半睡劇場
  
映画を劇場で観ているとき、腹が立つことってありませんか? 
いえ、映画の内容のことではなくて。 
ぼくの場合は、何が腹が立つって「他人のいびきを聞かされること」くらいイヤなものはありません。 
「音」としてうるさいというより、いびきというものが連想させる「日常」がイヤなんですね。 
物語にぶりぶりに感情移入してるいても、アレを聞かされると一挙に現実に引き戻されてしまうというか。 
それこそ、夢から覚めたようになってしまいます。 
ぼくは劇場に行くとき、なるべく空いている時間帯、すなわち平日の朝いちばんとか昼下がりを狙います。 
そのため、そういう人=爆睡なヒトタチに出くわすケースが多いのですね。 
そもそも劇場が混んでる時間帯に来ている人は、基本的に「観たい」人ですから、
眠り込んじゃうことはまずありませんよね。 
ところが、ぼくが行く時間帯の観客というのは、そうでもない人がけっこういる。 
「仕事をさぼってる営業マン」とか、 
「リストラされて行く当てがないけど家族には会社に行くといって時間つぶしてる元課長」とか。 
直接問いただしたわけではありませんが、 
見た感じ「それとおぼしき風体の方」(ほぼ100%男性)であるケースが多いわけです。 
つまり、そういう方たちというのはなかば「寝に来る」わけで……そう考えるとますます腹立たしい。 
目の前の席だったりすると、思い切りシートの背中を蹴り飛ばしてやりますが、離れた席ではそれもならず。 
わざわざ後ろの席にいって蹴るのも馬鹿みたいだし、結局はガマンして、いよいよ不愉快になってしまうという。 
いずれにせよ、まったくもって許し難いとダンゲンしちゃいます。 
  
ところが、そのくせまことにお恥ずかしい話ですが、 
実はたまに、ぼく自身が寝込んでしまう場合がないではないわけです。 
いや、さすがにいびきはかいてない、はずなのですが……。
さて。
問題はそうやって夢うつつで、寝ては醒め醒めては眠りという夢うつつの状態で観ると、
なぜか不思議なくらい「キモチのいい映画」がある、という点です。
もちろん、言語道断。かつ邪道きわまりない鑑賞法であるわけですが、
そうやって半睡半醒の白昼夢めいた状態が、映画の内容に異常にフィットするというか。
たとえば、ぼくにとってそれはフェリーニ。特に「8 1/2」が「そういう映画」なのです。
あの映画史に残る傑作を、ぼくはたしか5回ほど観ていますが、
実はうち3回くらいはウトウトしながら見ていたんですね。
もちろんわざとではありませんよ。仕事が忙しくて疲れてたから、です。
でもねえ、これがとてつもなく気持ちいい体験だったんですよ。
 
たとえば徹夜明けの、ある、昼下がり。
劇場の温かい座席に深く、沈み込むようにして座り、シートに頭をあずけます。
するともうたちまち……。
あーいかんいかん、と思いつつも、こう温かくて重たく粘っこい眠りの沼に、ぐぐぐーっと引きずりこまれていく。
で、数分。
今度は、藻掻きながらぷかーっと覚醒の表面に浮き上がってきます。
と、たちまち目の前に「8 1/2」のハイライト気味のモノクロ画面が、
ぼんやりと浮かび上がってくるわけですね。
すると……もともとあの映画は全編が「白昼の幻想」めいた映画なんですが……
それがもう、まるきり本物の白昼夢みたいに思えてくる。
自分自身が悩める映画監督になってしまったような。
主人公の幻想がそのまま自分の見ている夢になってしまったような。
ついには「8 1/2」という映画の一部になってしまったような。
そんな状態で、ゆらゆらと果てしなく漂いつつ睡眠と覚醒のラインを超えたり戻ったり。
何度となくそれを繰り替えすうちに、
どこからが映画でどこからが自分の夢なのか、じょじょに区別が付かなくなってくる。
ひとつづきの白昼夢のなかを、どこまでも浮遊しているような気分になってくる。
フィルムの断片と己が白昼夢の欠片が、幾重もの薄い白昼夢の毛布となってゆるゆる積み重なり、
さながらミルフィーユにように頼りなく儚げな「夢の地層」を織り上げていく。
そのたとえようもなく甘美なこの心地よさは、ちょっとほかには比較できるものがありません。
 
……どうもこう書くと、単に眠いときに熟睡することのヨロコビにも似ているのですが、
とりあえず断じて違います! とダンゲンしておきましょう。
それを確認していただくためにも、皆様にもぜひ一度お試しいただきたい、とは思いますが、
むろんこれは覚醒した状態では味わいようがないでしょうね。
しかも、これって自宅でビデオにてというわけにはおそらく行かないわけで。
思うに、劇場という「パブリックな場で眠る」ことの「ささやかな後ろめたさと不安」。
そういうものが、この場合、どうしても欠くことのできない調味料であるような気がするのです。
すなわち、お試しになるなら劇場で。
ということになりますが……むろん、くれぐれもいびきにだけはご注意くださいますよう。
 
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