裏街の歌姫

 
港という街の愉しみのほとんどは、街歩きに尽きると思います。
たった150年ほどの歴史しかない都市に、そもそも観光に値するものなんて存在しないし、
中国4000年の歴史とやらも植民地文化とごちゃまぜになって、何やらわけのわからないハイブリッドになり果てています。
また、美しい自然がないわけではないけれど、その多くは中国との国境付近(今はもうないのかな)に広がっていますから、
それならいっそ中国側に出た方が賢明というものでしょう。
結局、旅人は日毎憑かれたように街へ出ることになるわけで。
猥雑で怪しげで下品で毒々しく、目にも耳にも肌にもけたたましい喧騒が交錯する街路を、ひたすら歩き回ることになるのです。
 
くがかつて香港にはまっていたとき、
よく通ったのは廟街(ミュウガイ)や女人街(ノイヤンガイ)といった屋台街でした。
九龍サイドの地下鉄を油麻地(ヤオマウティ)という所で降りて地上に出る。
そして、賑やかな表通りに背を向けて進んでいくと、そこが廟街(ミュウガイ)と呼ばれる一角です。
昼間行ってもクルマが行き交うだけのなんということはない裏通りなのですが、ひとたび日が落ちれば景色は一変します。
さして広くもない通りの両側が、500〜600メートルくらいにわたり、
色とりどりの小販(屋台)でぎっしり透き間なく埋め尽くされるのです。
いうなれば常設の万年縁日のような風情。
だが、むろん縁日ではありませんから、売っているのは実用品が中心です。
衣料、電気製品、時計、薬品、薬屋、そしてもちろんさまざまな料理屋。
海よりの街路に逸れれば、肉、魚、果物などの生鮮食料品も山積みです。
鼻腔を殴りつけるような干し肉の強烈な匂い。水を張った盆に沈む巨大な蛙、亀(すべて食用)、魚、蝦。
そしてもちろん人々の喧騒。ざわめき。
こちらの店、あちらの店とのぞいていくと、2〜3時間なんてあっという間に経ってしまいます。
飽きるまで歩き回って腹が空けば、路傍に丸椅子を並べた屋台で小腕の麺をすすり、串刺しの餃子を齧る。
喉が渇けば生ぬるい生力ビール。
ちゃんとした屋根のついた酒樓や飯店には、だからめったに入りませんでした。
 
る夜、小販を冷やかすのにも飽きたぼくは、
ふとした気まぐれで廟街からさらに一本、裏道の横丁に入りこんでみました。
表通りの喧騒とは打って変わって、しんとするような静けさが漂うその通りにも、
しかしうらぶれた屋台が、ぽつりぽつりと間遠に並んでいます。
もちろん街灯などなく、小販のわびしいオレンジ色の灯が周囲の闇ににじんで溶けるかのようです。
とっさに、これはちょっとヤバいかな……と思いました。
香港は比較的治安のいい都市だけれども、観光客が行ってはならない場所というのもたくさんあるわけで。
ここがそうなのかどうかはわからないけれど、君子危うきに近寄らず、と思ったのです。
ぼくは何気なさを装って歩を返しました。
その時です。その響きを耳にしたのは。
遠く、近く。嫋々として啜り泣くようなその調べ。
胡弓です。
懐かしいような切ないような、甘さに満ちた胡弓の音色が、
夜風にまとわりつくようにして漂ってくるのです。
ぼくはつい足を止めました。
 
がて、胡弓の調べに魅かれるままに、ぼくは裏道の奥へ歩を進めました。
路は幾度か折れ曲がりながら、やがて小さな公園のような空き地に行き当たりました。
空き地には小さな人垣ができていて、胡弓の調べはそこから聞こえてきます。
侘びしげな灯が一つ、二つ、三つ。小さな羽虫がそこにまとわりついています。
人垣といっても大した人数ではありません。
十四、五人というところでしょうか、みんな地べたに並べられた丸椅子に腰を下ろしているようです。
そばへ寄ってみると、人垣の向こうは四角く仕切られ、そこにいちだん高く小さな舞台がしつらえてあります。
おりしもそこでは、先ほどからの音色の主……長い白髯を胸のあたりまで伸ばした老人が、古びた胡弓を奏でています。
こうなったら、君子もへったくれもありません。遠慮しいしい人垣に割って入り、ぼくも丸椅子に腰を下ろしました。
白髯の老爺は目を閉じ、飄々たる顔つきで胡弓を鳴らし続けています。
おそらくは中国の俗謡の類いでもありましょう。
嫋々として甘やかな調べは啜り泣くがごとく、やがて微かな余韻を残して終わりました。
 
客の間から小さな拍手が起こりましたが、老爺はニコリともせず、また次の曲を弾きはじめます。
すると舞台の後方からふいと1つの小さな人影が立ち上がり、同時に高く澄んだ歌声が夜空に響きました。
その人は思い入れたっぷりに歌いながら、滑るように舞台中央へ向かいます。
金糸銀糸に彩られた華やかな長衫、真っ白な羽扇。
高く結い上げた黒髪には幾つもの簪がさざめくように光り、
けぶるような眉宇の下には憂いを含んで黒く濡れる双眸。
そしてまた、その歌声。
胡弓の調べに絡みつき突き放し、高く舞い上がっては舞踊り、また舞い降りてはゆらめいて。
泣くがごとく囁くごとく。ひとの声というよりある種の楽器を思わせます。
美しいというより、まるでこの世のものではないような。
絵に描いたような歌姫です。
思わず溜め息が漏れました。
いつか見た映画の一場面のような、まるきり夢の中の光景のような……。
なんともいえぬ不思議な光景です。
歌姫はそうして、観衆からリクエストを取りながら息も継がずに5曲ほど。
歌いきって一礼すると、あっという間もなく、笑みを残して舞台の奥へと消え去りました。
取り残されたかたちの観衆からは、それでも盛んに小銭が飛び、老爺はそれを礼を言いつつ拾い集めます。
もちろんぼくも拍手しながら札を一枚、軽く丸めて舞台へと放ったのでした。
 
とえば翌日、
あの歌姫とどこぞの茶館かどこかで再会し、恋が生まれた……というのであれば、
お話はいよいよ映画じみてまことに結構なのですが、世の中そううまくはいきません。
あれからもぼくは何度か香港へ行き、廟街の裏道へも踏み込んでみたのですけれども、
実際には、あの歌姫にも胡弓弾きにも2度と会うことはありませんでした。
そのせいか今ではあの出来事全体が、
まるまる1つの長い夢であったような気持ちさえしています。
香港はいまや中国に返還され、数奇に満ちた植民地としての歴史を閉じました。
あの街角の楽師たちの身の上にも、さだめし大きな変化があったことでしょう。
今となっては、その行方を調べるすべさえないわけですが……。
今もときおり、夜闇に沈んだ寂しい街角など歩いていると、
遠く近く、夜風にのって、胡弓の調べが流れてくるような気がするのです。
 

 
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