「イノダ」のコーヒー

 
ーヒーが好きです。
たぶん、いちんちに7〜8杯は飲むでしょう。
といっても、いちいち入れるのは面倒でもっぱらインスタントですから、偉そうなことはいえない。
きちんと豆を挽いて淹れるのは、せいぜいいちんち1回というところです。
ですから、逆に豆の好みにはちょっとばかりこだわります。
ぼくは酸味が利いた濃いものが好きなので、モカだけか、
あるいはそこにちょいとブルマンを加えたくらいのもの。
これを思いっきり濃く淹れて、煙草に火を付けると、
ほとんど気分はフィリップ・マーロウだったりします。
ちなみにマーロウは「荒びきの豆を、コーヒー濾しを使わずに淹れる」(「さらば愛しき女よ」)そうですが、
これは何やらアメリカのカウボーイの伝統を思い起こさせる淹れ方ですね。
そう、西部劇でよく出てくるあの泥水のようなコーヒーの作り方です。
まず鍋やらケトルやらに適当に挽いた豆をぶち込み、水を入れ、焚火でグラグラ煮え繰り返るまで熱する。
しかるのちに火から下ろして、豆殻が沈殿して沈むまで待ってブリキのカップに注ぐ、という。
これもウエスタンで見た作り方ですが、なんという映画だったかは忘れました。
濃く熱いのはたしかだけれど、できあがったそれは香りが飛び、アクが残っているのではないでしょうか。
 
なみに、でき上がったコーヒーに塩を一つまみ入れるという飲み方もありまして、
これはUSNAVY、アメリカ海軍伝統の飲み方です。
塩を入れるとアクが吸収されてコーヒーが澄む、とか、
激しい労働で失った塩分を補給するため、とかいわれていますが、本当のところはわからない。
日本でも昔はそういう飲み方をする粋人がいたそうで、
ぼくも一度、試しにやってみたんですが「そのまんま」の味だったので止めました。
どうやら、たぶんに気分の問題のようです。
そもそもコーヒー好きの国という印象のアメリカで、
ぼくは本当に美味しいコーヒーというものに出会ったことがありません。
やつらときたら、やたら薄くて味も素っ気もないお湯割コーヒーを、量だけやたらたくさん飲む。
そんな印象ばかり残っている。
まあ、ぼくが場末のカフェテリアやダイナーでしか、飲み食いしなかったせいかもしれませんが、
ともかく彼らにとっては、コーヒー、そしてアイスティ(アメリカ人はこれが大好き!という印象です)は
水がわりそのもので。
たとえば、L.A.で行った場末の、しかしノン・アルコールのステーキ屋では、
どいつもこいつもコーヒーやアイスティやをガブガブ飲みながら、
山盛りのマッシュドポテトを頬ばり、プライムリヴに齧り付いていました。
その店でぼくは食後にコーヒーを、とオーダーしたのですが、じゃあ食中は何を?と聞かれ、
結局アイスティ(ベタ甘!それも特大!)を頼み、
せっかくのステーキが半分がた味気なくなってしまったものです。
 
て、最近では外でコーヒーをいただくという機会はずいぶん減りました。
もっぱら、方々にできたコーヒーメーカーのカフェチェーンかマクドナルドということが多い。
味の方は言わぬが花ではありますが、たいていは仕事の打ち合わせ用ですから、
とりあえず値段が安くて気の置けない店であれば十分なのです。
まあ、そうでなくともいわゆる喫茶店という店は、ずいぶん数が減ったのではないでしょうか。
昔話になりますが、
有楽町の朝日新聞社前…いまではマリオン裏になりますか…のお店(名前、忘れましたが)のコーヒーなんて、
まことに素晴らしかった。
悪魔のごとく真っ黒で、これを飲み続けて胃に穴を開けたやつがいる、
などと噂されるほど濃い。
これがもう、とろりとして香り高く、深いコクに満ちた豊潤な味わいで。
ピカデリーあたりで映画を見た後はこれと決めていたものですが、あの店、いまでもあるのでしょうか。
 
かし、これまでで一番美味だったものはといいますと、これはまた別のお店のコーヒーです。
実は一度しか味わったことはないのですが、京都の「イノダ」というお店のそれ。
たいへん有名なお店ですから、ごぞんじの方も多いですよね。
ぼくはこの名店のことを池波正太郎のエッセイで知ったのですが、
その文章が実になんとも美味そうでありまして。
昔はぼくもその手の情熱では人後に落ちぬニンゲンでしたから、
この本で紹介された店を片っ端から回ってやろうなどという野望を胸に、
ご苦労にも京都くんだりまで出かけたのです。
イノダを訪れたのは2日目の朝。
大きく取った窓から朝の光がさんさんと差し込み、一見ヨーロッパの高級リゾートホテルのカフェテリア風。
テーブルに広げられたクロスが、まぶしいほど白くて。
まことに爽やかな雰囲気なのですが、実はここ、地元の方なら知らぬものはない老舗。
京都人が誇る名店でありまして…。
店内には朝から、粋人めいたおじさんばかりが、常連顔でたむろしていらっしゃいます。
なにしろ当時は、ぼくも見るからにコナマイキな若造でしたから、こうしたお店は敷居が高い高い。
わけですが、しかしそこはもうナマイキぶりを発揮して、一番の上席と思われる窓際に席を取り、
問題のコーヒーを注文しました。
出来上がったコーヒーはしかしどこといって特徴のない、ごく当たり前のあっさりした味わい。
でも、これが美味い。
なんといってよいのかわからないのですが、
よくよく吟味した豆を丁寧に挽き、心を込めて淹れたということが、若造のぼくなんかにも如実にわかる。
香り高く、ふくよかで。これがコーヒーというものだ、といいたくなるほどに。
後にも先にも、1杯のコーヒーをあれほど楽しみ、惜しみ惜しみ啜った経験はありません。
 
京区堺町通り三条下ル。
移転していなければ、そこに「イノダ」はあるはずです。
もし、京都においでになる機会があれば、ぜひ一度お試し下さい。
 

 
HOME TOP MAIL BOARD