「黒猫葉月の冒険」
 
原案:葉月さん(人間) 脚色:MAQ
 
ごぞんじ連覇の名探偵・葉月さんのお寄せ下さった迷答を、MAQが小説スタイルにアレンジしたものです。ある前提さえクリアしてしまえば、これこの通り。このトンデモな解答でも成立してしまうんですよねえ……。
 
act5「J・D・Lを愛しすぎた男」(問題篇)に目を通してからお読み下さい。真の解決篇のネタバレはありませんので、未解決の方もどうぞ。
 


 
「猫にだってのぼれない……」
夢うつつでまどろんでいた私は、彼女のその言葉に思わず耳をそば立てて薄眼を開いた。やれやれ……猫でもないあなたが、どうしてそこまで言い切れるのかしら? これだから人間ってやつは。もしも私が人間だったら、肩をすくめてため息のひとつもついたところだろう。もっとも人間なんて、あんな鈍感で不潔で悪趣味な動物に生まれ変わるのは、猫神様に頼まれたってお断りだけど。
ま、いうだけ無駄ね。私は尻尾を床に打ちつけながら、彼女が“私の召使い”という高貴な職務に相応しい存在といえるのかどうか、あらためて憂鬱な自問自答を繰り返してみた。しかし答えは余りにも明確で、かつ退屈なものだった。不毛な問答にたちまち倦んだ私は、いつの間にか微睡みながら昨晩のささやかな冒険を思い返していた。
 
1
自慢するわけではないけれど、私は習慣というものを何より重んじるタイプの主人だ。午前、午後、夜、深夜と、寝場所はきちんと分けているし、食事だって決まった時間に決まったメニューが饗されてしかるべきだと思っている。まあ、土曜の晩餐メニューが鴨のテリーヌからレバーペーストに変更される、といったささやかなアクシデントなら、大目に見てやるのにやぶさかではないけれど。
しかし、昨晩のあれはどう考えたって許せない。いくら大層な事件が起こったとはいえ、きれいさっぱり夕食の用意を忘れたあげく、二時間遅れで、しかもあの不愉快きわまりないネコマンマを私の前に出すとは! 何事にも努めて遠慮深く慈悲深い対応を旨とする私にとっても、これはどうしたって許しがたい冒涜だった。
早速私は“使用人ども”の話を聞いて回り、くだんのアクシデントの原因を探った。検討するまでもなく原因は明らかだ。けれど同時に、彼らの対応を見るかぎり、こうしたことが今後も幾度となく繰り返されるだろうことは容易に予想できた。情けないことに、すでにクセになってしまった溜め息をまたひとつ。私はかねてより柱で研ぎ上げておいた右前脚の爪を見つめた。……準備がいい? いや、爪研ぎは猫族としての習慣、というより矜持の問題なのよ。ともあれ、こうなったらはなはだ不本意なことではあるけれど、私自身が手を下して処理するしかない。そう決めたのは、深夜も零時近い時間のことだった。
やがて時計の針が一本になり、時鐘が重々しく12を数えた時、私は甘い微睡みから抜け出して全身を伸ばし、ついでに身体を軽く清掃した。時は至れり。
ぴんと耳を立てて館の各部屋の気配を窺うと、どうやら“対象”は寝室を抜け出して玄関広間に向かっているらしい。私は前脚の爪の研ぎあがり具合をもう一度確かめてから、軽いステップで後を追った。
玄関広間に着いたところで、私はいっとき“対象”から目を離し、そこに積んであったTV屋どもの荷物を引っ繰り返しておくことにした。なに、単にあの薄汚い闖入者どもが、わが物顔でわが領地を歩き回るのが気に入らなかっただけよ。どうせ明日はやつらも使用人どもも大騒ぎして、やつらの眷族の1人の仕業にしてしまうに決まっているのだから、私が糾弾される恐れはないわ。
おっと、くだらないことをやってるうちに“対象”を見失ってしまうところだった。私はスピードをあげて“対象”の後を追った。しかし、どうも私は遊び心が猫一倍強い猫らしい。途中、またしてもお遊びの誘惑に負けてしまった。廊下に並ぶドアの1つの向こうから怯えた人間の気配が伝わってきたので、遊び半分にスピードを着けて壁を駆け上がり、天井近い明り取りの窓から中を覗いてやったのだ。逆光だったせいか、中の住人は私の顔まで確認することはできなかったようだけど、ベッドの影から漏れる押し殺したような悲鳴がかれの怯えっぷりを証明していた。さあ、今度こそ真面目に追跡しなくちゃね。私は“対象”の後を追った。
大広間に辿り着くと、しかし“対象”は思いのほか素早い動作で私の鼻先でドアを閉じてしまった。しばらくドアの前で待ってみたが、中の様子は厚い木の扉に遮られて窺いようがない。どうしたものか。このままここで待つことも検討したが、結局イヤな仕事は早くすませるに限る、と至極当然の結論に至った。私はいったん玄関にもどり、専用のドアを抜けて外へ出た。
 
2
思いがけず雪までちらつくという不愉快な天候に思わず舌打ちしながら、私は大広間のある塔屋に向かった。足の裏が冷えきって刺すように痛む。まったく、“使えない”使用人のせいで、主人たる私がこんな労苦を強いられなければならないなんて! 塔屋に着いた私は、世の中の矛盾というやつを苦く噛みしめながら、塔の壁面を登り始めた。「猫にも登れない」ですって? それは「猫に“しか”登れない」の言い間違いでしょ! マンションの上層階に登ってベランダの小鳥を賞味するのは、都会に暮らす猫族の初歩的な嗜みの一つであると聞く。それに比べればこんな凹凸の多い塔、わが猫族にとって平地を行くのとさしたる違いはないのよ。
ようよう塔の頂部に辿り着くと、うっすら雪で覆われた広い平面は奇妙な異物でべったりと覆われていた。ふむ、どうやら布らしいわね。ノープロブレム。前脚を一閃させると、布はたちまちぱっくりと大きく口を開け、私はそこから身体を潜り込ませた。そのままの勢いで塔屋の内側を這い下りるのに要したのは、数分程度に過ぎなかった。
闇、そして静寂。部屋の中央に儚げに灯されたランプのそばに、“対象”はただ黙って座り込んでいた。見ると膝の上に載せたランプに目を落とし、ブツブツと何事か呟いている。あたりはぬめるような、まとわりつくような一面の闇。しかし黒い毛皮を一着に及んだ私にとっては、闇はそのまま格好のマント。文字通り闇をまとって、私は歩を進めた。床一面の砕けたガラスを踏んでは跳び踏んでは跳びしながら、音もなく“対象”の背中に忍び寄る。そのまま跳躍いちばん、車椅子の背の部分に飛び乗った。
目の前に“対象”の歪み萎んだ首筋がある。私は右前脚を振り上げ、黒いビロードのようなその先端から研ぎ上げた三日月型の爪を繰り出した。
ごめんなさいね。私はこの館の主人として平和を守る義務があるのよ。いわゆるNoble obligeってヤツ。悪く思わないで、頂戴……。
身を乗り出すようにして右前脚を“対象”の喉元に回し、爪先を深々と“対象”の喉に突き刺す。そしてそのまま一気に電光の疾さで引き裂いた。ざあ、と音を立てて喉元から迸った鮮血は前方に飛び散り、ランプに照らされた薄い積雪の上に深紅のアブストラクトを描く。
“対象”は声もなく絶命した。
私は爪先に付着した僅かな血痕をゆっくりと嘗めとり……その味に思わず顔をしかめた。人間の血は甘いっていうけど、嘘ね。それとも辛い義務を果たしおえたことの苦さかしら。
私は車椅子を降りると、わずかな暖を求めて部屋の隅に移動した。むろん足跡など残さない。雪の表から付きだしたガラスの破片を踏み渡り、暗がりに身を潜める。壁面を登ってもよいけれど、どうせ朝になれば誰かがやってくるのだから、ここでそれを待てばいいだろう。お粗末な人間の視力では、闇に溶け込んだ私の黒いドレスは見分けられるはずもないし、たとえ見つかったとしても……それが何?
主人が意に沿わぬ召使いを処分するのは、当然のことよ。ね。
 
Fin
(2001.03.21脱稿)


 
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