喝  采
 
10年ほど前のことです。ぼくは香港にはまっていました。
香港映画ばかり見て、香港関連の本ばかり読んで、もちろん毎年のように香港にでかけて。
いっそここで働こうか、とまで思ったりもしました。
といっても、あちらへ行っても、何をするでもなく、ただひたすら街を歩き回っていただけなのですが。
でも、映画館にはよくいきましたね。信じられないくらい安いし、空いてるし。居心地のいい場所でした。
ところで、香港の映画館は全席指定です。
窓口でお金を払うと座席表を見せられ、空いている好きな席を選べます。
そしてお姉さんがその席番を書いた半券をくれて、案内嬢ならぬ案内爺が、懐中電灯つけて席まで連れていってくれる。
しかもここでは上映中も煙草がOKなんですね。
いえ、まあ一応ノースモーキングとか書いてあるんですよ。あるんですけど、いうこと聞くやつなんて1人もいない。
映画の本編が始まると、あちこちでライターがカチカチ鳴って、みんな盛大にプカプカやり始めるわけです。
まあ、こんな無法地帯現象は、ぼくが行ってたような場末の劇場だけなのかも知れませんが。
 
そしてもう一つ。
観客がきわめてナチュラルに、あからさまに、感情を表現するのも香港の映画館の大きな特徴の1つです。
悪玉が陰謀を巡らせれば怒号を上げ、ヒロインが危機に陥れば悲鳴を上げ、善玉が勝利すれば観客総立ちで拍手喝采する。
前の方の席だと、後ろからポプコーンだの新聞紙だの飛んでくることさえあるほどで、 実になんとも賑やかなことこの上ない。
ぼくも、最初は驚き、呆れてしまいましたが、
そのうちいちいち気にしているのがバカバカしくなって、一緒になって騒いでみました。
すると、なんだかえらく愉しいのですね。
なんというのかな、全身全霊で感情移入してしまうというか。映画館全体が作品中の主人公とシンクロしてしまうというか。
ほら、コンサートなどで、ときおりあるじゃないですか。
プレイヤーと観客の呼吸が1つになり、ホール全体が幸福な一体感に包まれる、あの瞬間。あれです。
そんな時はさすがに終映後どっと疲れてしまうんですが、それもなんだか妙に爽快な疲れ方で。
それこそ風呂上がりみたいにさっぱりした顔して、劇場を後にすることができる。
当然ながら、俳優の演技がどうの、演出がどうのなんて話はできませんが、
映画の1つの楽しみ方として、これは実に圧倒的に正解なのではないか、とも思ったのです。
 
日本の映画館、ことに東京のロードショー劇場などでは、観客総立ちどころか終映後の拍手さえまず聞くことはありません。
せいぜいホラー映画の上映中に、女性の押し殺した悲鳴を聞かされるくらいで、
上映途中で拍手なんぞしようものなら隣席の観客から注意されてしまう。
あくまで慎み深く、礼儀正しく、抑制されていて。
どれほど痛快なエンディングを目にしても、終映後はみなさん粛々として席を立ち、劇場を出ていく。
大人の態度、といいましょうか、それはそれで立派なことだと思うのですが、なんとなく物足りない気がしないでもない。
実際、大騒ぎしながら鑑賞した方が楽しい映画というのはたしかにあるわけで、
しかもそういう映画の場合、制作者の側も「そういう見方」を望んでいるように思えるのです。
 
実は、東京のロードショー劇場でも、終幕後に観客が拍手喝采するという光景を、見たことがないわけではありません。
その1つが「スターウォーズ」第1作。初日第1回上映の時のことです。
「スターウォーズ」第1作は、ご記憶の方も多いと思いますが、
公開の1年以上前から膨大な情報が流され、前人気をあおりにあおっていました。
結果、見てもいないのに「スターウォーズ博士」になってしまった若者が大発生して(ぼくも、その1人でした)、
公開初日の劇場は、そうした連中の期待感と幸福感ではちきれそうになっていました。
そこにはすでにある種の共同体感覚?戦友気分?みたいなものが生まれていたような気がします。
だからこそ、ルークのXウィングが放ったミサイルがデス・スターを粉砕した瞬間、
観客全員がだれにも気兼ねせずに歓声をあげることができた。
長い長いエンドタイトルに拍手し続けることができた。
劇場全体が幸福な一体感に包まれる、という希有な瞬間を味わうことができたのです。
その時ぼくは、単に映画を「鑑賞」したのではなく、いわば自分たちの一部として「共有」したのです。
 
ところであなたは、映画館で拍手したことがありますか?
拍手したい、と思ったことは?
どちらの問いの答えもNOだとしたら、それはちょっとばかり不幸なことかも知れません。
だって、エンドクレジットが出た瞬間、拍手することはけっしてマナー違反ではないのですから。
いえ、それどころかそれは、制作者にとっても劇場にとってもそれは最高の栄誉であるはず。
そしてもし、あなたの拍手に、他の観客が参加してくれたら……。
その映画はあなたの心にいっそう深く刻み込まれるはずです。
そう、もっとも幸福な映画の1本として。
 
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