時代を象徴し個性を代弁する、ミステリーの中の時計たち

【言わずもがなの前口上】
この文章は、ぼくが7〜8年前にある企業広報誌に書いたものです。
広報誌というメディアの性質上、こういった文章は読み捨てられるだけ。
もちろん本にしてやろうなどという奇特な方がいるはずもなく、けっこう苦労したのにそれはあまりにもフビン!
というわけで、スペシャルとして再録することにしちゃいました。
かなりの長文ですので、コピーしてお読みになったほうが良いかも。
ちなみに引用文献のセレクトにはミステリ評論家の西尾忠久先生のご協力をいただいています。
西尾先生にあらためて感謝いたします。(<もーとっくに忘れてるって!)
 

1 ブランドに無頓着な“名探偵”たち

 新刊をつぎつぎと読破していくようなミステリーファンはともかくとして、
多くの人にとってミステリーといえば、やはりいまだシャーロック・ホームズであり、
エルキュール・ポアロである場合が多いようだ。
いわゆる“名探偵”が登場する古典的ミステリーというやつだ。
しかし、今回のようにそこに登場する時計という小道具に焦点を当てようとすると、少々困ったことに気づく。
……ホームズものでもポアロものでも構わない。
試みにいわゆる古典的ミステリーを一冊、手に取ってみてほしい。
注意して読めばすぐにわかることだが、かりにその作品の中に時計が登場してきたとしても、
その時計のブランドまでが描写されていることは、おそらくめったにないはずだ。
ホームズものでいえば、ひとこと“懐中時計”と、ただそれだけの描写で済ませている。
 考えてみれば、死体の腕にはめられた壊れた腕時計でその死亡時刻を推定したり、
証人の時計をこっそり進めたり遅らせたりしてアリバイを作るためには、
その時計がロレックスだろうが、セイコーだろうが大した違いはない。
ようは時計でありさえすればいいわけで、
“名探偵”たちはその時計のブランドに対してはおよそ無頓着だったのである。
つまり、古典的なミステリーの世界では、
時計が謎解きのカギとなって脚光を浴びるようなことがあったとしても、
それはいわば「記号」としての時計。それ以上の役割を与えられることはけっしてなかったのだ。
 
 しかし、時代が移り、ミステリーそのものがしだいに成熟していくにしたがって、
作家たちの時計に対するあつかいも変わっていった。
神のごとき頭脳をもつ“名探偵”たちは次々とステージを降り、
代わってよりリアルな、人間臭いキャラクターたちがヒーローの座についた。
登場人物のキャラクター造形が重視されるようになったのだ。
そのための手段として作家たちは、登場人物の時計やファッション、酒などの
ブランドを具体的な形で描写しはじめたのである。
 いずれにせよ、時計という小道具がミステリーの中で謎解きのカギとして扱われることは、
現在ではほとんどないといっていい。
なにしろ最近の時計ときたら、めったなことでは壊れないし狂わない。
そもそもミステリーに登場する時計がもし壊れていれば、
百戦錬磨の読者としては、まず犯人の偽装工作ではないかと疑ってかかるのが常識。
陳腐なトリックなど披露しようものなら、鼻で笑われてしまうだろう。
ミステリー作家にすれば本当に「書きにくい」世の中だろうと同情してしまう。
 
 しかし、なかには時計をキャラクター描写の手段と同時に謎解きのカギにも使って、
鮮やかな効果をあげた例もある。
イギリスのB・デナムが書いた「二人のサード子爵」がそれだ。
英国の上流社会を舞台に、
貴族の父子がその二代にわたるスパイ容疑の汚名を晴らすという異色のサスペンス小説だ。
現在と30年前の事件とを交互に描くという凝った構成も楽しいが、
貴族しか入会できない[ホワイツ]クラブや骨董品か美術品のようなロールスロイスなど、
貴族社会のありようがうかがえる多彩なブランドが豊富にちりばめられ、
その意味でも興趣が尽きない一作となっている。
さて問題の時計が登場するのは、結末近くの一節である。
 
それはじつに平凡な時計で、くたびれた茶色の鰐皮のバンドの片方が、止金にとめつける先のところでぷつんと切れていた。側はステンレスで、きずだらけのガラスごしに“パテック・フィリップ社、ジュネーヴ”と文字盤にある名前が読み取れた。
 
ロールスロイスの座席の下から出てきたこのパテック・フィリップの時計は、
英国王室御用達の銀器・宝飾店“ガラード”で売られたものと判明する。
“ガラード”ほどの老舗なら、何十年前に売ったものでも顧客台帳にきちんと記録が残っているわけで、
その記録が決め手となって見事に真犯人があぶり出されてくるという仕掛け。
……これが現代の大量生産品の時計だったら、無論、こううまくは運ばなかったに違いない。
パテック・フィリップというブランドに目を付けた作者のセンスの良さがうかがわれる。
もっとも、作者のバーティ・デナムは英国上院議員だそうで、
政治家を兼業する作家といえば日本ではジェフリー・アーチャーが有名だが、
デナムはケンブリッジ出身で枢密顧問官の職にあるというのだから、これはアーチャー以上のエリートだ。
パテック・フィリップにせよロールスロイスにせよ、彼にとってはもっとも身近な、
日常生活そのものであったのかも知れない。
 
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