約になっちゃっている感がありあり。今回のミッシングリンクテーマも見立て殺人も、正直苦し紛れの趣向という感じよね」
G「まあ本格読みさんからすれば、事件の真相は……これはやっぱり丸分かりでしょうね。一生懸命ひねってはいるんですが、ミステリ的にはやはりいかにも浅い。おそらく本格読みさんがいちばん最初に思いつくであろう仮説が、まんま正解なんですよね」
B「ひねってあるといってもねえ――このアイディアは手垢がつきまくりでしょ。火曜サスペンスレベルのひねり方じゃないかなー。まあ、もともとこの作家さんはキャラ立ちテクと語り口の巧さで読ませる人だからね。ミステリとしてのアイディアやプロットのひねりはあまりお得意でないようだし、おそらくはそれをこさえることに熱心でもない。手慣れた舞台とキャラに、適当な既成のミステリネタを放り込んでいっちょうあがり、というところだろう。キャラに馴染んじゃったシリーズ読者はともかく、初めての人は1作目だけ呼んでおけばそれでヨシ!」
G「ううん、でもいつかは、ミステリ的にも何かやってくれるかもしれないじゃないですか? 読むこと自体は楽しいし、ミステリとして多くを期待しなければ安定した娯楽作品だと思いますよ。少なくとも“この世界”や“キャラクタ”がきっちり描かれてるかぎり、国産のキオスク本なんかより、ぼくはずっと好きですね」
B「そりゃキミの勝手だけどね〜。やっぱそれってキャラ読みじゃん?」
G「シツコイな〜」

 
●いい仕事……魔性の馬

G「古典作品を含め、クセの強い海外ミステリを地道に紹介している小学館の『SHOGAKUKAN MYSTERY』から、なんとジョセフィン・テイの未訳作品が刊行されました。歴史推理における里程標的作品『時の娘』や『フランチャイズ事件』、『美の秘密』の、あのテイの長篇ですね。もちろん本邦初訳です」
B「この叢書はたまさかこんな具合に、ポンと珍品を出してくるからあなどれないよなあ。しかしテイの作品つうとやはり『時の娘』がまず第1に挙げられて、そしてそれだけ……という感じだったが。最近は『ロウソクのために1シリングを』も訳されたしなあ。もしかして秘かなブーム? まさかね」
G「この『魔性の馬』を読むと、普通に小説の巧い作家さんだったんだなあということがわかりますよね。まあ、ミステリ要素はごく薄めのゴシック風の作品なんですけど、それでもこれだけ読ませてくれるんですからびっくりしちゃいます。んじゃま、内容のご紹介を。牧場や農場を経営する名家アシュビイ家では、まもなく21歳を迎えるサイモンが家産を相続することになっていました。彼には双子の兄パトリックがいましたが、パトリックは8年前に遺書を残して姿を消し、一族は彼が自殺してしまったものと諦めていたのです。ところがそんなアシュビイ家に、パトリックに瓜二つの男・ファラーがパトリックになりすまして乗り込んできました。……ファラーに悪意はなかったのですが、アシュビイ家をよく知る人物にそそのかされ、面白半分に替え玉役を引き受けてしまったのです」
B「放蕩息子の帰還に一時は動揺した一族だったが、やがてパトリックに扮したファラーを暖かく迎えいれる。それどころか遺産相続の権利を失うサイモンまでもが彼をパトリックだと断言。一家は喜びに包まれる。しかし、その平穏な日々は長くは続かなかった。演技を続けるファラーの身の回りで、なぜか不審な事件が続発し始めたのだ……。名作『太陽がいっぱい(『リプリー』)』とちょっと似通ったプロットをもつ作品だけど、あちらが1955年の発表であるのに対して『魔性の馬』は1949年の発表で、じつはこちらの方が早いのよね。まあ、似たようなパターンの作品は無数にあるから、これが原型かどうかはよくわからないけどね」
G「たしかに設定はそっくりですが、実際に読んだ感じは『太陽』とは全然違いますよね。遺産相続人になりすますファラーはけっして悪人ではなく、むしろ世をすねているナイーブでな若者という印象で。前半部は、親切なアシュビイ家の人たちを騙すことを躊躇しながら、不安でいっぱいの演技を続けていくこのファラーの視点と、そんな彼を疑いながらも信じようとする一族の視点の描写が交互に描かれます。この2つの視点の切り替えがたいへん効果的で、たいした事件も起こらないのに、ストーリィは終始緊密なサスペンスにあふれています」
B「疑心暗鬼の一族と不安に揺れるファラーと、それぞれきめ細かに描かれる心理の綾が鮮やかなんだよね。特にファラーの方に感情移入してしまうように書かれているから、ついつい読者は(犯罪者である)彼を応援し、その正体がばれそうになるたびドキドキしちゃうという仕掛け。このあたり、読者の感情を手玉に取る作者の語りのテクニックは見事なもんだ」
G「後半部は一転、ファラーを襲う隠微な危機とその謎を解き明かそうとする彼の活躍がメインとなって、ちょいと本格ミステリっぽく転調していきます。つまり前半部ではいわば倒叙ものの“犯人役”だったファラーが、後半では被害者役兼名探偵役を務めるという、なかなか面白い趣向になっているわけです」
B「ただ、本格ミステリとして読むとその仕掛けは安直というか。ひねりも何もあったものじゃないストレートな展開で、真相に関しても意外性というのはほとんど皆無だね。これなら本格読みならずとも、真相を言い当てるのは難しくない。というより言い当てずにいる方が難しいかもしれない(笑)。……ここんとこはもう少しどうにかならなかったか、とは思うんだが……まあ、仕方ないんだろうな。他の作品を読んでも、サプライズ狙いでケレンを使ったり、どんでん返しに凝ったりすることはほとんどしない作家さんだからなあ」
G「たしかに仕掛けに凝るタイプではないですよね。そういう意味では大いに物足りない“真相”といわざるをえませんが……でも、謎解き(というほどのものじゃないけど)のための伏線や手がかりは、それでも一応(ささやかながら)用意されていますし、ミステリとしての構成は丹精にまとめられている感じです。ケレンこそ皆無ですが、細やかかつ丁寧な仕上げのせいで印象がとてもいいんですね。むろん本格ミステリとしてどうこういえるようなレベルでは、まったくないんですが」
B「まあ、基本的にはサスペンスというか、犯罪小説(クライムノベル)というか、ミステリ風味のゴシック小説というか……そのあたりの位置づけが適当だろう。ジャンルはどうあれ“いい仕事をしている”のは確かだよ。これぐらいのクオリティの作品が他にもあるなら、どんどん邦訳してほしいな」
G「ついでにラストの付け方も、少々強引ですがひじょうに爽やかな結び方で、読後感がとてもいい。これも大きな特徴ですよね」
B「いやーあのラストはどうかなー。なんぼなんでもご都合主義なんじゃないの? なんかいきなりゴシックに戻っちゃった印象だったけどなー」
G「基本がゴシックロマンであるのはたしかでしょうからねえ。いいんじゃないですか? ちょっと昔のサスペンス映画を見ているような感じで……ぼくは好きです」

 
●カートゥーンな痛快怪盗ゲーム……怪盗スライ・クーパー

G「さて、GooBoo初のゲームレビューと参りましょう。記念すべき第1回はPS2のアクション・ゲーム『怪盗スライ・クーパー』です!」
B「ちょちょっと待ってよ! アクションゲーム? 聞いてないよッ。ミステリ系のゲームに絞るって話だったじゃないの〜。謎解き系のアドベンチャーゲームとかさあ」
G「いいじゃないですか。“怪盗アクション”だからミステリ系だし、それに……」
B「それに?」
G「面白いんだもーん!」
B「……あのさぁ、あたしゃゲームなんてファミコン以来なんだし、そもそもアクション系は苦手なのよ。勘弁してよ〜」
G「まあそういわんと、まずはプレイしてみてくださいよ。ほらほらちゃあんとディスク持ってきましたからね。ほいセット、と!」
B「うーん、しょうがねえなあ。ふんふん、主人公の怪盗スライ・クーパーは代々義賊の家系に生まれた……アライグマ?」
G「アライグマって目の回りに黒い模様があるでしょ。覆面してるみたいじゃないですか! んで、スライは幼い頃に5人の悪党に親(もちろん怪盗)を殺され、先祖伝来の怪盗奥義“ラクーナの秘伝書” を盗まれたんですね。そいつを取り返すべく、5人の敵の5つのアジトに潜入するというのが、当面のミッションです」
B「よーするに悪党どうしの内ゲバね」
G「違いますよ〜。スライは怪盗といっても義賊! 悪いヤツからしか盗まないの!」
B「ふ〜ん。しかしこのムービーのアニメって何処かで見たなあ。なんか懐かしいノリっていうか。キッチュでポップでデフォルメしまくりの絵柄と動きはカートゥーン? それもディズニーっつーよりトム&ジェリーやチキチキマシンの、あのアメリカンアニメ」
G「正解です。つまりこのゲームは、あの懐かしくも楽しいカートゥーン/アメリカンアニメの世界観を、隅々まで再現したヴィジュアルとアクションがミソなんです!」
B「なるほどねぇ〜、しかしアクションもそうなの? カートゥーンタッチのアクションってなに?」
G「まぁまぁ……あ、ほら。そろそろプレイ画面になりますよ。まずは腕試しに警察署に潜入ですよ!」
B「待ってよ、操作系は? 説明書貸して説明書!」
G「んなもん要りませんよ。基本は左スティックプラス右ボタン○(怪盗アクション)か×(ジャンプ)のみの簡単操作です。スティック操作で前に進み、障害物はジャンプして飛び越すか、怪盗アクションでクリアすればいい」
B「怪盗アクションって?」
G「そりゃもちろん“怪盗らしい”かっちょいーアクションですよ。ものは試し、ホラ、そこの壁際に行って○ボタンを押してみてください」
B「ここか? よし、ぽちっとな!」
(夜のビルの屋上、狭い壁際にヒタと貼り付き進み始めるスライ)
B「お〜お〜」
G「で、そこから前ジャンプ!」
B「うりゃ!……お? ああッ届かないッ」
(空中でいったん停止したスライ、こちらを見てきゅッと肩をすくめヤレヤレという表情。次の瞬間ぴゅーんと落下!)
G「ほぉら! こういうディティールの表現がね、ぜ〜んぶいかにもカートゥーンなんですよ〜!」
B「それはいいけど再挑戦か?」
G「ですね。こういうコースアウトの場合もそうですが、敵に見つかって撃たれた場合も即死。途中からやり直しという、いかにもアメリカンな容赦の無さですが、基本的に難易度は低めだし、ミスを続ければ自動的にライフアイテムのフォローが入るので、なんてことありません」
B「つってもさ、私はアクションが苦手だといってるじゃんか。あ、できた」
G「ね、行けたでしょ。じゃ、部屋に忍び込んでファイルをゲットして脱出です。スライを追う警官のカルマリータちゃん(ルパン三世でいえば銭形警部の役どころですね)が出ますからガンガン逃げてくださいよ!」
B「バトルか(喜)?」
G「怪盗は美女とは戦いません!  逃げるだけです!」
B「なんだよ〜。あ、こいつか! あ、あ、あ、いきなり飛び道具撃ってきやがった! うわうわうわ。おい、こっちも武器ないのか武器」
G「□ボタンで攻撃できますが、つっても杖で殴るだけ。飛び道具は持ってません。怪盗ですからね。そもそもカルマリータちゃんには攻撃できません」
B「どわッ、なぜ!」
G「美女だから!」
B「こいつシツコイっ。えいクソここをジャンプして走って越えて……と、よし!」
G「はい、お疲れさま〜。いよいよここからが本番です!」
(ややあって……数ステージをクリア。1ステージごとに新しい怪盗テクニック/アクションを入手し、とあるステージにて)
B「ぬはははははははッ。快調快調。しっかし、スライの走りは爽快だなよなあ! この岩山を登ってと。よし、ここでは新たに入手したポイントジャンプのワザを使うか……うりゃ!」
(そびえたつ岩山の頂上から空高くジャンプしたスライ、空中回転して鮮やかに塔の尖った頂上に着地。すっくとばかりに胸を張る)
G「その怪盗テクを使えば、多少着地ポイントがずれても自動補正されて、ごく狭いポイントに、しかも怪盗らしくスマートに着地できます。他の怪盗アクションもそうですが、○ボタン1つで、プレイヤーが“そう動いてほしい”と思うアクション/ポーズを、それぞれの場所の特性に合わせて的確に応えて、カッコよく決めてくれるんですよ」
B「ううむ、ボタンプッシュに対するレスポンス自体非常にスムースだしな。……つまりこれはスライを“動かすことそのもの”が快感なゲームなんだな。さてと……どう進むか……あー、あのルートはビームの罠があるなあ」
(ayaさんがルートを検討していると、退屈したスライが勝手に動き出す。あたりをキョロキョロする。杖によりかかる。やがて背中が痒くなったらしく、杖でゴリゴリしだす。あーそこそこ! という感じで足がヒクヒク)
B「わはは、スライ何やってんの!」
G「いわゆるアイドリングアニメーション(入力が無い状態で一定時間が経過するとキャラが勝手に動き出す)ですね。まあ、現在では珍しくないギミックですが、本作ではその“動き自体”が非常に凝ってますよね。これもやっぱりカートゥーン風の動きというか。ザコ敵のアイドリングアニメも面白いですよ。遠目で見てても楽しいし、スライを倒した後の動きも愉快」
B「スライを倒したのに気付かなくて混乱してるヤツとか、さんざん血を吸ったあげく不味そうに吐きだすやつとか」
G「そうそう。さて、ここは罠を突っ切りますよ。そこにタルが転がってるでしょう」
B「ああ、あるな。これを? 拾って投げつけるか?」
G「違いますよー。熱線ビームを、“ブラック魔王”ならどうやって避けます?」
B「なるほど!」
(ジャンプしてタルの中に飛び込んだスライ。“タルをまとったまま”テケテケテケと爪先歩き。ビームを喰らうとタルが黒焦げに)
G「大丈夫大丈夫。黒焦げは樽だけです」
B「あー、いーねー。アメリカンアニメの世界だねー。さてここからは……ああ、シャンデリアか。シャンデリアに登ってジャンプして次のシャンデリアね……あ、ガードマンがいるな。じゃハットボムで、と」
(ゆらゆら揺れるシャンデリアの真下にデカい敵。スライが帽子を脱いでふわりと落し、帽子はガードの足もとに。シャンデリア上のスライが杖をトン! と突くと帽子が炸裂!)
G「えー、そろそろカルマリータちゃんが来ますんで。ココロの準備を」
B「クソ、またか! どこから……あ、来た!」
(遠方から容赦なくパラライザーを撃ちまくるカルマリータちゃん。足もとを容赦なく次々と破壊され、ジャンプして前へ進まざるを得ないスライ)
B「シ、シツコイ。こなくそッ、うわ、どっちへ。え? お? あ? あんなとこ行けるのか?」
G「迷ってるヒマはありません! ジャンプして走る走る!」
B「でええッ!」
(足もとを壊されては跳び、跳んでは壊され、ビル壁面に貼り付くが障害物が)
B「す、進めん!」
G「彼女の攻撃を利用して!」
(カルマリータちゃんの攻撃で障害物が吹き飛ぶ)
G「間髪入れずに進まないと、直撃くらいますよ!」
(猛スピードで足もとを壊されては跳び、跳んでは壊され……)
B「うわうわうわうわうわ!」
G「わはは。まるきりルパン三世ですね〜。これぞ怪盗の醍醐味!」
B「ひええええ、お助け〜ッ!」

 
#2003年3月某日/某スタバにて
 
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