ミステリのヨモヤマ話を楽しむ
 
【その2】
 
「ミステリー雑学読本」 デリス・ウィン編 集英社 初版1982年
今もあるかどうかは知りませんが、ニューヨークの西87丁目271番地に「マーダー・インク」という書店がありました。お察しの通りミステリの専門書店であるそこは、いわば全米のミステリファンの聖地であり、NY名物の一つなんだそうで。書店の主、キャロル・ブレナーは、いうまでもなくとんでもないミステリ通。ミステリについて知らざるはなし、というマニア中のマニアでありまして……そんな彼女がデリス・ウィンという編集者の手を借りて、モノしたのがこの一冊。 
新聞や雑誌に掲載されたミステリに関するありとあらゆるエッセイやら評論を集め、マニアの眼で選び抜いてまとめ上げたという次第です。内容はといえば、座談会の席上パーカーばりにホールドアップを始めるリチャード・スターク。ぶつぶつと作家稼業への文句ばかりつぶやいてるジョイス・ポーター。アルバート・サムスンの意外な誕生秘話をネタにノロけるマイケル・Z・リューイン等々、多士済々の顔触れがまことに楽しげに、時には意外な素顔をのぞかせながら、ミステリのあれこれについて語るというまことに愉しい一冊。原著は500ページを超える大冊ですが、日本版は残念ながら抄訳。ぜひとも完訳版を出していただきたいものですね。
 
 
「夢想の研究」 瀬戸川猛資 早川書房 初版1993年
最近物故された瀬戸川さんのもう一つの代表作。名作と名高い「夜明けの睡魔」でもちらちら覗いていましたが、この方はミステリマニアであると同時に大変な映画ファンでもありまして。副題に「活字と映像の想像力」とある通り、このエッセイ集で瀬戸川さんはミステリと映画の双方に対する愛情と鑑識眼、博識、そして豊かなイマジネーションでもって、実にユニークかつ大胆きわまりない「説」の数々を生みだしていきます。 
たとえば……「骨の髄までガチガチの本格謎解きミステリ映画」としての「十二人の怒れる男」。あるいは特撮メインの映画に見える「ロジャー・ラビット」に仕掛けられた「とんでもないトリック」と史上最も意外な真犯人。さらには、ごぞんじクイーンの「Xの悲劇」を換骨奪胎して生まれたのが、映画史上最高の傑作といわれるあの作品だ! という珍説まで。縦横無尽といおうか、天馬空を行くといおうか。作者のイマジネーションの翼に乗ると、見慣れたはずの景色がまったく違うもののように見えてくる、というわけで。その蘊蓄ぶりは言わずもがな、ものの見方・捉え方について、新鮮な衝撃と示唆を与えてくれる一冊です。
 
 
「ミステリーと色彩」 福田邦夫 青娥書房 初版1991年
学者だの医者だの弁護士だの、お堅い職業人がじつは大のミステリ好き、というのはよく聞く話。なかには趣味が高じて創作を始めたり、ミステリエッセイを書いたりという方も少なくありません。そうした場合、それぞれの専門分野の視点で書かれる場合が多く、医師によるメディカルサスペンス、弁護士によるリーガルサスペンスなど、もはや珍しくもありません。 
しかしこの作者のケースはかなり異色です。すなわち色彩学の専門家によるミステリエッセイ。色彩論というかなりマイナーな、ぼくらにとって馴染みのない視点からミステリを捉えるという趣向で、古今東西のミステリ中に登場する色彩の話題・文章を色彩学的に分析しています。たとえば「黄色い部屋の謎」は、なぜ「黄色」なのか? 考えると不思議ですよね。別にトリック上の必要があるでなし、「血染めの手形」の効果を高めるなら白壁の方がいいはずです。……作者はこの謎を、欧米人の「この色」に対するイメージを分析し、そこに隠されたメッセージを探り出します。その分析・推理はまさに名探偵のよう。なるほどねえ、こんな読み方があったんだと、思わず膝を叩くこと必至!
 
 
「乱歩と東京 1920 都市の貌」 松山巖 PARCO出版 初版1984年
この本の出版はおよそ15年前。東京では、あのバブルが沸騰する直前といった時期にあたりましょうか。当時既に東京ではそこかしこに高層ビルが建ち、街全体が工事現場のようになり始めていましたが、それでもあちらこちらに「時代に取り残されたような」レトロな建築や路地、商店街が残っていた気がします。それは東京の都市文化が花開いた1920年代の残照であり、東京という街が持っていた「魔力」のささやかな残滓であったかもしれません。そして、この「東京の魔力」をだれよりも愛し、またそれを独特の作品世界に昇華させたのが、江戸川乱歩という作家です。 
この本は著名な建築家である作者が、(当時の)東京に残っていた「乱歩的世界」を辿りつつ、「二〇年代と現代、二つの都市文化を現像」した一冊。都市文化という背景から乱歩作品を逆照射していくというその試みは、それ自体さほど珍しいものではありませんが、建築家という視点を加えることにより、それはもう一段深みが増し……闇の色を濃くした魅力的な考察となりました。豊富に添えられた旧・東京の写真類も、読者が「うつし世の夢」を見る助けとなることでしょう。
 
 
「ミステリ亭の献立帖」 東理夫 晶文社 初版1988年
最近、「食べる」ことへの情熱がめっきり衰えてしまいました。昔はそれでも人並みに名店と呼ばれる店を食べ歩いたり、そこで常連と呼ばれることに密かな満足感を覚えたりしたものですが、もはやそんな余裕はとんとありません。いまや、そんなことに割く時間やお金があるなら別のことに使いたいという具合で……なにやら逆しまな歳の取り方をしてしまったようで、どことなく業腹。ですが、「食」にまつわるエッセイや小説を読むのは相変らず大好きで、ずいぶん集めています。当然、ミステリにまつわる「食」の本も多いわけですが、お気に入りといったらこの一冊でしょう。 
内容は古今東西のミステリの食事シーンを抜き出し、くだんの料理にまつわる洒落た蘊蓄をひとくさり。それぞれ簡単なレシピもつけて、52編のエッセイにまとめてあります。登場するミステリ作品は欧米のハードボイルド・冒険小説系が中心で、それだけにざっけないジャンクフードが多数登場するのも好みですね。……とはいえそればかりというのもやはりいささか味気ない。できれば今度は、豪勢なフランス料理なぞも登場する本格ミステリ編を書いていただきたいですね。
 
 
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