銘酒・仁王立ち

 
つて十代の頃、ぼくが通っていたのは、県で2番目に歴史が古いとかいう男子高でした。
ここがまあ、アナクロの権化みたいな学校でありまして。
当時からすでに世間一般では死語となっていた「バンカラ」などという空気が色濃く残っていたのです。
下駄を鳴らして登校する高校生、髭を生やしたオッサンみたいな高校生などという、
生ける化石の如き人物が臆面もなく在校している。
一方ぼくはといえば、ご多分に漏れずバンドに憧れていた関係上、これでもかというほど髪を伸ばし
……そのくせ軽音なんぞは洒落臭いとばかりに、文系屈指の硬派であるところの新聞部に入部してしまったのです。
内心では女の子に「モテまくり!」と噂も高い軽音に、入りたくて入りたくて仕方がなかったのですが、
友達とバンドの如きものをやっていた割には、己のギターテクに全く自信のカケラもなく、
恥をかくのが怖い一心で、泣く泣く新聞部を選んだという次第です。
 
もそも男子高校生といえば、全身フェロモン分泌しまくりのお年ごろ。
いくら硬派を気取ったところで、パンツからは下心があからさまにはみ出しております。
むろん百人いれば百人とも、頭ン中は女の子のことでいっぱい。
音楽にせよ、スポーツにせよ、はたまた新聞作りにせよ、女子の気を引く以外の目的なぞカケラもありゃしません。
少なくとも、この年代の男子にあっては、あらゆる行動言動思想信条その他すべて、
「それ」が動機となっている。といっても過言ではないのです。
しかるにここは男子高。
右を見ても左を見ても、むさくるしく汗臭い野郎共の面しか見当たりません。
なぜまたよりによって男子高を!などと今さらながらに嘆いてももう遅い。
己のオロカさをしみじみ悔やみ続けていたのは、ぼく一人ではなかったはずです。
 
のごとく、いきなり屈託しまくり!という感じで始まった学園生活にあって、
その中心となるものはやはりクラブ活動です。
ぼくの場合は先に述べた通り新聞部ですね。
かつて学園紛争の時代には、先陣切って学生らを扇動し、校舎をロックアウト!
揚げ句の果てに校長をつるし上げるという快挙に及んだ、文系きっての硬派クラブ。
……けれど、それももはや遠い過去の伝説と成り果て、いまや単なる変わりもんのたまり場と化していました。
むろんそんなこととは露知らぬ、無垢なる新入部員は、いうなれば先輩達のいいオモチャだったというわけで。
その手荒い洗礼は早くも入部直後から始まりました。
その日、入部手続を済ませると、おもむろに先輩がいったのです。
「あー諸君、明日は諸君らの歓迎会をやるから、家から牛乳瓶に酒を入れて1本、持ってくるように」
この時点でこちらは非常に不穏なものを感じたのですが、なんせこちらは新米です。こう質問するのがせいいっぱい。
「どんな酒でしょうか。日本酒ですか?」
先輩、にやりと笑って
「あー、酒なら何でもよろしい。日本酒でもウィスキーでもブランデーでもワインでも。
ただしビールはだめだ。気が抜けるからな」
「はあ……」
 
にもかくにも、男子高の新入生にとって先輩の言葉は絶対です。
ぼくも翌日おやじの晩酌用の日本酒をかっぱらい、牛乳瓶に詰めて部室に持ち込んだのでした。
「よしよし、諸君。もってきたようだな。そいではこれから我が新聞部の「伝説」をお目にかけよう!」
そういって先輩はおもむろに部室の一番奥のロッカーを蹴飛ばし、
(後で聞いたのですが、これは通称「開かずのロッカー」。カギが壊れているため、こうした方法でしか開かないのです。
酒やらエロ本やら煙草やら灰皿やら、ロクでもないもんが隠されていました)
中から1本の一升瓶をとりだしました。
一升瓶には黒ずんだ茶色に濁った液体が半分ほど入り、その中に何やら黒く長いヒモの如きモノが沈んでいます。
瓶の表にはへたくそな文字で「仁王立ち」と書いた手作りのラベルが張ってあります。
「さあ、諸君、ここにもってきた酒を注ぎたまえ!」
先輩は漏斗をとりだし、ぼくらを促しました。
否も応もなくぼくらはその言葉に従いました。透明な酒、茶色い酒、赤い酒。
見たこともないような緑色の酒は、あれはリキュールの類いだったのでしょう。
 
もかく様々な色と香りのアルコールが音を立てて注ぎ込まれ、一升瓶はさらに不気味な色合いに変化し、
その中では先ほどのヒモ状の物体をはじめ、
いくつもの黒い固形物もくるくると浮きつ沈みつ回転しています。
「先輩、この底に沈んでいる長いヒモのようなもんはなんでしょうか?」
「おお、これはな、マムシだ」
「というと毒蛇のマムシですか?」
「何代か前の部長がたいへんな豪傑でな。
山林を散策中にこいつをみつけて捕まえ、ここに漬け込んだという話だ。
新聞部伝統の秘酒。名付けて「仁王立ち」がこれよ」
「先輩、先輩、こっちにはなんかこう足のついたモンもいくつか沈んでいるようですが!」
「新聞部創立以来、連綿と伝えられてきた銘酒だからな。
歴代部員が心を込めていろぉんなモノを漬け込んどるわけだ。
詳しくは知らんが、栄養豊富であることは間違いなかろう!」
先輩、じつに嬉しそうな笑顔を浮かべて、その一升瓶を思いきりシェイクし、
僕らの前においたコップにその不気味に泡立つ褐色の液体を注ぎ込みました。
「さ、遠慮せずにぐっといけ」
「は、ありがとうございます。しかし、先輩方は」
「残念ながら、これは新人専用の祝い酒なのだ。わしらは、こっちの缶ビールでつきあう」
しっかり用意してやがる。
 
とここに及んで、もはや逃げ場はありません。
観念したぼくらは息を止め目をつむり、その泡立つ不気味な液体を飲み干し……
直後、揃ってトイレに駆け込んだことは言うまでもありません。
正直、味のことなぞ忘れましたが、少なくとも「来年になったら、新人どもに思いきり飲ませてやるう!」と
固く心に誓わずにはいられぬモノだったことは間違いありません。
まことに、良き伝統というものはこうして末長く受け継がれていくのでありますね。
 
ともあれ、こうして始まったわが狂乱の高校生活。
その恥多き日々の詳細につきましては、また稿をあらためて書き起したいと思います。
 

 
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