battle101(2003年7月第4週)
 
[取り上げた本]
01 笑う怪獣 西澤保彦        新潮社
02 ハードフェアリーズ 生垣真太郎       講談社
03 『アリス・ミラー城』殺人事件 北山猛邦        講談社
04 スイス時計の謎 有栖川有栖       講談社
05 阿弥陀ケ滝の雪密室 黒田研二        光文社
06 歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ 菅 浩江        祥伝社
07 黒いハンカチ 小沼 丹        東京創元社
08 支那そば館の謎 裏京都ミステリー 北森 鴻        光文社
09 火の鶏 霞 流一        角川春樹事務所
10 ふつうの学校 稲妻先生颯爽登場!! の巻 蘇部健一        講談社
11 OZの迷宮 柄刀 一        光文社
12 パンプルムース氏と飛行船
  (Monsieur Pamplemousse Aloft 1989)
マイケル・ボンド    東京創元社
Michael Bond
13 半身
  (Affinity 1999)
サラ・ウォーターズ   東京創元社
Sarah Waters
14 空を見上げる古い歌を口ずさむ 小路幸也        講談社
 
Goo=BLACK Boo=RED
 
●トリックのためのトリックスター……笑う怪獣
 
G「西澤さんの新作、参りましょう。『笑う怪獣』は新潮社から出ました」
B「1998年6月から99年12月にかけて雑誌『小説新潮』誌に断続的に掲載された連作短編5篇に、2001月刊行の密室アンソロジー『大密室』に掲載された1篇を加えた計6篇の連作短編集だな」
G「シリーズとしての設定を紹介しておきましょう。主人公は学生時代からの悪友3人組(サラリーマン・アタル、青年実業家・京介、公務員・正太郎)。この三人組がナンパ目的でいろんなところへ出かけると。すると行く先々で妙なものに遭遇し、事件に巻き込まれる。――それだけなら、まあありがちな設定ともいえるんですが、問題は彼らが遭遇する妙なものでありまして。これがなんと怪獣であり、宇宙人であり、改造人間であり、幽霊なんですね」
B「読者としては、んじゃ1種の異世界本格? なんて思っちゃうわけだが、全然違うよ。いや、そういうのもあるんだけど、そればかりじゃなく単なるコントだったりする場合もあるわけ。そのへん、連作なのにあまり一貫してないのが特徴か。まあ、作者は余り何にも考えずに好き放題書いたシリーズってことなんだろうね」
G「じゃあ、順に行きましょう。まずは『怪獣は孤島に笑う』。夏だ、海だ、ナンパだ、というわけで海水浴場にやってきた3人組。首尾よく(ちょっと難ありの)3人娘(?)のナンパに成功し、クルーザーで無人の離れ小島にシケこみます。ところがそんな彼らの前に、突如、海から巨大な怪獣が出現します! 怪獣は島にどっかり寝転んだまま別に何もしませんが、ともかく退路は完全にふさがれ脱出不能。しかも、仲間は夜ごと1人ずつ姿を消していきます。一目で見渡せる狭い島なのに一体何処へ?」
B「怪獣という特殊なルールの導入による異世界本格、といえなくはない作品。ハウダニット要素、フーダニット要素、ホワイダニット要素の全てが揃い、手掛かりというか伏線だって用意されているが……まあアンフェアだよな。まじめに考えてもしようがない、というのは作者自身が再三云ってるとおり。謎解き的には、だからとんちパズルみたいなものか。続いては『怪獣は高原を転ぶ』。3人組の1人である青年実業家・京介が買った“高原の別荘”。近所に有名美女タレントの別荘があることを聞き込んだ3人は、早速、偶然を装ってくだんの女優邸を訪れた。ところが――そこへまた怪獣が出てくるんだな(笑)。で、慌てて逃げ出した3人が、女優邸で起こった事件に巻き込まれる」
G「これもいちおうミステリ仕立て。どんでん返しも仕掛けてあるし、西澤さんらしい謎解きセッションも用意されています」
B「けどまあ、いうまでもなくいつものそれほどの密度はないやね。謎解きコントという感じかしらん」
G「怪獣の出現という異常なシチュエーションと、そのくせ妙に律儀なミステリ部分の落差が面白いですよね。続いては『聖夜の宇宙人』です。クリスマス・イヴだというのにまたしてもナンパに励む3人組。失敗続きで諦めかけたその時、彼らの前に絶世の美少女が出現。欣喜雀躍する3人でしたが、しかしこの娘、常軌を逸した食欲の持ち主だったのです! これはミステリ要素皆無の一発ネタです。サービスというか、ボーナストラックというか、別の某作品でもお馴染の某宇宙人キャラクタも登場してますね」。
B「どうでもいいが、その某宇宙人が口にする“さらばじゃバイバイよ”ってフレーズ、北杜夫さんのお得意のセリフでは(笑)。次は『通りすがりの改造人間』。3人組の1人・正太郎が、いつの間にやら美女とつき合い始めた! 様子を見に行ったアタルと京介は、しかしその美女の奇怪な正体を目撃する。……いちおうこれもミステリネタらしきものが用意されていて、それはそれなりに考えられているのだぇどね。扱いはいかにもおざなりで、楽しいとか楽しくないとかいう以前のレベル。本筋の改造人間ネタも陳腐な話で、面白みは一番乏しい」
G「次は『怪獣は密室に踊る』。いつの間にやらとびきりの美女と結婚した仲間の一人・京介。ところが新婚旅行先から助けを求める電話がかかってきました。新妻の“昔の男”を名乗る3人組に監禁されているというのです。救助に駆けつけた2人だったが、そこへまた怪獣が出現。京介もろともビルを破壊してしまったのです!」
B「似たようなシチュエーションの話が続くなー(笑)」
G「でも、これは別途『大密室』(アンソロジー)用に書き下ろされた作品であるせいか、ミステリ度はいちばん高いですよね。いくら連絡しても助けに来ない警察の謎、目の前で消失した犯人の謎……凝りに凝った犯罪計画に、不可能現象をプラスする怪獣騒ぎ。異世界本格としてなかなか良くできているんじゃないでしょうか」
B「でもさぁ、犯人の計画はやたら手が込んでる割には肝心なところが偶然頼りの綱渡り。すっごいスキの多い計画なのよね。しかもこうやって続けて読むと、シリーズにおける怪獣の役割もなんとなく予想がついちゃうんだからなあ。トリックを見破るのはさほど難しくなくて、謎解きされてもなあんだ、という感じ」
G「ボクは目一杯だまされましたが……」
B「……幸せな読者だね、きみは。ま、ともかくだ。結局、怪獣を出すという無理を優先させたがためにパズラーとしての完成度に疑問が残ると。そういう結果になった気がするわけ。次は『書店ときどき怪人』か、これはヒドかったなー。ええと、ミステリネタは連続殺人鬼が登場するミッシングリンクものなのね。んで、そこに絡んでくるのがアタルとその新しいガールフレンドなのよ。アタルはご満悦で今日こそプロポーズを!なんて意気込むんだけど、そのデートで連続殺人鬼に遭遇。ガールフレンドの異常すぎる正体が明らかになる! という。――まあもともとナンセンスコメディなシリーズなんだけど、ここまでくるともはやドシャメシャ。トリックを成立させるための“トリックスターとしての怪獣”(洒落じゃないぞ!)というコンセプトは雲霧参照し、謎解きもなんもなしのコメディ篇。しょーもないオチが付いてはいるが、それをのぞけばミステリとしてもユーモア小説としても工夫を欠いた、芸のない、ひたすらしょーもない作品。オチだってつまらない!」
G「このしょーもなさ感が楽しいって気もするんですけどね。んじゃラスト。『女子高生幽霊奇譚』ですね。異常な事件の連続にさすがに嫌気がさした3人組。恒例のイヴのナンパも諦めて、部屋にこもって酒盛りです。ところがそんな彼らのもとにやってきたのが美少女霊! 15年前、学校で絞め殺された女子高生の幽霊でした。事件は既に時効をすぎ、犯人は彼女自身にも分からぬまま。暇つぶしに何となく推理を始めた3人が、やがてたどり着いた結論とは? ……被害者が耳にした言葉を分析して犯人の正体を推理する、というちょっと『7マイルは遠すぎる』(ケメルマン)を思わせる趣向が楽しいですね」
B「うーん。事件の構図自体がやたら凝り過ぎてる感じで、いまいち爽快感に欠けるのよねぇ」
G「でも、この作品では西澤氏お得意の三段跳び論法が炸裂してますよね。屁理屈の積み重ねの中から、“ロジックだけで”とんでもない犯人を比定しちゃう――トンデモっぽい論理の楽しさは、やはりさすがだと思います」
B「まあ、そうともいえるが……でも、それはあくまでこの本の収録作では、という但し書き付きの評価よね。十八番のセッション推理といったって、いつもの西澤作品のクオリティを期待したらガッカリする。まあ、作者自身がミステリとしては読んじゃダメみたいなことを云ってるんだから仕方がないけどさ。やっぱ全般にミステリ的には緩い、スキが多い作品集であることは否定できないし、ナンセンスなユーモア小説としてもいまいち弾けきれてない。ミステリ的な要素とナンセンス要素/怪獣ネタが巧く噛みあってない印象なんだよな」
G「まあ、こういうヘンな作品集も、その存在自体がなんかバカみたいで面白いじゃないですか。洒落ですよ洒落。それと、秘かに思ったんですが、これってもしかして『うる星やつら』なんではないかと……」
B「主人公がアタルだから?」
G「そうそう。青年実業家の京介が面倒で、残る1人はメガネかな。で、最後に出てきた女子高生幽霊がラムちゃん。行く先々で怪獣だの宇宙人だのに遭遇するなんて、あのマンガそのものじゃないですか」
B「う〜ん、いまいち説得力がない気がするが……どっちにしてもそれがどーしたッ! って感じだよなあ」
 
●独りよがりの詩……ハードフェアリーズ
 
G「なんともう生垣さんの新刊が出ました。『ハード・フェアリーズ』は、『フレームアウト』で第27回メフィスト賞を受賞&デビューされた生垣真太郎さんの第2作です」
B「デビュー作である前作は、たしか“メフィスト賞最大の挑戦”とかいう惹句付きで登場したわけだけど、それが作品の内容に相応しい惹句だったかというと……。いってしまえば失笑もんだったわけでね。ニューヨーク舞台にしたシャプリゾ風というか、サプライズ一発のサスペンスをやろうとしてたんだ。ところがさー、手際が悪すぎて肝心のサプライズの仕掛けが機能せず、弱点ばかりが際立っているという。そんな作品だった」
G「たしかに完成度はいまいちかもしれませんが、新人の作としてはアベレージじゃないかなあ。まぁ、基本的な路線は今回も変わりませんね。ニューヨークの映画界が舞台だし、不条理風味の謎がちりばめられた謎解き行とその果てのどんでん返しがメインのサスペンスだし」
B「しかしさぁ。この第2作、プロットはむしろ前作よりシンプルなのに、さらに分かりにくいというか切れ味がないというか……。前作の弱点をさらにいっそうダメダメな方向にエスカレートさせている感じがしたぞ」
G「いきなり不穏な幕開けですが、とりあえず内容のご紹介と参りましょう。物語は1980年のニューヨークとその20年後、2000年のニューヨークと。大きく二つのチャプターに分かれています。まずは1980年のニューヨークの物語。ある寒い晩、古い馴染みの酒場を訪れた主人公・グレン。そこで偶然微かな銃声を耳にした彼は、その酒場の地下室にいた4人の男女の間で殺人が起こったことを知ります。男の1人が仲間2人を撃ち殺し、自分も自殺した……警察の捜査によりただ一人の生き残りである女の証言が証明され、事件は終わったかに見えました。が、しかし。その“真実”に微かな矛盾を発見したグレンは、取り憑かれたようになって独自の捜査を開始。解釈の余地など無かったはずの単純な事件は、徐々に奇怪に縺れ始めていきます」
B「続いてはその20年後の物語だね。こちらの主人公は、美術館で映画のフィルム管理の仕事をしている映画青年・マット。彼はその本業の傍らアマチュアの公募作品による映画祭の1次審査を担当していたんだけど、ある日、事務所に置いておいた応募作品の1つを何者かに盗まれてしまうんだな。で、フィルム探しのためにその出品者を調べるうち、彼はその作品が二十年前に起こった実際の殺人事件の“真相”を告発する作品だったことに気づく。すなわちそれが、第1章で描かれた事件なんだ。で、憑かれたようになったマットがその事件を調べていくうちに、徐々に意外な事実が暴れていく。やがて、いくつもの仮説が縺れあいながら、不条理劇めいた異様な相貌を浮かび上がらせ――そして。過去と現在が交差したとき、ついに出現した事件の真相とは?」
G「不条理劇めいた、というのは言い得て妙ですね。核となる事件は1つだけだし、謎自体も前述した通りのきわめてシンプルなもので、一見“別解”をこさえる余地なんてなさそうに思えるんですよ。なのに捜査が進むに連れて関係者の意外な正体が次々判明し、シンプルだったその謎の奥行きがどんどん深まっていく。終いには非現実的なほど不条理な雰囲気を漂わせはじめるんですよね」
B「そうだね、実際、第1章には“クイーンの後期的問題”を思わせる解釈の多義性を論じるパートすらあるし」
G「ええ、しかしいわゆる多重解決の趣向とは違い、謎自体の輪郭がどんどん曖昧になっていくような……ちょっといわく言い難い独特の雰囲気があります」
B「ただし、“謎自体の奥行きが深まっていく”のは、ミステリ的な試行錯誤の結果というわけじゃなくてさー。視点人物のキャラクタがあまりにも名探偵バナレしているから、なんだよね。1部でも2部でもキャラは違えど主人公はみずから戯けた固定観念に取り憑かれて、無駄に謎を深めていにすぎないわけで――。実際、2人の主人公はどちらも、最初から最後まで明晰な思考というものをほとんど持たない。実際、最終的な真相さえも“何となく閃きで気づく”という解かれ方なんだよな。つまりさ、混乱している人物を視点人物にすることで、ごく手軽に“謎めいた雰囲気”を演出しようとしているようにも見えるわけ。だとしたら、ミステリの演出手法としては安直の極みだわね」
G「んー、そのあたりはたしかにミステリとしての弱点だとは思いますが、作者の巻頭言に曰く“今回のテーマはズバリ「人生」”だそうですから、これはやはり意図的なものなんでしょう。そういうキャラクタを不可解な事件に直面させることで、いろんな人々の“人生”を描く……一見ミステリアスな事件の謎も、やはりいろんな人の人生が交錯した処に生まれたものなのだから、“ミステリのように奇麗さっぱり割り切れない”のだ、と。そういうことなんではないでしょうかね。ま、そんなふうに云うと、まるでミステリとしての出来がてんでよろしくないみたいですが……」
B「だって、“実際に”よろしくないじゃん」
G「いえいえいえいえ。たしかにきれいな謎解きの興趣こそ薄いものの、前述した“シンプルな・解釈の余地などありそうもない”謎の真相は、これまたシンプルながらなかなかに意表をついたスマートな解釈で。これにはぼくもけっこう感心しましたよ」
B「驚くようなものではないけどね、たしかにシンプルかつ奇麗なトリック/真相だよな。短編で巧く使えば、切れ味のいい作品になったかもしれない。ところが作者ときたら、せっかくそれ自体とても分かりやすい“盲点突きました”タイプのトリックを、わざわざ余計な装飾とやたら回りくどい構成で台無しにしちゃってるんだ。結局はサプライズ一発系サスペンスから、“どんでん返しの切れ味をとことん無くした”ような作品になっている」
G「まぁ、そのあたりも含めて“人生”を描いているってことなんでしょうか」
B「だろうね。作者は同じ巻頭言で“まあ好きにやらせてもらってます”なんて気楽なこともおっしゃってるし……つまりこれはミステリ風の体裁を借りた“自分語り”なんだよね。おそらくはご自分のジンセイとやらを投影したキャラクタたちに、作者みずから激しく感情移入し酔いまくっているんだろう。作中の描写自体、すんごい偏っているんだよね」
G「たしかに、分かりにくい部分は散見していますけどね」
B「ミステリとしての骨格部分はえらく不親切な描き方で、分量も少なすぎるほど少ないのに、青臭く未消化な、クソ甘ったれた自分語りはうんざりするほど盛り込まれている。およそエンタテイメントの分野において、これほど読み手へのもてなしを欠いた、独りよがりの作品も珍しいわね」
G「んー、まあねぇ。メイントリックはわりと好きなんですけどねえ」
B「どうでもいいけどさ、マスターベーションならどこか他でやってほしーわね!」
 
●劣化コピーの壮大なコラージュ……『アリス・ミラー城』殺人事件

G「北山さんの新作は『「アリス・ミラー城」殺人事件』。一皮むけたといいますか、現時点での、これは作者のベストでしょう」
B「まー、この作家さんの場合、デフォルトのレベルがレベルだからなー。新作を出すたび自己ベストを更新していくなんてことだって、不可能ではないだろう。もっともこの新作もこれまでと同じっちゃあ同じ。説得力のない世界観のなか、説得力のない設定が設けられ、説得力のないトリックに基づく、説得力のない事件が、説得力のない動機を持った、説得力のない犯人によって引き起こされ、説得力のない解決のされ方をする――という基本的な作風は、相変わらずきっちり遵守されている」
G「だからぁ、そんなふうにいきなりナタで切り刻むような悪口雑言は、お願いですから止めてくださいって!」
B「ちなみにこういう言い方もできるなー。借り物のガジェット、借り物のキャラクタ、借り物のイメージ、借り物のフレーズが氾濫する、劣化コピーの壮大なるコラージュ」
G「えーかげんにせんかーい! もういいです! アラスジ行きます! えー、物語の舞台となるのは、日本海のとある孤島に屹立する奇怪な城――『アリス・ミラー城』。雪が降りしきるその日、この城に8人の探偵が集められた。城主の依頼は、城のどこかに隠されているという『アリス・ミラー』を見つけ出すこと。探偵たちは早速、それぞれの探偵術を駆使して秘宝を探し始めるが……その時、運命の殺人劇の幕は切って落された。あるいは密室で顔を溶かされ、あるいは全身を切り刻まれて、探偵たちは次々に殺されていく。一つ死体が転がるたび広間に設えられたチェス盤の手が進み、駒は1つずつ屠られていくのだ。神出鬼没の犯人の手で繰り返される不可能犯罪、そして不可解な『アリス』の見立て――なぜ? なんのために? なにものが? どうやって? すべての謎が解かれたとき、“世界”は反転し、崩壊する!」
B「おお、すげー面白そーッ! とても私が読んだ作品のアラスジとは思えない(笑)」
G「そういいますけどね、こういうお話しでしょ。実際、最後の最後で真犯人が登場した瞬間のインパクトといったら、まさに“世界が反転する”という感じで。ぼくなんか一瞬、何が起こったのか分かんなくなっちゃいましたもん。この作者が心血を注いだあのメイントリックはもちろん、お得意の物理トリックのオンパレードもそれなりに楽しかったし、アリス趣味やチェス連動のギミックなど、色とりどりの装飾や演出の手際も、前作までに比べればかくだんに洗練されている。年間ベスト級……とはまあいませんが、かなり刺激的な作品に仕上がっているといってよいのでは」
B「だからさー、それはあくまで“この作者さんの作品の基準でいえば”の話だと思うのよね。残念ながら、ひとさまに勧める気には、到底なれないなぁ。――まず、きみが騙されまくったメイントリックはさ、アイディア自体の古臭さはともかく、伏線の配置の仕方が杜撰なので、フェアに騙される快感というよりアホくささが先に立つ、なんともカッチョ悪いやり口に思えちゃうんだよね」
G「ううん。驚きより、呆れ感の方が先に立ったのはたしかですが……」
B「トリックについては、その他のサブトリックも含めてあいかわらず押し並べて実に幼稚かつチャチなシロモノ。にもかかわらず、そのプレゼンテーションがまことに頭の悪いというか、要領を得ないやり方だから、さらにいちだんと分かりづらいときた。結果、(作者のやりたかったことが)わかったと思ったらその余りのチャチさにガッカリ、ということの繰り返しなんだよ。ついでに装飾・演出についていえば、冒頭で述べた通り、これは全て借り物のイメージ。これはトリックやキャラクタや設定についても同じだね。作者はそれらを自分のものとして消化/昇華することに失敗しているわけで、要するに“自分の好きなものを引っ張ってきて、考え無しに並べた”だけ。だからどこまでいっても説得力なんぞカケラも生まれない」
G「んー、そこまで酷いとは思わないけどなあ。メイントリックについては、ともかくその徹底したこだわり方はまことに意欲的というか、“志”を感じさせてくれますし……読者を驚かせてくれるのは確かでしょ。うん、ぼくは好きですね。それに、たしかに作中には既成のイメージの焼き直しが頻出しますが、そのコラージュによって総体として描き出される絵は、それなりにオリジナリティを感じさせてくれる。説得力のなさについても、まぁたしかにその通りなんですが、それはそれで作り物ならではの面白さ、楽しさがあると思うんですよ。たぶんこの作家さんは本格ミステリが好きで好きでしょうがないんだと思うんですよね。その大好きな本格の、大好きなパーツを、ともかく集めて組み合せて積み上げた――そういう楽しさがここにはあります」
B「んなもんどこまでいってもチャチで幼稚な、それこそ子どもだまし以下のシロモノだと、私はそう思ったけどね。たとえばさぁ、冒頭近くで提示され最後の最後で明かされる、あのナゾナゾなんてどうよ。ほんのちょっとでもミステリに馴染んでいる人間なら、たぶん一番最初に思いつく“初歩の初歩の答”じゃん。んなもんを大威張りで、ラストでキメポーズ的に提示されても困るわけ。ジュブナイルじゃないんだからさ――ってもしかして、ジュブナイルだったの?」

 
●ザッツ・ハード・パズラー……スイス時計の謎

G「有栖川さんの新作と参りましょう。『スイス時計の謎』は、犯罪社会学者・火村英生を主人公とする“火村シリーズ”の中編集。火村ものの中短編は各タイトルに国の名前があしらわれることが多く、クイーンのそれにならって“国名シリーズ”とも呼ばれておりますね」
B「この“火村シリーズ”は、作者のもう一つのシリーズである“江神シリーズ”に比べ、同じパズラー趣向ながらどうも半端に薄口なことが多くてね。イマイチ感が漂うシリーズ、という印象が強かったんだよね。ま、私もさんざんっぱら文句を垂れまくったクチなんだが……なんせ作者は“江神シリーズ”はぜんっぜん書かずに、こっちばっか書くんだもんなあ」
G「でも、今回の中編集は、はっきりいってシリーズ最高レベルのクオリティですよね! まぎれもなく年間ベスト10級であり、パズラー短編としては法月さんの一連のシリーズに迫るデキではないかと」
B「“法月綸太郎シリーズ”には及ばないだろー。同じパズラー指向ではあるが、比べると“火村もの”はやっぱどこか発想のスパンが狭いというか緩いというか浅いというか――まあ、たしかにね。これまでに比べればグンといいけどね。とりあえずは簡単に内容を紹介していこう」
G「一発目は『あるYの悲劇』。これはアンソロジー用に書かれた作品ですね。えっと、自宅で撲殺されたアマチュアバンドのギタリスト。死体は“Y”の字に見える血文字を壁に書き残していました。ダイイングメッセージものですね。ダイイングメッセージはシンプルだが意表をついた解き方ですし、これを書き残した被害者の心理も自然で。ダイイングメッセージものに付きまとう作り物臭さがクリアされているのもお見事です」
B「ダイイングメッセージとしては出来がいい方だと思う。名字にまつわるある特殊な知識が、ミスリードになっているのはいかがなものか――というか、これって相当に意地の悪い仕掛けだわな(笑)。そこが面白いっちゃ面白いんだけどね。次は『女彫刻家の首』。ミネット・ウォルターズさんや法月さんの作品を連想させるタイトルだね。アトリエで無惨に殺害された女彫刻家。死体は首を切り取られ、替わりに彫刻の首が置かれていた……犯人はなぜ首を切り、それを持ち去る必要があったのか? パズラーとしてはちょっと問題がある作品」
G「んー、そうですか? これもけっこう完成度は高かったと思いますけど」
B「手掛かりの出し方に問題があるんだよ。っていうかさー、名探偵の推理は憶測に過ぎないし、犯人を明確に絞り込むのに必要な決定的な手掛かりが提示されるのは、名探偵による“犯人の指名後”じゃん。要するに名探偵にしか解けない“後出し”だよ、これは」
G「でも、それについては、美容院云々というくだりで……」
B「うん、匂わせてはいるよね。でも、それも決定的なものとは云えないだろう」
G「ううん、厳密ですねぇ。たしかに読者と対等に勝負するパズルとしては、問題があるかもしれませんが……この場合はパズルというよりパズルストーリィとしての出来を優先させた、ってことなんじゃないかな。解決後に明らかにされる“首切りの理由”も、単純ですがとても理屈っぽい解決で、ぼくはすごく面白かったですよ。続きましては『シャイロックの密室』。これは倒叙形式で語られる、金貸し殺しにまつわるハウダニット。読者にとって犯人は最初から明らかであり、その犯人がいかにして密室を構成したかの謎がメインとなります。犯人視点で描かれる名探偵・火村が、なかなかに容赦なくておっかないです」
B「機械トリックの密室なんだが、トリック自体あまり面白くない。謎解きの手際についても、やっぱり手掛かりの配置の仕方が甘いんだよな。読者がこの謎を論理的に解くには、ある種の専門知識が必要になってしまうわけで。これはパズルというより、知識を問うクイズって感じだなあ」
G「問題はパズラーとしての密度とサプライズ演出のバランスを、どこで取るかですよね。ぼく自身はエンタテイメントとしてのパズラーならば、この作品くらいがジャストバランスであるような気もします」
B「最後は表題作の『スイス時計の謎』。コンサルタント業を営んでいる青年実業家が、オフィスで死体となって発見された。遺体からはなぜかいわく付きの時計が持ち去られ、そうした現場の状況から顔見知りの犯行とされる。なぜ犯人は時計を持ち去ったか、持ち去らねばならなかったか。これは、いいな」
G「いいですよね。犯人はなぜ時計を取ったのか? この一点に絞り込んで名探偵が展開する謎解きロジックは、極めてシンプルかつ合理的なんですが……感覚的には“そんなことでは証明できそうもない”と思えちゃうような方向に展開するんです。ところが論理的につきつめていくと、それが唯一無二の答になる。感覚的にありえない論理が論理的に成立するという。まるで上等な論理パズルみたいなロジックは、まさにいわゆる“論理のアクロバット”というやつですね」
B「謎解きロジックを重視するパズラーにおいても、実際には物語としての納得度の高さ、つまりある種の“感情的な説得力”みたいなものが優先されることが多いんだけど――この作品の謎解きロジックは違う。本格の世界でもあまり使われないタイプのロジックというか、読者自身も“考えなければ理解できない”し、“考えなければ面白さが味わえない”ものなんだ。まさに純粋パズラーならではの面白さってやつがここにあると思う」
G「復調、なんていったら失礼かもしれませんが、“火村もの”を見直しちゃいましたよね」
B「まぁ、ね。もっとも、こういうレベルの作品がコンスタントに書かれるなら、の但し書き付きだけどね(笑)」

 
●ネタの大盤振る舞い……阿弥陀ケ滝の雪密室
 
G「黒田さんの新作は『阿弥陀ケ滝の雪密室』“ふたり探偵シリーズ”の第2作にあたる長編ですね」
B「昨今、どんどこ出さないとシリーズものだって忘れられちゃうからなあ。まあ、このシリーズなんかけっこう間が空いた印象だけど、主役の探偵コンビの特異な設定が売りの1つだし、その特異な設定に関わる“大きな物語”のバックストーリィもあるようだからな。いわば『名探偵コナン』方式(笑)なんだからね、早く出すに越したことはない。――クオリティの問題を別にすれば」
G「速く書くからクオリティが落ちるというのは、あまりにも短絡的だと思いますけど」
B「まぁ、ね。じっくり書いても上がらん質は上がらんからな。ま、いい。とりあえずはその“主役コンビの特異な設定”から紹介していきましょ」
G「了解です。えー、前作で爆破事故に巻き込まれ、瀕死の重傷を負って昏睡状態に陥った刑事・キョウジ。なんと彼の意識は婚約者・友梨の身体に転移し、友梨の身体にふたりの意識が同居するようになっていました。刑事・キョウジの意識は友梨の身体を操れませんが、友梨の見たものを一緒に見て推理し、ディスカッションし、謎を解く。ふたり探偵の誕生です!」
B「というわけで。まあ、有栖川さんの『幽霊刑事』とか乾さんの『マリオネット症候群』とか、似たような設定は他にもあるあるわけだが――使いようによっては面白いわよね。特に友梨が意識を無くしているときだけ、キョウジが友梨の身体を操れるという特殊ルールの存在が、謎解きにひねりを与え、物語のサスペンス作りにも一役買っている。もっとも“こんな状態”、私だったらすんげえ嫌だけどねー。どんなにラブラブな恋人だってさ、四六時中心の中に同居して自分の一挙手一投足が見張られてたら、心底ウンザリすると思うぞ」
G「まあ、そりゃそうですけどね。そのあたりはお話しですから。というわけで第2作である本作ですが――当然、入院中のキョウジは昏睡から覚めず、“ふたり探偵”状態は相変わらずです。ところが病院で意識不明のキョウジ(の肉体ですね)が何者かに襲われるという事件が発生。キョウジ(の肉体)は辛くも難を逃れますが、一方で同じ病院に入院していた子供が行方不明になり、2人は折しも続発していた誘拐事件との関係を疑います。やがて新興宗教の教祖が真っ二つに切断された惨死体となって発見され、その上半身だけの遺体に残された“J”のサインが2人を震撼させます。もしや前作の事件で死んだはずの殺人鬼“J”が、復活したのか !?」
B「謎めいたJの正体を追って捜査を開始するふたり探偵。だがようやく割り出した容疑者は万全のアリバイを持っていた。2つに裂かれ別々の場所に捨てられた死体は、いったいどうやって運ばれたのか。――謎を解くカギを求め、ふたり探偵は岐阜・阿弥陀ケ滝に向かった……」
G「というわけで。前作にも増して波乱万丈危機連発のストーリィにトリックやら仕掛けやらがたっぷり盛り込まれ、何ともはや驚くほどの大盤振る舞いです。特にトリックはタイトル通りの雪密室ももちろん登場しますし、アリバイ崩しやダイイングメッセージといったネタが惜しげもなく詰め込まれていますね」
B「ふむ。たしかに数は多いよね。個々のネタのクオリティだって、実はそれほど悪くはない。ところがその謎解きときたら、当るを幸いばっさばっさと切り捨てるという感じの脊髄反射的推理で、オドロキはあっても謎解きの愉しみは少しもないときた。仕掛けは非常に凝ってるのに、ほとんど消耗品のような扱いなんだよな。なんちゅうかほとんど使い捨て感覚で――どうやら作者には読者にじっくり推理を楽しませようなんて考えは毛頭ないようだね」
G「うーん。まあ、舞台は目まぐるしく移動するし、謎めいた悪の組織なんかも登場するしで、ストーリィはもはや本格というより通俗スリラーそのものですからねえ。そもそも探偵役の設定自体がアレですから、このシリーズ自体そういうマンガチックな方向性を狙ってるってことなんじゃないでしょうか。でもそこが面白いんですよ。消耗品扱いされるトリックだって、本格ミステリ的なアプローチに基づいたリーダビリティ強化策になっているわけで。……いうなれば“皮膚感覚で味わう本格ミステリ”」
B「っていうか、むしろあの『キラーX』シリーズと同じく、本格ミステリ風味のスパイスを振った、ジェットコースタースリラーってところだろう。たしかにリーダビリティはあるけど……大雑把なんだよなあ。いろんな部品を落っことしながら、最初から最後までトップギアで全力疾走、ってのは『クレイジー・クレイマー』といっしょだよなあ。時にはもう少しだけスピードを落として緩急を付けた方が、いろんな意味でクオリティが上がると思うんだけどね」
G「そういう意味でのクオリティアップには、この作者さんはあまり興味が無いのかも。個人的にはヨロズ重厚長大化が著しいミステリ界にあって、ボリュームを増やさずネタは大盤振る舞い! というエンタテイナーに徹したサービス精神は貴重なものだと思いますよ」
 
●セラピーの音色……歌の翼に

G「この方のストレートなミステリは、なんだかとても久しぶりのような気がしますね。菅浩江さんの新作は『歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ』。2001年から03年にかけて、雑誌『小説NON』に掲載された短編9篇による連作短編集ですね」
B「この人のミステリ系の作品つったら『鬼女の都』以来なのかね。あの作品も私にとってはじつに印象の薄い作品だなぁ。まあ、個人的には本来この人、SF畑の人なのかと思ってたんだけど、そうはいっても各方面評価の高い『永遠の森 博物館惑星』は私にゃどこが面白いんだかぜーんぜん分かんない陳腐で平板な作品だったし、最近出た『プレシャス・ライアー』も今どきありえねーくらい古臭いアニメモドキに思えたくらいで。個人的にはSF書きさんとしてもあまり評価できなかったりするのだが――」
G「あのねー、この方はたしかGooBoo初のご登場なんですから、もののついでみたく十把一からげでこきおろさないでくださいよ、ホントに」
B「いや、そーいう意味では、今回の作品はいちばん面白かったよ。まあ、どこといって特徴の無い陳腐な“いやし系日常の謎”派だし、主人公キャラクタは、どっちかゆーたらめっちゃ嫌いなタイプの女だけどね」
G「面白いゆーわりには全然讃めてない気がしますが……えっと、全部で9篇もありますし、個別の紹介はよろしいですかね。ざっくりシリーズの設定だけ紹介しておきましょう。えー、舞台は昔ながらの楽器店の2階にある昔ながらのピアノ教室。その教師である杉原亮子が、主人公/名探偵役ということになります。で、この人ってばお金持ちの娘で絵に描いたようなお嬢様なんですね。名門音大を首席で卒業し将来を嘱望される身だったのに、ある事件をきっかけに心を病んで人前でピアノを弾けなくなってしまう。いまやひっそりと町の音楽教室で働いているという……。そんな彼女のもとに、なぜか小さな謎やささやかな悩みが次々持ち込まれ、彼女はそれらの謎を優しく解きほぐし、温かいピアノの調べとともに解決していきます」
B「大抵の場合、個々の事件や謎は一見奇妙でもなんでもない。日常の謎派としてもごっつ小粒で、ミステリ的な意味での謎の魅力というのは無いに等しい。心のヒダヒダや微妙な捩れを敏感にキャッチできる亮子先生で無ければ、そもそも謎として成立しなかった可能性すら多々あって――要は亮子先生自身の傷ついた繊細なココロが、他人の心の瑕や捩れに敏感に反応していくという仕掛けなんだ」
G「そのあたり、亮子先生には名探偵というより心優しきセラピストみたいな雰囲気がありますよね。謎自体も多くは“心の問題”だし、亮子先生の探偵法も、理詰めで解くというより相手の心の捩れにシンクロすることが中心。理解し、音楽の力を借りながらそれを解きほぐしていく、という感じです」
B「ま、それだけに謎解きそのものは、ほとんどが憶測に次ぐ憶測で築かれる三段跳び論法。ロジックとしての緻密さなぞ望むべくもなく、盲点を突く着眼や発想もないし、切れ味や意外性にもごく乏しい。ミステリ的な意味での謎解きの面白さというものは、ほとんど期待できないね」
G「でも、なぜかそのごく恣意的な推理の数々が、読み進むに連れて妙に説得力あるものに思えてくるんですよね。謎解き自体の後味が良いというか――謎の所在に触れた読者の微妙な心の傾きを、作者は敏感に先取りして、それをつねにもっとも望ましい結末へと導いてくれるんですね。さらに、そうやって個々の短編で亮子先生に救われた人々の“気持”の結集が、最後には逆に亮子先生の心を癒し、彼女自身の救済に結びついていく……という連作短編ならではの仕掛けも用意されています。人間の“気持”というものに対する、作者の鋭くも繊細な洞察力が可能にした“優しい心理ミステリ”だと思います」
B「ていうかさー。キミの解説を聞いていると、アマリにおぞましくて背筋が寒くなってくるんだけど。まあ、作者の筆はごく然りげなく巧みなので、このくそ甘ったるくも押しつけがましいヤサシサあふれるご都合主義も、読んでいる間はさほど気にならない。口惜しいけどね。実際、このヒロインってば傷つきまくってココロを閉ざしたっていう割には、やたらおせっかいな上に腹が立つほど温和で。しかあお素直で、トゲつうもんが1個もない。なんだかスゲー腑に落ちないキャラクタなんだよな」
G「いや、なにも口惜しがらなくてもいいと思いますが……ayaさんってえーとこのお嬢にごっつ辛く当たりますよねー」
B「おおきにお世話様! ま、じっくり読むといろいろ腹が立ってきそうではあるが、さっくり読む分にはギリ許容範囲。同じく“謎解きを通じ成長していく名探偵”が登場する、某“ひきこもり探偵”シリーズよりゃ百倍マシなのは確かだね」
G「また、そういう差し障りありすぎな勧め方をする〜」

 
●ミステリがお洒落だったころ……黒いハンカチ

G「小沼丹の『黒いハンカチ』と参りましょうか。ご多分に漏れずぼくも、この方のミステリ作品に触れたのは北村薫さんのアンソロジー『謎のギャラリー』なんですが、非ミステリ作品では『懐中時計』を読んだことがあります」
B「キミもいちおう国文科出身つーことかね(笑)。まあ、純文学畑でもかなりマイナーな書き手であるのは確かだと思うけどね。ちなみに私もそれと『椋鳥日記』だけは読んだよ。いずれも作者としては後期の、とことん枯れた枯淡の境地って感じの私小説集だったなー」
G「私小説といっても、ぼくらがイメージするようなドロドロした感じは全く無くて――というか、そもそもストーリィなんてあって無きがごとしで、なんということもないエピソードに飄々として渋い、ほのかなユーモアとそこはかとない哀しみが潜められている。こりゃ歳喰ってから読むべき本だなーと思ったのを覚えています」
B「定評ある文章についても、こちらもあくまで自然流というか。巧いッとか華麗ッとか、唸らせてくれるようなタイプの文体じゃないしね。ただ、この奇妙に醒めた明るさと飄々としたユーモアは、この唯一のミステリ作品である“ニシ・アズマ”シリーズにも共通している」
G「そうですね。――というわけで『黒いハンカチ』ですが。北村薫さんがもしこのシリーズの存在を知っていたら、かの“円紫さんシリーズ”はごっつ書きにくかったであろうとかいう話で。いうなれば“日常の謎派”の元祖みたいな位置づけのされ方をしているようです」
B「まぁ、それは北村さんのリップサービスだと思うけど(笑)。“ニシ・アズマ”シリーズにはれっきとした犯罪も出てくるしねぇ。取りあえず内容の紹介を――といいたいところだが、なんせ12篇もおさめられているからなー。個別の内容は省略して設定だけ紹介しときましょ」
G「はいはい。えー、主人公のニシ・アズマ女史はA女学院に勤務する英語科教師。ひまさえあればA女学院の屋根裏にこさえた見晴らしのいい部屋で昼寝をしています。そんなアズマ先生ですが、なぜかしばしば奇妙な事件に遭遇する。赤く太い縁のロイド眼鏡をかければたちまち名探偵に変身し、事件が起こる前にいち早く謎を解いてしまう……こうしてみると、なんだかけっこうマンガチックな設定ですね」
B「そうだな。遭遇する事件の方もそういう感じだよね。殺人なんかもあるにはあるが、いずれもどこかユーモラスな感じのささやかな事件がほとんどだ。たとえ殺人が起こってもどこか絵空事っぽくて――そういう意味でのリアリティは皆無に等しいわね。アズマ女史の推理も、1つのとっかかりをテコに大胆な仮説を編み出していく直感的演繹的なタイプだし。亜愛一郎の推理法をもっと大雑把にして、ついでに発想のジャンプ力をごくごく控え目にしたような感じかな。正直いって謎解きロジックの面白さってのはさほどないんだ。まぁ、雰囲気を味わうミステリコントというべきところかしらん」
G「でも、その雰囲気というやつがなんともいえず良いんですよね。なんというのかなあ。キャラクタにしろ、舞台にしろ、事件にしろ、すべてがこう懐かしいモダンさに包まれているというか。忘れていた原風景というか。セピア色の洒落たミステリ小箱、みたいな。ミステリとしての仕掛けはいずれもささやかなもので、他愛ないといえば他愛ないし。あっと驚かされるようなことはほとんどないんですが、それでいて心地よくミステリ読みのツボをくすぐってくれるんですね。作者はミステリの勘所を心得てるという感じがします」
B「なんか分けの分かんないこと云ってるな〜。なんなんだよ“セピア色の洒落たミステリ小箱”ってのは。まあ解説にもあるとおり、作者にとってミステリは余技というか。注文に応じてかるーく書いたんだと思うけどね。だからこそこここにはキレイなもの、楽しいもの、愉快なもの――つまり作者の好きなものしか描かれていない。名探偵の推理がどんなに突拍子なくても根拠に乏しくても、それはつねに真実を射ぬいているんだ……つくづく、いい時代だったんだねぇ」
G「それでいてご都合主義の安直さを感じさせないのは、作者の伸びやかな筆のせいでしょうか。ミステリというものがそれ自体がお洒落だった頃の、ファンタシィそのものなのかもしれませんね……。とりあえず、読むと幸せな気分になれるミステリって感じで、“読みすぎちゃったマニア”にこそお勧めなのかもしれません」

 
●美食描写は全てを救う……支那そば館の謎

G「北森鴻さんの新作は『支那そば館の謎』。雑誌『ジャーロ』に2002年の冬号から2003年春号にかけて連載された軽ミステリ“裏京都ミステリー”シリーズをまとめたものですね。主人公は元怪盗で、いまは京都の貧乏寺の寺男を務める有馬次郎。もともとはリレー小説『堕天使殺人事件』に登場したキャラクタでしたが、このたびめでたく一本立ちした次第です」
B「といっても、次郎自身は名探偵役ではないんだよな。元怪盗の腕を活かし情報収集を行ういわばアクション担当で、貧乏寺・大悲閣千光寺の和尚さんが名探偵役を勤める。で、ここに弱小地方新聞の自称エース記者・折原けいや、売れないバカミス作家・水森堅なんかが絡みつつ、物語はコミカルに展開していく」
G「実際、ミステリ的な仕掛けはごくあっさりとしたものが多いんですが、なんたって舞台は京都。この京都という舞台ならではの旅情ミステリー風味演出が時にミステリ要素と連携しながら、いい感じに風情を醸し出していくという仕掛けです。北森作品の定番的お楽しみの1つである美食描写も、もちろんたっぷり用意されています」
B「つまりミステリ単体としては――京都という舞台を活かしたアイディアが盛り込まれてたりはするものの――さほど見るべき点はない。ないけれども、シリーズとしての印象はなかなかいい感じという。なんちゅうか、エンタテイナー北森鴻の技あり一本! みたいな作品だわね」
G「どことなく嫌がらせっぽいですが……まあ、そういうことかな。有馬次郎の怪盗チックな活躍も楽しいですよね」
B「ううむ、でもそこんとこは確かに漫画チックな演出がなされているんだけども、期待したほど派手じゃなかったしなあ。ま、肩の力を抜いて楽しめる、アベレージな軽ミステリってことでいいんじゃないかな。いちおう内容を紹介しておこうか。一発目は『不動明王の憂鬱』。ある事件現場で発見された特殊な盗賊用具――それは怪盗現役時代に次郎が自ら工夫し愛用していたとモノと全く同じものだった。裏の世界の掟を破り、それを複製したやつがいる! 過去への落とし前を付けるため、次郎は再び闇の世界に足を踏み入れる」
G「おそらくは次郎のキャラ立て用作品でしょうか。ミステリとしてはどうということのない話なんですが、裏の世界に関するもっともらしい蘊蓄が、“旗師・冬狐堂”シリーズの骨董蘊蓄を連想させて興味深いです。むろん蘊蓄たって、どこまで本当なのかは分かりませんが(笑)。続きましては『異教徒の晩餐』。ある有名な版画家が惨死した。遺体の側には切り裂かれたバレンと名店謹製の鯖棒が3本――見立てか、ダイイングメッセージか、それとも? 日常の謎派を思わせるちょっぴり頓狂な謎の設定に、さしたる新鮮さはありませんが、散らばる手掛かりをきっちり意外な真相に収斂させていく手際は、さすがの鮮やかさです」
B「よく考えると無理筋っぽい仕掛けなんだけどね。それをそうとは思わせない立て引きの巧妙さが際立っている。それに比べると次の『鮎踊る夜に』は少々無理の方が先に立つな。貧乏寺・千光寺を珍しく若い女性観光客が訪れた。寺の風情を気に入った彼女。数日後の再訪を約束するが、翌日、無惨な死体となって発見される。彼女が手帳に書き残した奇妙な一文が、犯人探しに乗り出した次郎を悩ませる」
G「たしかにちょっと不自然なところもありますが、京都ならではのアイテムを巧みに作中に取り込んで、これぞ旅情ミステリのお手本でしょう。次は『不如意の人』。学園祭の講演に呼ばれたバカミス作家・水森堅。さんざんっぱら遊び倒した揚げ句、講演を前に姿を消してしまいました。無責任男・水森の行方はどこ?」
B「以後、準レギュラーとなるバカミス作家・水森堅は、北森ミステリには珍しいコメディリリーフ。コミックタッチの大仰なデフォルメは、正直いまいち板についてない。ユーモアと情緒の微妙な案配が売りのシリーズとしては、そもそも扱いが難しいキャラだというべきよね。そのぶんお話も単純化されて、謎解きはえらく見通しのいいものになってしまった観がある。次は表題作の『支那そば館の謎』で、これはめでたく準レギュラーとなった水森堅と有馬次郎の推理合戦という趣向。“支那そば館に暮らしている”と言い残して消えた奇妙な外国人の行方探し――なんだけど。これがネタ的にはかーなーりー無理がある。もう完全にバカミス! といってもいいくらいなんだが、シリーズの雰囲気は必ずしもバカミスにはなりきれてなくてさ。やっぱ微妙に落ち着きが悪いわねぇ」
G「このトリックもやはり京都ネタだから、これをなんとかして活かそうとして、いささか強引に過ぎたきらいはあるかも。ギャグ要素と謎解き、しかも京都ネタで意外性ありときては、これはちょっと欲張りすぎだったのかもしれません。ラストは『居酒屋 十兵衛』。“十兵衛”ってのは次郎らレギュラーメンバーが毎回たむろして、舌鼓を打ちつつ推理談義に耽っている居酒屋さんです。ここがまた、かの“香菜里屋”なみに美味そうなもんばっか出てくるんですね〜」
B「その十兵衛の主人の兄弟弟子にあたる料理人が、なぜかいきなり雑な仕事を始めた。あれほどの腕利きがいったいなぜ? 懇意の主人に頼まれて、探りにいった次郎が、探り当てた意外な理由……これも強引だよなあ。謎解きに心理的な説得力がほとんどないっつーか。どんでん返しの奇を衒いすぎて、作者自身が足元をすくわれている感じがする。前作もそうだったけど、シリーズとしてのコンセプトとミステリ部分の齟齬が気になるのよ。小説部分の充実に比べると、とってつけたようなギャグと強引すぎるミステリ要素が浮きまくってる」
G「うーん、たしかにいまいちピントが合いきれてない感じは残りますけどね」
B「この作家さんの場合、この系統のぶっ飛んだギャグセンスには欠けている気がするんだよね。読者を微笑ませることはできても爆笑させることは難しい、みたいな。だから、この作品なんて優等生が無理に滑稽なしぐさをしているような感じで、いかにも柄じゃない。――だったらミステリ的な仕掛けはもう少し小粒にして、地に足のついたミステリ話にした方が落ち着くだろうに。まぁ、例によって美食描写を読むだけで、けっこう満足しちゃえるのは確かなんだけどね」

 
●チープで雑駁なバカミスシリーズ最新作……火の鶏

G「霞流一さんの新作長編、『火の鶏』です。この方も昨年〜今年とどんどこ新刊が出ましたね。『火の鶏』というタイトルからも分かるとおり、“獣づくし”趣向の“獣道シリーズ”なんですが、“紅門福助もの”ではなくて “奇蹟鑑定人ファイル”シリーズの方ですね。たしかシリーズ第三作ということになると思います」
B「無理にそうやって区別しなくとも、この両シリーズはまったく同じテイストのチープで雑駁なバカミスシリーズ。強いていえば、こちらの方が若干ギャグが少な目という程度の違いしかないわよ。まあ、読むだけで寒気がしてくる、あの“信じ難いほど笑えないギャグ”を読まずにすむだけ、こちらの方がマシかもしれないけど」
G「ま、あまり笑えないギャグであるのは確かですからね。ちなみに版元は角川春樹事務所。ハルキノベルスという新書です」
B「前々から思ってたんだが、社名(?)がフルネームというのは“いかにも”だよな〜。ちなみにハルキノベルスといえば、まず一番に思い浮かぶのが篠田秀幸さんの『幻影城の殺人』――それだけの印象で決め付けるのは良くないが、パチモンの作品ばっかという印象がないでもない。ゆえにこの“獣道シリーズ”にはぴったり、という気がしないでもないではない」
G「また回りくどい嫌がらせを……とっとと内容に行きますよ! まずはシリーズ設定を紹介しておきましょう。怪しげな新興宗教や奇跡のたぐいのインチキを暴くため、既成の宗教団体が手を組んで組織した寺社捜査局。主人公の魚間は、この寺社捜査局に所属する奇跡鑑定人です。柄刀さんの『奇蹟審問官アーサー』シリーズのアーサー・クレメンスと、いわばご同業ということになりますか。ともかくそういうわけで、怪しげな宗教活動や奇蹟、怪現象の知らせを受け、魚間は日本各地に出かけていくのです」
B「んで今回、相棒の巨漢・天倉真喜郎と共に彼が向かったのは東京都練馬区の玉古呂町。なんとこの地で“火を噴きながら空を飛ぶニワトリ”というとんでもないモノが目撃されたのだ。町では自然食品の販売を強引に推し進める団体“野ッパライ屋”が地元の商店や顔役と対立し、エキセントリックな奇人たちが珍妙な暗闘を繰り広げている。早速調査を開始した魚間だったが、その鼻先でニワトリの見立てを施された奇怪な不可能犯罪が起こり始める!」
G「前述の通り、今回はギャグこそ控えめですがお得意のトンデモ系トリックはいつも以上に盛りだくさん! 冒頭の火を噴きながら飛ぶニワトリはもちろん、“視線の密室”における“見えない人”トリックや、焼き鳥に見立てられた死体の見立ての意味などなど、いずれも脳みそが脱臼するような奇想あふれる“笑える”トリック&ロジックが用意されています。特に“見えない人”のトリックは、この作家さん以外が使ったら、読者は絶対腹を立てること間違いなし! という脳みそ逆上がり級の強烈きわまるシロモノです」
B「ていうかさあ、脱力するよね。どれもこれも。常人にはなかなか思いつかないというか、“思いついても使うのを断固拒否する”ような。信じがたいほどチャチで幼稚で大雑把で、堪えがたくセンスの悪いトリック&ロジックばかりを、無理やりかつ強引に、無神経に使ってらっしゃる。――そこには常識を逸脱した驚きや衝撃もまったくありゃしない。ただもうひたすら悲しく空しくあほらしく、読んでいると自分まで本格ミステリのセンスや美意識を破壊されるような気がしてくるね」
G「うーん、なんていうのか……この方の本格ミステリ書きとしての方向性は、実はたぶん島田さんに近いと思うんですよ。島田さん流の奇想プラス大トリックの方向性ですね。ただ、霞さんの場合は、それを島田さんよりもぐっと身近な、卑近なレベルで実現しようとしている。しかもそこにギャグの要素をからませて……つまり体質的に近いものがあるから、ayaさんの嫌悪感もいちだんと強くなってしまうのかなって気もするんですね。この作家さんの作品を読む場合は、肩の力を抜いて、なすがままに。いわば無我の境地(笑)で読むことが必要なのかも。そうすればこの馬鹿馬鹿しさも素直に笑って楽しめると思いますよ」
B「まあ、たしかに読者は推理しようとしちゃダメよね。作者自身は毎回毎回読者が絶対推理できそうもないトンデモな真相を用意しようとしているんだけれど、実際にはこの作家さんは意外と発想にジャンプ力がなくてさ。今回もそうだったけど、何作か読めばトリックのパターンや落しどころは容易に見当が付くようになる。やり方は簡単だよね。読者が最初に思いついた“まさかこんな素人臭い、ダサい、無理やりなトリックは使うまい”というやつが、たいていの場合真相なんだもん。まぁ、そんなことはたとえきちんと推理なんてしなくても、真相を明かされた瞬間に“もし推理していたらそうなっていただろうことが想像がつく”から、結局いずれの場合も読者は確実に脱力するという仕掛けなんだ。いわせてもらえば特に作者の執筆ペースが上がってから、そういう傾向が一段と強くなった気がするね」
G「うーん。トリックやロジックの練りこみが足りないということですかね?」
B「それ以前の問題よ。トリックやロジックの根本的なネタとなる部分を練りこんで磨きぬいて、それがそれ自体単独で“美意識にかなう美しさなり強さなりを持っているか”、おのれのセンスに照らして厳しく判定してほしいのよね。もちろんトリックを生かすための演出もとても重要だけど、演出はそれをよりよく見せるための工夫であって、強引にはめ込んでなんとかかんとかカタチだけ辻褄を合わせるということではないはず。そんな低レベルの力技が必要になるとしたら、それはそのトリック自体がロクでもない、使うべきでない代物だってことなんじゃないかしらん。それを無理に使っていたら、どれほど頑張った力技だって、間に合わせのやっつけ仕事にしか見えないのよ。残念ながらね」
G「力を注ぐ方向が間違っているということですか。でも、強引に見えてもやっつけ仕事に思えても、それはそれで作者はすでにそれを自分の作風として確立しているし、支持してらっしゃる方もたくさんいると思いますが」
B「それはそうね。好き好きだから、とやかくいうつもりはないよ。ただ、“この方向”である限りは、わたしがこの作家さんの作品を高評価する可能性はほとんどないってことよ」
G「ちなみにこのシリーズは美食描写も話題になっているようですが」
B「どこがやねん。そりゃまあ薀蓄めいた話がたくさん書いてあるけどさ、私自身はどそれを読んで美味そーとか、喰いてーとか思わされたことはいっぺんもないよ。本格としての評価と一緒で、この作家さんの場合は美食描写が可能なセンスも文章力も、まったく持ち合わせてないんじゃないの」
G「とりあえず現状、ミステリ界には北森さんという美食描写の達人がいますからねえ。ジャンルを広げればもっとすごい人がいくらでもいるし」
B「ま、それはミステリ本体についても同じことだよね。同じ土俵に上がったからには比べられちゃうのは仕方ない。キミの説だから本当かどうか分からないけど、もし作者が島田さん風の方向を狙うのなら、島田作品と比べられるつもりで書いてほしいと思うわけだ。大変だろうと思うけど、仕方がないよね。そういう世界なんだから」

 
●もっとはっちゃけろ!……ふつうの学校

G「えー、あの『六枚のとんかつ』の蘇部さんの新作です。なんとジュブナイルの叢書として有名な講談社の青い鳥文庫から、書下ろしで登場です」
B「なんちゅうか、これも新規市場の開拓かしらね〜。まあ、『木乃伊男』とかさ、新作も出ているわけだし。アダルト市場を見切ったってわけじゃないんだろうけど――あの蘇部さんが青い鳥文庫とは、ちょっと驚くわよね」
G「まぁ何にしろ書ける場所があるのはよいことですよ」
B「なんのことやら。ともかく私としては、あの極寒の駄洒落で読書子の心胆寒からしめてきた蘇部さんが、子ども相手にいったいどんな無理無体をやらかすのか、と。そりゃもう“期待”しまくって(笑)読み始めたんだが――思いのほかフツーだったわね」
G「いや、ジュブナイルとしてはじゅうぶん過激だと思いますけど」
B「なぁにが。たしかに毒はあるけど、何でもアリのマンガで鍛えられた昨今の少年少女にとっちゃ、あの程度、過激でもなんでもないさ。蘇部さんの過去の作品群の中でもいちばんおとなしやかでマトモ、なんじゃないの?そのぶんミステリ要素は極薄で、ほとんど子どもだましの冗談みたいなレベルだけどね」
G「まあ、取りあえず内容をご紹介しましょう。ええっと、連作短編形式ですね。『稲妻先生颯爽登場 !!』『掃除のロッカー神隠し事件』『班決めはドラフト会議で』の3話が収録されています。語り手の“ぼく”は小学5年生になったばかりのアキラ。んで、彼のクラスを担任することになった若い男性教師・通称“稲妻先生”が巻き起こす珍騒動、というのがお話の骨格です。ジュブナイルとしては標準的なパターンの1つですかね」
B「ただしこの“稲妻先生”は、従来の正統派ジュブナイルの教師像からは、相当以上に外れている。ここがこのシリーズのミソということになるんだろうな」
G「そうそう。堅苦しい教師像から外れているのはもちろん、いわゆる熱血教師というのとも全然違うんですよね。なにしろロリータビデオの内容に納得できずにレンタルビデオ屋で大騒ぎする。教え子をインチキ賭けドンジャラに巻き込んで有り金巻き上げる。理科の実験で爆弾をこさえる。クラスの席替えは男子生徒だけでこっそり“美形女子ドラフト会議”を開催する……という調子で。こんな教師いないだろ。というか、いてもたちまち馘首されるだろうって感じなんですが(笑)」
B「しかし実際にいたら、少なくとも男子児童からは絶大な人気を集めると思うぞ。だってさ、要するにこの稲妻先生は“悪ガキ”つうか“ガキ大将”が、そのまんま教師になったらこうもあろう、というキャラクタなんだよ」
G「ですね。たしかに作中で描かれるエピソードは、どれもいかにも悪ガキが大喜びでやりそうなことばかりで。オトコノコにとっては抵抗しがたい魅力がありますもんね。特に“女子ドラフト会議”なんてのは実に楽しそうで、ぜひいっぺん参加させていただきたいものですが――まあ、主催した教師は確実にクビでしょうね(笑)」
B「この稲妻先生って、最初は破天荒なようで実はいいヒトってパターンなのかと思ったけど――むろんトリックを使って生徒を助けてやったりもするけどさ――基本的にはホネノズイまでタチの悪い悪ガキという、ある意味たいへん潔いキャラクタ設定なのよね。この割り切りは個人的にグッドだと思うわ」
G「ですね。子どもが読んでも、この方がずんと痛快でしょうし」
B「そういう意味では、とってつけたような貧相なトリックやミステリ要素は、むしろ要らなかった気がしないでもないのよ。実際、ミステリ的な意味での中核となる生徒の消失トリックや瞬間移動トリックなんて、アホくさいだけで機知のカケラもありゃしない。子どもが読んでも鼻で笑うだろうって感じだし」
G「う〜ん、そうですねぇ。むしろ賭け麻雀の詐欺トリックや女子ドラフト会議における狙った女子をゲットするための仕掛け&ロジックなど、悪ガキらしいワルサに密着したアイデアの方が幼稚なりに生き生きしているし、エピソード自体にもフィットしている気はします。いいかえれば非・教育的な話の方が(笑)エピソード自体の切れもいいわけです」
B「つまりこのシリーズは、無理にミステリにしない方がヨシ! ということ。ミステリ作家としてのアイディアを悪ガキ的エピソードの中でどう活かすかが、ポイントなんだと思う」
G「そーゆー意味では、稲妻先生にはもっともっと無茶をやってほしいですよねぇ」
B「そうだな、その方がダンゼン子ども受けするだろうしな。ま、PTAには有害図書扱いされるかもしれないが(笑)。ただし意味不明でインパクト皆無な、『ふつうの学校』というタイトルはどうかと思うぞ」
G「んー、まぁねぇ。それはたしかに」
B「ついでにいえば、なんだか滅法垢抜けないタッチの挿絵もどうにかしたいわね。下手じゃないんだけど……マンガ描きさんが無理に“一昔前の”児童向けタッチ風に描こうとして、結果として一昔前のエロマンガになってしまったみたいな」
G「なんのことやら、わけわかりません。だいたい、んなこといって昨今の子どもさんの好みなんか知らないでしょうに」
B「そりゃそうだけどさ。あれが今どきの子どもたちの好みだとしたら、あたしゃけっこうショックだなー」

 
●本格書きのサガ……OZの迷宮

G「柄刀さんの新作は『OZの迷宮』。連作短編集なんですが、どこかの雑誌に連載されたシリーズではありませんし、全編が書き下ろしというわけでもありません。それらが混在しているというか――ともかく特異な経緯をたどって編まれた連作短編集なんですよね」
B「全部で8つの短編が収録されているんだが、第1話は1994年の『本格推理3』、第2話はその翌年の『孤島の殺人鬼 本格推理マガジン』に収録されたもの。さらに第7話は96年に『本格推理9』に掲載された作品だ。柄刀さんのデビューは1998年に鮎川賞の候補作となった『3000年の密室』(受賞は谺さんの『未明の悪夢』)だから、この3本はアマチュア時代の作品ということになるね。いうなればデビュー前の若書きな3作を活かすために、新たに5本の新作を書下ろしたというカタチ(笑)」
G「なんか皮肉な言い方をしてらっしゃいますが、これはべつだん情報資産の二次活用というわけではないと思うんですよね。アマチュア時代の3作にも、後の柄刀タッチ……強烈に不可解な謎と奇想に満ちたトリック……ははっきり確立されていますし。さらにそれとは別に、アマチュア時代の“いったんは切り捨てたシリーズ”をベースにしているからこそ可能な、本格ミステリとしての名探偵に関わるあるきわめて大胆な仕掛け/趣向も用意されている。この趣向は、冒頭に記された一文“名探偵は生き方ではなく宿命である”に象徴されるテーマに結びついていく仕掛けで。サービス精神旺盛な柄刀さんならではの、本格として実に“贅沢な”連作短編集だと思いますね。そのトータルな仕掛け、そして個々のクオリティともに本年屈指の力作というべき1冊かと」
B「“名探偵は生き方ではなく宿命である”というテーマは、柄刀さんのロマンチストぶりがよく出ていると思うけどさ、あのラストの仕掛けというか落し込みは、正直なんだかあまりにも通俗で“ロマンチストが過ぎる”気がしたね。だから個人的にはそんなテーマはどうでもよくて、むしろその前段にあたる“名探偵に関わる大胆な仕掛け”が非常に面白かったな。クイーンの某名作以来手垢のついた趣向だし、本格読みならおそらく途中で想像がついちゃうだろうけれども、それでもなおここまで極端な“●●●ドミノ”を平然とやるのはやっぱスゴイよなあ」
G「じゃあ、各篇を順に紹介していきましょう。まずは『密室の矢』。タイトル通り、密室状態の書斎で発見された、弓で射殺された死体。室内から折られた血塗れの矢と弓が発見されますが、犯人の姿は煙のように消えていました……シリーズの中もっともオーソドックスかつ古典的な密室ものですね。密室トリックはいわば定番的なトリックの応用篇というかバリエーションで、解かれてしまえばなぁんだというようなシロモノなんですが、弓という凶器の特性を巧く使った逆転の発想と念入りなミスディレクションで、陳腐な真相からサプライズを引きだすことに成功しています」
B「とはいえ、1アイディア1トリック1ツイストのストレートな展開はいささか曲に欠け、大仰するミスリードと共に少々古めかしく食い足りない印象を残すね。まあアマチュアの作と思えば立派なものだけど、あくまでこれはプロの作品として出版されているわけだから改稿すべきだった気がするな。次は『逆密室の夕べ』。スポーツクラブで発見された2つの死体、そして監禁されていた1人の目撃者。目撃者の証言と現場の状況から、犯人は犯行後、密室状態のシャワー室で転倒し、頭蓋骨折で死亡したのだと推定される――」
G「大がかりなトリックによる不可能現象の演出は、柄刀さんの十八番。トリック自体はこれもバリエーションですが、舞台設定を巧く活かしてそつなくまとまっています。コンパクトだけど切れ味はいいですよね」
B「裏返せば謎と舞台とトリックがストレートに結びつきすぎて、あまりにもみえみえなのは『密室の矢』と同じ。そうなるとトリック自体も、なんだか大山鳴動鼠1匹という感じがしてしまうんだよな」
G「続きましては『獅子の城』。前述した連作ならではの仕掛けの、まず1発目がここで炸裂します。というわけで、余り詳しく紹介できないのですが……ともかく、事件自体は一見シンプルなアリバイものに思えますが、実は目眩くどんでん返しで読者の肝を奪うサプライズ狙いの一発技です。いくらなんでも“ここまでやるか!”って感じですが――やるんですね、柄刀さんの場合は(笑)」
B「これにはマジで驚かされたよなー。だからってわけじゃないけど、百戦錬磨の本格読みも、さすがにこれには騙されるだろう。その驚きを十分に堪能するためにも、本書は必ず収録されている順に読むべし! 約束だ。続く『絵の中で溺れた男』は、これも柄刀さんらしさがあふれる一作だね。密室状態のアトリエに閉じこもっていた画家が、なぜか“溺死”した。だが、室内にあった水気といえば、被害者が向かっていたキャンバスの“描きかけの河の絵”だけだったのだ!」
G「“冒頭の謎”の途方もないこと! いきなり4次元の世界に踏み込んだような気分にさせられちゃう奇想天外さですよね。まあ、その奇蹟を実現する豪快無比なトリックも楽しいのですが、大小ひっくるめた全ての謎が、名探偵の一言で音を立てて整列し、ただ一つの真相を指し示す――まさに奇想とトリックと論理が三位一体となった、島田学派直系の一篇といえるでしょう。次の『わらの密室』は私見では集中屈指の傑作です! 冒頭で倒叙風に“犯人”自身による密室トリックの工夫が語られ、その正体は伏せられたまま本編が始まります。本編で起こる事件は、たしかに冒頭で語られた通りの密室殺人なのですが――そう思った時には、読者はすでに作者の術中に墜ちている。次々明かされる意想外の事態に翻弄されたあげく、あまりにも意外な真相に足を掬われて唖然とするのは必定です。着想の妙と技巧とが高いレベルでバランスを取った傑作ですね」
B「ま、それはちと大げさだけど、きれいに決まった“技あり一本!”な作品であるのは確かだね。大技を使う割には、テクニシャンというより不器用っぽいイメージが強い柄刀さんだけど、この作品はそんな印象を一変させてくれるだろうね。(ま、相変わらず小説そのものは巧いとは到底いえないんだけど!)。その意味では、続く『イエローロード』も異色作ということになるだろう。柄刀作品としては珍しい純粋なロジックものだよ。川に浮かんだ水死体、そのポケットに詰め込まれていた50枚の十円玉の謎――という謎解きは、ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』、というより若竹さんの『五十円玉二十枚の謎』を連想させるんだけど、作者の謎解きは意外なほど説得力があるんだよ。緻密とは到底いえない、恣意的な推理なんだけどね」
G「なんていうのかなー。ロジックそのものが美しく、また論理として面白いって感じなんですよね。信じたい気にさせる推理というか。――トリック面の大技ばかりがいわれる柄刀さんですが、バカバカしいような大トリックにしろ、それを実現するための穴塞ぎや辻褄合わせをいつもびっくりするほど念入りに行ってらっしゃるし――実は神経質なくらい理屈っぽい人なんじゃないかな。だからこういうタイプも実はお得意なのかもしれませんね」
B「次の『ケンタウロスの殺人』は一転して、再びいつもの柄刀タッチの、それも極め付け。地中から発見された奇怪な半人半馬の遺骨……それは4年前の雪の夜に目撃されたケンタウロスの死体なのか? バカミスすれすれのトンデモな謎の設定、そしてなんともスケールの大きなその真相は、デビュー以来の柄刀さんの得意技だな」
G「読み慣れたファンは、おそらくいち早く真相に気づいてしまうでしょうが、それにしたってこんな途方もないことを大まじめに実現してしまう作者の稚気には、思わず微笑まずにはいられません。ホント、こういうバカバカしいことに全力投球できるのが、本格書きのサガというものなんでしょうね」
B「実際、着想の出発点は、おそらく霞さんあたりの一連の作品と五十歩百歩なんだけど、作者はそのバカバカしさに甘えず。まして投げやりにもならず、それこそバカバカしいほど真摯に取り組んでいる。この本格バカぶりが、本格読みにはとても愛しいもんに思えてくるのよね」
G「というわけで、いよいよ大ラスの『美羽の足跡』で……これは、作中の事件そのものよりも、前述した“名探偵は生き方ではなく宿命である”というテーマに落とし前をつけ、それをマンティックに語るために書かれた一篇、とでもいいましょうか。まあ、ここまでいくとほとんどファンタシィで……そう考えれば、シリーズの中では極端に肌触りが異なるこのリリカルな読み心地も納得がいくでしょう」
B「ていうか、まーこれはボーナストラックだろうなあ。たしかにこれが無ければ、シリーズとしてきちんと落ちがつかないのは確かなんだけど……個人的には何もここまで明け透けに・即物的にロマンを語らなくともよかろうに、という気がしないではない。こういうことはさりげに匂わせた方が、ダンゼンかっこいいと思うんだがなあ」

 
●美食控えめの異色作……パンプルムース氏と飛行船

G「おっと“パンプルムース氏シリーズ”の新作が出ておりますね。これ、行きましょう。本格ミステリではないし、ミステリかどうかも怪しいんですが、大好きなんですよね」
B「んー、『くまのパディントン』の作者が贈る、オトナのためのコメディ&ミステリつーとこかな。この『パンプルムース氏と飛行船』はシリーズ第5作にあたる作品だ。じゃ、いちおうシリーズの設定を紹介しておこうか」
G「主人公のパンプルムース氏は元パリ警視庁の敏腕刑事。スキャンダルで警視庁を退職したいまは趣味の美食で鍛えた“舌”を活かし、著名グルメガイド(ミシュランとかああいうやつですね)の覆面調査員として活躍しています。シリーズでは、毎回このパンプルムース氏が愛犬ポムフリットと共にフランス各地のレストランやホテルの覆面調査の旅に出かけ、その先々で珍妙なトラブルや事件に巻き込まれる。で、推理力と鋭敏な舌(笑)と、その途方もない幸運さで次々事件を解決していく――というのが基本的なラインです」
B「まあミステリ的な仕掛けはごく他愛ないんだけどね。ともかく手を替え品を替え登場する数々の美食描写が最大のお楽しみ。そこへエスプリの利いたユーモアにお色気もちょいと加味して、いい感じに愉しめる肩の凝らないエンタテイメントになっているわ。方向としては前述の通り『007』風味のオトコの願望充足ファンタシィなんだけど、主人公の相棒の(これもやたら食い意地の張った)名犬ポムフリットは可愛いし、そこそこ女性でも愉しめると思うわよ」
G「というわけで新作です――しんどい出張の旅を終え、優雅な休日を楽しんでいたパンプルムース氏。しかし編集長のたっての願いで“重要任務”を引き受けることになりました。それはスペシャルなお祝いメニューを考えること! 両国のVIPを載せた大型飛行船が記念飛行を行なうことになり、その飛行中に饗されるVIP用料理のメニュー作りが、パンプルムース氏の出版社に依頼されたのです」
B「美食の国フランスの威信をかけた究極のメニュー作り――願ったり適ったりの仕事を与えられたパンプルムース氏は、愛犬ポムフリットと共に式典が行われるブルゴーニュに向かった。ところが試しに乗ってみた飛行船は折りからの嵐で大揺れ。船酔いになったパンプルムース氏は散々な目に合ってしまう。一方で素材を求めて街に出ればなぜか怪しげな尼さんがたむろし、どこかキナ臭い空気も漂っている。もしやVIPらを狙ったテロリストたちが? 荒事にはまったく興味の無いパンプルムース氏とポムフリットだったが、偶然知りあったサーカスの少女の負傷をきっかけに、望みもしない“国際的な陰謀事件”に巻き込まれる!」
G「というわけで、今回はいつになくミステリ味……というか007風味が強めで、美食趣味の方は逆に抑え目という、シリーズとしてはやや異色のお話でした。奇妙な謎がちりばめられ、ちゃんと伏線も張られトリックも仕掛けられているし、ラストには大アクションやどんでん返しだって用意されてます――もっとも、にもかかわらず主人公は謎を解く気が全く無いんですが(笑)」
B「まぁ、この主人公は何時いかなる場面に臨んでも、食べものと美女のことっきゃ考えてない、いかにもフランス人な(なのか?)おっさんだからね(笑)。しかし、やっぱこういうミステリ味の強いお話はあまりキャラに合わないし、無理にミステリしなくてもよかったんじゃないの? だいたいフランスの威信を懸けた“究極のメニュー”なんてフレコミのわりには、肝心の美食描写はいつになく控え目だし、ポムフリットの活躍もいまひとつだし。この点はおおいに物足りなかったね」
G「まあ、シリーズに変化を付けるという意味で、たまにはこういうのも楽しいじゃないですか。“例のトリック”なんか、(全然期待してなかったせいか)ぼくは結構びっくりしましたよ」
B「うーん。こういうのは寅さんなんかと同じで、ワンパターンであることが重要なんだと思うけどねえ。いつもの店のいつもの味、という安心感みたいな。ま、気楽に読めて気楽に愉しめるエンタテイメントとしては、今回も変わらずアベレージだと思うけどね」

 
●小説を読むことの喜び……半身

G「サラ・ウォーターズさんは、本邦初紹介の作家さんですね。しかもまさに鳴り物入りの登場! という感じの長編、『半身』です」
B「初めて触れる作家なのになんとなくお馴染みのような気がしてしまうのは、『氷の家』のミネット・ウォルターズに名前が似ているから――というのは、この作品の書評子が決まって口にするフレーズ(笑)。サラだっているもんね。サラ・パレツキーとか、サラ・コナーとか」
G「サラ・コナーは映画のキャラクタでしょ。ともかくボケはそれくらいにして――この英国の女流作家さん、本国でも98年でビューでまだ3作しか発表してないんですが、その3作全てが各種の文学賞の候補になったり受賞したりしているという。なんちゅうか各方面非常に評価が高い新進作家さんです。今回邦訳された『半身』を読むかぎりでは、卓抜した描写力・構成力で描くタクラミに満ちた歴史小説幻想ミステリ風味――みたいな作風に思えますが、実はこの方、一作ごとにガラリとタッチを変えるそうなので、今回のこれもあくまで作者の一面ということなのでしょう」
B「ブンガク的にどーかなんて私にゃよーわからんけどさー、この人って何よりまず天性の娯楽作家なんだと思う。あの卓抜な技巧と構想力、描写力があれば、たぶんどんなものを書いたって面白いものになるよ」
G「……ううむ、ayaさんにそこまでいわせる作家も久しぶりですよね〜。ま、まずはともかく内容をご紹介いたしましょう。えー、舞台はヴィクトリア朝英国のミルバンク監獄。ある日“この世の地獄”と謳われたこの牢獄を、1人の若い令嬢が訪れます。裕福な家庭に育った令嬢マーガレットが“可哀想な”女囚たちを慰問するべくやってきたのです。淑女の目には地獄にも見紛うようなその牢獄の一室で、マーガレットは1人の不思議な女囚に出会います。牢獄では手に入れようもないスミレの花を手に、神秘的な静けさをまとうその少女・シライナは、霊媒。ある降霊会の席上でパトロンの婦人をショック死させた罪を負い、ミルバンクに投獄されていたのです。マーガレットに霊媒はいいます。夜ごと牢獄を訪れる目に見えない不思議な友だちが、あのスミレの花を届けてくれたのだ――と。奇妙に満ち足りた彼女の表情に心引かれたマーガレットは、やがて繰り返し繰り返し彼女のもとを訪れるようになります……そして」
B「基本的にはマーガレット自身の日記という体裁で物語は進み、その随所随所にシライナが綴った一年前の日記、すなわち彼女が投獄されるに至るまでの記録が挿入されていくカタチだね」
G「ミステリ的に捉えれば、物語全体のキーになるのは降霊術、ひいては死後の世界/霊の世界の存在の可否ということになるんですが、これは多くの評者がおっしゃっているように、無理にジャンル分けせずに読み進めたほうが良いでしょう――なにせヴィクトリア朝はいわば科学万能主義の夜明けの頃である一方、かのコナン・ドイルが降霊術に嵌まって心霊研究に没頭したというよく知られた事実からも明らかな通り、科学とオカルトが対立しながらも微妙に共存している時代だったんですね。したがって降霊術も“この世界ではあり”なのかもしれないのです」
B「もっとも、マーガレットの繊細な心理描写が延々と積み重ねられていく前段は、令嬢でありながら二重三重の桎梏に縛られたマーガレットと、牢獄にありながら“自由”を失わないシライナの世界の対比が実に鮮やかで――徐々に理性を失っていくマーガレットの思いは、どんな読者にもごく自然なものとして受け入れられるはず。素直に読み進めればおのずとマーガレットに感情移入し、常識と非常識のハザマで宙吊りにされたまま、たっぷりとサスペンスを味わうことができる仕掛けになっている」
G「シライナが投獄されるきっかけとなった事件の秘密と、マーガレットを縛る過去という2つの秘密の隠し方も実に巧みですよね。シライナとマーガレットの2つの手記が最後の最後で交わったとき、2人の女性の真実が交差し、秘められていたもう一つの現実が姿を現す……というわけで。この雄大にして巧緻をきわめた構成の妙といったら! むろん本格ミステリとは呼びにくい作品なのは否定できませんが、それでいて上質な本格ミステリを読んだ時の感興によく似た満足感がたっぷりと味わえます。ここまで見事にやられたら、ぼくなんぞはもう本格と呼んじゃっていいんじゃないかとか思っちゃいますね」
B「アホか、それは違うわい! きみはすぐそうやってスットコドッコイなことを云うから困る。むろん本格読みのみなさんにも諸手を上げてお勧めしまくり、ではあるものの、これはどーみたって本格ではない。というかさー、とりあえずそーゆーカテゴライズは脇において虚心坦懐に楽しむべし、なんだよね。なんたってこいつには、小説を読むことの喜びが隅から隅までぎっしり詰まっているんだから!」

 
●豊かな枝ぶり・痩せた幹……空を見上げる古い歌を口ずさむ
 
G「この作家さんの作品を読むのは初めてでした。小路幸也さんの『空を見上げる古い歌を口ずさむ』は、第29回メフィスト賞受賞作。メフィスト賞って、いつの間にやらハードカバーで出るようになったんですかね」
B「賞としてエラくなったってことかしらん(笑)? タイトルといい、装丁といい、内容といい――そうといわれなければ絶対メフィスト賞の受賞作品だとは思わなかったろうな」
G「不思議な作品ですよね。ミステリのようでもあり、SFのようでもあり、ファンタシィのようでもある。夕焼けの街を描いた淡彩画みたいなイメージで、ノスタルジックな雰囲気がいっぱい。メフィスト賞っぽい尖ったノリや毒っけはあまり感じられません」
B「まあ、毒にも薬にもならないともいえるが……とりあえず内容を紹介しよう」
G「“みんなの顔がのっぺらぼうに見えるんだ”――息子のその言葉を聞いて、“ぼく”はふいに1人の少年のことを思いだした。息子と同じように“のっぺらぼう”を視てしまった少年、20年前に姿を消した兄・恭一のことを。20年ぶりに連絡をとった“ぼく”にむかって兄はいう。“会いに行くよ、すぐに”。そしてやってきた兄は、遠い日の夏休みの思い出を話しはじめる。パルプ町と呼ばれていた故郷の町で兄が遭遇した、奇妙で恐ろしい事件のことを」
B「その夏のはじめに原因不明の熱を出した恭一は、回復すると同時に“まわりの人がのっぺらぼうに見える”ようになっていた。わけもわからず人にいうこともできずにいた彼は、それでも少しずつ“そのこと”に慣れていった。しかし、知り合いだった警官の自殺を目撃してしまったことをきっかけに、身の回りで不吉な事件や事故が起こりはじめる。“呪われた”赤いノートを持って失踪したクラスメート、“顔のある”人間との出会い、釣具屋の主人の不可解な病死……やがて恭一は、全ての事件の焦点に自分がいることを知る」
G「異世界ミステリ風の発端から『盗まれた街』(フィニイ)を思わせるSFホラー風味へ展開し、結末はファンタシィ……感触はかなり違いますが、スティーヴン・キング風のジャンルミクス・エンタテイメントという感じですね。“のっぺらぼう”や警官の自殺の謎など、日常とホラーの境目っぽい事件のイメージが、“遠い日の夏休み”というノスタルジックな舞台に巧く調和して雰囲気は抜群。リーダビリティもかなり高いと思います」
B「たしかに前半部の雰囲気の演出は堂に入ったもんだよね。個々の事件のエピソードも“少年の視点”が巧みに活かされて、ほどよく不気味で、ほどよくリアルで、ほどよくファンタジック。“これはなかなか”とか思っちゃうんだけど、残念ながら中盤以降物語は急速に失速する」
G「そうですねぇ。ちょっとまとまりに欠けますかね」
B「ラストなんてじつに通俗的かつ工夫の無いファンタシィ落ちでさ……要するにいろんなジャンルから面白げなネタをちょこちょこ集めてちりばめたあげく、それをまとめきれなくて安直に投げ出したって感じ。意味あり気に“大きな物語の存在”なんか匂わせているけどさ、なんか連載打切りを命じられて大慌てでまとめた長編マンガの“最終回”みたいで、なんとも消化不良な結末になっちゃったことに変わりはない。きょうびライノベだってもう少し工夫するぞ!」
G「うーん、でも捨てがたいんですよね。少年時代の回想譚という体裁も好きだし、全編に漂うほのかに甘いノスタルジックな雰囲気は抜群なんですよね」
B「きみはこういうのを偏愛しとるからなー。映画でいえば『スタンド・バイ・ミー』とかさ、こっそり1人で何度も見ちゃそのたび泣いてるクチだろが」
G「ほ、ほっといてください!」
B「まぁそんなこたぁどうでもいいが、結局この作品は、個々のエピソードとそのノスタルジックな演出だけが取り柄といわざるをえないだろうね。核となる物語の幹については、前述の通りほとんど何も考えられてないし、全体の構成や語りの手法も失敗している。“兄が語る昔話を弟とその家族たちが聞いている”という設定が、回想の物語の中で何度も何度も繰り返し強調されるもんだから、そのたび“現実に戻って”ノスタルジーな雰囲気はぶち壊しにされるんだよ。“過去の事件の当事者だった兄”が主人公なのか、それを聞いている“現在の事件の当事者である弟”が主人公なのか――無駄にややこしい設定のせいで、感情移入のポイントが分散されてしまうんだな。ストーリィ同様統一感がないつーか……これもやっぱり作者の計算違いだろう」
G「繰り返しになりますが、世界観やそのパーツは本当に魅力的なんですよ。“顔がある人間”との出会いも、不吉な失踪のエピソードも……特に警官の自殺を目撃した恭一のジレンマの話なんて素晴らしい。恭一はその“現場に居合わせた人物がいたことを知っている”けど、“人の顔がのっぺらぼうに見えるためそれが誰だか分からない”――この設定なんて、まんま“異世界本格”として使えるし、いっそそうしていればダンゼン面白くなったはずなんですけどねぇ」
B「そうだな、私もじつはちょっとだけ“そっち方面”への展開を期待したんだ。だからなーんの工夫もなく“犯人”が登場したときは心底がっかりしたよ。ま、世の中そう巧くはいかない(笑)」
 
#2003年7月某日/某スタバにて
 
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