4 ミステリーと時計は時代の鏡

だが、より現代的な登場人物を描こうとすると、作家といえども
宝飾時計ばかりでは間に合わなくなってくる。
たとえば子供っぽさを残した未成熟な探偵作家、といった複雑なキャラクターが主人公になると、
時計の方もかなりひねったものが登場することになる。
 
この瞬間、私のミッキーマウス時計のぼろぼろになっていたバンドが切れた。
 
作品は「死ぬ時はひとりぼっち」。
作者のR・ブラッドベリはSF界の巨匠の一人で、
詩的感覚あふれるファンタジィの書き手として熱狂的なファンも多い。
ジャンル分けすればハードボイルドに入る作品だが、
無論、ハメットやチャンドラーのそれとはひと味もふた味も違う。
主人公のミッキーマウス時計が象徴する、過ぎ去った古き良き時代への郷愁に満ちた文章と
ファンタジックな展開を素直に味わうことができるなら、
あなたにとってとても大切な一冊になるに違いない。
 
 とはいえ、とてつもない金持ちだったり、虚実の狭間を行き交う詩人めいた探偵作家だったり、
どうも自分には身近に感じられないという読者もいらっしゃるかもしれない。
そんな方には、チープな日本製時計を使う、しがない私立探偵などはいかがだろう。
 
彼の腕のカシオは六時十五分を示していた。
 
時計など時間さえ分かればいい、とばかりにカシオを身に付け、
プロ・バスケットボール界のスター選手の連続失踪事件を追跡するのは、
元大リーガーの私立探偵ハーヴェイ。
スポーツ・ミステリーを得意とするR・ローゼンの第二作「ディフェンスをすり抜けろ」の一節だ。
元大リーガーといっても、食うに困って私立探偵をはじめるほどの貧乏ぶりだから
身に付けるものはすべて実用一点張り。
それでも毅然として下手な見栄など張らないところが、いっそいさぎよいというものだ。
このハーヴェイ、元スポーツ選手だからといって体力任せの捜査をすると思ったら大間違いで、
なかなか緻密に頭を使う頭脳派探偵なのがこのシリーズのミソだろう。
臨場感あふれる試合場面とともに、じっくり味わっていただきたい一作だ。
 
さて、時計といえば、昨今、有名ブランドの偽物時計が氾濫しているのはご存知だろう。
香港などへ旅行すると、あちらこちらの街角で怪しげなロレックスやらカルティエやらを押しつけられる。
韓国やシンガポールも同じような様子だとは聞くけれども、
まさかそれがニューヨークにまで及んでいたとは思わなかった。
 
プリマスを停めるたびに誰かが何かを売りつけにきた。
クラック、マリファナ、飛びだしナイフ、安物の拳銃、
表がロレックスで中身は台湾製の時計……。
 
現在、売り出し中のハードボイルド作家A・ヴァクスの「ブルー・ベル」は、
日本でもいくつかのベスト10に選ばれた傑作の呼び声高い作品だ。
舞台はまるで悪夢のようなニューヨーク・ダークサイド。
少女売春婦だけを襲う神出鬼没の悪党一味を相手に、前科二十七犯のアウトロー探偵が八面六臂の大活躍。
……とはいっても、痛快なだけのアクション小説ではもちろんない。
大都会の吹きだまりでしか生きられない人間たちをみごとに描き、
弱者への犯罪行為に対する激しい怒りと共に、作品全体が深い奥行きと厚みを生み出しているのだ。
まさに現代の一断面を鮮やかに切り取った、骨太で濃厚なこの一作。
ひまつぶしなどと考えずに腰をすえて読んでほしい。
 
ところで、偽物時計をつかまされれば、多分、どんな人でも腹を立てることだろうが、
これとてしょせん安物と割り切れば、まったく使えないというわけでもないようだ。
 
どうせ一週間で動かなくなるから。一カ月に一個ずつ買いかえているのよ。
 
彼女がつけているのは香港製の安物カルティエ。
B・フォーブスの力作スパイ小説「エンドレス・ゲーム」の一節である……。
 
さて、「ブルー・ベル」にせよ、この「エンドレス・ゲーム」にせよ、
いや、ここにあげたどの作品をとっても、時計という小道具一つが、
実にタイムリーに時代を映し出していることに気づかれたことだろう。
一冊のミステリーの中には、そんな不思議なアイテムが、ほかにも無数に潜んでいるに違いない。
 ミステリーという文学ジャンルの新しい楽しみ方のヒントの1つが、
ここにあるといえるのかもしれない。
 
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